オープニングイベントもおわり。。。

マックスプランクの建物も完成し、各研究室もほぼ動き始めた12月から2月まで、一連のオープニングイベントが始まった。まずは、名前が変わり、Max Planck Florida Institute for Neuroscienceと、なった。日本語は、マックスプランク フロリダ神経科学研究所、とでも訳せばよいだろうか。これでこの研究所がどんな研究をやるのかを説明しなくてもよくなった。for Brain Scienceとfor Neuroscienceが最終候補だったが、結局Neuroscienceのほうがわずかな違いで勝利となった。

最初のイベントは、12月5日のテープカット。数年前に当時フロリダ州知事だったジェブ=ブッシュ(ブッシュ大統領の弟?)のアイディアではじまった研究所誘致のプロジェクトも大詰めとなった。前日から、Max Planckのプレジデントのピーター=グルスや、ドイツのMax Planckのディレクターたちがセレモニーに参加。前日に訪れたジェブ=ブッシュも完成した建物をみて感慨深げだった。(ジェブ=ブッシュ、ピーター=グルス、もう一人のディレクターのデイビッド=フィッツパトリックと一緒にとった写真へのリンク)。

そして、12月8日は、一般向けにオープンハウス。フロリダ州とパームビーチ郡から巨額な資金をもらっているわけで、地域とのコミュニケーションは、大事なミッションのうちである。なんと、2000人近い人があつまる大イベントとなった。外に大きなテントをたて、グループリーダーやディレクターによる講演に加えて、数々のサイエンス&アートのイベントがあり、出店が何十個もでるという華やかなイベントだった。ティラノもボランティアで参加(アメリカの高校生はボランティア活動をしないとよい大学にはいれない)。羊の脳(ホルマリン漬け)を見せるというブースで働いていた。

そして、2月にはいり、サイエンスのイベント。世界中からトップの神経科学者を呼び、シンポジウムを行った。そうそうたるスピーカーのリストはこちら。有名なブレイカーというホテルで行った。さむ〜いアメリカ東北部やヨーロッパから来たゲストたちは、ホテルからみえる美しい眺めに驚嘆していた(したの写真は、シンポジウムの休憩時。歩いているのは、参加した人たち)。SunとSymposiumをひっかけて、"Sumposium"と名づけたこのイベント、デイビッドと、毎年のイベントにしたいと、話している。地元のScientistを中心に600人ほど集まったが、できれば次回からは、このイベントのために人が来るようなイベントにしたいものだ。

ということで、祭りがおわり、普通の研究すケージュールにもどる。新しくChief operating officerも着て、いよいよ研究所の体制もきちんとしてきた。もちろん、このへんは、すべてデイビッドのおかげなのだが。うちのラボも、すでに4台の顕微鏡のセットアップがおわり、ちょっとずつ結果も出始めてきた。もちろん、今後この研究所がどんな成果を残せるかで、評価が決まるわけで、まだまだやることはたくさんあるが、サイエンスが第一であることは間違いない。

新生活スタート近づく

マックスプランクでの仕事も正式にスタートし、引越しの準備などであたふたした感じだ。今のところノースカロライナとフロリダでいったりきたりしている。そして、最近研究所の新しい建物もついにオープンし、いよいよ新しい環境への準備も整ってきた。ガラスを多様した、とっても美しいキャンパスだ。まだラボは工事中だけど、こんなところで仕事ができるかと思うと、すごいわくわくする。


マックスプランクのフロリダキャンパスは、アメリカの研究所であるため、ドイツのマックスプランクと違うところも多い。たとえば、資金集めは、研究所自信がやる必要がある。ドイツにあるマックスプランクのように、ドイツの税金で運営できるわけではない。最初の200億円の資金はフロリダ州とパームビーチ郡の両方から出ているが、これが尽きるまでになんとか継続して研究所を運営するための資金を集める必要がある。ディレクターでもグラントをとってこないといけないし、寄付金を集めるシステムも作らなければならない。今のところ、マックスプランクフロリダファウンデーションという独立の機関が寄付金集めを担当しているが、このシステムが最適なのかもまだわからない。ドイツの本部のほうでは、成功に懐疑的な見方もあるようだが、逆に成功させれば研究所の評価も上がるだろう、と他のキャンパスのディレクターからいわれた。

