ひさしぶり

 こいつはただの日記、というほどでもないただのメモ。

 で、何を書こうと思ったのか、ああ、もう忘れてしまった。ひとつながりの物語を書く時間と、何をどう書こうかと考える時間が、いま持てずにいる。もう2年以上、こんな状況が続いていて、わたしはいつか、何も書けなくなってしまうのではないかと恐れている。

 最近、ちょっといい場所を見つけたから、また書くようになったら、そうだね、どうだろう、前とどんなふうに違うことを書くのだろう。わたしは少しは変わったのかな。

 いま読んでいるのは、『コロナ後の世界――いま、この地点から考える』。一つずつ脱稿日が記されている。刻々と変わる世界の中で、今日のその日の思考を書きつけた人たち。

 彼らがこの原稿を書いていたころ、わたしは日々の記録をとることに熱中していた。ただただ過ぎ去る時間、時間といっしょに生きている自分。細胞は少しずつ入れ替わって確実に変わっていっているはずなのに、退屈なぐらい、自分のしていることは変わらなかった。本を読み、テレビを観て、インターネットで読みたいものだけ読む。考えることを拒絶していたのだと思う。疲れていた。考えたりしたら死んじゃうんじゃないかと思ってた。

 最初に、時間がないと書いたけれど、違うんだ。考えたり、考えたことを書いたりしたら死んじゃうしかないんじゃないかと思ってるんだ。だって今より疲れてしまうでしょう。

 

 ぼちぼちと、吐く。ひとつながりの物語はまだ書けない。

 

コロナ後の世界 ――いま、この地点から考える (単行本)

コロナ後の世界 ――いま、この地点から考える (単行本)

  • 発売日: 2020/09/03
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

移行してみた

 移行せよ、とはてなからメールがきて、そうなのか……とずっとほったらかしだったはてなダイアリーのページを開き、自分が前に書いていた投稿をちょこちょこ読んだ。そうだ、立ち止まって考えるとか、考えたことを書くとか、そういう作業を最近は全然してないなぁと思った。

 

 Facebookでばかりくだらんことを書いててね。

 

 ここはリアル知り合いがほとんどいないはずだから、好きなこと好きなようにメモっていけばいいや。

 

 そんなつもりで、ブログに移行しました。どうぞよろしく。

『自傷行為の理解と援助』松本俊彦著、日本評論社

 対象を先入観なしにとらえ、内外の研究成果と照らし合わせて解き明かしていくという、当たり前かもしれないけれども意外ともしかすると日本の臨床にいる精神科医がやっていないかもしれないことが、この本の中できちんとなされていて、ちょっと感動モノでした。精神科の臨床で患者を診るとは具体的にどういうことなのか、考えさせられる内容でした。
 付箋をたくさんつけた中から一つ。
 自傷行為を、操作的・演技的行動とみなす医師は、自傷行為を治療契約にあたっての禁止事項とし、自傷をおこなった患者に強制退院や治療中止を申し渡すことがあるとのこと。そのことについて松本先生はこう書いています。

・・・この手の誤解は案外根強く残っている可能性があります。比較的最近でも、私が学会などで自傷行為に関する研究発表をすると、フロアにいるベテラン精神科医から指摘を受けることがあります。いわく、「先生は、自傷のような『枝葉末節』に関心を持たずに、もっと患者全体を診るべきではないか」――。
・・・自傷行為の様態には、その若者の全体が象徴的に表現されています。そして当の若者は、感情語が退化し、自分の思いを言葉で伝えられるようになるまでには、大抵、長い時間を要するものなのです。というよりも、むしろ言葉で自分の思いを伝えられるようになること自体が、治療の目標といってもいいでしょう。だからこそ、私たち援助者は自傷行為から目を背けず、それについて若者に問いかける必要があるわけです。
 国際的な自傷臨床の趨勢は、援助者が自傷創を仔細に観察し、ある程度の好奇心をもって、自傷行為に関する質問を行うことを求める流れに向かっています。こうした丁寧なアセスメントが自傷者自身の気づきを促し、問題解決に向けての動機を掘り起こすことにつながり、ひいては、自殺行動を未然に回避するのにも役立つのです。そして、もしも自傷創を見せてもらえない場合には、援助者はいかにしたら自傷者から信頼を得られるか、いかにしたら治療場面が「安心して自分を表現できる場所」になるのかを真剣に考えなければならないといえるでしょう。
 私は、自傷行為は断じて「枝葉末節」などではないと考えています。「自傷行為」という、患者全体から見れば局所的にすぎない現象であっても、その傷の裂け目から、自傷者が抱える人生の暗黒が見えてくることがあります。現代の援助者は、自傷のグロテスクな傷跡から目をそらしてはならないのです。
(第8章 自傷行為のアセスメント)


 あーあともう一つ。第5章では、自傷アディクションの一種ととらえ、その転帰について書かれていて、そこには自傷行為がいかにして自殺企図に結びつくのかも明らかにされています。そこを踏まえて、第9章のマネジメント、対処法のところでは、「『死にたい』と言われたら」という項がありました。

1 告白に感謝する・・・略

2 「自殺はいけない」はいけない・・・略

3 「死にたい」の意味を考えながら傾聴する
 「死にたい」という告白は、「困難な問題のせいで『死にたい』くらいつらいが、もしもその問題が解決されれば、本当は生きたい」というメッセージと考えるべきです。自殺を考えている人は心理的視野狭窄の状態に陥っていて、自分が抱えている困難な問題には、まだ試していない解決策があることに思いいたれない状況にあります。そもそも、支援資源に関する情報を持ち合わせておらず、困難から「永遠に逃れられない」と感じている場合さえあるのです。
 したがって援助者の役割は、話を傾聴しながら、「この人の困難な問題とは何なのか?」「どのような支援資源が必要なのか?」「キーパーソンは誰なのか?」といったことに考えをめぐらせることです。その際、「その困難がありながらも、今日まで生き延びることができた理由は何であろうか?」という観点から質問を補ってみるのもよいでしょう。意外な事柄が支えとなっていたことが分かり、その若者の生命を守るために誰と連絡を取ればよいのか、どのような支援資源につなげればよいのか、ヒントが得られる可能性があります。


「その困難がありながらも、今日まで生き延びることができた理由は何であろうか?」――この視点は超重要だと思いました。これがあるとないとでは、きっと全然ちがう。

『気流の鳴る音 交響するコミューン』 真木悠介著、ちくま学芸文庫


 とりあえず、最初に読んだときにつけた付箋部分の引用です。太字は、本文傍点。

p.29 序 「共同体」のかなたへ

 唖者のことばをきく耳を周囲の人がもっているとき、唖者は唖者でない。唖者は周囲の人びとが聴く耳をもたないかぎりにおいて唖者である。"deco" style="font-weight:bold;">唖者とはひとつの関係性だ。唖者解放の問題は、「健康者」のつんぼ性からの解放の問題だ。奴隷の解放と主人の解放、第三世界の解放と帝国主義本国の解放、女の解放と男の解放、子どもの解放と親の解放、すべての解放が根源的な双対性をもつこととおなじに。

p.35 序 「共同体」のかなたへ

 このヤキ族の老人の生のイメージは、「うつくしい道をしずかに歩む」というナヴァホ族の讃歌と照応する。道のゆくさまは問われない。死すべきわれわれ人間にとって、どのような道もけっしてどこへもつれていきはしない。道がうつくしい道であるかどうか、それをしずかに晴れやかに歩むかどうか、心のある道ゆきであるか、それだけが問題なのだ。・・・市民社会の存立の原理としての利害の普遍的相剋性は、欲求の禁圧と制約によってではなく、欲求の解放と豊富化によってはじめて原理的にのりこえられうる。富や権力や栄光といったものへの執着を欲求の肥大としてではなく、欲求のまずしさとしてとらえること。解放されたゆたかな欲求を、これらの人びとの目にさえ魅惑的なものとして具体的に提示すること。生き方の魅力性によって敵対者たちを解放し、エゴイズムの体系としての市民社会の自明の前提をつぎつぎとつきくずすこと

