さようならコニカミノルタプラザ
新宿のコニカミノルタプラザが、2017年1月23日で閉館となります。
新宿の高野ビル4階。タカノフルーツパーラーの入ってるビルにあるギャラリーです。
1月23日で閉館するコニカミノルタプラザ。 pic.twitter.com/yTf3R2RNen
— 田村俊介 (@shunsuketamura) 2017年1月16日
僕が最初に個展をしたのも、前身のコニカプラザでした。
当時(15年ほど前)、渋谷の写真学生の間では、コニカプラザで個展を行うのを第一目標としている人も多かったです。
なぜなら、フォトプレミオの年間グランプリの賞金金額が、ニコンサロンよりも高額だったから。
フォトプレミオとは、若手写真家の登竜門的コンペのひとつでした。
多くの先輩、仲間、後輩がコニカプラザ、コニカミノルタプラザで個展を行いました。
立地も良いし、カメラの修理に訪れる人たちがギャラリーをのぞいてくれるので、単純に多くの人に見てもらえるギャラリーでもありました。
僕自身は、自分の個展以外にも関わらせてもらったので、思い出がたくさんあります。
コニカプラザでの展示作業に、人が足りないときなどにアルバイトとして参加することも何度もありました。
Y島さんの無指示のもと、みんなが空気をよんで各々の仕事をこなし、手際良く展示を行う様子が好きでした。
コニカがミノルタと合併したときは驚きましたが、それよりも写真事業からの撤退はさすがにショックでした。
当然、コニカミノルタプラザもすぐに閉館すると誰もが思いました。
でも、閉館しなかった。
ここには、おそらく僕らの知らない多くのドラマがあったのかもしれません。
純粋な写真展の数は減って、様々なイベントが増えました。
それでも、写真展を無くすことはしなかったし、フォトプレミオも継続してくれました。
僕自身は写真家から引退したけれど、たまに新宿に行ったときには寄って、写真と触れ合うことのできる懐かしい場所でした。
改めてこれまで存続してくれたことへ、感謝。
最終日の23日には、記念写真を撮るというイベントを糸崎さんが企画しています。
公式イベントではありませんが、コニカミノルタプラザ協力で、集合写真が撮れるということです。
1月23日にコニカミノルタプラザが閉廊しますが【コニカミノルタプラザ最終日に集まろう会】というのを企画しましたので、関係者の皆さんお誘い合わせの上ご参加いただければと思います。 https://t.co/HIzMHugbde
— 糸崎 公朗 (@itozaki) 2017年1月8日
もちろん、閉館まで写真展も行われていますので、行ったことの無い方もぜひ。
http://www.konicaminolta.jp/plaza/
高橋宗正作品展「石をつむ」トークイベントレビュー
敬称略にて失礼します。
高橋宗正が、赤羽橋のPGIで写真展「石をつむ」を開催中です。
我が盟友、トリムデザインの塚原くんに個展のチラシをつくってもらいました。
— 高橋 宗正 (@munemunemunema) 2016年2月14日
ありがとう!
