ジョセ・モウリーニョに改めて学ぶ 〜日々の出来事に謙虚に学ぶ〜

私が2008年7月23日に書きましたエントリーであります三十歳から四十五歳を無自覚に過ごすな 〜ジョセ・モウリーニョ1〜三十歳から四十五歳を無自覚に過ごすな 〜ジョセ・モウリーニョ2〜。このエントリーからちょうど2年が経過したのですが、いまだに多くの方にこのエントリーに訪れて頂いております。本当にありがとうございます。

ジョゼ・モウリーニョ。プロサッカー選手として1秒ですら試合に出場した経験が無い選手が、体育教師、通訳を経て、世界最高のサッカー監督に昇りつめたという、現代サッカー界最高のカリスマ。彼がプロ選手としての挫折からいかに世界最高の監督に昇りつめたかを私なりにまとめたものが上記2つのエントリーでした。

このエントリーを書いた時のモウリーニョは、ちょうどプレミアリーグチェルシーの監督を解雇となり、イタリア・セリエAの強豪インテルの監督に就任したばかりの時でした。このエントリーで、私はモウリーニョが新天地インテルで大暴れしてくれることを祈ったのですが、モウリーニョはこの2年間でとてつもない偉業を成し遂げてくれました。

もうすでに皆さんご存じだと思いますが、2009〜2010年のシーズンにおいて、イタリア・セリアAとコッパ・イタリアを制覇、また2010年5月には45年ぶりに欧州最高峰のUEFAチャンピオンリーグを制覇。インテルはイタリアサッカークラブ史上初の主要タイトル3冠を達成しました。

そしてモウリーニョは、インテルに史上最高の成果を置き土産に、次なるステージを目指すべく、世界最高峰のサッカークラブの一つ、あのレアル・マドリードと契約期間4年、年棒11億3,000千万円(すごい。。)で契約、2010-2011年シーズンより指揮をとることとなりました。今までも過去の成功にすがることなく、次なるステージに挑戦してきたのがモウリーニョですからね。。

モウリーニョ就任会見を改めて読んでみると。。

レアル・マドリードHPの下記URLで、モウリーニョの就任会見を日本語で読むことが出来ます。

モウリーニョの強い意志を感じさせる言葉が並びますが、私は特に下記の言葉に改めて考えさせられています。

「クラブ監督として勝てる全てを勝ち得てレアル・マドリードに自分は来たが、過去の栄光を夢見て眠ることはない。いつでも新たな成功を自分は欲している。日々の出来事から謙虚に物事を学ぶことはとても重要なこと。自分が望むことはレアル・マドリードが望むことと同じこと。今日から自分とレアル・マドリードは一心同体であり、同じ目標を目指している」

「日々の出来事から謙虚に物事を学ぶことはとても重要なこと」。このシンプルな一文は、モウリーニョが無名選手・体育教師から世界最高のサッカー監督に昇りつめることができた最も肝の部分ではないかと私は強く思わずにはいられません。

モウリーニョがまだ無名で、ポルトガルで一年ほどの浪人時代を送っていた時、彼はそれまで現場で培ってきた「知恵」を「トレーニング・ファイル」と呼ぶ「バイブル」に丁寧に書き綴ったと言います。彼のサッカー監督としてキャリアは、誰も手を触れることが許されないこの「トレーニング・ファイル」によって全て支えられているのだと彼自身が語っています。その後も毎日ノートを付ける習慣は変わりなく、トレーニングおよび彼の考えを常にメモしているとのこと。

世界最高レベルまで到達したモウリーニョが今でも毎日一日を振り返り、これをノートに書き記し、新しく始まる明日に向けて学ぶ。「準備と紙に書くことは、モウリーニョの手法の基礎となっている」とも言われており、この毎日の忍耐強い「書き記しと振り返り」の積み重ねが今のモウリーニョを作り上げていることは間違いなく、それと比べて私と言えば。。反省しきりです。思いを「書き記す」ことを自分に課すことは、否応なく自分を振り返ることになると思います。

自分が尊敬する人の語る言葉に触れ、またその著書を振り返り、改めて学ぶということは、人をとても何か新しい新鮮は気持ちにしてくれますね。早速今日から始めてみたいと思います。。

それにしてもジョゼ・モウリーニョ、今シーズンも目が離せません。サッカーを通じて、サッカーに関わりのない人にも「どのように生きるべきか」を体現してくれる、唯一無二な存在だと私は信じています。


