06/掃除(会長補佐・宇野弓音の場合)

 資料を読むのを止めて、あたしは背伸びをした。言っておくけど、あたしは文化祭が大嫌いだ。あ、これはちょっと文化祭担当会長補佐としてまずい。言い直さなきゃ。真面目な文化祭が大嫌いだ。去年の文化祭とかは、あんまりつまらないから欠席してた。でも、殊勝にも高校生最後の年くらいはっちゃけたいと思った。だから、文化祭担当の補佐になった。でも、これ、案外難しい。アイディアは浮かぶけど、言葉にならない。感情に言葉がついていかない。もどかしい。それに、先生との調整も大変そうだし。ああ、ちょと挫折しそうだ。
 掃除ロッカーの横にある、コーヒーメーカーからコーヒーを取ると、予定を書き込むホワイトボードの前に立った。「今月の派遣は…」と独り言を言いながら物色する。「文化祭・アイディアコンペ」お、あとて派遣の申請出しとこ。「不審者対策・さす又研修」これはいいや。「図書室書庫掃除作業。4月30日16時30分〜22時」なんか微妙にココロ惹かれた。てか今日じゃん。担当は、神田亜衣?
 亜衣を見ると、自分の机でお菓子のカタログを読んでいる。しかも、その妖しい笑顔。いつものことか。
 「亜衣ー。この、書庫の掃除だけど、あんた、行かなくていいの?」
 「あ、忘れてた。それよりさあ、このケーキおいしそうだと思わない?生徒会の会議費でさぁ。」
 「私、行っていい?」
 「いいよぉ。このケーキを奢ってくれれば。」
 最後の部分をシカトして生徒会室を出る。図書室の書庫なんて初めてだ。集合時間には
まだ時間があるけどダッシュしちゃえ。うちの図書室は有名だ。図書室というより、書庫が有名か。グランドの片隅にひっそりと建っているが書庫。息せき切って駆けつけると、ちょうど、学校司書の奥村岸子さんが中に入るとこだった。
 「生徒会の宇野です!」
 「ああ、宇野さん、来てくれましたか。」
 奥村さんは、何の変哲もないドア、その脇の認証装置に職員証をかざす。ピッと電子音。
私も促されてHSCのプレートをかざす。中にはいると、コンクリートのひんやりとした空気が心地いい。空調が効いているのか、カビくさいにおいもない。重厚な電動書架が並び、その間を歩きながら奥村さんの解説を聞く。そもそも、20年前に市立図書館の書庫にする予定で建てられたものであること。建ててみると市立図書館からは遠すぎて使い道がなく、それを県が買い取って、うちの高校の書庫にしたこと。「まあ、うちの高校はもともと蔵書量が多かったし。それに、県教育庁に派遣されてた当時の校長が強力にバックアップしてくれたからね。」へー。この書庫にそんないわれがあったとはね。ちょっと驚いた。
 「じゃあ、宇野さんは、そっちの、卒業アルバムの書架の整理を頼みます。」
 携帯情報端末と、バーコード発行装置を渡される。情報端末に書名などを打ち込むと、自動的にバーコードが発行される。それを本に張っていくのだ。ちなみに、端末と図書室のサーバはデータリンクしていて、すぐに本はデータベース化され、パソコンでの検索が可能になる。
 電動書架を動かして、その間に潜り込む。昭和39年から今までの卒業アルバムがあたしを迎えてくれた。最初は真剣に作業を進めていたけど、途中から、アルバムを見てしまっている自分に気付いた。だって、これ、すっげー面白い。先輩とかのも見れるし、親の世代のだって見れる。それに、一番うけるのは、当時の生徒達の様子が知れること。ファッションとかさ。女の子のヘアスタイルも、男の子の制服の着こなしも、びっくりする。今の私から見ると、本当、口あんぐりだ。
 作業が終わった後、ちょっと気晴らしになったかなって思った。資料に囲まれて、ただ
ただそれを眺めるのもいいかもしれない。そう、たまにはこういうのもいい。それに、もしかしたら、文化祭のヒントがここにあるかもしれない。そう思ったら、奥村さんに呼びかけていた。
 「奥村さん、私で良かったら、また、頼んで下さいね。」
 

05/昼寝(生徒会総務部財政係 今野孝史・同係長和泉千帆の場合)

