2010年。明けまして おめでとうございます。

荒天の地域も多いという年の初め、東京は快晴で冷え込んでます。明け方には部分月食も無事見られたようです。
晦日の昨日、都心ではセカイカメラを使った、"ドロケー(エアノベル#15a24 )”がありました。互いに見知らぬ参加者達がメッセージを飛ばしながら、ひとりの男を探して、ある参加者達は地下鉄や電車や徒歩で移動、PCからそれをサポートする参加者も混じって、ヒントを探したり、暗号を解いたり。短時間でしたが、リアルで参加できました。twitterを使ってやりとりをしながらヒントを求めて動き回ったり、たまたま他の参加者と出会ったり。画面を通して見ている時と、身体を使ってリアルに動くことで味わえる感覚はちょっと別モノなんじゃないかって感じました。鬼ごっこや缶蹴りを初めてやった時はこうだったかな…なんて遠い記憶を探りながらも、似ているようでどこか違う気がするドキドキ感があるんですね〜。これは、ちょっとした発見をしたように思います。


さて、12月は更新がまったくできませんでした。そんな中でもこのサイトに来て下さった方々、ありがとうございました!自分がよく書くことがいくつかできてきた反面、書きたいのにまったく書けないことが溜まっています。そんな中で始めたtwitterが、自分の想像した以上のインパクトでした。そちらでは一日に何度もことばを発しているのですが、そこで"終わった"感が生まれてしまって、完全に時間配分のバランスが崩れてしまいました。


とにかくやってみようと2006年8月から始めたこのブログ、落語とか、沖縄とか、チーズとか、ランチとか、いくつかの"線"が生まれているのですが、実は書く方の頭の中がごちゃごちゃになってしまいました。落語会のことを書こうと思っていると、次の日にはいい店に出会ってしまって…なんてことが繰り返されて、結局どれもタイミングを逸してしまって書けなくなるといことが、何度起きてしまいました。この辺りの、妙な負荷や時期を逸することを減らせる方法はないか…と考えてました。


結局、別の形式でやってみようと考えています。それまでは、このブログの更新は、間隔があいてしまうと思います。すみませんね〜。では、新しい年、始まり!

パラレルな散歩@谷根千・大人の遠足

午前10時。上野駅公園口に集まったのは、仕事や地域的な距離とは関係なく集まった、千葉、東京、神奈川の6家族10人。いつものように、全員大人、子供はゼロ。年に1〜2回、「よく聞くけど、そう言えばまだ行ったことがないねぇ…」というところを散策するようになって、今回は「谷根千」。


10:00「うさぎやのどら焼き」食べて出発→上野公園で偶然開催してた各地の物産展につかまり静岡おでん、五平餅などを→谷中墓地→谷中銀座でメンチカツ+ビール→キッシュ少々→"えいえもん"でポーチ購入→旅ベーグル購入→根津のたい焼き→根津神社→オトメで中華点心少々+ビール+紹興酒不忍池→はん亭で串揚げ、19:00頃解散。はぁ、よく食べた、じゃないよく歩きました。

今回は興味を持ってる人とセカイカメラを時々覗いたり、そしてツイートしながら、歩いてみました(iPhoneの宣伝も)。時々リツイートが返ってきて、目の前のメンバーと歩いていながら、ここにいない人たちもふっとやってきてしばらく一緒に歩いている…みたいな錯覚にふと陥ったりして、不思議な感覚を味わってました。
この日の最後は、根津のはん亭で串揚げ。比較的に近い年代が集まっているので、子供の頃のTV番組の話を微に入り細に入りして盛り上がったりしながら、その一方で、ボクシングの試合があることや、この日が第一回の"坂の上の雲"の話題をする人がだんだんと増えてくることを、twitterで眺めたり。


そんなことをしていて、いくつもの流れる早さの違う時間の流れ(タイムライン)を、行ったり来たりしながら過ごしている気分になってました。それは、面白くもあるし、酔うような疲れる感じもしたり。なんだかまだ接し方というか身の任せ方がしっくり来ない。免許取り立ての頃は、走行車線と追い越し車線を行ったり来たりすることや、高速と一般道を乗り継いでスムーズに走るのは、なかなか辛かったなぁ…なんてことが思い浮かびます。