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恐るべし「ボルボ」を買収した男 〜吉利自動車 董事長 李書福〜

先日3月28日、中国の民間自動車メーカーの吉利自動車が、米フォードから高級車ブランド「ボルボ」を約1,600億円で買収するという発表がありました。最近本当に増えてきていますね、中国企業による欧米、日本企業買収。

この吉利自動車の創業者であり、現在の董事長(取締役会長)が今回ご紹介する李書福(リー・スーフー)氏、1963年生まれの47歳。この買収を報じた日経産業新聞にこの李書福さんの凄まじい今までの道のりが書かれておりました。まさに「中国パワー」を感じざるを得ないところでして、判りやすく箇条書きにしてみます。。


  • 高校卒業時(18歳) 親からの卒業祝い金、約1,300円を元手に中古カメラを購入し、写真スタジオを開設。
  • 1986年(23歳) その後廃家電から金属を回収する事業を経て、冷蔵庫部品メーカー「吉利」を設立。
  • 1989年(26歳) 冷蔵庫完成品製造を開始、製造業としてのノウハウを蓄積
  • 1994年(31歳) いきなり二輪車事業に参入。ブランド名「吉利ボーイング」と名乗り、本家米ボーイング社と喧嘩になる。
  • 1998年(35歳) 「庶民が変える車を作る」と宣言、小型自動車の量産を開始。参入時の名台詞「自動車製造は豚の飼育と同じぐらい簡単だ」
  • 1998年(35歳)〜2009年(46歳)
    • 約70万円以下の車を中心に地方都市で拡販。有力メーカーに名乗りを上げる。
    • 他社の模倣が多く、車両前頭部のマークがトヨタ自動車と似ていることから、トヨタとも法廷で争う。
    • 自動車会社の乱立で価格競争が激化、李董事長は過去の自分の発言を否定し、品質重視に方向転換。人材育成を重んじ、北京他に大学を4校設立。優秀者を国内8工場、海外3工場(ロシア・インドネシア)に送り込む。
    • ダイムラークライスラー(当時)の技術開発幹部 趙富全氏、英BPの財務担当幹部 ピーター・ジャン氏、伊フィアット幹部 沈暉氏やを引き抜き、品質向上、海外買収を進める。
  • 2010年(47歳) 米フォードから高級車ブランド「ボルボ」を1,600億円で買収。

最近書けていない「三十歳から四十五歳を無自覚に過ごすな」シリーズでも書いてみたいぐらいのすさまじくスピード感のある三十歳から四十五歳。最近日本の製造業の悲観論が多い中、こういう話を書くと「こんなアグレッシブな人は日本にはいない」とか、「だから日本の製造業は韓国や中国に負けるんだ」という話になり勝ちですが、私としては、「こういうアグレッシブな人と何か一緒にやることによって、自社も儲かり、吉利自動車も儲かるような何か新しいことができないかなー」なんて考えるべきではないかと最近思います。インドのタタ自動車の22万円カー「ナノ」のワイパー(一本しかない。。)は日本が誇る自動車部品メーカー・デンソーが手がけているというような事実もありますので。。

また、最近の日本での「韓国絶賛」について、韓国では戸惑いの声もあるようで、「もっと本音で批判し合えるパートナーになるべき」という声もあるようです。「パートナー」というのはこれからの日本の製造業のキーワードだなと最近感じています。

日本の「韓国企業に学べ」ブーム、韓国の反応は・・・(NIKKEI NET)

ちなみに吉利の2009年度の販売台数は約33万台、中国でのシェアが3.8%の第9位。吉利自動車入りした「ボルボ」が今後どうなるか。また吉利自動車が目標とする「譲世界充満吉利(世界を吉利で埋め尽くせ)」が実現するのか。今後も注目していきたいと思います。

ちょっと古いですが、吉利自動車の詳しい情報が載っています。

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「清濁併せのむ」に益々磨きがかかる笑福亭鶴瓶

以前、三十歳から四十五歳を無自覚に過ごすな 〜冨山 和彦氏〜というエントリーで、私が尊敬する旧産業再生機構COO冨山和彦さんをご紹介し、その中で私が冨山さんの在り方を「清濁併せ呑む」という言葉で表現させてもらいました。「清の部分」としての米国MBA仕込みの卓越したビジネス理論、そして「濁の部分」としてのガチンコ勝負、ドブ板営業、飲みニケーション。この「清」と「濁」をより高い次元で併せ飲む。私も「清濁併せ呑む」存在でありたい。そう思って日々色々悩み考えております。

