死刑と島流し

死刑反対論の根拠としてよく言われるのは冤罪の可能性で、死刑にしてしまえば取り返しがつかない。人間のやることだから間違いは必ず生じる。
だけど、死が取り返しがつかないことなので何も決定できないとなったら、例えば延命治療の中断や選択もできなくなる。延命とは治療する側の論理であって、本人が奇跡的に回復し生き残る可能性はあり、そんなことは誰にも断定できるものではない。
むしろやったことが間違いないものだとしても、どこでやるかで刑罰が異なることの方が問題の根は深いだろう。国によって司法制度は異なる。これはあらゆる司法制度はなんらかの真理や絶対的根拠を持ったものでなく、それぞれの国のそれぞれの事情に即した便宜的なものであることを意味するし、人々の実感でもある。だから軽微な犯罪はしばしば普通の人が平気で犯し反省もない。つまりなんの信仰の対象でもない技術的なものに過ぎないものに死刑を求刑、実行するだけの根拠があるのだろうかと。特に何の罪も犯したわけでない者が執行しなければならないというのはかなり微妙であり、政治家は中々判を推さないし、執行は誰がボタンを押したかわからないように設計される。まともな人なら縁もゆかりもない人の死はできれば負いたくない。


牢名主は江戸時代にできた制度で、幕府が囚人から選んで任命した役人であるというのが面白い。榎本武揚など旧幕府軍の軍人は一般の罪人と同じ牢獄に入れられたが、牢名主となってそこそこ快適な暮らしをしていたようだ。http://www.page.sannet.ne.jp/tsekine/book1-2.htm
本来体制側が行うべき管理を委任委託するものとして町内会もある。戦時中に制度化され、一旦GHQに解体された後に再組織化されたらしいが、今は特に法的根拠がないという。町内会費を払わないからといってゴミだしできないようにするとかそういう脅しは違法であり、かといってゴミ集積所の管理を自治体は町内会に任せているというのが実態。竹島のように法的根拠のない実効支配、なのである。http://etrader.sakura.ne.jp/freehouse/chonaikai.html
もう一つは納税。サラリーマンは納税の義務と手続きをほぼ企業に委任している。国が委任してるのか個人が委任してるのかしらないが、国民主権なのでどっちでもさして変わらない。とにかく税の徴収は国の権限であり役人が行う&個人が義務として納めるべきであるが、民間企業が代わりに取立て収める手続きをしている。


実現の可能性はほぼないが、死刑は島流しでいい、というのが実感である。もしくは罪人が選べるようにすればよい。ソクラテスのように死刑をあえて受け入れる選択もありえる。
牢名主は無くなったが、今でも拘置所内では独特の論理による格付けがなされる。例えばロリコンなど子供に関する犯罪は最も軽蔑され、強姦などの女性を狙ったものが次ぐ。罪の重さがそのまま格になるわけではないが、殺した人数や金ならより多く奪ったもの、無期懲役より死刑の方がより一目置かれるなどがありえる。つまり人間は社会的動物であるから、どこであろうが序列が発生するし、秩序は半ば勝手に生成する。
自治に任せてしまえばなによりコストがかからない。死刑も無期懲役も結構な額の金銭的心理的コストがかかる。流してしまえば後のことは知らぬ存ぜぬ。
案外オーストラリアのようにいずれは普通の国(島)になって独立でもするのかもしれない。


情状酌量というのも分かるようで難しい部分もある。理解できるかどうか共感できるかどうかが罪の重さを決める。
熊による人殺しはまったく理解も共感もできないだろう。だから問答無用で(問答できないので)射殺されるのかもしれないが、情状酌量の余地は多分にある。熊の生活圏と人間の生活圏が重なってしまったのが問題なのであるから、本来これは生け捕りにして人間と出会わない場所に島流しにでもするのが健全だ。熊に罪などあるわけがない。
このロジックが理解されるならば、人間を殺したヒトと共存できない理屈はない。理解や共感を絶すれば絶するほどそれは熊の論理に近づく。一見罪がどんどん重たくなっていくように感じるのだけれども、一方で罪の前提である人間の論理ともどんどん離れていっているのであるからして「極刑に値する」とは要するに特異点になる。そこでは罪の前提自体が崩壊し、ゆえに熊に罪などあるわけがないという自然の論理が立ち現れる。


しかし日本で死刑が支持されるのは素朴な復讐心が認められているからだろう。極刑を望む遺族は多いし、オレもやはり望むと思う。私刑が禁止されているので国家がその肩代わりをしているとも言える。復讐による人殺しが大いに理解共感を呼んで無罪になる例も外国にはある。
江戸時代に法制化されたという敵討ちは、公権力が何らかの事情によって処罰できない場合に被害者に処罰を委任することで成り立つ。返り討ちに合えばそれまでで、処罰することさえできない。この辺は銃社会アメリカの発想に近く、力がなければ自衛も復讐もできない。帯刀を許されている以上自分でなんとか解決しなければいけない。
武士の興りである鎌倉時代の法令「御成敗式目」ではむしろ敵討ちは規制されている。忠臣蔵も含まれる三大敵討ちというのがあって、どれも民衆には人気が高い(一富士二鷹三なすびもそこからきてるという説)が、見事討ち果たした者たちはいずれもあまり良い結末を迎えていない。
喧嘩両成敗という規定も有事と平事で異なっていたりして(http://homepage1.nifty.com/longivy/note/li0032.htm)明確な規定とはいえないが、何か事が起こった際に起こったこと自体を「不徳の致すところ」と表現するのはあきらかにその名残だと思われる。理非を問う前にすでにして責任が発生してしまっている。


いずれにせよ思うのは近代的価値の維持には多大なコストがかかるということだ。基本的人権はその根拠があやしいという批判以上にあまりにコストが掛かりすぎるという批判があってよいし、そういう問題があらゆるところで出てくるだろう。人間の平等意識には際限がないが、全ては予算が決めてしまうとも言える。そこでコストを削減するにあたって民営化というのが市場原理への委託だとして、もう一つ共同体原理への委託という方法論がありうる。というか町内会も企業による税の徴収にもそのニュアンスがすでにしてある。
そういう揺り戻しは多少はあるだろうけど、戻るかというとまた難しいところ。ペットの飼育数では今年初めて猫が犬を逆転しトップとなった。その大きな理由はコストが掛からないから、だと言われているけれども・・・

00才からのベーシックインカム

社会の制度的コストを削減するというベーシックインカムの前提からは外れるが、特定の人たちに限って適用することを考えたほうが、日本ほどの高福祉社会ではまだしも現実的だと思う。財源も全員として試算すると無理があるみたいだし。
まず高齢者に限って年金医療介護保険などを打ち切ってBIにまとめてしまう。80以上でも90以上でもなんでも構わないが、必要最低限といわずできるだけ多く与える。高額医療や介護は資産がないとできないかもしれないが、助かるのは高齢者の面倒を見る人のほうで親の介護で生活が成り立つようになる。年寄りが元気で自立してればその分生活費にできるのだから予防にも積極的になる。今は介護保険を使うことで事業者が利益を享受しているのだから、自立してもらっては事業者は困るわけで、要介護認定はより重く、必要な介護はより多彩に盛る必然性があるのだから話にならない。高齢者が車で送迎されて、予防のために施設で歩行運動を行うという正気とは思えない事が平然と行われてしまうのも仕方がない。
年金受給資格は年々上がっていくだろうからBIを超高齢者から始めて可能なら順次切り下げていけば、そのうち辻褄は合う。