でも思い返してみれば、TV番組の話題で盛り上がっていても、ついていけるものばかりじゃなくて、そんな時は例え同じテーブルにいても時間の進み方が遅く感じますし、逆に一緒にもりがっている時にはあっという間に過ぎるようにも感じるわけです。
そう思うと、新しいツールやサービスは、流速の違う時間をいくつも渡り歩けるようにしてくれるのではくて、シンプルに車線の巾をぐいっと広げてくれるようなものじゃないかって。みんなTVに夢中になっていた頃に比べて、関心の領域や、地理的なものは、すごく増えてますから。だとすれば慣れていないのは、複数の時間を生きてるように感じることだけじゃなくて、ぐんと広がった世界と、過去の経験や思い出という割合狭い範囲とを、往き来することなのかもしれないと思えてもきます。


天気予報では夕方頃から雨。みんな準備はしてきていたけれど、解散するまで降り出すことはなく、存分に楽しんで解散。余韻のように残ったのは、普段と違う部分の脳が疲れてる、心地よさ。。。


 

 空気SNS〜呼応する芸能@志の輔らくご21世紀は21日(明治安田生命ホール、新宿・東京)


何人ぐらい、当日券に並ばれたのだろう。後ろ半分の客席の通路は、一段に二人分ずつの座布団で、埋まってる。遅れてきたお客は、自分の指定席に座るのも、えっちらおっちら。舞台の上には、高座が作られ、座布団が一枚。その背後には「志の輔らくご」の文字が映し出されていて、客席もザワザワしかかるけれど、何かピンと張ったような気配が崩れない。志の輔さんが登場した時の拍手も、いつもより音が高くてテンポが速かったような気さえした。

事業仕分けみたいに、ものごとにはっきり白黒つけるって言うのは、日本人には向いていないんと思うんですよ〜。"Yes or No?"って聞かれたら、"う〜ん、、、or。”ってそういうもんでしょう、みなさん?

初めて聴くネタであっても、なくても、いつものように大笑い。志の輔さんからも、何かが発せられ、伝わってくるような感覚を味わいます。言葉を越えて、笑いを借りて、舞台にたった一人で座っている志の輔さんと、約400の客席との間で、それが呼応するのがみえます。


マクラに続いて、「ディア・ファミリー」。昭和のサラリーマン家庭@公団住宅を舞台に借りて、この曖昧な物言いの可笑しさと勤続三十年の記念品・鹿の剥製が暴き出す(!?)、普通の家族に潜む危うさと、やっぱり曖昧な素晴らしい解決策。いやぁ、そういえばもうすぐクリスマスなんですねぇ。志の輔さん、「歓喜の歌」だけじゃなくて、クリスマスっていう曖昧な年中行事にも日本人の特性をみて、噺にしたててるんでしょうね。
古典落語と言われるものは、どこまで実際の出来事を下敷きにしているのかは分かりませんけど、現代まで続いているっていうことは、題材こそ、その当時の人たちにすう〜っと受け入れられるものであったはずですが、中身は本質に迫る曖昧さが根底にあるような気がします。この、突然贈られた鹿に翻弄される噺にも、共通する匂いをぷんぷん感じます。終身雇用とか、団地とか、そういうものと世相はがらっと変わったとしても、話し続けられる可能性はあるように思います。


仲入りは、いつものように昼のラジオ版NHKニュースと"ひとりコラボマイム"の松元ヒロさん。相変わらず、動きがキレてます。もうひとつ面白いのは、ヒロさんのパフォーマンスに反応してる客席です。"な〜んだ。やっぱり大人だって、子供とおんなじように、下ネタ系、大好きなんじゃないのさ(笑)”なんてことが、近くの席のおば様が涙ぐみながらハンカチを握りしめながら笑い転げてるのをみるとわかっちゃいます。もちろん、自分も涙ぐまんばかりの状態なんですが。そんな一体感で、さらに盛り上がって、〆の一席は「帯久」でした。

10年前の第一回で、この噺をやったんです。最後の今日に、またこれをやろうと。

御店の日常や、大晦日の情景の中に入り込み、和泉屋の波乱万丈の十数年が綴られていきます。会場の空気は相変わらず、崩れることなく、一緒にそれを描いていくような。それを感じて、志の輔さんがまた返す…そんなやりとりが、大岡裁きのシーンまで一気に続きました。古典ものが苦手な家人も、ずっと引き込まれ続けてたと終わってから言ってました。それにしても、和泉屋と帯屋。違う二人でもありながら、人間の両面を描いているように受け取ることもできる。なので、似ているようで、水戸黄門とは違うものに思えます。ある時はYesでまたある時はNo、紙一重でどちらにも行ったり来たりしながらが毎日なんだ…そんな噺なのかもしれないと、前回どこかで聴いた時には思わなかったことをこちらも感じる。落語が、白黒つけないが故にもつ奥深さ、なんでしょうねぇ。