そこで突然なのですが、最近映画「ディア・ドクター」で国内の各種映画賞を総なめにしている笑福亭鶴瓶鶴瓶さんはまさしく「清濁併せ呑む」を体現する私の憧れの人でありますが、最近益々その「併せ呑み」に磨きがかかっているように思われ、益々尊敬の思いを強くしております。

清:「ディア・ドクター」で見せた迫真の「嘘」と「愛」

笑福亭鶴瓶の俳優としての素晴らしさは今までも至るところで語られていました。しかし今回の「ディア・ドクター」での鶴瓶さんは今までとは全く異次元にまで到達していると、大きなショックを受けました。是非とも皆さんにこの映画をご覧頂きたいのですが、この映画で語られるのは「嘘」と「愛」。多くを語るとネタばれになってしまいますので差し控えますが、「嘘」と「愛」が交錯する言葉で表現しようのない心の風景を、鶴瓶さんは「表情」という表現手段で見るものに強く訴えてきます。私は「演ずる」という言葉が大嫌いなのですが、この映画での鶴瓶さんはもう「演技」ではない。もうこれは鶴瓶さん自身の「嘘」と「愛」なのだと感じざるを得ません。今でもスクリーンの前で大きなショックを受けたあの日を鮮明に思い出します。


清:伝説の番組「らくごのご」で見せた「本当のプロフェッショナルの姿」

私は関西で青春時代を過ごしたんですが、同時期に関西におられた方は1992年から1998年まで毎週放送されていた「ざこば・鶴瓶のらくごのご」という番組をご存じかもしれません。これが今考えるとすごい番組だったと思うのですが、客席からその日の落語のお題が3つ出され、このお題にのっとった落語を即興で作り演ずるという番組でした。

客席からの3つのお題が出され、創作落語を作り上げるまでに与えられた時間は約一分。舞台裏でその一分間で自分の持てるもの全て駆使し、苦悩する鶴瓶さんの眼光。テレビの前の私が背筋に得も言われぬ寒気を感じざるを得ない戦慄すら覚える眼光。まだ大学生でしたが、この眼光に強烈なプロフェッショナルを感じたことを今でも鮮明に記憶しています。「ディア・ドクター」での鶴瓶さんの迫真の「嘘」と「愛」を見た時、私が真っ先に思い出したのは、この舞台裏での何か鈍い光を発する鶴瓶さんの「眼光」でした。


濁:どれだけ褒められても「ケツ」を出さずにはいられない

そんな「清」の部分を強烈に感じさせる鶴瓶さん。とは言いながらやはりそこは根っからの関西芸人。昔は深夜番組で泥酔し、下半身丸出しで放送事故を起こしたことは有名な話。また、先日の「第19回東スポ映画大賞」での「ディア・ドクター」主演男優賞受賞式では、事前にズボンの下に紙オムツを履き、あの長嶋茂雄終身名誉監督の目の前でズボンをズリおろし、あわや開チン騒動という「汚れっぷり」も決して忘れません。そんな鶴瓶師匠。御年59歳。。

鶴瓶あっぱれオムツ芸(東スポwebより)

思わずじーんと来たTKO木下の「泣ける話」

関西ではじみーに活動を継続しつつも、十数年くすぶり続けていたお笑いコンビTKO。そんなTKOが東京進出し大ブレイクしたきっかけを作ったのがボケ担当木下の鶴瓶さんの顔真似でした。

鶴瓶さんの顔まねで少しづつテレビでの露出度が上がっていた矢先に、TKOはテレビ会社の廊下でばったり本物の鶴瓶さんと遭遇します。TKOは「あー。絶対怒られる。。。」と戦々恐々としていたところ、本物の鶴瓶さんは、「おまえ、おもろいな。これ使えや」と、自分がかけていた眼鏡をTKO木下のそっと渡し、その場を立ち去ったというのです。。

自らが芸の苦しさ、厳しさを知り尽くしているからこそ、後輩が苦しんでいる、這い上がろうとしている姿を見て、何かせざるを得ない気持ちを抑えることができなかった。この話を聞いてそんなことを考えてしまいましたね。。

「清」と「濁」が入り混じる故の「高み」

笑福亭鶴瓶。落語家としての実力は言わずもがな、そこに「俳優」としての魅力が加わり、「プロフェッショナル=清」の部分で更にその魅力は増すばかり。そこに加えて、根っからの「おバカ好き=濁」な面も全く衰えることを知らない59歳。最近鶴瓶さんが富にその存在感を高めつつあるのは、この「清」と「濁」が有機的に入り混じることにより、one and onlyな「高み」に到達しつつあるのではないか。そんなことを強烈に感じざるを得ません。