p.54 I カラスの予言――人間主義の彼岸

 小さな植物にひざまずき、カラスの声に予兆をききとって畏れるドン・ファンの共感能力があれば、水俣病は起らなかったはずだ。人間主義ヒューマニズム)は、人間主義を超える感覚によってはじめて支えられうる。
 水俣病とは、「わたしたち自身の中枢神経の病」(石牟礼道子)に他ならない。私たち自身が水俣で、そしてまたいたるところで病んでいる。視野狭窄と聴力障害、言語障害と平衡感覚の失調。テクノロジーの獲得した巨大な視界と対応能力は、喪われた世界と対応能力をけっして補償していはしない。

p.59 I カラスの予言――人間主義の彼岸

(貝紫の利用法をめぐって:メキシコのインディオは分泌液だけ手に採って貝は放したが、地中海や中国では貝殻を割って採取したために絶滅してしまっている)
 フェニキア人やローマ人にとって問題は貝の「使用法」であり、貝そのものは内在的価値をもたないマテリアル(材料=物質)にすぎなかった。メキシコのインディオたちにとっても、あるいは「長期的資源保存論」的な利害意識があったかもしれないけれども、そのような合理性もふくめて、貝を人間の共生(conviviality)の相手とする感覚がある。合理主義か非合理主義かというようなことではなくて、合理性の質の相違を確認しておきたいと思う。

p.69 I カラスの予言――人間主義の彼岸

(トナールとナワールについてのカスタネダの話)
 「<トナール>は話す(speaking)という仕方でだけ、世界をつくるんだ。それは何ひとつ創造しないし、変形さえしない、けれどもそれは世界をつくる。判断し、評価し、証言することがその機能だからさ。つまり<トナール>は、<トナール>の方式にのっとって目撃し、評価することによって世界をつくるんだ、<トナール>は何ものをも創造しない創造者なのだ。いいかえれば、<トナール>は世界を理解するルールをつくりあげるんだ。だから、言い方によっては、それは世界を創造するんだ。」
 現代哲学の用語をつかえば、<トナール>は人間における、間主体的(言語的・社会的)な「世界」の存立の機制そのものだ。
 「太初【はじめ】に言葉【ロゴス】ありき」とヨハネ福音書はいう。われわれの生きる「世界」は、「言葉【ロゴス】」によってはじめて構造化された「世界」として存立する。この「世界」存立の機制を、「言葉【ロゴス】は神なりき」とし、イエスの人格へと化肉する創造者として表象する西欧世界の心性と比して、これを何らかの動物または精霊の表象へと具象化するインディオたちのイメージを、隔絶して奇異なものということができようか。
 人間が自己の<トナール>とのかかわりにおいて、次第にその<トナール>にむかって自己疎外してゆくさまをドン・ファンはつぎのようにのべる。
「<トナール>はきわめて貴重なもの、つまりわれわれの存在そのものを保護する守護者だと言える。だから<トナール>の特徴は、やりかたが周到で嫉妬深いということだ。その仕事はわれわれの生の中でもとびぬけて重要な部面だものだから、それはわれわれの中でしまいに変質してしまい、守護者【ガーディアン】から看守【ガード】になってしまうのもふしぎはないのさ。」
「守護者【ガーディアン】ちは心が広く、理解力のあるものだ。これと反対に看守【ガード】の方は、心がせまくいつも目を光らせていて、いつでも専制的なのさ。<トナール>は本来、心が広い守護者でなければならんのに、われわれの中で狭量で専制的な看守になってしまうんだ。」

p.80 II 「世界を止める」――<明晰の罠>からの解放

(ドン・ヘナロはカスタネダがメモをとるのを面白がり「親指がダメになるまで書け」と皮肉る)
・・・ドン・ヘナロの機智を、文字の世界への痛烈な皮肉と受けとることもできるし、事実ドン・ヘナロ自身の意図はそのことにあったかもしれない。けれどもたとえば、文字による知識や思想は空しい、といったたんなる自己否定は、文明世界の無反省な自己肯定の単純なうらがえしにすぎない。ここで提起されているのは、二つの世界の関係の問題であり、根本的に異った「世界」との出会いの方法の問題である。
 ドン・ヘナロはカスタネダの文字の世界の内的なゆたかさと可能性を見ない。それを親指の運動といった外面性に還元してながめるだけだ。われわれ自身がここでドン・ヘナロに同調し、文字の世界はまずしく無意味だなどと考える必要はない。ボードレールマルクスアインシュタインの切り拓く世界の奥行きは、<書くということ>の力なしにはありえなかった。<書くということ>の切り拓くこの世界の奥行きの総体を、ドン・ヘナロがその外面性に還元してこっけいがるとき、それはメスカリートと共にあるインディオたちの測り難い体験の世界の奥行きを、「ころげまわり」として外面からながめるだけの、われわれの世界の人びとのちょうど逆なのだ、ということの認識にこそ、ドン・ヘナロの「教え」の核心はある。近代社会の人間がかれらインディオの生きる世界を見ることをせず、外面性に還元してながめることで彼らを独断的に矮小化しているのとちょうどおなじに、ドン・ヘナロは文字の世界を矮小化する。

p.93 II 「世界を止める」――<明晰の罠>からの解放

 現象学的な判断停止【エポケー】、人類学的な判断停止【エポケー】、経済学的な判断停止【エポケー】に共通する構造として、<世界を止める>、すなわち自己の生きる世界の自明性を解体するという作用がある。
 このことによってはじめて、I 異世界を理解すること、II 自世界自体の存立を理解すること、III 実践的に自己の「世界」を解放豊穣化することが可能となる。「世界」のあり方は「生」のあり方の対象的な対応に他ならないから、このIIIはいいかえれば、自己自身の生を根柢から解放し豊穣化することに他ならない。*
 *フッサールにとってはIIが、レヴィ=ストロースにとってはIをとおしてのIIが、マルクスにとってはIIをとおしてのIIIが、そしてカスタネダにとってはIをとおしてのIIIが、問題のアクセントとしてあっただろう。

p.96 II 「世界を止める」――<明晰の罠>からの解放

・・・ドン・ファンカスタネダの、合理的に説明しようとする強迫を、ひとつの“indulgence”としてとらえる。つまり、合理主義的な世界の自己完結性、自足性を、ひとつの罠として、人間の意識と生き方をその鋳型におしこめる一つの閉された「世界」として把握する。
 「説明することはおまえをふけらせるだけだ。」といったたびたびでてくる奇妙な言い方もこれで納得がいく。
 この合理主義の強力な自己完結力への対抗力としてドン・ファンは幻覚性植物を用いる。それはいわば「理性からの覚醒剤」であり、日常的悟性への中毒からの解毒剤である。

p.97 II 「世界を止める」――<明晰の罠>からの解放

 「明晰」とはひとつの盲信である。それは自分の現在もっている特定の説明体系(近代合理主義、等々)の普遍性への盲信である。それはたとえば、デモクリトス的、ニュートン的、アインシュタイン的等々の特定の歴史的、文化的世界像への自己呪縛である。
 人間は、<統合された意味づけ、位置づけの体系への要求>という固有の欲求につきうごかされて、この「明晰」の罠にとらえられる。

p.99 II 「世界を止める」――<明晰の罠>からの解放

 コヨーテがしゃべるということをあたまから信じないのが、ふつうの人の「明晰」である。これにたいして、コヨーテがしゃべるということを信じてしまうことが、呪術師の「明晰」である。しかし両方の「世界」がともにカッコに入ったものであり、どちらも「現実」であるということ、「現実」とはもともとカッコに入ったものであること、このことを<見る>力が真の<明晰>である。
 「明晰」を克服したものがゆくべきところは、「不明晰」でなく、「世界を止め」て見る力をもった真の<明晰>である。
 「明晰」は「世界」に内没し、<明晰>は、「世界」を超える。
 「明晰」はひとつの耽溺=自足であり、<明晰>はひとつの<意志>である。
 <明晰>は自己の「明晰」が、「目の前の一点にすぎないこと」を明晰に自覚している。<明晰>とは、明晰さ自体の限界を知る明晰さ、対自化された明晰さである。