高齢者BIはうまくデザインされれば若いやつが貯金をしなくて済む。若者が老後のために貯蓄する、というのは不自然極まりない。金は若いうちに使わなければ生きた金とは言えない。それは本人にとっても社会にとっても必要で有用な投資であり積極的に奨励される。最もこれだけの高福祉社会であるにも関わらず高齢者でさえ何があるかわからないから金を使えないというのだから、貯蓄癖は何をやっても治らないだろうとも思う。BIは貯蓄に一切回せないようにするしかない。基本的に強制でなくいくつ以上に与えられる権利とするのがよい。財産があって問題なければ使う必要はない。
自立した個人という神話が最も壊滅的になるのは年を取ることによる。体が弱れば誰かに助けてもらわねばならないし、認知症になれば自分の判断の根拠が失われる。貯蓄するのは誰かに頼らず一貫して個人として物事を解決していくために必要なことで、貯蓄をなくせば個人から降りるほかない。人は死ねば自然に還るが、生きてるうちから少しずつ溶け出していると見るべきだろう。
貯蓄がないというのは共産主義社会主義になってしまうのだろうが、これは統一的な国家としては失敗は明白だが、マルクスは歴史の最終段階としての必然としてこれを提出した。これを歴史でなく個人史と捉え直せば老人の世界では共産主義は成り立つ。個人がきちんと段階を踏んで成長していればの話であるが。
過疎となった地方で老人共産圏を実現すればよい。団塊の世代はその為のこれ以上ない良質な人材であり、機会と言える。昔取った杵柄でがんばって欲しい。


逆に子供にBIを導入するという方法もある。生まれた瞬間から生活に必要なお金が支払われる。子供は当然ながら自活能力がなく財産もないんだから生活保護の対象内であり、子供の健全な生活は国が保障してなんら問題ない。
これもどちらかと言えば子供より面倒を見る人にとって福音となる。仕事をして子供を育てるのではなく子供を育てることが仕事になる。孤児は引く手あまたになるだろう。生活に困ったらとりあえず子供を生むか養子縁組して子供を育てればいい。金が支払われるのは子供に対してなのである程度物心がついてもし嫌なら親を変えてしまえばいい。金で親を買えるようにする。
一見バカバカしいが、子供は昔のように7人兄弟とか10人兄弟とかで育つほうが本来育ちやすい。つまりちょっとずつ違う年代の子と寝食をともにするほうが、予習復習になって半ば勝手に育つ。子供が金になるならプロの子育て家が誕生して、たくさんの子供を牧場のように大事に世話して育てる人間がでてくるだろう。今の伝統無き教育よりははるかにましかもしれない。


橘玲によれば世界の豊かさは分業の徹底によって実現されていくという。作業を細かく分け仕事を専門特化することで、全体としてより大きな生産が可能となる。その代わりに近代人はかつてよりどんどん何もできない無能となっていくが、その無能さは技術革新や高品質のサービスが補完していく。ただのマッチポンプに見えなくもないが、その豊かさの実現を阻んでいるのが国家であり、分業が徹底されないことが世界の局所的な貧困を招いているという。
世界政府実現の前提は子育ての分業化だろう。子育て、特に母親と子の関係は切っても切り離せない反分業的仕事として残り続けている。近代人は専門家した無能であるかもしれないが、子育てという全人的能力を必要とする、あるいは全人的問題の発生する課題には取り組み続けなければならない。高度な分業化によって高品質な車が作られるように分業によって高品質な人間を作ることがもし可能であれば、彼らは世界政府を実現する人材となるだろう。
ただこのくびきに触れることはとても怖い。母と子を切り離してしまっていいのだろうか。仕事をし、結婚し、子供を育てるという幸福の基本や基盤が失われた後に何が残るのか。世界の豊かさはそこに住んでる人間の内容的貧困さとセットで進む。
ただそもそも世界の分業化は安価な石油の無限供給という虚構のうえに成立してるのでたいして射程のある話ではなく、考えるだけ無駄かもしれない。年金構想と同じくいずれ破綻するのは目に見えている。未来のテクノロジーが解決するだろうと見切り発車したもんじゅにも未来人は訪れそうにない。



幸福な二重生活

養老先生は都市と田舎の二重生活を送るのが健全な生活であると説く。フランスの金持ちは年の半分都市で仕事をして後はリゾート地という名の田舎にバカンスに行ってしまう。流石長年金持ちだった国はよく分かっている。

メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。
その魚はなんとも生きがいい。
それを見たアメリカ人旅行者は、
「すばらしい魚だね。どれくらいの時間漁をしていたの」と尋ねた。
すると漁師は 「そんなに長い時間じゃないよ」と答えた。
旅行者が 「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」
と言うと、漁師は自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。
「それじゃああまった時間でいったい何をするの」と旅行者が聞くと、
漁師は、「日が高くなるまでゆっくり寝てそれから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで女房とシエスタして
夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」
すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。
いいかい、きみは毎日もっと長い時間漁をするべきだ。それであまった魚は売る。
お金が貯まったら大きな漁船を買う。 そうすると漁獲高は上がり儲けも増える。
その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。
そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建ててそこに魚を入れる。
その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し
ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。
きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」
漁師は尋ねた。 「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」 と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て
日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして
夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。
どうだい。すばらしいだろう」

一国二制度というと中国かと思われそうだが、実現できないのだろうか。
一年の中で実現するのは不可能そうなので、人の一生の中でデザインすることは少なくとも日本において可能ではないかな。
誕生を神道で結婚をキリスト教で死を仏教で執り行うという思想的分断を平然とやってのけている。この感覚で18までBIという名の原始共産制、大人になったら資本主義の競争社会で生き、年取ったらまたBIという名の老人共産圏で生きる。個体発生が系統発生を繰り返すように、人生を人間の思想史体制史としてデザインできたら面白い。


現実と仮想世界の二重生活も捨てがたい。映画『アバター』のように仮想空間の超自然的世界で原始生活を楽しむというのは人間の生物的デザインとの辻褄が合う。都市に適応的な肉体を持っていないのが不幸の源泉であるわけだから。

水論

人体のおよそ60%は水からできている。
胎児では90%に及び、以降一貫して減っていき老人では50%に至るが、生まれた瞬間から減るものとしては他に脳神経細胞が知られている。
3大死因の内ガンを除く心疾患、脳血管疾患とは水が行き渡らなくなることだから、要するにヒトは干乾びて死んでいく。あるいは腹水や胸水のようにむやみに溜まって死ぬこともある。
認知症も一貫して細胞が減るのだから寿命が延びれば致し方ない。


