琵琶湖塾第1回目メモ(田中均氏)

 昨日、ピアザ淡海で琵琶湖塾http://www.biwakojuku.com/という講座があり参加してきました。滋賀県立大主催、田原総一朗氏がオーガナイザーとなり、毎回ゲストとしてこられる多様な講師の興味をそそる話もありつつ、田原氏と会場とが一体になって、「生きる」という本当に大きなテーマに則って対談が繰り広げられるなかなか面白い、頭のいいふりをしている滋賀県民にとってうってつけの講座です。
 今日はその第1回目の講演の内容を必死でノートPCでめもったものをここに載せます。本当は多少なりと編集すればよいのでしょうが、今仕事が忙しく家帰ってからそんな気力ないので、ほとんどメモ書きのまま掲載します。しっかりと内容が取れているかちょっと不安ですが、大体講演の内容を順に追ってメモしたつもりです。ここにメモったことが全てではありませんし、記録し損ねて意味のわからない部分も多分にあるかと思いますがご容赦願います。もし講座の運営上問題があるようであれば即刻削除します。注意事項にブログ載せちゃいけないとか書いてなかったのでまぁ問題ないでしょう。
 第1回目は、田中均さんという元外交官の方です。今まで全然注目していませんでしたが、生でお話が聞けて本当に良かったです。

2010/07/07 琵琶湖塾 @ピアザ淡海

第1回目
元外交官 田中均さん
田原:今日から今年度第一回目
今年のテーマ
去年オバマ誕生
日本でもん民主党「チェンジ」
今年はクリエイト
日本をどうつくるかをテーマにしたい

小泉純一郎北朝鮮から5人拉致被害者連れ帰るその道筋作ったのが田中均
ミスターX
非常に骨のある珍しい立派な外交官

田中:
田中均です
京都出身20年以上前出た
40年あっというま
それまでずっと京都こもっていた
外交官東京抜けて外へ出た東京はただの通過点のような気持ち

外交官目指したわけ
父は神戸の商社マン(茶、鉄鋼)
ペルーで拿捕され、死刑を免れ南アで捕虜交換線かんから日本に戻ってきた。
帰ってきて2週間で赤紙→戦わず終戦
京都に住む→S22田中均さん生まれる
国家の政策によって個人の運命が変わる個人の運命が変わってしまう
外交官になって国家の政策に関わりたい

外交官は本来骨がないといけない
日本の運命を背負っているわけ
それは普段の生活にも言えるのでは

外務省退官して5年東大で教授
ゼミ生20人を外務省に
うるものが大きい
やめる学生もいる「きつすぎる」「政治家になりたい」
人材を育成することは国を背負うことと同じぐらい重要だ。

4つの鍵になる言葉

1確信を持つこと
2力
3大きな絵をかくこと
4信頼関係を作ること
とりわけ外交の任に携わる人にとって大切な4つ

1確信を持つ

1夜にして確信を持つことはない
80年代日本とアメリカの貿易摩擦デトロイトの失業
アメリカ議会では対日法案、そんな時代
「このまま日本が閉鎖的市場を維持すれば経済的に発展しないだろう」
日本の市場をより開くということが確信

しかし日本では罵倒
タバコの関税を下げる→日本商品が競争力もつのに抵抗にあう
しかし変化には痛みを伴う
日本という国が10年20年先に十分な競争あるとは思えないという確信で行動した

95年に村山談話
日本が過去にとった行動は侵略であり深甚なる謝罪をする
これまで深い抵抗
その当時担当朝鮮関係

朝鮮人被爆者ソウルで被爆者手帳もらえない
サハリン強制労働連れていった→無国籍で彼らを放置

自分で動こうと思った
誰かに何か言われたからやる→外交では評価されない
湾岸戦争
日本は自衛隊をだそうとしたが無理→多大なお金を出した
しかしアメリカに圧力をかけられ評価されない

個々の歴史家が歴史的事柄に認識を持つのは自由右も左も
しかしこれが国家元首がこんなことやってていいのか
談話を出すということによって将来の日本の活動に良い影響が及ぶのでは→確信

