『物語の外の虚構へ』リリース!

(追記2023年6月)
sakstyle.hatenadiary.jp

一番手に取りやすい形式ではあるかと思います。
ただ、エゴサをしていて、レイアウトの崩れなどがあるというツイートを見かけています。
これ、発行者がちゃんとメンテナンスしろやって話ではあるのですが、自分の端末では確認できていないのと、現在これを修正するための作業環境を失ってしまったという理由で、未対応です。
ですので、本来、kindle版があってアクセスしやすい、っていう状況を作りたかったのですが、閲覧環境によっては読みにくくなっているかもしれないです。申し訳ないです。

  • pdf版について(BOOTH)

ペーパーバック版と同じレイアウトのpdfです。
固定レイアウトなので電子書籍のメリットのいくつかが失われますが、kindle版のようなレイアウト崩れのリスクはないです。
また、価格はkindle版と同じです。

(追記ここまで)

(追記2022年5月6日)


分析美学、とりわけ描写の哲学について研究されている村山さんに紹介していただきました。
個人出版である本を、このように書評で取り上げていただけてありがたい限りです。
また、選書の基準は人それぞれだと思いますが、1年に1回、1人3冊紹介するという企画で、そのうちの1冊に選んでいただけたこと、大変光栄です。
論集という性格上、とりとめもないところもある本書ですが、『フィルカル』読者から興味を持ってもらえるような形で、簡にして要を得るような紹介文を書いていただけました。


実を言えば(?)国立国会図書館とゲンロン同人誌ライブラリーにも入っていますが、この二つは自分自身で寄贈したもの
こちらの富山大学図書館の方は、どうして所蔵していただけたのか経緯を全く知らず、エゴサしてたらたまたま見つけました。
誰かがリクエストしてくれてそれが通ったのかな、と思うと、これもまた大変ありがたい話です。
富山大学、自分とは縁もゆかりもないので、そういうところにリクエストしてくれるような人がいたこと、また、図書館に入ったことで、そこで新たな読者をえられるかもしれないこと、とても嬉しいです
(縁もゆかりもないと書きましたが、自分が認識していないだけで、自分の知り合いが入れてくれていたとかでも、また嬉しいことです)


(追記ここまで)


シノハラユウキ初の評論集『物語の外の虚構へ』をリリースします!
文学フリマコミケなどのイベント出店は行いませんが、AmazonとBOOTHにて販売します。

画像:難波さん作成

この素晴らしい装丁は、難波優輝さんにしていただきました。
この宣伝用の画像も難波さん作です。

sakstyle.booth.pm

Amazonでは、kindle版とペーパーバック版をお買い上げいただけます。
AmazonKindle Direct Publishingサービスで、日本でも2021年10月からペーパーバック版を発行が可能になったのを利用しました。
BOOTHでは、pdf版のダウンロード販売をしています。

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ジェフリー・フォード『最後の三角形 ジェフリー・フォード短篇傑作選』(谷垣暁美・訳)

アメリカの幻想小説ジェフリー・フォードの、日本オリジナル短編集
このフォードという作家のことを全然知らなかったのだが、2000年代に長編三部作が国書刊行会から訳出されている。
本作は、同じく日本オリジナル短編集『言葉人形』に続く日本では2作目の短編集となる。自分は『言葉人形』刊行時に書評を読んで少し気になっていたのだが、結局そちらを読む前に本作を手に取った。
編訳者によると、幻想小説を中心にした『言葉人形』に対して、『最後の三角形』は、SF、ミステリ寄り、ホラー寄りといった多彩な方向性の作品を集めたということだったので、そういう方が面白いかな、と思って。
実際、色々なテイストの作品が収録されているが、どれもはっきりと何らかのジャンルに収まるわけでもない。
短編ながら(短編だからこそか)サスペンスなプロットになっていることが多くて、ハラハラしながら読めることができて結構エンタメしているのだが、その中で、不可思議だったり、怪異だったり、幻想的だったりな描写をたっぷり楽しむことができる。それでいて、人生の味わい(?)みたいなものも感じられたりした。
トレンティーノさんの息子」「最後の三角形」「ナイト・ウィスキー」「星椋鳥の群翔」が面白かった。「アイスクリーム帝国」や「ばらばらになった運命機械」もわりと。

アイスクリーム帝国

共感覚者の少年が主人公
書評記事でも紹介されていた作品で、気になっていた作品。
なお、ネビュラ賞受賞作
様々な共感覚を経験している少年ウィリアムが、コーヒーの味を感じたときに、少女の姿を見る、という共感覚経験をするようになる、という話(共感覚で感じられるのは抽象物だが、それが具体物だったら、というところから着想した作品のようだ)。
13歳のときに初めて彼女を見る。その際は、コーヒーアイスクリームを食べた時。大学生になって、初めてコーヒーそのものを飲んだ際、さらにはっきり見るようになり、なんとその少女アンナと互いに話すことができるようになる。
主人公は、幼い頃、両親から共感覚が理解されず、何らかの精神病を患っていると思われ、無数の怪しげな治療を受け、また半ば世間から隔離されて育てられてきた。
そんな彼の初めての親への反抗が、アイスクリームショップへ行くことで、上述の13歳の時の経験につながる。
また、彼にはピアノの才能があり、それは彼が唯一、安らぎを得られる時間でもあり、次第に作曲家を志すようになり、音楽大学へ進学していた。
彼はその共感覚を作曲活動に活かしていた。
そして、アンナには絵画の才能があって、そしてやはり彼女も共感覚を活かして創作活動を行っていた。
コーヒーを互いにがぶ飲みしながら話すうちに、互いの境遇が非常によく似ていることが分かってくるが、一方で、互いに相手のことを、ある種の幻覚にすぎないとも思っている。
最後、なるほどそういうオチになるのか、という感じだった。
立場の逆転。


共感覚が起きる際にノエティックな感覚というのが生じるらしい。
ゲルスベス音楽大学やヴァリオン島という地名が出てきたのでググってみたら、架空の地名のようだった。

マルシュージアンのゾンビ

主人公の近所に引っ越してきた老人のマルシュージアンは、非常に強い訛りのある英語を話すので当初は何を言っているのか分からなかったのだが、そのいたずらっぽい笑顔から主人公は話をするようになり、話をするうちに、文学談義で盛り上がるようになっていった(主人公は文学を専門とする大学教授)。
親しくなり、引退前の仕事を尋ねると「洗脳者(ブレイン・ファッカー)」だと言うので聞き返すと「心理学者のことさ」と答える。また、以前は政府の秘密研究に関わっていたとも言う。
ある時、マルシュージアンが倒れて病院に運ばれる。亡くなったかと危惧していたところ、回復して家に戻ってきたマルシュージアンから、とんでもない秘密の告白と依頼を受ける。
曰く、彼はかつて、どんな命令にも従うゾンビ兵士をつくる研究を行っていたのだという。それにより、親と妹をこの国に連れてくることはできたが、しかし、親と妹とは二度と会うこともできなくなってしまった。
冷戦終結後、ゾンビを殺すことを命じられたが、そのゾンビも元は誘拐された被害者なので殺すことができず、実は今でも匿っている。ついては、自分が死んだ後、しばらくの間預かっていてほしい、というのである。
主人公はこれまたマルシュージアンの冗談かと思い、帰宅後、妻と笑い飛ばすのだが、マルシュージアンが亡くなった後、何者かが彼の家の戸を叩くのだった。
そして、物語の後半は、なんと本当にゾンビが登場し、彼が自分の記憶を取り戻すまで、密かに一緒に生活するようになる。
小学生の娘がモンスター好きで、マルシュージアンからゾンビの絵をもらっていたり、実際に現れたゾンビともすぐに親しくなったりしている。
なお、ここでいうゾンビの話は、ジュリアン・ジェインズの『神々の沈黙』に由来している。マルシュージアンは、ジェインズのいう二分心が脳の器質的な形状によるものだと考えて研究していたという設定で、人為的に二分心をつくって、命令をあたかも神からの命令のように聞こえるようにした。さらに、何故か老化も止めることにも成功している。
最後、このゾンビが自分の記憶を取り戻したので、家へと連れ帰るのだが、その家にいたのはマルジュージアンの妹だった、というラスト

トレンティーノさんの息子

訳者解説曰く、筆者の経験談を元にした作品らしい。
1970年代前半、主人公は大学をドロップアウトして、グレート・サウス・ベイ(ロングアイランド島の南側)でクラム漁を始める。
隙間時間にSFなどの習作を書いている描写がある。
冬が非常に寒く、漁師たちのあいだで、こういう年は夏が豊漁となる代わりに人が死ぬ、ということが語られる。
実際、その年の春先から豊漁となるのだが、言い伝え(?)通りというか、死者が出る。それが、タイトルにもなっているトレンティーノさんの息子のジミーで、主人公にとっては、中高生時代の後輩であった(主人公が中学生の時にジミーは小学生くらいの年齢差。課外活動か何かで時々会うことがあった程度の関係)。
ジミーもクラムをとりにいって水難事故に遭って亡くなったのだが、その後しばらくして、漁師たちの間で、海の上で彼を見た、という幽霊譚のようなものが出回り始める。
で、主人公も嵐の日に遭遇してしまう。
(幽霊というよりは、少し動く遺体、みたいな感じで描かれている)
主人公も死にかけるのだが、九死に一生を得て、それが1つの人生の転機になって、陸の生活に戻っていった、ひいては作家になった、というお話。
ホラーストーリーではあるのだけれど、恐怖というよりは、モラトリアムの終わりみたいなものが中心に描かれている感じがする。
子どもの頃、父親から教えてもらった海との向き合い方が、彼の人生の指針ともなっていく。また、クラム漁を始めたばかりの頃に溺れかけたところを助けてくれた漁師のジョン・ハンターが、漁師時代、ずっとメンター的存在となっていたのだけど、その後は二度と会うことはなかった、という終わり方をしている。

タイムマニア

1915年7月、オハイオ州ハーディン郡スレッドウィルを舞台にした、ある殺人事件の話。
やはり幽霊譚でもある。遺体との遭遇、という意味で「トレンティーノさんの息子」とも似ているが、死者がもっとアグレッシブ(あ、そういえば、どっちもジミーだな)
主人公のエメット・ウォレスは、寝ていると魔物などの幻覚を見て叫んで起きてしまう、夜驚症を患っている。母親が淹れてくれるタイムのお茶を飲むのが習慣となっている。
タイトルの「タイムマニア」のタイムは、このタイムのこと
ところで、タイムのWikipediaを見てみたら、「ハーブティーとして古くから飲まれていて、ニコラス・カルペパーは、悪夢にうなされる人に効くと書き残している。」とあった。
ある日、無人の農場に入り込んだエメットは、井戸の底に遺体を発見する。行方知らずとなっていたジミー・トゥースの遺体だった。
エメットは、起きているときから、ジミーの姿を見るようになる。
そして、ジミーが何かを訴えていることに気づく。
一方で、日中に人の畑のタイムを貪り食べてしまったことから、タイムマニアという綽名を付けられ、両親を含む町の住人みんなから避けられるようになっていく。
どちらかといえばミステリ的な趣向で、ジミー・トゥースを殺した犯人と、第二の殺人をめぐる物語へとなっていく。
とはいえ、ジミーに連れられて地獄めぐりをするなど、幻想小説的なところも結構ある。
町のみんなから疎まれるようになったエメットのことを、唯一信じてくれるグレーテルという少女が出てくるのだが、微妙に正体がよくわからない。

恐怖譚

エミリー・ディキンスンが死神と取引をする話
ディキンスンの手紙の中に、人に言えない恐怖を抱いていたという記述があり、また、「わたしが死のために立ち止まることができなかったので、死が親切にもわたしのために立ち止まってくれた」という詩があり、それをもとに書かれた作品で、作中、ディキンスンの詩の引用などが多くなされている。
ある晩、屋敷から誰もいなくなってしまい、家族を探しているうちに、謎の男に声を掛けられる。この男がいわゆる死神だったのだが、取引を持ち掛けられる。
本来死ぬべき運命にある男の子を、その母親が何かの呪文によって妨げている。詩の力でこれを解いてほしい。そうすれば、まだ20年以上は生きられる、と。
エミリーは、子守役としてその親子の家に入り込み、さらにその後、解呪のための詩を書くために、永遠に冬の中にある家の中に閉じ込められる。

本棚遠征隊

妖精が見えるようになった主人公が、妖精たちが本棚を登攀していく様子を見ている。

最後の三角形

薬物中毒の主人公が、禁断症状でへろへろになった状態で、誰かの家のガレージへと転がり込む。その家の主人であるミズ・バークレーという老婆が彼を助ける。その厚意もあって主人公もハードドラッグには手を出さなくなる(マリファナはこっそり吸っている)。
そして、ミズ・バークレーからある仕事を頼まれる。
Eを横倒しにしたような記号が描きこまれている場所を、町の中から探し出してほしい、と。
実際、それを見つけ出して、その記号のあった場所を地図上で結ぶと正三角形になる。
ミズ・バークレー曰く、これは「最後の三角形」という魔術なのだという。
術者にとって、誰にも害されない結界になる代わりにその三角形の外へ出ることができなくなる。そして、その術の発動のために、三角形の真ん中で誰かが殺される。
彼女はそれを阻止しようとしていた。
何より、彼女の分かれた夫こそが、「最後の三角形」の術者であった。
一体、この記号は何なのか、この魔術とは一体何で、誰が何のために、というサスペンスで話を引っ張りつつも、主人公のある種の脱出の物語ともなっている。
それはまた、ミズ・バークレーにとっても、何らかの過去との決別でもある。
老人から、生き方の指針を得て、どうしようもない場所から抜け出す、という意味では「トレンティーノさんの息子」とも相似形の話かもしれない。