 もう7時か。僕は生徒会室の時計を見た。各担当毎、役員の机が島を作っている生徒会室。残っていたのは僕だけ。財政係はこの時期が一番忙しい。予算大会と呼ばれる、予算委員会への原案づくりがあるからだ。各部活動から上がってくる予算要求書に目を通し、削るところは削り、加えるべき所は加える作業である。部活動の原案は僕が作り、生徒会の原案は和泉さんが作ることになっている。今日は彼女が部活に出る番だ。部活も交代で出なければならないほど忙しい。予算はこの後、総務部長、会長に見てもらい、予算大会に回される。
 「孝史君頼むね(はあと)」女子バスケ部の要求書の余白を見て苦笑する。しかし野球部とかは「予算付けないと金属バットで…」とか書かれているから洒落にならない。それに、削るにも加えるにも、いちいち各部活を説得しなければならないから、骨が折れる。昨日は、サッカー部に予算の値切りに行ったらシュートの集中砲火を浴びたし、今日は柔道部で乱取りの相手をさせられた。(明日はたぶん接骨院だ)例年、部活動の予算編成は男子がやることになっているのも、この辺の事情があるのだろう。それに、この時期は毎日の出来事を絵日記にして監察係に提出しなければならない。特定の部活と結びつかないようにだという。でも、絵日記なんて、小学生以来だ。
 とりあえず、今日見た要求書だけ判を押して帰ろ。腰が痛いし。きっと、柔道部長に投げられたとき、したたかに打ったからに違いない。えっと、何枚だ。10枚か。判子の欄は五つ…「部活動担当」ここだ。あとは、「財政係長」「総務部長」「副会長」「会長」か。ふと、判を押すスペースを見つめた。じっと凝視する。その部分の紙が波打ちだして、人の顔みたいのが、浮き上がってくる。老人とも赤ちゃんともつかないその表情。しばらくして、それはゆっくりと目を開けた。次の瞬間、にやりと笑う。そして、それ全体が血のように真っ赤になって、まるで判子のように…。
 
 お弁当を食べるのもほどほどに箸を置く。今日のおかずはミニグラタンだった。お母さん好きな物入れてくれてありがと。この時期財政係は一番忙しい。、カタカタと電卓を叩きながら、あたしは、向かいの席で突っ伏している今野君を見た。予算編成に疲れて眠ってしまったのだろう。しばらく放っておいたが、遊ぶことにした。だらりと机に延びた今野君の右腕。そう言えば、こないだ会ったいとこの赤ちゃんは、寝ているときに、手のひらに指を乗せてやると、勝手に握ってきた。かあいかったなあ。あ、それって、思春期後半の男の子でも同じなんだろうか。あ、なんか楽しくなってきた。一人でためして大ガッテンな感じ。ふふ。じゃあ、私の指で…。
 え、ちょと妄想を止めてみる。ちょっとこれ、恥ずかしい。てかよく考えるとかなり恥ずかしい。誰かに見られたら、ただのおかしい人だよ、あたし。別な物でやろ。なんか、指に似てて、手のひらに収まるようなものは…。あった。判子だ。今野君の手のひらに置いてみる。お、勝手に握り始めたぞ。やっぱり、人間なんてそう変わらないんだ。三つ子の魂百までってやつね。感心していると、今度は苦しみ始めた。どうしたんだろ。やばいなあ。とりあえず、予算書の束で殴って起こすことにする。あれ、予算書の一番上は、女バスぅ?「孝史君頼むね(はあと)」なにこれぇ!なんか、やな感じ。あたしは思いっきり束を振り上げた。
 あれ、今野君、起きたと思ったら、自分の右手を見ている。判子があることにビックリしているみたいだ。でも、なんか様子がおかしい。顔真っ青だ。え、帰る?どうして。今、昼休みだよ。
 「じゃあ、和泉さん、あと頼むね。」
 今野君は青ざめた表情で帰っていった。きっと急に体調が悪くなったんだろう。予算編成もきついし、あたしも気を付けないといけないな。うん。(了)

04/屋上(生徒会総務部調査・広報係・本田美奈の場合)