これまた私が尊敬するビートたけし北野武)さんがフランスの芸術文化勲章を受章した際に、「日本ではお笑い芸人が映画なんかやりやがってという話になるんだけど、フランスではお笑い芸人も映画監督もできるなんて本当にすごいねってなるんだよね〜」とおっしゃってたんですよね。これも「清」と「濁」の接点を高く評価する文化が存在するんだということだと思いますね。

各々が与えられたシチュエーションの中で「清」と「濁」を併せ飲み、その接点でone and onlyな存在となる。混迷を極める現代社会を生き抜くすべとして、一つ考えてみても良い視点ではないでしょうか。鶴瓶さんの最近のご活躍を見て、改めてそんな思いと強くしたところであります。言葉で言うほど簡単なことではないですけどね。。。


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事業計画書・企画書を解りやすくするための「3つの視点」

2009年度も間もなく終わろうとしている今日この頃。皆さんの中にも来季(2010年度)の事業計画作成の真っ最中という方も多いのではないでしょうか。また、来季に向けて新しい企画を打ち出そうと新しい企画書を作成されている方も。。。私もそういった機会が多々ありますが、「おまえが何を言いたいのかよくわからない」とか、「書いていることに具体性がない」などと上司からお叱りを受けることってありませんか?

私もいまだに試行錯誤中でありますが、私が中小企業診断士の受験勉強中に、診断士受験予備校T社でご指導頂いた「コツ」を今も使ってまして大変重宝しております。診断士の勉強の中で今一番役に立っているのは、この「コツ」ではないだろうか、と思うぐらいです。。この「コツ」を今回ご紹介したいなと思います。

自分が書いた文章を「3つの視点」で突っ込んでみる

診断士の試験(2次試験)では、架空の企業のケースが与えられ、その企業に対し紙上でコンサルティングを行います。例えばスーパーマーケットの事例があり、それに対して「スーパーマーケットA社の客単価を上げるための施策を4つ回答せよ」みたいな問いが来ます。これは、私たちが普段書いている事業計画書や企画書でも同じようなシチュエーションですよね。新しいWebサービスを立ち上げ、そのユーザーをまず10万人集めるための施策4つとか。また、高止まりしている製品製造コストを10%下げるための施策4つなどなど。そんな「施策」を書くときに、是非下記の「3つの視点」で自分に突っ込みを入れて頂きたいんですよね。

私の言いたいことはこのパワポ一枚に集約されておりますが、「(1)〜なので」はその施策が選ばれた「理由」、「(2)〜を行い」はその具体的な「手段」、「(3)〜を実現する」はその施策を行うことで狙う「目的」を示しており、この3つを外さずに文章を構成することにより、あなたが書かれた施策の正当性がぐっと伝わりやすくなると思います。

「手段」と「目的」の取り違えに気をつける

事業計画書や企画書を上司に見てもらう時に、「手段と目的がごっちゃになってる」というお叱りを受けたことはありませんか?この3つの視点で事前に自分に「突っ込んでおく」ことにより、この問題を解決することが可能だと私は思っています。

例えばこんな文章があるとします。

(1)理由:今後市場の伸びが期待できないので
(2)手段:重要顧客3社のシェアアップを図り
(3)目的:製品Aの売上を拡大する。

この文章の「(2)手段」と「(3)目的」を見てみると、「シェアアップを図り、売上を拡大する」というのは一見「手段⇒目的」の関係に見えるかもしれないのですが、これを「3つの視点」で突っ込んでみると、「(2)と(3)は両方とも「目的」を言っているのではないだろうか」と気づくんですね。なので、このまま上司に報告すると、「俺はシェアアップする具体的な施策を聞きたいんだよ!」と怒られてしまうんですね。。

なので、この「3つの視点」で頑張って突っ込んで、「(2)手段」の具体性を上げて、下記のように修正するとどうでしょうか。。

(1)理由:今後市場の伸びが期待できないので
(2)手段:重要顧客3社に対するサービス・サポート体制を強化することにより、
(3)目的:(重要顧客3社の)シェアアップを図り、製品Aの売上を拡大する。

若干具体性が上がったのではないでしょうか。「手段:サービス・サポート体制強化⇒目的:シェアアップ・売上拡大」という論理構造がわかりやすく、伝わりやすくなっていると思います。実際はこの次のステップとして、「サービス・サポート体制強化」を更に具体化していくことになると思います。

