軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

「操縦学生の人相」と「軍隊の組成」を見る

「尊富士」関の優勝でスポーツ面は大いに沸いたが、残念なことに、「野球の神様」に近い大谷選手には災難が降りかかった騒ぎになっている。全国、いや、全世界の青少年たちのあこがれである大谷選手の「通訳」たる水原一平氏の賭博騒ぎだが、今日の会見で大谷選手はきっぱりと「関係を否定」したにもかかわらず、一部のメディアは騒ぎを“面白くする?”ためか、しつこく追及している。

 戦闘機操縦教官を4年以上も務めた体験がある私としては、彼のような“健全な好青年”が彼のような“得体のしれない不健全な”青年と知り合ったのか、が不思議でならない。誰かに仕組まれた?とは思えないが、人相を見れば誰もが“感じる”だろうに。 

 戦闘機操縦‟術”で肝心なものは、人相である、と私は思っている。

それはパイロットに合格させた場合、部隊に出て単独になると、親身に世話してもらえなくなるから、学生時代にその体験がない者は、やがて個人として道を踏み外す(事故死)例が多いのである。

 これは私だけではなく、当時教官であった多くの仲間たちが感じていることであり、事故報道が伝わると、教官室には何人かの仲間が集まり「彼の教官は?」と詮索が始まったものだが、やがて当該人物の名を知った元教官は「あいつか!」と絶句して、一人で悔やむことがある。そして聞いてみるとその兆候は教育中からあったことが分かるのである。「あの時首にしておけばよかった…」と決心が付かずに卒業させてしまったことを当該教官は悔やんだものだが、おいそれとは首にできないものだ。学生の人生がかかっているから簡単には決心できないのだ。空中で、互いに命をかけて訓練してきた者にしか理解できない私たちの体験だ。

 すでに退官して30年以上過ぎた私には、未だにその時の「人相」を判別する癖がついていて、しかもそれがよくあたる(と自覚している)口にはやすやすとは出さないが・・・。

 その意味では大谷選手には気が付かなかった‟落ち度”があったのかもしれない、と言っても過言ではなかろう。

 元通訳の人相には‟陰り”があり、目に落ち着きがなく濁っている。どういう経緯で大谷選手と知り合ったのか?と前から不思議に思っていたが、今回、とうとう化けの皮がはがれたのだと言えましまいか?。

 ギャンブルは、麻薬と同様「癖」であるから一朝一夕には治らない。

 私が退官して「一般人」になった時に、多くの方々と知り合い、グループに誘われたこともあったが、「自衛隊」という健康な組織から出て見た「外部の姿」は、「何とサギ(それもクロサギ)が多く飛んでいるのだろう」というに尽きた。まんまと騙されそうになったこともある。「紹介した先生に迷惑が掛からなかったことが幸い」であったが、それ以降は十分に気を付けたものである。

 金銭問題は「貧乏自衛官」だったからなかったが、仕事などに名前を利用されそうになったことはあった。

 そんな私だから、この問題には大いに興味がある。大谷選手に悪影響が起きないことを祈るしかない。

 

 ところで一気に国際問題に飛ぶが、今大きな話題はロシアにおけるテロ攻撃だろう。ロシア大統領・プーチン氏は早速敵対している「ウクライナ」に話題をそらした。ウクライナ犯人説である。

 自分の方が攻め込んで、多くのウクライナ人を殺戮している事などはみじんも公表する事なく、犠牲者たるゼレンスキー氏に責任を押しつけるなんぞ、さすがは「世界の指導者」だが見苦しいと言わざるを得ない。

 しかし、P氏はすでに忘れているだろうが、この問題の背景には「ソ連アフガニスタン侵攻」問題があるのである。

 そしてその後2021年8月にアフガニスタンで戦闘行動を継続していた米国が、アフガニスタンから、武器をまるごと捨てて撤退した。バイデン大統領である。この時米国のあまりに無様な撤退に多くの非難が各方面から上がったが、それは多くの最新兵器を遺棄して逃げたからで、米国が供与してきたアフガニスタンの「正規軍」からタリバンにわたったからである。つまり、「チンドン屋」の様に形だけ保っていた「アフガニスタン政府軍」を構成していたのは、金だけが目当ての雑兵が殆どだったからであった。

