ハイニッカ/ニッカウヰスキー
ちょっと書き込み。というかただいま飲んでます。
最近はお金も節約も兼ねて、このランクのウイスキーを、それこそ月単位で飲んでるような状態なのですが、これは美味しい。
この価格帯のウイスキーだと、ジャパニーズとバーボンのアドバンテージが強い、と言われるようですが、個人的にはこれが今のところ一番。いや、今回がこれ飲むの初めてなんですけどね。 この価格帯になると、いわゆるウイスキーらしいウイスキーというものが中々見つからないものですが、これは実にウイスキーらしい。安ウイスキーにありがちな薄さを感じさせずに、ほのかに香るピートの香りを感じつつ、甘さと辛さといった色んな方向性を味わえるのは、この価格帯では稀少じゃないかと思います。
ちとアルコール入ってるので、言い回しがアレかもしれませんが、嘘はついてないつもりです。飲める人は是非ご賞味あれ。サントリーが角瓶なら、ニッカはハイニッカ、だと。
久しく小説を読んでない
文字通りの話。買いだめした本だけが残ってそれを処理してない状況。その癖新たな本は増えているという。
まあ、といっても増えている本は実用書、新書といった類ですから方向性が違うんですけどね。昔はこっち方面の本は読まなかったものですが、最近になって読むようになりました。向上心の表れなのか、といってもあんまりプラスになるとも考えてないという。結局は娯楽の一種なんでしょうね。
だったら小説でいいじゃん、という声も聞こえてきそうですが、今の私は新書読んでるほうが楽しい、ということなんでしょう。気休めとはいえ、知識が増えるという快感が得られるのは、それはそれで悪くないです。
小説ばっか読んでいた頃は、いつかグインも全巻読んでみたい、とか思ってたものですが、もうそれは叶わぬ夢となりました。次に小説を読むのはいつになるのでしょう。おそらく、ブラッドベリの邦訳かベニ松の新刊かのどっちかが出れば確実に買うでしょうけど。
ある意味、助けになっているのか
コメントスパムはうざったいものですが、否が応でもアンテナに引っかかるので一度は見てしまう。
そうすると前の更新から時間が経っているのがわかるから、なんとなく更新してしまう。
年単位で更新を止めていたときは、まったくといっていいほどスパムに引っかからなかったので、こういう循環は起きなかったわけですな。
スパム自体は鬱陶しいですが、物は考えようってことでしょうか。
こういう観点のデザイン的な意識はもっと増えていいと思う
http://yuzuya.style.coocan.jp/blog/archives/2009/07/25210706.php
まあ表題の通りなんですけど、こういう発掘があればこそ、多くのものが集まるコミケって大事だなぁと思います。いや、今回行けるかどうかかなり微妙なところですけど。
この手のデザインに対する意識というのは、Winユーザーである私などよりもmacユーザーの方があるんでしょうけどね。個人的に、そういう面においてmacというものに興味があります。
こうした部分の価値がより多くの人に認められて、さらに製作者側のインタビューなんかも載ったりしたら面白そうなんですけど、現状では難しいんでしょうかねぇ。神は細部に宿る。私の好きな格言の一つです。
デザイン変えました。そして断り書き
そして変えたところで力尽きる私。こんなもんです。プロフィールのところまで変えたってのに。
プロフィールにも書いてありますが、リニューアルした当はてなでは、過去の文章は予告無く削除します。一応半年以内の文章は自分ルールとして削除しないつもりでいますが、プロフィール内ではあえて書いてないということで、その保障をするつもりもあんまりなかったりします。要は転載推奨ってことですね。
ネットに対するプライオリティの下がった現状において、過去の文責をそこまで背負おうとは思わないから、このあたりは勘弁して下さいといったところです。
まあ、常識の範疇に収めるとは思います。仮にウチが炎上したら、その痕跡はあまさず残すつもりです。ある種の公共性として、残すべきだと考えるからです。
断り書きとしてはそんなものでしょうか。いや、どっかにけんか売るつもりなんて微塵もないですよ?
「など」という言葉の曖昧さ
べき、という言葉を書き込んで思い出したのですが、最近困っているのがこれです。説明するためにちょっと辞書引いてみます。
(1)多くの事柄の中から、主なものを取りあげて「たとえば」の気持ちをこめて例示する。多くの場合、他に同種類のものがあることを言外に含めて言う。「…や…や…など」の形で総括することもある。
http://dictionary.infoseek.co.jp/?ii=1&sm=1&sc=1&gr=ml&qt=%A4%CA%A4%C9&sv=KO&lp=0
ここで困ってしまうのが「多くの場合、他に同種類のものがあることを言外に含めて言う。」という部分です。
この「多くの場合〜〜含めて〜〜」というのは、言い換えればいくつかは含まれないことを言うわけですが、そこがクリアになってくれないと困ることがあったりするのです。とりわけ、自然科学方面の本でこういった表現をされるとたまらないのです。で、実際に識者の方々に尋ねると、「○○を主に他にもある」とか「○○を筆頭に〜〜」と言って補足してくれる。そうすると思ってしまうわけです。著者の人たちもそう書いとけばいいのに、と。
私が神経質すぎるきらいもあるのでしょうが、実際こうしたものは厳密であるべきだと思うのですよ。とりわけ、前段で触れたように自然科学系の本に関しては。
私としては「など」という言葉を使うなとは思いません。多様性はあって然るべきですしね。「など」の曖昧さを、うまく活かした方法はあるだろうし、個人的にはそれを文学的な技術として活かすものがあったら見てみたいくらいです。でも、それは自然科学の範疇ではないだろう、と。文脈を読めばわかる、というのは間違ってないですが、この領域の本では時に文脈から判断しようのないものもあったりするのです。
レポートの書き方の本とかは何冊もあって、私もいくつか借りて読んだりもしますし、ネットで見れるメソッドなんかも見たりしますが、この部分に言及している文章というものを、見たことがない。あれば是非とも教えていただきたいのですが、今のところはないのです。
まあ、そう考えると、結局は私の神経質っぷりが少数派ってっことになってしまうんでしょうかね。でも、絶対いると思うんですよねぇ、学校とかでもこの「など」について、先生に質問してる人。
そうは言いつつも、私も「など」を使って文章を使ってる始末。しかもつい最近の日記で。自分に適用することを考えると、やっぱ適当に折り合いつける方が妥当なんでしょうかね。難しいところです。まあ、強要するつもりは毛頭無いです。現状でも人に聞く、という多少の面倒で済むので、ちょっと困るくらいです。聞く人が周囲にいないとかなり困ってしまうのだけれど。