ナイト・ウィスキー

主人公が、ウィッザー老人の手ほどきで、酔っぱらいを木から落とすための練習をしているシーンから始まる。高校を卒業する年に〈酔っぱらいの収穫〉をする仕事に任命され、そしてその仕事に就くことは、この町では大変名誉なことだという。
そんな、ある種コミカルな始まり方をして、一体これはどんな話だろうと思わせるのだが、この酔っぱらいの収穫は、毎年9月に行われる、この町の習わしの一部であることが説明されていく。
この町には、死苺と呼ばれる木の実があって、その木の実から作られる「ナイト・ウイスキー」という飲み物がある(死苺の採集もナイト・ウイスキーの製法も、それぞれある一家にのみ伝わっている)。9月に行われる祝宴で、くじ引きで選ばれた町民だけがこれを飲むことができる。それを飲むと、深夜2時頃にどこかへふらふらと歩き出し、木の上で眠ってしまう。そして、その眠りの中で、亡くなった者と出会うことができるのである。翌朝、そうやって眠っていた人々を回収するのが、酔っぱらいの収穫人の仕事である。
こうして僕は、収穫人として初めての9月を迎えるのだが、その年は異常事態が起きる。翌朝、ピート・ヒージャントを回収すると、若くして亡くなったピートの妻らしき女性が一緒に木の上から落ちてきたのだ。
ウィッザー老人、保安官のジョル、クヴェンチ医師、同じくその年にナイト・ウイスキーを飲んだヘンリー、そしてぼくは、秘密を抱えることになる。
ナイト・ウイスキーの習わし自体が、奇妙な風習で面白いのだが、その後のスリラー的な展開もまた面白い。そしてこれもまた、脱出の話である。
ナイト・ウイスキーにまつわるあれこれは全て、この地に入植した人々が先住民から教えてもらった、という設定も興味深い。

星椋鳥の群翔

ファンタジー世界を舞台にしたサスペンス
舞台は〈ペレグランの結び目〉という都市で、夏は観光客で賑わうが、冬になると数年に一度、残虐な殺人事件が起きている。被害者の遺体には、無数のひっかき傷と脾臓を取り出されたあとが残っている。犯人は俗に〈野獣〉と呼ばれるようになった。
主人公は、植民地であるアンサー諸島出身の警察で、この殺人事件の専従捜査員に選ばれる。アンサー諸島出身者が警部に昇進できるとあって喜び勇むが、迷宮入り必至のこの事件の担当者という貧乏くじを体よく引かされただけでもあった。
その年の冬は、フォン・ドローム教授が被害者となり、娘のヴィエナが事件の目撃者と考えられた。しかし、ヴィエナは、事件より前、母親が亡くなって以降、喋れなくなっており、彼女から目撃証拠を得ることはできなかった。
以降、助手のジャリコとともに、数年間にわたり、主にヴィエナを尾行するなどの捜査を行う。
ヴィエナは、星椋鳥を飼っており、そしてある時、主人公はヴィエナが飼っている個体を含む星椋鳥の群れが集団で見事に統率のとれた飛翔を行い、そして、一瞬だけ、噴水の情景を描き出したのを目撃した。その後も何度か、そのようなある種の目撃証拠のようなものを見ることになる。
死んだと思われていたヴィエナの母親が実は、とある奇病に冒されていて……というようなところから話は進んでいくのだが、ある種のミステリ的なプロットに、アクションシーンなどもあり、また、主人公も一度事件解決に失敗して、解雇されてしまうという憂き目も見て、結構ハラハラする物語展開で面白かった。
主人公が植民地出身で、彼を助けてくる登場人物たちも、実はこの出身地つながりだったりするのも、世界観に陰影をもたらしている気がする。


イムリーにこんな記事を見かけた
ホシムクドリ、岩手で発見 陸前高田市立博物館の学芸員が撮影 | 岩手日報 IWATE NIPPO
群翔はこんな感じ
Flight of the Starlings: Watch This Eerie but Beautiful Phenomenon | Short Film Showcase - YouTube

ダルサリー

マッドサイエンスとのマンド・ペイジが作った微小人間の都市ダルサリー
瓶詰めになったドームの中に、縮小光線で作った人間を放り込んだら、都市を形成して……という話

エクソスケルトン・タウン

ユーモアSFでバカバカしい設定の話なのだが、最後の展開はなんだか悲哀のあるものになっている。
蟲型の異星人がいる惑星で、交易に来ている人間たちも、その大気圧に耐えるため、外骨格スーツを着ているので、外骨格の町(エクソスケルトン・タウン)と呼ばれている。
何の交易をしているかというと、異星人たちの糞球と地球の古い映画。
糞球は地球人に対して強い媚薬として機能し、地球の富裕層に高く売れた。
それで、一攫千金を夢見た地球人たちが、古い映画のフィルムを持って何人もこの惑星に訪れたのだが、この惑星での映画の流行の予測できなさや、彼らの悪賢い商才によって、なかなか上手くいかないのである。
それからもう一つ、地球人たちがまとう外骨格スーツは、古い映画の俳優たちの見た目を模しているものとして作られており、蟲たちには、俳優本人が来ているかのように思わせている。
主人公は、父親が持っていた秘蔵のフィルム『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』を持ってきたのだが、地球人に対して常習性を持つ「煙」の依存症になってしまい、安値で売ってしまう。そのせいで、地球へ帰る運賃も払えず、この惑星に残っている。
そして、この町の町長からある取引を持ちかけられる。
町外れに住む地球人女性(亡き大使の夫人)が、『雨のせいよ』という映画を持っているのだが、どうしても譲ってくれない。これをどうにかして手に入れてくれないか、と。
こうして彼女の家に訪れた主人公だったが、彼女と、外骨格スーツ越しに(つまり本人とは異なる俳優・女優の見た目で)恋に落ちるのだった。
最終的に、主人公と彼女は『雨のせいよ』と同じ展開をなぞっていくことになる。

ロボット将軍の第七の表情

かつての戦争を率いたロボット将軍の晩年

ばらばらになった運命機械

老宇宙飛行士ガーンと死に別れた妻ザディーズとの物語
様々な惑星の話が出てきて、それ自体は古いSFっぽい感じでもあるが、登場してくるさまざまな種族の描写などは幻想小説っぽい感じがある。
ガーンはかつて惑星ヤーミット=ソビットを訪れて、そこの村の人たちと親しくなり、特にザディーズと近しくなった。一生の絆を結ぶために、試練も受けた。
結婚したのち、ガーンは再び宇宙へ旅立ちたくなり、ザディーズを連れて宇宙へ行くのだが、冷凍睡眠中にザディーズは亡くなってしまう。
ガーンは後悔を抱えながらも、その後も宇宙の旅を続ける。死に瀕した発明家オンスィンの姿を見て、運命から逃れられないだろうかと考える。
そして、老いて隠遁していたガーンのもとに、藍色の肌をした謎の訪問者が現れる。
一方、ザディーズは冷凍睡眠中の夢の中で、ピョンピョン骨動物の民アイユーたちの女王となっていた。
彼女のもとにも、藍色の肌をした訪問者が現れる。
その訪問者の姿をみたザディーズは、さらにその前に見ていた夢で、オンスィンが作った49というロボットと出会ったことを思い出していた。
オンスィンが作った運命機械は、ケトゥバーンによって破壊されたが、その最後のパーツが、ガーンがサディーズへと贈り、そしてサディーズ亡きあとにはその形見としてガーンが身に着けてた歯車のペンダントだった。
と、あらすじをまとめてみても、なんだかよくわからない話だし、実際読んでみてもよくわからない部分は残るのだけど、短編の中に様々な世界が出てきて、その描写がわりと魅力的であった。
バカ惑星とかピョンピョン骨動物とか、そういうひどいネーミングもあるのだが、ヤーミット=ソビットの異世界生態系とか藍色の訪問者の得体のしれない感じとか

イーリン=オク年代記

妖精トゥイルミッシュは、海辺の砂の城が波にさらわれて消えるまでの期間を生きている。
人間からすれば短い時間だが、彼らにとっては非常に長く感じられる時間でもある。
この作品は、そのトゥイルミッシュの一人であるイーリン=オクが残した手記の翻訳、という体裁で、前半3分の1くらいは、妖精学者による序文となっている。
ハマトビムシを忠犬のように飼い、ムール貝の貝殻をベッドとし、鮫の歯と葦の茎で斧を作り、といった感じ。火をつける魔法が使える。ネズミとの戦いが生涯続く。緑色の人形を見張りに立たせている。
太陽が沈み、彼の一生のほとんどの期間は、夜であった。ほかの種族の妖精の母子と出会い、彼らから昼や月などを教えてもらう。
彼らからもらった「昼間」の写真を首にかけながら、最期の時を迎える。

『星、はるか遠く 宇宙探査SF傑作選』(中村融編)

編者が中村融編『宇宙生命SF傑作選 黒い破壊者』 - logical cypher scape2を編んだ際にページ数の関係で見送った「表面張力」を核にする形で組まれたアンソロジー
「故郷への長い道」「タズー惑星の地下鉄」「地獄の口」「異星の十字架」「表面張力」が面白かった。
「異星の十字架」「ジャン・デュプレ」「総花的解決」は、それぞれ植民と宣教、植民地開拓、冷戦下のアメリカの介入的な外交をモチーフにしており、時代を感じさせるところがある。まあそれぞれ面白さはあるところなのだけど、一方、宇宙探査SFというテーマで思ってたものとは違うんだよな感もある。
9作中2作は初訳。

フレッド・セイバーヘーゲン「故郷への長い道」(中村融訳)

初出1961年。初訳
冥王星以遠で採鉱作業をしていた主人公が、細長い構造物を見つける。
宇宙船カタログにも載っておらず、すわ異星人の船かと思われたが、約二千年前の旧帝国で使われていた宇宙船からコンテナが分離したものだと気づく。
何か目ぼしいものがないか調べに行った主人公は、なんとその中で生きている人間たちに出くわす。
「宇宙アンカー」という代物があって、それを使って人力で少しずつ途方もない世代数を重ねて太陽の方へと向かっているという話
世代間宇宙船を外部から見てしまったら、というネタで、(本短編集の)のっけからぞわっとした

マリオン・ジマー・ブラッドリー「風の民」(安野玲訳)

初出1959年。1975年に既訳あり。新訳を収録。
住民のいない惑星に数か月ほど立ち寄った宇宙船。船医が妊娠・出産する。乳幼児はワープには耐えられない。彼女は、父親を明かさぬまま、息子と2人で惑星に残る決断をする。
誰もいないはずの惑星なのに、時々、声が聞こえる。母親はそれを幻覚と切り捨てるが、この惑星で育った息子は、この惑星のどこかに目に見えない住民がいるのだと考えるようになる。
作家自身、ファンタジー要素のある作品を書いてきたそうで、本作もファンタジー的な作品になっている。結末はわりとバッドエンド気味

コリン・キャップ「タズー惑星の地下鉄」(中村融訳)

初出1965年。1976年に既訳。新訳を収録。
ニューウェーブ運動の中、その運動とは反りの合わない、従来型のオーソドックスなSFを集めたアンソロジーシリーズで看板作家だったとのことで、実際、本作もハードSFというかオーソドックスなSFという仕上がり。
《異端技術部隊》シリーズの2作目。なぜ2作目かというと、編者曰く2作目が一番面白いため、とのこと。
異端技術というのは、異星人の技術のことで、それを解明しようとするエンジニアが主人公。軍隊組織の中に属しているが、上層部からは厄介者扱いされている。
で、考古学チームが発掘調査中の惑星タズーに赴いて、その過酷な環境に耐えられる乗り物を開発せよ、という命を受けることになる。
かつては高度な文明を築いたはずなのに、いまや跡形もなく滅び去ってしまったタズー人
その遺構から、地下鉄らしきものを発見するが、その動力がわからない……
タズー人のロスト・テクノロジーを少しずつ推理して解明していく、という話で、主人公は、同じ問題への解決方法は自ずから似てくるはず、分からないものはばらして組み立てるか、実際に動かしてみて理解する、といった基本方針で、どんな異質なテクノロジーにも取り組んでいく。
エンジニアリング系ハードSFって感じで、専門用語だらけで会話が進む
ツッコミ役の部下の軽口も楽しい。

デイヴィッド・I・マッスン「地獄の口」(中村融訳)

初出1966年。初訳
こちらはニューウェーブ運動の拠点となった雑誌からデビューした作家の作品
編者コメントによると、ニューウェーブ運動はセンス・オブ・ワンダー概念に疑問を呈した運動でもあり、本作もそのような作品だという。
ある惑星の高原を探検隊が南下していくところから物語は始まる。
東西はどこまでも同じ景色が続き、南下していくにつれて次第に斜度が傾いていき、ついには崖へとたどり着く。
斥候隊がその崖を降りて行ったところ、一人は痙攣の発作を起こし、隊は引き返そうとするも、一人は正気を失い、さらに崖を降下していって消息を絶った。
ある種のガスによるものだろうとされるが、この仕組みを解明するとかそういうのはない。
その後、この惑星には観光用の拠点なども作られたようだが、崖は人の訪れない地のままとなっている。
この惑星の独特な風景はワンダーなもののような気もするが、人類の侵入も理解も拒む自然がただ超然とある感じで、物語的な起伏はあまりないかもしれない。

マーガレット・セント・クレア「鉄壁の砦」(安野玲訳)

