本書は進化生物学者河田雅圭による進化の一般向けの解説書になる.河田は新進気鋭の学者であった1990年に「はじめての進化論」を書いている.当時は行動生態学が日本に導入された直後であり,新しい学問を世に知らしめようという意欲にあふれ,かつコンパクトにまとまった良い入門書だった.そして東北大学を定年退官して執筆時間がとれるようになり,その後の30年以上の学問の進展を踏まえ,改めて一般向けの進化の解説書を書いたということになる.ダーウィンの議論の今日的当否を問うような印象の題名だが,それは本書の極く一部の内容で,基本的にはいくつかの誤解が生じやすいトピックを扱いつつ進化とは何かを解説する書物になっている.
第1章 進化とは何か
1.1 そもそも進化とはなんだろうか?
第1章第1節では「進化とは何か」をめぐる誤解が扱われる.もはや入門書の進化の誤解の定番ともいえる「ポケモンの進化」から始め*1,様々な事典,辞書や博物館の説明にまで不正確な定義が入り込んでいることが示され,そこから進化とは何かが説明されている.
そして「内部の何らかの力による変化」「進歩」「複雑化,多様化」「長大な時間」「新しい種の出現」などの誤解を指摘し,本書においては「生物のもつ遺伝情報に生じた変化が世代を経るにつれて集団中に広がったり減少したりすること,またそれに伴って生物の性質が変化すること」という定義を用いるとし*2,簡単に進化が説明されている.ここではゲノム,遺伝情報,変異などについてかなり詳しい解説がおかれている.
ここから正の自然淘汰による進化を「適応進化」と呼ぶこと,「適応」という用語にはいくつか異なる用法((1)生存・繁殖に有利な特性,(2)自然淘汰により進化した特性,(3)自然淘汰によって有利な特性が進化する過程)があり混乱しやすいことが説明されている.
1.2 有害な進化も起こりうる
第2節では浮動による進化が扱われる.浮動が生じるシミュレーションを示しながら,中立進化,有害アレルの浮動による固定が簡潔に解説されている.
1.3 ダーウィン進化論は時代遅れ?
第3節で「ダーウィンの唱えた進化論は時代遅れになっているか」という書名に掲げられた問題が扱われている.ダーウィンの議論の要点,ダーウィンから総合説への学説史を踏まえたあと,レイランドによる「拡張した進化総合説」の主張(自然淘汰の制約の強調,エピジェネティック遺伝の強調,突然変異のランダム性の例外の強調,漸進性の例外の強調)と批判者との間の論争が吟味され,それはたしかに重要な論点を含んでいるが,ダーウィン進化論の基盤となる点はそのまま現在の進化学でも通用しており,時代遅れになったとはいえないとまとめられている.
第2章 変異・多様性とは何か
第2章では,変異および種内多型をめぐる論点,および遺伝子によらない遺伝(エピジェネティックス)が取り上げられている.
2.1 突然変異はランダムなのか?
この節では「突然変異はランダム」というのは正しいのか,それが厳密にランダムであることは進化理論の上でどれほど重要かが取り扱われている.これがここで論じられているのは2022年にモンローとワイゲルが「突然変異はランダムではない.我々は一般的なパラダイムに挑戦している」とする論文を出し,それがメディアで「標準的モデルの考え方が誤りだ」と取り上げられたためであり,つまり進化理論についての誤解「突然変異がランダムであることが主流の進化理論の大前提だ」が問題になっている.
著者は標準的なモデルの理解(突然変異はランダムだが淘汰(や浮動)により方向が生じる)を解説し,しかし厳密には偏りが生じる現象があることが昔から知られていること,重要なのは「有利になる方向」に偏ることがあるかどうか(適応的突然変異ヘの偏りがあるか)であり,それは論争と数々の実験の結果おおむね否定されていることを指摘している.
そして「突然変異率自体が進化しうる」ことが詳しく解説されている*3.ここではシロイヌナズナを用いたリサーチが詳しく紹介され,重要な遺伝子ほど突然変異率が生じづらくなっていることが示されている.そしてモンローとワイゲルが示したのは必須遺伝子に突然変異が生じづらくなっていることだけで,有利な方向への偏りを示したものではなく,主流のパラダイムに挑戦するものとはいえないとしている.