 

 私は「操縦学生の人相」に関心があると言ったが、「人相」は旧帝国海軍の操縦者育成にも「適用」されていて、資料によると80%の的中率があったという。

 もう一つ私が見ているのは「軍隊の組成」であり、特に近隣諸国に関心を持ってみている。人民解放軍は?_韓国軍は? ロシア軍は?というわけだが、超大国と言われたソ連軍(今のロシア軍)を見ればわかるだろう。

 言ってみれば「大国軍」とは何ぞや??というわけだ。

 

 大陸国には、未だに「山賊、蕃族に近い少数派武装集団が群雄割拠している」と言っても過言ではないのだ。

 それに比べて…憲法?で武装を禁じられている、と思い込んでいる日本国の現状が、情けなくて仕方ない。

 かっては4年間も「世界」を相手に「特攻隊」まで繰り出して日本人は戦ったのだが、今やその気力もない。

 あの“天下の”米国でさえも、軍内部には“男女平等”などで「衰え」が目立っているから心配なのだが、岸田首相は気が付いてないと思われる。

 それにしても、今回のいち国会議員の“去りざま”を見るがよい。ちんけなローカルヤクザじゃないか!

 

 英霊方の嘆きが聞こえるが、国会はもとより、地方議会もその名の通り「痴呆」だから頼りにならない。

 明治も昭和も、実に遠くなったものだ…

 

 

 

「尊富士」関の110年ぶりの新入幕優勝を祝す

今日は率直に「尊富士」の優勝を褒めたい。

 前日の「朝の山」との対戦で負傷したので、千秋楽の出場は無理か?と思っていたが、新聞によると「ここでやめたら『悔いが残る』との思いから、出場を直訴した」というからなおさら嬉しかった。根性がある!

 横綱照ノ富士に「お前ならできる」と声をかけられたのも、決意の一助になったようだが、「この怪我で相撲を取れないと男じゃないと思った」というのも嬉しい。

 とにかく最近は我が国の「若い男に意気地がない」のが目立ちすぎる。草食系・・と言われるゆえんだろうが、「憲法で戦うことを禁じられているからか?」と疑いたくなるほどで、それほど男がだらしなく私には感じられていた。

 照れくさそうに?話す母親との姿もいい。

 下の写真にある祖父母も嬉しかっただろう。この照れたような笑みで、彼が津軽人らしい「じょっぱり」だとよくわかり親しみが持てる。

 私も現役時代三沢基地に通算3年間住み、五所川原市も上空からはもとより、よく知っているから尚更だ。本当におめでとうと言いたい。

 

 今日の産経抄氏は「尊富士」の「しこ名」の由来を含めて良いことを書いているから、はなむけに掲載しておきたい。おめでとう!

ロシアでテロ~115人死亡説

令和6年は甲辰の歳、つまり物事の最初と、成長を意味した年だと言われる。事実、1月1日には能登で大地震が起きたし、今年は良かれ悪しかれ、時代に大きなうねりが生じる予感があったが、それを飛躍の年にするかどうかは、いつに活きている人間そのものの自覚によるだろう。

 子細なことだが、私はそんな観点から「神事である大相撲」を眺めているのだが、気のせいか近年“外人力士”が上位を占めてきたことに“違和感”を覚えていた。ところが今場所は、新入幕の前頭17枚目(最下位)の尊富士の健闘に驚いた。

 11枚目の大の里の躍進にも目を見張ったが、今回の尊富士の躍進はそれ以上に目立つ。

 それに比べて上位力士達のふがいないことに「時代の流れ」を感じたのだが、ここにきて尊富士にアクシデントが起きた。さて千秋楽がどうなるかに関心が高まる。

 スポーツ界にも世代交代の波が押し寄せていて、選手の若返り交代は目覚ましい。 

 良い方向に変化してほしいものだが、政治の世界は世界中で停滞し、混乱を助長させている。その最たるものが「ロシアのウクライナ侵攻」だが、とうとうロシアにも重大なテロ事件が発生して、今朝の新聞報道によれば「ロシアの首都モスクワ郊外の大規模コンサート施設「クロッカスシティホール」に22日夜(日本時間23日未明)、自動小銃を持った数人の武装グループが侵入し、市民に対して無差別に発砲した。発砲と前後し、施設では大規模な火災も起きた。露捜査当局は23日未明、死者数が60人超になったと発表した。死者数は今後、さらに増える可能性がある(115人死亡)という。タス通信が伝えた。」とある。