初出1955年。1980年に2種類の既訳あり。新訳を収録。
編者あとがきにもあるが、ディーノ・ブッツァーティ『タタール人の砂漠』(脇功・訳) - logical cypher scape2を想起させる作品。
辺境の砦に着任してきた士官。最初は出世かと思ったがすぐに左遷だったと気付く。司令官をはじめ、どこか全体的に態度の緩んでいる砦。敵の姿も全く見えない。
査察が来るとの話を受けて、司令官からその準備を命じられるが、砦の石垣が崩れた部分についての修復を申し出ると、それはしなくていい、と言われる。
査察当日、査察官すらその部分は見て見ぬ振り。
主人公はたまらず、その石垣を修復させるのだが、後日、そこが見たこともない物質へと置き換わっていた。司令は、それこそが敵からの攻撃だという。
タタール人の砂漠』は、本当にひたすら何もない時期が続くわけだが、こちらは、司令官は実はわざと何もしていなかった、という話になっている。
最後、主人公も置き換わってしまうというオチ。

ハリー・ハリスン「異星の十字架」(浅倉久志訳)

初出1962年。1974年訳出。
ある惑星で、知識欲旺盛な先住民との独占的な商取引を確立しようとしていた商人。
そこに別の宇宙船がやってくる。一体何者かと思っていたら、最悪なことに、やってきたのは宣教師であった。
この惑星の文明レベルは、まだ宇宙旅行ができるまでには遠く及んでいなかったが、それでもそれなりに高度ではあった。それは彼らが高い論理的思考力を持っていたら。一方で、彼らは宗教や神話の類を一切持っていなかった。目に見えない存在を全く信じていなかったし、そういうものへの想像力もなかった。
だから、彼自身も信仰を持たない商人は、宗教についての知識をまだ教えるべきではないと考えていた。
しかし、知識欲に対して貪欲な彼らは、宣教師から熱心に学んでいくことになる。
そして彼らは、宣教師と商人からそれぞれ得られた知識が両立しないことに気づく。両立しない以上、どちらか一方だけが真実のはずである。それを確かめる方法は一つ。神の奇跡が起きればよい。聖書に書かれている神の奇跡とは、イエスの復活である。
というわけで、最後にブラックなオチが待っている。

ゴードン・R・ディクスン「ジャン・デュプレ」(中村融訳)

初出1970年。1977年に既訳あり。新訳を収録。
植民者と先住民の軋轢の話
編者は、最初の邦訳をした岡部宏之の、ディクスンはタカ派のようだが本作はそれに対する疑問のようなものが感じられる旨のコメントを引用し、ここでいうタカ派というのは、西部開拓時代のフロンティア精神の体現、時に右翼的・暴力的に見えることがあるということだろう、と書き加えている。
実際、この作品の植民者は、西部開拓時代のアメリカ人がモデルなのだろうなと感じられる。
主人公は、この惑星を巡回している軍人兼保安官
この惑星の先住民は、若者でいるとある年齢の期間だけジャングルで暮らし、徒党を組みながら互いに相争う。それが成人にいたる儀礼ともみなされている。
先住民と植民者である地球人は基本的に共存関係にあるが、この若者らは地球人であろうと見境ないので、主人公たちがパトロール活動をしている(この惑星の住民は、地球人のような銃を持たない)
タイトルのジャン・デュプレというのは、主人公が出会う7歳の少年
彼は、父親に銃を持たされながら、一方で先住民の言葉にも通じている。
植民者たちが先住民の若者たちに追い込まれる。この少年が次第に防衛の要になっていく。おそらくこの少年の内面ではアイデンティティの揺らぎというか、葛藤がすごくあるはずなのだけれど、それは直接的には描かれない。状況に対して完全に無力な傍観者となった主人公の観点でだけ、戦況が描かれていく。
主人公は何もできずにただ戦況を見守るしかできない、という形で描かれていくのが面白かった。

キース・ローマー「総花的解決」(酒井昭伸訳)

初出1970年。1999年に訳出したものに手を入れた新バージョン。
ドタバタ・ユーモアSF《レティーフ》シリーズの中の一作
これもまた当時のアメリカのメタファーというかパロディというかなんだろうなあ、という感じの作品
訳者曰く「アメリカ宇宙SF版『エロイカより愛を込めて』」とのことで、確かにそれはわかりやすい喩えかもしれない。
ある惑星の領有権を巡って異星人同士での紛争が起きそうだ、となり、地球側は、外交官を送り込むことになる。
その外交官の部下として一緒に行くのがレティーフ、という本シリーズの主人公。上司が無能で、それをレティーフがうまく解決していく、というのが基本的なストーリー
出てくる異星人も、古いSFに出てきそうな、昆虫型のいかにもな異星人だし、この上司も、いかにもコメディに出てくる、夜郎自大だけれどビビリなタイプのキャラクター
SFネタとしては、その惑星は、動物がいないと思われていたけど、実はその惑星をおおう植物が全体で一つの個体でしかも知性を持っていた、と。おしゃべりが大好きなので、惑星に着陸してきた他の知性体を逃がそうとしない。
ティーフはそれを逆手にとって、うまく紛争を解決することに成功する

ジェイムズ・ブリッシュ「表面張力」(中村融訳)

もともと2つに分かれていた中編(それぞれ1942年、1952年)を一つにまとめなおした作品(1957年)。1967年に既訳あり。新訳を収録。
本短編集収録作品の中で一番古い作品かと思うが、読んでみるとなかなかグレッグ・イーガンみを感じさせる作品だった。
プロローグ、第一周期、第二周期の3つのパートに分かれており、元々は、第一周期にあたる部分と、プロローグ+第二周期にあたる部分とで別々に書かれたらしい。
プロローグでは、人類播種船がとある惑星に不時着する。彼らは、この惑星に適応した人類を作りあげる。
で、第一周期と第二周期は、この作られた人間たちが主人公となるわけだが、彼らはなんと水中の微生物として生きている。
ワムシが天敵で、原生生物たちと共存しているのだ。
原生生物たちは言葉を喋ることができるようになっていて、ミニ人間たちと協力関係にある。というか、この世界に「協力」概念をもたらしたのがミニ人間たちで、彼らが原生生物たちと力をあわせてワムシと戦争するのが、第一周期の物語となる。
ちょっと、庄司創のマンガ「パンサラッサ連れ行く」を想起したりもした。こっちは擬人化されていないけど。
でもって、第二周期の方では、ミニ人間たちはこの水中世界の外へと踏み出すことになる。
もともと、播種船の人々が、将来のために彼らに伝えたい情報を彫り込んだ金属板を残していて、ミニ人間たちは、どうもこの世界の外にも世界があるらしいというのは何となく知っている。また、原生生物たちは、人間たちが現れる前のことを覚えていて、人間たちが異質な存在だということに気付いている。
ただ、この金属板を管理して知識を司っているシャーという人物以外は、あまりこのことを気にかけていなかった。
リーダーであるラヴァンも、金属板に書かれていることは伝説か何かであって、そんなことよりももっと実用的な知識が大事だと思っていた。のだが、ある時、空(水面のこと)の向こう側へ突破することに成功する。
彼らは、空の向こうへ行くための船を作り始める。
クロサイズの人間たちが、ミクロサイズで分かる範囲で世界を記述しているあたりが、イーガンの『白熱光』あたりを想起させる。例えば、上述したけれど、彼らは水面を「空」と呼んでいる。また、ミクロサイズなのでこの水面を突破するのがそもそも非常に難しかったりする。播種船によって水中生活者として改造されているので、空気中に出ると呼吸できなくなるし。
そんな中、しかしあの空の向こうに未知の世界があるようだと気付き、そのために船を作って、そして実際に突破に成功するし、最後に、知識こそが力なんだってなるあたりにも、イーガンっぽさを感じる(多かれ少なかれ多くのSFに共通する要素でもあると思うけれど、知的探求に価値を置くところにイーガンみを感じる)

戦間期アメリカ文化(過去のブログ記事からなど)

常松洋『大衆消費社会の登場』 - logical cypher scape2は、戦間期アメリカの文化を考えるうえで、そのベースとなる社会構造などについて知れるよい本だったが、文化そのものについては手薄だったので、なんかいい本ないかなーと探しているのだが、それはそれとして、過去に自分が読んだ本から関係しそうなところを分野別にサルベージしてみることにした。

  • 文学

といいつつ、いきなり過去に何も読んでない分野からいくが。
戦間期アメリカ文学というと、フィッツジェラルドヘミングウェイなどの、失われた世代だろう。
彼らの作品も未読なら、そもそも彼らについてもあまりよく知らない。
パリに滞在していた時期が結構あるようなので、むしろ当時のパリについて書かれた本の中でちらほらと名前を見かけた。
また、同じくアメリカ人で、パリで美術家たちのパトロンとなっていたガートルード・スタインが「失われた世代」の命名者であるらしい。
断片的に名前を見ているだけなので、全体を概観したい(いつからいつまでパリにいたのか、とか)。


メインストリーム文学とは別に、この時期はまたSFの確立期でもあるだろう。
ガーンズバックの『アメージング・ストーリーズ』が1926年、『アスタウンディング』が1930年にそれぞれ創刊されているようだ。
このあたり、いずれSF史の本を読みたい。

  • 美術

第7章 パリからニューヨークへ―アメリカ美術の胎動 沢山遼
第一次大戦勃発後に渡米したデュシャンとピカビア、これにアメリカ人のマン・レイで「ニューヨーク・ダダ」なんだけど、これ、自分たちで名乗ってなかったのだな。
これに続いて、機械や工場、摩天楼をアメリカの「原風景」として、キュビズムっぽく幾何学的に描くプレシジョニズム
写真家のスティーグリッツがギャラリーを開いて、ヨーロッパの作家だけでなく、ダウやオキーフなどアメリカで抽象画を描いていた作家が発表する
オキーフは、動物の頭骨とかの絵を描く人で、そういったものがメインだけど、20年代にはやはりプレシジョニズム的な都市を幾何学的に描く作品もあったらしい
一方で、写実主義へ回帰しつつ社会問題を描く「アメリカン・シーン」
メキシコ壁画運動や、失業対策の連邦美術計画
シュールレアリストたちの渡米
一方、彫刻分野では、1930年代にカルダーやイサム・ノグチが登場してくる
林洋子編『近現代の芸術史 造形編1 欧米のモダニズムとその後の運動』 - logical cypher scape2

ニューヨーク近代美術館は、世界の「近代美術館」のモデルとなったが、それまでに近代美術館的なものがなかったわけではなく、初代館長のバーは、ケルン、ベルリン、エッセンの美術館を視察している。
1936年、ニューヨークでは「キュビスムと抽象芸術」展が開催
(中略)
アメリ
1930年代半ばから抽象芸術への公的評価が高まり、コレクションが形成され、展覧会も開かれるようになる。
アメリカの抽象画家には、マクドナルド=ライト、ラッセル、ダヴ、オキーフがいるが、ダヴやオキーフにとっては自然とのつながりが重要だったので、のちに具象へ回帰
(中略)
1915年、デュシャンのニューヨーク移住により、ニューヨーク・ダダの動きが始まる。ピカビア、クロッティ、マン・レイ
デュシャンレディメイド、大ガラス、ロース・セラヴィ
(中略)
シュールレアリスム
ジョゼフ・コーネルにも少し触れられている。
井口壽乃・田中正之・村上博哉『西洋美術の歴史〈8〉20世紀―越境する現代美術』 - logical cypher scape2

アメリカの美術というと、第二次大戦後の抽象表現主義の印象が強いけれども、戦間期戦間期でまあ色々あることはある。
第一次大戦前後で、ニューヨークとパリの間で人の行き来があるな、という印象で、これは文学の話とも通じるところな気がする。
戦後になると、美術や文化の中心地がパリからニューヨークへ移行する感じだけど、戦間期の、このニューヨークとパリの距離感というのがどんなもんだったのかな、というのは気になる
ティーグリッツやオキーフも断片的に知っているだけなので、もう少し何か概観がわかるといいのだが。

  • 音楽

大和田俊之『アメリカ音楽史』 - logical cypher scape2

第2章 現代の音楽2―リズム、ビート 小沼純一
あと、マイクの発明によって、声が大きくなくても歌手として成立するようになった、と(フランク・シナトラボサノヴァ


第3章 現代の音楽3―混血性 小沼純一
この章は「アフリカン・アメリカンの音楽」「ブラジルの音楽」「『ラプソディー・イン・ブルー』」「アコーディオン」「『ノヴェンバー・ステップス』」について書かれている
森山直人編『近現代の芸術史 文学上演編2 メディア社会における「芸術」の行方』 - logical cypher scape2


ジャズをはじめとするポピュラー音楽あれこれの重要人物や流れが、あんまり頭に入っていない

  • 映画

第6章 映画1―古典的ハリウッド映画の功罪 北大路隆志
古典的ハリウッド映画によって形成された「映画の文法」について
グリフィスによる映画文法の確立
第8章 映画3―「夢の工場」の発展と盛衰 北大路隆志
エジソン社をはじめとする東海岸の「特許」による独占から西海岸へと逃げてきた新興勢力によって作られたのがハリウッド
1930年代のプロダクションコード(ヘイズコード)とスタジオシステムの確立

森山直人編『近現代の芸術史 文学上演編2 メディア社会における「芸術」の行方』 - logical cypher scape2

この時代の有名な映画人というと以下のあたりか。
グリフィス
 『国民の創成』(1915)『イントレランス』(1916)
チャップリン
 『キッド』(1921年)、『黄金狂時代』(1925年)、『街の灯』(1931年)、『モダン・タイムス』(1936年)、『独裁者』(1940年)
フェアバンクス
 『奇傑ゾロ』や『ロビン・フッド』などの冒険活劇映画でヒーロー役


