書評 「ダーウィンの進化論はどこまで正しいのか?」

  
本書は進化生物学者河田雅圭による進化の一般向けの解説書になる.河田は新進気鋭の学者であった1990年に「はじめての進化論」を書いている.当時は行動生態学が日本に導入された直後であり,新しい学問を世に知らしめようという意欲にあふれ,かつコンパクトにまとまった良い入門書だった.そして東北大学を定年退官して執筆時間がとれるようになり,その後の30年以上の学問の進展を踏まえ,改めて一般向けの進化の解説書を書いたということになる.ダーウィンの議論の今日的当否を問うような印象の題名だが,それは本書の極く一部の内容で,基本的にはいくつかの誤解が生じやすいトピックを扱いつつ進化とは何かを解説する書物になっている.
 

第1章 進化とは何か

 

1.1 そもそも進化とはなんだろうか?

第1章第1節では「進化とは何か」をめぐる誤解が扱われる.もはや入門書の進化の誤解の定番ともいえる「ポケモンの進化」から始め*1,様々な事典,辞書や博物館の説明にまで不正確な定義が入り込んでいることが示され,そこから進化とは何かが説明されている.
そして「内部の何らかの力による変化」「進歩」「複雑化,多様化」「長大な時間」「新しい種の出現」などの誤解を指摘し,本書においては「生物のもつ遺伝情報に生じた変化が世代を経るにつれて集団中に広がったり減少したりすること,またそれに伴って生物の性質が変化すること」という定義を用いるとし*2,簡単に進化が説明されている.ここではゲノム,遺伝情報,変異などについてかなり詳しい解説がおかれている.
ここから正の自然淘汰による進化を「適応進化」と呼ぶこと,「適応」という用語にはいくつか異なる用法((1)生存・繁殖に有利な特性,(2)自然淘汰により進化した特性,(3)自然淘汰によって有利な特性が進化する過程)があり混乱しやすいことが説明されている.
 

1.2 有害な進化も起こりうる

 
第2節では浮動による進化が扱われる.浮動が生じるシミュレーションを示しながら,中立進化,有害アレルの浮動による固定が簡潔に解説されている.
 

1.3 ダーウィン進化論は時代遅れ?

 
第3節で「ダーウィンの唱えた進化論は時代遅れになっているか」という書名に掲げられた問題が扱われている.ダーウィンの議論の要点,ダーウィンから総合説への学説史を踏まえたあと,レイランドによる「拡張した進化総合説」の主張(自然淘汰の制約の強調,エピジェネティック遺伝の強調,突然変異のランダム性の例外の強調,漸進性の例外の強調)と批判者との間の論争が吟味され,それはたしかに重要な論点を含んでいるが,ダーウィン進化論の基盤となる点はそのまま現在の進化学でも通用しており,時代遅れになったとはいえないとまとめられている.
 

第2章 変異・多様性とは何か

 
第2章では,変異および種内多型をめぐる論点,および遺伝子によらない遺伝(エピジェネティックス)が取り上げられている.
 

2.1 突然変異はランダムなのか?

 
この節では「突然変異はランダム」というのは正しいのか,それが厳密にランダムであることは進化理論の上でどれほど重要かが取り扱われている.これがここで論じられているのは2022年にモンローとワイゲルが「突然変異はランダムではない.我々は一般的なパラダイムに挑戦している」とする論文を出し,それがメディアで「標準的モデルの考え方が誤りだ」と取り上げられたためであり,つまり進化理論についての誤解「突然変異がランダムであることが主流の進化理論の大前提だ」が問題になっている.
著者は標準的なモデルの理解(突然変異はランダムだが淘汰(や浮動)により方向が生じる)を解説し,しかし厳密には偏りが生じる現象があることが昔から知られていること,重要なのは「有利になる方向」に偏ることがあるかどうか(適応的突然変異ヘの偏りがあるか)であり,それは論争と数々の実験の結果おおむね否定されていることを指摘している.
そして「突然変異率自体が進化しうる」ことが詳しく解説されている*3.ここではシロイヌナズナを用いたリサーチが詳しく紹介され,重要な遺伝子ほど突然変異率が生じづらくなっていることが示されている.そしてモンローとワイゲルが示したのは必須遺伝子に突然変異が生じづらくなっていることだけで,有利な方向への偏りを示したものではなく,主流のパラダイムに挑戦するものとはいえないとしている.
続いて「生存困難な状況において突然変異率が上昇する現象(SIM)は適応進化の結果でありうるか」が議論される(しばしばそれは「強いストレス環境化で突然変異率を上昇させて適応進化を促進する役割がある」と説明されるが,それは正しいのかが問題となる).ここでは,まず突然変異誘発率上昇アレルと,それが誘発した何らかの有利なアレルが強く連鎖していなければそれは進化しえない(ただし無性生殖生物では可能),しかし突然変異誘発率上昇アレルが,それ自身(増殖率と修復率のトレードオフから)ストレス環境で個体に有利であればそれは進化しうる,また浮動により進化することも可能かもしれないと説明されている.
 

2.2 多様性は高ければいいってもんじゃない

 
第2節では種内多型がテーマとなる.ここで問題となる誤解は「多様性や変異がなぜ生成・維持されているか」にかかわるものになる(しばしは「それぞれのタイプは何らかの利点があったから現存している」「多様性は種にとってよいことだ」という誤解が現れる*4のでそれが問題となる).
そしてこれがなぜ誤解であるのかについてていねいに解説がある.そもそも集団内の遺伝的多様性とは何かを多型サイト数,塩基多様度の指標を用いて説明し,基本的に自然淘汰が働くと有利なアレルの頻度が上がり多様性は減少する(突然変異や移住により生じる多様性は集団の遺伝的荷重となる)こと,超優性による多型も遺伝的荷重の1つ(分離荷重)となることを指摘する.そして遺伝的多様性は,集団に突然変異,自然淘汰,浮動が生じた結果として維持されているもので,生物進化に必要だから存在するわけではないことを説明する.
そこから多型を維持するように働く自然淘汰(平衡淘汰)の例として超優性,負の頻度依存淘汰を挙げ,単に生息地内の空間的時間的な環境の多様性だけでは遺伝的多型維持の十分条件ではないこと(基本的にヘテロ表現型が平均して有利でないと維持されない*5*6)が指摘されている(この「環境に多様性があれば(それだけで)多型が進化する」というのもしばしばみられる誤解なのだろう).
ここから遺伝的多型には実際にはどの要因が効いているのか(突然変異と浮動のバランス,突然変異と自然淘汰のバランスが大きく,平衡淘汰は少ない*7と考えられている),野外ではどの程度遺伝的多様性があるのかが解説され,最後に遺伝的多様性はあくまで進化の結果であること,自然淘汰は集団の存続に有利になる場合も不利になる場合もあることが強調されている.
 

2.3 受け継がれるのは遺伝子だけか?

 
第3節はエピジェネティックスがテーマとなっている.ここで問題となる誤解は「エピジェネティックスの存在はラマルク説の復活,ダーウィン説の否定を意味する」というものだ.
ここでは遺伝子の定義の問題(分子遺伝学的定義とメンデル的(表現型からの)定義),エピジェネティックスの仕組み(DNAメチル化,ヒストン修飾,ノンコーディングRNAなどの複数の仕組みがある),大半のエピジェネティックス修飾は世代間伝達をしないが一部するものがあること(それでもせいぜい十数世代で永続的には伝わらない),このような世代間伝達するエピアレルは植物でよく調べられていることがまず説明される.
そこからエピ変異が(表現型の変化を引き起こすことにより環境に適応することで)通常のDNAの進化をより加速させうること,DNAメチル化が転移因子の抑制として働きうることが解説される.しかしエピ突然変異は永続的に伝わらないだけでなく,元に戻る方向に偏りがある(だから一時的であり累積的な進化は生じにくい)こと*8,ラマルクのいうような獲得形質がエピジェネティックスにより次世代に伝わることはないことから,全体的にエピジェネティックスが進化に与える影響は限定的で,その与える影響は「表現型可塑性」の役割と似ているとしている.
最後にエピジェネティックス以外に次世代に影響を与えるものとして,親の母乳や分泌・排泄物,親の改変した環境,文化的伝達,共生生物などがあることも指摘されている.
 

第3章 自然選択とは何か

 
第3章のテーマは自然淘汰.
 

3.1 種の保存のために生物は進化する?

