Startup Weekend Tokyo 2013

11月22日(金)〜11月24日(日)の3日間Startup Weekend Tokyo(以後SW)に参加してきました!
僕にとってSWの参加は、今回が2回目!(※前回参加の際のブログはコチラ)

今回のSWの参加は、僕の人生に取ってで非常に大きな意味を持つことになりました。

前回は、学生での参加でしたが,今回は、会社に退職届を出しての参加でした!
もう、僕は起業したくてたまらなかったのです。

今回、自分が「起業をする」と決めてSWに参加したことでどんな良いことがあったか、記録しておきたいと思います。


【1.自分の旗を掲げることが出来た】
■旗を作る(SW参加前)
自分は、SW参加前に「俺起業したいわ!!」そう思って会社に退職届を出していました。

そこで、実際に「起業する」ということをリアルに考えると、1つの課題にぶつかりました。
それは、「仲間集め」です。

「こういった世界を実現したい。」
「このプロジェクトを実現すれば世界を変えられる。」
そういったビジョンがあっても、それに共感する仲間と巡り会うことは、とても難しいということです。

仲間も見つけられない人が起業すべきではない。それはもちろんそう思う。

けれども、もし隣に座ってる同士の人が、同じビジョンを思っていたとして、
それが共有されないということだけで、お互いに気づくこと無く、「仲間」として旗を掲げられないということは、とても勿体のないことだと思います。

私は、自分自身の抱える「仲間集め」の課題感と、ビジョンはもっと広く共有されて共感できる者は、「仲間」となって世界を変える方向に挑戦すべき。という思いから

「スタートアップのための仲間集めプラットフォーム『Combinator』」作りたいと思いました。

■旗を掲げる(SWの60秒ピッチ)
SWでは、自分の思い・アイデアを60秒でSW参加者みんなに伝え、そして共感者を集めるところからスタートします。

私は、この60秒ピッチで「Combinator」を作りたいという思いを、胸を張って話すことが出来ました。

やっと旗を掲げられたと思いました。

なんとなく、こんなことがしたい。抽象的な思いが、大きなステージで胸を張って話すことが出来たことで、具体的に目に見える「旗」としてを掲げることが出来ました。

これが、本当の最初の一歩になりました。


【2.仲間が見つかった】
旗を掲げることは、恐いことです。
これで、仲間が集まらなかったらどうしよう。。

けれど、自分の課題感・ビジョンに共感してくれる人はそこにはいました。
かけがえの無い仲間を得ることが出来た。

これは、お金で買うことが出来ない、とても大切なキッカケをSWを与えてくれたと思います。


【3.MVPを作ることが出来た】
MVPとは、minimum viable productの略です。
実験を実行するのに最低限の機能を備えた製品のことです。

僕たちの場合は、「スタートアップの仲間集めを実現する」という目的をMVPで試す必要がありました。

そこで、「一緒にスタートアップをするの仲間」とは、一体どういった人かと行ったことを考えました。
最終的にアンケートもとった結果、「ビジョンの共感できる人」こそが、「スタートアップの仲間」である定義しました。

そして、自分ならどうやってビジョンを伝えようとするか、と考えた場合、人に直接話す。
ならばそれを、オンライン上で実現するならば「動画」しかないだろうと行き着きました。


(※ここに行き着くまでには、様々な試行錯誤と、メンターの方々からのアドバイスがありました。senseinoteの浅谷さん。Googleの坂本さん。StartupWeekendの羽渕さん。本当にありがとうございました!)

そして、完成したのがこの動画です!

自分のビジョンを伝えました!そして、この動画を臆すること無くFacebookで拡散しまくりました!

この結果として、5人の方から連絡があり、結果としてこの動画がキッカケとなりお会いした宮本さんとは、今も一緒にサービス開発をしています。


きっと共同創業者として着いてきてくれると思っています。

想像してみてください。
今までは、交流会に参加したり、友達を誘ってみたり、Twitterで人を検索したり、でないと出来た無かったことが、動画でビジョンを伝えることで、こういった繋がりまで生むことが出来たのです。

このMVPは、自分にとっても、Combinatorにとっても非常に大きな成果でした。


【4.多くの人から応援してもらえた】
NHKさんの取材
会場に取材に来ていた、NHKの報道の方々からも、応援したいということでみっちり取材をしていただきました!

(※放送が決まれば、1/24日に放送されるそうです。)

■CommunityAward受賞
SWの最後のプレゼンにて、観客の皆様からの投票にて表彰されるCommunityAwardという賞を受賞でできました。

これは、皆様からの応援が無くては、取ることが出来ない賞でした。
本当にありがとうございました!