p.101 II 「世界を止める」――<明晰の罠>からの解放

・・・ゾウの肌ざわり、ゾウのぬくもり、ゾウの呼吸の強さ、ゾウの毛のはえ具合について、われわれはゾウにさわったメクラたちより知ることがうすいであろう。われわれのゾウ像もまた、八つ目のゾウ像にすぎない。メクラたちの世界がそれぞれカッコに入った「世界」であるように、われわれの世界もまたカッコに入っている。にもかかわらずこの寓話が、一般にそういうふうには読まれないのは、目の世界が唯一の「客観的な」世界であるという偏見が、われわれの世界にあるからだ。われわれの文明はまずなによりも目の文明、目に依存する文明だ。
 このような<目の独裁>からすべての感覚を解き放つこと。世界をきく。世界をかぐ。世界を味わう。世界にふれる。これだけのことによっても、世界の奥行きはまるでかわってくるはずだ。

p.107 II 「世界を止める」――<明晰の罠>からの解放

(映画を見ることについて)
・・・われわれが無意識に、いつも焦点をあわせているので、<地>となった部分を無視しているからだ。<焦点をあわせる見方>においては、あらかじめ手持ちの枠組みにあるものだけが見える。「自分の知っていること」だけが見える。<焦点をあわせない見方>とは、予期せぬものへの自由な構えだ。それは世界の<地>の部分に関心を配って「世界」を豊穣化する。

p.151 IV 「心のある道」――<意味への疎外>からの解放

 カスタネダはなぜ幽霊なのか? ドン・ヘナロが出会った人びとはなぜ幽霊なのか? それは魂がここにないからだ。彼らの魂はどこにあるのか? 道のかなたに、「目的地」にある。彼らは道を通ってはいるが、その道を歩いてはいない。
 ドン・ファンは歩きながら話をすることをきらう。カスタネダが話しかけると、いったん立止まり、話をおわってからまた歩きだす。ドン・ファンにとって歩くということが、それ自体として充実しきっているからだろう。
 行動の「意味」がその行動の結果へと外化してたてられるとき、それは行動そのものを意味深いものとするための媒介として把握され、意味がふたたび行動に内化するのでないかぎり、行動それ自体はその意味を疎外された空虚なものとなる。生きることの「意味」がその何らかの「成果」へと外化してたてられるとき、この生活の「目標」は生そのものを豊穣化するための媒介として把握され、意味がふたたび生きることに内在化するのでないかぎり、生それ自体はその意味を疎外された空虚なものとなる。

p.152 IV 「心のある道」――<意味への疎外>からの解放

 いうまでもなく真に明晰な意識にとっては、われわれすべては死刑囚であり、人類の総体もまた死刑囚である。
 人間の日常的な「明晰さ」は自己自身の死と、とりわけ人類の死を意識から排除するという、自己欺瞞の砂上に構築されている。存在するものにたいするわれわれの感覚の拡大は、べつに意識を透明化する特殊な薬剤をもちいなくても、この自己欺瞞をつきくずす明晰さのみをとおしても獲得しうるはずだ。それは生きることの意味をその場で内在化することなしに、将来する「結果」に向って順送りしていくかぎり年月はむなしいということを、簡明にみせてくれるからだ。
 しかしそのとき、自己と世界とが永遠で絶対的なものだと信じこんでいたころの、天動説的に素朴な現実性の感覚はもはや永久に回収できない。たとえその一歩手前までたどりつくことができるとしても。

p.168 結 根をもつことと翼をもつこと

 ドン・ファンはわれわれを<まなざしの地獄>としての社会性の呪縛から解放する。しかし同時に、それはわれわれの共同性からの疎外ではないだろうか?
 執着するもののない生活とは、自由だがさびしいものではないのか?

p.173 結 根をもつことと翼をもつこと

 しかしもしこの存在それ自体という、最もたしかな実在の大地にわれわれが根をおろすならば、根をもつことと翼をもつことは矛盾しない。翼をもってゆくいたるところにまだ見ぬふるさとはあるのだから。円天井は天上からでなく、大地によって支えられなければならない。
 アメリカ原住民たちは白人が彼らを奪い、彼らを捕え、彼らを虐殺したことよりも以上に、白人による自然の破壊にたいして許すことのないいきどおりを抱いたという。それはキリスト教文明の人びとにとっての「神」よりもいっそう深い意味で、彼らの生と死とを支える大地だったのだ。その解体は彼らの生を奪うだけでなく、その死をも奪ってしまった。

p.179 結 根をもつことと翼をもつこと

 「全世界をわれに与えよ」と谷川雁がかつていったように、コミュニズムとは所有の否定ではなく、万人が全世界を所有することに他ならなかった。しかしそのことは、「所有」が排他性を原理とするかぎり論理的に不可能である。
 「どこにいようと、大地のおかげで生きていけるのさ。」というドン・ファンの生き方は、根をもつことと翼をもつことの二律背反を端的に超えていると同時に、けれどもそれは、ある一定の客観的な「世界」のあり方を前提している。
 このことは反転してまた、根をもつことと翼をもつことの二律背反が、どのような客観的な「世界」のあり方を地として前提しているかということを明るみに出す。
 二律背反はわれわれの意識のうちに、あるいは共同の幻想のうちにだけあるのではなく、われわれが間主体的に、われわれ自身の行動と生き方をとおして、たえずあらたに存立せしめているひとつの歴史的な世界の構造のうちに、客観的に存在している。
 カスタネダがメキシコ原野の丘の頂上で、「見える限りの土地」を自分のものとするとき、それはなるほど、ある山に登り、ある方角に見える限りの土地の所有権を主張したスペイン人たちとおなじだ。ただ両者の小さなちがいは、その所有に排他性をもたせたか否かということだ。排他的に土地が分割されつくすかぎり、エリヒオのようなヤキ族にとって唯一の生きる糧である「大地がただでさしだしてくれるもの」さえ、もはや存在しないことになる。透明な存在は生きられないのだ。

p.190 骨とまぼろし(メキシコ)

 インディオはメキシコの街に、召し使いとか行商人とか車洗いの下男などとして流れこんでくる。アパートやビルの屋上はこれらの奉公人たちの住むスペースになっている。六階にあった私の研究室からみると、まわりは低い建物ばかりなので、この首都のまん中なのにいちめんにインディオたちの世界だ。屋根を熱帯の木の葉でふいたりして、下に住む白人たちの知らない世界を形成している。雲が血の色に染まる時刻には、若者がこちらのビルの屋上で、あちらのビルの屋上の若い娘に大きく手をふって呼びかけている。幾百年の昔にも、やはり夕陽を背景に若者たちや娘たちが、このようにあちらの丘、こちらの丘から呼び交わしていたはずである。今征服者を自認する近代文明の墓標のような四角い丘、直線の谷のすべてをつつみこむ薄暮の底から、地のシルエットたちが立ち上がり呼び交わしていることとおなじに。

p.192 ファベーラの薔薇(ブラジル)

・・・魔術はおそらく魔術師が作るのではない。魔術をあらかじめ帯電した世界があるとき、それがたとえばなんでもない異郷人のような材料のまわりに凝集して、魔術師を結晶させるのだ。

p.195 ファベーラの薔薇(ブラジル)