 “やらせ”選挙に「圧勝したプーチン氏」としては穏やかではおれまい。さてこれがロシア国内でどう動くか見ものである。

 

 イスラエルでも戦闘が続いているが、これを仕掛けたのは「ハマス」だから、火種を絶つべき立場にあるネタニヤフ氏としてはやすやすと矛を収められまい。イスラエルでも「ハマスに第2のプーチン」が生まれそうな雰囲気である。

 

 そこで我が国だが、未だに自民党内がぎくしゃくしていて、どんどん党勢が衰えているようだが、今朝の産経の「国境が消える」欄に、「警句」が出ていた。

 中国系資本による「合法的経済侵攻」宮本雅史編集委員は書いたが、言いえて妙である。そして“それに加担している”のが、何あろう、日本人そのものだから「手の打ちようがない」わけだ。

 3面の左柱にその続きが出ているが、「日中友好掲げ『非軍事侵攻』と見出しにある。「空自基地周辺でも展開」と記事にはあるが、北海道はもとより、米軍の存在でかろうじて平穏が保たれている沖縄などは、知事そのものが篭絡されていて、日本の地方自治体だとはとても思えない。第一そんな異変に気が付かないのが「平和を愛する日本国民」なのだ。

 

 その右隣に「防大の卒業式」での岸田首相が「諸君の存在が抑止力」などと述べたことが出ているが、「武力侵攻」だけを想定しているのだとしたら、判断を誤るのじゃないか?ロシアは「自業自得」だとしても。

 

 国防をないがしろにした自民党じゃおぼつかない。「しっかりした政治力=政治家の存在」こそ「抑止力」だろう。

 防大生も「帽子投げ」している場合じゃないだろうに…

北陸新幹線延伸と教皇の白旗発言

 天気も良く、気温も上がったので、いよいよ春到来!の季節になった。震災の復興に励んでいる北陸は、気が滅入る毎日だろうが、徐々に復興の兆しが感じられることは嬉しいことである。

それに加えて明日から「北陸新幹線が、金沢から敦賀へ延長されて開通する」。被災者も少しの間、気が晴れるだろう。

 九州新幹線の開通に合わせて、ブルーインパルスが飛行して勇気づけたが、これは「私の中学時代の同級生」の発案だった。

 偶々電話で、ブルーの展示飛行が出来ないものか?と尋ねられたので、元広報室長として「スケジュールが空いていれば無理ではない」と答えたところ、彼は友人らと「今から西空司令部を表敬するのだが、司令官に言ってもいいだろうか?」というから、「丁度よい、お願いしてみては?。彼が調べて調整してくれるだろうから」と答えた。

 そしてその通りになったので、福岡の仲間たちは大喜び、事実、ブルーは芦屋基地に移動して、前日のリハーサルに合わせて歩行したから、九州ではこの話で持ち切りだった。

 

 私はすでに「どこの派閥」にも所属していない「退役した一OB」の身分だったから、直接後輩たちを煩わせてはいない。

しかし、これには思わぬ「余禄」がついて、ブルーが生き残ったのであった。翌日が3・11だったのである。

 予備機として松島に残っていた1機は被災してしまったが・・・

その後松島基地は大きな被害を被ったので、芦屋基地を根拠地にして、ブルーは活動したのである。何が幸・不幸を分けるか分からないものだ、と痛感した。

 基地司令として、老朽化した三菱のT-2型機から、川重のT-4型機に転換させる任務を帯びていた当時の私の唯一?の功績かもしれない(笑い)、しかし、そんな裏話を知っている者も少なくなっただろうな~

ところで私は、退役後は「軍事評論家」としてブログを立ち上げ、時折記事を書いてきたが、昨年夏に「心不全」で入院した以降、体力がいまいち回復しない。そのくせ年だけは着実に加わっていくから、老けるばかりである。早く暖かくなって、昔のようにウォーキングに励みたいのだが、今のところそれもままならない。