今のところもう一人のディレクターのデイビッドが主にマネージメントをやっている。予定ではもう一人ディレクターをリクルートし、数年交代でマネージメントを交代することになる。基本的には研究者が運営するところが、大学と違うところで、そのために研究中心の運営ができるものの、経営のプロではないから間違いも生じる。それでも研究費あたりの研究成果はトップクラスらしいので、利点のほうが上回るのだろう。まあ、どうなるかわからないけれど、楽しく研究をするのみだ。

マックスプランク研究所のシステム

マックスプランク研究所は、ドイツを中心にヨーロッパに80個ほどある。1つ1つの研究所は比較的小さくて、PIがだいたい10−20人くらい。そのうちディレクターは2−4人くらいで、あとの十数人がグループリーダーとなる。どちらもマックスプランク全体で決定されるので、フロリダのマックスプランクでもインタビューはドイツだったりする。

ディレクターは終身のポジションでグラントがなくても十分に研究できるだけの予算が毎年つく(ドイツでは、ディレクターには認められていないグラントがかなりあるそう)。審査は5年おきにあり、それにより予算が変わっていく。実際オファーの内容は、大学では考えられないような素晴らしいものだったし、このような機会がめぐっくることはそうそうはないだろう。移動は家族にも大きな負担がかかるので迷ったが、最後はアクセプトすることにした。セレクションのプロセスにはなが〜い時間がかかり、コミッティーによる審査をへて最終的にはディレクター全員の投票となる。コミッティーによる審査のさいにはいろいろあったようだが、最終の投票では、ほぼ満場一致で決定になった、と聞いた。審査は、私には見えないので、いったい何がどんな風に行われたかわからないが、声をかけてもらってから1年以上かかっていた。

グループリーダーは5年後に1回更新し、そのあと2年+2年の2回の更新を経て合計9年までいられる。そのかわりR012つ分程度のかなりの研究予算が毎年つく。9年間で成果を出すには十分な予算であるからして、大きな論文を数報書き上げれば、その後グラントをいくつかとり、どこにでもいける、というのが基本的なキャリアプランか。プレッシャーが高いのもたしかだが、研究所からの潤沢な資金を利用して9年間で成功までの道筋をつけてしまうのも1つのプランだろう。大学でもスタートしたラボを軌道に乗せるのは大変なことだ。しかし、大学のテニュアトラックと競合するので、人材確保は簡単ではないかもしれない。今回はMPFIがオファーをだした二人ともポジションをアクセプトする、という快挙で、しかもそのうち一人は日本人PI!

ということで、ジュピターの日本人人口は一挙に増えると思われる。

正式発表と、ラボ旅行

マックスプランクフロリダ研究所(MPFI)に、シンポジウムのスピーカーとして参加し、そのさいに私のディレクターとしての就任が正式にアナウンスされた。マックスプランク研究所はドイツの研究所で全部で80個ほどある。ノーベル賞科学者を17人輩出した世界最高の研究機関の1つ。フロリダ、ジュピターにできるMPFIは、アメリカ初のマックスプランク研究所ということになる。ディレクターにはかなりの研究予算が毎年つき、終身のポジション。ということで、これよりいい条件はなかなかないと思われる。H研との間で、かなり悩んだけど、結局ここにおちついた。

MPFIのディレクターは、これでノーベル賞のザックマン、もとDukeのフィッツパトリックと私の3人になり、基本的には合議制で方針を決めることになる。小さい研究所を科学者によって運営するのがマックスプランク研究所の特徴で、世界最高の研究機関にしている1つの理由でもある。アドミンが管理する大学とちがい、研究者が研究所の方向を決めるわけだ。これから新しい仲間と研究をするのは本当に楽しみだ。