グリフィスとチャップリンは、断片的に作品を見たことがあるが、ちゃんとは見たことないなあ……


ギャング映画やミュージカル映画

一九世紀アメリカで誕生した。本書はその本質を音楽に注目して探る。ティン・パン・アレーのブロードウェイへの音楽供給から、一九二〇年代のラジオの流行、統合ミュージカルの成立、
ミュージカルの歴史 -宮本直美 著|新書|中央公論新社

この本、未読だが、いずれ読みたいと思っている。
ポピュラー音楽史との関連からも面白いらしいし。

ブラックトンの『愉快な百面相』(1906)について
P.T.バーナムが作った「アメリカ博物館」をはじめとして、見世物小屋的な「博物館」が多く生まれていた。
『リトル・ニモ』(1911)について
『恐竜ガーティー』(1914)
フライシャー兄弟の『インク壺から』シリーズ、その中の『ウィジャ・ボード』(1920)
、軍事教育アニメーション
『蒸気船ウィリー』(1928)
ベティ・ブープの作品である『ミニー・ザ・ムーチャー』(1932)
細馬宏通『ミッキーはなぜ口笛を吹くのか』 - logical cypher scape2

歌や演奏、芸などのライブ・パフォーマンスが、次第に録音や映像などに移り変わっていく、ということが映画館の歴史
(...)
アメリカにおける初期の映画館においては、観客がスライド上映にあわせて合唱する、ということが行われていたらしい。あるいは、ユダヤ人地区ではイディッシュ映画が、イタリア人地区ではイタリア映画が上映されるなど、エスニック・コミュニティを成立させる場としても、映画館は機能していたという。
(...)
時には、映画館そのものが、享楽の対象となる。
例えば、1915年頃に誕生する、映画宮殿(ピクチュア・パレス)などは、その名の通り、映画館自体が非常に巨大で、豪華な装飾を施されており、設備も充実し、ドアマンや案内係までいたというのである。
加藤幹郎『映画館と観客の文化史』 - logical cypher scape2

ボードヴィルやらニッケルオデオンから映画館へ、という流れ

  • 恐竜

第二章 巨大妄想
19世紀におけるクジラの怪物性(ダーウィンメルヴィル
メルヴィルガラパゴス島体験とダーウィンへの批判・皮肉
バートルビーこそが未開の地の生物?
マニフェスト・ディスティニーと恐竜ゴールドラッシュ
アメリカの巨大妄想
地層や絶滅という概念の浸透。地球というテクストを読む古生物学者と地球空洞説SF
コープとマーシュの争いからバーナムへといたる、博物館文化と見世物文化の合流
バーナム・ブラウンの名前はP.T.バーナムにちなんでいる、というホントかウソかよくわからない話が……
巽孝之『恐竜のアメリカ』 - logical cypher scape2

コープとマーシュは19世紀の人だが、バーナム・ブラウンは主に20世紀前半の人
1902年に記載されたティラノサウルス・レックスを発掘している(論文書いてるのは多分オズボーンか)。
コープとマーシュの化石戦争で恐竜のイメージは広がったのだと思うのだけど、この時点では、ティラノサウルス・レックスは未発見なわけで、おそらく20世紀初頭に、現在に至るティラノサウルスの大衆的イメージが確立するのだろうと思われるのだけど、そのあたりの表象史は気になる。
恐竜表象というと、1851年のロンドン万博が嚆矢だろうが、海野弘『万国博覧会の二十世紀』 - logical cypher scape2を読む限り、20世紀のアメリカ開催の万博では、恐竜がメインコンテンツだった気配はない。
あと、上記にある通り、「見世物」から「博物館」へ、といった流れのことも気になる。
でもって、チャールズ・ナイトか……。

19世紀末、パレオアートを発展させた成果として、本書はアメリカ西部での恐竜化石の大量の発見などと並んで、チャールズ・ナイトの存在を挙げる
ナイトは、アメリカ中の動物園や博物館に作品を作り、1935年からは本も出している。
復元プロセスについて広範に書いた初めてのパレオアーティスト
影響力は非常に大きい。
例えば、1925年の「ロスト・ワールド」や1933年の「キングコング」だけでなく、1960年代のハリーハウゼン作品にも影響を与えている。
「パレオアート小史」(Mark Witton”The Palaeoartist's Handbook”1章) - logical cypher scape2

ナイトは科学的な知見に基づいて恐竜の絵を描いているわけだけれど、1920年代にはこんなのも

あと、1920年代に古生物トレーディングカードがお菓子のおまけについていたんだなーっていう。
「恐竜図鑑―失われた世界の想像/創造」展 - logical cypher scape2

まさに消費社会と大衆文化だ!

恐竜と怪獣と人類のあいだ――恐竜表象の歴史をたどって / 中尾麻伊香
19世紀の小説→20世紀前半の映画→20世紀後半の映画で、どのように恐竜表象が移り変わっていったか
(...)
(2)20世紀前半の映画
『ロスト・ワールド』(1925)『キング・コング』(1933)
マーシュとコープの発掘競争によって発見された恐竜が登場する
どちらも秘境探検映画
未開の地に人間が訪れる。危険な存在ではあるがそこまで恐れるものではないものとして描かれている
(...)

恐竜とハンティング――「赤ちゃん教育」から「ジュラシック・パーク」まで / 丸山雄生
赤ちゃん教育」という1930年代のスクリューボール・コメディ映画の主人公が、何故古生物学者だったのか。
いわゆる専門バカである学者が、恋愛コメディにおけるカリカチュアだったと監督は述べているが、本論では、それ以上に当時、オズボーンなどによる恐竜と博物館のイメージが関係していると論じている。
それは化石ハンターとしての古生物学者像であり、「ハンティング」というものがもつ、男らしさなどが象徴されているとしている。
『現代思想2017年8月臨時増刊号 総特集=恐竜』 - logical cypher scape2

1920年代には、ロイ・チャップマン・アンドリュースによるゴビ砂漠遠征も行われている(後に、インディ・ジョーンズのモデルとなる)。
バーナム・ブラウンやアンドリュースのボスが、アメリカ自然史博物館のヘンリー・オズボーンだったはず。多分、ティラノサウルスの大衆的イメージ確立のキーマンはオズボーンのはず。

  • その他

禁酒法とギャングの時代でもあるわけだが、このあたりも全然知識がない。
常松洋『大衆消費社会の登場』 - logical cypher scape2で、メジャーリーグの話が少し触れられていた。野球全く分からんけど、ベーブ・ルースとかもこの時代だよなあ。

  • 哲学

第9章 ハーヴァードにおけるプラグマティズム 一八七八―一九一三
ウィリアム・ジェイムズについて
第10章 シカゴとニューヨークにおける道具主義 一九〇三―一九三四
ジョン・デューイについて
第11章 専門職的な実在論 一九一二―一九五六
ジョージ・サンタヤナ、そして、アーサー・ラブジョイ、ロイ・ウッド・セラーズ
C.I.ルイス
第12章 アメリカに対するヨーロッパのインパクト 一九二八―一九六四
この章では、1930年代頃のアメリカの大学の安定と停滞について触れ、ヨーロッパからのインパクトとして「フランクフルト学派」「論理経験主義」「実存主義」の3つを挙げている。
ブルース・ククリック『アメリカ哲学史』(大厩諒・入江哲朗・岩下弘史・岸本智典訳) - logical cypher scape2

そういえば、ウィリアム・ジェームズと『ねじの回転』のヘンリー・ジェームズが兄弟だというのを最近知った。
分析哲学前夜、という感じの時代だよなあ。

常松洋『大衆消費社会の登場』

19世紀後半から1920年代頃までのアメリカにおける、大衆消費社会の成立について
1920年代頃に、現代まで続く形の社会や文化が成立したといわれるが、それがよく分かる(およそ100年たっていて、また転換期にあるのかな、という気もするが)。
企業活動の再編という話から始まって、それがどのように流通・消費の過程に変化をもたらし、いかに生活方法や価値観の変化へとつながったのか、という流れで論じられていく。
短いけど面白い本だった


資本家でもなければ、肉体労働者でもない、中産階級が拡大していく
中産階級中産階級たらしめていたのが、消費社会・消費文化
その一方で、中産階級による革新主義という政治運動の流れやヴィクトリアニズムという価値観が、娯楽や消費にも影響を与える(健全化など)し、逆に伝統的価値観にも変容をもたらす。

1.大量生産の時代

19世紀後半からアメリカが急速な経済成長を遂げる(鉄道網の整備、製造業の拡大)
過剰供給により価格下落。
価格協定が非合法化されるも、逆に大きな単位での企業合同が促進
一方、流通市場が未整備
これらの要因により、製造業が販売まで手がける「垂直統合」の流れが進む
ここで、具体的に垂直統合した業種の例として第一に挙げられていたのが「ミシン」であった(そのほか、農機具、車両、自転車、さらに生鮮食料品や嗜好品と続く)
具体的な企業名は本書にはなかったが、これはシンガー・ミシンだろうとピンときた
(シンガー・ミシンの名前は青柳いずみこ『パリの音楽サロン――ベルエポックから狂乱の時代まで』 - logical cypher scape2海野弘『アール・デコの時代』 - logical cypher scape2海野弘『万国博覧会の二十世紀』 - logical cypher scape2でつづけて目にしていた)
シンガー・ミシンの公式サイトに社史があったので一部抜粋してみる

1853 シンガーミシン1号機を100ドルで発売
1855 海外進出開始。シンガーミシン、パリ万国博覧会で最優秀賞受賞。
1856 月賦購入制度、分割払い販売等を考案
1863 シンガー裁縫機械会社として法人会社となる。
1906 シンガーミシン裁縫女学院を東京・有楽町に開校。
1927 アメリカで、シンガー・ソーイング・センターを設立。 裁縫課程も設ける。
http://singer.happyjpn.com/naruhodo/history/

法人化や月賦購入の話は、下にも出てくるが、それらに先駆けている
学校を作っているのもちょっと面白い


19世紀後半の経済再編のなか、法人にも憲法上の「人格」が認められ、企業の法人化が進む
一方、労働争議も盛んになっていくが、労働者の抵抗運動に対して、企業側による効率化の動きが進む
先陣を切ったのが、フォード
製品の標準化が進み、分業が徹底され、組み立てライン方式が導入。この方式は労働者を消耗させ、不満を増大させたが、効率化による労働時間の短縮と昇給がもたらされる
とはいえ、その高い給与を得るためには、勤勉・節酒・清潔などの徳目を達成することが課せられた


高い給与は、労働者を、大量生産された商品を買う消費者へと変えた
そして、自動車の売上トップは、フォードからGMへと変わる
良いものを作れば自然と売れる、というのがフォードの戦略だったのに対して、
GMは、経営・デザイン・金融・宣伝を重視
月賦購入ができるようにして、広告と頻繁なモデルチェンジを行うなどした

2.大量販売・大量消費

宣伝が重要になる
雑誌の大衆化路線(部数の増加による読者層の拡大)により、広告が重要な収入源に
贅沢品が宣伝され、そして昨日の贅沢品が今日の必需品になっていく(歯ブラシや自動車)
宣伝により商品を購入してもらうには、銘柄が大事になる
そのために、商標を保護するための立法がすすむ
売店の近代化・専門化はなかなかすすまず、1920年代まで小売の売上3分の2は「母ちゃんと父ちゃんの店」という小規模な店によるもの
つけ払い、金の貸し借り、手紙の代筆や仕事や住宅の紹介などの役割を果たす場所であり、そして、銘柄商品を売りたい企業とは緊張関係にある
こういう店は、商品はカウンターの後ろに並ぶので、店主が客に商品を渡す。また、銘柄商品の利潤率が低かったので、小売がこれを嫌がるというのもあった。
それで製造業側から小売への妥協もあった(マージンの引き上げなど)
先の章で、垂直統合の話があったが、完全に製造業側が小売まで制圧できたわけではない、という話
あと、銘柄商品は缶詰・瓶詰めされていて試食ができないので、消費者側に不安がられたとか。異物混入系の都市伝説みたいなのが出回っていたようだ(元はそういう小説があったらしい)


伝統的価値観との関係
女性解放の時代であったが、売る側は女性は家庭にいるべきという価値観を利用
また、家事の効率化はしかし省力化にはつながらず。むしろ、家事の基準が高くなり、主婦に対して、家庭の清潔・衛生・健康に対する義務感を植え付ける。
また、単なる倹約ではなく経済性が重視され、月賦購入も普通になり、借金は恥ではなくなった
移民のアメリカ化をすすめたのも大量消費社会。フロンティア開拓による土地所有に変わり、耐久消費財の所有が中産階級の証に

3.消費文化と政治・社会

移民とアメリカ化
消費資本主義は移民のアメリカ化を促す。アメリカ化とはアメリカ的生活方法への同化。
ここでは、チェコスロバキアからの移民女性がアメリカに移住してきて、スーパーマーケットで商品を買い漁ったエピソードが紹介される。それらの商品は、かつて彼女がウィーンで小間使いをしていた際にラベルを見ていた商品だった。中東欧では階級に阻まれて享受できなかった豊かさをアメリカではお金さえあればその消費活動の一員になることができた、と。
西欧からの旧移民に対して、中東欧からの新移民は、英語が話せず、カトリックユダヤ教徒だったため、排斥運動も生じてくるが、一方で、同化の可能性も探られていた。