 週一回のリハビリ訓練は強制されたものだから効果は上がっているが、昔に比べると雲泥の差、しかも「軍事」よりも「老人問題」に関心が向き、「軍事評論家」という肩書を返上したくなる時さえある。

 

 今やTVと新聞が大きな情報源だが、それにしても実に「くだらない」事が多すぎる。わが国は、時々刻々と進んでいる国際情勢から、大きく後れを取っていて、弱小国から舐められるだけの国会の動きは「唾棄すべき」ものに近い。

 それに今度は、裸女と戯れる代議士らが出てきたから、所詮国会とは「ガーシー」程度の知力しかない者たちの集まりだということが確認できた。

 今の我が国では、働かないものが高給を取り、真面目に生きている者が「割を食っている」ように思えてならない。いっそのこと「老人問題評論家」とでも肩書を変えようか…

 

 しかし、外に目を向けると、まだまだ広いが狂っている世界が見えてくる。わが国の「政治問題」なんぞ、幼稚園のお遊戯程度に過ぎない。

 TVも取るに足らないものが多いから、ケーブルTVで外国もの、と言っても「凄腕動物ドクター」「英国ミステリー」などを見るのだが、見ていると、動物にも「喜怒哀楽」があることが分かってくる。おそらくポール博士や女医さん方と動物たちとは、意思疎通しているのじゃなかろうか?と思うようになってきた。

 それに比べて“人間たち”には「邪気」が多いし強すぎる。弱肉強食が動物の世界の常態というが、人間の方が弱肉強食であり、陰湿であり、儲け主義である。

 ところで世界の宗教の先頭に立って「平和を唱えている」、とされるローマ教皇の次の発言は、他の民族にいたずらに「誤解」を植え付け、新しく闘争を招くのじゃなかろうか?と危惧する。「教皇」は己の立場をわきまえて欲しいという声が強まるだろう。少なくとも「異宗教信者」達からは。

 早速ポーランドの外相からは「プーチンウクライナから軍を撤退する勇気を持つよう促してはどうか」とクレームがついたが、教皇庁の弁解は見苦しい。これが「世界の宗教の一面」なのだろう。 

 教皇庁といえども「人間集団」、やはり「評判」と「収入源」を気にするからこういう発言になるのだろうが、それにしても軽率のそしりは免れまい。ポール博士の病院に入院している動物たちに意見が聞いてみたいものである。

 

わが国で効果がない「軍事」を解説するよりも、この方がよほど面白いと思うようになってきた。

 

邦画2作がアカデミー賞を受賞

 今朝の新聞に「邦画2作がアカデミー賞」を受賞したと出ていた。偶々、十日の新聞一面で「ゴジラ―1・0・・・戦え日本」という谷本真由美女史の記事が出ていたが、映画を見ていないからよくわからなかったが、彼女が「この映画は創意工夫」が凝らされていて「ハリウッドであれば何倍もの予算と人員をかける部分を(日本人は)工夫で乗り切っていたのだ」と評価し、世界には「日本人が作り上げたものを愛する人が大勢いる」と、労働力不足などで苦しむ「ピンチこそ『創意工夫の機会』ととらえて知恵を駆使して世界に挑戦していくべきだ。」と書いていたことに同感していたから、今朝の新聞を見て納得がいった。久しぶりの快挙であろう。

 連日報道されるニュースを見ていると、政界のだらしなさや、財界人の、進歩の知恵のなさにわが国の先行きは暗いが、今回のアカデミー賞受賞作品が、「低予算、少人数で作ったのに、その効果の完成度がずば抜けて高かった」とする映画評論家の言葉を引き、「技術力と作家性が世界に感銘を与えた」とする今回の記事は明るいニュースである。

 

「国際化?」か何だか知らないが、とにかく「金がなければ何もできない」ように思い込んでいる最近の日本人に「喝を入れた」ことはうれしい。

 私が子供のころは、敗戦直後ということもあって「米国の強大な物資に負けた」と大人たちが悔しがっていた事は覚えていたものだが、「知恵が足りなかった」?というべきじゃなかったのか?と思う。

 事実その「強大な」米国は昭和50年に小国・ベトナムに敗戦したじゃないか! 確かに金は物事を左右する大きな力であるが、貧乏「自衛隊」で過ごしてきた私にとっては、部隊に金がないことは常態であって、その中で「創意工夫」を尽くすよう指導されてきたから、今の財界人のように、最初から金がなければ生きていけないような発言をすることには抵抗を感じる。

 私のころも「メイドインジャパン」は世界を制していたはずだ。それが怪しい?「西欧化という用語」に刺激されて以降、その精神がなくなって、シナに追い抜かれ?ドイツに抜かれた…などと騒いでいるだけの事じゃないか?