2000年1月以来、10年間。ほぼ毎月ここで、月例の独演会。その会が今日で一区切り、最終回。この会はぼくにとって、初めて"落語"というものを体験した場でもあって、ここにつれて来たもらったことが、今につながっている源。でも今は、ブログにそのことを書くこともできるし、感謝のエアタグセカイカメラで置いてくることもできる。そうそう、twitterにもこの会が素晴らしかったという書き込みが、いくつものあがっていました。
それにしても、前に進み続ける人は、そのために継続してきたことに自分で区切りをつけ、変わることを自分に強い続ける人でもあるのだと、三三七拍子の後、客席に頭をさげたあとに「バイバイまたね!」とばかりに右手を挙げた志の輔さんに思わずにはいられません。
本当に、ありがとうございました。次の新しい会も、楽しみにしています。


 

 ホップ、見参!@タップルーム(ビール、中目黒・東京)

これが、ホップ。生ホップと言われる(適度に乾燥させた)ものだそうです。これを手で揉みくだくと、柄のついていた方にある、ルプリンという黄色っぽい粒々がつぶれて、掌にエッセンシャルオイル(多分)を含んだ液体がつきます。これを嗅いでみると…あぁ、なんだかミントに通じる蒼い清涼感が鼻腔いっぱいに広がります。濃いのに、むせたり、辛く感じるようなことがないのが不思議なぐらい。あぁ、これがホップの香りなんですねぇ。どこかで紙の匂いにも似ているような。でも、飲み会でお目にかかるビールにこういう香りは感じないですねぇ。ホップが効いてる=苦味が強い、ぐらいにしかイメージしてなかったですしね。


炭酸でシュワーッと爽快…というのがとっても苦手なワタシ。おまけに一度入れたものは出したくない性分か、腹が張ってしまい、あまり食べられなくなっちゃう。そんなわけで、飲み会でも一杯目から「あ、すみません、焼酎お湯割で」とか。ところがワタシ、もう一度食べたい飲みたい、と興味を持ったもの。どうやって作られたのか?とか、どんなものからできてるのか?とか、どんな人が作ってて、何が違って「もう一度…」って思うんだろう?と考えちゃう。ここ何年かは、お茶(日本茶中国茶)について、そんなところをぐるぐる回ってます。ワン。そこへ、昨年突如割り込んできたのが、ビールでした。
このブログにも書きましたが、きっかけは横浜・関内のクラフトビアbarに、友人に連れていってもらったことでした。その後、中目黒のタップルームや、両国のポパイ、横浜のチアーズなどへ足を伸ばし、冷蔵庫には各地のビールが何本か入っているところまでやってきてしまいました。そういうところで飲んだビールには、うん、確かに通じるものがあります。


改めて考えてみると、ビールって不思議な飲み物だと思いません?主原料となる穀物や果実に、途中で別のもの(ホップ)で香りや味を加えてるんですよ。スコッチやワインを熟成の過程で樽を効果的に使う…というのともまた違うし。宣伝でも盛んに唄われる存在で、それでいて実はみたことも無ければ、その種類や量の多少でどんなふうに味わいが変わるのかも分からない、謎の存在が"ホップ"。


この日、タップルームには20人ぐらいの人が集まってました。いや、みんな若いな(苦笑)。カップルも何組か。醸造主のベアードさんが、8種類のホップの実物を手渡してくれながら、話をしてくれてました。

私のところで作るビールは、ホップの個性を表に出すビールです。苦味だけじゃなく、味わいや辛味など、"飲み続けたくなる元"になるものが、ホップの役割です。通常のラインナップは、複数のホップをブレンドして、それぞれの個性を活かしながらバランスを考え、一種類ではできない複雑さが楽しめるようにしています。でも今週※は、ブレンドせずにそれぞれのホップの個性が楽しめるビールが8種類あります。ぜひ、飲んで楽しみ、それぞれの個性を言葉にしてまた楽しんで下さい。

