BPDの危険因子 社会的要因

これまでBPDの危険因子として取り上げてきたのは、主として個々の患者に対して特異的な影響を与えるような要因であった。
しかし多くの精神疾患の発症に関して、社会文化的要因が一般的な形で与える影響を無視することは出来ない。
ある種の心理的症状や精神障碍は、人々がどのような社会に暮らしているかによって少なからぬ影響を受けるためである。
神経性無食欲症はそのような障碍の代表だろう。
以前は豊かな西欧社会にしか発症しないと思われていたこの障碍は、今では世界中でみられることが明らかになっている(Hoek HWほか、2003、2005;Njenga FGとKangethe RN、2004;Bennett Dほか、2005;Lee HYほか、2005)。
したがってこの障碍の発症に遺伝的、生物学的な要因が大きく関与していることは間違いない。
しかしながらそれと同時にーたとえば遺伝と環境の相互作用という経路を通してー社会的要因がこうした疾患の発症に重要な役割を果たしている可能性は高いのである(Gordon RA, 2000;Bulik CM,2005)。
この障碍が好発するような社会とは、経済的に豊かで、痩せることに対して社会文化的に高い価値が置かれるような社会、そして女性の社会的役割や食生活が変化しつつあるような、文化的な移行期にある社会である(Nasser M, Katzman MAほか,2001)。
社会的要因が大きな影響を与えるのは、必ずしも摂食障碍ばかりではない。
気分障碍や不安障碍、物質乱用といった、最も一般的にみられる精神障碍に関しても、社会文化的要因の違いにより、発病のリスクが大きく左右されることが知られているのである(Somers JM, Goldner EMほか, 2004; Breslau J, Borges Gほか,2009)。
BPDに関しても事情は同様である。
パーソナリティー障碍と関連したさまざまなパーソナリティー特性は、生物学的な要因に由来するものであるから、それが時代と共に変化してきたとは考え難い。
それにもかかわらずBPDに代表されるようなパーソナリティー障碍が問題とされるようになってきたのは、比較的近年のことに過ぎないのである。
グリンカーらは早くも1968年に、「境界症候群(borderline syndrome)」が示す病理は20世紀に生じた社会的変化の副産物であると述べている(Grinker Rほか,1968)。
それとほぼ同時期に、「境界例」の発症に対して社会文化的要因が与える影響に関して優れた仮説を提出したのは安永浩であった(安永、1970、1980)。
安永によれば「境界例」が多発する現代―これは1970年のことを指している―とは、センセーショナリズム、「イド(フロイトの用語で、欲動のみから構成されている人格の部分を指す)」の時代であり、絶対ではなく相対の時代である。
重視されるのは快感ないし心理的満足の追求であり、時代を代表するシンボル的人物像は「スター」「タレント」である。
従来の規範は希薄化し、むしろ社会学デュルケームが主張するところの「規範の解体(アノミー:anomie)」こそが時代の特徴である。
このような「今日的」葛藤の犠牲者となるのは、以下のような人々である。
1.幼時に「自由」「自律」の教条を(疑問も抱かずに)たっぷりと取り入れた人
2.本能的・感覚的満足への欲望志向が大きい人
3.時代が生み出す隠微な危険―虚無への分解の脅威―を克服・回避するだけの心的装備を持たない(あるいは育てえなかった)人
BPDの危険因子としての社会文化的要因に関して、40年以上前になされたこの卓抜な考察に付け加えるべきことは今でもさほど多くない。
いずれにせよわれわれが暮らしているのは、社会的統合が少なからず損なわれた、極端に個人主義的な社会、すなわち社会的孤立を助長し、個人が抱える不安に対する緩衝装置を見出すことが極めて難しい社会である。
そしてそのような社会では、切傷や大量服薬といった衝動的行動が生じることに対するハードルが下がる可能性があることが示唆されているのである(Paris J,1992,2008; Millon, 1993)。
それを裏付けるように、青年期や若年成人期にみられる衝動性障碍(物質乱用、反社会的行動など)は、第二次世界大戦後ほぼ全ての西欧社会において、「驚くほどに、そして気がかりなほどに」増加してきたのである(Rutter MとSmith DJ, 1995)。
さらに1960年代以来、若年成人が自殺企図をおこなう頻度だけでなく、自殺を既遂した者の頻度も著しく増大している(Bland, Dyckほか1998; Maris, BermanそしてSilverman, 2000)。
BPD自体に関してこれらに相当するような疫学研究は存在しない(これはBPDが障碍としてDSMにより「公認」されたのが比較的最近[1980年]であることも関係しているだろう)。
しかし参考になるようなデータなら存在している。
BPDと同じように衝動性を示す障碍である、現在であれば反社会性パーソナリティー障碍に相当する患者の有病率は、1950年から1980年にかけて北米で大幅に増大しているのである(RobinsとRegier, 1991)。
近代西欧社会が重視してきたような価値観、すなわち自由主義的あるいは個人主義的な価値観が貴重なものであることは間違いない。
また若者たちの多くは、われわれの社会が宿している強烈な現代性(modernity)の中にあってーあってさえ!ー首尾よく適応できていることも確かである。
だがその一方で、脆弱性を持つ若者たちが、衝動性障害に罹患するリスクに晒されていることを忘れてはならないだろう。
自由主義」あるいは「個人主義」という、われわれが普段ほぼ無条件でプラスの意味づけを与えている価値観についていったん根底的に疑い、それらをー否定するのではなくー相対化してみるという作業を行なうこと。
それはBPDの臨床に携わる臨床家にとってだけでなく、BPD患者の家族、そしてBPD患者自身にとってさえ、極めて有益なものであるように思われる。