■出資が決まる
以前からお話をしていたVCからも出資の採択の連絡を貰いました!
SWは、出資とは全く関係はなかったですが、この翌日のタイミングで、チームもまだ固まっていない状態で、出資の採択を決めていただきました。とても嬉しかったです。(公開していいのか分からないのでVCとしてますー)

実際に、これからは会社を作って、どんどん突き進んで行きたいと思っています!

■身の回りの人からの応援
Facebookのメッセージからもたくさんの応援のメッセージやコメントを貰いました。
本当に嬉しかったですし、力になりました!

ありがとう!

【5.会社を辞めたことが親にバレたw】
今までは、会社を辞めたことを親に内緒にしていました。
どれだけ止められても起業したい気持は変わることは無いと分かっていたので、半年後くらいに、成功したら連絡しようと思っていました。

ですが、あれだけ動画をとってFacebookで拡散したりしていたせいで、親からLINEでいきなりいきなり「会社やめたん?」とメッセージが来てしまいました。

もう、両親には、心配をかけてしまって...

「やめてない」と嘘をつきましたがww、この後自白をして年内に一度実家に現状報告をしに帰ることになりました!!

しかし、SWによってしっかりと旗を掲げられたこと、応援されたこともあって結果として、両親からも応援してもらえそうです。

これも、SWのお陰でした。


【6.会社からも応援してもらえた】会社には、迷惑をかけてばかりでした。

入社して8ヶ月で、起業したいということで、独立。
お世話になったばかりで、何の恩返しも出来ていない状態で離脱するような状態で、
ずっと申し訳ない気持で一杯でした。

ですが、こうやって旗を掲げることが出来たお陰で、最後は応援してもらえました。
本当に嬉しかったです。

こんな嬉しいプレゼントまで頂きました!涙

(Combinatorのロゴの入ったワイシャツ)

「働き方を革新する」という壮大なビジョンを、「名刺管理」というビジネスをもってして世界を変えようと絶え間ない挑戦を続ける。Sansanという素晴らしいチームの一員とさせていただいたことに、本当に感謝しています。

なにより、素晴らしい先輩・同期に囲まれて、とても多くのことを学ばせてもらいました。
ありがとうございました!!!


【さいごに】
SWによって、これからの世界を変えるために進んでいくための道の大切な一歩を踏みしめることが出来ました。

旗を掲げることは恐いです。覚悟が必要です。

ですが、SWはそれをぐっと後押ししてくれます。
素晴らしいオーガナイザーの方、メンターの方のサポートのもとに、情熱溢れる参加者の方が化学反応を起こします。

私は、SWでの一歩が「世界を変える」ための第一歩だと思っています。
全く、最終プレゼンがゴールだなんて思っていません。

SWでの第一歩、Sansanで学んだことを生かして、今度は、ゼロから自分で価値を生み出していきます。

そのために、まずは世界を変えようとプロジェクトを起こそうとするスタートアップの仲間集めのキッカケを与える「Combinator」というサービスを作っていきます!

これから仲間を集めようと言うイケてる起業家が、イケてる仲間と出会える。これから、大きく新しい一歩を踏み出す。そのキッカケを与えるのがCombinatorです!

彼ら彼女らが数年後に、「Combinatorがあったから、自分たちのチームは結成されて、今、こんな偉業を成し遂げられた。」そんな世界を変えるチームを量産するのがCombinatorのビジョンです!

また、皆さんにもこれからの活動をご報告できればと思っています。
Facebookページ
事前登録ページ




StartupWeekend、ありがとう!
そして、皆さん、ありがとう!

これから、冒険に出て、死にそうになることたくさんあるだろうけど...ゾクゾク!!
これからも、清水巧をよろしくお願いします!

長文、お読みいただきありがとうございました!!


最後に、素敵な写真をたくさん撮ってくれた山川ジャッキーさんありがとうございました!