 三日四晩の恍惚のために一年を生きるファベーラの陽気なカリオカたちは、このインドの歌のない殉教者たちとちょうど反対の極から呼応する。一生にひとつの<葬>と一年にひとつの<祭り>と。二つの対照的な世界は、働きつづけることのかなたにどのような転生も恍惚もないわれわれの世界の虚無から、最もとおい二つの極地だ。

p.207 交響するコミューン

 世界の諸事物の帯電する固有の意味の一つ一つは剥奪され解体されて、相互に交換可能な価値として抽象され計量化される。
 個々の行為や関係のうちに内在する意味への感覚の喪失として特色づけられるこれらの過程は日常的な実践への埋没によって虚無から逃れでるのでないならば、生のたしかさの外的な支えとしての、なんらかの<人生の目的>を必要とする。
 それが近代の実践理性の要請としての「神」(プロテスタンティズム!)であれ、その不全なる等価としての「天皇」(立身出世主義!)であれ、またはむきだしの富や権力や名声(各種マニュアル!)であれ、心まずしき近代人の生の意味への感覚を外部から支えようとするこれらいっさいの価値体系は、精神が明晰であればあるほど、それ自体の根拠への問いにさらされざるをえず、しかもこの問いが合理主義自体によっては答えられぬというジレンマに直面せずにはいないから、このような価値体系は、主体が明晰であればあるほど、根源的に不吉なニヒリズムの影におびやかされざるをえない。
 ここにいっさいの幻想を排するがゆえに、逆に幻想なくしては存立しえず、しかもこのみずからを存立せしめる幻想を、みずから解体してゆかざるをえない、近代合理主義の逆説をみることができる。
 われわれはこの荒廃から、幻想のための幻想といった自己欺瞞に後退するのでなしに、どこに出口を見出すことができるだろうか。

p.212 交響するコミューン

 すなわちわれわれの生が刹那であるゆえにこそ、また人類の全歴史が刹那であるゆえにこそ、今、ここにある一つ一つの行為や関係の身におびる鮮烈ないとおしさへの感覚を、豊饒にとりもどすことにしかない。

p.218 交響するコミューン

・・・市民社会の人間像が自己の欲求の解放ぬきにコミューンを形成しようとするとき、それはファシズムスターリニズムに転化するだろう。
 なぜならば相克する無数のエゴの「契約」をその原理とする市民社会は、他者の自由への相互のおそれと、したがって相互に他者への支配の欲求を、その秘められた動因としつつ、各人のこの秘められた欲求の相互抑制(checks and balances)の上に存在するからである。したがってこの欲求の構造の変革ぬきに、連帯や統一という名のもとに、市民社会の相互抑制と異質性への承認とが否定されるならば、普遍を詐称する「指導部」の権力意思が、おそらくはその指導部自身をも欺いて貫徹することによって、耐えがたい自由の圧殺が現出することは必然である。
 コミューン的な関係をその原理とする歴史が普遍的にひらかれるまえに、先駆的に形成される個別コミューンの重要な課題の一つは、それがコミューンというものを、ファシズムスターリニズムに転化せしめることのない、そのような主体とその関係性とを、――すなわち新しい欲求と感受性とを――日常のなかで創出していくことだろう。

p.223 交響するコミューン

 われわれの日々の生活は、未来にある目標によって充実することもできるし、現在における交感によって充実することもできる。すなわちわれわれの<今、ここにある自分>の生は、その内に未来を抱くことで充たされることもできるし、他者(人びとや自然)を抱くことで充たされることもまたできる。

[本]『気流の鳴る音 交響するコミューン』 真木悠介著、ちくま学芸文庫
 とりあえず、最初に読んだときにつけた付箋部分の引用です。太字は、本文傍点。

p.29 序 「共同体」のかなたへ

 唖者のことばをきく耳を周囲の人がもっているとき、唖者は唖者でない。唖者は周囲の人びとが聴く耳をもたないかぎりにおいて唖者である。"deco" style="font-weight:bold;">唖者とはひとつの関係性だ。唖者解放の問題は、「健康者」のつんぼ性からの解放の問題だ。奴隷の解放と主人の解放、第三世界の解放と帝国主義本国の解放、女の解放と男の解放、子どもの解放と親の解放、すべての解放が根源的な双対性をもつこととおなじに。

p.35 序 「共同体」のかなたへ

 このヤキ族の老人の生のイメージは、「うつくしい道をしずかに歩む」というナヴァホ族の讃歌と照応する。道のゆくさまは問われない。死すべきわれわれ人間にとって、どのような道もけっしてどこへもつれていきはしない。道がうつくしい道であるかどうか、それをしずかに晴れやかに歩むかどうか、心のある道ゆきであるか、それだけが問題なのだ。・・・市民社会の存立の原理としての利害の普遍的相剋性は、欲求の禁圧と制約によってではなく、欲求の解放と豊富化によってはじめて原理的にのりこえられうる。富や権力や栄光といったものへの執着を欲求の肥大としてではなく、欲求のまずしさとしてとらえること。解放されたゆたかな欲求を、これらの人びとの目にさえ魅惑的なものとして具体的に提示すること。生き方の魅力性によって敵対者たちを解放し、エゴイズムの体系としての市民社会の自明の前提をつぎつぎとつきくずすこと

p.54 I カラスの予言――人間主義の彼岸

 小さな植物にひざまずき、カラスの声に予兆をききとって畏れるドン・ファンの共感能力があれば、水俣病は起らなかったはずだ。人間主義ヒューマニズム)は、人間主義を超える感覚によってはじめて支えられうる。
 水俣病とは、「わたしたち自身の中枢神経の病」(石牟礼道子)に他ならない。私たち自身が水俣で、そしてまたいたるところで病んでいる。視野狭窄と聴力障害、言語障害と平衡感覚の失調。テクノロジーの獲得した巨大な視界と対応能力は、喪われた世界と対応能力をけっして補償していはしない。

p.59 I カラスの予言――人間主義の彼岸

(貝紫の利用法をめぐって:メキシコのインディオは分泌液だけ手に採って貝は放したが、地中海や中国では貝殻を割って採取したために絶滅してしまっている)
 フェニキア人やローマ人にとって問題は貝の「使用法」であり、貝そのものは内在的価値をもたないマテリアル(材料=物質)にすぎなかった。メキシコのインディオたちにとっても、あるいは「長期的資源保存論」的な利害意識があったかもしれないけれども、そのような合理性もふくめて、貝を人間の共生(conviviality)の相手とする感覚がある。合理主義か非合理主義かというようなことではなくて、合理性の質の相違を確認しておきたいと思う。

p.69 I カラスの予言――人間主義の彼岸

(トナールとナワールについてのカスタネダの話)
 「<トナール>は話す(speaking)という仕方でだけ、世界をつくるんだ。それは何ひとつ創造しないし、変形さえしない、けれどもそれは世界をつくる。判断し、評価し、証言することがその機能だからさ。つまり<トナール>は、<トナール>の方式にのっとって目撃し、評価することによって世界をつくるんだ、<トナール>は何ものをも創造しない創造者なのだ。いいかえれば、<トナール>は世界を理解するルールをつくりあげるんだ。だから、言い方によっては、それは世界を創造するんだ。」
 現代哲学の用語をつかえば、<トナール>は人間における、間主体的(言語的・社会的)な「世界」の存立の機制そのものだ。
 「太初【はじめ】に言葉【ロゴス】ありき」とヨハネ福音書はいう。われわれの生きる「世界」は、「言葉【ロゴス】」によってはじめて構造化された「世界」として存立する。この「世界」存立の機制を、「言葉【ロゴス】は神なりき」とし、イエスの人格へと化肉する創造者として表象する西欧世界の心性と比して、これを何らかの動物または精霊の表象へと具象化するインディオたちのイメージを、隔絶して奇異なものということができようか。
 人間が自己の<トナール>とのかかわりにおいて、次第にその<トナール>にむかって自己疎外してゆくさまをドン・ファンはつぎのようにのべる。
「<トナール>はきわめて貴重なもの、つまりわれわれの存在そのものを保護する守護者だと言える。だから<トナール>の特徴は、やりかたが周到で嫉妬深いということだ。その仕事はわれわれの生の中でもとびぬけて重要な部面だものだから、それはわれわれの中でしまいに変質してしまい、守護者【ガーディアン】から看守【ガード】になってしまうのもふしぎはないのさ。」
「守護者【ガーディアン】ちは心が広く、理解力のあるものだ。これと反対に看守【ガード】の方は、心がせまくいつも目を光らせていて、いつでも専制的なのさ。<トナール>は本来、心が広い守護者でなければならんのに、われわれの中で狭量で専制的な看守になってしまうんだ。」