塩分濃度は0、9%でこれは4億年前の海水の塩分濃度に近いものと考えられている。
海水の構成を模した多様なミネラルを含む羊水で育つ、ほぼ水からなる胎児とは原始の細胞に近いただの膜だ。
やっていることと言えば水の吸収と排出。
成長とは水の排出<吸収で膜を膨らませていくことであり、同時にその過程で水をその他40%の構造物に置換していくことである。
その他の構造物は木造建築の家屋に近い。木も時間の経過とともに乾燥していき割れが入りやすくなるのは骨と同じ。水周りの寿命が家屋の寿命より短く先に来るのは、目や歯の寿命が先に来るのと同じ。現在日本の木造住宅の平均寿命は64年というデータもあり、これもだいぶ近づいている。


水という観点から見れば、運動とは体外への水の排出量の増加である。アウトプットは運動によるしかなく、運動すれば熱が生じ、それは気化熱によって冷却される。暑い夏にはほっといても温度が上昇するから多量の水が排出されるし、風邪や恋を煩っても同じで勝手に熱は出る。運動と気温差と病気は水の増減からは区別ができず、とにかくたくさん水が必要な事態というだけの話。
人間は二足歩行なので水は上から入って下から出るという実に理に適った構造だ。入った水はポンプで全身を巡り、途中汗や息で蒸発する以外は尿として排出される。ボクサーならガムを噛みながら唾を吐いて減量することもある。


「万物の根源は水である」と言ったのは最古の哲学者と言われるタレスで、哲学の起源と生物の起源は一致している。生物がいなきゃ万物もくそもないんだから、タレスはまったくもって正しい。万物という概念の根源は水である。どう考えても水が万物に含まれてしまうのが問題だが、水と生物は切っても切れない関係なのに、生物の定義に「水に依存するもの」がないのはどうしたわけか。水を必要としない生物の可能性は電気に依存するコンピュータやロボットだろうが、こちらはむしろ水に弱い。生体内でも細胞同士は電気でやり取りしてるわけだから、やはりエヴァみたいに生命というか細胞を利用してデザインされたロボットの方が強い気はする。それならなんだってエネルギーにできる。肉がなければ笹で生きればいい。パンダみたいに。


水風船は風船と水とどっちが本体かと言えばやはり水だろう。ただし風船という膜があることで水の性質が変わった、もしくは隠れていた性質が表面化したと言える。膜ができただけで生命的弾力は実現する。ただその膜には複雑精妙なテクノロジーが働いており、風船も細胞膜も決して簡単にはできない。だからついその複雑な構造に目が行きがちだが、水の持つその様々な性質は地球の環境を劇的にダイナミックに変化させてもいる。ヘラクレイトス鴨長明も水に世界の変化の根本を見る。太陽から遠ければ凍りっぱなし、近ければ蒸発して散逸するため、水を基準とした時の境界線上に地球及び生命はある。細胞膜が境界を示唆しているならそれは何と何の境界上にあるのだろうか。外環境では水は一定の温度になれば蒸発したり沸騰したり、あるいは凍ったりするが、内環境でそれが起こることは死を意味する。外環境とじかに触れて生きている単細胞生物と体内で生きている細胞との大きな違いは環境の安定度だろう。安定的な生活を保障してくれる男に女がつき従うようにミトコンドリアも境界内に入っていったに違いない。
エントロピー増大則は孤立系においてという制限がつき、開放系ではその限りではないという。開放系とは外界があるの意で、外界があるとは膜のような境界があるということだろう。
進化を外環境への適応とするのは不十分で体内環境適応というのも考えねばならない。体内で細胞が協力し合うことで環境は安定し、ぬくい水の一定の塩分濃度の恩恵に皆があずかれる。
変異は外環境に適応的かどうか以前に内環境と調和できるかどうかが問われる。キリンの首が長くなるには心臓が強力な圧力で血液を頭まで送れなければならず、首だけを長くするということはできない。場合によっては全てが適応的に変化しなければならない。
変異とそれによる他の器官の変化を見分けることは可能だろうか。
つまり首が長くなる変異が外界に適応的だったという代わりに、心臓のポンプが強く変異したのでいわばその圧力に頭が押し上げられる形で首が長くなった、という説明もできなくはない。というかこの二つは同時に成立しなければ変化は無理だろう。
しかしそうなると事態はあまりにも複雑すぎて理解を絶する。
「内的調和を保つための変化」は「内的必然性による意志」という短絡まで後一歩だと思う。

義と儀と議と蟻

『敵に塩を送る』という有名な言葉がある。
いまさら説明するまでもないが、上杉謙信が宿敵、
武田信玄に次のような書状を送ったと伝えられている。

「聞く北条氏、公を苦しむるに塩をもってすと、
これきわめて卑劣なる行為なり、我の公と争うところは、
弓矢にありて米塩に非ず、今より以後塩を我が国にとれ、
多寡ただ命のままなり。」(新渡戸稲造著「武士道」より)
http://www.interq.or.jp/tokyo/sf46127/sub03/sub033/sub033.htm

義に厚いといえば上杉謙信だが、その謙信の義とは「我の公と争うところは、弓矢にありて米塩に非ず」というようなものだ。
これがフェアプレイ精神、スポーツマンシップに近いのはこれを米国に紹介した新渡戸稲造が日本にもそういうものがあることを証明する為にこれを書いたからだろう。
実際どのような書状が書かれたかは分からないが、なぜ弓矢で戦わなければならないかと言えば、それが権力の正統性に関わる事態だからだ。
鎌倉幕府以降は軍事政権なのであり、要するに戦争に強いことが正義なのである。卑怯な手段によって獲得された権力、とはつまりは軍事的裏づけのない権力のことであり、それは権力の基盤としての安定性を欠く。
なぜ武士が義を重んじるかそれに殉じる必要があるかと言えば、それは彼らが権力者であるゆえんだろう。正々堂々戦って得たものには誰も文句が言えない。そこに瑕疵があれば遺恨を残しそれは未来の反乱因子となりうる。
このような義は人口のたかだか数パーセントの武士にしか成立しない例外的なものに思われるが、結局それは日本人の多くが納得できるかどうかという感情に関わっており一種の説得の論理なのである。


日本の正義について考える時によく取り上げられるのが江戸の時代劇だ。
水戸黄門、遠山の金さん、大岡越前など徳川の親戚かそれに任命された裁判官によって正義は遂行される。
徳川家は長く続いた乱世の最終的な勝利者であり、江戸はその正統性を持った権力者によって統治された平和な世界で、そこでの正義は権力の統治機構とほぼイコールである。具体的にはより権力を持った人間の判断が正しい、とされる。