北朝鮮
毎回毎回北朝鮮と交渉した。
1994年担当課長
日本の安全保障政策変えなきゃいかん
自分のこととして安全保障考えてこなかった日本

そこに北朝鮮問題
小泉純一郎訪ね1時間ぐらい話
「対話協議交渉なくして,解決はない」→確信

アメリカはイランで武力を使って人質を救出しようとした
→無理だったので交渉で解決

確信があると、
いろんなことをやり、結果を作れなかった
外交は具体的な結果を作ることが重要であり、国力を内外にアピールすることが縦横ではない

なので確信持つこと大事

2力を持つことが大事

軍事力だろう?と思うだろう
日本が軍事力で解決することはない。
他国が侵略してきた場合の抑止力であり武力で他国をってことはない
だからって力ないわけではない

1情報の力

いったいこの国がどういう状況に置かれていてどういう事を優先的にやりたいか
相手がどういう任にあってどういう力を持っているか
そういう情報を持っていることが大きな力
北米局審議官普天間問題でカープキャンベルと話したとき
彼は大変な野心家であり大きな絵をかくbigpictureマン
相手知ることにより自分の力になる

2同盟の力

今までの日本の強みはアメリカの力を使うことだと考えていた。
アメリカは日本の強い同盟国
何回も何回も交渉、メディアに晒す
新聞に出る、北朝鮮当局も見る→これが力

既得権益を使う対米摩擦、日本の将来を変える力にするため同盟の力使うことも

3番目の力

最高権力者の力
アメリカの交渉も北朝鮮交渉も最高責任者
船橋ペニンシュラブティッククエスチョン(?)
交渉を新聞に出してもらってそれを力にする

3大きな絵をかくこと

外交以外にも人と人との諍いにも意識している
拉致を何とかしろと机叩いても解決しない
するとどうするか
外交は一方が100とって一報が0取るなんてことはない
圧倒的な権力関係取らない限り
WIN WINの関係に持っていく
拉致を認めさせて対価を払う←それはできない原則に反する
かつて、超法規的措置
どうするか
次元を広げる
時が長くなる
妥協ができるところまで地図を広げる
これが外交の鉄則
武力によらずに外交をする
原則が曲がらない限りでWIN WINを作る
有事の時の安保ガイドラインなどで絵を大きくしてアメリカの基地返還に合意をさせた

4信頼関係を作る

鳩山政権最大の問題は外国との信頼関係が崩れたこと
個人的な信頼関係ではない、国家として相手としての信頼関係を作るか
約束したことを実行出来るか
とりわけアメリ
物事を実現する力があるか
現状そういう力関係が崩れてしまっている

さっき私のことをミスターXと田原さん言った
どういう肩書きを持ってるかが問題ではないどういう
日経新聞社の記者がスパイ容疑で北朝鮮に拘束された
どれだけ無条件で開放できるかに力使った
記者「あんたらいくら払ったんだ」
お金で信頼は買えない、行動で信頼を買う

日経心の玉手箱
「マークキャンベル」私が退役するときにカップ「あなたはビジョンを持った愛国者だ」
北朝鮮交渉相手
「あなたは信頼できる。個人的に話したい」
しかしやらない。国家としてやらないといけない
水面下での交渉はよくない
責任ある当局者が確信を持って十分大きな絵が書ける人が大事

綺麗事かも知れない
小泉訪朝2002年批判受けた
翌年爆発物家届く
検事「あなたのこと書いた雑誌全部読んだ。売国奴国賊批判される現認はなんですか」
私「世の中批判するものの裏には権力・既得権益の影がある」

阿部さんがあなたを批判しているという声
私は安倍晋三を政治家として強硬姿勢をもった政治家として評価している
私は官僚だ弁護しない
年を重ねれば「政治家であれ官僚であれ正しく生きてきたか」と思うだろう
自分の使命感に対してそれだけ忠実にやれるかを問うことになるとおもう

まだ外務省にいてもおかしくなかった
2000年には外交官やめる覚悟していた
辞める覚悟ができると人間強い
使命感に忠実に物事ができる
時がたって私は外務省でやりたいことできた
私は退いて外交政策が論じられるような基板を整備したい
民主党政権にかけているのはプロフェッショナリズムにかけていること
官僚を排除した

