(意志の力で)定時起床。食器の片付け。
There's a riot goin' on.
アメリカのコロンビア大学やUCLAその他の大学のキャンパスでイスラエル支持派とパレスチナ支持派の間で暴力的な衝突が生じているようだ。
しばらくさぼっていたので、(意志の力で)いくつかの団体に寄付。
二度寝。起きてちょっと某翻訳チェック。
シリアル、朝刊。覆面…覆面…哲学者? 教員も希望に応じて覆面でやらせてもらえんかな。
長谷川宏氏は1940年4月1日生まれで、某名誉教授より一年先に東大(文I)に入っているのか。哲学科に入り、3年生のときに国会突入と。There was a riot goin' on.
米国では相変わらず大学で暴動が起きているのに、日本では60年代のようなことは基本的に過去のものになっているというのは何なんだろうな。
身支度して大学へ。自転車で東大路を全速力で北上して、危うく心臓発作を起こしそうになる。あとで見たら心拍数は163まで行っていたようだ。運動不足。
某オンライン打ち合わせ。某学会大会のこと、某労使交渉など。
Macのユニバーサルアクセス、ときどき切れるのも不便だが、bluetoothで繋いで再生している音楽と干渉するのは困るな。いろいろ古いのが問題なのかもしれないが、対処の仕方がわからない。
そろそろお昼に行くか。
ホッブズの愚者か。そういえば、センの『合理的な愚か者』、私の研究室から失くなって久しいので、絶版になる前に再購入しておくか…
某組合の仕事。humani nil a me alienum puto...
とりあえず百万遍の某サイゼに。誤判論の「取り返しのつかなさ」で論文が一本書けそうな気がしてきたな…
(逃避的に)某原稿の第5講を書き出す。ミルの『自由論』第四章の話なわけだが、ここもやはり面白いな。つい長居してしまう。そろそろ戻って某申請書の仕事をしよう。
少し一服していたらあっという間に夕方。某申請書の作業をしないと。
まだ夕方。がんばって某申請書関係の仕事をしている。年を取ったせいなのか、この手の申請書を作成するのが精神的に辛い。
でもまあなぜ辛いのかというと、年を取って気力がないというよりは、科研費申請のシーズンがずれたりしていて、新学期始めのこの時期に書くのが辛いというのもある。この種目に関しては、GWをはさんでいるのでまだましだが。とにかく、半年以上先の将来のために今研究費の申請書を書いて苦労するというのは、ハトのような脳しかない私には辛い作業です。
一人だけで申請するのならまだ楽なのだが、いろんな人から同意を取るとかいうのも心理的な障壁になっている。けど、楽しく共同研究するためにはがんばらないといけない。そう、これは自分の快楽のためにやっているのではなく、若手研究者や、立派な研究成果によって大勢の人を助けるためにやっているのだということを認識すべし。
Too much monkey business for me to be involved in!