「だまりゃ!麿は恐れ多くも帝より三位の位を賜わり中納言を務めた身じゃ!すなわち帝の臣であって徳川の家来ではおじゃらん!その麿の屋敷内で狼藉を働くとは言語道断!この事直ちに帝に言上し、きっと公儀に掛け合うてくれる故、心しておじゃれ!」

http://dic.pixiv.net/a/%E4%B8%80%E6%9D%A1%E4%B8%89%E4%BD%8D

水戸黄門に登場したAAで有名な「麻呂」こと一条三位は印籠を見せられてもまったく怯まずこう反論した。同じ三位中納言水戸黄門は結局より上位の大納言を召喚することによってしか問題を解決できなかった。水戸黄門の物語構造の矛盾が麻呂のキャラクターに集約されてしまったので、あのような過剰な演出に至ったようだ。
ただそこにはより権力を持ったものの方がより公正公平な判断を期待できるという洞察がある。
賄賂について考えればそれは当然のことだろう。賄賂がいけないのは中間権力者による公的な資源の搾取にならざるをえないからで、上位のものにとって下位のものによる収賄は許しがたい行為になる。従ってより権力に近い、より公的な存在ほど賄賂を不正と認識するので、公平な判断が期待できる。
権力は結局より大きなものを志向するならば、なかば必然的に人々に対して公正公平にならざるを得なくなるもので、そしてより多くの人に支持されることがより大きな権力に帰結するという性質があると見ていいだろう。


義は乱世においてはほぼ鹿の角のようなものだと見ていいと思う。オスはあの角によって縄張り争いやメスの争奪戦を行うが、生きていく上で必要なわけでないのはメスにないことから自明だろう。あの入り組んだ角は仲間同士の争いで無用な殺生を避け、純粋な力比べをするというスポーツマンシップやフェアプレイ精神の具現化であり、それに敗北するすれば縄張りやメスを諦め相手に譲らなければなければならないという権力の正統性そのものである。
一方平和時特に江戸時代の義はほぼ「公儀」のことであり、それは猿山の秩序に近く争い自体を生じさせないことを旨とする。序列の徹底化と誰が何を決めるかの明確化によって正義は規定される。
そして現在はといえばこれは「公議」とにんべんからごんべんに替わったものが代替していると考えられる。公議政体論といえば坂本竜馬らが欧米の議会制度に範をとった構想であるらしいが世論とほぼ同義でもあり、要するに言葉という抽象に権力の根拠は移り、一見すると極めて人間的で他にないもののように思えるが、オレにとってその世界は蟻の社会そのものである。・・・と書いてみてアリが虫偏に義であると気づいて妙に納得する。
少なくとも内部的には一切の争いが無く全てが機能的かつ合理的にデザインされた蟻の世界は義の貫徹された理想社会であるといえる。それは徹底的な管理社会によるディストピアを想起させるけども。


以上、日本における義の転換を考えたが、それはつまるところ全て権力に関わっており、そして一貫して「無用な争いを避けること」をその目的としている。
逆に言えば社会的動物でありながら他の生物では考えられないほどの自由度を持ったヒトでは、ほっておくと無用な争いが絶えないということを意味しているのかもしれない。
ここまで義をかなり世俗的、合理的にもしくは非宗教的に捉えてきたけども、そもそもの原義に含まれる「美」についてはやはり孔雀の羽で説明するのが手っ取り早い。
孔雀のオスの羽が美しいのはそれがメスの獲得に有利だからである。
鹿がメスの獲得に角を使っているのと同じように。
鹿の角もオブジェに使われるくらいその幾何学的な美しさが認められている。
それらは現実的な生活上の有効性や合理性という制限から自由であり、余剰である。
しかしその余剰が勝敗を決し、その生物種の権力構造を規定するものになりうる。
余剰はより有効である、合理的であるという点から評価されるのでなく例えば過剰さが評価になることがありそれが美意識に関わってくる。
生物としてのヒト社会の権力が公議という言語操作能力、シンボル操作能力などによって規定されるところに落ち着いたのは、大脳がヒトにとっての余剰であることからくる必然性があるのだろう。
乱世と治世の幸不幸は色々違うが、殆ど完成に近い江戸期と現在の日本に住む人の幸不幸を比べたり、考えるのはほぼ無意味である。そこそこの幸福ならとっくに達成されており、それ以上は少なくとも政治的には影響は限りなく小さくなっていく。何を決めようが現実の生活の幸福度にはさしたる影響がない。
そもそも現代的権力の基が農業による余剰資産の発生にあるという話であるから、元々実際的な生活の用という視点からは関係がないものについて争っているふしもある。
なぜ美的な観点から政治は行われないのだろうか。より美しく生きるということが余剰生活者にとって最も大きな関心とならないのはなぜか。
そもそも世界を見渡せばいまだ食うに困る住むところに困る人が大半である国もたくさんある。源氏物語の御伽噺のような美しい世界も彼らが同時に政治を司る権力者であり、その背景の地に飢饉などの厳しい現実を生きる人々の世界を抜きには成立しえず、そのグロテスクな状況は誰が、どこが政治的に解決するのだろう。
何のための余剰なのか。

続・「空気」の研究

登場するのは明治期を代表する法制官僚・井上毅である。井上による明治憲法草案の第一条は「日本帝国は万世一系天皇しらすところなり」だった。この“しらす”という古語を漢語的表現の“統治”にかえて「大日本帝国万世一系天皇之ヲ統治ス」という条文になった。では“しらす”とはどういう意味を含んでいるのか、井上の解釈が紹介されている。
“「しらす」は知らすである。上に立つ者がおのれを鏡として、下の者たちのありのままを映し出す。(中略)上に立つ者の心はただひたすら鏡そのものでなければならない。極端に言えば自らの考えは持たない。(中略)さまざまな人の考えや行いをつとめてあるがまま認めつつ、破局を来さないように調整していく。あとは自ずとなるようになっていくしかない。(鏡には)たくさん大きく映るものがある。それがそのときの日本の空気であり雰囲気であり、一番角が立たない落しどころである。そうやって進行するのが「しらす」の政治であり、日本人が古来認めてきた国土人民をとりまとめる唯一の正しい仕方ということになるのでしょう。 ”
著者はこの“しらす”の井上流語釈に疑問を残しながらも、法制官僚の中心で明治国家を法的にデザインし、いくつもの法律を立案した井上の影響として、「明治憲法体制全体に“しらす”の精神がゆきわたっているように思われる」「端的には権力の分散化・多元化の工夫」がみられるという。
『未完のファシズム』 - HONZ

面白い。
山本七平はこれを知っていたのだろうか。
多分知らなかった。
『空気の研究』では「自ずと」空気の支配が強くなり責任者が不明になり破局へと向かっていった、というストーリーになっていた。
しかし違ったのだね。勝手にそうなったのではなく、そもそも明治憲法が明確な意志をもってそうデザインされていたのだと。
「あとは自ずとなるようになっていくしかない」
「それがそのときの日本の空気であり雰囲気であり、一番角が立たない落しどころである」
これが明治憲法の草案を書いた人物の思想であり、山本七平の分析と驚くほど一致している。
ただしストーリーはまったく違ったものになってくるし、次の疑問はではなぜ明治憲法はそのようにデザインされたのか、になるのだろうが思い当たることがあるので書いてみる。