革新主義
世紀末転換期において「革新主義」という改革運動が進行する
州の分権から連邦政府による介入へ、という動き
これは、経済活動の再編で、企業活動が州をまたがったものになってきたこととも関係する
女性参政権やボス政治家の打倒、所得税、鉄道・トラストの規制、最低賃金制、禁酒法、人身売買(売春)禁止法などなどが挙げられる。
これらは移民のアメリカ化の手段でもあった。
そして、この革新主義運動を担ったのは、都市の中産階級であった。


都市中産階級
世紀末から急速に増加した都市中産階級
彼らを特徴づけるのは難しく、研究者はおおむね収入で定義しようとする
革新主義は、それ以前の農民中心のポピュリズムと対比される。ポピュリズムは生産者中心の運動だったのに対して、革新主義は消費者中心の運動。
生産者は、階級・職種により利害対立があるが、消費者はそのような利害対立がない。
都市中産階級は、アイデンティティが曖昧な存在でもある。
肉体労働者と比較すると、収入は格段によくて、特に住居に差があり、郊外に一軒家を持つことができた。
大量消費社会において、家庭から生産機能を奪う(かつては家庭で生産していた石鹸等の日用品は購入されるようになる)。夫は働き、妻は家庭という役割分担が定着する。乳幼児の死亡率低下や、相対的に裕福な地位を維持するため、少子化・晩婚化が進む(前の章でもあったように、主婦が家庭を支えて、家族の健康等のために消費活動をする、というようになる)
中産階級の増大は、企業の大規模化でもあり、その中で、個々の労働者の自主性などは失われていくようになる。労働そのものに労働の価値が感じられなくなり、むしろ、労働で得られた収入で何を消費するか、に労働の価値を感じるようになる。
革新主義は、連邦政府が国民の生活へ介入していく動きであるが、家庭が担っていた公的領域と私的領域が分離していく。
アイデンティティの不安を抱える中産階級は、娯楽の世界に自らの帰属を見出す。
娯楽の世界を通じて、移民のアメリカへの同化も促される。

4.ヴィクトリアニズムの動揺

ヴィクトリアニズムは中産階級を中心に遵守されてきた価値観
体面を重んじ、規律正しさ、勤勉、節制、純潔などを重視する
WASPであることが条件
家庭を通して個人は公的活動に結合すると考える


ヴィクトリアニズムは、主婦だけでなくメイドの存在にも支えられていた
が、世紀末になり、メイドの供給源だった若い移民女性が、メイドを避けるようになる(賃金による理由もあれば、住み込みによる束縛を嫌うという理由もある)
核家族化とメイドの不足により、主婦は孤立化し、より資本主義の支えが必要となる


ヴィクトリアニズムの動揺を示すものとして、離婚率の上昇がある
女性解放によるとも考えられていたが、この時期、実は結婚数も増えている。
結婚数が増えたことにより、離婚も増えたと考えられる
結婚が増えたのには以下のような理由がある。
売春禁止法と避妊の一般化により、夫の買春の根拠が失われ、ロマンティックな結婚観が実現
教育制度の充実や経済面での効率性から、結婚や就学・就職の適齢期という考え方が定着
また、洋服や化粧品が安価になり、上流階級でなくとも淑女になることが可能に
一方、労働からの疎外で、労働から「男らしさ」が失われ、男性が家計を支えることに男の面子があるという、ヴィクトリア的価値観が逆に強化される側面もあった。


若者の伝統的価値観への反逆
自動車や映画の出現に求められることもあるが、それ以前に、若さへの崇拝が、「若者の反逆」につながったとみる。
家庭の公的機能の喪失、ロマンティックな結婚観の実現により、家庭はより情緒的なものになっていく。親子関係もより民主的なものへ。
また、適齢期という意識の高まりや生産効率性への意識から、老齢への忌避感が生じる。
これらが「若さ」への崇拝をもたらす。
1920年代の若い女性=フラッパー
化粧品・ストッキング・喫煙、これらはかつて娼婦の習慣だった
コルセットをなくし、扁平な胸を強調し*1、スカート丈を短くする
→伝統的な良妻賢母理念への拒否、未成熟な(若い)身体の理想視
しかし、人はいつまでも若くはいられない。その軋みが離婚としてあらわれていたのではないか、と。

5.男女交際・娯楽・消費文化

5章で扱われるのは、仮想階級の文化がより上流階級へと広がり、新しい娯楽はヴィクトリアニズムと衝突し問題となるが、次第に健全化していく、という流れ


19世紀において、男女交際は母親が複数の男性を家に招待するところから始まる。
メイドや広い邸宅が必要だった
むろん、家が狭く人を招くことができない労働者階級などでは話が別。
「デート」はもともと売春を意味する業過用語
次第に、商業娯楽施設での男女交際のあり方をさす言葉になる(男性が遊園地、映画館、ダンスホールなどの施設の入場料や食費を払う、という金銭を介在させた交際)
下層階級では19世紀前半からあったが、世紀末には、より上流に広がっていく
教育の発達により、同年代の友人と過ごす時間が増えたことが要因
(リースマン『孤独な群衆』にある、同輩集団(ピア・グループ)の重要性の指摘)
流行に乗り遅れないように、という動きから


19世紀前半の娯楽施設である劇場では、階級が混淆していた(異なる階級でも同じ劇場に入る(座席は違うとしても))。
19世紀半ばとなると、階級によるすみわけができる(上流階級はオペラなど、下層階級は見世物など)
世紀末にまた変化
余暇時間の増大
労働時間の減少だけでなく、電化により、夜が余暇時間になったこと
→ダンスの流行
モンキー・グライド、フォックス・トロット、バニー・ハグ、グリズリ・ベアなどの「野生」のリズム


映画の流行
安価であり、また当初はサイレントで英語がわからなくても見れたため、まず労働者階級から広まる
内容や映画館の環境(暗い空間に男女がいる)が問題とされた
検閲局が結成されることになるが、映画業界はむしろこの流れを利用
映画作品の品位を確立することで、中産階級に客層を広める目論見で、実際、国産映画が増加
一方で、映画は酒場から客を奪うことで、禁酒的な機能をもっていたので、内容や環境が改善されれば、むしろ歓迎されるように。
長老派の牧師による映画賞賛
1920年代、中産階級の娯楽として確立
メアリ・ピックフォード、クララ・ボー、ダグラス・フェアバンクス・ジュニア、チャップリンなどのスター輩出
「パレス」と称される壮麗な映画館
女性一人でも安心して入れる施設に
また、酒場も清浄化され、女性が一人でも入れるようになっていく。


映画界は、ヘイズを長とする検閲機関を自ら設立
プロ野球は、ブラック・ソックス・スキャンダルからの立ち直りをめざし、コミッショナー制度を設立
中産階級の革新主義の流れにのって、健全な娯楽・正しい消費へと、進んでいった。

*1:海野弘『アール・デコの時代』 - logical cypher scape2でも、それまでのコルセットによる胸の強調に対して、1920年代はその反動が見られたとの記載があった。なお、1920年代後半には再び胸を強調する下着が登場してくるという話だったかと

田之倉稔『ファシズムと文化』

イタリア戦間期の文化(文学・美術・音楽・映画・建築)をファシズムとの関係から見ていく本
イタリア戦間期の文化、断片的に何人か名前を聞いたことある程度だったので、概観するために読んだ。ネオレアリズモがファシスト政権時代に萌芽があったとか勉強になった。
しかし、イタリア人の名前むずい。というか、慣れてないから、何人も並ぶとよく分からなくなってくる。


色々な芸術家とファシスト体制との関係・距離感みたいな話で、当たり前だが人によって色々ある。
国からの支援を引き出すために戦略的にファシストになるという選択もあり、しかし、それによって完全に体制に飲み込まれていく人もいれば、体制の中での抵抗を示す人もいる。あるいは、反ファシズムに転ずるわけではないが、中立的な距離を保つ人、そしてもちろん、反ファシストな人もいる。
あえてファシストになる人だけでなく、もちろん、そもそも思想がファシストと近くて一緒になる人もいるし、そもそもは近かったのだけど、離れていく人もいる。

時代概念としてのファシズム

ファシズム」という言葉は拡大解釈されて、色々なものをファシズムと呼ぶようになっているけれど、本来は、戦間期のイタリアの政治思想を指す。
しかし、そのように限定してなお、ファシズムという思想は多義的というか、結構幅がある。
ナチズムに比べると、文化に対して「寛容」にみえるところがあった。ただし、これもファシズムの中に幅があったので、相対的に寛容に見えるだけであって、決して自由だったわけではない。
当時の歴史や文化をファシスト側の資料からみていく、というのはあまりやられていないし、ともするとファシズム肯定と見られかねないが、無論、本書はファシズムという思想には批判的な立場をとりつつ、ファシスト側から当時の文化を概観していく。

1.ファシスト政権の成立から終焉まで

1章はまず、文化史をみていく前に、イタリアのファシスト政権の歴史を概観。
正直、「イタリアにはムッソリーニという独裁者がいて、第二次大戦では日独伊三国同盟が結ばれた」以上のことを、そういえば分かっていなかったので、勉強になった。


ムッソリーニは、もともとは社会主義者社会党に入っていた。
第一次世界大戦勃発時、イタリアは中立国であったが、のちに参戦した
(イタリア参戦の流れについては木村靖二『第一次世界大戦』 - logical cypher scape2で読んだ)
ムッソリーニも当初は中立の立場だったが、次第に参戦派となり、このあたりで右旋回が始まる。
1919年、ミラノで「イタリア戦闘ファッシ」結成
1921年、ローマで「ファシスト党」発足
各地方支部の党員がローマへ向かう「ローマ進軍」
太后ファシストに好意的であり、ヴィットーレ・エマヌエーレ3世はムッソリーニに組閣を支持し、ファシスト体制ができる
1924年の総選挙で過半数以上を獲得するが、同年、マッテオッティ事件が起きる
選挙の不正を訴えていた社会党議員のマッテオッティが、過激なファシストに殺害されたのである。
ファシストデモが起き、党内部でも対立が生じ、内外での危機に見舞われるも、国王がムッソリーニを支持したため、事なきをえる。
その後、エチオピア侵攻をはじめとしたアフリカ侵略を行い、さらにヨーロッパでも開戦し、第二次世界大戦へと突入していく。
1943年に、国王の命により逮捕され、いったん逃亡するものの、再度つかまり処刑される。逃亡の際、北イタリアのサロにサロ共和国を作っている。

2.前衛と体制

本章では、未来派、ならびにブラガーリア、ピランデッロという二人の劇作家が取り上げられる。

「未来主義」を宣言する一方、「過去主義」という言葉も作り、例えばヴェネツィアを「過去主義的都市」として攻撃し、ミラノを「未来主義的都市」として称揚した
(ミラノをめぐっては海野弘『アール・デコの時代』 - logical cypher scape2も)
第一次大戦勃発に際して、未来派は中立政策への反対運動を展開
未来派の画家ボッチョーニは戦死している
終戦後も、領土割譲されなかったことへの不満がおき、文学者のダンヌンツィオが義勇軍を率いて「フィウメ進軍」を行うが、これがのちにムッソリーニの「ローマ進軍」のモデルになったとされる。
「前衛」という点で、ファシスト党未来派には共通項があり、マリネッティムッソリーニへと接近し、ムッソリーニも当初、未来主義を支持した。
しかし、政権を握ると、急速に芸術政策は保守化していく。
未来派の中でも、ノイズ音楽や楽器「イントナルモーリ」制作で有名なルッソロや、カッラ、セヴェリーニといった画家は未来派を離れていく。
未来派1920年代にはその創造力を失っていく。
1929年、ファシスト党は、ファシズムを支持する文化人への栄誉として王立翰林院を設立。ダンヌンツィオが会長、マリネッティも会員となる

  • ブラガーリア

10代の頃に未来派に参加し、第一次大戦後から演劇活動を行い、1922年に「独立芸術家劇場」を創立。実験的な演劇活動をつづけた。
彼は、ムッソリーニに手紙を書いて、国家の支援を要請し、実際、ムッソリーニの支持を取り付けた。国家は演劇のメセナたるべし、という主張で、積極的にファシスト体制を支持した。
しかし一方で、若い前衛作家の作品や、例えばブレヒトの『三文オペラ』などの海外作品を上演するなどしていて、その演劇活動自体は非ファシスト的であり、ファシスト過激派から攻撃を受けてもいる。

小説家にして劇作家
もともとイタリア国内では有名であったが、1921年初演の戯曲『作者を探す六人の登場人物』が、22年のパリ公演以降、欧米で人気を博し、世界的な作家となる。特にニューヨークで大ヒットする。
ムッソリーニにとって、イタリアの評価をあげる人物としてピランデッロは認識された。
それは、アメリカのボクサーを倒したイタリア人ボクサーのカルネロと同じだった。ムッソリーニは、自転車やサッカーなども支援した(イタリアがサッカー強国になった要因らしい)。
そしてピランデッロは、マッテオッティ事件の際、ファシスト党の危機を救うべく、自らも入党する。
ピランデッロもまた、国家を演劇のメセナとみなし、芸術活動への国家の支援を受けるべくファシスト政権を支持していた。
彼は公的には最後までファシストであり続けたが、しかし、ある時期からファシズムとは次第に距離を置くようになった。
1934年にはノーベル文学賞を受賞し、授賞式ではやはり自分はファシストであると述べているのだが、ムッソリーニはこの受賞に対して何も反応していない。内務省において、ピランデッロは、反ファシストに転ずる可能性のある文化人として監視されていた。
1936年に亡くなっているが、故人の遺志により、葬儀への党の関与を拒否している。
彼を有名にした作品は『作者を探す六人の登場人物』だが、その後も『各人各説』『今宵は即興劇で』といった前衛作品を作り、遺作となった『山の巨人たち』は『六人』との対比で、俳優が観客を探すという作品らしい。