 うちは屋上が好きだ。本当は入ってはいけないところだけど、グランドの部活写真を撮るために上がったときから、お気に入りの場所になった。「生徒会広報です!屋上から写真取るんで。」と職員室で言うと、割合簡単に鍵を貸してもらえる。まっさらな青空の下、ゆるゆると風が吹く屋上でパンを食べるのが好き。青春だなって思う。いや、マジで。でも、笑われるだろうから誰にも言ってない。誰も知らない、うちだけの場所。やばいちょっと酔ってきた。
 今日は奮発して、なんかイモムシみたいな形で中にチョコレートクリームが死ぬほど入っているパンを買った。これが酔いの原因だ。これを屋上で食べるなんて、想像するだけで顔が緩む。
 放課後、HSCのプレートを確認して職員室に飛び込む。ああ、それに生徒会広報の腕章も。これがないとダメだ。
 「生徒会です!教頭先生!鍵借りまーす!」
 先生の返事を聞かないうちに鍵を奪取するのがコツだ。
 廊下を突っ走って、茶道部の前を通りかかったとき、いきなり戸が開いて、中に引きずり込まれた。
 「美奈ー、ちょっとウチの部の取材してよー。」
 声をかけてきたのは幼なじみの畑中美咲(はたなかみさき)茶道部の部長。
 ああ、腕章なんかしてくんじゃなかった。てか、いつもは、職員室から出たらプレートも腕章も外すんだった。うちとしたことが。不覚。あのパンのせいだ。あいつがあんなに魅力的だから。つい…
 「なんかさー、予算って新入部員の数も考慮に入れられるじゃん。だからさ、その前に、広報で取り上げてもらって、少しでも部員を増やしたいんだよね。」
 「ダメダメ。広報は公平中立がモットーなんだから。」
 「だからさー、こうやってお願いしてるんじゃない。今度、おいしいケーキ屋さん紹介するからさ。」
 「ダメダメ。監察班ににらまれたら大好きな広報の仕事も出来なくなっちゃう。」
 「じゃあ、全文化部の取材ならいいでしょ。そんで、今回の生徒会広報は、文化部特集号ってことで。」
 全文化部?勘弁してよ。何個あると思ってるのさ。うちはこれから屋上行ってパン食べるんだよー!
 「そんなイヤな顔してさー、大好きな広報のお仕事なんでしょ。じゃあ、これは邪魔ね。」
 そう言うと美咲は、うちから、なんかイモムシみたいで中にチョコレートクリームが入っているパンと屋上の鍵を…。
 「なにすんの!」
 「これは、私が屋上でいただきます。あ、そこの和室でもう、部長たち待機してるから。みなさーん、広報係の方、来ましたよー。」
 うちは、すぐに部長たちに取り囲まれた。ああ、もう身動きが取れない。
 「美咲!あんたの部活の記事なんてないからね!」
 「いいよー。もう部員確保してるし、予算もメド付いてるから。他の部のために、一肌脱いだってわけさ♪」
 美咲と関わるといっつもこう。でも、美咲の言葉ではっとした。そう、広報の仕事がなけりゃ、屋上に出ることもなかったんだから。ちょっと不服だけど、気分を取り直し、「生徒会広報」の腕章を撫でた。そして、ピンで髪を留めた。
 「じゃあ、部長の皆さん、一列に並んで。インタビューから始めましょう。」(了)

03/春(生活企画課あいさつ係・梅野健/総務部監察班・東海林彩子の場合)

