いじめ問題を考えてみる。

自分なりに、いじめが起きる原因・対応法について考えてみた。「いじめっ子をどうやって更正させるか」「いじめられっ子の傷をどう救うか」などといった教育的観点は一切持たない。単に「いじめの発生を減らし、トラブルを極小化する」という点に限定する。


■何でいじめが起きるのか

さかなクンのコラムに大きな示唆がある。教育的観点を捨てるなら、いじめは生物の本質である。つまり、

  • ある集団があって、
  • 優位者の立場が磐石ではなく、
  • 劣位者に逃げ場が無い場合、
  • 必ずいじめは発生する。

狭い空間に閉じ込めたられた生物は往々にして同種の生物を攻撃する。アメリカザリガニの共食いは有名だ。カンガルーも飼育下では喧嘩が殺し合いに発展することがあるらしい。

いじめる側は別に心がゆがんでいるわけでもなんでもない。単に、自分の立場を固定するために攻撃対象を必要としているだけのことである。他の手段によって立場が磐石と感じられれば問題ないが、そうでない場合は、精神の安定をとり周囲に力を誇示するため、一方的な攻撃対象を作ることにより精神の安定を図り、同時に継続的搾取(金銭・精神面・性的関係)をして快楽を極大化することとなる。

普通の組織(自然界も、社会を全体としてみた場合も)には人はそれほど密に触れ合わないので、劣位側は逃げればよい。逃げることができない環境だと攻撃を受け続けなければいけなくなり、立場が固定化し、いじめも固定化する。


■学校側の対処

いじめは狭い空間に必須の出来事である以上、学校という狭い空間からいじめの発生を排除することはそもそも不可能である。そのため、「狭い空間で必ず起きる犯罪への対応」という観点で処理するのが適切と考える。

  • いじめは学校という組織形態が必ず生む副産物であり、なくならない。そのため、いじめの発生を教師及び学校の査定対象外とする。逆に、「いじめを解決したことが第三者機関から判断可能となった」という事実を学校・教師のプラス査定の要素とする。
  • いじめは閉鎖空間から起きる犯罪行為である。そのため、問題が発覚し次第、教育の現場ではなく警察・行政へ報告し捜査を促し、学校という閉鎖空間から問題を開放する。警察への通報が功を奏した例。いじめる側は、学校から責められると「学校が自分の地位を貶めようとしている」と反発し、警察に引き渡されると「学校が自分を見捨てようとしている」と感じて学校に従順になる、といえそうだ。

正直なところ、あまり高級な対策とはいえないし、関係者に禍根を残すこととなるであろう。しかし、問題を放置しておくと被害者の精神に大きな傷を負うこととなる。教育や心の問題ではなく、「学校という形態に必須の問題」としてあたることが必要と考える。

ごあいさつ。

以前よりホームページを運用しており、また、mixiにて日記をたまに書いてたりしているが、「ホームページにわざわざ書くほどではないが、日記として書くよりはまとまった内容を書きたい」ということがあるような気がしているので、ためしにはてなを借りて、すこしずづ書いてみようと思う。思っただけで書かないかもしれないが、まあそれもご愛嬌ということで。