いかがでしょうか。今回は施策を練るシーンを題材にあげましたが、「〜なので(理由)⇒〜を行い(手段)⇒〜を実現する(目的)」という視点は他のシーンでも使えることがありますので、是非皆さんのメモ帳にでもちょこっとメモって頂いて、何か文章を書かれる時に少し思い出して頂ければと思います。


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シンプルであることの重さ 〜「ゴールは偶然の産物ではない」読了〜

大変長らくのご無沙汰で申し訳御座いません。。約半年ぶりのエントリーになります。また今日より心を入れ替えて、新たに知ったこと、思ったことを書いてみたいと思います。お気に召しましたらお付き合い頂ければ。。。

以前、「三十歳から四十五歳を無自覚に過ごすな 〜ジョゼ・モウリーニョ〜」というエントリーを書かせて頂いたように、私欧州のサッカーが好きなんですが(といってもあまり詳しくないのですが。。)そんな経緯もあり、思わず手に取ってしまったのが下記の書籍であります。

ゴールは偶然の産物ではない~FCバルセロナ流世界最強マネジメント~

ゴールは偶然の産物ではない~FCバルセロナ流世界最強マネジメント~

今や欧州でも1位2位を争うビッグクラブをなったFCバルセロナ。ですが1996年から2002年の間、クラブとしての収益低迷に苦しむ時代がありました。これをいかに乗り越え、今の地位を確立することができたのか。この2003年からFCバルセロナ建て直しに奔走し現在の地位を確立したその立役者であるフェラン・ソリアーノ氏が実名入りで裏事情を含め細かい部分まで語りつくしています。欧州サッカーファンにはたまらん内容になっております。

ですが、もちろん欧州サッカーをご存知ない方でもビジネスにおける多くのヒントを得ることができるとても優れた書籍だと思います。やはり実体験から導き出される「現場知」とでもいいましょうか、これは説得力があります。そんな数々の「現場知」の中でも私が特に今回心に響いたのは下記の一文であります。

「同じ条件下においては、最も単純な解決策が恐らく正しいものである。」(P246)

私が属する業界でも、最近富みにその業界構造が複雑さを増しておりまして、なんやかんや色々考え出すと、知らぬうちに非常に複雑な話になってしまっていることがよくあります。またこれを違った視点で眺めてみると、「複雑な業界である」との強い思い込みから、複雑な方向複雑な方向へ「逃げ込もう」としているに過ぎず、本来シンプルに考えればいいことなのに、そのシンプルさを「避けよう」としている自分がいるのではないか。この一文に触れ、そんな思いを強く持ちました。

例えば、営業の現場でとあるターゲット顧客を何とか攻略しようとしているシチュエーションがあるとします(これは実話です。。)。なかなかライバルが手ごわく、なかなか突破口が開けない。そんな袋小路に陥ったとき、色々と小難しいことを考え始めたりしてしまうことってありませんか。。目の前にある課題に対し、すぐ動いて正面からぶつかってみようとせず、小賢しい「戦略という名の回り道」に逃げるような感じがしたり。。

こういうシチュエーションで最も大切なことっていったい何なんだろうと考えてみると、実はかっこよくて、美しい言葉や図表で語られた戦略ではなく、「Never Give Up!」というシンプルな言葉なんじゃないんだろうか、最近そんなことを痛烈に感じています。もっと言えば、「Never Give Up!」という言葉だけでなく、自分自身が率先してこの「Never Give Up!」を体現する=背中で語ることが重要なのでは。今まで私が一緒に仕事をさせて頂き、感銘を受けた素晴らしい諸先輩方は、皆さん「Never Give Up!」を背中で語るような方ばかりでした。

営業の現場でも何でもそうですが、何かと戦っているシチュエーションにおいて、仮に負けたとしても「いかに負けるか」というのは非常に重要です。例え負けたとしても、勝者にどこまで肉薄できたかによって、間違いなく次の勝負の勝ち負けが左右されます。仮に今回注文が取れなかったとしても、そのライバル・顧客を追っかけて肉薄し「負ける」ことが次の受注に繋がる。これは私の営業体験でのゆるぎない「現場知」です。資格試験だってそうです。仮に「今年はもう無理だ」と思ったとしても、だめもとで一生懸命追っかけて合格に肉薄して「負ける(不合格になる)」。これにより、次年度の合格にぐっと近づくことができる。中には今年は無理だったはずの人が、肉薄どころか思い余って合格しちゃう人まで出てきます。。いるんですよ、そういう人も。まさしく「Never Give Up!」です。

