求人広告制作者が考える「今、あえて転職活動を勧める理由」
転職のすすめ、ではない。予めことわる。
だって、いま転職するのって、リスキーだもの。
それでも「転職したい」とつぶやく人、少なくないでしょう。僕もその一人。
でもつぶやくだけじゃなくて、実際に応募を繰り返し、たまに面接に出かけている積極派。
なんで転職活動してるのかと言われると、やっぱり転職活動するのは今だと思うからだ。
求人広告を作る仕事だから、転職活動そのものが勉強になるのもある。
読者目線の求人広告の読み方とか、応募の時に自己PRを書くのを面倒だと思う気持ちとか、
こんなこと聞いて欲しい、こんなこと聞かれたら困る、とか。
さらに、自分のやってきた仕事を見直したり、他社を見て自社を客観視したりできる。
おまけにそれをプレゼンテーションするチャンスもある。
でも今、転職しろと言われたら少し考えるかもしれない。
その経験が、いま働いている会社で役に立つはずだし、
素敵なシゴトができるきっかけになれたら、とてもいいんだと思う。
じゃあ転職しなくてもいいんじゃない?
うん、そのとおり。
職がない人が増えているの一方で、求人そのものは減っている。
もちろん転職サイトの掲載も減っている。
それは単純に考えれば、求人がなくなった数だけ、
自分とマッチする企業に出会える可能性も減っている計算になる。
求人の多くは企業のホームページで、
「登録してくれたらニーズに合わせて声を掛けます」という内容。
どう考えてもスグに声がかかる確率は小さい。
納得できない気持ちのままで新しい環境に挑戦することはない。
それでも転職したいなら、
応募先の企業が気に入ってくれる可能性を高くするために、
自分のレンジを広げて、どこでもやっていけるように開いたほうがやりやすそうだ。
(逆に開けてる人は、いまの勤務先が手放してくれない可能性すらあるんじゃないか。)
最初に書いたように、それでも僕は、転職活動を勧めたい。
今が底だとするならば、いずれ求人の出稿が大きく伸びる時期がくるからだ。
それと、もうかつてのような量の求人はいちどに出てこないだろうから、
新卒の就職活動みたいに、長期戦になることを覚悟したほうがいいからだ。
そんなふうに準備しておけば、いつ運命の会社?に出会っても全力を尽くせるだろう。
いい会社から席が埋まっていく業界だったらなおのこと、
そのわずかなチャンスに備えておいた方がいいと思うんだけど。
職務経歴書の見直しくらいはしとこうぜ。
<富士写真フイルム>詰め替え品の輸入会社を差し止め申請(毎日新聞)
- http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040812-00000093-mai-bus_all
- 激安の類似品をたまに見かけるなあと思ったら、そんなことしてたのかー。
- 富士フィルムは環境問題対策にとても優れている会社だが、問題だよなあ。やっぱり。
ひさびさに、借りてきた本リスト。
今日借りてきた本
- 青木茂秀『英語キャッチコピーのおもしろさ』大修館書店
- 和辻哲郎『風土』岩波文庫
- 三島憲一『ベンヤミン』講談社
- ライプニッツ『単子論』岩波文庫
- 池田晶子/永沢まこと『2001年哲学の旅』新潮社
- ミシェル・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク』国文社
- 竹田篤司『物語「京都学派」』中央公論新社
- ジャン=リュック・ナンシー『共同−体』松籟社
- ジャック・ラカン『テレヴィジオン』青土社
- ベルグソン『時間と自由』岩波文庫
- 稲垣足穂『ちくま日本文学全集 稲垣足穂』筑摩書房
- 松岡正剛『空海の夢』春秋社
- ケネス・バーグ『動機の文法』晶文社
- ブライアン・グリーン『エレガントな宇宙』草思社
- 七田眞『七田式超右脳記憶法』KKロングセラーズ
面白そうなのは『動機の文法』と『空海の夢』。
沢木耕太郎『テロルの決算』(新潮文庫)
- 1960年、日比谷公会堂で一人の政治家が刺殺された。当時の社会党委員長・浅沼稲次郎に刃を向けたのは、17歳の右翼少年・山口二矢(おとや)。浅沼はなぜ殺されたのか。山口はなぜ殺したのか。なぜ殺せたのか。二人の生涯を当時の政情を交えて掘り起こす沢木の筆致は緻密で凛としている。
- 旅をあまりしない僕だが、ピューリッツァー賞を取ったこの事件の写真は見たことがある。かつて政治を志したことがあるので、山口にも浅沼にも感情移入できる余地が小さくはなかったこともある。他人の人生にちょっと関心もあった。そして沢木の文章がぐいぐい次を読ませてくれたことも大きい。だから人気の高い『深夜特急』よりも、僕にはこちらのほうが肌に合ったんだと思う。
愛とあげパン
春の分際で最高気温28℃なんてアツい日に驚いていましたが、
もともとアツい沖縄では、ニュースまでアツかったようです。
▼<南星中>生徒会選挙公約のあげパン給食が実現(琉球新報)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040423-00000010-ryu-oki
要は中学校の生徒会が「(給食で)あげパンを食べよう!」という公約を掲げ、
それを実現してしまったというニュース。
公約を実現したことはもちろんすごい。しかし、
それよりも「あげパンを食べよう!」を公約にした勇気を称えたい。
そんなにあげパンを食べたければ買えばいいし、
みんながあげパン食べたいって思ってるかどうかわからない。
そしてあげパンを食べたところで何のメリットがあるのかも不明です。
それよりも、あげパンの前にやることあるだろ?
あげパンを食べること事体はきっと、なんでもないようなことです。
でも、あげパンが求められる事情とか、
そこに立ちふさがった壁とか、それを解決していく過程とか、
実際にあげパンが給食に出たときの喜びとか、
そういうのってずっと大人になっても心に、体に、
生きかたに、響いていくんじゃないでしょうか。
どうでもいいことにものすごい力を注いでそれを実現する。
みんなが認めなくても、一人だけはその価値を擁護できる。
彼らにとってあげパンとはデザインであり、創造であり、愛であるのです。