 生徒会生活企画課内に、あいさつ係という係がある。朝、誰も生徒がいない間に登校し、昇降口に立って、登校してくる生徒にひたすらあいさつをくり返す。そんな拷問みたいな係に配属されたのが、このオレ。去年まで、ゆっくり寝坊して、遅刻ギリギリで滑り込んでいたのが嘘のようだ。てか普通に懐かしい。
 「おはようございます!」やけくそ気味で怒鳴る。1年生の女子なんか、ベソをかいたような顔で、無言で通り過ぎていく。泣きたいのはこっちだ。でも、八つ当たりのように怒鳴っている自分も情けなくなってきた。なにをやってるんだオレは。
 「梅野君!おはよ!」
 さわやかな声をかけてきたのは、監察班の東海林彩子だ。うわー、マジ最悪。生徒会内の風紀を取り締まる監察班に目を付けられたら、処分は確実。10日連続生徒会室の掃除とか、部活出場停止とか。せっかく部活レギュラーになったんだぜ。今までのオレの努力はどうなるんだよ!心の中で叫ぶ。
 「ねえ、さっきの子泣いてたよね。」
 悪魔め。こいつはやっぱりオレを処分するつもりだ。にしても、一人であいさつするオレの気持ちが分かるのか。わかんないよなー。たぶん。
 「あいさつは、明るく愛想良く。これが鉄則でしょ。梅野君のはさあ、なんつーか、かなり恐いね。じゃあ、私が手本見せてあげるよ。」
 はあ?東海林の奴、なんて言った?すると、あいつは「おはよう」と言いながら、笑顔を作って馴れ馴れしく生徒たちに近づいていく。そういえば、あの技を使って男子に意図的に告白させる遊びもやった…という話だ。「春風みたいな笑顔だった」とは、告白した奴の弁。てか普通に恐えーよ。そんなことされたら、精神に破綻をきたすぜ。と、あいつは続けて生徒にこそこそと耳打ちする。すると、そいつらは、オレの隣に来て、他の生徒たちにあいさつを始めた。東海林は声をかけ続け、10人ほどが並ぶ。
 「東海林、これ、どんなわけ?」
 「んー、10日間ここであいさつすれば、今までしてきたこと風紀係に通報しないって言った。10日ごとに10人捕まえてくりゃ、梅野君ひとりで、『人殴りに来ました』みたいな顔してあいさつしなくてもいいでしょ。したら、1年生のあの子も泣かずにすむし。それに、あいさつは、みんなで明るく愛想良くのほうがいいよ。」
 「通報しないって、そんなことしていいのかよ。」
 「うん。私は、梅野君に脅されてやったってことになってるから。」
 そう言って小さく笑ってみせる。全くこの悪魔め。でも、ちょっとだけ感謝した。
 今度、パンでも奢ってやろうかな。
 え、ちょっと待て。自分の言葉をくり返してみる。もしかして、オレは藤沢の策にはまってるってことか。それでもいいや。あの笑顔が見られるなら。
 って……!

02/入学式(生徒会総務部長・星川ちかの場合)

 「部長、入場まであと5分です。」
 式典係長の江尾野香織が私に耳打ちした。
 体育館後部のギャラリー。体育館全体を見回せる位置に、私と香織の席があった。席と言っても、固いパイプ椅子でしかないのだか。既に保護者、来賓は席に着き、新入生の席の群れがぽっかりと空いている。
 香織を見ると、顔が赤い。2年生にして式典係長という大役をこなしてきたのだから、当然か。でも、それだけじゃないようにも見える。準備が終わった体育館で、私の顔をのぞき込んだ時の上気した表情。もしかして、私に恋してる?まさかと思い、吹きだしてしまった。
 「部長?」
 「なんでもない。」
 平静を装って咳払いする。私は泣く子も黙る生徒会総務部長なのだ。それに、彼女の前では常に凛としなければといけないのだ。香織を見ていると、去年までの、しゃにむに駆け回っていた自分と、それを助けてくれた、女性生徒会長のことを思い出す。彼女は常に凛々しかった。私もそうなりたいと願った。だから、私も彼女のようにするのだ。そういえば、私も彼女のことを熱っぽく見ていた気がする。
 自分も、彼女と同じような立場になったのだな。そんな瞳で見られるようになったのだ。 香織には力がある。私がグランドの桜並木で黄昏れていた間に、一人で準備の指揮を執った。ただ、自分の力に気付いていない。きっと来年は、香織に憧れる生徒がいる。役割は、こうして受け継がれていくのかもしれない。彼女も、私も、そして、香織も、そんな長いドラマのキャストにすぎない。そんな意味で見れば、これからここに入場してくる新入生も、学校という、延々と続くドラマのキャストなのだろう。それぞれの学年で、自分に与えられた役割を演じ、そして卒業する。すると、また新入生が入り、役割を演じる。
 それでも、一人一人にとっては、かけがえのない瞬間になるのかもしれない。
 勉強に打ち込みたいという子もいる。恋愛に身を焦がしたいと思う子も必ずいるはずだ。もしかしたら、中学校時代つきあっていた相手と学校が別になって、暗澹たる気持ちでこの式に臨む子だっていないとは言えない。(ちなみに、私は、そんな奴には一刻も早くもっと素敵な人を見つけろと言う。経験上、青い鳥は近くにいるのだ。しかし、これを友人に言ったら、あんたの少女趣味には頭が下がると言われた。)そして、何より、私と香織が座っている、この席を目指す子もいて欲しい。
 「3,2,1,入ります。」
 香織が携帯を使って入り口の係員に合図を出す。
 体育館入り口の大扉が開く音がする。
 瞬間、吹奏楽部の演奏が響き渡った。
 拍手の中、次々と入場してくる新入生たち。私の位置からは、その顔をうかがい知ることはできない。
「ようこそ、比良坂高校へ。」
 自然とそんな言葉が出た。香織が怪訝そうな顔を向けてよこした。
 私は、それに自分で言うのもなんだが、とびきりの笑顔を返した。
 すると、彼女は顔を真っ赤にしてうつむいた。香織、あなた、本当に大丈夫なの?
 でも、昔の自分を見ているようで、ちょっと楽しい。私は意地悪かもしれない。

