ブログ『僕は統合失調症』のことなど
『僕は統合失調症』
2006年~2007年に集中的に書いたこのブログも、更新をやめ閉鎖するでもなく休眠中のままずいぶん時間が過ぎた。その間にも訪問してくださる方があり、このまま残しておこうと放置していたのだが、柊さんから、久しくなかったコメントを頂戴したのがきっかけで、このエントリを書いてみた。
思えば、僕の統合失調症発症のときからしばらく隔たった回復過程の頃にスタートしたこのブログ。
プロローグの「恋愛編」は、失ってしまった恋愛の記憶を、細部が消え去ってしまわないうちに書き留めておきたくて、懐かしい気持ちで綴った。
「発病編」は、自身の統合失調症の発症の過程を、陽性期の症状をできる限りリアルに伝えようと、かなり自分を追い詰めて書いてみた。実際、当時このブログの読者でもあった主治医には「あんまりつらくならないように気を付けてね」と心配もされた。
「入院編」は、精神科病院に入院した3か月間の出来事を、断章的なエピソードでつないだのだが、時間をおいて読み返すと、あの時出会った人々のことが思い起こされ、今では痛ましくもいとおしい日々に感じられる。
「回復編」は、まだその頃の私には距離を置いて書くことが困難で、思うように像を結ぶことはできないまま、中断してしまった。
ブログ『僕は統合失調症』を休止した後も、様々なことを経験した。両親の死、アルバイト生活、友人と重ねた各地への旅行、発病期以来ようやく再開した音楽活動、度々の陽性症状再発の兆候など。
現在は病状は安定し、平穏な日々を過ごしている。維持薬として向精神薬は少量服用しているが、長年悩まされた不眠症状は解消し、睡眠薬は服用しなくなっている。
数年前からある女性と一緒に暮らすようになった。その生活により心の平静・安定を得られたことは大きく人生を変えた。
いつか、そのような「その後」のことを書いてみるかもしれないが、まだ先になりそうだ。今現在も『僕は統合失調症』なのであり、『僕は統合失調症だった』といえる日は来ないのかもしれない。
求めない 加島祥造
求めない―
すると
簡素な暮らしになる
求めない―
すると
いまじゅうぶんに持っていると気づく
求めない―
すると
いま持っているものが
いきいきとしてくる
求めない―
すると
それでも案外
生きてゆけると知る
英文学者であった加島祥造は、英訳された「老子」に出会い、それを元に自由な口語で訳された日本語で、詩のように老子の言葉を伝えてくれるタオイストになった。
「タオ―ヒア・ナウ」や「タオ―老子」などの著作がある。
その加島が、自分自身の内側から湧き出してきた言葉を書き連ねた詩が「求めない」という本になった。「求めない―」という書き出しではじまるいくつもの章句が連なる、小さくシンプルでいて深い本だ。
老子の「足ルヲ知ルコトハ富ナリ」という思想をベースにした加島の言葉は、今の僕の生き方には切実に響いてくる。欲望を持ちはじめたら、不足だらけの人生。それでも、急性期の底知れない不安、入院中の先の見えない苦しみから回復に向かい、日々の生活の中に小さな喜びは見出せる現在。
信州の伊那谷に隠棲し80代の余生を過ごす加島祥造と同じ境地にはもちろんなれないけれど、彼は決して煩悩を捨て超俗的に生きろといっているのではない。
五欲を去れだの煩悩を捨てろだのと
あんなこと
嘘っぱちだ、誰にもできないことだ。
「自分全体」の求めることは
とても大切だ。ところが、
「頭」だけで求めると、求めすぎる。
「体」が求めることを「頭」は押しのけて
別のものを求めるんだ。
しまいに余計なものまで求めるんだ。
世間体や、常識、人並みの幸せなどというものも、僕は「頭」が求めさせる価値なのだと思う。統合失調症という病とつき合いながら、幸せを感じて生きていける方法。「求めない」という1冊の本は、僕にその何らかの方向を示してくれた。
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ヒポクラテスたち 大森一樹
この映画は昔から好きな作品なのだが、自分が統合失調症を経験することによって、そのテーマをより深く感じられるようになった。京都にある医科大学の最終学年の1年間にスポットを当てて、医師を目指す若者たちの姿を丁寧に、みずみずしく描いている。