BPDの危険因子  遺伝的要因

BPDの場合に限らず、「精神疾患と遺伝」というテーマは極めてデリケートなものである。
一般論としてなら、パーソナリティーに対して遺伝的要因が影響を与えていることに反対する者など誰もいないだろう。
だがこれが「パーソナリティー障碍の病因論」という文脈の中で論じられる場合、事情は異なってくる。
たとえばこれまでBPDの病因に関して作り上げられてきたさまざまな理論は、もっぱら環境因に焦点を合わせたものばかりだった。
しかし近年おこなわれた研究は、遺伝的要因が与える影響を軽視するようなBPDの病因論が、現在ではもはや妥当なものとは言えないことを明らかにしている(Torgersenほか、2000;Distel ほか、2008,2009)。
心理学的特性や精神障碍に対して遺伝的要因や環境要因が、それぞれどの程度の影響を与えているかを明らかにするために、こうした研究では行動遺伝学(behavioral genetics)的な方法が用いられた。
これは一卵性双生児と二卵性双生児が、さまざまな特性に関してどのような違いを示すかを比較するという、双生児法を用いて心理現象の背後にある遺伝と環境の影響を明らかにしてゆくものである。
もしある特性に関して、二卵性双生児同士よりも一卵性双生児同士のほうが似ているなら、その特性は遺伝的な要因に由来するものであるとみなすことが出来るというわけだ。
さらにそうした特性が示すばらつきの度合い[分散]のうち、何パーセントが遺伝的類似性によって説明できるかを明らかにすることにより、その遺伝性の大きさを計算することも出来る。
こうした行動遺伝学的な方法に基づいてなされた研究は、精神医学や心理学の領域に対しても大きな影響を与えつつある。
たとえばパーソナリティーに対して遺伝が与える影響のレベルは、多くの場合に40%から50%の間であることが明らかになっている(Plominほか、2000)。
これは決して正常なパーソナリティーに関してのみ当てはまることではない。
DSM-Ⅳに記載されているほぼ全ての精神障碍に関して、約50%が遺伝的要因に由来することが明らかにされているのである(KendlerとPrescott,2006)。
当然ながらこれは、残りの約50%が環境要因に由来している可能性を持つということでもある。
だがここでいう「環境要因」という言葉の意味するところは、これまで心理療法の領域で言われてきたような、いわゆる「環境が与える影響」とは全く異なっていることに注意しなければならない。
心理療法で「環境が与える影響」について論じる場合、それは患者の生育環境すなわち「家族に共有される環境(家族構成員に共有され、家族を互いに似通ったものにさせる働きを持つような環境)」を意味する場合が大半であった。
ところがパーソナリティー特性に影響を与える環境要因とは、ほぼ完全に「家族に共有されない環境(個人の経験や学習などに基づく,各人によって異なる独自の環境)」なのである(Plominほか、2000)。
これは同じ家庭で養育されたからといって、子供たちが似たようなパーソナリティー特性を持つようになるわけではないということを意味している。
いやそれどころか、兄弟同士のパーソナリティーが互いに似通っている度合いは、赤の他人と同じ程度に過ぎないかも知れないのである。
このように行動遺伝学的な方法に基づく研究は、子育てがパーソナリティーの発達や精神障碍の発症に関して中心的な役割を果たしているという、心理療法の大前提となるような仮説に対して重大な疑念を投げかけている。
たとえば最近なされた大規模な遺伝研究では、自己評価式の測定法を用いてBPDの示すさまざまな特徴を調査し、多数の双子サンプルにおけるBPDの遺伝率が測定された(Distelほか、2008、2009)。
調査の対象となったのは、オランダ、ベルギー、そしてオーストラリアから集められた5017名の双子、1266名からなる彼らの兄弟、そして3064名からなる彼らの両親である。
この研究によれば、BPDの特徴が示すばらつきの度合い[分散]は、以下の3つの要因によって説明することが出来た。
第1の要因は相加的遺伝子効果(additive genetic effect:それぞれの親から確実に子供へ伝えられる遺伝子の効果)であり、これにより説明される割合は21.3%とされた。
第2の要因は優性遺伝効果(dominant genetic effect:親から子供へと偏って[不確実な形で]伝達される遺伝子の効果であり、父親と母親の組み合わせの結果として一代限り生じるもの)であり、これにより説明される割合は23.9%である。
そして第3の要因は「家族に共有されない環境要因」であり、これによって説明される割合は54.9%であった。
また近年パーソナリティー特性やパーソナリティー障碍に関してなされた他の研究と同じように、「家族に共有される環境要因」がBPDの病理形成に対して何らかの影響を与えているという証拠は、この研究でも全く見出されなかった(Distelほか、2009)。
たとえばこの研究ではBPDの特徴が家族に似たような形で認められた場合、どの程度が親から子供への文化伝達(cultural transmission)に由来するものであるかについて検証がおこなわれている。
これは模倣、習慣あるいは嗜好という形で子供が親から「教えられ」たり、社会的学習あるいはモデリングを通して、子供の行動表現型に対して親が直接的な影響を与えたりすることが、子供の病理形成に与える影響の度合いについて調べたものである。
少々驚いたことに、BPDの特徴に関して家族が示す類似性に対して、親から子供への文化伝達が影響を与えているという形跡は全く認められなかった。
すなわち生物学的親族が、BPDの特徴に関して互いに示した類似性はー「家族に共有される環境要因」ではなくーほぼ完全に遺伝的な影響に由来している可能性があることが明らかになったのである。
以上をまとめてみよう。
BPDの特徴は大まかにいえば2つの要因によって伝達される。
1つは遺伝的要因であり、もう一つは「家族に共有されない環境要因」である。
この2つの要因のうち、BPDの病理形成に対して最も大きな影響を与えるのは「家族に共有されない環境要因」である。
ただし環境要因について考える場合でも、遺伝の与える影響について考慮に入れなくて良いわけではない。
ある人物が環境に対してどれくらい脆弱であるかを規定するのは遺伝的要因だからである。
たとえば「脆弱な」遺伝子型を持った人物は、そうでない人物に比べて、望ましくない環境に直面した場合、BPDを発症するリスクが高まるだろう。
こうした「遺伝―環境の相互作用」が与える影響は、「家族に共有されない環境要因」の中に含まれている可能性が高いのである(Distelほか、2009)。
他方で重要なのは、遺伝的要因が発症に対して大きな影響を与えているにもかかわらず、適切な治療的介入さえなされるなら、BPDは治療に対して極めて反応を示しやすい障碍であるという事実である(Gunderson,2009)。
通常の場合「遺伝」という言葉でわれわれが連想するのは、「変化しにくい」「治療に対する反応に限界がある」といったイメージだろう。
しかしBPDはー意外なことにーそのような障碍ではないのである。

