精神的不安定で残暑に末期


え〜と精神が不安定です。


今までも不安定でしたがピークに達したのか末期なのか…


えーあまり言うとリスクを感じますが、
好きで貧乏をしているのではありません。
しかも生活に困窮していることを声に出して言うことが出来ません。


なぜ出来ないかというと
それは国民の中に怒りと憎しみの憎悪が渦巻いている様に感じとれるからです。
そして国は困窮している者を見なかったことにし
あくまで少数の人間だよ、ということにしておきたいようだからです。


高級なマンションが建てばその横に、キレイな公園が作られる様に
権力者が一つのユートピアを作ろうとした時、
必ずそこにフリースペースを作らざるを得なくなります。
それはユートピアを作る時に人の心を反映させようとするからです。
金持ちや権力の世界を作れば作るほどセットで
心の豊かさや慈悲深さを表現しなくてはならなくなります。
お腹一杯に食べ物を食べた金持ちのとなりで、
食べ物を買えずお腹を空かせて餓死した人がいたら困るからです。
金持ちとしての見栄えが悪くなるので困るのです。
なのでフリースペースにはまず、弱者が招かれます。
そしてユートピアを作るために一生懸命働いた一般労働者は、
お金持ちを羨み、弱者に怒りと憎しみが沸き上がるのです。
これは国レベルでも同じ事が言えます。


お金というのは通行許可書の様なものまたは
一つの共同体の中での証明書の様なもので
個人では所有できない実体のないものです。
それを所有できるものと思い込ますことにより
労働者は働いているのだと思います。


ホームレスの人が小銭を拾い集めても
まともな生活が出来ないのは、
お金は共同体の中で
最初から蛇口のバルブをコントロールされているからです。
働いて金持ちになったら自由になれると思いがちですが
その人が共同体の中で、どの位置に属しているかが
金持ち、中間層、底辺への振り分けへと
繋がってくるのだと思います。


カニズムを考えれば考えるほど
精神病になります。
まっとうな人生を送りたい人は
なにも考えずに
社会のストレスに負けない健康的な生活を送ったほうが良いです。


個人的には立場上、
生活困窮者に共有感を求めたいです。

精神ゆがむが幸せの始まりまたは絶望


「もう暑い、いい加減に暑さをねじ伏せてくれ」
と内心思っている。
クーラーのない夏でした。


自分は一体どんな立場の人間なんだと思う。
結局人は、
自分と似た立場の人間と精神を共有するという性質を持っていると思う。
もし自分が圧倒的少数の人間だったら
大勢の人と精神を共有するということに無意味さを感じると思う。
共有するという性質を持ちながらも立場上それが出来ないという人は
まったく新しい方法を模索するしかないのかなと思っている。



いろいろありまして…


法律がありそれを基に社会のシステムとお金があるとすれば、
システム以外の事をしてもお金が貰えないからしない、
お金が貰えるからシステムの範囲内だけで動く。
社会を潤滑に動かすには望ましいけれど
それゆえに人の冷たさや社会の冷たさが脳裏に焼き付いた。
それらを理由に自分の精神が歪み始めた。
くっきりと何に苦しんでいるのかが明確に解り始めれば
パンパカパーン、おめでとう、てな感じだ。
けれど同時に社会的弱者であると自覚しなければならなくなる。
(多くの槍や石が飛んできてもそれらを防御するための
準備や心構えを始めなければならなくなる)精神的な例えです。


ネットに期待を抱くが幻想か?


ネットの中には
ちょっとくらい自分の進める道があるのではないかと期待したが…(ない)
または良く解らない。
良く解らないというのは、
おおざっぱにいうと
ネットの中には一芸にひいでた人か
精神病の人しかいない。
ある程度収入があり一芸にひいでた人は
日々の生活の充実ぶりを公表し
ある程度精神病の人はネットの中に突っ込んでゆく、
みたいな構図が自分の頭の中には出来上がりつつあります。
結局、進む場所がない。


自分の発想だけで生きてけるわけないだろとか
世の中そんなに甘くはねぇーんだよなどの
圧力が掛かれば、それは共有でもなく差別でもなく
ある意味、分別と捉えることが出来る。
このような圧力に共感できる人は同じ性質の人の所へ行けば
より生きて行ける可能性が限りなく広がり、
共感できない人は別の性質だと分別される。
分別されることにより自分の進む道が
わかりやすくなるのではないかと思っている。
社会的弱者は弱者だと分別されないから逆に苦しんでいる様にも思う。
差別と分別は似ているが社会的意味は当然違ってくる。
差別にはヒステリックなまでに人に気を遣わせたり、
人が精神的に苦しむというイメージを持っている。
それは差別されるような人間になってはいけないという
社会的教育や世間的に過剰な思い込みがあるのではないかと思う。
理由としては人を社会の中心に集め大多数の人間に
一つの共通した性質を持たせることにより
多数派の勝利を目指すことが目的だったり、
そのために人々を管理しやすくしていたり、
社会からはずれた人間は
多様な意見を社会に持ち込もうとする危険な存在に成りかねないので
単純に敵だとみなすことにより
社会の平和を守り、
やはり多数派の勝利を目指しているように思う。
多種多様な意見を持ち込まれると多数派の勝利を阻害することになる。
差別されることは良くないことだと思い込ませることにより、
社会的弱者を分別させないようにするという社会的トリックがある様に思う。
本当は個人個人の性質を的確に分別してその人たちがそれぞれどのようにして
生きて行けば良いのかという道を作り出してあげるのが、
現代社会やこれからの社会に単純に合っていると思う。


分化することが宇宙に共通する出来事だったり
人間の特徴だったりするのなら
固定してしまうより多様化した社会の方が良いです。
ちょっといろいろありまして、
仕方のないことかもしれませんが
システムとお金に縛られてる人は真実をまったく見ようとしないことが
ハッキリとわかりました。
圧倒的少数の立場の人は生きる権利を主張するのに相当なエネルギーと労力が
必要なのだと思います。
本当は変な人生を歩んでしまい、自業自得だと思わされてる人が
もっと大勢いるのではないかと思っています。


というわけで一応シュールにボケた文章を書いたのですが…
心理的なものが…
いっそ殺されたことにしておきたい。
それが社会の目的だとするのならば、
都合の悪い人間を見えなかったことにするために…
なのでそっと身をひそめ
いつか復活し
そして社会に貢献したい。
日本の文化に愛国心を抱かずにはいられない。
あ〜悲しいことに
闘わなければならないのか
先人は道を切り開いてくれなかったのか?
いや探せばあるのかも…。
健闘をお祈り致します。

すいませんちょっと忙しい


(忙しくて絵を描く時間とアニメを観る時間がなくなってしまいました)


(夏アニメが全然観れてない状態、)


(特にドラゴンボール改の18号が出てくる辺りから観れてないのが残念…)