続いて「生存困難な状況において突然変異率が上昇する現象(SIM)は適応進化の結果でありうるか」が議論される(しばしばそれは「強いストレス環境化で突然変異率を上昇させて適応進化を促進する役割がある」と説明されるが,それは正しいのかが問題となる).ここでは,まず突然変異誘発率上昇アレルと,それが誘発した何らかの有利なアレルが強く連鎖していなければそれは進化しえない(ただし無性生殖生物では可能),しかし突然変異誘発率上昇アレルが,それ自身(増殖率と修復率のトレードオフから)ストレス環境で個体に有利であればそれは進化しうる,また浮動により進化することも可能かもしれないと説明されている.
2.2 多様性は高ければいいってもんじゃない
第2節では種内多型がテーマとなる.ここで問題となる誤解は「多様性や変異がなぜ生成・維持されているか」にかかわるものになる(しばしは「それぞれのタイプは何らかの利点があったから現存している」「多様性は種にとってよいことだ」という誤解が現れる*4のでそれが問題となる).
そしてこれがなぜ誤解であるのかについてていねいに解説がある.そもそも集団内の遺伝的多様性とは何かを多型サイト数,塩基多様度の指標を用いて説明し,基本的に自然淘汰が働くと有利なアレルの頻度が上がり多様性は減少する(突然変異や移住により生じる多様性は集団の遺伝的荷重となる)こと,超優性による多型も遺伝的荷重の1つ(分離荷重)となることを指摘する.そして遺伝的多様性は,集団に突然変異,自然淘汰,浮動が生じた結果として維持されているもので,生物進化に必要だから存在するわけではないことを説明する.
そこから多型を維持するように働く自然淘汰(平衡淘汰)の例として超優性,負の頻度依存淘汰を挙げ,単に生息地内の空間的時間的な環境の多様性だけでは遺伝的多型維持の十分条件ではないこと(基本的にヘテロ表現型が平均して有利でないと維持されない*5*6)が指摘されている(この「環境に多様性があれば(それだけで)多型が進化する」というのもしばしばみられる誤解なのだろう).
ここから遺伝的多型には実際にはどの要因が効いているのか(突然変異と浮動のバランス,突然変異と自然淘汰のバランスが大きく,平衡淘汰は少ない*7と考えられている),野外ではどの程度遺伝的多様性があるのかが解説され,最後に遺伝的多様性はあくまで進化の結果であること,自然淘汰は集団の存続に有利になる場合も不利になる場合もあることが強調されている.
2.3 受け継がれるのは遺伝子だけか?
第3節はエピジェネティックスがテーマとなっている.ここで問題となる誤解は「エピジェネティックスの存在はラマルク説の復活,ダーウィン説の否定を意味する」というものだ.
ここでは遺伝子の定義の問題(分子遺伝学的定義とメンデル的(表現型からの)定義),エピジェネティックスの仕組み(DNAメチル化,ヒストン修飾,ノンコーディングRNAなどの複数の仕組みがある),大半のエピジェネティックス修飾は世代間伝達をしないが一部するものがあること(それでもせいぜい十数世代で永続的には伝わらない),このような世代間伝達するエピアレルは植物でよく調べられていることがまず説明される.
そこからエピ変異が(表現型の変化を引き起こすことにより環境に適応することで)通常のDNAの進化をより加速させうること,DNAメチル化が転移因子の抑制として働きうることが解説される.しかしエピ突然変異は永続的に伝わらないだけでなく,元に戻る方向に偏りがある(だから一時的であり累積的な進化は生じにくい)こと*8,ラマルクのいうような獲得形質がエピジェネティックスにより次世代に伝わることはないことから,全体的にエピジェネティックスが進化に与える影響は限定的で,その与える影響は「表現型可塑性」の役割と似ているとしている.
最後にエピジェネティックス以外に次世代に影響を与えるものとして,親の母乳や分泌・排泄物,親の改変した環境,文化的伝達,共生生物などがあることも指摘されている.
第3章 自然選択とは何か
第3章のテーマは自然淘汰.
3.1 種の保存のために生物は進化する?
第1節は定番の誤解「種の保存のため」が扱われる.ディズニー映画におけるレミングの「集団自殺」の説明,生物学者や遺伝学者にもある誤解*9が,まず取り上げられ,そこからナイーブグループ淘汰の誤りが解説されている.