江戸「無血」開城の意味

日本史・あの事件の意外なウラ事情 - 長尾剛 - Google ブックス
思うにすべての始まりはここにあるのではないかと思う。
西郷隆盛徳川慶喜を討つつもりだった。そしてその首を掲げることこそ新しい時代の幕開けを世間に告げるものになるはずだった。
これは世界史的常識に照らせば圧倒的に西郷が正しい。中国の王朝交代時など常に凄惨極まりないが、別に中国が特殊なのではなく世界中あらゆるところでそれは儀式のごとく執り行われ、そもそもフランス革命でさえそうだった。
なのになぜ日本ではこのような奇跡が成ったのだろうか。それには色々な人間が動いており複雑ではあるが、ごくおおざっぱに言えば日本は平和だったということではないだろうか。江戸は250年も続いた。その間特に大きな内乱もなく外敵もなく、武士はその存在価値を見失いおおいに軟化していたことだろう。たかだか60年そこらで平和ボケとかいわれるのに250年である。

江戸時代後期の経世論家である林子平は、「勇は義の相手にて裁断の事也。道理に任せて決定して猶予せざる心をいう也。死すべき場にて死し、討つべき場にて討つ事也。」としている。
http://www.7key.jp/data/bushido/yuu.html

いずれにせよ奇跡は成った。150万という江戸の住人は戦火を免れた。
その後なし崩し的に新政府軍は勝利をしたが、問題は残った。
新政府軍の権力の正統性はどう保障されるのか。
権力の正統性というのは実際のところはかなり曖昧なところが多く、例えば中国共産党においては「侵略してきた日本軍を打ち負かし国を守ったこと」をもってその正統性としているが、しかしそれが極めて曖昧であるからこそ台湾問題が生じているし、戦時中の日本の残虐を強調し続けなければ国が持たない。仔細あって溥儀は生き残り、徳川慶喜と同じように普通の市民となって生涯を全うしたし、敵対していたそしてより正統性を持っていたかもしれない国民党も打ち破れず生き残ってしまった。だからこそ日本なのだ。
もちろん最終的には暴力がものを言うというのはあるだろうが、しかしそれもその正統性への支持があってこそ力強いものになる。その為にその圧倒的な力を誰にも分かるように誇示しなければならず、そういう手続きが本来は必要なのだ。
薩摩長州による新政府軍はそこをかなり曖昧にしたまま、つまり見ようによっては幕府側が単に日和っただけともとれるやり方によって不戦勝と相成った。


これが新政府の権力の成り立ちの物語である。まるで神話の国譲りのように西郷隆盛勝海舟の「話し合い」によって権力を譲り受けた。

上に立つ者の心はただひたすら鏡そのものでなければならない。極端に言えば自らの考えは持たない。(中略)さまざまな人の考えや行いをつとめてあるがまま認めつつ、破局を来さないように調整していく

西郷隆盛は聖人とされているが、そこでの振舞いはまさにこのようなものだろう。結果「そのときの日本の空気であり雰囲気であり、一番角が立たない落しどころ」に実際落ち着いた。
それが明治憲法の精神として表現された、というのは実に自然な流れであるように思う。
そして戦火を免れた江戸が後に焼け野原と化すというのはなんとも言えない歴史の皮肉と言える。



アイデンティティ戦争

しかしいったい明治政府の権力の正統性は何によって担保されているのか。徳川慶喜はその後も普通に人生を全うしたので朝敵を打ち破ったというわけでもなさそう。憲法が規定してたとしても作ったのが明治政府では意味がない。まだ民主主義以前なので選挙が行われたわけでも当然ない。その前の大政奉還によって戻ってきた統治権はそのまま天皇が持つことになったわけだから、天皇から委任されたわけでもないだろう。
結果的にそれは対外的な戦争によって、日清日露戦争によって初めて明治政府の真の力量は試され、誇示された格好になる。戦争景気も相まって人々はそれを熱狂的に支持した。
戦争が国家のアイデンティティに関わる、という事態は戦後のアメリカに似る。



平和時の政治哲学としての「空気」

山本七平の研究によれば太平洋戦争末期に空気の支配は極に達し、その後も日本人の意思決定の方法になったということだけども、それが平和時のそして内政の方法論としては実に優れたものだということは歴史の証明するところだろう。
しかしその「空気の支配」はどこで醸成され生じたものかというなら、江戸の250年の平和がその出所なのではないのか。その永い平和こそが江戸「無血」開城を実現し、明治憲法の精神になった。
もしそうなら現在の人と江戸の人々は同じ空気で生きているというしかない。


『未完のファシズム』は少なくとも戦争という異常事態においてはファジズムのほうがまだしもマシである、という結論になるようだが。












 

多義的な義

『「義」の字は「我」と「羊」である。「羊」とは「美」と同義である。ゆえに、「義」とは「我を美しゅうする」との意となる。

繰り返す。「義」とは、正に「己にとって美しく生きる」ということなのである。』


義風堂々2」(原哲夫・堀信彦・武村勇治、2009、新潮社)
http://ameblo.jp/agathon-consulting/entry-11421997265.html


義は「義(ただ)しい)と訓読みされる。
「正義」はだから同じ意味を重ねた言葉になる。
一方原義、教義、定義、などは原理、教理、定理におおむね置換可能。
なので「義理」もまた似たようなものと考えられる。
義理の母、などの表現が典型だが本当の母親でなく社会的に母と見なされているに過ぎない。そこで期待されているのは同じような振る舞いであって、本物の愛情まで期待されているわけではない。そういう意味で義理チョコとは中々うまい表現だ。
今では大体めんどくさいものの象徴だろう。オレの母親は70過ぎているがとっくに年賀状など辞めてしまった。どうしても必要なら仕方なくやる。義理を果たすのは嫌々する義務と成り下がった。
大戦後、様々なかたちで当時の本音が語られた。負けると思っていたとか、特攻隊も本当は嫌だったのだとか。そこからなぜ負けると分かっていた戦争に突き進んでいったのか、と問う形になったりするが特におかしなことだとは思えない。本音と建前を分けること、精神(内容)と肉体(行為)が食い違うことは日本人にとっては自然なことだ。


ところでプラトンアリストテレスの時代の古代ギリシア人にはこの種の分裂がまったくなかったらしい。

肉体賛美の源流は言わずもがな、真・善・美を追い求めた古代ギリシアにさかのぼります。
肉体(外面)の美しさは精神(内面)の美しさであり、また精神の美しさは肉体の美しさとされていました。
つまり内と外が分裂していないのです。
悲しいのに笑う、などという私たちの生活上あたりまえのことは、彼らにとっては理解できないに違いありません。
彼らは悲しみを感じたとき、自らの衣服を引き裂き、自らの身体を叩き、またあるときには灰を被ったりもしました。
内面の痛みは、かならず外面にあらわされたのです。
〜中略〜
ゲーテ古代ギリシア人についてこう述べています。
「自己が世界と一つであることを自覚し、したがって客観的な外界を人間の内的世界に対立する異質なものとして感じることなく、むしろこの外界のうちに自分自身の感情に相応する原像を認識する分裂を知らぬ人間」
日本美学研究所 『日本と西洋の肉体表象』ヌードが生まれた理由