※11月7日からの一週間でした、遅くなってごめんなさい。


アメリカ産を中心に、ニュージーランドやドイツのホップが二種類ずつ参加者に配られ、潰して嗅ぎ比べ。その後で、その二種類を使ったビールが登場して、それぞれどのホップを使ったものかを推測してゆく…んですが、いや〜思った以上に難しい。大きな種類のホップと小さなものぐらいは何とか特徴がかぎ分けられても、似たようなものはホントに難しい。おまけに、香り以外に味わいは想像するしかありませんし。あっという間に4時間経っちゃいました(完全に時間オーバー)。


飲み物でも食べ物でもそうですが、元のものが分からないようにブレンドや配合していることで特徴を出すものと、逆にそれを残していることが特徴になるものがあります。学生の頃は、満腹になることや、みんなで酔えることに中心があったように思います。今は、それ以外の選択肢もあるのがわかってきましたし、それがみえるようになってきて、またそれが楽しい。ホップをあれこれ体験して、分かったこといろいろ。宣伝で「ホップが効いてる!」とか言われても、それは今日分かった香りのことじゃないだろうことも。あぁ、でも、さらに別の疑問もわいてきて。こうやって、また飲んじゃうんだよなぁ。。。。


 

 最近のおいしいものたちから

ブログを書くタイミングを逸し続けてます。どんどんアップしないと、次の書き留めたいことがやってきて、前のものを押し流してしまう…そんな状態。直後には、感動!したものでさえ。twitterがそれに拍車をかけたことは間違いなさそうだけど、twitterに一言残しておくことができるようになったという一面もあるので、どっちが鶏で玉子かはわかりません。今は、写真がはてなtwitterに分かれちゃってるのが困った点かな。記憶のかけらが二つの場所に。思い出せる断片にメモを加えて。

  • オリーブの実〜小豆島と南仏の秋の恵み

最近、秋の楽しみに一つに加わったのが、これ。採れたばかりの実。小豆島の"新漬けオリーブ"は、早生のマンザニロという種類だそう。渋抜きをしたあとに、塩水で浅漬け。南仏の三日月型の大きな粒は、リュック種。こちらはひまわり油が少し加えられた塩水に。今年は時期が重なってくれたので、食べ比べができました。
キリリとした鮮やかな緑色が、みるからに食欲をそそる小豆島・井上誠耕園のもの。こちらは、まさに"浅漬け"。箸でも違和感ない。実の厚い小梅のような食感、といっては誤解されちゃうかもしれませんけど、身離れの良さはもちろん、スッキリとしたちょっと若いオリーブの香りは、秋の収穫物というより春の芽吹きの頃を連想してしまいます。これは、完熟する前の青い実を使っているせいもあるのでしょうね。
ホンの少しだけど油が加わった、南仏もの。毎年10月の終わりごろにフェルミエで売り出されるもの。油ってワインが欲しくなるもンですねぇ。真っ先に頭をよぎったのはそんなこと。写真では分かりにくいかもしれませんが、やや浅い緑色。種類によるものなのか、製法や届くまでの期間によるのかは分かりません。香りという面では、油のせいもあると思いますけどちょっと不利みたいです。大ぶりということもあって、食感も気持ち柔らかい。リュックが鰤で、マンザニロがイナダ…というのは、果たしてその違いを伝えるのに役立つか?

ここに来てビールに目覚めてきたので、ベルギーのチーズにも興味津々。チョコレートとかムール貝の蒸したやつとか、美味しいものがあるところなのは知ってても、"フルーティでかわいい香りの強いビールの国"という印象があって、苦手扱いしてきたのですよ。でも、最近は冷蔵庫に日本の地ビール常備。種類のことも少し分かって楽しめるようになってきた。そんなタイミングで、フェルミエがベルギーチーズをあれこれ特集してくれたもんだから(笑)。
修道院で作られているというオルヴァルは、紅花のような色の外皮に覆われて、ウォッシュというにはかなり上品な香りと大人し目の味わい。しかもトロ〜リ系ではなくむっちり。プチンっという噛み心地も楽しめるチーズ。こいつは知ってると、パーティとかで喜ばれそう。いつも手に入るのかどうかは、分からないけれど。ビールはもちろん、ワインでも、日本酒とかもいけそう(ただいま在庫がなく、未挑戦だけど)。