苦しい環境にいながら確信を持っている官僚そういう官僚なくして政治はできない

今度の選挙大いに期待している
1年ごとに政権が変わる
安定した政権を作らないと日本終わる。

講演終わり

質疑応答(抜粋)

Q普天間問題に関して
鳩山は何を失敗したか

A
野党の時自民党を批判し、最低でも県外であると公言して選挙に戦った
野党としては当然
民主党マニフェスト自民党との戦いではいけるが
アメリカと虚心坦懐に話をするをやるべきだったそれをやらないでレトリックで交渉しようとして
現実というものを踏まえ現実でどういう処理をしようとする展望がなかった。問題を国内で処理しようとしていたことが原因

Q
日本は経済的に発展衰退国である
人口減っている経済発展成長しない
海外に出ていかなければ未来はない
しかしわたしは高校生と中学生の子がいるが非常に子供たちが内向きになっている
外国に出ていく意識が少ない
今のことも立ちに何を伝えていかなければならんのか
一番今の子供たちに教えてほしいこと
A
同じような認識
明らかに少子高齢化
潜在的な成長率せいぜい2パー
しかし
日本は引き続き非常に高い能力持った国である
発明・知的所有権もっている
それを発展させるネットw−アクを持っている人少ない→弱み
モノとオーガナイズいてマーケティングしていく能力
モノを作る<頭を作るネットワーク作ったり関係を持ったりして
諸外国の有識者と話する
ほとんどの有識者にほんってしあわせだよね
中韓ベトナム発展する
日本はその周りで唯一の先進国
その需要に引っ張られて日本も発展するよ

その時代は東アジアを面としてみる時代になるとおもう
かつて日本は国内に目を向けていた
今は日本のマーケットは小さくなっていく、東アジアのマーケットは大きくなっていく

日本に98ある飛行場 
随意契約→選択的に契約していこう
できた結果どのひとつも東アジアの需要に応えようとして作られているものはない
港湾もしかり

日本知識がある能力がある
日本は絶対大丈夫

日本は強い強いってことを認識してない
ネットワーク確立してない

田原:
日本の将来は明るい
日本は圧倒的に商売下手
原子力発電売り込む
日本の原発能力高い
しかし韓国がとった
なぜか日本には商売するきがない
韓国の下請けに入っている
日本の上場企業にろくなヤツいない

日本で一部上場企業の社長になるには
1ちからがある
2失敗をしなかった
3お世辞がうまい
4運がいい
彼らは絶対に失敗したくない

田中:
民主党政権に・・過去の既成の枠に縛られずに誰がどこをやるかというのをもう一度考えてもらいたい

トータルで物事をオーガナイズしていく力!!!!!

※次回はあの勝間和代さんがきます!この講座いち楽しみにしてます。いろんな意味で。

自分がいちばん調子にのっているときに、いちばん良い結果が出せるようになりたい

 表題「自分がいちばん調子にのっているときに、いちばん良い結果が出せるようになりたい」はさっき風呂に入っているときにふと悟ったように頭の中で降って沸いてきた、今年の目標です。調子にのっているときに結果を出すこと。それはなかなか出来そうでできないことだと思ったんです。だからこそそれができるようになれたらいいのになと思うのです。
 例えば仕事でも趣味でもいい、なにか自分の好きなことに取り組んでいるうちに、なにかがきっかけで、だんだん自分の中でテンションが上がってきて、いわゆるランナーズハイみたいな状態になることってあると思うんですよ。自分も結構あるんです。
 が、そういう調子にのっている時って大抵の場合テンションの割に結果が伴わなかったり、逆に大失敗してしまったりしてませんか?僕がそうなのです。
 僕は今まで生きてきて、調子にのっている時に物事がうまく運んだ試しがないんです。まぁ当たり前といえば当たり前なんだけど。