p.80 II 「世界を止める」――<明晰の罠>からの解放

(ドン・ヘナロはカスタネダがメモをとるのを面白がり「親指がダメになるまで書け」と皮肉る)
・・・ドン・ヘナロの機智を、文字の世界への痛烈な皮肉と受けとることもできるし、事実ドン・ヘナロ自身の意図はそのことにあったかもしれない。けれどもたとえば、文字による知識や思想は空しい、といったたんなる自己否定は、文明世界の無反省な自己肯定の単純なうらがえしにすぎない。ここで提起されているのは、二つの世界の関係の問題であり、根本的に異った「世界」との出会いの方法の問題である。
 ドン・ヘナロはカスタネダの文字の世界の内的なゆたかさと可能性を見ない。それを親指の運動といった外面性に還元してながめるだけだ。われわれ自身がここでドン・ヘナロに同調し、文字の世界はまずしく無意味だなどと考える必要はない。ボードレールマルクスアインシュタインの切り拓く世界の奥行きは、<書くということ>の力なしにはありえなかった。<書くということ>の切り拓くこの世界の奥行きの総体を、ドン・ヘナロがその外面性に還元してこっけいがるとき、それはメスカリートと共にあるインディオたちの測り難い体験の世界の奥行きを、「ころげまわり」として外面からながめるだけの、われわれの世界の人びとのちょうど逆なのだ、ということの認識にこそ、ドン・ヘナロの「教え」の核心はある。近代社会の人間がかれらインディオの生きる世界を見ることをせず、外面性に還元してながめることで彼らを独断的に矮小化しているのとちょうどおなじに、ドン・ヘナロは文字の世界を矮小化する。

p.93 II 「世界を止める」――<明晰の罠>からの解放

 現象学的な判断停止【エポケー】、人類学的な判断停止【エポケー】、経済学的な判断停止【エポケー】に共通する構造として、<世界を止める>、すなわち自己の生きる世界の自明性を解体するという作用がある。
 このことによってはじめて、I 異世界を理解すること、II 自世界自体の存立を理解すること、III 実践的に自己の「世界」を解放豊穣化することが可能となる。「世界」のあり方は「生」のあり方の対象的な対応に他ならないから、このIIIはいいかえれば、自己自身の生を根柢から解放し豊穣化することに他ならない。*
 *フッサールにとってはIIが、レヴィ=ストロースにとってはIをとおしてのIIが、マルクスにとってはIIをとおしてのIIIが、そしてカスタネダにとってはIをとおしてのIIIが、問題のアクセントとしてあっただろう。

p.96 II 「世界を止める」――<明晰の罠>からの解放

・・・ドン・ファンカスタネダの、合理的に説明しようとする強迫を、ひとつの“indulgence”としてとらえる。つまり、合理主義的な世界の自己完結性、自足性を、ひとつの罠として、人間の意識と生き方をその鋳型におしこめる一つの閉された「世界」として把握する。
 「説明することはおまえをふけらせるだけだ。」といったたびたびでてくる奇妙な言い方もこれで納得がいく。
 この合理主義の強力な自己完結力への対抗力としてドン・ファンは幻覚性植物を用いる。それはいわば「理性からの覚醒剤」であり、日常的悟性への中毒からの解毒剤である。

p.97 II 「世界を止める」――<明晰の罠>からの解放

 「明晰」とはひとつの盲信である。それは自分の現在もっている特定の説明体系(近代合理主義、等々)の普遍性への盲信である。それはたとえば、デモクリトス的、ニュートン的、アインシュタイン的等々の特定の歴史的、文化的世界像への自己呪縛である。
 人間は、<統合された意味づけ、位置づけの体系への要求>という固有の欲求につきうごかされて、この「明晰」の罠にとらえられる。

p.99 II 「世界を止める」――<明晰の罠>からの解放

 コヨーテがしゃべるということをあたまから信じないのが、ふつうの人の「明晰」である。これにたいして、コヨーテがしゃべるということを信じてしまうことが、呪術師の「明晰」である。しかし両方の「世界」がともにカッコに入ったものであり、どちらも「現実」であるということ、「現実」とはもともとカッコに入ったものであること、このことを<見る>力が真の<明晰>である。
 「明晰」を克服したものがゆくべきところは、「不明晰」でなく、「世界を止め」て見る力をもった真の<明晰>である。
 「明晰」は「世界」に内没し、<明晰>は、「世界」を超える。
 「明晰」はひとつの耽溺=自足であり、<明晰>はひとつの<意志>である。
 <明晰>は自己の「明晰」が、「目の前の一点にすぎないこと」を明晰に自覚している。<明晰>とは、明晰さ自体の限界を知る明晰さ、対自化された明晰さである。

p.101 II 「世界を止める」――<明晰の罠>からの解放

・・・ゾウの肌ざわり、ゾウのぬくもり、ゾウの呼吸の強さ、ゾウの毛のはえ具合について、われわれはゾウにさわったメクラたちより知ることがうすいであろう。われわれのゾウ像もまた、八つ目のゾウ像にすぎない。メクラたちの世界がそれぞれカッコに入った「世界」であるように、われわれの世界もまたカッコに入っている。にもかかわらずこの寓話が、一般にそういうふうには読まれないのは、目の世界が唯一の「客観的な」世界であるという偏見が、われわれの世界にあるからだ。われわれの文明はまずなによりも目の文明、目に依存する文明だ。
 このような<目の独裁>からすべての感覚を解き放つこと。世界をきく。世界をかぐ。世界を味わう。世界にふれる。これだけのことによっても、世界の奥行きはまるでかわってくるはずだ。

p.107 II 「世界を止める」――<明晰の罠>からの解放

(映画を見ることについて)
・・・われわれが無意識に、いつも焦点をあわせているので、<地>となった部分を無視しているからだ。<焦点をあわせる見方>においては、あらかじめ手持ちの枠組みにあるものだけが見える。「自分の知っていること」だけが見える。<焦点をあわせない見方>とは、予期せぬものへの自由な構えだ。それは世界の<地>の部分に関心を配って「世界」を豊穣化する。

p.151 IV 「心のある道」――<意味への疎外>からの解放

 カスタネダはなぜ幽霊なのか? ドン・ヘナロが出会った人びとはなぜ幽霊なのか? それは魂がここにないからだ。彼らの魂はどこにあるのか? 道のかなたに、「目的地」にある。彼らは道を通ってはいるが、その道を歩いてはいない。
 ドン・ファンは歩きながら話をすることをきらう。カスタネダが話しかけると、いったん立止まり、話をおわってからまた歩きだす。ドン・ファンにとって歩くということが、それ自体として充実しきっているからだろう。
 行動の「意味」がその行動の結果へと外化してたてられるとき、それは行動そのものを意味深いものとするための媒介として把握され、意味がふたたび行動に内化するのでないかぎり、行動それ自体はその意味を疎外された空虚なものとなる。生きることの「意味」がその何らかの「成果」へと外化してたてられるとき、この生活の「目標」は生そのものを豊穣化するための媒介として把握され、意味がふたたび生きることに内在化するのでないかぎり、生それ自体はその意味を疎外された空虚なものとなる。

p.152 IV 「心のある道」――<意味への疎外>からの解放

 いうまでもなく真に明晰な意識にとっては、われわれすべては死刑囚であり、人類の総体もまた死刑囚である。
 人間の日常的な「明晰さ」は自己自身の死と、とりわけ人類の死を意識から排除するという、自己欺瞞の砂上に構築されている。存在するものにたいするわれわれの感覚の拡大は、べつに意識を透明化する特殊な薬剤をもちいなくても、この自己欺瞞をつきくずす明晰さのみをとおしても獲得しうるはずだ。それは生きることの意味をその場で内在化することなしに、将来する「結果」に向って順送りしていくかぎり年月はむなしいということを、簡明にみせてくれるからだ。
 しかしそのとき、自己と世界とが永遠で絶対的なものだと信じこんでいたころの、天動説的に素朴な現実性の感覚はもはや永久に回収できない。たとえその一歩手前までたどりつくことができるとしても。

p.168 結 根をもつことと翼をもつこと

 ドン・ファンはわれわれを<まなざしの地獄>としての社会性の呪縛から解放する。しかし同時に、それはわれわれの共同性からの疎外ではないだろうか?
 執着するもののない生活とは、自由だがさびしいものではないのか?