 
第1節は定番の誤解「種の保存のため」が扱われる.ディズニー映画におけるレミングの「集団自殺」の説明,生物学者や遺伝学者にもある誤解*9が,まず取り上げられ,そこからナイーブグループ淘汰の誤りが解説されている.
そこから自然淘汰の働く仕組み,個体にとってマイナスだが集団にとって有利な形質が進化する条件としてのマルチレベル淘汰の考え方(本書ではデーム間集団選択という用語を使っている)が解説され,ついでこの「グループ」が「種」である場合にこのような条件を満たすことがありうるかが吟味される.まず種とは何かが様々な定義とともにごく簡単に説明され,そして種とは個体や集団や系統が進化した結果現れるものであるので,種が1つの実体的な集団としてマルチレベル淘汰の条件を満たすことはないと説明される.さらに「系統淘汰」はどのような性質を持った系統がどのくらい観察されるかというパターンを説明するもので,「種の保存のための進化」を意味するものではないことにも触れている.
 

3.2 生物は利己的な遺伝子に操られている?

 
第2節のテーマはドーキンスの「利己的な遺伝子」になる.
まず「利己的な遺伝子」は,ドーキンスによる「自然淘汰の見方」であり,このような見方をとると自然淘汰がわかりやすくなると主張したものであることを押さえ,淘汰の原因(selection for)と淘汰の単位(selection of)の区別を解説した上で,ハミルトンの包括適応度理論(血縁淘汰),包括適応度理論とマルチレベル淘汰理論が数理的に等価であることなどに触れながら,ドーキンスの主張を説明している.
そしてここから(ドーキンスファンである私にとっては非常に驚きだったが)ドーキンスの用語法に対する批判が繰り広げられている.著者の批判はおおむね以下の通りだ.

  • 「利己的な遺伝子」という比喩は「その遺伝子が自らのコピーを増やすように表現型を進化させた」という意味を持つが.自然淘汰は個体にとって有利な表現型を持つ遺伝子ならどの遺伝子でも頻度を増加させるのであり,常に特定の遺伝子の頻度を増加させるわけではなく,この比喩は当てはまらない.
  • (血縁淘汰的)利他行動の進化を考えると,利他行動遺伝子自体は次世代にコピーを残せず,増えるのは別の個体が持つコピーであり,その遺伝子自体が有利になったとはいえない.グループに淘汰が働いたとみる方がより的確に現象を捉えている
  • 個体にとって不利で個別遺伝子にとって有利な「利己的遺伝因子*10」のみを「利己的な遺伝子」と呼ぶ方が比喩的に適切だ.
  • この用語法では個体にとっても有利な遺伝子と個体にとって不利な遺伝子の区別ができない.自然淘汰がどのレベルで働いているかを明確にすることは,なぜその現象が進化したかを理解する上で重要だ.

 
この節におけるドーキンスの用語法の批判には全く納得できない.私の感想をまとめておこう.

  • 仮に河田の主張を認めるとしても,なぜ単なる「用語法についての提案」を「進化についてのあからさまな誤解」を並べた章の真ん中に入れ込むのか.これでは(あまり注意深く読まない)一般読者は「ドーキンスの説明は進化についての誤解なのか」という印象を持つだろう.悪質な印象操作的な構成だといわざるを得ない.
  • 河田の論点は「比喩としての意味の適切さ」と「進化の理解のための的確な用語法」の2点だと思われるが.どちらにも納得感はない.
  • 比喩としての意味の適切さ(1):「利己的な遺伝子」が「その遺伝子が自らのコピーを増やすように表現型を進化させる」という意味であるというのは河田による(かなり独自な)1つの解釈に過ぎない.「その遺伝子が(同祖的なすべての)コピーを増やすように(表現型として)働くなら,(平均的に)頻度を増やす」という意味を持つと解釈すれば,その特定の遺伝子が結果として頻度を増やさなかったとしても何の問題もないだろう.
  • 比喩としての意味の適切さ(2):河田は「利己的である」という比喩を「自らのコピー」を増やすという意味を持つと一方的に断定しているが,ドーキンスの意図としては,「自らのコピー」だけではなく「同祖的なすべてのコピー」を増やすものとしているのであろうし*11,そう解釈するなら血縁淘汰的利他行動の進化を表す表現として全く問題はない.
  • 進化の理解のための的確な用語法(1):「利他行動の進化はグループに淘汰が働いたために生じる」と理解するのは,まさに1つの見方に過ぎない.そう見てもいいし,「利他行動の進化はそれにかかる遺伝子が同祖的なコピーを増やすように働くから生じる」と理解してもいい.そしてそれこそが包括適応度理論とマルチレベル淘汰理論の数理的等価性の帰結であるはずだ.グループに淘汰が働いたとみる方が的確だという主張については何の論拠も示されておらず,納得しがたい*12
  • 進化の理解のための的確な用語法(2):利己的に働く遺伝子のうち個体にとっても有利なものと個体にとって不利なものを用語的に区別した方がよいというのは理解できる.しかしその方法は「利己的な遺伝子」の中に下位区分を用いる方法であっても全く問題ないはずだ*13.河田は「(上位レベルの単位での有利不利は問わない)利己的な遺伝子」という上位概念が持つ「自然淘汰がどう働くか」の本質的な理解についての有用性*14を無視しているし,学説史的な重要性や定着している用語の変更に伴う混乱のデメリット*15についても無視している.この提案は私的には到底受け入れられない.

 

3.3 生き残るためには常に進化しないといけない?

 
第3節はいわゆる「もやウィン」騒動*16が取り上げられ,それに絡めて赤の女王仮説が解説されている.
ここでは「生き残るのは変化できるものだけである」という怪しげな格言の由来(ダーウィンの言葉ではなく,経営学者のメギンソンによる誤解を含む独自解釈が元となっている),そのどこが誤りか(変化するのは進化的な結果にすぎない)がまず押さえられる.
続いてそれが絶滅確率についての赤の女王仮説*17と関連することにふれ,そこから有性生殖の維持についての赤の女王仮説が解説され,有性生殖維持の問題はなお未解決であることが説明されている.
 

第4章 種・大進化とは何か

 

4.1 進化=種の誕生か?

 
冒頭で「種の保存のため」誤解*18,種の誕生を進化の定義に入れる必要がないことをもう一度取り上げたのち,種分化がテーマとして取り上げられる.
ここではイヌとオオカミが例にとられて,集団が分岐してそれぞれ独自の性質を持つようになること,生殖隔離がある程度あることなどが種分化において見られるが,連続的な現象であり,種分化についての明確な基準はないことなどがまず説明され,その後交配前生殖隔離と交配後生殖隔離,異所的種分化と同所的種分化の区別が解説される.
そこから「(個体にとり不利になることもありそうな)交配後生殖隔離がいかに進化できるのか」という問題が取り上げられる.ここでは関連遺伝子が1つしかなければそのヘテロ接合で適応度が低下する場合には自然淘汰による交配後生殖隔離の進化は困難だが,関連遺伝子が2つ以上あれば可能なこと(ベイトソン・マラー理論),交配後生殖隔離は遺伝的浮動でも進化可能であり,どちらが主要なメカニズムかについては異なる考え方があること,またこの遺伝子間に拮抗的共進化が生じることが生殖隔離の進化を促す要因となることが解説される.
さらにここでは生態的種分化と非生態的種分化の区別,生殖隔離の連続性なども解説されている.
 

4.2 大進化は小進化で説明できないのか?

 
第2節のテーマは大進化および不連続形質・新奇形質の進化.ここで問題となる誤解は「大進化は小進化の積み重ねでは説明できない」というものになる*19
まずゴールドシュミットのギャップの主張にちょっと触れたのちに,系統関係とゲノム距離の知見を示し,アレル頻度の変更による小進化の積み重ねで大きな形態の違いが生じても不思議はないと指摘する.
次に「漸進的な進化というフレームで,不連続に見える形質変化や複雑な新奇形質を説明できるのか」という問題が取り上げられる.そして不連続に進化したと思われていたが,後に中間型の化石が見つかった例*20,眼の進化がどのようなステップを踏んで進んだのか,遺伝子制御ネットワークや遺伝子ツールキットにより形質の使い回しや組み合わせが生じて新しい機能の獲得が可能になる仕組み*21,環境の大変動がそのような進化の駆動要因となること,全ゲノム重複変異は通常なら(平均して)有害だが,大きな環境変動下では新奇環境への侵入を通じて有利になりうること*22,そして環境変動により維持された全ゲノム重複や一部のゲノム重複は,より複雑で大きな遺伝子制御ネットワークを可能にし,その後の進化の起こりやすさを上げた可能性があることなどが解説されている.
 
以上が本書の内容になる.定番の進化についての誤解を取り上げ,なぜそれが誤解かを解説しつつ,関連するトピックについて最新の知見を紹介しつつ所々深掘りしていて,初心者用の単なる入門書に留まらず,興味深い啓蒙書に仕上がっている.その意味でドーキンスの用語法に(私から見て全く納得感なく)噛みついている部分が誤解を取り上げた章建ての中に埋め込まれているのは本当に残念に思う.
 