そこから自然淘汰の働く仕組み,個体にとってマイナスだが集団にとって有利な形質が進化する条件としてのマルチレベル淘汰の考え方(本書ではデーム間集団選択という用語を使っている)が解説され,ついでこの「グループ」が「種」である場合にこのような条件を満たすことがありうるかが吟味される.まず種とは何かが様々な定義とともにごく簡単に説明され,そして種とは個体や集団や系統が進化した結果現れるものであるので,種が1つの実体的な集団としてマルチレベル淘汰の条件を満たすことはないと説明される.さらに「系統淘汰」はどのような性質を持った系統がどのくらい観察されるかというパターンを説明するもので,「種の保存のための進化」を意味するものではないことにも触れている.
3.2 生物は利己的な遺伝子に操られている?
第2節のテーマはドーキンスの「利己的な遺伝子」になる.
まず「利己的な遺伝子」は,ドーキンスによる「自然淘汰の見方」であり,このような見方をとると自然淘汰がわかりやすくなると主張したものであることを押さえ,淘汰の原因(selection for)と淘汰の単位(selection of)の区別を解説した上で,ハミルトンの包括適応度理論(血縁淘汰),包括適応度理論とマルチレベル淘汰理論が数理的に等価であることなどに触れながら,ドーキンスの主張を説明している.
そしてここから(ドーキンスファンである私にとっては非常に驚きだったが)ドーキンスの用語法に対する批判が繰り広げられている.著者の批判はおおむね以下の通りだ.
- 「利己的な遺伝子」という比喩は「その遺伝子が自らのコピーを増やすように表現型を進化させた」という意味を持つが.自然淘汰は個体にとって有利な表現型を持つ遺伝子ならどの遺伝子でも頻度を増加させるのであり,常に特定の遺伝子の頻度を増加させるわけではなく,この比喩は当てはまらない.
- (血縁淘汰的)利他行動の進化を考えると,利他行動遺伝子自体は次世代にコピーを残せず,増えるのは別の個体が持つコピーであり,その遺伝子自体が有利になったとはいえない.グループに淘汰が働いたとみる方がより的確に現象を捉えている
- 個体にとって不利で個別遺伝子にとって有利な「利己的遺伝因子*10」のみを「利己的な遺伝子」と呼ぶ方が比喩的に適切だ.
- この用語法では個体にとっても有利な遺伝子と個体にとって不利な遺伝子の区別ができない.自然淘汰がどのレベルで働いているかを明確にすることは,なぜその現象が進化したかを理解する上で重要だ.
この節におけるドーキンスの用語法の批判には全く納得できない.私の感想をまとめておこう.
- 仮に河田の主張を認めるとしても,なぜ単なる「用語法についての提案」を「進化についてのあからさまな誤解」を並べた章の真ん中に入れ込むのか.これでは(あまり注意深く読まない)一般読者は「ドーキンスの説明は進化についての誤解なのか」という印象を持つだろう.悪質な印象操作的な構成だといわざるを得ない.
- 河田の論点は「比喩としての意味の適切さ」と「進化の理解のための的確な用語法」の2点だと思われるが.どちらにも納得感はない.
- 比喩としての意味の適切さ(1):「利己的な遺伝子」が「その遺伝子が自らのコピーを増やすように表現型を進化させる」という意味であるというのは河田による(かなり独自な)1つの解釈に過ぎない.「その遺伝子が(同祖的なすべての)コピーを増やすように(表現型として)働くなら,(平均的に)頻度を増やす」という意味を持つと解釈すれば,その特定の遺伝子が結果として頻度を増やさなかったとしても何の問題もないだろう.
- 比喩としての意味の適切さ(2):河田は「利己的である」という比喩を「自らのコピー」を増やすという意味を持つと一方的に断定しているが,ドーキンスの意図としては,「自らのコピー」だけではなく「同祖的なすべてのコピー」を増やすものとしているのであろうし*11,そう解釈するなら血縁淘汰的利他行動の進化を表す表現として全く問題はない.
- 進化の理解のための的確な用語法(1):「利他行動の進化はグループに淘汰が働いたために生じる」と理解するのは,まさに1つの見方に過ぎない.そう見てもいいし,「利他行動の進化はそれにかかる遺伝子が同祖的なコピーを増やすように働くから生じる」と理解してもいい.そしてそれこそが包括適応度理論とマルチレベル淘汰理論の数理的等価性の帰結であるはずだ.グループに淘汰が働いたとみる方が的確だという主張については何の論拠も示されておらず,納得しがたい*12.