これから印刷です。
展示まであと一ヶ月、やれるだけのことはやっていきたいと思います〜。https://t.co/eUlipYumSP pic.twitter.com/vtyAHnKDI3
3月12日に、トークイベントがあったので行ってきました。
2016.3.12 : 高橋宗正×内沼晋太郎×小田雄太
http://www.pgi.ac/content/view/484/75/lang,ja/
オープニングは3/10、トークイベントは3/12です。
— 高橋 宗正 (@munemunemunema) 2016年2月14日
ぜひ遊びにきてくださいませ! pic.twitter.com/6F26JObx7k
高橋宗正と私は、日本写真芸術専門学校の同級生です。
私たちにとって、PGI(当時の正式名称は「フォト・ギャラリー・インターナショナル」)は、数あるギャラリーの中でも特別なものでした。
過去の展示を見れば分かりますが、一流の写真家しか展示することのできないギャラリーと言っていいでしょう。
コマーシャルギャラリーは、作品を販売することで運営するもの。「この作品なら売れる」という判断が必要になります。「若手」というくくりも通用しないし、いくらお金を積んでも展示することはできません。
学生時代から別格に思っていたPGI。そこでの個展は、高橋宗正にとって大きな出来事だと感じました。そして、私も自分のことのように嬉しく感じたのです。
「石をつむ」について
今回の展示である「石をつむ」は、昨年、先んじて写真集として制作されています。
https://www.1101.com/pl/seisakuchu2007/statuses/199921
タイトルは「石をつむ」にしようと思っています。
— 高橋 宗正 (@munemunemunema) 2015年2月8日
いなくなっちゃった友達に捧ぐものになります。
個人的なことがきっかけですが、死と別離はいつか誰にでも訪れることなのでちゃんと伝わる人もきっといるだろうと思っています。
完成したら見てみてください。
自殺してしまった友人に捧げるもので、タイトルも死者を弔うものとなっています。
キーとなるイメージも、ずばり積まれた石です。
高橋宗正さんの写真集『石をつむ』。全てモノクロフィルムで撮影された写真集です。ほぼ日刊イトイ新聞さんにもお知らせ頂いております(http://t.co/Pz0wyaMluK)が、発売を記念してイベントを開催いたしますので、ぜひ! pic.twitter.com/rM08hQ2gHo
— B&B (@book_and_beer) 2015年5月25日
※写真集は自費出版のため、取り扱っている書店が限られています。
高橋宗正「石をつむ」。亡くなった友人に捧げられたという本書は、儀式的な「積み石」の写真で始まり、「積み石」で終わる。写真を撮るという行為の儀式的な、祈りのようなありかたを意識させられる一冊。http://t.co/XsiJVzZfNH pic.twitter.com/mqNe3LFWwC
— UTRECHT/NOW IDeA (@UT_IDeA) 2015年6月16日
私は、写真集が出てすぐに、下北沢の本屋B&B(http://bookandbeer.com/)へ行き、手に取りました。そこで感じたのは、彼の、「いなくなっちゃった友達」への個人的な思いです。その写真集は、めずらしい装丁になっていて、大切そうに蝋引きの封筒に入れられています。
まず、封筒から取り出すことすらためらいがありました。中を見ましたが、とても個人的なもののように感じました。フロンティタフという少し厚めのコピー用紙のような、和紙っぽい雰囲気のある軽い紙が使われています。表紙のない和綴じ。一見すると手作りのコピー本のようで、亡くなった友人への手紙を見せられている気分になりました。買ってはいけないような気がしたのです。
他人の個人的な手紙に対して、何らかの感想を述べる感性を、私は持ち合わせていません。
彼の個人的なものだからこそ、自費出版という形なんだろうと妙に納得したつもりにもなっていました。
そんな中、PGIでの個展を知りました。もちろん友人の活躍を嬉しく思うと共に、こんなに個人的なものをどうして他人に見せるのだろうかという疑問も強くなったのです。
その疑問が解消できるのではないかという期待もあって、今回のトークイベントへ行ってきました。
PGIで展示作品と対面
モノクロでプリントされた作品は、バライタならではの美しい黒。コントラストが高い写真、黒い部分が多い写真も多く、やはり黒の美しさがモノを言います。作品と正対したとき、間に余計なフィルターを感じることはありませんでした。これは、反射率の低いガラスが使われていたことや、ガラスに埃がまったく付着していなかったことなど、物理的な障害物がなかった(さすがはPGI)こともあると思いますが、とにかく直に、生の作品を感じることができました。