 例えばバイクで調子よく走ってて無理して事故っちゃったり、リズムよく包丁で何かを切っているとき調子に乗って指を切っちゃったり、仕事で、俺結構出来る子じゃね?って思いながらバリバリこなしてたら、その後でとんでもないミスが発覚したり、思えば就職活動もそうだったような(笑)調子に乗ると大抵何かしらの失敗をしては選考に漏れてを繰り返してた。本当に自分は調子に乗るとろくなことがない。高校でも調子に乗って変に目をつけられて痛い目を見たし。

 そうなんです。どの場合も調子に乗ってしまったばっかりに失敗してしまっている。何度もいいますがこれは当たり前のことなんですよね。すべては自分が調子に乗ったことが悪いのです。ちゃんと結果を出そうと思ったら、調子に乗らなければいい。至極単純なことです。自分の場合、調子に乗らずに、油断せずにある程度集中して慎重にやれば、それなりに妥協出来る結果が出るには出るんです。しかしそれは諸手を上げて満足できるような結果ではもちろんないし、これが一番言いたいのですが、調子に乗らずに集中して落ち着いて、淡々と物事をこなす事は、何より自分自身やってて楽しくないんですね。
 その反面、調子にのっている時の自分自身の気分はとても楽しいのです。やる気はものすごく高い状態を維持できていると思います。とてもポジティブに、仕事でも趣味でも真剣に物事に取り組めて、しかもめちゃくちゃ楽しい。調子に乗ってるときってそうじゃありませんか?おそらくアドレナリンか何かも出てるに違いない。だから調子にのっている事自体は悪いことではないし、むしろそれぐらいの高いモチベーションでもって、もっといろんなことに積極的に取り組めたらなぁと思うぐらいなのです。が、調子にのっているときの自分は、いかんせん結果がついてこない。空回りしている状態に陥るか、周りが見えなくなるか、どちらかです。
 だから俺は思うんです。自分がガンガンに調子にのっているときに自分の思うような結果をガツンと出すことができたら、俺もリア充の仲間入りなんじゃねぇのか、と。考えてみればちまたのリア充が輝いてるときって、たいていすっごい調子にのってますよね。それでいて楽しそうですよね。それでいて結果もちゃんとついてきている。壮大な喩えで言えば、イチローとかね。別にイチローに憧れてるわけじゃないけど。そういうことですよ。世の中調子に乗りながら結果をガツンと出してくるやつがいるんですよ。リア充とはそういう連中を指すのではないかと思います。僕は調子にのっているときに結果が出せない人間なので、今年は是非自分がノリノリな時に結果が出せる人間になりたいと思ったのです。調子にのっているときに結果が出せるようになれたら──自分の身体的な動作と、頭の中のモチベーション、この2つのベクトルを合致させられるようになれたら、これほどまでに胸のすく思いはないと思うんです。だから今年はこれを目標にします。
 さて、目標に掲げたからには達成しなければなりません。果たして達成出来るのか。どうやったら達成できるんだろう。
 要は調子に乗りながら集中したいだけなのです。僕は調子にのってしまうと周りが見えなくなるので、目標を達成するには調子に乗りながら周囲を冷静に見回せるようにならねばならない。調子に乗りながらちゃんと周りに気を配れたり、調子に乗りながらミスにナチュラルに気づいて軌道修正できたり、自分が調子にのることで周りにも良い影響を与えられたり、僕はそういう調子の乗り方ができるようになりたいのです。でもそうなると、ただの慣れとか、熟練具合の問題のように思えなくもないような気もしなくもないです・・・・・興味もって取り組んでると身のこなし方、振る舞い方も自ずとだんだんわかってくるもんですしね。
 そんなこんなで、ひとつでもいいから、何か「ビシッと調子の乗り具合に見合った結果の出せる」ものを自分の中で作り上げたいです。そんな感じで1年過ごします。