誰かの心にインパクトを与える

世界を変えたいと思いで、社会人となり、はや半年が経った。
あっという間の半年だ。

この半年を通して、自分の考えの変化、そもそもの価値観を整理したい。
そして、次の半年、このもっと先をどう過ごすか考えみようと思う。

自分の世界の変え方について。

決断の邪魔をするもの

「過去の功績が培ってきた直感」

「長年の経験」

「内輪の者にしか分からない」

重要な決断を行うとき、このような理由で最終決定が行われることが非常に多い。

なぜだろうか?
それは、力を持つ者が、上記のような人物であるからだ。

既に力を持つものに、決断をさせることが目的ではないはずだ。
成果に繋げる決断が必要なはずだ。

そのためには、上記のような非論理的な理屈は信じすぎないことだ。
これらにひとたび取り付かれると、何が原因か、何が問題かも見えなくなってしまう。

成果には必ず、理由がある。
失敗には必ず、原因がある。

これらを、明確に応えられること。それが必要だ。

ずっと考えていた。

世界を変えるとは、人を変えることだ。
人を変えるとは、人の心を動かすことだ。
人の心を動かすとは、人を幸せにすることだ。

世界を変えるって何なのだろうと、ずっと考えていた。


新しいものを作ること。
人の行動を変えること。
当たり前を変えること。


これは、世界を変えることだろうか。
なにかが違う。

新しいものを作り、人々の当たり前を変えた。
その結果として、人の心を動かし、人を幸せにする。
それが世界を変えることだと思う。

いつも中心には、人がいる。


どんな発明にだって、その中心には人がいたはずだ。

グラハム・ベルという男は、なんで電話を作ったのだろうか。

遠く離れたところにいる、恋人の声を聞きたかったからだろうか。
心配性の母親に自分の声をいつでも聞かせてあげるためだろうか。

真相は分からない。

しかし、新しい価値を生み出す。世界を変える。
その中心にはきっといつも人が中心にいたはずだ。


ずっと先まで、目を細めて見て、未来を想像したい。
そして、想いを込めて今を創造したい。


私は、世界中の人が夢を追うことが出来る世界を作りたい。
そのために、今までに無かった全く新しい価値を生み出したい。
そして、ビジョンを邪魔する当たり前をぶっ壊して、新しい当たり前を作りたい。
それが私の夢だ。

Dream as if you'll live forever.
Live as if you'll die today.

個人の幸せと会社の幸せ

前回のタイトルに関連して、
個人の幸せと、会社の幸せについて考えてみた。

例えば・・・
「モノを作って、それを誰かに使ってもらい、喜んでもらえることが嬉しい!」
「誰かに必要とされて、その要望に応えてあげることが楽しいんだよね〜。」
「自分の活動がきっかけで、他の誰かが何か新しいことにチャレンジしてくれたら、嬉しい。」
これらは、個人における1つの幸せだと思う。

また、会社も法人という人格を持つ「人」であり、個人と同様に、幸せの形を持っている。
それが、ビジョンだったりミッションと定義されていたりするものだと思う。

この幸せという言うのは、人格が違えば100%完全一致することはないが、
目指す幸せが近い個人や組織に寄り添って、私たちは行動をしていく。

しかし、
幸せというものは、非常に見失われやすいものなのではないかと思う。


ここでは、就活生と、企業を例に、
個人が組織に属した場合の、両者の幸せが良くない方向に行ってしまう場合を体系的に考えてみようと思う。

ある就活生

1.初めての就職
就活生は、自分がどのようなことをしたいか。
どんな風に働くことが、自分にとって幸せかイメージする。
それは、まだ正しいものかは分からないが、幸せが近いと思われる会社に身を委ねることになる。

2.こんなはずじゃ・・・?
就職をして、組織の中で、実際に働くと、
遅かれ早かれ、予想以上に楽しいと感じることや、
イメージと違い、疑問を感じることもあると思う。
あれ、なんでこうするんだろう?こうすべきだと思うのに。といったように。

3.ま、いっか!
2.の状態の疑問や問題意識を抱えながらも、なかなか口に出したり、行動が移すことが出来ないことが多い。

なぜなら、自分が未熟な存在であると自覚しているからこそ、発言できなかったり、
組織には既存の仕組みというものがあり、
叱責、賞賛、昇級、給料。
そんなものをちらつかせて、組織で評価されることに注力するように個人はマネジメントされていく。

4.あれ・・・?
組織で評価される生き方をしているうちに、
「自分がこの会社に来て、成し遂げたかったことって何だったっけ?」
「自分が最初に感じていた幸せってなんだったっけ?」
「こんなはずじゃなかった。。。」

となってしまうことがあるのだ。

ある企業

上記のスケールでは、個人が組織に翻弄されているだけに見えるかもしれないが、
実は、会社も社会というもっと大きな組織(外部環境)に翻弄されるものである。

会社にも人格があり、幸せの形があるという話はした。
会社はそれを、ミッション、ビジョンとして掲げて事業活動を行って行く訳だが、

社会から、評価されるものというのは、
・会社の知名度(CMにでてるよね!?知ってるその会社!)
・業績、株価の推移(株価上がってるよね!)

だったりする。
そういった組織が掲げている幸せとは直接関係のないところから、評価がなされることがほとんどだ。

そういった表向きな評価を
本質と見誤ってしまうと、組織の方向性そのものが見失われてしまう。

自ら勝負に出て、流れを作ったつもりが、世の中の流れに自らも巻き込まれ、
なんの魅力も幸せもない、当たり障りの無い、空っぽの人格になってしまうのだ。


もし、自分の幸せを求め、自分にしか生み出せない価値を生み出す、
という選択をしたならば、辛いことがたくさんあると思う。

なぜなら、外部環境と自分の幸せの差に疑問を抱え、悩むことがあるからだ。
しかし、その悩みから逃げてはいけないと思う。

ここから逃げてしまえば、
悶々とした問題意識の苛まれながら外部環境に対して不毛な文句を言い続けるだけのくだらない人間になってしまうだろう。

幸せというのは、自分で貫かなくてはいけないものだと思う。
なぜなら、人格が違えば、幸せも異なるからだ。自分にしか分からないからだ。

だからこそ、考え、感情の言語化を行うべきである。
このブログも1つの言語化だと思う。

言語化して、可視化することで
忘れることがないように、そして、皆から指摘してもらうことで、より考えをブラッシュアップすることも出来ると思う。共感してくれる人もいるかもしれない。