言葉にするとしたら、「普通に良いじゃねーか」です。
トークイベント
作者である高橋宗正、ブックコーディネーターの内沼晋太郎(上で出てきた本屋B&Bの責任者でもあります)、デザイナーの小田雄太の3人。そこにPGIのディレクター高橋郎(さやか)が補佐として入る形で行われました。
搬入のときにズボンの尻が破けた話や、写真家とはどうあるべきか、飲み会理論など面白い話がたくさんありました。全部書くと長くなるので、残念ですが省略……
以下、トークイベントを通しての私の感想となります。
まず、この作品を捧げる亡くなった友人というのは、3.11で津波に流された写真を綺麗にして持ち主に返す「思い出サルベージ」(http://jsis-bjk.cocolog-nifty.com/blog/)、そしてダメージの大きい写真を展示して寄付を募る「LOST & FOUND PROJECT」(http://lostandfound311.jp/ja/)で共に活動した仲間だそうです。
これらのプロジェクトは、プライベート100%なはずの写真を、勝手に他人に見せていいのかという問題をはらんでいました。その答えを彼らなりに出して、前へ進んだからこそ今の結果や、高橋宗正ができあがっていると言えるでしょう。
何年にもわたり、「他人の個人的な写真を別の他人へ見せる」という行為を行ってきた。であれば、自分の個人的なものを公にするのは、ごく自然な流れだったのかもしれません。
「石をつむ」の撮影の流れを簡単にまとめてみます。
友人の自殺をどう受け止めて良いのか分からなかった。葬式に出ても、納得できなかった。
1ヶ月ほど、お酒を飲むだけの生活になってしまったそうです。体調も崩し、このままではいけないと撮影にでかけた。
そして鍾乳洞で「積み石」と出会った。石を積むのは、死者への弔い。石を積むことに意味はあるのか?それでも意味の無いものにすがる気持ちが理解できた。
そこで、写真を撮ることで、石を積もうと思った。つまりは、友人の死を納得できない自分のために撮る。誰かに見せるために撮っていたわけじゃなかった。当時は頭もおかしくなっていたし、真っ暗な暗室で作業するのも、余計なことを考えずに済んでよかった。
そんなことを続けているうち、偶然にスペインで明るい積み石と出会い、自分の「石をつむ」作業が終わったことを実感した。
この話は、すごく納得できます。友人が亡くなり、落ち込んでうつうつともがいていた。そして偶然がきっかけとなり、前を向くことができた。
今、自分で文章にしてみてハッキリと分かったのですが、「石をつむ」行為は、亡くなった友人のためのものではなく、高橋宗正自分自身のためのものだった。
そして、「自分はこう感じたよ」と他の人に話しかけるのと同じような気持ちで、写真集をつくり、展示を行った。
私は、高橋宗正に質問をしました。
「うつうつとして、目的も無く写真を撮っていたのが今回の「石をつむ」のきっかけだと伺いました。それを写真集や個展などで、見てもらったり購入してもらったりすることは、うつうつとしていた段階の自分に対して、どんな影響がありましたか?」
友人の自殺に落ち込んでいた自分に対して、写真が作品として人の目に触れることが何を意味するのかを聞きたかったのです。
この質問そのものが、彼にとって的外れなもののようでした。
「うつうつとした段階というものが、(今はもう)すでに存在していない。だから、(影響も)ない」
それが、彼の答えでした。
つまりは、自分自身で前を向くことができたから、後ろ向きだったのは過去のことであり、すでに影響がないということです。
この答えで、私の疑問は消えました。自分が前を向いた段階で、「友人への手紙」ではなくなっていたということだからです。
悲しさを表現しようとして撮っていないという話もありました。デザイナーである小田雄太からは、レクイエムだけれど、しめっぽくない、爽やかさがあるという話もありました。
とはいえ、やはり「死」、とくに「自殺」の持つインパクトは強い。私は「それを乗り越えた個人的な体験」と感じる前に、「自殺した友人への祈り」を感じてしまう。高橋宗正にとっては、「友人の死」から「石をつむ」の完成まで、向き合ってきた2年近い時間経過がある。今、作品を目の前にした観客とはどうしてもタイムラグがある。
会話で例えるとわかりやすいかもしれない。
「昨日、タンスの角に小指をおもいっきりガン!ってぶつけちゃってさあ。でも今は痛くないよ。」
こんなことを言われても、どうしたって自分の小指が痛くなってしまう。
高橋宗正が「悲しさを表現しようとしていない」写真から、悲しさを感じ、小田雄太が爽やかさを感じた写真から、鬱蒼とした薄暗さを感じてしまった。
おそらくは、高橋宗正本人の望むところではないかもしれない。でもこれが、口をつぐむ多くの人の本心なのではないか。であればやはり、私たちを買いかぶってもらっちゃ困る。
私はトークイベントへ出かけ、作品を目の前にし、本人に質問をすることで、納得することができた。