 
関連書籍
 
河田による入門書.この本の内容はネットで無料公開されている(ただし非商用利用のみ).https://ochotona0.wixsite.com/mysite/hajimete

 
やはり若い頃書かれた入門書.この本の存在は知らなかった.同じく無料公開されている.https://ochotona0.wixsite.com/mysite/blank

進化論の見方

進化論の見方

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*1:ここではこのネタがかなり広がっていることにも触れ,ならばポケモンの進化を実際の生物進化に近づけてゲーム化すればいいのではというアイデアが述べられていて

*2:なおここでは遺伝学会による用語の改変,特にvariationを「多様性」とすることに対して異議が唱えられており,「変異」を用い,mutationに「突然変異」を用いると断り書きがある.

*3:その基本的なメカニズムとしてドリフトバリア説が解説されている.基本的に突然変異は有害なことが多いので,突然変異率が下がる方向に淘汰圧がかかるが,浮動により完全になくならない.このため突然変異率への淘汰圧は,当該遺伝子の重要性に加えてその有効集団サイズに依存することになる

*4:ここでは2017年の日本遺伝学会長の「色覚異常のような遺伝的に異なるタイプをネガティブなものとして取り扱うべきではない.それはそれぞれのタイプはその時々の自然の選択として種を救ってきたからだ」という旨のコメント,および2022年度の東大入学式の東大総長の(ダイバーシティの重要性の意義に関しての)「そうした多様なタイプの個体がいることは集団の生存にとってメリットでもあります」コメントが進化学的には誤りであると指摘されている

*5:サイト数が複数だと条件が緩和される旨の注意書きがある

*6:また遺伝的多型ではなく表現型多型なら環境の多様性があれば条件付き戦略として多型が維持されうることも説明されている

*7:ただし最近では以前考えられていたよりも平衡淘汰の事例が多そうだということがわかってきたとしてショウジョウバエのリサーチが紹介されている

*8:エピ変異は有害なことが多いので長期的に影響を受けないように進化しているという仮説もあることが指摘されている

*9:ここでは福岡伸一が名指しで取り上げられ「『種の保存』こそが生命にとっての最大の目的なので,個は一種のツールにすぎません」なるコメントが引用されている.遺伝学者(文献リストで元遺伝学会会長である小林武彦であることが示されている)の誤解としては,「なぜ生物は死ぬように進化したのか」という問題に対して「集団が絶滅しないため」「多様性を確保するため」という理由を挙げていることが取り上げられている

*10:例として分離比歪曲遺伝子やトランスポゾンが示されている

*11:コピーの頻度が増えることがその遺伝子にとっての利益だと考えれば,「利己的」という言葉において自らの直接のコピーの数だけことさらに問題にする必要はない

*12:あるいは河田はDSウィルソンの因果の実在性の議論に乗るということなのだろうか.少なくとも(数理的には等価であるにもかかわらず)なぜそう見る方が的確だと考えるのかを説明すべきだろう.この辺りはDSウィルソンとウエストたち包括適応度理論家との論争の核心部分でもある.私としては因果の実在性の議論はいかにも筋悪であり,ウエストたちの議論の方がはるかに涼やかだと考えている

*13:そして個体にとって不利なものを「利己的遺伝因子」などとして区別する用法がすでにあるとも言える

*14:これこそが「利己的な遺伝子」が特別に優れた啓蒙書として認められてきた理由であるし,実際に多くの進化生物学者に影響を与えてきた理由でもある

*15:河田が遺伝学会の用語変更案に否定的であることを考えると,この「利己的な遺伝子」にかかる用語法提案の強引さがより際立つように感じられる

*16:この「ダーウィンが『生き残るのは変化できるものだけだ』といった」という話は小泉元首相もどこかでしゃべっていたので,政界や経済界ではかなり広く出回っているのだろう

*17:化石生物の絶滅確率が一定であるとされていたこと(後にそうではないことが示された)を説明するための仮説(絶滅確率に与える影響は環境変化より競争による共進化の方が重要)

*18:ここでは日本におけるその源流が京都学派の西田哲学,今西進化論にあることにも触れたのち,再度福岡伸一の誤解を揶揄している

*19:この話はいわゆる「進化の誤解」としては最近あまり見かけなくなった印象だ.ここではその最近の例として池田清彦の「進化論の最前線」における記述があげられている.

*20:ここではキリンの首の問題が,首の長さに伴って進化した遺伝子のゲノム解析の話とともに取り上げられている.

*21:食虫植物の跳躍板トラップ,トゲウオの淡水環境への進出,ツノゼミのツノ形態の多様化,魚類の鰭から両生類の手足への変化の例が示されている

*22:脊椎動物の主要系統において全ゲノム重複が3回生じたことが説明されている

War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その65

 
 
14世紀が始まるころ,フランスはある種の黄金時代だったが,そこから崩壊する.
ターチンはこの基本メカニズムはマルサス過程だとするが,それだけでは崩壊から回復への遅れが説明できないとして,支配層のダイナミクスをより詳しくみることが必要だと説く.
人口増加による食料不足はまず一般市民を直撃するが,土地を所有する貴族層は短期的には逆に利益を得る.しかしそれは貴族層の人口を相対的に過剰にし,ついに貴族層も苦難に陥る.
 

第8章 運命の車輪の逆側:栄光の13世紀から絶望の14世紀へ その9

 

  • 農民による余剰生産が縮小する中で,それに支えられてきた貴族の人口は増加した.これは貴族たちは生活水準を落とす(つまり貴族の地位を手放す)か,何か別のことを試みるしかないことを意味する.1300年当時収入が25〜50リーブル程度だった下層領主たちはその貴族の地位を失うリスクに直面していた.貴族の地位を保つためには他の貴族からリソースを奪うしかない.エリート間の闘争が激しく行われるようになった.

 
貴族層は苦難を解決するために互いに争うようになったというのがターチンの説明になる.ここからその様子が詳しく解説される.
 

  • 1300年から1350年にかけてフランス社会の紐帯が,まず辺境でそして後にコア地域で,ほどけ始めた.ガスコーニュではアルマニャック家とフォワ家がベアルンの子爵位をめぐって抗争した.この確執は片方の家系の完全な消滅までその後250年続いた.大領主が爵位をめぐって争う中,下層貴族たちは私闘に明け暮れた.

 
この辺の歴史には詳しくないが,ググるとこのような本がヒットする.

 

  • フランドルでは王家につながる名門貴族と新興ブルジョワ間の緊張が高まっていた.新興ブルジョワたちは労働者たちを突撃隊として使った.1302年には,権力闘争がブリュージュの暴動を引き起こし,西フランドルを席巻した.国王フィリップ4世は鎮圧の軍隊を派遣したが,フランドルの歩兵部隊はフランス貴族中心の王国騎兵隊をコルトレイクの戦いで打ち破った.1325〜26年にフランドルの都市コミュニティはフランドル伯からの独立を試みたが,フランスの騎士たちはカセルの戦いで勝利して,コルトレイクの雪辱を果たした.しかし1337年にはゲントのフランドル都市連合がフランドル伯に対して蜂起し,指導者アルテヴェルデはフランドル伯を追放した.都市連合は英国と通商条約を結び,1340年にはエドワード3世を君主と認め,それは(百年戦争の)クレシーの戦いに直接つながることになる.

 

 

  • 北フランスと東フランス(ピカルディとブルゴーニュ)では男爵による国王徴税反対の動きが起こった.アルトワ郡における中央権力に対する反抗はロベール・アルトワとその伯母マホによる郡の所有をめぐる争いにより複雑な経緯をたどった.ロベールは敗北し,英国に逃れ,百年戦争でエドワード3世に組みすることになる.
  • 1341年にブルターニュは,公爵のジョン3世が後継を決めずに亡くなった時に内戦状態になった.承継はブロワとモンフォールの間で争われた.内戦の中で中層以下の貴族と西のケルトはモンフォール側につき,上層貴族と東のブルジョワたちはブロワ側についた.英国はモンフォールに肩入れして突撃騎兵(chevauchée)を供給し,レーヌ,ヴァンヌ,ナントの要塞を包囲した.

 

  • ここでの明瞭なパターンはそれぞれの地域で,争いは内戦として始まり,その片方が英国のエドワード3世を引き入れたということだ.フランドルへの介入を正当化するためにエドワード3世にフランス王位を主張すべきだと吹き込んだのは,アルテヴェルドだったといわれている.