古尾谷雅人を主人公に、実習を受ける同級生とのエピソードを縦軸に、癖のある寮の先輩後輩との生活を横軸に、巧みなシナリオ展開で物語は進んでいく。
内藤剛志・斉藤洋介・阿藤快・小倉一郎・柄本明など、いまやメジャーになった個性派バイプレーヤーたちの若き日の姿が見られるのも楽しい。指導教官として、手塚治虫や北山修も登場する遊び心のあるキャスティング。鈴木清順も顔を出す。同級生を演じる伊藤蘭が、知的でクールではかなげでとても印象的。
普段お世話になっている主治医のK先生にもこんな青春があったのかなあと思わせるのは、さすがに自身が医学部出身の監督、大森一樹ならでは。大森一樹はその後凡庸な職業監督になってしまったけれど、「ヒポクラテスたち」は、彼が自らの体験を生かして一生に一本撮ることのできた傑作だ。
冒頭、セシュエーの「分裂病の少女の手記」を主人公が読むところからはじまるこの映画。重大なネタバレを承知で書くのだが、主人公は卒業を間近にして精神病を発病し、自身の大学病院の精神科に入院する。そして精神科医になった小倉一郎の最初の患者になる。映画の中で病名は明らかにされないが、統合失調症を思わせる症状。恋人を深く傷つけ失恋したことがきっかけとなっての発病だ。
僕自身、統合失調症を経験する以前は、この結末にちょっと唐突で強引な印象を持っていたのだが、今観るとそんなこともありえるなと素直に感じられる。
主人公を演じた古尾谷雅人は、後年自殺した。うつ病などが原因といわれる。精神を病む役柄でメジャーデビューした若い俳優が、俳優人生の末に精神を病んで自殺したというのは、何とも悲しい人生の皮肉を感じる。
若い人には古臭いところもあるかもしれないが(学生運動のエピソードなど)、この映画で描かれる青春のとりかえしのつかない切なさは、いつ観ても深く心に沁みる。
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よっしーさんに会った
ブログを通して知り合ったよっしーさんに初めてお会いした。東北に住む彼とは、会えるのはまだ先のことと思っていたが、彼が転勤で関東に引っ越してきて、思いのほか早く会う機会が得られた。東京都現代美術館で待ち合わせ。一緒に岡本太郎の大壁画「明日の神話」を観た。この作品は今年度いっぱい常設展示されている。よっしーさんも僕も岡本太郎が好きなのだ。
そのあと二人ではしごして飲みに行き、ブログのこと、掲示板のことなど、あれこれ話をした。ブログ「統合失調症(分裂病)当事者の日記」からは、芸術家肌で気難しい青年をイメージしていたのだが、実際に会って話したよっしーさんは、親しみを感じさせる、凛としながらも優しい目をした青年だった。しかし、自分の夢、世の中を見るまなざしには確固たる信念と熱さがあり、真摯な言葉の使い方はブログそのままなのが印象的だった。
「いろいろブログを見ますけど、みんな1年くらいで消えて行っちゃうんですよね」
よっしーさんの言葉に、更新が滞ったままの自分のブログを思った。昨年の夏に書きはじめて1年が過ぎた。恋のこと、発病の過程、入院中の出来事、幻聴や妄想のリアルな体験。ブログをはじめたときテーマにしたかったことを書き終え一段落した気分で、筆がすすまなくなっていた。
しかし、まだ吐き出したい経験や想いはあるし、紹介したい本や映画もある。連続小説のように、全体を構築して書き続けていくことにはもうこだわらずに、自由に気軽に書いてみよう。そう思うと気が楽になった。
ブログ2年目をはじめます。
恋の終わり②
電話をすると、香織は学校を終え家に帰っていた。
「どうしたの」
「今、東京にいるんだけど、これからちょっと行ってもいい?」
「うん、いいよ」
突然の電話にもかかわらず、香織は訳も聞かず承知してくれた。文子の住む街からしばらく車を走らせ、香織のもとに向かった。夜もふけていたが、香織のアパートにあがり、デスクライトを渡した。
「これ使うといいよ。いつも暗くて困ってただろ」
「ありがとう。きれいなデザインだね」
香織にコーヒーを淹れてもらい、今夜文子に会ったことを話した。
「テレビも掃除してないなんて、小僧もずいぶんひどいね」