多くの人はそこまですることはないし、それをした私でも、言葉として納得はしても、実際に感じることは別だから難しい。
もちろん、もっと「死」を感じさせない方法があることは、彼も理解しているし、その上で今のやり方を選んでいる。
その文脈があったからこそ、PGIでの展示へと繋がったのだろうし、当然、何が正解なのかわからないのが写真だ。
写真家はおいしい野菜をつくる
高橋宗正は、自分から「写真家です」と名乗ったことは一度もなかったという。
写真家というのは、農家と似ていると語った。「美味しい野菜ができたから食べてみて」というのと同じなんじゃないか。
今回やっと美味しいと自信を持っていえる野菜ができた。PGIへ搬入した日、やっと自ら「写真家です」と名乗ってもいいかなと思えた。
そして、高橋宗正は言った。
「写真家宣言(小声)」
まだ写真集しか見ていないという人は、ぜひ会場へ足を運ぶことをおすすめします。
また違った印象が得られると思います。まだ写真集も見ていないという人は、PGIのショップブースに置いてある(在庫は要確認)ので安心してください。
写真家高橋宗正の活躍に期待しつつ、これからも勝手に応援し続けます。
高橋宗正のファン田村俊介。
高橋宗正作品展 「石をつむ」
2016年3月10日(木)〜4月28日(木)
月〜金 11:00〜19:00 / 土 11:00〜18:00 / 日・祝日休館 / 入場無料
PGI 〒106-0044東京都港区東麻布2-3-4 3F TEL.03-5114-7935
※PGIの入っているビルはオートロックのため、インターホンを鳴らして開けてもらいましょう。
記事の内容に間違いや、修正の要望などがありましたら@shunsuketamuraまで。
引退してるくせにポートフォリオを展示します。
TAP Galleryの福居さんに声をかけていただき、ポートフォリオをお渡ししました。
9月いっぱい、ギャラリーの片隅にポートフォリオファイルが置かれるそうです。
過去の作品の中から、A4サイズでプリントしてあるものを抜粋したものになります。
ネットでは未公開の「モザリナ」も入っているので、興味のある方はどうぞ。
田村俊介くん http://t.co/ibdjITpFkf のポートフォリオを拝受しに某所へ。10年ほど前に活躍していた、とてもユニークな作家です。私の写真作品の最初のプリンター(プリント技術者)でもあります(山ノ手写真製作所在籍時)。来月、TAPでポートフォリオを展示します。
— 福居伸宏 Nobuhiro Fukui (@n291) 2015, 8月 24
↑
一応訂正させていただくと、僕は山ノ手写真製作所へ在籍していたわけではありませんが、福居さんのプリントも担当させていただきました。
僕は「色合わせ」に特化した技術者で、作家の持ち込んだ色見本に、プリンターの限界まで色を合わせるのをポリシーとして取り組んでいました。
色合わせのクオリティー、そしてそのスピード。どちらも限界まで到達したときに、自分で勝手に「作家のインクジェット出力に関しては、日本一のプリンターになった」と判断しました。
そして、それがプリンターを辞めた理由でもあります。
って、何の話だ、、、。
レタッチャーやってるって言うと、自分の作品も合成とかしてるんじゃないの?とかメガネに余計な色がついちゃうのが嫌で、公言してませんでした。
もちろん、自分の作品については、画像の合成や過度な色調整などは行っていません。
話がそれましたが、清澄白河にあるTAP Galleryは作家が集まって運営しているギャラリーです。
運営方法や、写真展の開催方法も他のギャラリーとはちょっと違うのですが、公式サイトにも書いてないっぽいし、それをここで言って良いのかよく分からないので興味のある方は直接TAP Galleryに聞いてください。
今回は、「PORTFOLIO RECOMMENDATIONS」というA4のポートフォリオを月替わりで展示する企画に声をかけていただきました。
TAP Galleryの運営メンバーが、それぞれ好きな作家に声をかけてファイルを出してもらう企画とのこと。
福居さんはなぜか僕の作品を気に入ってくださっているようで、引退してるのに声をかけてくれました。
せっかくなので、ネット未公開の「モザリナ」も入れました。
ですが、この「モザリナ」は、本来であればA4ファイルで見せるような作品ではありません。
第1回「ウラ写真新世紀」に来てくれた方はご存じかも知れませんが、大判カメラで撮影し、大きくプリントし、プリントを貼ったボードの裏側に「スルメ」を貼り付けて作品が完成するものだからです。
ネット未公開の理由もそこにあります。
じゃあなんで今回ファイルに入れたの?と聞かれれば、僕がすでに引退しているからです。
現役であれば、作品を中途半端な状況に置くことは無かったと思います。
そんなにレアな作品なら、見に行くぜ!と見に行って、気分が悪くなったら申し訳ないぜ!