01/桜(生徒会総務部式典係・江尾野香織の場合)

「せ、せんぱい、す、好きです。」
あたしが、先輩を見上げてそんな言葉を言ったら最後、強烈な光で目がくらんだ。
「あ、朝だったんだ。」
まだぼんやりしている頭を振ってベットから立ち上がる。カーテンの合わせ目から、朝日が差し込んでいた。カーテンを開けると、快晴!今日の入学式もうまくいくといい。
「香織!朝ご飯食べなさい!」
母の声が聞こえる。あたしはのびをすると、「はーい」と返事をした。

 姿見の前で、制服に着替え、髪を整える。ネクタイを結んで、うん、悪くない。ネクタイが上手く決まった日は、全てが順調にいきそうな気がする。最後に、ブレザーの胸ポケットの上に「HSC」のプレートをつける。−Hirasaka Student Council−うちの生徒会役員がつけるプレートだ。「式典係の江尾野香織です。今日は宜しくお願いします。」今日、何回も言うであろう台詞を言って、姿見のあたしはお辞儀をした。

「総務部長は、まだ来てないの?」
 数クラスの生徒が出て、いす並べ、紅白幕の設営、お花の用意、入学式の準備が進む体育館。彼らに声を枯らして指示を出し、あたしも駆けずり回っていたとき、誰かが言った。
はっと息を飲む。そういえば、今日の夢、あたしが総務部長−星川ちか先輩−に告白する夢だった。どうしてこのタイミングで思い出すかな。しかも、なんで星川先輩に?
 こういうのって、百合っていうのだろうか。文芸部の友達はそんなことを言っていたけど。あたしはノーマルのはずだ。確かに星川先輩にあこがれはある。あんなふうになりたい。期待と信頼を一身に集め、冷静に仕事を進める存在。そして、一番の生徒会のムードメーカでもある。この憧れが、あんな夢を?
「どうした江尾野。さっきまでの勢いが失せて、式典係長が心ここにあらずじゃないか。」
先生に言われ、我に返った。

 準備を担当したクラスの方々に引き揚げてもらい、体育館の入り口にいると、大扉が開いた。現れた星川先輩は、ニッと笑って見せた。
 「どこ行ってたんですか。一人で指揮をやらなきゃなりませんでした。」
 「ライオンは子どもを崖から突き落とすってね。」
 そんな言葉を交わしながら、先輩の後に続いて体育館に入る。部長自らチェックするつもりだろう。
 先輩の背中を見ると、なにか光るものがある。あたしはそれを取ると、ふと思いついてハンカチに包んだ。
 「部長、どこに行ってらしたか、わかりましたよ。」
 「おかしいなあ。それよりも、準備、よく頑張ったね。来年は、もっと大きな仕事してみる?」
 悪戯っぽい笑顔をあたしに向けた。先輩の肌のきめ細かさがわかる近さで、すっごいどきどきした。

 入学式が終わった放課後、あたしは茶道部の部室にいた。入学式中もちょっと、上の空が入っていた。これじゃいけない。先輩みたいにクールにならなきゃ。
 「爪のあかじゃなくても、いいのかな。」
 ハンカチからさっきのものを取り出して、わざと声に出して言ってみる。
 現文の授業のとき、担任が、なんか、憧れの人のつめの垢を煎じて飲むと自分も立派になれるって言っていた。居眠りしてたからうろ覚えだけれど。んな馬鹿なことあるかって思う。でも、先輩についていたこれを飲めば、少しは効果があるかもしれない。
 桜の花弁を湯飲みの底に入れ、お湯を注いだ。
 桜湯なんて、我ながら風流だ。と思って口をつけると、熱っ!お湯の温度を間違えちゃった。
 先輩のようにスマートにはなれないね。あたしは。自嘲気味に思う。

 冷ますために息を吹きかける。思いっきりやったら、意識が遠くなった。
 目まいを感じながら、視線が窓に向く。
 凛として廊下を歩く、ちょっとだけ大人びた自分の姿を見た気がした。