「村山君も来てて、話もできなかったよ」
「あのふたり、すぐ別れちゃうと思ってたんだけど、続いてるんだね」
「うん。うまくいってるみたいだ」
お互いの最近の様子など話してしばらくゆっくりした。香織は渡辺君ともうまくいき、来年の卒業に向けて学校もがんばっているようだった。僕はとうとう母の発病のことは話せなかった。
「Sさん、元気になってよかった」
「香織も学校もう少しだからがんばってね」
「うん」
「じゃあ、帰るよ」
文子にも香織にも、その夜を最後に会っていない。香織とはその後何年かは年賀状のやり取りをした。学校を卒業して、CADのオペレーターとして就職したそうだ。結局、最後まで僕に優しくしてくれたのは香織だった。僕にとって大切なのは香織なのだ。その後長い間、僕はそう思い続けた。年賀状が来なくなってからも、何度か香織には手紙を書いて近況を知らせた。でも、返事はなかった。
僕が本当に求めていたのは文子の愛なのだと気がついたのは、病気から回復して10年近くが過ぎてからのことだった。今では、文子も香織も、ふたりともどこに住んでいるのか消息もわからない。
僕の恋の話は、ひとまずこれで終わりである。
恋の終わり①
秋になり、回復は順調で、ひとりで外出することも増えた。文子と香織に手紙を書いたりもした。文子にはもちろん病気になったことは明かさなかった。ふたりとも返事はくれなかった。
僕の家には、文子の荷物がまだ残っていた。彼女が卒業旅行でヨーロッパへ行ったとき使った、大きな皮のカバンと衣類がいろいろ。僕が小田原のアパートに住んでいたとき、文子がよく泊まりに来ていたので置いていったものを、返す機会も失いそのまま僕が持っていたのだ。文子にどうしても会いたくなった僕は、彼女に電話した。
「小僧の置いていった荷物、もう返さなくちゃいけないね」
「うん。あれ旅行の思い出のあるカバンだから」
「僕も、小僧に買ってあげたテレビ返してもらってもいいかな」
「えーっ、テレビ?・・・そうだね。高いの買ってもらっちゃったから」
「都合のいいときに車で取りにいくよ」
「うん、わかった」
ほんとはテレビなどどうでもよかったのだが、文子に確実に会う口実に僕はそう口にしたのだった。
それから間もなくして、平日の夕方に文子から電話があった。
「今日は仕事早く終わったから、これから家に帰る。今日でいい?」
文子のマンションに向かって、僕は車を走らせた。そのころには車の運転も時々していたので心配はなかった。文子のマンションの近くの路上に車を停め、カバンを持ち懐かしい文子のマンションの階段をのぼった。ドアを開け、文子が顔を出した。僕とつき合っていた頃は、僕の好みでずっとショートだった髪を肩まで伸ばし、部屋着のTシャツとショートパンツ姿だった。部屋には恋人の村山君が来ていて、奥の部屋のソファに座っていた。文子はちょうどスパゲティーを作っていたところで、「ちょっとまってね」と出来上がったスパゲティーを村山君に渡しにいった。いつも作るトマトとツナのスパゲティーらしかった。
「カバン持ってきたよ」
「ありがとう」
テレビは玄関先に置いてあった。掃除もせずほこりをかぶったままだった。
「アルテミデのライトも返してもらっていい?」
「うん。いいよ」
大きな食卓の上のデスクライトを文子は運んできた。イタリア製の洗練されたデザインが気に入って僕が買ったものだった。テレビとライトを僕は車まで運んだ。文子も手伝って車のところまで来てくれた。
「カバン、どうもありがとう」
「うん、そういえば小僧、車の免許は取ったの?」
「ううん、やっぱりわたしには無理だよ。仕事忙しくなっちゃったし」
「じゃあ、元気でね」
「うん、バイバイ」
文子は村山君の待つ自分の部屋に戻っていった。お互いの近況なども話すことなく。これでもう文子に会うのはほんとに最後になるだろう。最後にしては文子はずいぶん冷たかったな。やはり彼女にとって僕との関係は、すでに終わった過去のものなのだ。
しばらく、車の中でボーっとして、デスクライトを香織にあげようかなと思いついた。香織は専門学校の製図の課題を家でよくやっていたが、デスクライトがなく、いつも暗いテーブルの上で図面を書いていたのだ。僕は公衆電話を探し、香織に電話した。