 
ターチンの説明は,急速に苦境に陥った貴族層や新興ブルジョワの内部抗争こそが,英国を引き入れることで,百年戦争を引き起こしたというものになる.

War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その64

 
14世紀が始まるころ,フランスはある種の黄金時代だったが,そこから崩壊する.
ターチンはこの基本メカニズムはマルサス過程だとするが,それだけでは崩壊から回復への遅れが説明できないとして,支配層のダイナミクスをより詳しくみることが必要だと説く.そして中世盛期の人口増加は一般市民を食料価格上昇と賃金低下による苦境に陥れたが,貴族層はむしろ利益を得たのだということを説明する.しかしそれはもちろん持続不可能で,その流れは反転する.反転は貴族層の相対的人口増加がきっかけとなったというのがターチンの説明になる.
 

第8章 運命の車輪の逆側:栄光の13世紀から絶望の14世紀へ その8

 

  • 一般人口対比の貴族層人口の劇的な増加は,生産水準を上回る一般人口増加と同じ結果を招いた.貴族層の経済状況は悪化したのだ.多くの貴族たちは,もはや自分たちの収入だけで前世代が享受できた生活水準を保てないことに気付いた.生活水準を下げることはエリートの地位を捨てることと同義であり,受け入れられなかった.彼らは農民へ増税を課し,土地の更なる利用を図り,借金した.どのやり方も長期的に維持可能なものではない.彼らは増えすぎたのだ.国家はすべての貴族層を養うことができなくなり,王家自体財政困難に陥った.増税は農民の生存を不可能にし,彼らは逃散や反乱により納税を拒否した.

 
要するに貴族層と一般層で,人口増加にタイムラグが生じたことがポイントになる.このタイムラグは貴族層が土地を持ち,一般層が労働力を持っていたことから生まれたことになる.ここから詳しく状況が説明される.歴史物を読む醍醐味だ.
 

  • 「おまえたち貴族は獲物をあさるオオカミだ.夜中に吠え,部下の財産を奪い取り,貧しいものの血と汗を食らって生きている.農民が1年かけて何とか蓄えたものを一夜で食い尽くす」と13世紀の聖職者ジャック・ド・ヴィトリが書いている.同時に彼は貴族たちに農民を虐げれば反乱という形で報いがあるとも警告している.これは予言的だった.1320年に羊飼い十字軍と呼ばれる農民の運動がフランスで起こった.農民たちを説教する破戒僧や変節僧が触媒となり,田舎の貧しい者たちはならず者と一緒にパリを行進し,宮殿に閉じこもった国王に反抗し,囚人を解放した.彼らはパリからサントンジュとアキテーヌに南下し,城を襲い,市庁舎を焼き,郊外を荒らし,ユダヤ人と癩病患者を虐殺した.彼らは一時4万人を超えたが,その後いくつかの小さなグループに分裂した.貴族たちは組織化して彼らを攻撃し,何千人もつるし首にした.

 
ジャック・ド・ヴィトリとは13世紀フランスの司祭,神学者.その著作は十字軍の歴史においては重要文献ということらしい.

 

  • 黒死病の到着は社会ピラミッドの基礎の掘り崩しプロセスを完了させた.一般的に感染症においては貧困層の死亡率の方が高い.疫病においてはそれを避ける唯一の方法は逃げることだ.都市の下層民がバタバタと倒れるなか,富裕層はデカメロンで描かれたように郊外の領地に逃げ込んだ.
  • 1348〜49年の疫病では英国人口の40%が死亡したと推定されている.領主階層の死亡率は27%であり,最上階層ではわずかに8%だった.国王で死んだのはカスティリアのアルフォンソ9世だけだった.

 
貴族層の相対的人口比が上昇するというプロセスは黒死病で加速されたというのがターチンの説明だ.ここからそれが経済的にどう影響したかが説明される.
 

  • 黒死病以降の賃金上昇と地代の低下は土地所有者たちにとってすさまじい経済的惨事となった.特に打撃を受けたのは,耕作を小作労働に頼っていた下層から中層の土地所有者たちだった.一部の小作人が所有者が死に絶えた近隣の土地を得たことにより,全体の小作人の数がさらに減少し,彼らは高い賃金を要求するようになった.
  • 英国では土地所有者たちは1351年に労働者法を定めさせ,賃金を固定化しようとした.その法は厳しく執行されたが,経済的には無力だった.それは土地所有者たちに他所より少し高い賃金を提示して労働者を集めようとするインセンティブを与え,フリーライダー問題を引き起こしたのだ.法律は高い賃金を提示する領主を罰せずに,それを受け入れた労働者のみを罰するものだった.このため民衆はその法を憎み,その法の執行は1381年の民衆蜂起の大きな要因となった.

 
価格を固定しようとする法律は最終的には需要と供給の法則に勝てない(結局価格を強制的に据え置こうとすると供給されなくなる)ものだが,その料金を提示する方を罰さずに,受け入れた方のみ罰するという法律もすさまじい.それを厳正に執行すれば当然労働者たちの激しい敵意を生むだろう.
 

  • 上層の階級の状況はまだましだったが,それも1380年ごろまでだった.大領主たちは武装した家臣団を使って農民たちを脅し,1348年以前の地代と賃金水準を受け入れるように強要した.また逃げ出した農奴を見つけて捕らえ,耕作に戻したり,罰を与えたりした.つまりしばらくの間経済条件を強制的に押し付けることができたのだ.極く一部の領主はこのような強制的な手法により収入を増加させることもできたようだ.(いくつかの具体的な例が示されている)
  • 状況はフランスでも同じだった.貴族たちは収入を維持しようと農民たちをより抑圧した.それは1358年にジャックリーの乱として知られる暴動を引き起こした.暴動はすぐに鎮圧されたが,それは支配階層にとっては衝撃だった.直接的な暴動より影響が大きかったのは,不利な条件を押し付けられた農民による静かな棄村,逃散の動きだった.抑圧的な領主はある日耕作者がいなくなっているのに気付くのだ.
  • 黒死病から1世代後,領主たちが需要と供給の法則に屈したのは明らかだった.フランスの中世史研究家ギイ・ボワの推定によると,ほとんどの封建領主たちは収入の半分から3/4を失った(具体例がいくつか示されている).彼らの収入が低下した一方で,賃金上昇により工業製品の価格は上昇した.13世紀後半に貴族の繁栄をもたらしたダイナミズムが100年後に反転したのだ.

 

 
 
上層階級は,権力を用いて,なおしばらくは一般階層からの搾取を続けることができたが,結局それは維持不可能だ.不利な条件を押し付けようとしても,最終的には取引を拒否されることになる.

書評 「善と悪の生物学」

 
本書は,ストレスについての神経生理と行動の研究者で,アフリカで長年ヒヒの観察をしたことで知られるロバート・サポルスキーによるヒトの行動(特に暴力と攻撃と競争)についての一冊.進化生物学,脳神経科学,心理学の至近要因,究極要因の両方を含む広範な知見が簡潔に紹介され,著者自身の様々な考察が述べられている重厚な一般向け啓蒙書だ.サポルスキーは2001年に自伝的な回想録「A Primate's Memoir: A Neuroscientist's Unconventional Life Among the Baboons」を出しており(邦訳書は「サルなりに思い出すことなど」で2014年刊行),はちゃめちゃな東アフリカ体験をユーモアあふれる筆致で語っていてとても印象的な一冊だった.本書はかなり趣の異なる総説的な本ということになる.原題は「Behave: The Biology of Humans at Our Best and Worst」
 

序章

 
序章では本書が暴力,攻撃,競争の生物学を扱うものであること,その背後にある行動様式,衝動,個人と集団と国家の行為,どういう時にそれが悪になったり善になったりするのかを探るものであると説明される.
そして著者のスタンスは,攻撃や協力を理解するために生物学を用いるが,生物学だけには頼らないということだとし,さらに行動を「生物学的側面」と「心理学的」または「文化的」側面を区別するのは意味をなさないと考えているとする.また行動の様々な要因についてカテゴリー思考(脳神経科学,ホルモン,環境.遺伝,文化などの要因を区別して別に扱う思考法)を避けるために本書ではタイムスケールの短いものから長いものへと視野を広げていくアプローチをとると宣言している.
 

第1章 行動

 
第1章がいわば準備章になる.攻撃,暴力,利他などの用語の定義が分野によって異なること,攻撃や暴力の評価は状況に強く依存するために単純に善悪で分類できないし,すべきでもないことがコメントされている.
 