気分が悪くなる可能性があるぜ!
まあ、写真新世紀に落選するくらいの作品なので、過度な期待は自己責任でお願いします。
佐久間さんの写真展見に行ったついでに見るくらいでちょうどいいかと。
佐久間元写真展「のすり」 2015.9.1〜9.13 13:00〜19:00 月曜休廊
TAP Gallery http://tapgallery.jp/
無断撮影や肖像権
2014年をもって、長い間在籍していた事務所を卒業いたしました。
これまで、写真の仕事もしてないのに席を置かせてもらっていたのが不思議なことなので、ごく自然な流れです。
これで、より写真から遠ざかる、、、なんてことはなく、今も毎日写真を撮っています。
むしろ写真を撮らない人の方が珍しい世の中になっていますよね。みんな写真家です。
さて、せっかくなので少しお話を。
今ネットで話題になっている写真界隈の話と言えば、大橋仁さんでしょう。
簡単に言うと、撮影が禁止されている場所で嫌がる女性を撮影し、それを東京都写真美術館で展示したことが問題じゃないかと話題になっています。
詳しくはググってください。
肖像権については、写真家が頭を悩ませる問題のひとつですよね。
僕は、恩師に人物撮影ではモデルに使用許可の署名をもらえと教わりました。「写真展や写真集に使っていいですよ」というやつです。
風景の一部として映り込む場合には、問題にはならないだろうという考えが一般的でしょう。
僕が肖像権に関連してかなりインパクトを受けたのは、2002年の坂口トモユキさんの写真「MADO」です。
満員電車に乗っている乗客を、外から窓越しに撮影したものです。肖像権を無視していることは明らかでした。
だって、電車をおいかけて写真使用についてOKをもらうなんて不可能ですから。
実際、雑誌への掲載が見送られています。
その後、許可を得たのかは不明ですが、坂口さんのサイトには現在も掲載されています。
また、エリックさんの撮影スタイルもかなりインパクトがあります。
町ゆく人を撮るスナップシューターのほとんどは、肖像権の許諾を得ていないと思われます。
エリックさんのように、堂々と撮影して時には殴られる写真家もいれば、隠し撮りのようにこそこそと撮る写真家もいます。
僕が写真学校の学生だったころ、最初の課題は、「ファッショナブルな女性」でした。
この課題は、「町を歩くお洒落な女性を、正面から全身を画面いっぱいに撮る」というものです。
簡単に言えば、無断で人物を撮影する度胸を付けるための課題ですよね。十数年前はそんな感じでした。
今回、大橋仁さんが問題になっているのは、明らかに撮影禁止の場所で、そうと分かっていて撮影し、展示されることを嫌がるだろう被写体の写真を展示した(と分かった)からでしょう。
そこが、いわゆるスナップショットとの違いです。普通の道などの公共の場所とは明らかに違いますよね。
坂口さんのMADOのケースは、電車の中という若干プライベート空間っぽいところが、写真のインパクトと肖像権の問題とを強調しているのでしょう。
明らかに撮られたく無さそうだしね。
父親を何年も無断撮影した田村からは以上です。
高橋宗正の「津波、写真、それから」について
僕の少ない友人のひとりである、高橋宗正(たかはし むねまさ)が、本を出版しました。
津波、写真、それから --LOST&FOUND PROJECT
http://www.akaaka.com/publishing/books/bk-lostfound.html
彼に声をかけられ、僕の周りでも多くの写真関係者たちが、思い出サルベージへと足を運びました。
何度も足を運び、写真の洗浄、複写などを行ったそうです。
僕はというと、思い出サルベージとは別のボランティア団体の活動に、多くの時間を費やしました。
スキャンした写真をPhotoshopで修復する活動です。
僕の参加したボランティア団体は、傷んだ写真の修復依頼を受け、それを修復していました。
思い出サルベージの場合はそれとは違い、持ち主のわからない写真です。
だからと言って放っておくと、写真が腐ってしまう。
いわば、人の写真を勝手に洗浄して、勝手に複写しているんです。
これを決断するには、とても勇気が必要だったと思います。
そしてそれは、高橋宗正によって、LOST&FOUND PROJECTという形へと発展していきました。
津波で傷んだ写真を、展示するというものです。