  • アップフェルクーヘン〜一ヶ月限定の紅玉のケーキ

前橋のケーキ店・シュベステルンハウスを知ったのは、ほぼ日。あのサイトは、気ぜわしくなく伸びすぎず、自分では広げないところにも幅広く、ついつい覗いちゃう。そこで紹介されていて、ザッハトルテを頼んだのが最初。いい意味で日本風の甘さ(ウィーンのは、さすがにかなりしっかりとしてた)と杏ジャムがぴりりとアクセントとして利いていたことが、ウチでは評判だったのです。一緒に入っていたチラシには、一年中ある定番ものの他に、夏だけのもの、秋だけのもの、冬だけのものなどがあって、その時期になったら頼んでみよ〜っと思いつつ、気がつくと時期が過ぎてた…の繰り返し。今回も、10月限定のこのケーキを31日に思い出して、ぎりぎり!
アップルパイのようなタイプとは違って、ほんのりミルクの香りのするしっとりとしたスポンジに、切り込みがいくつも入った櫛形の紅玉が刺さるようにいくつも鎮座してる。しゃくっとした歯ごたえに、柑橘類の酸っぱさとは違う酸味。パイでもなく、アップルシュトゥルーデルみたいなものでもなくて、これはなかなか新鮮ですよ〜。素朴で何だか家で食べていたような懐しい感じがするのに、実際にはそんなことはないって思うもの。来年までさよなら!

  • 出来立てベーコン

スーパーなどで、ベーコンとして売られているものの多くは、燻さずに作られたもの。調味液につけているものも多いとか。ぼくも、子供の頃からなじんでいるので、それはそれで、嫌いじゃありません。でも、一度燻して作られたものを、炒めてパスタで食べたりすると、がく然とします。肉がうまいというわけじゃありません(あ、いえ、肉はもちろんうまいんですが)。豚バラ肉よりも、脂という肉の出汁に絡めて食べるうまさに驚いてしまうのですよ。レストランのパスタのような味が、家でどうもでない場合は、ベーコンを替えてみるのも手かもしれません。
たまに散歩がてらいく、レッカー・ビッセンというお店が目黒通り、元競馬場交差点辺りにあるんです。前を通ると、ふんわりと、燻しているチップの香りが流れてくるようなお店です。たまたまいったその日は、月に一回の出来立てベーコン試食販売の日!そんなことをしているなんて、知らなかった。。。で、それなんですが。炙り目がないののに、温かくてじゅわっとくる。柔かな食感は、ハムみたい。あーなぜここにビールがないのか、不思議でしょうがない!買ってました。ホントは、ミートローフと、レバーケーゼを買いにいったんだけど。この日の夕食のメインは、このベーコン。マスタードをちょっぴり付けて、ホップの効いたしっかり目のビール。ぷふぁ〜。


 

 最近のランチから

  • 釜竹(うどん、根津・東京)

仕事も住んでるところもまったく違う人たちと、年に1〜2度、近場の探検みたいなことをしています。通称、大人の遠足。遠足ですから、当然下見が必要になるわけで(笑)。今度はウチが幹事役で場所は谷根千。ちょこちょこと3度ほど足を運びましたが、ただ歩いているだけでも面白い地域なので、効率は良くなくて、それがまた楽しいですね。あはは。とはいっても下見もせねばと、人数が入れそうなお店で気になるところを偵察に…といったのがこのお店。大阪にあるうどんのお店の支店だそうな。
開店直前に店に着いたら、もう8人並んでる。開店10分後でほぼ満席。おまけに週末は夕方前に売り切れになることも。うぅ、これは厳しいなぁ。うまそうな日本酒もいろいろ冷蔵庫にどうだ〜と並んでるし、つまみも一度は頼んでみたいものがあれこれあるのになぁ。


ここの名物は釜揚げ。しっかり時間をかけて出てきます。なので、うどんだから満席でも回転が速いだろう…なんて思うとやられちゃいますよ〜。さて、立派な徳利に熱々の出し汁が入ってきて、これにつけていただきます。う〜ん、きれいな色の、角のきっちり立ってる、端正な姿。ムニュっとして、ぷるっプッチンとくる、なかなか好みの食感。量もあるし、なかなか気に入りました。今度は蔵の中にあつらえられてるテーブルで食べてみよう!


