読んだ本
五十嵐太郎の『新宗教と巨大建築』*1ISBN:4061495801。
淫祀邪教の伏魔殿か、はたまた後光差す神の宮か。この本では、とかく評価の振幅が大きい*2新宗教の建築物について取り上げられています。工場のような外観を持つオウム真理教のサティアンを見て生じた「宗教にとって宗教建築はもはや必要ないのか?」という疑問から始まり、天理教(天理市で進められている都市計画「おやさとやかた計画」は、神殿を一周約3.5キロ!の棟で囲む城壁都市計画)、金光教、大本教などの建築の解説に紙幅が割かれています。また、黒住教、創価学会などその他の新興宗教の建築についても触れられています。少しだけパーフェクトリバティ教団についても書かれていますが、そのなかの高さ180メートルの大平和記念塔などは、理屈抜きで「見に行きたい!」と猛烈に思わせます。
関連して福島の建築家、佐藤敏宏さんのホームページ内の「五十嵐太郎さんと建築あそび」
http://www5c.biglobe.ne.jp/~fullchin/igarasi/igara1/igara%20p1.htm
さながらWeb版『新宗教と巨大建築』といった趣き。リンク先の内容で関心を持たれた方は、読んで見るといいかも。
高尾穂見神社の夜祭
以前、南アルプス市の若宮神社を訪れた際、高尾穂見神社の夜祭のことも聞き、気になったので行ってきた*1。
神社には「駐車場がある」とのことなので車で行く。南アルプス市小笠原から西へ林道を登っていく。時間は午後6時30分。途中、提灯で足元を照らしながら歩く人々を追い越す。服装はウォーキングかトレッキングというところで、大人から子どもまでかなりの数だ。どうも昔からの高尾講が今では地元の子どもたちが行うウォーキングラリーのような行事になっているらしく、麓から神社まで列を成して歩いていく。
山間の少し窪んだような土地にある集落の奥に神社がある。境内近くの駐車場に車を停めて参道を歩いて行くが、寒い。以前の夜祭は新嘗祭として11月30日に行っていたそうで、さらに寒さが厳しかったとのこと。冬の東部前線にいる様な気分で「猛烈な寒さです」「まだ、暖かい方だぞ」と脳内会話を交わしながら石段を上がると、境内は参詣者でいっぱいだ。境内を入って右手にある舞台では、地元の女の子が巫女の舞を舞っている。左手には重厚な神楽殿が。これがが明治に再建した市指定文化財です。で、本殿は17世紀の建造で県指定文化財。
そして太太神楽。回り込んで回廊に上がり、神楽殿の傍まで近づかさせていただく。途中、衣装倉になっている土蔵から狐面が顔を覗かせた。
奇習、資本金!まあ、奇習というほどのものではないのですが。ここで二千円を奉納して、おふだと新しい千円札をもらう。その千円札を資本に商売をすれば繁盛疑いなし、というもの。昔は先に神社から資本金を借り、商売に成功した後で翌年、お金を奉納するという形だったそうですが、そこはそれ世知辛い世の中ですから現在は先に奉納する形になっています。ちなみに、写真に法被を着た地元消防団が写っているが、カタカナの染め抜きが面白い。
ネット上ではこの神楽殿について、山間にこんな神楽殿があることに不思議を覚える旨の感想が散見する。地元の人を捉まえて聞けば、かって高尾には、門前集落に近いような散村集落の形態で人々が住み、神社には静岡や長野からの参詣者が列を成したそうで、重厚な神楽殿はその名残ということになる。この土地(山梨県の旧櫛形町)に多い穂坂姓は、この高尾の集落が発祥だそうで。時代とともに集落の人々は山をくだり、今では三戸ほどが残るのみとのこと。それでも春の例祭、秋の例祭などのときばかりは、軒に提灯を吊るし、親戚などが帰郷する由。なるほど、闇の中に無住の家屋がいくつかあるようだ。産業や社会の変化とともに豊かさもまた土地から土地へと移動していくということか。それを思うとこの夜祭も今は盛況だが、やがては消え行く祭りなのだろうか。
*1:実際には11月22日の出来事となる。
メモ
文春の漫画関連記事のメモ。週刊文春12月8日号掲載の「広島あいりちゃん事件 殺人犯が現場に残した「XI」のメッセージ」より一部引用。
