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それは晴れた日のこと
それが最後の日
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いつも君は画面の向こう側にいる
手に触れたくて
私はよく話しかける
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物語を読んでいるとき、残りページが少なくなってくると、
終わってしまうことが惜しくなり、しおりを挟んで読むことを止めた
そのまま最後まで読まなかった本が何冊もある
終わってしまうから美しいとわかっているのに、終わりを受け入れることができない
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行き交う車が水溜りを弾く音
小刻みに雨戸を叩いている
雨、雨が降っている
昔から夜に眠ることが苦手だった
悲観的に絡み付いてくる腕を解こうとして
余計、逃れられなくなる
ライオン、リライト
距離にして300メートル。
サバンナで向かい合うライオンの存在感は圧倒的だった。
陽炎の向こう側から悠然と歩を進めてくる姿は、動物園で見かけた萎びれたライオンとはまるで別の動物のようで、
その自信に満ち溢れた佇まいからは、私という見慣れない生物に対する警戒心など微塵も感じられなかった。
何者にも頼ることなく、媚びる必要なく、自らが強者であることに一片の疑念を抱いたことさえ無い。
生まれながらにして、誰も逆らうことができない特権を与えられた百獣の王。
ちっぽけな私はライオンから醸し出される傲慢さにも似た圧力に気圧され、
全身の毛穴という毛穴から冷たい汗が噴出し、立ち続けていることさえ困難な有様だったが、
一つだけ、やらなければならないことがあった。
「逃げなければならない」
それは、今。
たった今この瞬間に行うべきこと。
後回しにすることはできない。
久しく忘れていた本能の叫びが、凍てついた関節の隅々まで染み渡っていく。
右、左、右、左、
初めは地面に上手く足が接地せず、ふわふわと浮かび上がるような感覚だったものが、
筋肉の弛緩と共に、両足で交互に大地を蹴り上げることができるようになっていく。
ライオンが追ってきているかどうかを振り返る余裕はない。
ただただ、生への執着心が私を全力で走らせていた。
死にたくない。
死にたくない。
死にたくない。
誰もが、死から逃れることはできない。
だが生あるものは、それを遠ざけようとする。
死は敗北なのだろうか?
受け入れることは許されないのだろうか?
では、生とはなんだろう?
何故しがみついている?
死を避ける為に?
今、私はそういった考えとは別のところで走っている。
老いさらばえても、病に臥せても、命あるからにはその瞬間にできることを精一杯やるべきなのだろう。
生と死の繰り返しの中で、理由はいつも後付けに過ぎない。
次第に呼吸は荒く乱れていき、肺が焼け付くような痛みに苦悶の表情を浮かべる。
それでも今は全力で、
全力でもって死を否定しなければならない。
吸って、吐いて、吸って、吐いて。
どれぐらい走ったことだろう。
意識はところどころ途絶えがちになり、痙攣する足を抑えようとした手が膝をすり抜けて地面に崩れ落ちていく。
砂が焼けるように熱い。
ごろりと転がって仰向けになると、突き抜けるような高い空が見える。
ここが底なのか。
ならば、もうこれ以上堕ちることはない。
そう思うと幾らか楽になれた気がして、そっと目を閉じた。
頬を撫でていく風が心地良い。
境目の失われた淀んだ日々に、強烈に湧き上がった生への渇望。
その固執をひっぺがされるようにして蹂躙される。
なんと理想的な死に様なのだろう。
こんな風に死に対して憧憬を抱くなんて想像もしなかった。
いったい今まで何を恐れていたのか。
痛みだろうか?喪失だろうか?
辺りの暗くなる気配に薄く目を開けてみると、
ライオンがたてがみを風になびかせながら真っ直ぐな瞳で私を見つめており、
その姿は私に止めを刺すのに相応しい存在であるように思えた。
最早、諦めの感情もそれを否定する力も沸き出てはこない。
できることはもう一つも残されてはいなかった。
私は最後の力を振り絞り、横たわっていた上半身をおもむろに起こすと、
太陽を覆い尽くす神を迎え入れるべく、両手を天に向かって翳した。
肩口に食い込んでいく牙に、止め処なく溢れ出していく血。
私は、泣いていた。
美しいものになりたかった。
後悔をしたくなかった。
暖かいものに囲まれていた。
手を繋いでいたかった。
ありがとうと伝えたかった。
もう少しだけ、生きていたかった。
死。
それは、曖昧に濁すことが適わない、
この世で確実に回答が得られるたった一つのこと。
それは、生命の終わり。
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心はいつも現実とすれ違ったまま
潔く全てを断ち切ることもできずに、まだどこかで引き摺っている
願い通りのことが起きるんじゃないかって
失ってもいつかは元通りになるんじゃないかって
都合の良い勝手な解釈ばかり
どこかでその訪れを信じている
奇跡が起きるならば早くして欲しい
神様、時間がない
静寂を切り裂く嗚咽を毛布で塞いで、いつまでも閉ざされた心のまま
どうしても叶えたいこと
どうしても諦めなければならないこと
答えは既に出ている筈なのにそれを認めることができない
堂々巡りの考えにも疲れて果て、全てがどうでも良いことのように思えて
ぼんやりと混濁した意識のまま暗い天井を見上げる
世界を変えようなんて大それたことは思ってはいないけれど
現実はいつも私の目を覚ましてくれる
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ブランコに揺られながら、暮れてゆく空を眺めていた
色濃く染まった孤独の影を引き連れて、誰かが迎えに来るのを待っていた
永遠を待っていた