ゲーテがそう評していたということは西欧人にとってもそれは異質なものなのだった。
アリストテレスの考えを読んでいて、うまいこと神を持ち出さずに説明してるなと思ってたんだけど、そもそも当時は一神教が蔓延する以前であり、そんな発想自体がなかったのである。その代わりに「哲学」があるが、それはあくまで人間の究極であり、最終であったり人間にとっての現実が問題となっている。
逆に言えば一神教の発想から生み出される「唯一客観的な現実」が出てきた時に、西欧人も分裂したのかもしれない。
内と外が分裂していないということは外がないことを意味している。



蘇るイデア論

アリストテレスが師事していたのはプラトンであるが、その中心的なアイディアである「イデア」の現代的、ないし科学的意味はよく分かると思う。
http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/kieru.html
それは錯視で知られることになった脳の機能だ。脳は入ってきた情報(入力)以上のものを現実として再構成している。実際に見ている視点から離れた周縁の景色は記憶や推察などから再構成され貼り付けられている。
面白いのは線の長さや色などが違って見えるのも、それが同じであるといくら理解したところで同じようには見えない、コントロールできないことだろう。無意識的かつ自律的な解釈なのである。
しかしそれらが「同じ」長さや色である、という物差しは客観的現実に相応しているが、それが正しいとは限らない。例えば色についてはクオリアの問題もあって、ある色をそれぞれの人がどのように感じているかは不明で、要するにそれぞれの色の間の関係性や区別がつけば問題はない。色の錯視はこのような関係性を利用しており、それを同じ色だとする視点には意味が無く、自分が見ているその間に違いを見てとる現実のほうが正しい、とがんばることはできる。つまり人間にとっての現実とはその中で生きるべき意味を持ったものでなければならず、そういった意味の失われた客観的現実はとりあえず関係がない、と。
イデアは明らかに脳が機能として持つこの補足的、理想的な自律的解釈機能をその源泉としている。あらゆるものにイデアがある、のでなくあらゆるものにイデアを見てしまう、といった方が正確だろう。最もコントロールできないので意識から見れば同じことかもしれないけども。
なぜイデアがあるかについてプラトンは天界でうんぬんと宗教的物語で説明したが、現代なら根拠は脳に求めることができる。そしてそこには人間的意味があらかじめ内包されていると見るべきだろう。



社会的義、宗教的義、日本的義

以下ウィキぺディアより。

儒教における義は、儒教の主要な思想であり、五常(仁・義・礼・智・信)のひとつである。正しい行いを守ることであり、人間の欲望を追求する「利」と対立する概念として考えられた(義利の辨)。孟子は羞悪の心が義の端であると説いた。羞悪の心とは、悪すなわちわるく・劣り・欠け、あるいはほしいままに振舞う心性を羞(は)じる心のこと。

キリスト教における義という訳語は、ギリシア語でΔικαιοσυνη dikaiosynee ディカイオシュネーと呼ばれるもので、罪の対立概念とされる。これは他者に対して義(ただ)しい、誠実な、偽りのない態度で臨むこと、またそのような態度が可能である魂の状態をいう。義しい人を義人と呼ぶ。
福音書パウロ書簡などで主題化される。
神によって「義とされる」(義とする:ディカイオオー)ことも同じ問題圏に属する。
真に義であるのは神のみである(「義人はいない」)が、人間は神を信じることにおいて義さに近づくことができる。信じないことは不義と同義であるとされる。『ヤコブの手紙』によれば義しさは、神への信仰を表明することのみならず、他の人間に対する行為において現れる。
ルターは人が行動において義とされること(行為義認)を否定し、信仰によってのみ人が義とされる(信仰義認)と考え、それまでのキリスト教で行われていた苦行、断食などを否定した。

日本での義の元は儒教であるが、キリスト教の教義にも義と翻訳される概念が存在する。それは元々ギリシア語で「ディカイオシュネー」と呼ばれるものでどうやらそれはプラトンが重要視した概念であるようだ。
ということでなぜか奇妙に話は繋がった。がだいぶややこしい。
とりあえず「利」に対立するか「罪」に対立するかの違いがあるが、共通点を見るならば非常に禁欲的だということだろう。人間が自然に持っている欲望と対立する時に始めて「義」は立ち上がる。それは内と外の分裂に他ならない。宗教的なルールか社会的ルールかはともかく、それによって正義とされているものを己の欲望に逆らって行為されることによって義は貫徹される。
孟子の言っていることも中々面白い。「悪すなわちわるく・劣り・欠け、あるいはほしいままに振舞う心性を羞(は)じる心」が義の生じる原因であると。特に「劣り」「欠け」は現代的イデア論の立場からよく理解できる。人間が理想状態を構成せざるを得ないからこそそれが見につき鼻につく。そして「羞じる」とは一種の美意識である。
義の字義には羊=シンメトリーな唯一の動物を表す字があり、そこに「美」という意味が予め備わっている。儒教でもキリスト教でも美意識は前面にはまったくでてこないが、日本的義を考えるにおいては美意識と切り離すことはできない。
アリストテレスは政治に関わるものとして「真・善・美」のうちの「善」に最も価値を置いたが、日本的にはそこにかなりの割合で「美」が関わっているということになる。

またギリシアでは、美と善とは合して、「美にして善なるもの」kalokagathonという合成語となり、自然的、社会的、倫理的な卓越性をさすことばであった。
https://kotobank.jp/word/%E7%9C%9F%E5%96%84%E7%BE%8E-538151

ただしその合一は決して評価されているとは言いがたい。
戦争(政治)に美意識など持ち込んだことは敗因であり、本来徹底的な合理性(真)によって行われるべき(戦争をしないという判断も含めて)であった、というのが日本の敗戦へのおおよその統一見解である。付け加えるなら日本軍の行った様々な「悪」は徹底的に糾弾されている。まぁこれは勝てば官軍に過ぎないと思うけども、一応「善」も問題化されており、つまりより善くなされるべきだったという反省もあるだろう。
が、より美しく為されるべきだったとは誰も考えていない。
戦後最もその価値が低落し抑圧されている感性が「美」であるのは間違いないだろう。



日本的美

それを主題化した作家が太宰治三島由紀夫だろう。
一方はいかにも女々しく一方はいかにも男らしく二人はとても対照的だ。

三島:私は太宰とますます対照的な方向に向かっているようなわけですけど,おそらくどこか自分の根底に太宰と触れるところがあるからだろうと思う。だからこそ反発するし,だからこそ逆の方に行くのでしょうね。おそらくそうかもしれません。
http://lfk.hatenablog.com/entry/20070225/1172382313