あ、デザートは「根津のたい焼き」などいかがでしょう。普通のたい焼きに比べて、皮が薄くてパリッとしたクリスピーなタイプで、こちらも気に入っちゃいましたので、ご紹介。

文京区根津2-14-18 11:30〜14:00/17:30〜21:00(火〜土、日・祝は20:00まで。ただしどちらも売り切れじまい)電話:5815-4675

  • JENITH GUSTRO(ビストロ、恵比寿・東京)

渋谷寄りの山手線の線路際のビルの二階。遅めのランチに行った時には、5皿ぐらいに盛られたサラダブッフェがほとんどなくなっていたのが残念だけど、仕方ない。それでも、これだけしっかり食べてきたんですけどね。
ネットでは、フォアグラが名物なんて書いてあったりしたけれど、ランチはパスタ二種類ともう一品から選ぶ形式でした。ビストロのパスタは、気持ちやや濃いめの味わいで、繊細というのではないかもしれないけれど、雰囲気にあっていて、これはこれでいい。デザートまでついてるのはちょっと嬉しいし。ほとんどお客がいない時間帯は、窓からの曇りがちの空の光が、暗いテーブルの色とあって、とってもいい雰囲気でした。あっ、タバコ吸う人にとっては貴重なお店かもしれません。

渋谷区恵比寿西1-3-2 12:00〜14:00、18:00〜23:00(日祝休み)電話:3476-6168

  • Kura 凛(和食、銀座・東京)

 新潟のスワンレイクビールの蔵元、瓢湖屋敷の杜ブルワリーが新潟でやっている豪農・五十嵐邸ガーデン。この中にある蔵がレストランになっているのだとか。この別邸というか東京の蔵に当たるのが銀座のお店みたいです。まぁ、そういうところが気になった点なんです、正直にいえば(笑)。
ランチは魚もあれば、肉も選べますし、小鉢が二つ、豆乳などがついてくる。もちろんビールもちゃんとありますよ〜。200mlのちびビールが200円!ゴールデンエールに、アンバーエール、コシヒカリを使ったものなど。スッキリ系のビールなので、しっかり目のクラフトビールに慣れてない人でも、恐らく大丈夫。若い男性だけのグループも、女性のグループも次々にやってきてましたから、この辺りではそこそこ人気のお店なのでしょう。
この日はあれこれ迷った揚げ句、結局限定十食の親子丼。これだけでみるとボリュームは少ないけれど、あれこれ付いてくるので不満は感じませんでした。次は、魚にしてみようっと。

中央区銀座7-16-21 11:30〜13:30、17:00〜23:00(土日休み)電話:5148-2333

  • 岩茶房(岩茶、中目黒・東京)

何となく、身体の底のほうに疲れがたまってきてるような時に、ついつい行ってしまうのが、この岩茶の専門店。えぇ、作り方は烏龍茶です。産地がごつごつの岩山、武夷山に限定されているのが特徴です。たくさん種類はあるんですが、薬膳種のように、どんな時にいいかというようなことがそれぞれに書かれてます。まぁ、本当に効くと思うかどうかは人それぞれですが、ここのお茶を飲んで初めて"お茶で酔う"ということを体験しましたし、なんだか代謝が良くなってトイレが近くなることもありました。
いろいろ飲んでみよう!と思っていくんですが、メニューをみると頼んでしましやすいのが「佛手」。肝臓に良いって書かれているからなんですが(苦笑)。でもね、不思議なんですよ。このお茶を飲むと、温泉に浸かった時みたいに「ほ〜っ」って思わず声が出そうになるんです。密かに飲む温泉と呼んでおります。別の種類、例えば疲れにいいと書いてある「老水仙」ではそうはなりません。こちらは頭がじんわり温かくなってくる感じがします。

ここはお茶だけでなく、食べ物もなかなか美味しくて、肉まんも好きですしお粥と水餃子のセットもよくいただきます。また、ジャージャー麺がなかなかよろしいのですよ。むっちりした黄色味のある麺に、しっかりした味付けですがあっさりとしてくどくない肉みそと千切りの胡瓜というシンプルな組み合わせなんですけど。
食後に、岩茶を何杯も楽しみながら時間を過ごすのは、喫茶店とはまた違う時間の流れ方に思えて別格です。

目黒区上目黒3−15−5 11:00〜19:00(日月休み)電話:3714-7425


 