p.173 結 根をもつことと翼をもつこと

 しかしもしこの存在それ自体という、最もたしかな実在の大地にわれわれが根をおろすならば、根をもつことと翼をもつことは矛盾しない。翼をもってゆくいたるところにまだ見ぬふるさとはあるのだから。円天井は天上からでなく、大地によって支えられなければならない。
 アメリカ原住民たちは白人が彼らを奪い、彼らを捕え、彼らを虐殺したことよりも以上に、白人による自然の破壊にたいして許すことのないいきどおりを抱いたという。それはキリスト教文明の人びとにとっての「神」よりもいっそう深い意味で、彼らの生と死とを支える大地だったのだ。その解体は彼らの生を奪うだけでなく、その死をも奪ってしまった。

p.179 結 根をもつことと翼をもつこと

 「全世界をわれに与えよ」と谷川雁がかつていったように、コミュニズムとは所有の否定ではなく、万人が全世界を所有することに他ならなかった。しかしそのことは、「所有」が排他性を原理とするかぎり論理的に不可能である。
 「どこにいようと、大地のおかげで生きていけるのさ。」というドン・ファンの生き方は、根をもつことと翼をもつことの二律背反を端的に超えていると同時に、けれどもそれは、ある一定の客観的な「世界」のあり方を前提している。
 このことは反転してまた、根をもつことと翼をもつことの二律背反が、どのような客観的な「世界」のあり方を地として前提しているかということを明るみに出す。
 二律背反はわれわれの意識のうちに、あるいは共同の幻想のうちにだけあるのではなく、われわれが間主体的に、われわれ自身の行動と生き方をとおして、たえずあらたに存立せしめているひとつの歴史的な世界の構造のうちに、客観的に存在している。
 カスタネダがメキシコ原野の丘の頂上で、「見える限りの土地」を自分のものとするとき、それはなるほど、ある山に登り、ある方角に見える限りの土地の所有権を主張したスペイン人たちとおなじだ。ただ両者の小さなちがいは、その所有に排他性をもたせたか否かということだ。排他的に土地が分割されつくすかぎり、エリヒオのようなヤキ族にとって唯一の生きる糧である「大地がただでさしだしてくれるもの」さえ、もはや存在しないことになる。透明な存在は生きられないのだ。

p.190 骨とまぼろし(メキシコ)

 インディオはメキシコの街に、召し使いとか行商人とか車洗いの下男などとして流れこんでくる。アパートやビルの屋上はこれらの奉公人たちの住むスペースになっている。六階にあった私の研究室からみると、まわりは低い建物ばかりなので、この首都のまん中なのにいちめんにインディオたちの世界だ。屋根を熱帯の木の葉でふいたりして、下に住む白人たちの知らない世界を形成している。雲が血の色に染まる時刻には、若者がこちらのビルの屋上で、あちらのビルの屋上の若い娘に大きく手をふって呼びかけている。幾百年の昔にも、やはり夕陽を背景に若者たちや娘たちが、このようにあちらの丘、こちらの丘から呼び交わしていたはずである。今征服者を自認する近代文明の墓標のような四角い丘、直線の谷のすべてをつつみこむ薄暮の底から、地のシルエットたちが立ち上がり呼び交わしていることとおなじに。

p.192 ファベーラの薔薇(ブラジル)

・・・魔術はおそらく魔術師が作るのではない。魔術をあらかじめ帯電した世界があるとき、それがたとえばなんでもない異郷人のような材料のまわりに凝集して、魔術師を結晶させるのだ。

p.195 ファベーラの薔薇(ブラジル)

 三日四晩の恍惚のために一年を生きるファベーラの陽気なカリオカたちは、このインドの歌のない殉教者たちとちょうど反対の極から呼応する。一生にひとつの<葬>と一年にひとつの<祭り>と。二つの対照的な世界は、働きつづけることのかなたにどのような転生も恍惚もないわれわれの世界の虚無から、最もとおい二つの極地だ。

p.207 交響するコミューン

 世界の諸事物の帯電する固有の意味の一つ一つは剥奪され解体されて、相互に交換可能な価値として抽象され計量化される。
 個々の行為や関係のうちに内在する意味への感覚の喪失として特色づけられるこれらの過程は日常的な実践への埋没によって虚無から逃れでるのでないならば、生のたしかさの外的な支えとしての、なんらかの<人生の目的>を必要とする。
 それが近代の実践理性の要請としての「神」(プロテスタンティズム!)であれ、その不全なる等価としての「天皇」(立身出世主義!)であれ、またはむきだしの富や権力や名声(各種マニュアル!)であれ、心まずしき近代人の生の意味への感覚を外部から支えようとするこれらいっさいの価値体系は、精神が明晰であればあるほど、それ自体の根拠への問いにさらされざるをえず、しかもこの問いが合理主義自体によっては答えられぬというジレンマに直面せずにはいないから、このような価値体系は、主体が明晰であればあるほど、根源的に不吉なニヒリズムの影におびやかされざるをえない。
 ここにいっさいの幻想を排するがゆえに、逆に幻想なくしては存立しえず、しかもこのみずからを存立せしめる幻想を、みずから解体してゆかざるをえない、近代合理主義の逆説をみることができる。
 われわれはこの荒廃から、幻想のための幻想といった自己欺瞞に後退するのでなしに、どこに出口を見出すことができるだろうか。

p.212 交響するコミューン

 すなわちわれわれの生が刹那であるゆえにこそ、また人類の全歴史が刹那であるゆえにこそ、今、ここにある一つ一つの行為や関係の身におびる鮮烈ないとおしさへの感覚を、豊饒にとりもどすことにしかない。

p.218 交響するコミューン

・・・市民社会の人間像が自己の欲求の解放ぬきにコミューンを形成しようとするとき、それはファシズムスターリニズムに転化するだろう。
 なぜならば相克する無数のエゴの「契約」をその原理とする市民社会は、他者の自由への相互のおそれと、したがって相互に他者への支配の欲求を、その秘められた動因としつつ、各人のこの秘められた欲求の相互抑制(checks and balances)の上に存在するからである。したがってこの欲求の構造の変革ぬきに、連帯や統一という名のもとに、市民社会の相互抑制と異質性への承認とが否定されるならば、普遍を詐称する「指導部」の権力意思が、おそらくはその指導部自身をも欺いて貫徹することによって、耐えがたい自由の圧殺が現出することは必然である。
 コミューン的な関係をその原理とする歴史が普遍的にひらかれるまえに、先駆的に形成される個別コミューンの重要な課題の一つは、それがコミューンというものを、ファシズムスターリニズムに転化せしめることのない、そのような主体とその関係性とを、――すなわち新しい欲求と感受性とを――日常のなかで創出していくことだろう。

p.223 交響するコミューン

 われわれの日々の生活は、未来にある目標によって充実することもできるし、現在における交感によって充実することもできる。すなわちわれわれの<今、ここにある自分>の生は、その内に未来を抱くことで充たされることもできるし、他者(人びとや自然)を抱くことで充たされることもまたできる。

エイズの起源 ジャック・ペパン著、山本太郎訳、みすず書房 2013年7月第1版

エイズの起源

エイズの起源

 著者はカナダの感染症研究者(医師)で、1988年からエイズの研究に取り組んできた。この論文はケンブリッジ出版会から2011年に発行された。著者の視点は、訳者があとがきで端的に記述している。当然、あとがきでなくてもそこかしこに著者本人も書いておられるわけだが、あとがきのココ↓が一番クリアでわかりやすい。