私も中小企業診断士ということでコンサルタントの端くれであります。。さすがにコンサルタントが「Never Give Up!」と言っただけでコンサルフィーを頂くというのは許されないかもしれません。しかし例え新しい戦略の提案が求められるコンサルタントであったとしても、本当に大事なのはこの「Never Give Up!」といったシンプルな言葉なんだということを心に留めておかないと、提案自体が美辞麗句を並べただけのクライアントの心に響かない「戦略という名の回り道」になってしまうリスクがある。「ゴールは偶然の産物ではない」。この書籍に接して「はっ」とそんなことに気づかされた書籍でした。

最後に「ゴールは偶然の産物ではない」から、秀逸の一文を。。

目標達成、勝利を願う者は、何よりもそれに向けた確固たる意思を持つことである。無駄にする時間などない。今すぐ、全身全霊を打ち込み、揺るぎない意思を持って目標に向かうことで、勝利への道が開けるであろう。(P265)

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民主党・小沢一郎氏の選挙戦略に学ぶ「あるべき営業本部長像」

先日8月30日に行われ民主党の大勝に終わった衆議院選挙。その民主党の選挙戦略を責任者として取り仕切った小沢一郎氏のその手法が色々なところで取り上げられておりますが、その中でも「自民党を震え上がらす これが小沢選挙だ(日刊ゲンダイ)」がかなり克明にその内容を伝えており、はてブでも結構話題となりました。

私もこの記事に感銘を受けたのですが、よくよく自分の立場に戻って考えてみると、これってまさしく「営業の極意」とも言える内容であり、またまさしくこれは「あるべき営業本部長像ではないか」と思ったんですね。。

そんな小沢営業本部長に学ぶ「営業の極意」と「営業チームマネジメント」、そんな視点で少し書いてみたいなと思います。

小沢営業本部長の営業極意1:基本原理・原則の徹底

これはもう何度もニュースなどで報道されていますが、小沢営業本部長は、今回多くの新人候補、浪人候補に対し、(1)1日50か所の辻立ち(街頭での演説)、(2)ポスター3,000〜5,000枚の掲示などの「ドブ板戦術」を徹底させています。また、年末年始に「除夜の鐘が鳴る前に神社の前に立て」、そして初詣客を「あけましておめでとうございます。○○です」と挨拶で迎えろと指示。まさしく営業本部長直々の「1日50回」という具体的な数字での「ドブ板営業徹底の指示」ですね。

そしてこの各候補者がしっかり「ドブ板選挙」をやっているかは、小沢一郎と寝食を共にし、また選挙を熟知した「小沢一郎秘書軍団」がその活動状況を継続的にチェック。時には営業本部長自らが電撃訪問で自ら確認することも。こういった「PDC(Plan→Do→Check)」は、当たり前のこととは言いながら、なかなか継続してできないものであります。ここでもこれが徹底されているのは、小沢営業本部長の手腕がなせる技ですね。。

小沢営業本部長の営業極意2:自ら体を張って手本を示す

とはいいながら自分の部下である候補者にやかましく色々きれいごとを言っても、全員が付いてくるくるとは限りません。そのあたりも小沢営業部長はよくわかっていて、抜け目ないところを見せてくれます。

2007年の参議院選のこと。選挙初日に小沢営業本部長が選んだ遊説先は自民党の牙城である鳥取県。しかしタイミング悪く当日は激しい台風に見舞われ、とても鳥取にまで行けるような状態ではありませんでした。しかし、小沢営業本部長は「どうしても行く」と豪語。何とか小型機を探し出し、鳥取に向かって空を飛んだとのこと。。当日小沢営業本部長を待ちわびていた聴衆は、当初予想では150人ほどでしたが、蓋を開けてみたらなんと2,000人!その2,000人全員と握手をして、聴衆全員はいっぺんに「小沢ファン」になったといいます。。

また、小沢営業本部長が民主党と支持基盤である労働組合との関係修復に取り組んでいた時のこと。小沢営業本部長は自ら連合の地域本部を訪ね、現場の労組幹部と会い、居酒屋で上着を脱いで一緒に酒を酌み交わすことを恒例としていました。また、私はここがすごいと思うんですが、小沢営業本部長はこういう時にわざと「一番狭い部屋」を用意させるらしいんです。そして体と体がふれあうくらいの距離で話し込むということなんですね。