 バレエというオーケストラ@Kバレエ公演「ロミオとジュリエット」(2009年11月6日、東京文化会館)


落語が「歌」である(←堀井憲一郎さん曰く)ならば、言葉の無いバレエは何だろう。誘われて久し振りに足を運んだのは、Kバレエ公演「ロミオとジュリエット」。演目も初めて観るものだし、この会場は舞台も広めで音もいいように思うのでそういう点でもちょっとワクワクしながらの、東京文化会館


いつも思うのですが、バレエの舞台、空間をうまく使っています。光の当て方・使い方や、複数の幕などで奥行きが何段階にも変わってみえるし、遠近感や色をうまく使っているように思える舞台装置。何度観てもはっとしてしまうのは例えば透過タイプの幕。模様や絵が描かれていて前面(観客席側)から光を照射するとどうみても幕。背景のように使われているものが、照明を背後からのものだけに切り替えると、ほぼ透明になって一気に空間が奥に拡がる。外で一人でたたずんでいたり、広間でのパーティになったり、街の中の喧騒だったり、そういう転換がまた楽しみなんですが、この日も存分に味わわせてもらいました。オーケストラはピットの中で見えないけれど、舞台の上にダンサーの人たちとセットが作り出すもう一つのオーケストラ。


さて、一時期怪我が重なり、苦しい時期が続いたであろう熊川哲也さん。彼の踊りを観るのはいつ以来だろう。辛い時期に出演していたTVでよく口にされていた「no pain, no gain!」。頭では分かった気になれるけれど、このことばの意味の、重さと深さは計り知れないですね。舞台の上の彼から感じるしか無いと思う。白い衣装、ロミオ役で登場した彼の、身体にまず目が奪われました。人体模型を思わず連想してしまった(苦笑)、筋肉。そして、踊りの滑らかさ。マニュアルシフトならではの、力を操る運転から、ギアチェンジを感じさせないのにワインディングロードを一定のスピードで駆け抜けていくような滑らかさ。それを"成熟"とか"円熟"といっていいのかどうか少しためらってしまうのだけれど、元々感じていた奔放さを発散するような快活さに、丁寧で慎重な運びが溶け合っているように感じます。粗さも含めて魅力的で好みのタイプだった泡盛が、5年経って"ひねる"ことなく練れたような。マリアージュの相手の幅が拡がるのはもちろんのこと、単独でちびりちびりと楽しむ夜もいいなぁ…ってかえって分かりにくいですね(笑)。


この日の公演で最も印象的だった光景は、すべてが終わって、再び幕が上がった舞台の上での第一回目のアンコールに応えた、ロミオとジュリエットでした。ジュリエット役の、康村和恵さんは、まだ"こちら"に戻ってきていない顔をしていました。短剣を自分の胸に突き立てた最後のシーンが、まだそこにはありました。彼女の踊りを観たのは初めてだと思いますが、この日の彼女は、まさに息をのむ演技の連続でした。純粋で脆い、激しさや強さ。愛おしいとは、苦しいとはどういうことなのか。自分を信じる力と揺れる心。一切の言葉はそこに無いのですが、手の表情とバレエ独特の足やつま先の使い方(…これはホントに凄かったなぁ)によって舞台の上に生まれたのは、解釈や変換を飛び越えて直接響いてくる音楽みたいな世界だったと思います。
落語はその「歌」によって、心地よく気持ちに響いて笑ったり涙ぐんだりさせてくれるものだとすると、彼女がこの夜舞台の上に創り上げたものは、そういった観る側の反応も越えたもの。なんというか、口をぼ〜っと開けたまま、何の反応もできずに、ただひたすら見惚れてしまうだけの世界。目で舞台、耳でオーケストラ、肌で空気。ダンサーって目で聴く楽器みたいなものなのかもしれないな…そんなことを最初は感じていたんですが、彼女は、ある時はバイオリン、そしてまたピアノでもあり、まるで一人で小さなオーケストラであるかのようで、そんな考えを遥かに越えていました。オーケストラの中にあるもう一つのオーケストラ、そんな存在でした。


いい公演を観たあとって、無口になるような気がするんですが、どうでしょう。まだ舞台の上の空気が自分の中に残っていて、言葉になる前のところで反芻している感覚。上野駅から山手線に乗って、いつになく口数少なく、でも(多分)とても大切なものを体験した感覚をやりとりしながらの、帰り道でした。