ながーいシーズン終了

先日のブラジルGPで、やっとこF1もシーズン終了。
11月末にF1最終戦って、かなり遅いですよね・・・自分としては記憶に無いです。


ベッテルが強さを見せたシーズンとなりました。
昨年までのような、時に見せる精神的弱さも自分的には彼の魅力だったので、
完璧になりつつある今のベッテルには、ちょっとした戸惑いもあったりして。
妙にバーニーに可愛がられてるのも・・・ちょっと複雑です。


やれやれと思っていたら、ライコネンルノー入りという驚きのニュースが。
やっぱWRCじゃ満足できなかったのでしょうか。
転向当初から「きっと数年内にF1に戻ってくるんじゃないか」と思ってましたが
本当にそうなってしまいました。


好きなドライバーであるニック・ハイドフェルドとしては途中交代の辛いシーズンでした。
そもそも、クビサの怪我で得たルノーのシートではありましたけど・・・
またF1に乗って欲しいなと思っています。

スーパークロスの思い出

喪中のハガキが来た。
私は長いこと「年賀状を出す」という行為をしていないのだけど
自動的に毎年かかさず年賀状を送ってくれる人がいた。


ずーーっと昔、スーパークロスにハマっていた頃に知り合った人で、
その頃はジェフ・ワードやリック・ジョンソン、ジェフ・スタントンが活躍していて
ジェレミーマクグラスが頭角を現してきていた時代だった。
スーパークロスでチャンピオンになったジャン・ミッシェル・バイルが
ロードレースに転向した事も驚きの話題だった頃でした。


ダートクールというスーパークロスの雑誌が創刊され、
その雑誌が縁で交流したという記憶があります。


私は「チキン」というあだ名を持ったジェフ・マタセビッチという選手が好きで、
「マタセビッチが好きだ」という話をしたら、彼の写真を送ってくれて、
それ以来、毎年年賀状を送ってくれていました。
親戚が亡くなったのかと思ったら奥さんが亡くなったとの事でビックリしました。


直接の交流はなかったのですが、喪中のハガキを手にし、
スーパークロスが大好きだった当時の事を思い出させていただきました。

交通事故

夕方に犬の散歩をしていたら車とすれ違った。
その直後に「ドカン」という音。


驚いて振り返ると、すれ違ったばかりの車が自転車を撥ね飛ばしていた。
その道は団地内の道で、どっちも同じような幅。
どっちが優先というのはあるのだけど
基本は「どっちも一時停止」
それができてない人同士が鉢合せすると事故が起こる。


自転車の人は結構な勢いで撥ね飛ばされ、塀にぶつかっていた様に見えました。
大丈夫か心配だったので、しばらく見守っていたのですが
見ていた限りでは動いていたので、とりあえず命に別状はないのでは、と思いました。
なかなか救急車がこなくてやきもきしましたが、無事運ばれていきました。


自分は車対車で2度の交通事故の経験がありますけど、いずれも出合い頭の事故。
いずれも相手の車が飛び出してきての事故でした。
交通ルールがあっても、自分の方が優先だとか、そういう考えが通じない事もあります。
いつ加害者になるとも限らないし、交通事故は常に身近なものです。

そういや東日本大震災

ブログの休眠中に色々ありましたけど、やっぱ一番の出来事は東日本大震災でしょう。
当方の住まいは栃木県なのですが、それでも相当怖かったです。


揺れが始まった時は職場にいましたが、そのうち収まるだろうと。
それが収まるどころか段々と揺れが大きくなっていく。
立て付けの悪い建物にいたので、ガッシャンガッシャンという激しい音が。
直後に停電、窓の少ない場所だったので暗くなって半分パニックに。
「逃げろ!」という叫び声に導かれて、何とか外に駆け出しました。
外に出ても揺れは全く収まらず、建物はグニャグニャと飴の様に揺れ、
外に止めてあった車がユッサユッサと揺れていました。
かなり長時間揺れましたねー、いつ収まるんだという感じでした。
日本では地震は日常ですが、あれは人生で最大の揺れでした。


さてどうしようかって状態、停電で仕事になりませんから。
結局、家に帰る事に。
荷物を取ろうと建物内に入ったら激しい余震が来て
「何やってる!出ろ!」って言われちゃいました。
まあ、あれで建物潰れてたら死んでたし、我ながら危機感が無いなと思います。


家に帰る道中では停電で信号は機能してませんでしたが
田舎だからか!?みんな譲り合いの精神で交差点で揉める事はなく帰宅。
近所では屋根が壊れたり塀が倒れたり大変そうでしたが、
自宅は屋根が多少破損して壁に多少のヒビ程度で済みました。
でも家の中は壁掛けのモノや棚の中身が全部床に飛び散って悲惨でした。
コノ頃は太平洋沿岸で津波が起きていた時でしたが、それを知るのは後々の事。


余震が続く中で片付けているうちに日没。
停電なので暗いし寒いし、テレビが点かないので詳しい被害状況も分からず。
携帯ラジオはありましたけど、やっぱ分からないことが多い。
夕飯が作れないので、コンビニのお弁当を食べました。
電気がないと、夜は本当に何も出来ないなと実感。寝るしかないって感じ。


翌日に私の地域では電気復旧。
テレビと新聞で津波の被害状況を知り、唖然とした次第です。
その後の買占め騒動やガソリン不足にも苦労させられました。
原発問題は未だ現在進行形での災害であります。


今でも被災地は辛い状況が続いていますね。
私も現在個人的に色々あって大変な状況なのですが、
もっと大変な人が沢山いるんだし、何とか頑張っていかないとなと思います。

クリストフ・グルーバー、引退していた!

以前「アルペンスキーで好きなのはジャン・フィリップ・ロアとボディ・ミラーと
クリストフ・グルーバー」と書いてました。


前者2人は今でもワールドカップで滑っていますが、最近どうもグルーバーを見かけない。
・・・んで、数少ないアルペンスキーの日本語サイトで質問してみたら、
「2009-2010シーズン限りで引退」していたと知ってビックリ。


確かに09-10シーズンは、かなり出走順を落としていて不調だったんですよねえ・・・
再起を願っていたのですが、まさか引退してたなんて。
近年はJSPORTSでのスピード系の放送が減って、見る機会自体が減っていたので
引退してた事を全く知りませんでした、残念です。


ジャン・フィリップ・ロアも怪我と再起の繰り返しで歳を重ねてしまい
実力がありながら日の目を見ないまま終わりそうで、本当に気の毒です。

様々な意味で意義あるレースとなったインドGP

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/other/534147/

「この国の人々は、みんな人生を楽しんでいる。結局、それが一番大事なんだ。人生の終わりを迎えるときに大切なのは、さまざまな思い出や感動、そして友人…。そういったことであって、銀行口座にどれだけの数字が残っていても関係ないよ。その意味で、この国の人々は持っているものは少なくとも、欧州に住む多くの人間よりもずっと豊かだと思う」

 フェテルがそう話すと、メディアセンターのインド人たちから称賛の拍手が起きた。インドGPの成功を象徴する場面だったといえるかもしれない。

インディカーウェルドンMotoGPのシモンチェリと続いたモータースポーツの悲劇。
そんな中で訪れたF1初開催の国インド。
混沌、貧困、そんな中で感じ取った光。
それがベッテルの死生観にも大きな影響を与えたようです。


初開催のインドGP。色々と問題はあったものの、スタッフや関係者、ドライバーからは
おおむね「成功」の声が多いようです。