第2章 一秒前

 
第2章では行動に至る神経系の至近メカニズムが解説される.脳の構造モデルにマクリーンの三位一体脳モデルを基本的に採用しつつ,大脳辺縁系,扁桃体,前頭葉,中脳辺縁系/中脳皮質ドーパミン系がどのような役割を果たしているかが概説されている.
ここでは大脳辺縁系が情動の中心部位であり,前頭葉と相互作用すること,扁桃体が恐怖と不安(警戒警報)に強く関係すること,前頭葉が「正しい,かつより難しい行動をとらせる」機能を持ち,背外側前頭前野(dlPFC)が「より難しい方を選ぶ」意思決定に,腹内側前頭前野(vmPFC)が「その意思決定への情動の影響」に関係していること,中脳辺縁系が報酬系であることなどが強調されている.
 

第3章 数秒から数分前

 
第3章以降は第2章で解説された神経系のメカニズムのパラメータを決める様々な要因が時間スケール順で取り上げられる.
第3章は感覚刺激の解説となる.まず行動主義,動物行動学に少し触れたあと,感覚刺激,サブリミナルな刺激(扁桃体の活性化),内受容感覚が概説される.そこから言葉,集団への帰属,社会的文脈が無意識に与える影響の解説があり,さらに脳が感覚系の感度を選択的に変化させうることに触れ,行動に影響を与える多くの感覚刺激が無意識下であることが強調されている.
 

第4章 数時間から数日前

 
第4章ではホルモンの作用系が解説される.
まずテストステロンの作用について,たしかにテストステロンの投与や去勢により攻撃性は変わるが,それとは相関のない攻撃性があり,一般にテストステロンによって個人の攻撃性は予測できないことが説明される.そしてテストステロン(条件依存性が強く,基本的に地位の維持に必要な行動が促される)やオキシトシン(同じく条件依存性が強く,親子やカップルの絆形成,社会的情報を収集すること,さらに「他者」への裏切りを促す)の複雑で微妙な効果が詳しく説かれる.
続いてエストロゲン,プロゲステロン,それらが変換される神経ステロイドや関連ホルモンの作用の複雑な効果が解説される.ここでは2種類以上の物質の相対比が問題になること,メスの攻撃性の状況依存性(子殺しリスクに晒された場合,月経周期との関連など)が説明できることが詳しく取り上げられている.
最後にストレスと脳機能の関連が解説される.「闘争か逃走」反応,グルココルチコイドの作用,脳機能の速度と正確性のトレードオフとの関連,速度が優先された場合の衝動性・利己性の高まりなどが取り上げられている.本章ではホルモン系の作用が複雑で条件依存性が強いことが強調されている.
 

第5章 数日から数か月前

 
第5章のテーマは神経可塑性になる.
まず神経細胞がいかに「記憶」するのかから解説される.それはシナプス間の連絡の長期増強により,神経伝達物質とその受容体が関与する.ここではグルタミン酸などの化学物質や受容体の作用の詳細,ストレスと長期増強,長期抑制との関連(状況依存で複雑だが,基本的にはストレスで長期増強が抑圧され,衝動性が誘発されやすくなる),かつては新しくシナプス形成は起こらないとされていたが「活性依存のシナプス形成」があり長期増強と関連しているらしいことなどが解説されている.
続いて軸索の可塑性と再配線,成体脳でも新しいニューロンを作ることが発見されたこと*1,これらにより経験,健康,ホルモン変動が数ヶ月程度で脳領域の大きさを変えることもあることが解説され,脳の可塑性(人は変わるのだということ)が強調されている(ただしそれには良いことも悪いこともあること,可塑性には限界があることも指摘されている).
 

第6章 青年期 「おれの前頭葉はどこだ?」

 
第6章と第7章のテーマは発達.第6章は特に青年期を取り扱う.
青年期には辺縁系と自律神経系と内分泌系はフル稼働しているのに前頭葉の配線はまだ完成していない*2.著者はここに青年期が,欲求不満で衝動的で手に負えなくて,時に無私無欲で時に自分勝手で,そして時に世界を変えるのかの理由があるとしている.そして青年期の前頭葉で起こる様々な変化を説明し,青年期の脳神経系が,社会的に未熟な振るまい,情動を強く感じること,リスクテイキング,新奇性探索傾向,強い帰属欲求とどうつながりがあるのかを解説する.そして青年期に暴力のピークがあるのはテストステロンのためではなく,成人に比べて自己管理能力や判断力が未熟であるからだとコメントしている.
 

第7章 ゆりかごへ,そして子宮に戻る

 
第7章では小児期,胎児期が取り扱われる.
ピアジェの発達段階理論(批判にも触れている),心の理論の発達を説明し,道徳性の発達を議論する.そこではコールバーグの道徳性発達理論,それへの批判,ミシェルのマシュマロ実験が紹介される.
続いて神経可塑性に影響を与える環境として小児期の逆境が取り上げられる.まず母親の役割(ボウルビィの愛着理論,ハーロウの代理母実験,サリヴァンのラットの実験)を検討し,小児期の逆境が,うつ,不安障害,認知機能低下,衝動制御の低下,(自分が親になった時の)逆境の再生産につながること(およびその至近メカニズムでわかっていること)を指摘する.ここで逆境の中でも暴力の目撃といじめを分けて検討すべきこと,その影響は逆境に屈服させられた回数と守ってくれる要因の数に依存することが指摘され,文化の影響として,子育てスタイル,仲間から受ける文化的影響,個人主義文化と集団主義文化が検討される.
ここではさらに子宮内での環境(特にホルモン被爆,母親が受けたストレス)の影響についても考察されている.
そして最後に,小児期に成人期の行動を直接決定するものはほとんどないが,小児期のすべてが成人の行動傾向を変化させるのであり,様々な至近メカニズムはそのことを知る手がかりになるのだとまとめている.ここでも強調点は複雑性と条件依存性になる.
 

第8章 受精卵まで戻る

 
第8章のテーマは遺伝.
まず遺伝子とは何かを初歩から解説する.タンパク質コード領域,非コード領域,その中の転写因子,スイッチをオンオフする環境条件の重要性,エピジェネティックス,エクソンとイントロン,転移遺伝因子(トランスポゾン)がまず説明される.
次に行動遺伝学の初歩が解説される.初期の双子研究とそれに対する批判と論争が要約され,結局交絡要因を完全に排除はできないが,それほどその影響は大きくなさそうだとまとめている.続いて遺伝率とは何か,遺伝子と環境の相互作用が説明される.
次に分子遺伝学を取り入れた最近のリサーチ結果が取り上げられる.セロトニン系,ドーパミン系,オキシトシン系,ステロイドホルモンなどに関連する様々な遺伝子と行動傾向の関連のリサーチ結果がきわめて複雑なことが紹介され,「候補」遺伝子探し(GWAS)により得られた知見と併せて,多くの行動形質には極めて多くの遺伝子がかかわること(ポリジーン),その1つ1つの遺伝子の影響は一般に非常に小さいこと,多くの行動形質は重なり合う遺伝子ネットワークがかかわっていること(非特異性),強い遺伝子と環境の相互作用があること,が強調され,最後に遺伝子は行動と大いに関係があるが,その効果は複雑で環境に大いに依存しているとまとめられている.
 

第9章 数百年から数千年前

 
第9章のテーマは文化.
文化の定義や動物の文化にちょっと触れ,本書のテーマにとって興味深い点は人生経験(暴力の経験を含む),利用できる資源と特権,成功の機会などが文化によって大きく異なることだと指摘する. 
そこからまず「個人主義文化と集団主義文化の対比」が考察される.そこには脳活性の違いという生物学的な要素があり,道徳体系(集団主義文化では同調が道徳と重なり,功利主義的になりやすい)や感覚処理(集団主義文化ではより俯瞰的処理が優先する)に影響すること,この違いはなぜ生まれるのか(伝統的な生業に関連するのではないか),それが淘汰圧の違いを生んだ可能性(ドーパミン関連遺伝子についての知見が紹介されている),遊牧民とアメリカ南部と名誉の文化,名誉殺人が解説されている.
続いて「不平等文化と平等主義文化の対比」が考察される.狩猟採集時代の平等社会が,農業革命以降の不平等社会に移行してきた経緯を振り返り,格差は経済資本だけでなく社会的資本にもかかわり,両格差は相関すること,不平等な文化では思いやりが減少し,貧困層の健康が失われること*3,さらに犯罪や暴力の増加につながること*4,都市生活と第三者罰の奨励の関係,社会の多様性は暴力増加にも抑制にも働きうること*5などが解説されている.
また危機が生じた時どうなるか*6,宗教と暴力の関連(文化の価値観と関連し,最善の行動と最悪の行動を助長し,全体の状況は複雑),ヒトの本性は善か悪か(ピンカーの歴史的暴力減少の議論とそれについての批判,批判への反論が詳しく取り上げられている*7)について議論されている.
そして著者は最後に,前頭葉の成熟遅延は文化の規範を吸収するための遺伝プログラミングと考えることができること,文化の差は予想通りのところだけでなく予想できないようなところにも現れること,生態系が文化の差を作り出し,現在の人口の大半は中東の牧畜民の信念に大きく影響を受けていること,少なくともここ500年は暴力は減少してきたことを強調している.
 