今回の旅行では、ラボ全員とその家族をジュピターに招待した。もちろん旅費、宿泊費、食費などはすべて研究所もちである。周辺の状況を知ってもらうために、研究所の人たちと交流の時間、不動産やさんによるツアーなどをいれ、またフリータイムも設けて海辺の美しい町を楽しんでもらうことにした。ラボリトリートの豪華版みたいな感じか。ラボのみんな気に入ってMPFIにきてくれるとよいが。。。ラボを移るのが数々の理由で難しい人もいるが、最大限のサポートをするつもりである。

シンポジウムでは、アナウンスのあとに、スライド入りで前回に書いたFortune cookieの話をして、これが決め手でした、と話したら、大うけだった。今回私をリクルートしてきたフィッツパトリックも、「偶然だと思うだろ?これを仕込むのにMPFIがいくらかけたか知っているか?」などと返していた。

(写真は、MPFIへの直接リンク)

これが決めてだったりして。。。

Land of Sunshine..

まだ、行き先に迷っていたころ、近くのお気に入りの中華料理屋で、フォーチュン・クッキー(おみくじの入ったクッキー)をもらったので、クッキーをあけてみると。。。(写真)。

"You are heading for a land of sunshine."

そうか、次の行き先はSunshine state(フロリダのニックネーム)なのか〜。と思ったのだった。結局、結果的にそうなりそうという。。。そういう気がしたのでまだこのおみくじは、とってある。フォーチュン・クッキーにかいてあることなんて、たいていはどうでもいいことなんだけどなあ。結局のところ、人生の分岐点において、そのうちのどういう判断がよかったかなどということは、だれにもわからないわけで、ひいてみる気もなかったおみくじに勝手に判断されてしまったら、もうしようがないという気がする。

そういえば、中華料理屋のフォーチュン・クッキーってアメリカでしかないらしいけど、本当なのかな?と思ったらWikipediaのページによると、どうやらもともと日本人が考えたものらしい。。。

あっという間に2011年がおわりである。。。といってもかなり盛り沢山な年だったか。とりあえず、いろいろ旅行が多かった。旅行は別に好きはないのだが。。。

私たちのラボは、論文は6報、Natureにも論文が出版され、なかなか生産的な年だった。グラントも3つめのR01がとれ、学生が二人PhD獲得。さらに、ポスドクだったHM君がPIのポジションをとり、日本で次々と大型グラントや若手賞を当てるという快挙。ぜひぜひこの調子でがんばってほしいものである。

さて、2012年は、私にとっても、来年は大きな変化がある年になりそうである。近い目標としては、すぐに出せそうな2報の論文は、ぜひともトップの科学雑誌に載せたい。そして、1つめのR01を更新しなければならない。そして、絶対にやりたいのが、シナプスの信号伝達可視化技術をスケールアップすること。In vivo イメージングなども、挑戦していきたい。ちょっと違う方向の研究も始めてみたいが、もう少し検討するとしよう。

なお、前回のブログで書いた、次の行き先に関しては、実はもう決心しているのだが、ここに書くのはもうちっと後にしようかと思う。

最近の状況

Dukeではもうみんな知っているし、まあある程度書いておいてもよいかもしれない。私が現在移籍を考えている行き先は、

  • M研究所
  • H研究所

という2つの東海岸にある研究所。どちらも、豊富な研究費を出してくれることが魅力。研究所としてはまだ新しいが、バックにある研究団体は長い歴史をもっている。

M研はディレクタ職で、終身雇用を約束している。研究環境に関しては申し分ない。バックの研究団体はヨーロッパが本拠地で、初のアメリカ進出の試みなので、結構面白い経験ができそう。

H研はグループリーダーで、100%の時間を研究に使える。5−6年ごとにきびしい審査があるが、これをクリアできれば最高の環境を提供してくれる。グラントを書いてはいけないところと、ラボの規模を大きくしてはいけないのが面白いところ。長期資金に関しては、H研のほうが確実だろう。

ここまで書けばたぶんどの研究所か見当はつくだろうけど。。。でも正式に決まるまでは名前は伏せておく。

もちろん、DukeDukeでよいところがたくさんある。よい学生がいるとか、研究所とちがって幅広い人材がいるとか。いちおうテニュアをとれば、終身雇用だし。

ということで、選択は、いまのところ、この3つのうちのどれかかなあ。まだわからないけど。