などと文句を言っていないで、外国人研究者に連絡を取るメールを書こう。
夜、ビールの魔力も借りながら、外国人研究者にメールを書いて出す作業。英語だと失礼な文章になっていないか、日本語よりも気を使う。とりあえず半分やったので、あと半分は明日の朝にやろう。
帰宅。夕食。少し『寄生獣』の続きを見る。
「普通規範」(普通になりたい、普通で居続けたい)というのは強力で、どうやってそこから抜け出られるのかわからないぐらいだ。そこから抜け出ても、次は「自然規範」に囚われる人もいる。
夜中、面白いので某原稿の続き。『自由論』の第四章のimprudentな人への社会的制裁と、immoralな人への(刑罰とは区別される)社会的制裁の区別は難しいな。かなり似た行為がある気がする。たとえば後者における不買運動など。
シャワーを浴びたら寝るべし。
夫婦別姓についての関西弁での対話
内閣府の調査に挙がっている反対論について少しだけ頭の整理をしておく。
夫婦・親子の名字・姓が違うことによる、夫婦を中心とする家族の一体感・きずなへの影響の有無について、どのように思うか聞いたところ、「家族の一体感・きずなが弱まると思う」と答えた者の割合が37.8%、「家族の一体感・きずなには影響がないと思う」と答えた者の割合が61.6%となっている。
「これはやな、家族の一体感やきずなが弱まると思う人は、夫婦別姓にしなければええ話で、そう思わんカップルに夫婦別姓を禁止して夫婦同姓を強制する理由にはならんやろ。それこそ余計なお世話やろ」
「まあそうですね」
夫婦の名字・姓が違うことによる、配偶者の父母との関係への影響の有無について、どのように思うか聞いたところ、「配偶者の父母との関係を大切にしなくなるといった影響があると思う」と答えた者の割合が19.2%、「配偶者の父母との関係には影響はないと思う」と答えた者の割合が80.3%となっている。
「これはもうあれやな。日本人みんなが佐藤になったら日本で喧嘩も戦争もなくなるっちゅう。しかし、これもその家族で決めればええ話であって、国民全体に夫婦同姓を強制する理由にはならんやろ。」
「たしかにそうですね」
夫婦の名字・姓が違うことによる、夫婦の間の子どもへの影響の有無について、どのように思うか聞いたところ、「子どもにとって好ましくない影響があると思う」と答えた者の割合が69.0%、「子どもに影響はないと思う」と答えた者の割合が30.3%となっている。
「これは子どもは同意できないから、親が子どもに不利益なことをするのであれば、Parens patriaeとして国は介入しますよ、ということですよね。これはどうですか」
「そうやなあ。けど、どんな好ましうないことがあんの?」
「それも内閣府の調査で尋ねてますね」
「子どもにとって好ましくない影響があると思う」と答えた者(1,989人)に、夫婦の間の子どもにとって好ましくない影響があるとの意見の中において、影響があると思うものを聞いたところ、「友人から親と名字・姓が異なることを指摘されて、嫌な思いをするなどして、対人関係で心理的負担が生じる」を挙げた者の割合が78.6%と最も高く、以下、「名字・姓の異なる親との関係で違和感や不安感を覚える」(60.1%)、「家族の一体感が失われて子の健全な育成が阻害される」(23.1%)の順となっている。(複数回答)
「最初のは、周りにいじめられるいう話やけど、これは親が悪いんじゃなくて、いじめる方が悪いんやろう。これが通るんだったら、離婚も禁止せんとあかんのとちゃう? 離婚について内閣府が調査したら、絶対同じ意見が出るやろ」
「まあそうですね」
「二つ目は、おそらく親がよく子どもに説明したらよい話やし、三つめは、そもそも家族の一体感が失われへんと思てるカップルだけが夫婦別姓を選ぶんやったら、そんな問題は生じへんのとちゃうの」
「そうですね。もう思い切って、名字を廃止したらどうですかね。さとし、だけで」
「そうやな、そしたら日本中のさとしさんとの連帯感も深まるしな」
「……。上の二人は家制度の何たるかがわかっとらんっ。家が真の実在であり、個人などというものは仮象にすぎない。個人などというものは家存続のための手段であり束の間の存在にすぎんのだ!!」
そういえば、最近買った本。
キューンのカント本よりも分厚くて容易には持ち歩けない。Kindleで出してほしい。翻訳がないのはなぜ?
これは自伝。こんな本があることに気付かなったが、先日、人と未来防災センターに行ったときに某氏に教えてもらった。
意図主義と反意図主義を勉強せねばと思って。そういえば、昨晩某論文を読んでいて「人生の意味は何ですか」というのと、「この本の意味は何ですか」というのは似ている、ということに気付いた。伝記や自伝によって本の理解が進むという場合は、この後者の意味が関係していそうだ。What's it all about?
買おうと思ったまま「あとで買う」リストに入れっぱなしだった。私も関心のある死刑の議論と刑罰理論の話を結びつけて論じており、ちゃんと読むべき本。