第10章 行動の進化

 
第10章のテーマは進化になる.まず進化の初歩の解説がおかれている.自然淘汰,性淘汰.頻度依存淘汰,平衡淘汰,行動の進化がまず簡単に説かれ,そこから協力や利他の進化((ナイーブ)グループ淘汰の誤謬,血縁淘汰,緑ひげ効果,互恵利他,進化ゲーム理論,繰り返し囚人ジレンマとしっぺ返し)が解説される.さらに(霊長類の)配偶システムの差による行動傾向の違い,親子コンフリクト,父親の子育て投資を説明したあと,マルチレベル淘汰理論の登場とそれをめぐる論争が解説されている.ここで(私的には残念なことに)著者は論争や理論面には深入りせず,利他行動の進化を考えるには個体淘汰,血縁淘汰,互恵利他,マルチレベル淘汰の4本脚で考えてよいのではないかという折衷的な立場を表明している.
続いてこれらの進化理論からヒトが考察される.ヒトは一夫多妻傾向もある単婚性で,個体淘汰として男性間競争が最大の暴力要因であることが理解できること,血縁淘汰として身内びいきが理解でき,血縁淘汰の予測からの逸脱例の多くが血縁認識のエラーで説明できること,認識エラーによる行動はヒトを最悪の行動へ操作することが可能であることを意味すること,非血縁個人間の協力の多くが互恵的に理解できることが解説される.
ここで著者はグールドの断続平衡説,適応主義批判を取り上げている*8.断続平衡説については(それのパターンの主張のみとしてみるなら)遺伝子によってはそういう場合もあるとした上で,両論争ともイデオロギー的な側面を持ち,論争当事者の感情をかき立てたが,近年ではやや落ち着いたとまとめている.
 
そして前半のまとめとしていくつかの点が指摘されている.

  • 行動のメカニズムより,その状況と意味の方が興味深くて複雑だ.
  • 理解のためにはニューロン,ホルモン,発生,遺伝子のすべてを組み込むべきだ.
  • 問題となるテーマは「原因」ではなく,傾向,潜在力,脆弱性,相互作用,調節,偶然性,条件依存,循環,スパイラルなどだ.

 

第11章 <我々>対<彼ら>

 
前半では行動の様々な要因が複雑で条件依存的であることが強調された.第11章からは暴力の要因となる個別の条件や状況が考察されていく.第11章で取り上げられるのは内集団<我々>と外集団<彼ら>の認知的区別とその影響になる.
ヒトは内集団と外集団を最小限の手がかりで瞬時に区別し,外集団成員に対して迅速で無意識の偏見を抱くことがまず説明される.続いてこの仕組みが生み出す暗黒面が考察される.

  • 内集団と外集団の相対的ポジションが問題にされがちで,外集団の不幸を望み,不平等の容認につながりやすい.
  • 内集団全体への義務感と忠誠心が喚起され,不面目な内集団成員への厳罰を望む場合がある
  • 内集団成員に対しては基本的価値観の優秀さが誇張され,ポジティブな相互作用が生み出されやすくなるが,外集団成員に対しては脅威や偏見を持ちやすく(これには感情と認知の双方がかかわる)集団間の相互作用は競争的で攻撃的になりやすい.

続いて(これらの区別は他の霊長類にもあるが)ヒトにおいてはこの仕組みが特異的であることが指摘され,その詳細が考察される.

  • ヒトには複数の内集団カテゴリー,複数の外集団カテゴリーがあり,それらの相対的重要性は容易に入れ替わる.
  • 内集団カテゴリー内の相対的重要性を決める要因は親近度と能力の次元で説明できる.再分類により,突然<彼ら>だったものが<我々>になったりもする.これらの変化は意識的にも無意識的にも起こる.意識的認知レベルで重要なのは,視点取得,接触,個別化,階層構造がある.

最後にこうまとめられている.

  • (扁桃体を破壊せずに)この二分法を行う傾向を「治す」ことはできないだろうし,そうすべきでもない(人生最良の瞬間は自分が<我々>の一部だと感じる時だ).そして<我々>と<彼ら>のいる世界で天使の側にいるためにはいくつかのやるべきことリストがある.それは,本質主義を疑う,合理性と思うことが正当化でありがちなことを肝に銘じる,より大きな共通の目標を優先する,視点取得する,個別化するということだ.

 

第12章 階層構造,服従,抵抗

 
第12章のテーマは階層.
動物にみられる順位性に触れてから,ヒト社会の階層構造の特異性が説明される.ダンバー数,複数の階層への所属,地位や階層構造への強い興味(社会性と共進化),順位が脳活性や内分泌に与える影響,どの階層に属するかとストレスの強さの関係が複雑であること*9,しかし社会経済的地位と健康の相関はかなりはっきりしていること,特にヒトに特異的なことは指導者が存在し,誰がそれになるかを(見た目などのあまり合理的と思えない(しばしば無意識下の)暗黙の基準で)人々が選ぶことなどが取り扱われている.
ここからまず「政治的指向」が考察される.

  • 社会的,経済的,環境的,国際政治的指向は同一方向を向く傾向(内的一貫性)があり,これは政治的イデオロギーがもっと広い基本的イデオロギーの側面の1つに過ぎないことを示唆している.
  • 右派は多義性に知的不快感を覚え直感的で,左派はより微妙な状況的原因説明を考える意欲が高い.実際に認知的負荷がかかったり,脅威が感じられるとヒトは保守的指向に傾く.
  • 政治的イデオロギーは知性や情動のスタイルの現れにすぎない.特に嫌悪に対する感度と嫌悪に対処する戦略が反映される.

続いて(暴力的指示への)「服従と同調」の問題が取り扱われる.

  • ヒトは指導者個人というより,権威という概念への服従を示す傾向がある.同調は集団に対する服従になる.
  • 同調や服従は動物の社会的学習に起源がある.罰を避けるだけでなく所属は安全なのだ.

ここでは有名なアッシュの同調実験.ミルグラムの服従実験,ジンバルドーの監獄実験が紹介され,これらをめぐる論争,いくつかの追試や再現の試みの状況が説明されている.著者は,明確で重要なことは「同調と服従の圧力があると正常な人たちが大方の予想よりはるかに高い確率で屈服して恐ろしいことをする」ということであり,そうなる状況を理解するのが重要だと指摘する.そして集団の性質(権威や正当性があるか),漸進的状況の有無(超えてはならない一線を引くのは難しい),免責的状況かどうか,被害者の性質(抽象的だと迎合しやすい),当人の性格・性別・属する文化,ストレス,代替策に気付けるかなどを吟味し,レジスタンスや英雄的行為は達成不可能ではないとまとめている.
 

第13章 道徳性と,正しい行動を理解し実行すること

 
第13章のテーマは道徳.
最初に認知的推論と直感のどちらかという問題が取り上げられ,具体例を織り交ぜながらそれぞれの議論が紹介される.そして両方の側面があり,しかもかなり重複しており,重要なのはどういう状況でどちらがより重視されるかということだとする.ここでグリーンのトロッコ問題を使ったdlPFCとvmPFCの議論が解説され,どちらが優先されるが,直接手をかけるか,意図的かどうかなどの状況に大きく依存することを説明する.
続いてその他の状況依存性が取り扱われる.自分の問題か他人の問題かという場合(使われる脳領域が変わり,自分には内的動機から,他人には外的行動から判断する傾向が現れる.そして一貫して自分に甘い),文化に依存しない普遍性(黄金律)と文化的特異性(協力と競争の文脈*10*11で多く現れる.特に反社会罰(利他者への罰)については文化により大きく異なる),牧畜と名誉の文化,恥の文化と罪の文化などが説明されている.
ここで道徳哲学が取り上げられ,義務論,帰結主義,徳倫理学の考え方がそれぞれ紹介される.さらに道徳的直感には学習の最終成果として自動的に処理される認知的な部分があること,グリーンによるモラルトライブズ間の悲劇(道徳律の違いによる対立)*12,利己的なずるや嘘をつく際の神経系の働きとそれに対抗して認知制御を働かせるにはどうすべきか(常に認知的に奮闘するのは難しく,自動性を用いた方が良い,その面からは徳倫理学の立場が推奨できる)が議論されている.
 