あとがき

 もう新年開けて1週間ほどたってしまいましたが、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 多分今年もこのブログはそんなに更新しないし、更新したとしてもしょうもないことしか多分書かないと思います。別に仕事もプライベートもなんにも忙しいわけじゃないんです。書きたい気分にならないとかけないんです。無理やり話題探してまで書くのはちょっとしんどい。更新も多分2ヶ月に1回ぐらいだと思う。
 が、それでもきてくれる人の事を俺はガンガン意識して書きたいと思います。でももう大学も卒業して学生という身分から徐々に離れつつある今、かつてのようにネットのこととかアカデミック(まがい)な事はもうあまり言わないと思います。現在の此ブログは第一義的には自分の頭の中で考えたことの棚卸の場なので、世間ずれしていることも言うかもしれません。すんません。

最近

 いつものことながら全然更新してないままですね。またいずれ覚醒して書き始めるかもしれないのでそのときのための場所としてここはちゃんと置いておきますね。すんまへん。
 さて最近、流行の新型インフルエンザに感染して今週末は家で大人しくしてます。いろいろと予定があったのにそれも果たせずで、俺一番そういうのがストレス溜まるからなんともやり切れん気分です。しかもインフルエンザそんなにたいしたことないし。この前引いた風邪のほうがよっぽど寝込んでたもんね。まだまだ体調は優れんけどおかげでこれきっかけで禁煙も進みそうやし、結果オーライかな。

 ともかくも、最近は物理的にも精神的にも隠居してしまいそうな勢いなので、やる気だして生きていかないと、と自分自身を奮い立たせる毎日です。

今まで10ウン年のパソコン歴があるのに知らなかったwindowsのクソ便利機能

 今日ね、職場で昼休みにおもむろにデスクトップのアイコンを並べたりして遊んでたのよ。そしたら見つけてしまった。思いもよらぬ機能を。
 その機能がこれ↓

デスクトップで、何でもいいからフォルダを

ドラッグして

右端の画面のへりに持って行くと

なんとツールバーになってしまう。しかも上のほうをドラッグすればデスクトップ上のどこでも移動可能に。

 むろんフォルダのショートカットでも利用可能。これ、よく見たらツールバーなんだな。ツールバーってタスクバーの中に入ってるIEとかmediaplayerのアイコンとか、そういう類のことで、ぜんぜん便利じゃねぇしって思い込みがあっただけに意外だった。ランチャなんか使わなくてもwindows純正でこれだけ便利になるもんなんだね。
 これって普通の人からしてみたら珍しくもなんともない機能なの?あんまり活用してる人を見たことないからマイナーな機能に間違いないだろうけど、もしみんな知ってたんなら鬼の首を取ったようにここで紹介してる俺がほんっとうに恥ずかしい。。小3でwindowsをはじめて触って以来一番の衝撃だった。びっくりした。
 まぁ、知らなかった人はぜひご活用ください。

認知症ケアをめぐる議論と、現代社会との深い断絶

今日は仕事で認知症にかんする研修を受けてきましたよ。
昔看護師、保健師を経験してきた60後半ぐらいの女の方が講師でした。その方いわく、
認知症の人も日々自分がどういう存在であるかが薄れていく恐怖と隣りあわせで生きている、
認知症の人には頭ごなしで否定してはいけない、どんな内容でも受容し共感してあげるのが大事だ、
認知症の人には昔の記憶を持ち出して会話をしてあげるのがよい、(回想法(ぐぐれ)的なやつ)
認知症の人も基本的な言語コミュニケーションの体系や、その人が持っている昔からの経験的な記憶は忘れているわけではないので、
それに直にアプローチしてあげる(たとえば味噌の作り方を教わる、「おばあちゃん昔は○○作るのがうまかったらしいね、私にも教えてください」という語り口で接する)等すると、その人もいきいきと返答してくれる、
認知症になったことを社会にカミングアウトできる環境が日本にはまだなくて、その状況が認知症患者とその家族を精神的に追い詰めて事態を深刻化させているので、
カミングアウトした上でみんなでその人を支えあえる環境が必要である、
昔ながらの助け合いの付き合いをずっと続けてきた地域社会はその環境として大いに期待されている(その人の昔のことをよく知っている近所の人がたくさんいるため)、
よって認知症を地域社会ぐるみで包括的に見守れる社会の構築が求められている等々
ざーっくり言えば「地域ぐるみで認知症を見守ろう」的な内容の公演だったんです。
 