3.国家と音楽

ファシスト時代のイタリア国歌(ファシスト党歌)は「青春」
「老衰」したイタリアの再生
とはいえ、ファシスト未来派と違って、過去を全否定しておらず、古代ローマ文化やルネサンスバロック期の音楽を称揚した

オペラの世界でのナショナリズム的運動として「ヴェリズモ」(イタリア化した、フランスの自然主義)がある
プッチーニは、その流れの代表的作曲家
もともとプッチーニは、イタリア嫌いでドイツ好きだったのだが、ローマ進軍以降、ムッソリーニに共感する。イタリアが、ドイツのような強権的な国家になることを望んだらしい。
ムッソリーニも国際的に知名度の高い作曲家を厚遇した。
しかし、プッチーニ1924年に病没する

国際的に高い評価を得ていた指揮者
プッチーニの遺作のミラノ・スカラ座での初演で指揮したが、その際、「青春」の演奏を拒否した。この時、ムッソリーニは、指揮者の国際的な知名度を鑑みて、特に責めはしなかった。
が、1931年、ボローニャでの公演で再び「青春」を拒否し過激なファシスト党員が、トスカニーニに対して暴力をふるう。
一躍、トスカニーニは、反ファシズム運動のシンボルとなってしまう。
もともとトスカニーニは、第一次大戦については参戦派、「フィウメ進軍」への慰問公演もしていて、決して反ファシストではなかったが、この事件を機に、アメリカへ亡命し、反ファシスト運動をするようになる。

  • マスカーニ

明確にファシスト化する前に亡くなったプッチーニ、結果的に反ファシストとなったトスカニーニに対して、ファシスト体制に積極的に接近していったのがマスカーニである
プッチーニと同じくヴェリズモの作曲家だが、プッチーニと比較すると知名度はぐんと下がる。
ヴェリズモは次第に時代遅れになりつつあり、マスカーニ自身も作曲活動が停滞する中で、ムッソリーニとマスカーニは接近するようになる。
マスカーニもまた、国家を音楽のメセナとして支援を要請し、その見返りとして、国家行事での音楽演奏の際には必ず指揮をふるようになる。
1929年に、ピランデッロ、マリオネッティ、マルコーニとともに翰林院会員となっている(マルコーニは、無線電信の実用化に成功し、1909年にノーベル賞を受賞した物理学者。本書では注で解説されるにとどまる)。

4.映画と政治的イデオロギー

イタリアは、リュミエールが映画装置を作った翌年には映画製作をはじめた映画大国
特に史劇に力を入れて、1910年代は「史劇の黄金時代」
が、過剰生産が仇となり不況に陥り、1920年代には一気に製作本数が落ち込む。
映画輸出大国だったイタリアだったが、逆にアメリカ映画を輸入するようになる。
ファシスト政権は、アメリカ文化を嫌ったが、実際には映画を通じて大衆はアメリカ文化に親しんでいた

  • ブラゼッティ『太陽』(1929)

政府の干拓事業を扱った作品
「都市のファシズム化」から「農村のファシズム化」への政策変化をうけた作品
一方、ドキュメンタリー性から、のちのネオレアリズモへの先鞭をつけた。
ブラゼッティは、その後も、ファシスト体制の文化政策の一翼を担うような作品を制作しつつ、大衆娯楽作品も撮っていた

  • ネオレアリズモの萌芽

ネオレアリズモというと、主に戦後イタリアの映画潮流を指す言葉だが、戦後イタリア映画の発展を支える基礎は、ファシスト体制の中で生まれてきた、という
1934年、大衆文化省の中に映画局設置(のちに「映画産業国民協会」に改称され、ヴェネチア映画祭を企画)
1935年、「映画実験センター」設立
映画理論誌『ビアンコ・エ・ネーロ』創刊
1937年、イタリア版ハリウッド「チネチッタ」オープン

ネオレアリズモの代表的映画監督であり、代表作として『無防備都市』(1945)がある。この作品は、反ファシズム的な作品である。
ロッセリーニは、ブルジョワの家庭に育ち、ローマの映画館に出入りし、海外映画を見て育った。彼の家は、芸術家のサロンのようになっていて、マスカーニも常連だったし、ファシスト党幹部や政府の要人も出入りしていた。そういう環境で育った。
彼が本格的に映画製作を始めたのは32歳の時で『飛行士ルチャーノ・セッラ』のシナリオライターとしてだが、この映画の監修者は、ムッソリーニの長男ヴィットーリオであった。
1941年最初の長編映画として『白い船』を撮る
海軍の広報用で、海軍の病院船をドキュメンタリー・タッチで撮影した作品。厭戦的な雰囲気の作品らしいが、ヴェネツィア映画祭で「ファシスト党賞」を授賞し、ヴィットーリオの映画雑誌でも賞賛された。
翌年『帰還する飛行士』
こちらは、原案・監修はヴィットーリオ・ムッソリーニである
さらに翌年『十字架の男』
ロシア戦線に従軍した司祭の話。ファシストプロパガンダではないが、ファシスト政府の意向にそうような作品ではあった。
ロッセリーニは、戦後、反ファシズム的な作品を撮っており、インタビューではムッソリーニが政権をとった時から反ファシストだったと語っている。
しかし、内心は反ファシズムだったかもしれないが、戦前・戦中は、外形的にはやはりファシスト体制下の中で映画制作をしている

5.芸術の超越性

ファシストは「秩序への回帰」と「正常化」

美術批評家にしてムッソリーニの側近(かつ愛人)
1910年代、デ・キリコ未来派のカッラが出会って「メタフィジカ絵画」が生まれ、これを拡大していこうとする運動もあったが、保守化の流れの中で消えていく。
サルファッティは、新しい芸術運動が必要だと考えた
彼女は「ノヴェチェント」運動というものを展開しようとして、ノヴェチェント展を企画する。
1920年代、色々な画家を集めてくるのだけれど、結局、一つの様式としてまとまることはなかった。
秩序への回帰は、自然主義への回帰という含意があったが、この当時、もはや自然主義は少数派
ムッソリーニは当初、芸術家たちに寛容な態度を示したが、次第にファシズムというイデオロギーが優位に立っていき、プロパガンダこそ芸術の役割と考えるようになっていく。結局、ローマ進軍の様子の絵とか、ドゥーチェの肖像とかを描いてほしかったのだ。

  • マリオ・シローニ

ノヴェチェント運動に参加した画家で、戦後も高い評価を受けている。
バッラ((バレエ・リュスと未来派の邂逅について海野弘監修『華麗なる「バレエ・リュス」と舞台芸術の世界』 - logical cypher scape2に少し記載がある
))の弟子。第一次大戦に従軍し、ムッソリーニが政権をとったあと、ファシスト党へ入党
ファシスト政権の企画した美術展にもおおくかかわり、完全に体制寄りの画家ではある。
ただ、体制内部では、党内右派と対立して論陣を張り、抵抗を試みてもいた。
1930年代には、壁画運動も展開している。
体制に協力しつつ、個人の創造性も発揮させるのが、理念だった。

  • ジュゼッペ・テラーニ

建築家
ル・コルビジェやグロピウスに影響を受けたイタリアの若手建築家による「グループ7」の一員で、合理主義建築運動を推進した。
ファシスト党に入党したのち、ロシア戦線へ。精神的に疲弊し、故国送還後、1943年に突然死(自殺説もある)
サンテリーアに代表される未来派建築の空想的なモダニズム(実際、サンテーリアは設計プランのみで実際に建築されていない)は否定し、現実的なモダニズムをイタリアに導入しようとした。
伝統への回帰が唱えられる中、過去のものを否定した未来派は排除されていったが、豪理知主義建築運動は、過去のものは否定しなかった。しかし、伝統への回帰もしなかった。反ファシストの側に身を投じたパガーノという建築家もいたが、基本的に、ファシスト体制下に身を置いた。
建築家は施主の意向には逆らえない。ファシスト国家は最大の施主である。その点で、テラーニは忠実なファシストではあった。
最後のほうに、ローマ万博の話も出てくる。テラーニもコンペに出したが、テラーニ案は作用されなかった、と(ローマ万博については、暮沢剛巳・江藤光紀・鯖江秀樹・寺本敬子『幻の万博 紀元二千六百年をめぐる博覧会のポリティクス』 - logical cypher scape2)。

海野弘監修『華麗なる「バレエ・リュス」と舞台芸術の世界』

1909年から1929年にかけてパリで席巻したロシアのバレエ団「バレエ・リュス」について、舞台芸術のカラー図版を大量に交えて紹介する本。

バレエ・リュスについては、ピカソが舞台美術を描いていた、ということくらいは知っていたのが、逆に言うとそれ以上のことはよく知らず、なんでピカソがロシアのバレエ団の舞台美術をやってたんだ、というぼんやりとした謎であった。

ただ、最近、改めてこの時代について調べようと思ったときに、明らかに重要な存在だなと気づき、この本を読むことにした。また、

青柳いずみこ『パリの音楽サロン――ベルエポックから狂乱の時代まで』 - logical cypher scape2、海野弘『アール・デコの時代』 - logical cypher scape2でも頻出していた。

海野弘監修によるカラー本となっていて、解説も海野弘が書いている。

 

バレエ・リュス、やはり面白い。

何より、セルゲイ・ディアギレフという人物のパーソナリティがその面白さの核となっている。

彼は凄腕プロデューサーだったわけだが、しかし、結構金勘定が甘いところが見受けられるので、プロデューサーとしてどうなのと思うところもあるが、とはいえ、金策はつけてくるので、やはり優秀なプロデューサーなのかもしれない(ただ、1921年のロンドン公演での大赤字の際には、舞台セットなどを差し押さえられている)。

彼は同性愛者だったので性愛の意味ではないが、ミシア・セール、ココ・シャネル、グレフュール伯爵夫人、リポン侯爵夫人など多くの女性パトロンに愛されていた。

明らかに私情で、団にとって重要な人物を追放したり、仲違いして去られたりもしていて、そのあたりもどうなんだと思わないわけでもないが、追放した人物をまた呼び戻したりもしていて、何かしら魅力ある人物だったようである。

何より才能を見つけるのがうまかったのだろう。

ダンサー・コレオグラファーのフォーキンやニジンスキー、作曲家のストラヴィンスキー、画家のラリオーノフ、ゴンチャローワなどをスカウトしたりしてきている。

また、パリで出会った画家や作曲家とも次々と仕事をしている。新しい才能を入れるのに躊躇がない、というか、そういうあたりがすごかったのではないかと思う。

彼についていくと何か面白いことやってくれそう、みたいな雰囲気があったのではないか、と。

 

バレエについていうと、19世紀には西欧では衰退しており、後進国ロシアの方が発展していたようである(バレエはやはり王室・帝室の援助が不可欠で、その点で、西欧よりロシアの方で発展が続いたらしい)。が、20世紀になってきて、バレエ界の中で革新への動きが出てくる。

ディアギレフは、その動きをいち早く拾い上げて、パリで公演してみせたのであり、前衛的であり、また、ロシアというエキゾティシズムの魅力もあり、フランスや西欧で大ヒットすることになったようだ。

 

 

 

第1章 銀の時代―ロシアの世紀末「バレエ・リュス」の源泉

第1章は、バレエ・リュスの前史について。

ロシアの世紀末は「銀の時代」と呼ばれる。

近年、この時代の研究が進み、ロシアのアール・ヌーヴォーが明らかにされているという。

新都市ペテルブルクと古都モスクワが中心で、詩や美術は、ペテルブルク・グループとモスクワ・グループがいた(なお、帝室バレエだと、ペテルブルクにマリインスキー劇場、モスクワにボリショイ劇場がある)。

この時代のキーパーソンとしては、時期的には前半が鉄道王マーモントフで、後半が、後に「バレエ・リュス」を結成するディアギレフとなる。地理的には、モスクワ・グループの中心がマーモントフ派で、ディアギレフの『芸術世界』はペテルブルク・グループから生まれた。

マーモントフはモスクワ郊外で芸術家村を作っていて、ロシア版アール・ヌーヴォーが花開く。建築や工芸なども行われていた。また、マーモントフは芝居や私設オペラをやっており、これが「バレエ・リュス」の源泉となっていく。

ディアギレフは、ペテルブルクの大学で、評論家・思想家となる従兄や、のちに「バレエ・リュス」で舞台美術を担当するブノワ、バクストらとグループを結成する。

ディアギレフ自身はもともと作曲家志望で、リムスキー=コルサコフのもとに弟子入りしていたが、自らの才能に見切りをつけて、プロデューサーとなっていく。

1898年、『芸術世界」を創刊する。マーモントフと、同じく芸術村を作っていたテニシェワ公爵夫人から出資を受ける。

また、ディアギレフは帝室バレエにも出入りするが、当時、フォーキン、パブロワ、カルサーヴィナらがいた。

1904年『芸術世界』は廃刊するが、ディアギレフは、ペテルブルク公演に来ていたイサドラ・ダンカンと出会う。これが重要な契機となった。

1906年、パリのサロン・ドートンヌでロシア美術展を開催。この時、グレフュール伯爵夫人に出会い、ロシア音楽祭の後援を取り付ける。さらに1908年、ロシア・オペラ祭を開き、ムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」をやると、それを見たミシア・セールがディアギレフを気に入り、彼女は終生ディアギレフを支援する