訳者あとがき p.341
 本書の核心を構成する疑問のいくつかを紹介したい。第一に、現在流行しているエイズが、なぜ、1921年頃といった時期にヒト社会に持ち込まれたのか。第二に、ヒト社会に持ち込まれた後も、長く100人程度の感染者しかいなかったこの感染症が、なぜ、その後半世紀の間に世界全体で3000万人を超える感染者を出すに至ったのか。偶然だったのか、あるいは必然だったのか。

 したがってこの本に書かれているのはおもに、ランディ・シルツの『そしてエイズは蔓延した〈下〉』より前のお話ということになる。
 ウイルスの解析技術が進み、分化の系統やそれが起こった時期まである程度特定できるようになった。そうして得た医学上の成果や、現存する血液サンプルの分析結果や、焦点となる時代と地域の社会的背景など、HIVの軌跡を知るためにいま用いることのできるあらゆる素材を重ね合わせて、HIVの歴史を描き出そうとしたのがこの論文だ。それはもう気の遠くなるような作業であったに違いないが、著者は丹念に(「執拗に」あるいは「偏執的に」と受け取る読者もいるかもしれないほど)一つずつ拾ってはパズルの絵に当てはめていく。疫学という学問が、想像以上の大きさの時間と空間を対象にしていることに軽いショックを受けつつ、能力と熱意のある医学者に、社会学者や歴史学者なども加われば百人力だろうに、と思わないでもなかった。

 必然的に、植民地時代のアフリカについての記述が多くなる。わたしなどはアフリカの歴史についてはほぼ何も知らなかったに等しいジャンルだ。旧約聖書の最初のところみたいに退屈なのだけど、飛ばし読みができない。たとえば…

第5章 過渡期のアフリカ社会 p.111
 振り返ってみると、第二次世界大戦の影響は、その大半が精神的なものだった。アフリカ人たちは、彼らの主人であるフランス人やベルギー人が完璧でないこと、ヨーロッパ人が、自らが賞賛する理想の文明的な方法とは全く異なる振る舞いをすること、そして何よりヨーロッパ社会が一枚岩でないことを知った。また、戦後のインドの独立は、植民地支配が永遠に続くものではないという強いメッセージを植民地の人々に与えた。植民地主義の下に横たわる人種主義に対する怒りは大きなものとなっていった。亡命中の両政府は、母国を解放するためにアフリカ軍を使うことを完全に拒否した。もし彼らを使えば、植民地支配の存続に欠かせないアフリカ人の劣等感を維持できなくなることを、両政府は十分に理解していたのである。

 ウイルスはヒトからヒトをつたって自在に移動していく。大陸を渡り、場を得るとそこで無差別にヒトを襲う。HIVは未来のある子どもにも遅いかかった。その背景には、政治の空虚や、経済の破綻、ずさんな医療が存在した。いつかそういえばこんなこと↓も盛んに報道されていたっけ。

第7章 ウイルスの感染と伝播 p.156
 1989年、ルーマニアではチャウシェスク政権が崩壊した。その直後、ある医学誌がルーマニアの病院と孤児院に368人のHIV感染小児が存在すると報告した。1990年までにルーマニア保健省には1168人の感染小児の存在が報告された。その94%は4歳以下の子どもだった。この年齢分布は明らかに異常である。小児感染者の3分の2は両親によって遺棄され、孤児院あるいは保護施設で育てられていた子供だった。所在が確認された母親のうちHIV陽性者は10%に満たなかった。通常でない感染経路の存在が疑われた。
 当時ルーマニアでは、多数の栄養素を補給するために栄養不足の子供に輸血が行われていた。輸血は少量だった。1単位の血液が2,3人の子供に分割投与された。小児感染の3分の1は検査されていない血液によって起こった。残りの3分の2は、注射器と注射針の共用によって起こった。HIVに感染した子供の多くは300回以上にも及ぶ筋肉注射を受けていた。異常な回数である。

 成人T細胞白血病ウイルスについての記述は、個人的な関心もあって引用しておく。アフリカでは医原性に感染が拡大したことについて、他の論文も探してみたい。

第8章 植民地医学の遺産(1) p.202
 中央アフリカ共和国南西部の田舎、ノラとその周辺でも高齢者を対象に同じような研究(引用註:静脈注射を受けた可能性のある病歴のインタビュー)を行った。その地域は1930年代から40年代にかけて、眠り病の流行が最も激しかった地域である。C型肝炎ウイルスの陽性率はカメルーンよりずいぶんと低かったが、私たちは、1930年代から40年代にかけて行われた眠り病に対する治療がC型肝炎ウイルス感染と関連があることを見つけた。一方、眠り病に対する予防として1946年から53年にかけて行われたペンタミジンの注射が、成人T細胞白血病ウイルスの感染と関連していることもわかった。成人T細胞白血病ウイルスはレトロウイルスで、血液媒介性ウイルスとしてはあまり研究されてこなかったが、HIV-1の代理指標として興味深い。というのも、成人T細胞白血病ウイルスもツェゴチンパンジーに起源を持ち、CD4陽性リンパ球に感染するからである。ただしエイズを発症することはない。さらに私たちは、1930年代から40年代にかけて眠り病の治療を受けた個人の間で過剰な死亡が見られることにも気づいた。他のすべての原因を排除した上で、私たちは、この過剰な死亡の原因がHIV-1の医原性感染によるものだと推測した。

 第11章ではHIVはアフリカ大陸から外へ出る。この本全体の中で最も地誌的スケールが大きく、スリリングな展開もあって、とても興味深い。その合間合間にも、著者ならではの感性を示す記述がある。社会のありようによって抑圧が生まれ、抑圧された人々はどのように行動し、それがどのような結果をもたらすか。このような疫学の論文を書くにあたっては、不可欠の視点だと思うが、医学部ではあまり教えてもらえないことだろう。

第11章 コンゴからカリブ海へ p.256
 1950年代初期の繁栄(引用註:コンゴの社会資本が整備された時期)はコンゴにベルギー人を惹きつけた。コンゴに移住したベルギー人の大半はフランドル地方の貧しい農民か牧畜民だった。彼らの露骨な人種主義と彼らに約束された広大な土地は、コンゴ人たちの民族感情を悪化させた。どこからともなく、10以上の政治組織が生まれた。それぞれの組織は、毎週のように独立への承認をめぐってデモを行った。レオポルドヴィルで起こった1959年1月の異動は、コンゴ人はもはや植民地の圧政を容認しないということを示すものだった。その数カ月前の1958年、ブリュッセル万国博覧会の期間中、多くのコンゴ人がはじめてベルギーを訪問した。そのコンゴ人が驚いたことの一つに、多くの貧しい白人がいて、そうした白人が社会のいたるところで雑用のような仕事をしていることがあった。抑圧は心の問題だった。抑圧された人々はその運命を日常的で避け難いものとして受け入れ、劣等性を過去の出来事の結果というよりむしろ先天的なものと考えていたのである。そして1959年、コンゴ人たちは植民地の枠組みを拒否し始めた。市民による不服従運動が起こった。

 木は森に通じる。わたしたちの社会にいまもHIVが蔓延し、毎年新たに人を病気にし、死に至らしめていることと、いつまでもこの世界から核ミサイルがなくならないこととは、実はつながっている。

第15章 エピローグ p.334
 エイズが出現した第二の要因は、滅菌されていない注射器と注射針の再利用であった。中部アフリカでは、この要因は、感染者数を性的感染の連鎖が回り始める水準にまで引き上げることで流行の拡大に寄与した。振り返ってみれば、こうした医原性感染は、静脈注射を必要とする治療薬の開発から、こうした経路で感染する感染性病原体――とくにウイルス――の認識に至るまでの、わずか50年足らずの間に起こった。人類が自然を完全に理解しないままそれを操作するとき、そこには常に何か予期せぬことが起こる可能性がある。
 このことは、人類の生存に対して長期的に最も脅威となるのは人類そのものである、という教訓を思い出させる。これはしばらく前から自明な話である。私たちの世代、あるいはその前の世代は、核による大量破壊の恐怖ととともに育った。核ミサイルの数は減ったとしても、核開発の技術を持つ国の数は増加している。そのことはある日、誰かがそのボタンを押す確率も増加していることを意味する。私たちの子供の世代は、緩やかにだが破壊的な影響を持つ地球温暖化の脅威のなかで育つ。人類は新たな脅威をすばやく理解する能力に長けてはいない。ちょうど数年前のことであるが、米国大統領は「米国の生活様式は交渉の対象ではない」として、京都議定書への批准を拒否した。それはまるで、米国文明とその価値の中核とは、ビッグスリー――とはいえいずれも、当大統領の任期が終了する頃には弱体化したが――によって生産される四輪駆動車である、と言っているようなものであった。