少し、腰を落ち着けて物事を見ることだろう。立派なご先祖様を頂いている国だということを最近忘れているような気がする。

 

 日本人独特の「職人芸」はまだ廃れてはいないのだ。その例として、漫画家・鳥山明氏の評価はアルゼンチンでも国民に偲ばれているというではないか!

「アニメの世界」が、戦いを忘れて自信を失った「平和国家日本の男ども」の“名誉”をかろうじて守っているかのようだ。

 オレオレ詐欺にうつつを抜かして「東南アジア」に逃亡し、頭の悪さを世界に広めたり、国内でも「スケベ心丸出し」で、人間の品位を落としている若造連中に、真の日本人の精神を誤解されてはなるまい。

13年目の3・11を迎えて

今日は、例の「3・11」から13年経った当日に当たる。今年は「1・1」能登半島地震に打ち消されて、記憶から遠のいていたが、13年前の私のブログを読み返して、当時を振り返ってみたい。

 当時は、自堕落だった自民党政府が、野党の「民主党」に政権を奪われていて、驚くべき“人材”が指揮を執るという、最も悲惨な時だったが、大方の国民はすでにその‟不幸”を忘れている。中には「現政権の乱れから」その復活?を期待しているというから、話にならない。尤もそれは、今の政府も当時と同様にあまりにもだらしなく、責任感が欠如しているからだろう。いい機会だから、私も“反省のために”13年前の記事を読み返してみようと思う。

 

【2011年3月10日の記事=大地震お見舞い】

 3月10日午後、戦略研究会に出席するため、平河町まで出かけたが、珍しく地下鉄の

中で「携帯」が入った。見ると石巻の神主さんからで、半蔵門出てから連絡すると、「司令さん、いよいよ始まりますよ〜。福島沖、群馬、新潟…、地震と大津波で大変なことになります。馬鹿なことばかりしているだらしない政府を早く変えないととんでもないことになる…」とのことだった。
 すでに昨年暮れの大祓の儀で聞いていたことだったから私は「それよりアフリカなどの暴動の方はどうなりますか?」と聞いた。
「旧世界は変化して、王政などが大きく転換する」とのことだったから、「いよいよ新しい時代の始まりですね〜」と言って電話を切った。

 そして11日午後、ブログを書き終えて書斎整理をしようと一服していた時に激しい揺れが襲ってきた。天井の電灯が激しく揺れ、テレビ棚の上の装飾品がガタガタ音を立て、数個床に落ちて破損した。
 揺れが一段落したので階下に降り、被害確認のため家を一周しウッドデッキに出ると、家内が丹精込めたバラの植木鉢3個が破損していただけで被害軽微。ガスは自動的に切れ、近代設備の有効性を確認したが、買い置きの水と懐中電灯を準備、居間に戻ってテレビを見ると既に被害情報で氾濫していた。
 地震予知連絡協議会や携帯電話などは、いざとなると頼るに足らず、と思っていたが、やはり有効に機能しなかった。

 自らの身は自ら守り、知恵を最大限に活用するのが生きるための鉄則これは墜落した際のパイロットのサバイバルの原点でもあるが、TV画面を見た限りでは、死者千人を超える大災害になる、と直感した。

 以前から私はこのことあるを予見し、政府のお遊びごとに愛想が尽きていたのだが、やはり現実にならないとわからないらしい。
 揺れを感じて初めて「経験がない」素人たちは右往左往、その中で3自衛隊が独自に活動を開始したのがせめてもの慰めだった。シビリアンコントロールが適切に機能したのかどうか?(以下省略)

 