  • ヴィクトル・ヴァスネツォフ

マーモントフ・グループの一人

  • ミハイル・ヴルーベリ

上に同じく

  • コンスタンチン・ソモフ

ディアギレフ・グループ

ロココ美術やビアズリーなどに影響を受けたグラフィック・アート

  • ムスチスラフ・ドブジンスキー

ペテルブルクをコミカルに描いた

  • イワン・ビリービン

『芸術世界』で活躍

まさにアール・ヌーヴォーといった感じ

  • ボリス・クストーディエフ
  • 『芸術世界』



第2章 「バレエ・リュス」の時代1909‐1929ロシアから世界へ

第2章は、バレエ・リュスの全公演(多分)の解説等がなされる、本書のメインとなる章

各公演の、あらすじ・解説・スタッフ・キャストといった基本情報に加えて、美術によるイメージボードや舞台デザイン画、衣装デザイン画、衣装を着たキャストの写真などが掲載されている。



1909年から1929年までの歴史は、さらに前半と後半の2つの時期に分けられる。

前半は「ロシアの時代」で、主にロシア出身のメンバーで舞台が作られていた。

後半では、ロシア以外の芸術家も舞台制作に関わってくるようになる。

前半の中でもさらに色々な変化がある。

例えば振付は主にフォーキンが担当し、ニジンスキーが多くの公演で主演として踊るという座組が多いが、ディアギレフは、次第にニジンスキー自身に振付を担当させるようにさせ、フォーキンは去って行く。

ところが、その後、ニジンスキーとディアギレフが決裂する事件がおきて、フォーキンは戻ってくることになる。

音楽について、最初は既存曲を使っているが、次第にオリジナル作品をやるになるようになる。その際、ディアギレフが目を付けたのが、ストラヴィンスキーであった。

美術・衣装については、主にはレオン・バクストが担当していて、彼の色彩豊かな美術が初期のバレエ・リュスを特徴付けていく。それに次いで『美術世界』時代から一緒だったアレクサンドル・ブノワも担当しているのだが、彼はフランス風を志向しており、次第にディアギレフとは方向性の違いが出てくる。



ディアギレフは同性愛者でもあり、バレエ・リュスのメイン・コレオグラファーや花形ダンサーは、彼が愛した者が采配されていた。

最も代表的なのがニジンスキーである。

バレエ・リュスは、コレオグラファーの変遷から、フォーキン時代、ニジンスキー時代、マシーン時代、ニジンスカ時代、バランシン時代と移り変わっていく。

1912年・1913年はニジンスキーが振付を担当した。

しかし、ニジンスキーが結婚したことで、ディアギレフは彼を追放してしまう。

このため、急遽フォーキンが呼び戻されている。

その後、ディアギレフが目を付けたのは、レオニード・マシーンという若いダンサーであった。

ところが、歴史は繰り返す。マシーンもまた結婚し、ディアギレフは彼を追放する。

この穴を埋めるべくディアギレフが招聘したのが、ニジンスキーの妹のブロニスラヴァ・ニジンスカであった。

このニジンスカの教え子であるダンサーのセルジュ・リファールもディアギレフに愛され、後期バレエ・リュスのスターとなった(リファールは、バレエ・リュス時代に振付はしていない)。



美術については、前半のバレエ・リュスを支えたのは、ディアギレフより年上か同世代くらいのバクスト、ブノワ、レーリヒであったが、1914年頃から、第二世代として、ナタリア・ゴンチャローワやミハイル・ラリオーノフが参加するようになる。

ラリオーノフとゴンチャローワは、ともに立体未来派やレイヨニスムを名乗り、ロシア・アヴァンギャルドの一翼をなす画家で、その名の通り、西欧のキュビスム未来派に影響をうけつつ、ロシアのフォーク・アートなどプリミティブな美術にも関心をもっていた。2人は結婚はしなかったが、生涯を共にしている。

そしてまた、後半のバレエ・リュスは、ピカソマティス、ブラック、ユトリロローランサン、ミロ、エルンスト、ココ・シャネルと錚々たるメンバーが美術・衣装に関わってくることになる。



モダニズムの時代 後期の「バレエ・リュス」 1914-1929

1915年からアメリカ公演を行い、1916年にはニジンスキーが合流するが、ニジンスキーは自分のやり方を通すことを要求し、最終的に、アメリカに残るニジンスキー派とヨーロッパへ帰るディアギレフ派へ分裂した。

ディアギレフたちはスペイン公演を行い、アルフォンソ13世をパトロンに得る。アルフォンソ13世は海野弘『アール・デコの時代』 - logical cypher scape2に出てきた自動車大好きスペイン王である。

ヨーロッパでは、コクトーがサティ、ピカソとともに「バレエ・リュス」のための作品「パラード」を作っていた。

コクトーは、6人組とバレエ・リュスを結びつけた。

また、ミシア・セールがココ・シャネルをディアギレフに紹介する。

(このあたりは青柳いずみこ『パリの音楽サロン――ベルエポックから狂乱の時代まで』 - logical cypher scape2でも)

マシーンが結婚して去ったあと、ディアギレフのもとには、コフノという若者が現れ、忠実な秘書となる。マシーンの代わりとなるコレオグラファーとしてはニジンスカを招く。

1924年はニジンスカのピークであり、この時の「青列車」は、台本コクトー、音楽が6人組のミヨー、美術にアンリ・ローランス、衣装にココ・シャネル、緞帳幕がピカソという座組であった。また、主演はイギリス人ダンサーであった。

バレエ・リュスでは、ある時期からロシア以外の国籍のダンサーも踊るようになっていたが、その中で、ディアギレフによってロシア名をつけられる人たちもいる。

キエフのリファール、パリでスカウトされたロシア人バランシンが参加し、ニジンスカのあとのバレエ・リュスを担っていく。

 

コラム

これらのコラムは、本書の様々なページに分散しているが、大半が第2章の中にあるので、ここでまとめて記す。

  • Topic1 ロシア帝室バレエ小史
  • Topic2 劇場通り―ペテルブルク・バレエ地図
  • Topic3 プルーストと「バレエ・リュス」
  • Topic4 リポン侯爵夫人

イギリスにおけるディアギレフのパトロン

ロモラは、ブダペスト公演でニジンスキーの熱烈なファンとなり、ついにはバレエ・リュスに入団している。1913年の南米公演の際、ニジンスキーとロモラは結ばれる。

第一次大戦中、ハンガリー経由でロシアに戻ろうとするが、ブダペストで捕まる。ディアギレフらの働きかけで釈放され、アメリカ公演、スペイン公演、再度の南米公演を行うが、ディアギレフとの関係は修復せず、また、次第にニジンスキーは精神を病んでいき、1917年が最後の舞台となる。その後、スイスで療養。第二次大戦中はハンガリー、戦後は英国へ。

のちに「精神分裂病」と診断されるニジンスキーのことを、ロモラは終生守り続けた。

  • Topic6 ピカソとオリガ・ホフロワ

ピカソは、1917年、コクトーとともに「パラード」を制作。バレエ・リュスのダンサーの一人であるオリガに惚れ、結婚に至る。しかし、二人の生活はあわず、ピカソにはマリー=テレーズという新しい恋人ができ、最終的に離婚した。

まさか、バレエ・リュスの本の中で、ケインズの名前を目にすることになるとは思わなかったので驚いたが、ケインズといえばブルーブズベリ・グループの一員であり、彼らはバレエ・リュスのファンであった、という。もともと、ケインズは同性愛者だったとのことだが、1919年からダンサーのリディアと文通が始まり、1921年頃から仲が深まり、結婚にいたった、と。この年のロンドン公演で、バレエ・リュスは大赤字を出しており、それもきっかけだったのかもしれない。ピカソ・オリガと異なり、この2人はうまくいった、とのこと

1929年ロンドン公演後のパーティで、とても疲れた様子であったという。その後、ドイツへ行ったのち、ヴェネツィアに滞在。そこで亡くなった。亡くなる直前に、たまたまミシアとシャネルがヴェネツィアに立ち寄っており、この二人は、ディアギレフの死を看取ることとなった。

  • Topic11 「バレエ・リュス」とロシア以外の画家たち

 

バレエ・リュス小事典

ディアギレフの作曲における師。マーモントフの私設オペラに曲を提供。のちに「バレエ・リュス」のレパートリーともなっていくが、リムスキー=コルサコフ自身は「バレエ・リュス」結成以前に亡くなっている。

そのほか、バレエ・リュスにかかわった主な作曲家として、イーゴリ・ストラヴィンスキー、セルゲイ・プロコフィエフクロード・ドビュッシーエリック・サティ、モーリス・ラヴェルダリウス・ミヨーフランシス・プーランクジョルジュ・オーリックの略歴が掲載されている。

  • ミハイル・フォーキン

マリインスキー劇場バレエ団に入団するも、帝室バレエの古いやり方ではなく新しいバレエの方向を探っているところを、ディアギレフにスカウトされた。ディアギレフが、バレエ・リュスの振付をニジンスキーにかえたところで、ロシアに戻った。その後、再び呼び戻されたが、またロシアに戻った。ロシア革命後亡命し、アメリカへ移住

  • タマーラ・カルサーヴィナ

やはりマリインスキー劇場バレエ団メンバーで、フォーキンとともにバレエ・リュスへ移った。バレエ・リュスでは、ダンサーの入れ替わりが激しかったが、その中で、ディアギレフに忠実なダンサーであった。クラシック・バレエにもモダン・バレエにもどちらも対応でき、人柄も寛容で、若いダンサーにも親切だったので、ディアギレフは彼女に頼りっぱなしであった、と。

やはりマリインスキー劇場バレエ団出身だが、ほとんど裸のコスチュームで踊り追放された。「牧神の午後」や「春の祭典」の振付も両性的でエロティック、あるいはグロテスクなものでスキャンダラスだった。結婚したことでいったんバレエ・リュスを追放されたが、その後また呼び戻されている。しかし、そのあたりから次第に精神を病み始めていた。

  • プリニスラワ・ニジンスカ

ニジンスキーの妹。ニジンスキー兄妹は、両親ともに旅回りのダンサーだった。兄とともにマリインスキー劇場バレエ団からバレエ・リュスへ入ったが、第一次大戦中はロシアに戻り、バレエを教えていた。リファールはその時の教え子。マシーンの独立後、バレエ・リュス初にして唯一の女性コレオグラファーとなった。兄妹ともに両性的な振付を行った。

  • レオニード・マシーン

ボリショイ・バレエ出身で、ロシアでディアギレフにスカウトされた。1921年に独立、1925年にまた戻ってくる。ディアギレフ没後、バレエ・リュスを引き継ぐ「バレエ・リュス・ド・モンテカルロ」に属する

  • セルジュ・リファール

ニジンスカとともにバレエ・リュスへ。美少年できゃしゃな体つきをしており、ディアギレフに愛されるとともに、多くのファンを集めた。1920年代には、ジェンダーのあいまいさ・両性的なスタイルがファッション化しており、その時代のスターに。ディアギレフは、彼をマシーンの後継者にしようとしていたがそれはうまくいかなかった。

  • アンナ・パブロワ

マリインスキー劇場バレエ団でフォーキンとともに新しいバレエを担うグループで、ディアギレフはもともと彼女をバレエ・リュスのメインに据えるつもりだったが、結局、入団しなかった。

 

  • コンスタンチン・コローヴィン

マーモントフ・グループの一人。主に、帝室バレエ美術を担当し、バレエ・リュスの仕事は少ない。

  • アレクサンドル・ゴローヴィン

同じく、ロシアでの舞台美術の仕事が多く、バレエ・リュスでの仕事は少ない。ロシアでは、ボリショイ劇場マリインスキー劇場での仕事ののち、メイエルホルドとの仕事も多い・

  • レオン・バクスト

『芸術世界』に参加。バレエ・リュスでの仕事が多く、1911年には美術主任に。ロシア以外の画家のデザインが使われるようになると、バレエ・リュスを離れた。過激なカラーとエキゾティシズムが魅力

  • アレクサンドル・ブノワ

ディアギレフの古い友人でともに『芸術世界』を結成。1911年以後、ディアギレフとわかれロシアへ戻る。革命後もロシアにとどまり、エルミタージュ美術館の絵画部主任にもなっているが、1926年に亡命した。

 

  • ニコライ・レーリヒ

『芸術世界』メンバーで、テニシェワ侯爵夫人の芸術家村にも参加していた。バレエ・リュスでは「春の祭典」の台本と美術を手がける。原始宗教や神秘主義に詳しい。ロシア革命時に亡命し、アメリカへ移住した。

  • ミハイル・ラリオーノフ

1900年にゴンチャローワと出会う。「ダイヤのジャック」展、「ロバの尻尾」展など。1914年にはバレエ・リュスへ。第一次大戦中は、ディアギレフ、マシーンとともにスイス・ローザンヌにこもった。

  • ナタリア・ゴンチャローワ

 

その後の「バレエ・リュス」

  • 「バレエ・スエドワ」

バレエ・リュスと同時代のライヴァル・バレエ団で、スウェーデンの芸術パトロン、ド・マレにより1920年に作られた。フォーキンの弟子であったスウェーデン人ダンサーがコレオグラファーコクトーなどの作家、六人組の作曲家、レジェなどの画家を集めた。

晩年のディアギレフはモンテカルロを拠点としていた。ディアギレフのパトロンの一人であるポリニャック公爵夫人の息子がモナコ公の娘と結婚していたから。

ディアギレフ亡き後、バレエ・リュスは解散するが、それを復興させたのが「バレエ・リュス・ド・モンテカルロ」。ルネ・ブルムとコロネル・ド・バジルが中心となり、コフノ、バランシン、マシーンが集まったが、のちに、ブルムグループとバジルグループに分裂する。

 

  • 「バレエ・リュス」と英国バレエ
  • バレエ・リュス」とアメリカン・バレエ

 