 人間は傲慢だ。

 さて、訳者あとがきの中から、まとめ。

訳者あとがき p.342
 これらの疑問は、感染症とヒト社会の関係を考える上で、さまざまな示唆と視点を与えてくれる。読者にもこの問題を考えてもらいたい。仮に、1921年前後に、現在の流行の出発点となるチンパンジーからヒトへの種を越えた感染が起こらなかったとすればどうだろう、と。あるいは、この時期にHIVの原型ウイルスがヒト社会に現れなかったとすれば、または熱帯医学のある意味の進展がその時期になく、さらには、善意にもとづいた植民地における医療行為があの時期に行われることがなければ、エイズ流行の様相はどのようになっていただろう、と。
 (中略)ヨーロッパの植民地制作はエイズ流行に大きな影響を与えた。20世紀の最初の半世紀、レオポルドヴィル/ブラザヴィルは労働収容所の様相を呈した。それが売春の繁栄を通してエイズ流行に与えた影響は何だったのか。コンゴ独立前後の政治的混乱がもたらした影響は何だったのか。それはコンゴに何十万人もの国内避難民を生み出した。大規模な貧困と失業が見られるようになった。一日に何人も客を取る売春婦が現れた。そうした売春婦の一年間の客総数は1000人を超えた。そうした事実が何をもたらしたのか。

7つの贈り物

 1号キッコが録画してあったのを視聴。ウィル・スミスはちょっとがさつそうで趣味じゃないのでもともとは見る気なかったんだが、どっかで臓器移植の話だと聞いたもんだから見ておかないとということになったわけ。

 病気の人が臓器さえもらえればふつうの人になって、幸せになれるというストーリーで、ウイル・スミスはあげる側だ。あらすじ、終わり。なんてシンプルなお話なの! アメリカ人らしいねぇ。

 誰にも薦めないし、わたし自身も二度見ることはないと断言できる映画でありました。

 

ハーツ・アンド・マインズ

 ベトナム戦争は1960年の終わりから75年にかけて、インドシナ半島において繰り広げられた戦争で、ちょうどわたしが小学校に入ってニュースを読むアナウンサーの言葉がだいたいわかるようになった頃が、最も戦闘の激しい時期でした。日本でも、NHKの朝晩7時のニュースでは、毎日のようにベトナムの戦況を伝えていたものです。

 子どもは覚えようと思わなくても何でも覚えることができてしまいます。わたしもその一人で、カンボジア内戦ラオス侵攻、北爆再開といったあたりの流れは、完全に暗記していて、父の会社の部下が家へ遊びに来ると得意気にテレビや新聞で得た知識を披露していたものでした。

 そういうわたしの記憶に登場する最初のアメリカの大統領はニクソンです。いま、ベトナム戦争の簡略年表を眺めながら、「テト攻勢」「ソンミ村」という単語は耳から聴いた覚えがないことに気づきました。ホー・チ・ミンという南ベトナムの大統領が死んだというニュースは覚えています。年表によれば、そのときわたしは7歳だったようです。

 「ハーツ・アンド・マインズ(原題:Hearts and Minds)」は、1974年にアメリカで公開されたドキュメンタリー映画です。ということは、ベトナム戦争もまさに佳境の頃につくられ、公開されて、その後終結に向かったという意味でもあります。現在進行形の戦争を描いたということを抜きにして、この作品のことは語れないような気がします。

 まだ世界の読み方を知らなかったわたしにとってあの戦争は、同じアジアで起こっているとは言っても、遠い国のできごとでした。人の名前や地名や、さまざまな戦争用語で説明できるできごとでした。大人になり、大学で国際関係論を学んだものの依然として通り一遍の知識しかなく、さらに二つの会社勤めを経てフリーランスのライターになったとき、それまでほとんど小説しか読んでこなかったわたしがノンフィクションの作法、手法を知るために手当たり次第に読んだうちの一つが、青木冨貴子さんの『ライカでグッドバイ』。この本で初めて、あの、川を渡る母子の写真が澤田教一という日本人カメラマンによるものだったと知りました。「あの」とは、見たことがあったからです。確かに見たことがある、と思いました。でもいつ、どこで見たのか、そのときは深く考えもせず、あああれはベトナムの写真だったのか、日本人が撮ったんだ、というほどの感慨に終わりました。

 澤田教一があの写真を撮ったのは、1965年。ピュリッツァー賞を受けたのが翌1966年とのことです。おそらくその後に、わたしは父が買ってきた雑誌か何かで、あの写真を見たのでしょう。

 青木さんの本の前だったか、後だったかは定かでないのですが、やはり同じ頃に、ニール・シーハンの『輝ける嘘』が上下2巻で発行され話題になりました。元ニューヨーク・タイムズ記者で、ペンタゴン・ペーパーの連載を担当した人です。ずっしりと重たい本でした。開高健さんのベトナム関連本も読みました。

 戦争のことは、「わかる」とは言えない。それがわたしの正直な感想です。

 この映画にも見覚えのある映像が出てきました。ナパーム弾で焼けただれた赤ん坊の皮膚をかき抱くようにして農道を逃げ惑う母親の姿。たまらなかった。目を覆いそうになりました。しかし、一方でわたしは、「ああ、この映像は見たことがある」と思いました。最初に見たときに何か感じたはずだけれどもいまそれを思い出せないのが不思議でなりませんでした。母親というものが自分の産んだ子の蒙った、致死的で理不尽なダメージをどう受け止めるのか、本当のところ、想像できなかったのだろうと思います。いまだって、赤ん坊を抱いて逃げていたあの母親の痛みが、どれほどわかっているかと言うと、はなはだ心許ない。

 繰り返しますが、戦争について、いまこの日本に生まれ暮らしている自分には「わかる」とは言えません。ただ、戦争は「起こる」のではなく「つくられる」ものだということがよくわかる映画でした。

 あの時代のあの空気のなかで、このような映画を製作したアメリカのメディア人の矜持に感じ入りました。この映画は公開の翌年、アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を獲っています。こうした作品をきちんと評価する人々がいたというのが、アメリカという国のすごさでもあります。浅いように見えて、懐の深い国。

 いまのアメリカ、ひいては日本のメディアに、戦争という大きなテーマにおいて、国家を告発する勇気があるだろうか、と思うと、自分もメディアの片隅の人間でありながら、まったく自信がありません。

 わたしが20代の終わりにフリーランスになった頃にはすでに、メディアの自主規制は深く潜行しており、「天皇」と書くときには一呼吸おいてよく考えてから、というような空気がありました。慣れというのは恐ろしいもので、「触らぬカミにたたりなし」といったん態度を決めてしまうとあっという間に思考停止状態に陥りました。

 闘う気力など無いも同然です。自戒も込めて言うならば、それ以前の問題です。

 いまの20代、30代は、この映画を“反戦”映画の一つとして観るのかもしれません。なぜこの映画がつくられたのか、つくることができたのかという視線で、作品そのものの意義について想像してみることができるのは、わたしの世代がぎりぎり最後なのかもしれないと思います。

 ハーツ・アンド・マインズについて書かれたもので、わたしが比較的好きだったのがコレです→ http://www.outsideintokyo.jp/j/review/peterdavis/index.html
 IMDbによれば、マイケル・ムーアがあるインタビューでインスパイアされた作品の一つとしてこの映画を挙げているみたいです。

東京都写真美術館で、7月16日(金)まで。

 IMDbのリンク→ http://www.imdb.com/title/tt0071604/

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