ご無沙汰してます

ひと月前、立派に自死を果たした「なごみワールド」ですが、浮遊した魂が下記のアドレスで独り言をつぶやいているようです。ちょっくら覗いてみようかという物好きな方がおられましたら、どうぞ。まあ相変わらず、というか、たぶん一段とつまらないですが。
http://d.hatena.ne.jp/kktsc/

とりあえず終了、のお知らせ

つらつらと駄文を重ねて参りましたが、とりあえず終わりにしようかと思います。大して面白くもない日記なのに、ちょくちょく覗いてきてもらった皆様には感謝申し上げます。ありがとうございました。
なお、幾分スタイルが変わるかもしれませんが、新しいページに引っ越します。でも、今度こそ、さらにもっとつまらないページになると思います。一応、数日後にこのページで告知する予定ですが、ぜんぜん為にならないゴミブログになってしまうと思います。
というわけで、ひとまずここで一区切り入れようという感じです。皆様、ありがとうございました。

川島雄三『女であること』(1958)

原作:川端康成 脚色:川島雄三田中澄江井手俊郎 撮影:飯村正 音楽:黛敏郎 主演:森雅之原節子久我美子香川京子三橋達也、太刀川洋一、石浜朗音羽久米、中北千枝子菅井きん、丸山明宏
結婚十年目の弁護士・佐山と教養豊かな妻・市子の夫婦には子供はないが、担当する受刑者の娘・妙子を引き取って暮らしている。そこに、家出した市子の親友の娘・さかえがやってくる。現代的なさかえの自由奔放さに戸惑う市子であったが…。消極的な妙子と積極的なさかえという対照的な二人の少女と市子、三人の女の不安定な心の動きが錯綜する。「女」という生き物の不可解さを描き出す!(CV)

森雅之原節子の夫婦は香川京子を引き取って、田園調布(二子玉川)で裕福に暮らしている。そこに真正お嬢様パワーを炸裂させつつ、なにわ娘・久我美子がやってくる。「小父様が好き 小父様が好きなわたしはわたしが好き 小母様が好き 小母様が好きなわたしはわたしが好き 小父様と小母様の両方が好き 両方が好きなわたしはわたしがきらい」。だってわたしは女ですもの。
久我美子が酔っぱらって帰宅し、原節子にキスをするシーンがすばらしい。吃驚して目をしばたたかせる原節子!!男にだまされる香川京子もいじらしくてたまらない(大好き)。久我美子原節子香川京子が一緒に出てくるだけで、心底、幸せな気分に浸れてしまう。
むっつりスケベな森雅之の陰気さが、結婚生活の微妙な倦怠をうまく醸し出していた。粘着質な三橋達也も、原節子にとっての不気味な存在(元恋人)として、なかなか味わいぶかい(三橋達也久我美子を玉川に送る車中の場面がすばらしい)。森雅之原節子が口論する奇抜なシークエンスは明らかに失敗だったが、冒頭で奇妙な歌を歌う丸山明宏の登場(これは効果的)など、川島雄三の分裂気質な演出を堪能することができた*1

*1:クロレラ研究家夫婦(三木のり平)は出てこなかったが、出てきたって驚かない。そういう変な演出がないと、出来損ないの成瀬映画になってしまう。

シネマヴェーラ。やっぱり昔の日本映画っていいよな、と幸せな気分になる。久我美子が素晴らしかった(悪役だけど)。
冒頭で妙な歌う美輪明宏トランスジェンダーという便利な言葉が発明されるまでは、「奇形としての自分を受け入れる」ぐらいしか、自己承認のやり方がなかったんだろうが、それはそれで特有の文化を作り出していた面もあるわけで、いまや椿姫彩菜は完全に女の子である。まあ、はるな愛がいるけど。

飲み会。悪酔いしている先輩をみて、生活の荒み具合がありありと想像できてしまった。人生がここまで荒んでしまうことはありうるし、これほど荒みきらないうちに、転機を探ることもまた必要なのではないか、としみじみ思われてくる。成功モデルにとらわれてはならないし、成功モデルが本当に成功しているかなんて、きわめて疑わしい話でもある。努力すれば報われるという物語が、人を不自由なままに閉じ込めることだってあるだろう。久しぶりに会う人たちが多くて、とても楽しかったんだけど。
高橋洋一が窃盗で逮捕。

「世界最古の鉄器、トルコで発見 ヒッタイト起源説覆す」

2009年3月26日3時1分(asahi.com

 中近東文化センター(東京都三鷹市)が調査を続けているトルコのカマン・カレホユック遺跡で、紀元前2100〜同1950年の地層から、小刀の一部と見られる鉄器1点が発見された。鉄滓(てっさい)(鉄を生産・加工する時に出るかす)と、鉄分を含んだ石も確認され、鉄づくりが行われていたことが確実になった。人工の鉄の利用は紀元前15世紀ごろに同じアナトリア半島ヒッタイト帝国で始まったとされてきた世界史の通説が書きかえられる。

 鉄器は2000年の調査で出土したもの。折れていて、つなぐと長さ5センチほど。さびがひどいが、切断して断面をX線で調べると、鋭い元の形が見えた。片側だけに刃がある小刀の一部と見られる。鉄滓は1個で直径2センチほど。原料と考えられる鉄を含んだ石は2個確認された。

 同文化センターは中近東の歴史・文化を研究する財団法人として79年に設立、85年から現地で調査を続けている。昨年までの調査で紀元前15世紀よりも古い地層から鋼を発見していた。しかし、上の地層から落ち込んだ可能性も否定できなかった。そこで出土した金属類の調査・分析を、岩手県立博物館の赤沼英男上席専門学芸員文化財科学)が昨年から進めていた。

 赤沼さんは「原料も含め加工段階の違う鉄が同じ地層から発見されたことで、この遺跡で鉄の加工が行われたことに疑いの余地がなくなった」という。

 これまでは、人工的に鉄を作り出したのはヒッタイト人とされてきた。中国で鉄器が登場するのは前7世紀ごろ、普及したのは戦国時代の前4世紀ごろで、弥生時代だった日本にもそのころ伝わったらしい。

 同文化センターの大村幸弘・アナトリア考古学研究所長は「鉄の生産はアナトリア半島で独自に始まり、後に北方から進入し征服したヒッタイト人が武器として利用し、その技術を秘密として守ることでオリエントに覇を唱える帝国を築き上げたのだろう」と語った。(渡辺延志)