まぁこの方法論はたとえば俺んとこみたいな田舎なら通用するかも知れん。が、ほんまにやれ核家族化だ個の時代だ社会の流動化だ非正規雇用グローバル化だ移民流入だといわれている中で、
都会になればなるほど当然この地域的な牧歌的*1なつながりなんて薄れていくに違いないだろうし、
現に田舎だって過疎化が進みに進んでるわけだし、
一生涯にわたって記憶を共有できる昔からの隣人、地元の友達なんてこれからの時代・これからの世代少なくなっていくに違いない。
つまり、「認知症を見守る」べき「地域」、もっと踏み込んで言えば「地縁・血縁」みたいなものも、あるいは「昔の記憶」を想起させる時のバックボーンとなる、いわゆる「大きな物語」も、すでに幻想と化しているのでは?という命題がひとつあって、
もっと言えば、こういう時代だからこういう時代特有の、ネットでこういうコミュニケーションを若者はとってて、物語ではなくネタや繋がりを求めてかくかくしかじかのようなコミュニケーション形態になっていくよー、ヒウィッヒヒーだよー、監視社会だよーつながりの社会性だよーっていう議論がある、
 
 その2つの世界の間での社会をめぐる構築の仕方に関する根本的な考え方が、あまりにも断絶していて不安になるんですよ。ひょっとしたら、それはそっくりそのまま都会と田舎の間での断絶、ネットとリアルの間での断絶あるいは世代間の断絶という風に捉えようと思えばそれもできるかもしれない。それならそれでいい、けどもっと深いところでの断絶が、あるような気がしてならないのです。
 お互いに片方の世界はもう片方の世界のことをよく知らないし、知らないゆえに見えないものとして議論が進んでしまっているような気がして、いつかこの断絶がとんでもない帰結に結びつくのではないかって思って、逆にそういう意味で面白く聞かせていただきました。
 しかし今の田舎はまだまだ共助、互助的な助け合いの精神は根付いているわけだし、もしかしたら今現状のことは心配しなくてもいいかもしれない。「認知症は地域ぐるみで見守るのが解決策だ」という大前提がある、というスタンスに立てば、もっと憂慮すべきは、今の僕たちの世代が、じじいばばあになって、認知症になったときなのかもしれない。
 ってか認知症に限らず、ロスジェネ以降ぐらいの世代が高齢になって介護でも受けるような身分になったときのことを想像すると、ぞっとする。もう阿鼻叫喚の世界が待ってると思うんだわ俺は。引きこもりの高齢者とか、二次元しか愛せない高齢者とか、いったいどうするんだろう。

*1:実際今日の話も多分に牧歌的だったような、昔の人はみんなクリエイティブですごかったんだよ、それに引き換え最近は云々って言う内容が目白押しだった

「公務員十戒」

 さて、世の中には、「電通鬼十則」ならぬ「公務員十戒」というものがあるそうです。これは自治大学校でご活躍の椎川忍氏の言葉であり、そこには公務員とはかくあるべし、という教訓が10項目かかれています。僕が今日初めて知ったぐらいだから、ましてや公務員以外の人が公務員の「戒律」のようなものを目にする機会はまったくないと思うので、ぜひ紹介したいと思ってエントリにしました。