もっとも太宰治は好きでなく三島由紀夫に至っては読んでもいないので残念ながらたいしたことは言えない。
とりあえず名文として名高い『斜陽』の導入部分、貴族的理想像としての「お母さま」の描写を以下長くなるが引用。

 朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、
「あ」
 と幽かすかな叫び声をお挙げになった。
「髪の毛?」
 スウプに何か、イヤなものでも入っていたのかしら、と思った。
「いいえ」
 お母さまは、何事も無かったように、またひらりと一さじ、スウプをお口に流し込み、すましてお顔を横に向け、お勝手の窓の、満開の山桜に視線を送り、そうしてお顔を横に向けたまま、またひらりと一さじ、スウプを小さなお唇のあいだに滑り込ませた。ヒラリ、という形容は、お母さまの場合、決して誇張では無い。婦人雑誌などに出ているお食事のいただき方などとは、てんでまるで、違っていらっしゃる。弟の直治なおじがいつか、お酒を飲みながら、姉の私に向ってこう言った事がある。
爵位しゃくいがあるから、貴族だというわけにはいかないんだぜ。爵位が無くても、天爵というものを持っている立派な貴族のひともあるし、おれたちのように爵位だけは持っていても、貴族どころか、賤民せんみんにちかいのもいる。岩島なんてのは(と直治の学友の伯爵のお名前を挙げて)あんなのは、まったく、新宿の遊廓ゆうかくの客引き番頭よりも、もっとげびてる感じじゃねえか。こないだも、柳井やない(と、やはり弟の学友で、子爵の御次男のかたのお名前を挙げて)の兄貴の結婚式に、あんちきしょう、タキシイドなんか着て、なんだってまた、タキシイドなんかを着て来る必要があるんだ、それはまあいいとして、テーブルスピーチの時に、あの野郎、ゴザイマスルという不可思議な言葉をつかったのには、げっとなった。気取るという事は、上品という事と、ぜんぜん無関係なあさましい虚勢だ。高等御おん下宿と書いてある看板が本郷あたりによくあったものだけれども、じっさい華族なんてものの大部分は、高等御乞食おんこじきとでもいったようなものなんだ。しんの貴族は、あんな岩島みたいな下手な気取りかたなんか、しやしないよ。おれたちの一族でも、ほんものの貴族は、まあ、ママくらいのものだろう。あれは、ほんものだよ。かなわねえところがある」
 スウプのいただきかたにしても、私たちなら、お皿さらの上にすこしうつむき、そうしてスプウンを横に持ってスウプを掬すくい、スプウンを横にしたまま口元に運んでいただくのだけれども、お母さまは左手のお指を軽くテーブルの縁ふちにかけて、上体をかがめる事も無く、お顔をしゃんと挙げて、お皿をろくに見もせずスプウンを横にしてさっと掬って、それから、燕つばめのように、とでも形容したいくらいに軽く鮮やかにスプウンをお口と直角になるように持ち運んで、スプウンの尖端せんたんから、スウプをお唇のあいだに流し込むのである。そうして、無心そうにあちこち傍見わきみなどなさりながら、ひらりひらりと、まるで小さな翼のようにスプウンをあつかい、スウプを一滴もおこぼしになる事も無いし、吸う音もお皿の音も、ちっともお立てにならぬのだ。それは所謂いわゆる正式礼法にかなったいただき方では無いかも知れないけれども、私の目には、とても可愛かわいらしく、それこそほんものみたいに見える。また、事実、お飲物は、口に流し込むようにしていただいたほうが、不思議なくらいにおいしいものだ。けれども、私は直治の言うような高等御乞食なのだから、お母さまのようにあんなに軽く無雑作むぞうさにスプウンをあやつる事が出来ず、仕方なく、あきらめて、お皿の上にうつむき、所謂正式礼法どおりの陰気ないただき方をしているのである。
 スウプに限らず、お母さまの食事のいただき方は、頗すこぶる礼法にはずれている。お肉が出ると、ナイフとフオクで、さっさと全部小さく切りわけてしまって、それからナイフを捨て、フオクを右手に持ちかえ、その一きれ一きれをフオクに刺してゆっくり楽しそうに召し上がっていらっしゃる。また、骨つきのチキンなど、私たちがお皿を鳴らさずに骨から肉を切りはなすのに苦心している時、お母さまは、平気でひょいと指先で骨のところをつまんで持ち上げ、お口で骨と肉をはなして澄ましていらっしゃる。そんな野蛮な仕草も、お母さまがなさると、可愛らしいばかりか、へんにエロチックにさえ見えるのだから、さすがにほんものは違ったものである。骨つきのチキンの場合だけでなく、お母さまは、ランチのお菜さいのハムやソセージなども、ひょいと指先でつまんで召し上る事さえ時たまある。

ここで描写された「お母さま」の所作は孔子の理想とする『心の欲するところに従えども矩(のり)をこえず』にふさわしいとすら言える。完全な徳性というものを体現しており、そして可憐で美しい。
『斜陽』はこのような美しさをもったものが時代の必然によって破滅していくさまを描いたものだが、偶然かいなか、もし現代においてこのような貴族的美しさを備えている人が存在するかを考えた時、たった一人だけ思い浮かぶ人がいてそれは美智子様なのだよね。どういうわけかそれは「女」なのだ。
そもそも世界最古の小説とも言われる『源氏物語』が女の手になり、かつ主題が真でも善でもなく「美」であるということからしても推して知るべし。
日本的美とはかなり女々しいものなのである。










 

儒教と道教

アラスデア・マッキンタイアは『美徳なき時代』でそうした「不一致」をおおよそ次のように分析する。
マッキンタイアによれば、私たちが実際に住んでいる世界の道徳言語は無秩序に陥っている。伝統的道徳概念の断片を寄せ集めたにすぎないものを各々が手に取るため、道徳的な一致を確保するための合理的な方法がない。実際に道徳的判断がなされる際には「個人」の好みやその時の気分次第になっている。そうした判断は確固たる基準があってなされたものではないため、その態度を合理的に保持することはない。マッキンタイアの主張によると、このような情緒主義が近代社会に蔓延している。情緒主義は倫理思想としては破綻しているのだ。さらにマッキンタイアはこうした多元的な価値観を生んだ背景として啓蒙主義の存在を指摘する。啓蒙主義は、自然的事実から理論を展開したアリストテレスの目的(テロス)を拒否し、道徳を合理的に正当化することを試みる。ディドロとヒュームは情念によって、カントは理性によって、キルケゴールは選択によって人間を基礎づけるが、人間の目的を取り去ってしまった啓蒙主義の企ては首尾一貫性に欠けていたため、失敗せざるをえなかったのだ、とマッキンタイアは述べる。「神の死」によりその混乱はより強くなり、人間は「超人」的態度で道徳的判断を下すことを迫られる。こうした「野蛮と暗黒の時代」を生き抜くためにマッキンタイアは共同体主義(コミュニタリズム)を提唱する。
http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~konokatu/akishino(11-1-29)