それは、ロサンゼルスやニューヨークなどのギャラリーでも展示が行われ、多くの人たちの心に、何かを残しました。
今回の写真集は、著者が高橋宗正となっています。印税はすべて寄付するそうです。
載っている多くの写真は、持ち主不明。
それゆえ、何か問題が起こる可能性は0ではありません。
そうなったら、彼は、「超、あやまる!」と言っています。
本は、サンプルを見せてもらいましたが、まだ購入していません。
本屋でじっくりと見てから購入するか決めようと思っています。
募金するつもりで本を買うのは、ちょっと違うかなと個人的に思っています。
募金なら、こちらのページ(http://www.lostandfound311.jp/ja/#poster)でポスターを買った方が多くの金額を募金できます。
なんなら、直接どこかへ振り込んだ方がいいでしょう。
これを本として出版したこと、その是非は、正直僕には分りません。
ただ、その勇気と行動力に感服するばかりです。
本屋でじっくりと対するのが楽しみです。
写真学校を退職した恩師が作家育成講座を開く件
昨日、日本写真芸術専門学校で26年間教師をつとめた恩師の定年退職パーティーがありました。
多くの世代の教え子が100名以上もあつまり、久しぶりの再開に喜ぶ声も。
今日、久しぶりにブログを書いたのは、パーティが楽しかったから…
というのもありますが、その恩師が写真作家育成講座を開くことになったからです。
※以下、情報が古くなりましたので削除いたしました!
写真作品にあるべき本当の価値
「作品とエネルギー量」の記事では、見た目そっくりなら写真よりも油絵の方がより心を動かすと書きました。
これは、「油絵>写真」ということでしょうか?
絵と写真の違いとは何でしょう?
絵は、自分の中から出すもの。つまりはアウトプットです。
写実的な絵であっても、いったん自分が見て、脳で処理したものをアウトプットしているわけです。
逆に写真は、自分の外から抽出するもの。インプットとでも言いましょうか。
ちょっと違うけどいいや。テイクアウト?ピックアップか?
自分のイメージしたそのままに写真で表現しようとしても、それは限界があります。
自分の意思以外の影響が大きすぎるからです。
その日の天気、光の具合、被写体の表情、通りすがりのおっさん、、、
これらは、自分の意思でコントロールするのは難しいです。
絵なら、それらは自分で決めて描きます。というか決めなきゃ描けません。
コントロールしきれないのが写真。
そしてそれこそが、写真の持つ大きな魅力です。
ひとことで言うと、「偶然性」ですね。
この偶然性というのはとても魅力的なものです。
見る人の予想を裏切る結果が現れる可能性が高まるのです。
期待とのギャップこそが、見る人のこころを動かす大事なポイントでもあります。
なので、アウトプットでも、自動筆記とか偶然性を取り入れようという方法もあります。
ロールシャッハとか面白いですよね。
頭の中のアイデアを写真にしようとするあまり、「偶然性」を犠牲にしてしまう人もいます。
するとどうなるか。
「え?広告写真かと思った。」
「これが絵だったら面白いかもね。」
となります。
偶然性をそがれた写真作品は、絵を描くのがめんどくさいから、簡単だからという理由で写真という技法を用いられたように見えてしまうのです。
実際、写真学校へ進学するひとたちの6割くらいは、
「芸術っぽいことしたいけど、絵とか描けないし。写真ならシャッター押せば撮れるからなんとかなるんじゃね?」
という理由で写真を選択しているとにらんでいます。
というか僕がまさにそれでした。
美大の入試ってデッサンあるの?ムリムリムリ、、、
仕事で写真を撮る場合は、この写真の大きな魅力であるはずの「偶然性」は求められません。
というか排除されます。出来レースです。やらせです。
作品制作にかけるエネルギー量を確保するために必用な時間を確保するために
ニートになれず、フリーターも嫌な人の多くは、「カメラマン」を選ぶ人が多いです。
バイトよりも効率がいいだろうし、就職するより自由な時間が多いのは確かです。
そして仕事で求められるのは「偶然性」を排除した写真。
必然的に自分の作品からも偶然性が漏れ出して、心の動かない作品の誕生となってしまうことも。
偶然を意識する。期待を裏切る。というのが今回のキーワードでした。