椎川流「公務員十戒
1 公務員である以前に、普通の人として尊敬される人間になること
 ・・信頼感のある人間であることは住民との関係構築には不可欠ってことだと思います。
2 常に健康をチェックし、身体を鍛え、公務能率を上げるよう心がけること
 ・・これはどの仕事でも当てはまる気もします。やはり体は資本です。
3 権力を振り回すことなく、いつも謙虚に、国民、住民のために真剣に汗を流すこと
 ・・国民や住民と同じ目線に立たないと、住民は政治や行政には参加してくれないですよね。公務員は権力者でも下僕でもありません。あくまで住民と同じ立場なのです。
4 自分だけの狭い世界に閉じこもらず、土日でも勉強や付き合いは買ってでもし、知識と人脈をひろげること
 ・・特に公務員は何かとプライベートは大人しく過ごしていることが多いと思うので、一番目からうろこでした。広い視野を持つことが後々仕事に生きてくることは公務員でも同じだと思います。
5 自治会活動でも、ふるさとの地域おこしでも、国際交流でもいいから、地域活動、ボランティア活動、NPO活動をし、机の上の理屈だけでなく、身体を動かすこと
 ・・近所付き合いでこういう場に出ることはありますが、そこからさらに目的意識を持つことが求められてるのかなと思います。
6 自分の周りの国民、住民の声に謙虚に耳を傾け、スモールサクセスを積み重ねること
 ・・スモールサクセスか・・。この言葉は本当に公務員の仕事の本質をついているような気がします。字面だけ見てるとあまり夢はなさそうですね。w
7 常に、自分の仕事が、組織や上司のためでなく、直接国民、住民のためになっているかを点検すること
 ・・誰のために仕事してるのかってことですね。特定の顧客のためでもなければ、会社を発展させて利潤を上げるためでもない。あくまで広く国民、住民のために仕事をしているという意識を持つことが重要なようです。
8 仕事から逃げることなく、責任を他人に押しつけることなく、自分のすべきことをきちんと処理すること
 ・・別に公務員に限ったことではないかもしれませんが、チームワークはかなり必要ですね。職場でもそれぞれが別の守備範囲を担っているので、誰がどんな仕事をしているのかを把握しておかないと動けないし、住民の皆さんに説明できない。
9 失敗を部下のせいにすることなく、また、上司にこびることなく、自分の正しいと考えることをやり抜くこと
 ・・うーんできてないなーって思います。部下のせいにはしないだろうけど、上司にはこびてしまいそう。そもそも公務員はあまり失敗できない職業だと思うので、皆が皆失敗を恐れて、思わぬ方向に舵がとられていってしまうことのほうがあると思います。
10 理屈だけで物を言わず、必ず自分がそう言われて実行する立場になったらどうかを考えて行動すること
 ・・理屈だけじゃだめみたいですね。相手の立場は、確かに相手になってみないとわからないですが、それでも相手の身になって相手の状況や考えてることを推量する努力はもちろん必要です。

 ここまで公務員十戒を見てきましたが、なかなかすべてコンプリートするには相当がんばらないといけないような内容です・・。電通鬼十則とはまた別な次元で、難しい。これもひとつの大きな目標として、少しでもこの理念に近づける努力はしたいなぁとおもいます。前回エントリで僕は公務員に人格の高潔さを求められても困ってしまう、なんて書いてしまったのですが、やはり公務員にはそれなりの人格が求められているようです。すみません。

公務員に人格の高潔さを求められてもしょうじき困る

imd 2009/07/09 21:56 公務員は下僕(パシリ)ではないと思いますが、公僕であるべきだと思います。

公のためなら自らを犠牲にするくらいの気概が必要だと思います。

公務員はそういった気持ちで仕事をやってるようには見えないから人々はもっと働けと下僕化させたがるんじゃないでしょうか。
公務員も楽ではないとは思いますが、待遇や手当がいいんですから土日も役所を開いて市民サービスをする位のことをしてもいいでしょう。自分ももっと働けよと思います。

公務員になろうとする人の動機は単純に安定志向でしょう。そんな輩は惰性で仕事をするだけです。(失礼ですが差し支えなければあなたが公務員になろうとした動機が聞きたいです)