- 進化の理解のための的確な用語法(2):利己的に働く遺伝子のうち個体にとっても有利なものと個体にとって不利なものを用語的に区別した方がよいというのは理解できる.しかしその方法は「利己的な遺伝子」の中に下位区分を用いる方法であっても全く問題ないはずだ*13.河田は「(上位レベルの単位での有利不利は問わない)利己的な遺伝子」という上位概念が持つ「自然淘汰がどう働くか」の本質的な理解についての有用性*14を無視しているし,学説史的な重要性や定着している用語の変更に伴う混乱のデメリット*15についても無視している.この提案は私的には到底受け入れられない.
第4章 種・大進化とは何か
4.1 進化=種の誕生か?
冒頭で「種の保存のため」誤解*18,種の誕生を進化の定義に入れる必要がないことをもう一度取り上げたのち,種分化がテーマとして取り上げられる.
ここではイヌとオオカミが例にとられて,集団が分岐してそれぞれ独自の性質を持つようになること,生殖隔離がある程度あることなどが種分化において見られるが,連続的な現象であり,種分化についての明確な基準はないことなどがまず説明され,その後交配前生殖隔離と交配後生殖隔離,異所的種分化と同所的種分化の区別が解説される.
そこから「(個体にとり不利になることもありそうな)交配後生殖隔離がいかに進化できるのか」という問題が取り上げられる.ここでは関連遺伝子が1つしかなければそのヘテロ接合で適応度が低下する場合には自然淘汰による交配後生殖隔離の進化は困難だが,関連遺伝子が2つ以上あれば可能なこと(ベイトソン・マラー理論),交配後生殖隔離は遺伝的浮動でも進化可能であり,どちらが主要なメカニズムかについては異なる考え方があること,またこの遺伝子間に拮抗的共進化が生じることが生殖隔離の進化を促す要因となることが解説される.
さらにここでは生態的種分化と非生態的種分化の区別,生殖隔離の連続性なども解説されている.
4.2 大進化は小進化で説明できないのか?
第2節のテーマは大進化および不連続形質・新奇形質の進化.ここで問題となる誤解は「大進化は小進化の積み重ねでは説明できない」というものになる*19.
まずゴールドシュミットのギャップの主張にちょっと触れたのちに,系統関係とゲノム距離の知見を示し,アレル頻度の変更による小進化の積み重ねで大きな形態の違いが生じても不思議はないと指摘する.
次に「漸進的な進化というフレームで,不連続に見える形質変化や複雑な新奇形質を説明できるのか」という問題が取り上げられる.そして不連続に進化したと思われていたが,後に中間型の化石が見つかった例*20,眼の進化がどのようなステップを踏んで進んだのか,遺伝子制御ネットワークや遺伝子ツールキットにより形質の使い回しや組み合わせが生じて新しい機能の獲得が可能になる仕組み*21,環境の大変動がそのような進化の駆動要因となること,全ゲノム重複変異は通常なら(平均して)有害だが,大きな環境変動下では新奇環境への侵入を通じて有利になりうること*22,そして環境変動により維持された全ゲノム重複や一部のゲノム重複は,より複雑で大きな遺伝子制御ネットワークを可能にし,その後の進化の起こりやすさを上げた可能性があることなどが解説されている.
以上が本書の内容になる.定番の進化についての誤解を取り上げ,なぜそれが誤解かを解説しつつ,関連するトピックについて最新の知見を紹介しつつ所々深掘りしていて,初心者用の単なる入門書に留まらず,興味深い啓蒙書に仕上がっている.その意味でドーキンスの用語法に(私から見て全く納得感なく)噛みついている部分が誤解を取り上げた章建ての中に埋め込まれているのは本当に残念に思う.
関連書籍
河田による入門書.この本の内容はネットで無料公開されている(ただし非商用利用のみ).https://ochotona0.wixsite.com/mysite/hajimete
やはり若い頃書かれた入門書.この本の存在は知らなかった.同じく無料公開されている.https://ochotona0.wixsite.com/mysite/blank
*1:ここではこのネタがかなり広がっていることにも触れ,ならばポケモンの進化を実際の生物進化に近づけてゲーム化すればいいのではというアイデアが述べられていて
*2:なおここでは遺伝学会による用語の改変,特にvariationを「多様性」とすることに対して異議が唱えられており,「変異」を用い,mutationに「突然変異」を用いると断り書きがある.
