サザエイズデッド

味噌汁作るとき、具は必ず一種類なんですよ。「大根だけ」とか「豆腐だけ」とかね(豚汁時のぞく)。なんか何種類も具が入ってるのは男らしくない! みたいな気がして抵抗感がある。しかしながらいくら脳内をまさぐっても、山岡がそんなことを言った記憶は出てきやしません。さすれば、この強迫観念じみた「具一種類理論」はホワッツ?

というようなことを昨日一日考えていたら、うすぼんやりと柳沢きみお大先生の絵柄が浮かんできました。ググってみたところ大先生曰くの「男味噌汁」であることが判明。どうやら「大市民」のようですね。山岡以外の隠れた食トラウマ。どうもこんにちは、今日でちょうど1000連休です。



普段あんまりテレビは見ねえんですが、偶然「25年後の磯野家」なるCMを見かけました。これがまた強烈な違和感炸裂で、ちょっと本気で驚いた。


いやね、おれ別にそんな「サザエさん」好きなわけじゃないんスよ。つーかもう何年も見てねえし、見ようとも思わない。じゃあ完全にどうでもいい存在なのかつーたら、それがそうもいかねえわけでして。

小学校に通ったことのある人なら必ず全員体験したはずだけど、図書館に置いてある漫画って「はだしのゲン」と「サザエさん」しかない。まあとりあえず読むわな。んで「はだしのゲン」で強烈な恐怖とトラウマを植えつけられ、「サザエさん」に……えっと「サザエさん」に……と、とにかくアレだ、「オイルショック」だとか「所得倍増計画」みたいな単語を覚えさせてもらったんだ、たぶん。違ったらゴメンよ。


つまりなにが言いたいのかといいますと、この強烈な違和感は「これってサザエさんじゃなくてもよくね?」つーことなんだ。

サザエさんてさ、漫画から始まってアニメとか実写ドラマにもなってる。だけどやってることはどれも一緒で、「サザエ」はどこまでいっても「サザエ」っていう記号なわけじゃないですか。もちろん「カツオ」も「ワカメ」も然りで、もっといえば「サザエさん」つー作品そのものが記号化してるんだと思うんだ。何十年も同じことをずーっとずーっと永久にやり続けて、今や作中の時代がいつ頃なのかも判然としない。どうやら現代ではないような気もするけど、特に「現代じゃない」つー但し書きがあるわけでもない。「昭和○○年頃」って特定されてるわけでもない(この辺は『ちびまる子ちゃん』と対照的)。いわば「かつて存在した日本の日常」ってゆうとても曖昧なパラレルワールド


それを見てさ、みんな「ああ昔はよかったな」とか「昔はみんな貧乏だった、今のほうがマシ」とか思いながら楽しむんじゃないの? 違う?

だとしたら、「サザエさん」は、その「曖昧なパラレルワールド」から出しちゃいけねーと思うわけだ。誰も喜ばねーと思うわけだ。みなさん妙にイケメンさんになっちまってさ、いやそもそも「25年後」って言われても元がいつだかわかりゃしないのに。それともそこまで織り込み済みなの? ただなんとなく「25年後っておもしろくね? 流行の俳優出して」みたいなことじゃねーの?



あ、おれ怒ってるわけじゃないんです、全然。正直いえばどうだっていいんです。でもさ、大多数の人がこのCM見て「おもしろーい!」とか思うようだったら、「サザエさん」なんてもういらねーじゃん、と思うんです。「サザエさん」はあの時代不明の箱庭の中にこそ存在価値があって、そこから一歩でも外にでた瞬間に死んじまうと思うんです。だって「25年後の磯野家」なんて存在しねえから「サザエさん」は支持を得てきたわけだろ? そんなもんはもう「磯野家」である必要ないだろ? だから「長村家」にしてくれ! 「25年後の長村家」! 長村大、江戸川区のアパートで孤独死






まったく麻雀とは真に深遠なるものだ。つーか麻雀やらなさすぎで点数計算も忘れました。たぶんもう一生麻雀なんて打たないと思います。なぜならこれ以上打つと命の削りすぎで命がなくなっちゃうからです。さようなら。

日記

「わしにゃ今の若者の悩みはわからんが君はまだ少年の一人旅だ
時間はいくらでもある」


お久しぶりです、鈴木オート社長・鈴木孫惣(マゴゾー)です。密かに再開。マゴゾーを知らない人でも読んでいいよ。



最近、某プロ団体に所属してる方が、自分のブログのおかげでその団体をクビになった、というような話を聞きました。いや実は経緯をよう知らんもんでありまして、間違ってたらごめんなさい。

まあとにかくおれちゃん方面にはそういう感じに伝わっております。

たぶんその団体のとった処分は、規約とかそうゆう観点からは「スジの通った」ものだったのでしょう。別にことさら大騒ぎするような事件でもないんだろうし。

しかしながら、いち麻雀ファンとしてのおれの感想は「アナルちっさ!」以外に思いつく言葉がありません。アナルちっさ!


得意の昔話ですんませんが、おれが麻雀プロになった頃、プロ連盟(あら言っちゃった)という団体は他団体に比べてかなり異質な存在でした。少なくとも、おれが所属してた最高位戦という団体とは大きく違ってた(ように思った)。

我々がやれネクタイ着用だの鳴いた牌を持ってきてから打牌だの半荘一回2時間かかるだのってやってるときに、彼らは短パンにサンダルでサンドイッチ食って喋りながら対局してました。これはヒドい例の組み合わせだけど。

んで、とにかく強かった。他団体のタイトル戦だろうが出版社主催のタイトル戦だろうが、勝つのはいつもプロ連盟の選手だった。なんつーか少年ジャンプの連載第1話に出てくるハチャメチャな主人公つーか。「普段乞食だろうがなんだろうが麻雀強い奴がエラい」みたいな序列がなんとなく存在してたように思えた。


もちろんそんなもんが素晴らしいわけねえし、当時としたって時代錯誤もはなはだしい。けれども、そういうところにある種の憧れを抱いていたりもしたわけです。野武士集団みてえな。

だからね、こんくれえのことでいちいちクビだとか騒がねえでほしいんですよ。もっと「悪い」奴いっぱいいたじゃん! 来るもの拒まずでいろんな奴がいっぱいいて、その玉石混交からノシ上がってくところだったじゃん! 楽しそうだったじゃん!


言うまでもなく、こんなもんはおれの個人的ノスタルジーに過ぎません。ノスタル爺。当時は格闘倶楽部もないし、外面を気にする必要だってあんまりなかったのでしょう。それでもさ、なんつーかおれの好きだったプロ連盟はもうなくなっちまったのかなあ、なんてね。なんて思ったりするのです。そんなセンチメンタルなお年頃なのさ、32歳っつーのは! もうヤケクソなのでどんどん嫌いになってください!