やはり公のために働いているという使命感を持ってもらいたいものですね。

全体の奉仕者っていうとサービスをあたえるだけという印象ですね。

公務員は公のためならなんでもする公僕であるべきではないでしょうか。

 昨日書いたエントリにこういうコメントがついたので、ちゃんと返さなくちゃと思ってコメント欄に書き込んでたらテンション上がってきて予想以上の量になったので独立させてひとつのエントリにします。おかげで自分の中で考えがまとまったような気がします。そんなコメントありがとうございます。
 以下は僕のごく個人的な考えなので決して公務員の皆さんがみんなこんなこと考えてるなんて決して思ってほしくない、ということを前置きさせていただいたうえで話しますが、
 残念ですが自らは犠牲にはできないです。
 ・・・・と言い切ってしまうと大いに誤解を招くので付け加えますが、僕は少なくとも勤務時間中は一生懸命に働いてます。まだ入って3ヶ月と少しなので、公のために仕事をしている感はいまだぼんやりとしか感じませんが、公のため、みんなのために仕事をしてる!という気持ちは確実に自分の中で大きなやりがいとして存在しています(その気持ちは入った当初からありますし、過疎化の激しいうちの町を何とかしたい!という純粋な思いは動機のひとつです)し、仕事を覚えるに連れてそのやりがいを徐々に大きくしていけたらなぁ、とも考えています。
 ただ、なんと言えばいいのか、そういう気持ちと、おっしゃるような自己犠牲の精神は基本的に違う性質のものなんじゃないのかなーと思うんですよ。自分の人生すべてを投げ打って市民に仕えるなんて到底できません。こんなのいわれなくてもご存知でしょうが公務員は決して聖人君子でも何でもありません。公務員だって一人の人間なのです、そりゃエロい事だって考えますしクラブにだって行きますし、ブランキージェットシティを聴いたりすることだって相対性理論を聴いたりする事だってありますよ。「さわやか会社員」が頭から離れません。

 たぶんね、世の中にあふれる公務員たたきの言説って、最早そういう一人の人間の内面的な人格の「清い/清くない」にまで踏みこんでないか?って思うんです。公務員たるもの身も心も常に清廉潔白たれ、的な。
 もし、そういう主旨でおっしゃっているなら僕はそれはできないです。
 そりゃね、ある程度普段でも一般市民よりも襟を正して行動しなくちゃならん面はありますし、念を押しておきますがそれはもちろん心得ています。地域の活動とかがあれば参加するようにしていますし、普段の暮らしの中で、いろいろと困っている家庭を見つければ「あー市役所来てくれたらいいのになぁ」と思ったり、それを職場で相談してみたりすることはあります。
 だからといってそれよりももっと内面的な自己まで犠牲にしろといわれたらたまったもんじゃないです。
 繰り返しになりますが僕は大いなるやりがいをもって公務員という「仕事」に日々励んでいます。しかしそれは、あくまでも、どこまで行っても「仕事」としてなのです。残念ながらそれ以上の犠牲を自分自身が払うことも、それ以下の怠惰な公務員を目指すこともしません。ただ、「仕事」と割り切って自分の精一杯のことをやっているだけのことです。
 だから「市民に一生懸命サービスを与える」以上のことを求められても困ります。「サービスを与えるだけ」で何が悪い。そりゃうちに帰ったらね、パソコンを開けてインターネットを見るぐらいのことはしますよ。趣味にだって走りますよ。オンオフをはっきりさせたいんです。公務員はそこ割り切っちゃだめですかそうですか。
 そういう意味で、自らを犠牲にする気概は持てそうにありません。まぁなかにはいると思いますけどね。自らを犠牲にしてでも、っていう献身的で熱い心を持った人は。ただそれは公務員に限った話じゃなくってどんな仕事でもそういう人いますよねたぶん。
 公務員もごくミクロな目線で見れば、社会の中のひとつの仕事に過ぎないし、公務員だって一人の2009年を生きる現代人に過ぎないのに、こういう風に妙に地位を持ち上げられたり貶されたりして、対等に一人の人間、ひとつの仕事として公務員が捉えられにくい現状に一抹のしょっぱさを感じずにはいられないんです。何も心配しなくても、きょうび、バッシングの仮想敵となりうるような、権力に胡坐をかいてふんぞり返ってる典型的な悪者キャラの公務員のほうがまれです。
 あと、元記事で紛糾した待遇面だって民間と五十歩百歩だと思いますよ。公務員は貧乏じゃないけどそんな高待遇高収入でもない。そりゃどこの階層と比較するかとか、どこのソースを参照するかによって違うでしょうけど。同じ大学を卒業して民間に行った友達のほうがよっぽどもらってると思います。まぁなかのひとの、かつ新米の意見だから参考にはならないでしょうが。
 あ、土日に役所を開いて何人かで対応に当たるのは賛成です。それもひとつのサービスですから。