第14章 人の痛みを感じ,理解し,和らげる

 
第14章のテーマは共感.
まず動物の情動の伝染,痛みの共有,「仲直り行動」が扱われる.そこからヒトの情動伝染や思いやり行動が心の理論と視点取得より先立って発達することを指摘し,認知と感情の両方の要素が共感状態に貢献することが脳活性領域などから説明される.
ここでミラーニューロンをめぐる論争が詳しく紹介されている.著者は,最近この分野の大半の人々は大げさに騒がなくなっており,本書の関心事と関連があることが示されているわけではないとコメントしている.
続いて共感状態にあることと無私無欲に行動することの間に大きな隔たりがあること(ポール・ブルームの共感には暗黒面もあるという議論*13が参照されている)が解説される.ここではこのような問題に対して共感に対して「認知的」にアプローチすること(認知的制御)の難しさを指摘し,(前章に引き続いて)自動性を用いた方がよいとしている.
最後に善行の背景に利己的な要素があるかという問題が取り上げられている.人間関係への(直接互恵的)好影響,(メカニズム的な)心的報酬,評判を通じた(間接互恵的)利益などが議論されている.そしてどこまでも利他的な行為は稀であると考えられ,すべての善行の化けの皮をはがして偽善と断じるのは控えた方がよい(偽善であっても善行はあった方が良い)だろうとコメントしている.
 

第15章 象徴のための殺人

 
第15章で取り上げられるのは「ヒトはしばしば純粋なシンボルや概念のために暴力的になる」という問題だ.
まず「聖なるシンボル」をめぐる具体例として(1)宗教的に神聖なものに対する侮辱への暴力(エブド事件など)(2)軍隊の軍旗をめぐる激しい戦いなどが紹介され,これがヒト特異的であることが指摘される.
そしてシンボルを用いることの利点(言語の使用,特に隠喩)を挙げ,隠喩を処理する際の脳活性,隠喩を通じてシンボルが生理的嫌悪,そして道徳的嫌悪に結びつきうること,隠喩が隠喩に過ぎないことを知覚・記憶しにくいのは進化的に新奇だからであろうこと,しばしばシンボルが内集団と外集団の境界を決め,時に非人間化が生じること*14が取り上げられている.
そしてこの「聖なるシンボル」を平和のために使うことも可能なことが最後に指摘されている.あるグループにとっての「聖なるもの」は譲歩不可能なもので,深刻な争いの種になりがちだが,そこを謝罪とともに譲歩することが,逆に紛争の解決に役立つ可能性があるとして,北アイルランドや南アフリカの例が紹介されている.
 

第16章 生物学,刑事司法制度,そして(もちろん)自由意志

 
第16章のテーマは自由意思,そして本筋から少し離れて,現行刑事司法制度の問題点と抜本的改革案も扱われている.著者の立場はかなり極端に思えるが,頭の体操としては面白い.

  • 多くの人は「私たちは完璧な自由意思と自由意思ゼロの中間のどこかにいる.自由意思の存在は宇宙の物理法則と両立する」と考えており,それが現行刑事司法制度の基礎となっている(自由意思があるので意図された行動の責任が発生する.自由意思が弱められている場合には心神喪失や心身耗弱として責任の免除や軽減が認められる)
  • これは脳内に(物理法則から独立して動く)小人がいて身体を操縦している(そして常に完璧に自由に操縦できるわけではない)というイメージで表現できる.
  • マイケル・ガザニカは「自由意思は幻想だが,実際的な理由で私たちは自分の行動に責任がある」と述べている.これは社会的レベルで小人を認めているのだろう.私は「私たちの社会的世界も結局決定論的で唯物論的な脳の産物だ」と主張する.*15

ここから著者は,衝動的な行為と熟慮的判断,妄想や幻聴,行為の開始と中止,素質と努力などのトピックを扱い,様々な自由意思(小人)擁護論の問題点を指摘する.そしてモースによる強力な擁護論(神経科学による説明は相関を示しているだけであり,原因という意味での自由意思を反証できていない)に対して,(本書のこれまでの議論を元に)行動は多因的に決まるとして反論する.
そして刑罰は犯罪の予防,抑止目的(および犯罪者の治療目的)のものとして刑事司法制度を再構成し,報復感情をなくすことはできずとも克服すべきだと主張している.(ただし,最後には,自由意思がないとしてうまく人生を送る方法は想像もつかず,あえて小人の作り話を無害として扱い,真に理性的に考える力技の余力を残しておく必要があるのだろうともコメントしている*16
 

第17章 戦争と平和

 
第17章のテーマは,様々な暴力に向かう要因があるにもかかわらず,ヒトはそれらを克服できるのか,そして戦争と平和だ.
まず第9章でも取り上げたピンカーの「暴力の人類史」の歴史的暴力減少傾向の議論がもう一度取り上げられ,それに関する論争が紹介されている.著者はこの論争を丁寧に追いかけ,おおむねピンカーの議論に好意的だが,残虐性の比較について死者数を人口比で補正するだけでなく継続時間でも補正すべきだ(つまり単に1万人あたりの死者ではなく,1万人あたり1年あたりの死者数で比較すべきだ)と主張し,そうすれば2つの世界大戦がもっと上位(1位と3位)に入り,ルワンダ虐殺がリスト入り(7位)すると指摘する.そしてこれはピンカーのいう通り状況は改善しているが,最近では数少ない暴力的なヒトの影響が及ぶ範囲がはるかに広くなっていることを意味するとしている.そしてこの議論と本書のこれまでの議論を踏まえて,状況をさらに良くするためのヒントがいくつか提示されている.

  • 伝統的な集団間の暴力抑制戦略として移動(緊張を避ける),交易,文化があり,これは今日でも有効だ.
  • 文化の中で宗教が与える影響は複雑だ(様々なリサーチが紹介されている).宗教は内集団の社会性を強めるが,外集団への敵意を煽ることもある.
  • 集団間の緊張は接触により緩和することもあるが,集団間に格差があれば状況は悪化しうる.うまくいくのは共通の目標がある時だ.接触を介入するプログラムに効果はあるが多くは一時的にとどまる*17
  • 扇動家はしばしば外集団を非人間化して煽る.巧妙な煽りには共感を用いるもの*18もある.
  • 協力の進化にはいろいろな難問があり,パートナーの選択や罰のコストをどう乗り越えるかなどの不確定要素が多い.これには血縁淘汰,緑ひげ,間接互恵などの様々な理論的な枠組みがあり,ゲーム実験などによる実践的手段の探索も行われている.
  • 和解を制度化しようとするのはヒトだけだ.真実和解委員会(TRC)は複雑な仕組みだが役に立ってきた.TRCは反省や赦しではなくプラグマティックに「これは我々がやったことだ,二度としないと誓う」「わかった,裁判以外の報復はしない」と約束しあうものだ.
  • 謝罪がうまくいくかは状況に依存する*19.赦しも複雑だ.それは忘却ではなく,ある意味怒りと罰の放棄だ.認知的な評価変更が必要な場合もある.赦しで重要なことは,それは相手ではなく本人を憎悪から解放するということだ.
  • ほとんどの人には直接的な暴力を振るうこと(特に特定された個人に接近して殺害すること)について強い抑制がかかっている.
  • ヒトの社会的可塑性は極めて大きいと考えられる.個人が大きな社会的変化のきっかけになることも可能だ.そしてヒトは個人としても変わることができる(様々な例が示されている).
  • 集団間の敵対関係も変わりうる.協力が利益を生むなら,休戦は生じうる.そしてそれは儀式化を通じて制度化することもできる.

 

終章

 
最後に本書で強調したかったことが(これはあくまで平均的傾向だと断った上で)順不同でまとめられている.いくつか載せておこう.

  • 熟慮の上で悪の衝動を抑えることは素晴らしいが,その善行を習慣的に行うようにしておく方が効果的だ.
  • 脳には可塑性があり,子供時代の逆境は悪影響を持つ.しかし逆転させることも可能だ.
  • 脳と文化,認知と情動,遺伝子と環境は相互作用する.すべては状況次第であり,複雑だ.
  • 私たちは常に無意識下の刺激や情報,自分で感知できない内面の力に影響されている.
  • 私たちは暗黙のうちに世界を<我々>と<彼ら>に分割し,前者を好む.
  • 交渉で<彼ら>と和解することは可能だ.<彼ら>の聖なる価値を尊重することが平和を長続きさせることにつながる.