 備えあれば憂いなし!は、いつの世にも通じる警告の句である。

 今では東北地方は、なんとなく通常に戻った感があるが、北陸地方は真っただ中にある。この時もそうだったが今も、「政府は国民の立場に立ってはいない」ようだ。

 これは‟お人好し日本人”の「宿命」なのかもしれない。

85歳を迎えリハビリ中の「一老兵」には、お役に立てないことが何とももどかしい。

 

 

 

閑話休題

 各週半日のリハビリ訓練中だが、やはり「強制されないと」人は動かないことが体験できた。指導員の適切な指導で、身体を動かすことは重要である。体重も4キロほど回復したし、暖かくなったら近距離のウォーキングを再開しようと思っている。

 今日は気温も穏やかで、動きやすいこともあり、混迷を深めるロシア情勢やウクライナ情勢など、ストレスがたまる国際・国内情勢を離れて、子供の時の「思い出」に重なる記事を書いてみたい。つまり今日のブログは「閑話休題」というところだ。

 今朝の産経新聞「日米友情人形」という記事を見つけた。

 私事だが退院後の「孤独老人の健康」を気にして、毎晩夜になると“かわいい10歳の孫娘”からスマホが届く。

 内容は彼女のその日の夕食報告後、「おじちゃんは?」とくるから私の夕食メニューを答えるのだが、時々内容を間違えることがある。

「いや~ボケが始まったか?」と思うことがあるが、案外食べたばかりの献立を忘れるので、驚きだ。

 それは「健康確保のための減塩食」を取り寄せて「チンして食べる」だけのことが多いからかもしれない(などと言い訳している)。

 その後彼女からハーモニカ演奏要求が来るのだが、気が付いたのは「老人会」で私たちが“歌っている”曲名をほとんど彼女は知らないということだ。

 アニメソングや、現代の曲は知っているが、「小学唱歌」はほとんどなじみがない。「時代だなあ~」と思わされるが、私たちの老人会では、みんなが懐かしがり、一斉に斉唱する懐かしい歌は彼女には縁遠いものが多い。良いものは良いはずだ。

 最近では「学校も変わったなあ~」と認識を改めているのだが、しかし、どう考えても「老人たち」が未だに忘れていない‟名曲”には快い響きと、胸に迫る内容があるが、アニメソングなどには「縁遠いせいか」なじめない。

 昔母から「子供は流行歌は歌わないように!」ときつくいわれたものだったが・・・

 そんなことで「日本の心をうたう『日本の叙情歌』」という本を買い求めて次々に、“強引に”片っ端から演奏していると、彼女も次第に慣れてきたらしく「おじちゃん上手!」と褒めてくれるようになったからうれしい!。

 そこに今回の記事がでたので、今日は「青い目のお人形」の歌を‟解説”してやろうかと思う。

 この歌は、大正末期に起きた「事実」に基づき、歌は大正12年12月に野口雨情が作詞、本居長世が作曲したできたものらしい。

 

 このころの歌としてこれに似ているのは「赤い靴」だが、これもこの二人が作詞作曲したものだから、感じが似ているのだろう。どことなく楽しい中に哀愁があり、当時の子供たちに好かれていたことだろう。

 

 前述の「青い目の人形」に対しては、日本側は「答礼人形」を米国側に贈ったと記事にはある。

 今の世界情勢では考えられない?ことのように思われるが、大正時代には、日米関係はこうだったのだ、という見本でもある。

 今や「インターネットの世界」、瞬時にして情報が相手方は元より、世界中に広まる。しかも相手方を貶めようとする情報工作が頻繁である…。

 

 世界が狭まった証拠かもしれないが、本当に「それで人間は幸せ」なのだろうか?

【狭い地球、そんなに急いでどこに行く?】と言う時代ではないようだが、人間性という面では何かをどこかに置き忘れてきたように思う。便利にはなった?が、どこかせわしく殺伐としていて、「人間の生きる世界」ではなくなってきたような気がするのだが…

 

 

届いた本のご紹介

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『日本では報道されない・世界のファクト(谷本真由美著:WAC) ¥1000+税』

知人から贈られてきたもの。現実の世界はこの通りだ。日本のメディアもその点では規模が小さいだけで、内容は同じだろう。手ごろだからご一読あれ!