ある漫画との奇妙な一致*1
ところで、遺体の遺棄状況について不審な点がある。段ボール箱の封をしていた黒いビニールテープ。その封の仕方が奇妙なのだ。「何故、犯人は箱の開き口の上からそのままテープを貼らず、垂直にテープを貼ったのか。しかも雑に三重に巻いていて、二本のテープがクロスしているのも不思議です」(社会部記者)
発見時、箱を上から見ると「X」と「I」の形が浮かんでいた。これは偶然なのだろうか。
実は犯行の手口について、ある漫画との類似性が囁かれている。『週刊少年ジャンプ』(集英社)で連載されている、『魔人探偵 脳噛ネウロ』(作画・松井優征)という作品である。
(中略)*2
現在、単行本は三巻まで出ており、合計三十八万部も出ている。この作品中に、人をさらって殺し、箱の中に詰めるという強盗殺人犯が登場するが、その名前は「X・I」(サイ)。漫画によると、“X”とは未知を表し、“I”とは不可視(インビジブル)を表すという*3
記事はこの後、台詞の引用と福島章のコメントに続く。引用部分の前後でも事件に関して記述されているが、その他の部分は類似性に関する話題とほとんど関連がない。作品に関する文章は、記事全体の七分の一程度。引用部分は、とりあえず挟み込んでみた、という印象。事件全体の中で、また記事の中で、どういう位置づけなのか判然としない。まあ、現在(平成17年12月3日)の事件報道に接する限り、ちり紙にしかならない記事だが。
テープがXとIに見える、という時点で眉に唾すべきだが。事件と漫画を並べて書いて、読者をある方向へ誘導する一方で記事自体は「偶然なのだろうか」、「類似性が囁かれている」と書くにとどめている*4。
読んだ本
ヒャッハーッ、志村志保子の新刊だぜーッ(ボウガン片手に改造バイクで疾走しながら。髪型はモヒカンで)*1
志村志保子「女の子の食卓 1」*2ISBN:4088566483。「食べ物」を主題にした10の短編と読切「バス停」が収録されてる。「泣き」でも「癒し」でもない、だが確実に胸の奥が熱くなるモノ語り。女の子の「業」や「決意」や「想い」を静かに、だけれどクッキリと描き出してる。以下、各編あらすじと感想文。
「スイミングクラブのアイスクリーム」
半年前にパパが再婚したばかりの郁は、新しくできた弟とスイミングに通っているが。郁の心情の描き方がとても良いです。
「ライ麦100%のライ麦パン」
一人暮らし&バイトを始めた香織は、アパートのお隣さんがなぜか気になって。最終コマで、胸に熱いものがジワーっと広がってく感じ。
「ポケットの中のミントガム」
仕事先での再会以来、なっつこく通って来る小学校時代の同級生、和市にうんざり顔の美咲だが・・・。美咲の人物像が魅力的。
「運動会の五目いなり」
唐突に祖母の元を訪れた大学生の修は、五目いなりを作ってもらう。
「日曜日のお茶会マカロン」
中学生の加代子は、クラスで浮いた存在の転入生ユリナとふとしたことから言葉を交わすが。
「御家族のもんじゃ焼き」
美園は、家族みんなと夕食にもんじゃ焼きを食べる。ただこれだけの話で「家族の味」を、人と人との縁(enisi)を描き切ってる。
「絋也君の洗ったいちご」
中一デビュー*3した花菜芽は、お隣の紘也君に苺をおすそ分けに行く。主題の苺のイメージどおり瑞々しく、(性的な描写なんてないのに)エロチックなネーム。
「ダンボールの中のあぶりめのは」
親の反対を押し切って上京した大学生の紫乃。仕送りはゼロ、目標も持てないまま続ける大学とバイトに疲れ気味だが。
「お土産のディジョンマスタード」
小学生の三奈はフランス留学から帰国した詩子さんに、お土産のマスタードを貰う。『りぼん』を愛読するような男性読者には*4衝撃的な切り口の話かも。
「えっちゃんのママのバジリコ・スパ」
OLの景は、思い出深い人物「えっちゃんのママ」と再会する。最終コマの暗転でしばし呆然、その後、誰もが辞書に手を伸ばすはず。
「バス停」
綾乃は、お姉ちゃんの彼氏の宮森君と山に遊びに行くが。
なんかもう全体としては、オレの目頭をこんなに熱くしてどうするつもりだ、という仕上がりの一冊です。