アリストテレスの話の最も大きな現代的意義は人間の目的を設定したところにあると考えたが、そのような観点からの論考はすでにいくつかあるようだ。上記の記事はその意味で非常に興味深かった。

等は参考になりそうだ。
面白いのは有名なサンデル教授の理論もアリストテレスから繋がっているらしいことで、そしてここに登場したマッキンタイアと同じく「共同体主義(コミュニタリズム)」に解決をみているのも同じ。サンデル教授によれば現在我々の取りうる立場には、功利主義リベラリズムリバタリアニズム、そして共同体主義しかなくまぁ共同体主義が一番いいよね、ということで「最高善」ならぬ「共通善」というものをその理論の中心としているらしい。
とりあえずこのような大きな流れがあるということを頭の隅に留めて、ここでは別な観点から考えてみる。


アリストテレス孔子の共通点は中庸の徳だけではない。
そもそも彼らが「ニコマコス倫理学」「論語」において考えているのは理想的な政治の実現であり、そしてそれによってこそ人は幸福に生きられるという問題意識自体が一致している。
ただアリストテレスにとって理想的な政体が現前している「ポリス」にあり、その中でどのように実現するかという問題設定だったのに対し、孔子の時代は春秋戦国時代末期の乱世にあり、理想的な政体は今は失われてしまったかつての美しい国「周」に求められていた点だ。そのため孔子は自分の理想を実現できる国を求めて諸国を放浪し結局見つけられずに死んでいったが、当時どころかその後も儒教の理想を実現した国など結局一度も成立したことはない。このあたり孔子はいわゆる「引き返せない楔」に挑んで敗れた感がある。

1正しい行いをしようと思い、葛藤なしに行える状態。
2不正への誘惑を感じながらも、葛藤するも正しい行いをする状態。
3不正への誘惑を感じ、葛藤しつつ誘惑に負け不正をする状態。
4自ら不正を行い、葛藤がない状態。
http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~konokatu/akishino(11-1-29)

例えばアリストテレスはこのような分類を行い、1を性格の徳として最もすぐれたものと考えたが、これなどは論語の「不惑」「従心」等に近く、このような特性が後天的な修養によって、かつある程度年齢がいかなければ習得できないものと考えていた点も一致している。アリストテレスは子供に幸福は関係なく、若者は情念に従っていて徳など聞く耳を持たず、人生経験を重ねた人間にしか自分の言っていることは分からないと言っている。(他にも家柄や血筋、容姿なども必要とアリストテレスの考えは実に限定的で一部の人間にしか達成されえない)
他にも「素材が許す以上の厳密性を求めるべきではない」とアリストテレスは思索に大きな制限を設けているが、孔子でいえばこれは「怪力乱神を語らず」に当たる。この制限というものは現代においてなんらかの理想や目的を設定するにあたって非常に重要なものだと思われ、結局はどのような制限を設けるか、に行き着く問題だとオレは思っている。


そして両者の関係を別な視点から浮かび上がらせるのは老子によるとされる「道徳経」だろう。
「無知無欲」「無為自然」などの道教の中心的な考え方は、儒教の人為的なコントロールによる政治に対する批判的精神からでてきたものとも言われる。
アリストテレスが徳を人間の動物に対する卓越性として意味づけし、人間的な部分にこそより価値を感じ例えば最高の徳を知的活動(観照)に置いていることを考えると、老子が間逆の考えを持っていることは明らかだろう。なにより老子にとっての理想は赤子や幼児のように世界を体験することであり、アリストテレスが子供に幸福は関係ないと言っているのと実に対照的。
老子にとって人間の幸福とは腹が満たされて頑強な肉体を持っていればそれでいい、という実にシンプルなものだ。政治的には一種の無政府主義アナーキズムなのだろうが、ただアリストテレスもそもそもあらゆる人間の行動に善への希求があるとしてるので、このような教育などの方向付けのない自然状態という立場を否定するものでもないと思う。つまりほっといてもある程度の善は達成されうる。アリストテレス孔子が求めたのはより素晴らしく理想的な人間のあり方である。
さらに「善」について老子は面白いことを言っている。
お酒の名前にもある「上善水の如し」だ。最も良い善とは水のような「働き」をするものであると。水は一見当たり前のように存在しているが、おおむね人間にとって良い働きしかせず、反作用や副作用がないに等しい。善が時として他の誰かにとって迷惑極まりない行為に至ることを考えるとこの意味するところはよく分かるし、なによりこれは非常に中間的な定義だ。最も良い善がここではまるで中庸の徳に適ったものとして提出されている。水は多すぎれば洪水大雨などの天災ともなり、少なければ飢えて死ぬ。


これは最初のアリストテレスへの疑義である「なぜ善は最高善を目指し、ちょうど良い善ではいけないのか」に通ずるのだが、おそらく東洋人もしくは日本人にとって善は人間の目的とまでいえる地位がないのである。アリストテレスの考えは過剰で着いていけない面が多々あるが、それは最初の大前提になる「最高善=究極の目的、幸福」に無理があるからだ。
今の段階で善に替わりうるものとして、オレに考えられるのは「義」ないし「誇り」である。どこまで射程のあるものかは分からないが、少なくとも日本人でも動かしえるものとして「義」はあり、例えばある意味究極の目的を設定し邁進した第二次世界大戦における日本人の感性にも「義」は見られると思う。植民地にされ好き放題されていたアジアのため、などのロジックがそうだろうが少なくとも善ではなかっただろう。
そこに見られる大きな違いは積極性の有無である。善が積極的に選択され行為されるのに対し、義はあくまで起こったことへのリアクションとして行為される。忠義であれば恩義ある人の命令に従うか否かという局面で問題となる。義勇軍なら、何らかの紛争や動乱がまず起こって、それに対する自発的組織化として立ち現れる。
日本の歴史から考えると「義」を成立させ、それによって駆動していた存在は武士だろう。アリストテレスの考えはある意味エリート主義であるが、武士は大体人口の5パーセントぐらいで、貴族とは違った様々な徳性が認められる。その最も大きなもので民衆からの支持、敬意の前提となっていたのは、彼らが実にあっけなく死んでいく様だっただろう。
最高善、究極の目的はそれがなんであるにせよ、結局はその為に命を掛けられるか否かによって判別される。アリストテレスは病気になれば健康がその人の幸福で目的になる、と言っているがそこで問われているのは「生き残ること」と「幸福」の対立だろう。「生存」が脅威に晒された時に失われてしまう程度のものに究極の目的たる資格はない。
逆に言うなら生き残ることが目的であるならばこのような話は一切必要ない。アリストテレス孔子がある程度年齢を重ねなければ無理だと考える一因でもあるだろう。若いうちは生きることそのものに忙しすぎる。この話は老境に差し掛かった人かあるいは若いうちから人生に意味も価値も感じられない人に対して向けられている。これもまた必要な「制限」であるだろう。