地方の候補者が、自分のために営業本部長自らが体を張った「ドブ板営業」を炸裂させているのを見てしまったら。。これはもう明日から当選するまで「辻立ち1日50か所」となりますね。これは。

小沢営業本部長の営業極意3:合理的な選択と集中

非常に情に厚い小沢営業本部長。ですが、非常に冷静に「どうすれば票が増えるか」という一点で緻密な計算を行っているという一面もあるんですね。。

一番私が典型的だと思ったのが「メディア戦略」。小沢営業本部長は東京ではあまり記者会見をせず、逆に地方に行った際には積極的に記者会見を行うとのこと。またその際、東京から取材に来た記者にはそっけなく、逆に地方紙の記者に対しては極めて丁寧な対応を取るということなんですよ。この狙いは、地方紙はやはり小沢営業本部長クラスの記者会見、そして地方紙記者への丁寧な対応となると、自然を記事の大きさは大きくなるんですね。そしてここまで営業本部長の地方紙への手厚いサービスがあると、ほとんどが朝刊一面トップの扱いに。小選挙区制を考えると、地方紙での朝刊一面トップは、全国紙のそれなりの記事が載るよりも、有権者への大きなアピールとなるわけですね。

また、小沢営業本部長と「小沢秘書軍団」は、勝敗ラインギリギリの「重点選挙区」に特に人材とお金を集中的に投下しています。逆に「重点選挙区」以外はほとんど支援しないのも小沢流。。これも「小沢秘書軍団」が中心となり日頃の緻密なデータ収集・分析を行っていて、タイムリーにその選挙区の勝敗予想ができるという、データ収集・分析体制が確立されているからこそなせる技だと思いますね。これも言うのは簡単ですが、実現させるのはかなり難しいところであります。。

小沢営業本部長の営業極意4:新しい取組への柔軟性

私もこの記事に遭遇して初めて知ったんですが、小沢営業本部長はかなりネットを活用している政治家の一人だとのことなんですね。

2008年10月には「Ameba Blog」の公開生放送「Ameba Studio」に小沢営業本部長自ら出演、小沢営業本部長自らお相手に上原さくらを指名、私生活から女性の好みまで赤裸々に語ったと言います。(「小沢さんのご指名」民主党代表が上原さくらとアメスタでご満悦生トーク)また、08年12月31日と09年1月1日は、「年末年始、小沢代表が動く!ニコニコ生放送「『日本は変わる!年越し1万人ネット生討論』出演」と、ネットメディアの活用に非常に柔軟です。

小沢営業本部長は、「選挙というのは、政党、マニフェスト、候補者の魅力を伝えるために、有権者とどう効果的にコミュニケーションをとっていくか」という「コミュニケーションの視点」に立って色んな事を組み立てているような気がします。なので、選挙の目的を達成するためのコミュニケーションツールとしてのネットは、もっと有効活用していきたいと考えておられるでしょう。営業本部長であっても、ネットメディアは若手任せではだめなんですね。。

小沢営業本部長の営業極意5:とは言いながら「泣きの一言」も忘れない

ドブ板営業」と「合理的アプローチ」を有機的に融合させる小沢営業本部長。とは言いながら、やはり締めはこんな「泣きの一言」なんですね。。07年の参議院選では、毎週小沢営業本部長から「檄文」が届いたそうですが、下記がその中の一つです。。

「幸運の女神は、前髪しかないと言います。女神の先に回り込み、その前髪をつかんだ人にだけ、女神が微笑みます。私が先頭を走ります。ともに女神を追い抜き、勝利を手にしようではありませんか」。強面の小沢らしくない文章に思えるが、「一緒に勝利を掴もう」という強いメッセージは候補者を鼓舞するのに十分だった。(「自民党を震え上がらす これが小沢選挙だ」より)

私も営業の経験があるのでよくわかるのですが、営業の最前線にいる営業マンは、日々社内外に吹く風雪に晒され、時には疲弊して立ち上がれなくなるものです。そんな時の営業本部長の一言がもう一回立ち上がらせてくれる力となる、ということはやはりどんな時代になってもあるに違いない。そう私は思います。

最後に:小沢営業本部長はまさしく「パラノイヤ」

今回の小沢営業本部長の選挙への取り組みを見ていると、かのインテル創業者・アンディー・グローブの下記の名言を思い出します。

Only the Paranoid survive (パラノイヤ<病的な心配性>のみが生き残る)