そして、言語化して自らを知った上で、疑問と向き合うことを辞めてはいけない。
違うと思ったら主張すれば良いだけで、組織に同調することや属することが目的ではない。

疑問に思ったことを押し殺して、環境に不毛な文句を言うだけの人間にはなってはいけない。
自分が何をしたくて、現状はどう違っていて、自分は何をしなくてはいけないのか。
この組み立てを、主体的に行われなくてはいけないのだと思う。


書いてみて気づいたが、2年前に読んだ
古賀洋吉さんの「会社の幸せと個人の幸せ」にめちゃくちゃインスパイアされた内容になっていた気づいた。笑

今のうちに遊んどけという理論

学生の頃、社会人の先輩から「今のうちに遊んどけ!」
というアドバイスを言われることが何度かあった。

この言葉には常々、疑問を持っていた。

社会人になると、遊ぶこと、楽しいことがなくなって、
毎日毎日が、辛いことばかり...、なんて憂鬱な世界なんだと。
そもそも、遊ぶことは、貯めたり保存できなくないかと。
先輩頭大丈夫ですか?と思っていた。


このとき私は、「遊び」とは、
誰にとっても同一の行為を示しているものだと思っていた。
楽しいということは、もちろんだが、
例えば、友達と飲みに行く、ボウリングに行く、だったり。

しかし、最近、
「遊ぶ」ということは、
皆それぞれが楽しいと感じる優先度のことであると考えるようになった。


私は、走ることが好きなので遊びで、よく走っている。
楽しくてやっている訳だが、他の人からすれば、それは苦痛であったりする。

逆に、本をたくさん読む人を私は尊敬する。
しかし、相手からすれば、それは好きで遊びでやっていたりする。


このように、人それぞれの楽しいと感じる優先度によって
「楽しい」と感じる行為は、異なるのだ。

そして、遊びの根源である「楽しい」と感じることは、
走る、野球をする、本を読む、といった行為を示すだけではなく、
その行為に及ぶ「動機」でもあると感じる。

例えば、「未知を探求することが楽しくてたまらない人」にとっては
本を読むこと、旅に出ることが遊びになりうる。

「誰かの力になることが、嬉しいと感じる人」にとっては、
友達の相談にのってあげることや、人に教えることが遊びになりうる。

すなわち、「遊び」や「楽しさ」とは、すべからく、それぞれが持つ優先度によるものだと思う。
それは、正解や不正解があるものではなく、尊いものだとも思う。

この考えから、「今のうちに遊んでおけ。」というアドバイスを言い換えるとしたら
「自分が楽しいと思うことは、何なのか知るために、いろんなことを今のうちにやってみるといいよ!」
だったり
「自分が楽しいと思うことをとことんやってみなよ!」
という言葉が、しっくりくる。

自分が何にわくわくを感じて、どういうときに力を発揮できるのか、それを知ることがもっとも大切なのではないかと思う。「遊ぶ」ように働き、「楽しみ」ながら、無限の力を発揮することが、目指す状態だと思う。

誰にだって、「自分がもの凄い力を発揮できた。すごい楽しくて、時間も忘れてしまった。」ということがあるに違いない。その感覚は、忘れてはいけないし、諦めてはいけない。


一方で、社会人になってから、その「遊ぶ」「楽しむ」という感覚を常に持つことが難しくなってしまうということも非常に分かる。でなければ、「今のうちに遊んどけ!」という人は現れない訳で。

それについては、次回纏めてみようと思う。

薬を作る人・広める人

世の中には、無数の痛みがある。

耐えられない痛みや、なんてことない痛み。
ある人には感じる痛みや、ある人には感じない痛み。色々ある。


薬を作る人は、「この痛みを無くしたい。」そういった思いから生まれる。薬が使われることで、結果として消える痛みを、薬を作る前から目的として行動する。


薬を広める人は、ある薬が解決できる「特定の痛み」を探すところから始まる。「自分が無くしたい痛みは何か。」からではない。


両者の行動によって、「ある痛み」が消えていくという結果は変わりない。
しかし、この両者は全く違う。

世の中は、少数の生み出す人、大多数の広める人によって構成されている。

いずれの立場であっても、「自分は何をしたいのか。」「自分は何をしようとしているのか。」この思いを大切にしたい。