*3:その基本的なメカニズムとしてドリフトバリア説が解説されている.基本的に突然変異は有害なことが多いので,突然変異率が下がる方向に淘汰圧がかかるが,浮動により完全になくならない.このため突然変異率への淘汰圧は,当該遺伝子の重要性に加えてその有効集団サイズに依存することになる
*4:ここでは2017年の日本遺伝学会長の「色覚異常のような遺伝的に異なるタイプをネガティブなものとして取り扱うべきではない.それはそれぞれのタイプはその時々の自然の選択として種を救ってきたからだ」という旨のコメント,および2022年度の東大入学式の東大総長の(ダイバーシティの重要性の意義に関しての)「そうした多様なタイプの個体がいることは集団の生存にとってメリットでもあります」コメントが進化学的には誤りであると指摘されている
*5:サイト数が複数だと条件が緩和される旨の注意書きがある
*6:また遺伝的多型ではなく表現型多型なら環境の多様性があれば条件付き戦略として多型が維持されうることも説明されている
*7:ただし最近では以前考えられていたよりも平衡淘汰の事例が多そうだということがわかってきたとしてショウジョウバエのリサーチが紹介されている
*8:エピ変異は有害なことが多いので長期的に影響を受けないように進化しているという仮説もあることが指摘されている
*9:ここでは福岡伸一が名指しで取り上げられ「『種の保存』こそが生命にとっての最大の目的なので,個は一種のツールにすぎません」なるコメントが引用されている.遺伝学者(文献リストで元遺伝学会会長である小林武彦であることが示されている)の誤解としては,「なぜ生物は死ぬように進化したのか」という問題に対して「集団が絶滅しないため」「多様性を確保するため」という理由を挙げていることが取り上げられている
*10:例として分離比歪曲遺伝子やトランスポゾンが示されている
*11:コピーの頻度が増えることがその遺伝子にとっての利益だと考えれば,「利己的」という言葉において自らの直接のコピーの数だけことさらに問題にする必要はない
*12:あるいは河田はDSウィルソンの因果の実在性の議論に乗るということなのだろうか.少なくとも(数理的には等価であるにもかかわらず)なぜそう見る方が的確だと考えるのかを説明すべきだろう.この辺りはDSウィルソンとウエストたち包括適応度理論家との論争の核心部分でもある.私としては因果の実在性の議論はいかにも筋悪であり,ウエストたちの議論の方がはるかに涼やかだと考えている
*13:そして個体にとって不利なものを「利己的遺伝因子」などとして区別する用法がすでにあるとも言える
*14:これこそが「利己的な遺伝子」が特別に優れた啓蒙書として認められてきた理由であるし,実際に多くの進化生物学者に影響を与えてきた理由でもある
*15:河田が遺伝学会の用語変更案に否定的であることを考えると,この「利己的な遺伝子」にかかる用語法提案の強引さがより際立つように感じられる
*16:この「ダーウィンが『生き残るのは変化できるものだけだ』といった」という話は小泉元首相もどこかでしゃべっていたので,政界や経済界ではかなり広く出回っているのだろう
*17:化石生物の絶滅確率が一定であるとされていたこと(後にそうではないことが示された)を説明するための仮説(絶滅確率に与える影響は環境変化より競争による共進化の方が重要)
*18:ここでは日本におけるその源流が京都学派の西田哲学,今西進化論にあることにも触れたのち,再度福岡伸一の誤解を揶揄している
*19:この話はいわゆる「進化の誤解」としては最近あまり見かけなくなった印象だ.ここではその最近の例として池田清彦の「進化論の最前線」における記述があげられている.
*20:ここではキリンの首の問題が,首の長さに伴って進化した遺伝子のゲノム解析の話とともに取り上げられている.
*21:食虫植物の跳躍板トラップ,トゲウオの淡水環境への進出,ツノゼミのツノ形態の多様化,魚類の鰭から両生類の手足への変化の例が示されている
*22:脊椎動物の主要系統において全ゲノム重複が3回生じたことが説明されている