小沢営業本部長の病的なまでに緻密で徹底された選挙戦略。これはその根底にこの「病的な心配性」があるのではと思ったんですね(以前アンディー・グローブについて書いておますので、よかったらご覧ください)。心配性であるがゆえに基本原理・原則の徹底を口やかましく言う。心配性だからこそ自らが「ドブ板営業」を実践する。これは営業本部長だけではなく、何かチームを率いて何かを成し遂げようとしている方全員が、この小沢営業本部長の選挙戦略に学ぶことができるのではないか。そんなことを考えさせられた「小沢一郎営業本部長」の選挙戦略でありました。

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任天堂の社名の「意味」に学ぶ 〜失意泰然、得意冷然〜

日本経済新聞社との共同による「モノやお金の仕組みDS」Wiiでのインターネット接続率向上に向けたインターネットチャンネルの無償化など、ゲームの領域を超えて更なる「DS」と「Wii」の水平展開を仕掛け続けている任天堂。私も何度か任天堂の話を書かせて頂きましたが(三十歳から四十五歳を無自覚に過ごすな 〜任天堂社長 岩田聡氏〜任天堂 売上高2兆円突破を記念し、数字を色々集めてみましたなど)、ちょっと前に出版された下記の任天堂本を読みたい読みたいと思いながらも先送りにしていまして。。先日ようやく読み終えました。。

任天堂 “驚き”を生む方程式

任天堂 “驚き”を生む方程式

「今までの任天堂」と「これからの任天堂」をわかりやすく纏めてあり、単純に「面白い本」なのですが、加えて「あーこんな会社で仕事してみたいなー」と素直に思わせてくれる良書だなと思いました。やっぱかっこいいですね、任天堂。その会社としての「立ち振る舞い」が本当にかっこいいなと改めて思いました。

そんな良書「任天堂 “驚き”を生む方程式」の中で、とても印象に残る言葉がありましたので、是非ご紹介したいのですが。。

それは任天堂3代目社長で今の任天堂王国を築きあげた立役者、山内溥氏が考える「任天堂という社名の意味」についてのお話。山内さんはご自身が考える「任天堂」という言葉の意味をこのように語っておられます。


人生一寸先が闇、運は天に任せ、与えられた仕事を全力で取り組む。これが山内が定義した、ニンテンドウの社名の由来である。(P256)

またこれに合わせて、この山内さんの座右の銘も紹介されています。

失意泰然、得意冷然(運に恵まれない時は、慌てず泰然として構え努力せよ。恵まれたときは、運に感謝し、冷然と努力せよ)(P257)

この2つの文章を合わせて考えてみると、「人生どうなるかわからない。運は天に任せ、だけどもその日その日を一生懸命全力で生きよう。その結果、運に恵まれなかったとしても、今回は運が無かったと思い、次に進んでいこう。また恵まれた結果が出たときは、運が良かったと思い、運に感謝して冷静に今までの努力を続けよう」、私はそんな解釈をしました。

若干唐突ですが。。。英国の哲学者ジェームス・アレンという有名な方がおられまして、「原因と結果の法則」という著書があります。これは、「全ての物事は原因があるから結果があるわけであり、自分の人生の創り手は自分自身である」ということが述べられていて、私の好きな書物の一つであります。

「原因」と「結果」の法則

「原因」と「結果」の法則

「原因があり、結果がある」。この関係を考えた場合、「運」という要素を排除して「全ての結果は必然である」と考えてしまうと、やっぱり結果が出ないこともあるわけでして、その結果が出ない場合、「自分の努力が足りなかったんだ」など「自分起因の原因」を必要以上に責め立てて、そこで立ち止まって前に進めないというようなことがあるように思います。

ですが、「運に任せる」という考え方に立つと、「自分起因の原因」の段階で最善を尽くし、「結果は運である」と捉えられれば、仮に結果が出ない場合でも、自分を必要以上に責めることなく、改めて前を向いて進めるような気持ちになれると思いますし、仮に結果が出たとしても、「それは運が良かったんだ」という謙虚な気持ちにもなれるように思うんですね。

私は今まで物事の考え方の中心に「運」というものを置いて考えたことがあまり無くて、「運に任せる」というとある意味他力本願的な印象を持っていたんですが、決してそうではないんですね。

「失意泰然、得意冷然」。そんな言葉を通して私達に生き方・在り方を教えてくれる任天堂という会社を、今後も応援していきたいな、そんなことを改めて思いました。

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