第3章 「バレエ・リュス」と同時代の舞台美術

銀の時代 1898年からロシア革命まで

道化芝居、人形芝居、即興劇など大衆エンターテイメントをやる芸術キャバレー

パリ公演を行った際に、バクストとブノワが舞台とポスターをデザインした

ロシア・アヴァンギャルドの時代

  • アレクサンドラ・エクステル

ロシア未来派の女性画家。SF映画の衣装デザインなんかをしている

  • フョードル・フェドロフスキー
  • ボリス・ビリンスキー

パリで、バクストの指導を受けた。映画『カサノヴァ』『モンテ・クリスト伯』『メトロポリス』のデザインを行った。

「バレエ・リュス」を移したイラストレーターたち

  • ジョルジュ・バルビエ

ファッション・イラストレーター。「バレエ・リュス」の公演に通い、ニジンスキーとカルサーヴィナを描いたイラスト本が、イラストレーターとしてのデビュー作。ビアズリーからの影響が強い。

踊るファッション・プレート

  • ウンベルト・ブルネレスキ



発表年

作品名

スタッフ

備考

感想

1909

アルミードの館

振付:フォーキン

台本・美術・衣装:ブノワ

カルサーヴィナ、ニジンスキー

カルサーヴィナとニジンスキーは脇役だったが、主役より注目を集めた。

 

ボロヴェツ人の踊り(オペラ《イーゴリ公》より)

振付:フォーキン

音楽:ボロディン原曲、リムスキー=コルサコフ編曲

美術・衣装:レーリヒ

主演:ボルム

   

饗宴

衣装:コローヴィン、ブノワ、バクスト、ビリービン

出演:カルサーヴィナ、ニジンスキーほか

名作のさわりを集めた競演集

 

レ・シルフィード

振付:フォーキン

主演:パブロワ

ショパンの曲をもとに、ストーリーのない抽象バレエの先駆。

パブロワが遅れて到着。

 

クレオパトラ

振付:フォーキン

美術・衣装:バクスト

主演:イダ・ルビンシュテイン、パブロワ、フォーキン

踊れないルビンシュテインが主演であったが、強烈な印象を残した。

バクストのインパクトある舞台デザイン

衣装デザイン画も躍動的

1910

ル・カルナヴァル(謝肉祭)

振付:フォーキン

美術・衣装:バクスト

出演:ニジンスキー

   

シェエラザード

台本:ブノワ

振付:フォーキン

音楽:リムスキー=コルサコフ

美術・衣装:バクスト

主演:ルビンシュテイン、ニジンスキー

   

ジゼル

美術・衣装:ブノワ

主演:カルサーヴィナ、ニジンスキー

1841年に初演された作品。バレリーナの一つの基準ともされる古典。ディアギレフは乗り気でなかったが、パブロワが踊るというのでいれた。パブロワは結局間に合わず。

ブノワとディアギレフの仲がうまくいかなくなりはじめる

 

火の鳥

振付:フォーキン

音楽:ストラヴィンスキー

美術:ゴローヴィン

衣装:バクスト、ゴローヴィン

「バレエ・リュス」初のオリジナル

パブロワがストラヴィンスキーの曲を嫌がったため、カルサーヴィナが躍った。

 

レ・オリエンタル

 

アジア圏のダンスを集めたもの

ニジンスキーの写真やイラストが多く撮影・制作された。

 

1911

薔薇の精

振付:フォーキン

美術・衣装:バクスト

主演:カルサーヴィナ、ニジンスキー

ニジンスキーの両性的魅力が全開

 

ナルシス

振付:フォーキン

美術・衣装:バクスト

主演:カルサーヴィナ、ニジンスキー

ディアギレフはフォーキンの振り付けをマンネリと感じ始める。

 

サトコ(「海底の王国」の場面)

音楽:リムスキー=コルサコフ

振付:フォーキン

美術:アニスフェリド

衣装:アニスフェリド、バクスト

   

ペトルーシュカ

振付:フォーキン

音楽:ストラヴィンスキー

美術・衣装:ブノワ

ディアギレフとブノワの仲直り

ペテルブルクの街頭を描く

衣装デザインが楽しい

白鳥の湖

主演:クシェシンスカヤ、ニジンスキー

マリインスキー劇場のスターであるクシェシンスカヤと仲直りするため。

ロンドン公演。ニジンスキーの売り出し。

 

1912

青い神

台本:コクトー

音楽:アーン

振付:フォーキン

美術・衣装:バクスト

アーンはコクトーの出した雑誌の同人でもある音楽家

台本と音楽はあまり成功せず、バクストの多彩なファッションが注目される。

 

タマール

振付:フォーキン

美術・衣装:バクスト

主演:カルサーヴィナ、ニジンスキー

   

牧神の午後

振付:ニジンスキー

音楽:ドビュッシー

美術・衣装:バクスト

   

ダフニスとクロエ

振付:フォーキン

音楽:ラヴェル

美術・衣装:バクスト

評判はよかったが、ディアギレフはあまり上演しようとせず、フォーキンとラヴェルは不満。

「ダフニスとクロエ」ってバレエ・リュスのために書いた曲だったんだ

1913

遊戯

振付:ニジンスキー

音楽:ドビュッシー

美術・衣装:バクスト

   

春の祭典

振付:ニジンスキー

音楽:ストラヴィンスキー

美術・衣装:レーリヒ

劇場は大混乱。ディアギレフは「期待通り」とコメント。ニジンスキーは振付のみで出演はせず

 

サロメの悲劇

 

ニジンスキーが「春の祭典」にかかりきりのために穴埋めとして用意された作品

 

1914

蝶々

振付:フォーキン

美術:ドブジンスキー

衣装:バクスト

ニジンスキーを追放したためフォーキンを呼び寄せた。マリインスキー劇場初演のため、舞台美術はドブジンスキー

 

ヨゼフの伝説

振付:フォーキン

音楽:リヒャルト・シュトラウス

美術:ホセ=マリア・セール

衣装:バクスト

主演:マシーン

ディアギレフがボリショイ劇場で見つけたマシーンを主役に抜擢。

ホセ=マリア・セールは、ミシェル・セールの夫

 

金鶏

振付:フォーキン

美術・衣装:ゴンチャローワ

オペラとバレエの組み合わせ

ゴンチャローワを起用。反対の声もあったが、明るい色彩とロシアの民話世界を取り込んだデザインが好評。

 

ナイチンゲール

振付:ロマノフ

音楽:ストラヴィンスキー

美術・衣装:ブノワ

あまり評判にならなかったが、ディアギレフは本作にこだわり、1920年、1925年に改作している。1920年版では、マシーンがオペラからバレエ作品に直し、美術はマティスが担当。1925年版は、バランシン振付

 

ミダス

振付:フォーキン

美術・衣装:ドブジンスキー

バクストが美術・衣装を断り、ドブジンスキーに押し付けられる。

フォーキンも連続の振付でインスピレーションが湧かず。ひどい出来だったとのこと。

 

1915

真夜中の太陽

振付:マシーン

音楽:リムスキー=コルサコフ

美術・衣装:ラリオーノフ

   

1916

ラス・メニーナス(女官たち)

振付:マシーン

音楽:フォーレ

衣装:セール

スペイン公演(初演)

 

キキーモラ

振付:マシーン

美術・衣装:ラリオーノフ

   

ティル・オイレンシュピーゲル

振付:ニジンスキー

音楽:シュトラウス

ニューヨークのみで公演

ニジンスキーが選んだメンバーだけのアメリカツアー

ディアギレフは参加していない

 

1917

花火

構成:ディアギレフ、バッラ

音楽:ストラヴィンスキー

美術:バッラ

舞台装置と音のみで、出演者はいない。

ローマ公演

バレエ・リュスとイタリア未来派の出会い

 

上機嫌なご婦人たち

振付:マシーン

美術・衣装:バクスト

初演はローマ。のち、ロンドンでも上演し、好評。

マシーンは自分のスタイルを確立

ピカソコクトーがローマ来訪。ピカソとオリガが出会う。

 

ロシア物語

振付:マシーン

美術:ラリオーノフ

衣装:ラリオーノフ、ゴンチャローワ

「キキーモラ」にほかの話を加えたもの

 

パラード

台本:コクトー

振付:マシーン

音楽:サティ

美術・衣装:ピカソ

ピカソは広告をコラージュし、サティの曲にはジャズやラグタイム、タイプライターの音などが組み込まれ、チャップリンのふりなど映画も引用された。

 

1919

風変わりな店

振付:マシーン

美術・衣装:ドラン

古くからある「人形の精」というバレエに基づく作品

「人形の精」は1903年マリインスキー劇場で、バクストが美術を担当していた。

 

三角帽子

振付:マシーン

美術・衣装:ピカソ

スペインの小説をもとに、スペインの作曲家の音楽で作られた。

フラメンコを取り入れる。

ピカソは、地元が舞台で思い入れが強く、逆にデザインに苦しんだ。

ピカソは、バレエの内容と関係ない闘牛場のシーンをカーテンに描いたらしい。闘牛好きすぎる。

1920

ナイチンゲールの歌

振付:マシーン

音楽:ストラヴィンスキー

美術・衣装:マティス

1914年のオペラの改作

マティスの美術は好評だったが、音楽やダンスと合っていなかった

 

プルチネッラ

振付:マシーン

音楽:ストラヴィンスキー編曲

美術・衣装:ピカソ

ナポリで見た人形芝居をもとに

 

女のたくらみ

振付:マシーン

美術・衣装:セール

18世紀・ナポリ出身の作曲家の曲

パリではうまくいかなかったが、ロンドンでは好評

 

1921

道化師

美術・衣装:ラリオーノフ

マシーン追放の空白期

 

クァドロ・フラメンコ

美術・衣装:ピカソ

フラメンコ・ダンサーをパリに紹介する。

フラメンコ・ダンサーは即興で踊り、振付によるダンスは踊れないので、バレエ・リュスには定着しなかった。

 

眠れる森の美女

振付:ニジンスカ(一部)

美術・衣装:バクスト

ディアギレフの古典復帰

新しいコレオグラファーとしてニジンスカ

 

1922

オーロラの結婚

振付:ニジンスカ(一部)

美術・衣装:ブノワ

「眠れる森の美女」の大赤字の結果、美術は「アルミードの館」の流用

 

振付:ニジンスカ

音楽:ストラヴィンスキー

美術・衣装:ラリオーノフ

ストラヴィンスキーがポリニャック公爵夫人に作った曲を譲り受けて制作

 

1923

結婚

振付:ニジンスカ

音楽:ストラヴィンスキー

美術・衣装:ゴンチャローワ

実験的バレエ

 

1924

女羊使いの誘惑

振付:ニジンスカ

美術・衣装:グリス

   

牝鹿

振付:ニジンスカ

音楽:プーランク(六人組)

美術・衣装:ローランサン

   

うるさがた

台本:コフノ

振付:ニジンスカ

音楽:オーリック(六人組)

美術・衣装:ブラック

ブラックは実験的な試みを行ったが、ダンサーには意図が理解されず、ニジンスカには嫌がられた。

コフノは、ディアギレフの秘書的存在だが、ニジンスカと対立

 

禿山の一夜

振付:ニジンスカ

音楽:ムソルグスキー

美術・衣装:ゴンチャローワ

   

青列車

台本:コクトー

振付:ニジンスカ

音楽:ミヨー(六人組)

幕:ピカソ

衣装:ココ・シャネル

1920年代のパリを象徴するような座組

青列車は、南仏リゾートへの寝台列車

 

1925

ゼフィールとフロール

台本:コフノ

振付:マシーン

美術・衣装:ブラック

主演:リファール

ディアギレフは、リファールに振り付けをさせようとして、ニジンスカが去った。しかし、リファールの振り付けは未熟でマシーンを呼び戻すことになった。

 

船乗りたち

振付:マシーン

音楽:オーリック

主演:リファール

   

バラボー

振付:バランシン

美術・衣装:ユトリロ

   

1926

ロミオとジュリエット

台本:コフノ

振付:ニジンスカ

美術・衣装:エルンスト、ミロ

主演:カルサーヴィナ、リファール

シェイクスピア作品のバレエ化、ではなくて、ロミオとジュリエットを踊るダンサーの楽屋裏の恋の話

ニジンスカを、本作だけといって呼び戻した。

クルシェンスカヤに断られ、カルサーヴィナに

 

パストラル

台本:コフノ

振付:バランシン

音楽:オーリック

   

びっくり箱

振付:バランシン

音楽:サティ原曲、ミヨー編曲

美術・衣装:ドラン

   

火の鳥

振付:フォーキン

音楽:ストラヴィンスキー

美術・衣装:ゴンチャローワ

1910年「火の鳥」の改作

ゴンチャーロワの幕が素晴らしい。

ネプチューンの勝利

振付:バランシン

   

1927

牝猫

振付:バランシン

美術・衣装:ナウム・ガボ他1名

主演:リファール

   

メルキュール

台本・振付:マシーン

音楽:サティ

美術・衣装:ピカソ

   

鋼鉄の踊り

振付:マシーン

音楽:プロコフィエフ

   

1928

オード

台本:コフノ

振付:マシーン

音楽:ナボコフ

ナボコフは、作家のナボコフの従兄

 

ミューズを導くアポロ

振付:バランシン

音楽:ストラヴィンスキー

美術:ボーシャン

衣装:ココ・シャネル

   

物乞う神々

振付:バランシン

美術:バクスト

衣装:グリス

美術・衣装は過去作からの転用

 

1929

舞踏会

台本:コフノ

振付:バランシン

美術・衣装:デ・キリコ

   

放蕩息子

台本:コフノ

振付:バランシン

音楽:プロコフィエフ

美術・衣装:ルオー