 
以上が本書の内容になる.前半でヒトの行動は様々な諸要因の非線形的な相互作用の結果,極めて条件依存的で複雑であることが強調され,後半ではそれを踏まえて具体的な状況が考察される.そして様々な状況の改善方法があり,希望はあるのだというのが結論として提示されている.その多くの考察はこれまでの様々な知見の紹介と著者のコメントという形をとっている.
著者独自の主張としては善人であるには判断を自動化した徳倫理学の立場が有用だろうというものや「聖なる価値」は和解において有用でありうるというものがあって面白いところだ.ただ本書の面白さは提示された特定の改善方法の有用性ではなく*20,複雑で状況依存的な問題にどうアプローチするかという知的格闘の部分にあるだろう.そして何より本書の価値は重厚な総説本として成立しているところだ.本書の様々な特定のテーマに興味があれば,本書を読むことにより周辺視野が大きく広がるだろう.ヒトの行動,特に暴力や競争に興味がある人には得がたい一冊ということになるだろう.
 
関連書籍
 
原書

 
 
サポルスキーの著書
 
最新著作.自由意思についての第16章の議論に関連する本のようだ 
自伝的エッセイ.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20140728/1406545744

同原書

 
行動やホルモンについての様々なエッセイが収録された一冊 
同原書 
ストレスについての本. 
同原書,こちらは第3版まで版が重ねられている

 

*1:これは過去最大の神経科学における革命とされ,それを発見したアルトマンがそれを否定するドグマに染まっていた大御所たちに排斥された経緯,その後多くの補強証拠が現れて認められていった経緯が詳しく書かれている

*2:著者はこれは進化的な選択であり,より多くの経験や学習の結果を反映させたうえで配線を完成させる方が多くの状況に対応できて適応的だったからだろうと推測している

*3:心理的ストレスの影響と公共財投資の減少(公共財投資の限界価値が富裕層にとって小さいのでそうなりやすい)の影響が示唆されている

*4:社会関係資本(信頼と協力)が減少することと公共財投資の減少の影響,転嫁的暴力の増加が示唆されている

*5:集団間接触の空間的状況に依存する

*6:短期的な危機は一般的に団結を高めるが,長期的な危機の影響は複雑

*7:著者の見解は狩猟採集民は天使ではなく殺人を行うことができたが,戦争の惨禍は農業革命以降だというものになる

*8:本書のテーマからみて取り上げる必要があったようには思えない.回顧的エッセイとして書きたくなったのだろうか

*9:順位が意味することが状況により様々であったり,当人の性格によって受け取り方が異なることが要因となる

*10:最後通牒ゲーム,独裁者ゲーム,罰あり公共財ゲームにおける振るまいが取り上げられている.例えば裏切り者に対する利他的な罰は,(1)市場が統合されている,(2)コミュニティの規模が大きい,(3)世界的宗教を信じる人の割合が多いほど多くなる

*11:著者はこのような文化的な差異について,基本的には狩猟採集時代には血縁淘汰と互恵利他で公正が推進されており,見知らぬ他人との相互作用にもそれが用いられているというシナリオがあり,そこに文化的に特殊な向社会性が推奨されるとともに,原始的な直接互恵に頼る市場経済(常に対価を支払うことが基本になる)が発展したというシナリオを提示している

*12:この悲劇に対処するには,<我々>対<彼ら>の要素が強いので,直感に頼るのをできるだけ避けて熟慮の認知に頼った方がよいと示唆されている

*13:他人の痛みを感じることは基本的に苦痛であり,それを避けようとする場合がある.また内集団と外集団の区別が共感の強さに反映される

*14:ルワンダ虐殺事件とその際のフツ人グループによるツチ人の非人間化が例にあげられている

*15:私的にはデネットによる自由意思の議論も取り扱ってほしかったところだが,それは扱われていない

*16:だとすると著者とガザニカの立場はほぼ同じというような気もするところだ

*17:介入を受けて融和的になった人々が集団の一部に過ぎない場合には,しばしばその集団から裏切り者扱いされる.

*18:「彼らは赤ん坊を残虐に扱う」と吹聴し,赤ん坊への共感を利用して非人間化をすすめるような手法がある

*19:口先だけか,誰が謝っているのか,何について謝っているのか,謝ってどうするのか,謝罪を受ける側の気質はどうかなどで効果は大きく変わる

*20:改善方法も結局複雑で状況依存的なものにならざるを得ず,すっきりとしたものはないことになる

War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その63

 
14世紀が始まるころ,フランスはある種の黄金時代だったが,そこから崩壊する.
ターチンはこの基本メカニズムはマルサス過程だとするが,それだけでは崩壊から回復への遅れが説明できないとして,支配層のダイナミクスをより詳しくみることが必要だと説く.そして中世盛期の人口増加は一般市民を食料価格上昇と賃金低下による苦境に陥れたが,貴族層はむしろ利益を得たのだということを説明する.しかしそれはもちろん持続不可能だ.貴族層の幸運の終焉は利益を得た貴族層の人口が増えることにより始まる.
 

第8章 運命の車輪の逆側:栄光の13世紀から絶望の14世紀へ その7

 

  • 幸運の車輪は回転した.そして頂点にいた者たちは突然自分たちが厄災に向かって滑り落ちていくのに気付いた.貴族層の繁栄は彼らの人口を増やし,それはしばらくして彼らの収入を減少させたのだ.
  • 上流階級も13世紀の人口増加の一般的影響下にあった.彼らの人口は増え,そして経済的に好転したために人口増加率は一般大衆より大きかった.収入増加時代には,一部の上流階級は,土地を2人以上に相続させても上流の地位を保たせることができた.離れた場所にも領地を持つ貴族は,不便な土地を次男に相続させて中流貴族にすることもできた.

 
支配階層が,均分相続の場合,財産が分割されて没落していくというのは歴史では所々で見かける話だが,中世盛期のフランスでも生じたということになる.
 

  • 加えて,貴族領主階級というのは完全な固定階層ではない.そこに参入したり脱落したりする家系は常にあった.富裕な商人は資産の一部を領土に替える機会を逃したりはしなかった.十分な土地が得られれば,領地に移り,商業のような「卑しい」なりわいとのつながりを断ち切った.その後,金を払って王家から貴族の爵位を得るのは難しくはなかった.軍人や聖職者からの参入も可能だった.
  • 農民も,長期的な視野に立てば,貴族になれた.富裕な農家は土地を購入したり,借金の担保実行として土地を集めることができる.彼の息子は自身で耕作することをやめ,小作人を雇い,さらに富裕になることができる.孫は土地の一部を貸し出し,自身は領主の従者になることができる.従者は時に王家の軍に加わり,貧しい貴族の娘を娶ることができる.その息子は軍務を続け,他の貴族層と親しく交わり,貴族のように暮らす.このようなことが3世代も続けば,誰も彼らの家系が農民の出自であるとは思わなくなる.
  • 要するに,金を払って王家から爵位を得て貴族になるというのは常に可能だった.貴族の系図をでっち上げることも可能だった.貴族層に参入する方法はたくさんあったのだ.主要な条件は土地を十分に集積することだった.
  • そして貴族層から脱落する個人や家系も常にあった.貧しくなった貴族家系は,貴族に相応しい暮らしを続けることができなくなる.そして静かに自身で土地を耕作する農民階層に下っていく.しかしながら貴族繁栄の時代にはそのような脱落は稀だった.

 
そして階級は完全に固定されていなかったというのがターチンの説明になる.とはいえ,階級が固定化されているかどうかという要因がクリオダイナミクスに果たす役割についてはあまり詳しい説明がない.貴族層から一定割合がドロップアウトしていくということは,貴族層の人口増加プレッシャーを緩和する要因になるはずであり,流入が生じれば人口増加プレッシャーを促進する.ネットの増減が問題ではないのだろうか.ここは趣旨がややわかりにくいところだ.
 

  • 結局,13世紀後半の貴族繁栄の経済トレンドは.領地の分断化,貴族層への新規参入,貴族層からの脱落現象を生んだのだ.一般大衆の人口増加が止まった時も貴族層の人口は増加を続けた.そして社会ピラミッドはトップヘビーになった.
  • 私たちはこのエリートの過剰増加が中世英国でも生じたことを,直属封臣(Tenants-in-chief :ノルマンコンクエストに由来を持つ国王の直属臣下である領主)の死にかかる審問記録(その地位の相続を認めるかどうかを審問するもので,その記録には土地からの収入などに加えて直系男子相続人の数が明記されている)から知ることができる.(1250〜1500年の何千もの審問記録を分析したリサーチが紹介されている:13世紀後半の男子相続人の平均数は1.48で,この50年間でこの階層の人数は倍増したと推定される.14世紀前半,一般人口が減少に転じたなか,この平均数は1.23で,この階層人口はなお40%増加したことが推定されるとしている).

 
この審問記録による検証のところは詳しくてなかなか面白い.