BPDの危険因子 心理学的要因

これまでに数多くの精神疾患が、主として心理学的原因に基づいて発症するとみなされてきた。
問題の多い家庭内の経験が、こうした障害を引き起こすとされたのである。
たとえば私自身が研修医であった1980年代、統合失調症をそのような障害の一つであるとみなす精神科医はまだ決して少なくはなかった。
医局の症例検討会では「統合失調症を作り出す母親(Schizophrenogenic mother)」などという用語が先輩の医師たちの口から稀ならず発せられていたし、むしろ臨床に熱心な医師であればあるほど、生物学的要因以上に心理学的要因を重視する傾向さえみられたのである。
だからその当時の統合失調症患者の母親は、しばしば二重の悲運を堪え忍ばなければならなかった。
自分の子供が病気になってしまったという悲運と、自分が子供を病気にした「犯人」であると医療者側から告発される可能性に晒されていたという悲運である。
BPDをめぐる事情もそれと似た面がある。
治療者は子供がBPDを発症すると、その両親を非難することが多かった。
この障害に最初に注目し、概念形成にあずかってきたのが、精神分析的志向を持つセラピストたちであったためである。
精神力動的理論は成人の精神病理が、小児期に起源を持つという仮説に依拠していた。
またしばしばこうした理論では、成人になってからの精神病理が重ければ重いほど、その起源は人生のより早期にさかのぼるとされた。
だからBPDにみられる症状は、幼児期、それどころか乳児期に生じた問題を反映したものであるとみなされることが多かったのである(Masterson,1972;Grotstein, 1984)。
残念ながらこうした病因論は、BPDの患者と小さな子供が示す行動が、表面的にはつながりを持つように見えるという臨床観察と、精神分析理論に基づいてなされた推測との混交物にすぎなかった。
ほとんどの場合、こうした論者たちは、自分が治療的な関わりを持った、非常に小さな母集団に基づいて一般論を述べていたのである。
だからBPDの病因に関する精神力動的理論が、その後の実証研究で裏付けられることがなかったからといって、驚くには当たらない。
それにもかかわらず、こうした理論は今でもBPDの臨床に対して、少なからぬ影響を与え続けている。
だからここで主な精神力動的理論をいくつか取り上げて検討してみるのも、決して意味のないことではない。
たとえばMahlerの発達論に基づき、BPD患者は幼児が分離固体化を行なう上での再接近期(生後16〜25ヶ月の幼児が、自律的行動を発達させると同時に、母親の愛情を確認しようとするという、アンビバレントな行動を取る時期)に問題があったに違いないと考えたのはMastrersonとRinsleyであった(Mahlerほか, 1975; MastersonとRinsley, 1975)。
彼らはBPDとは再接近期における発達停止(developmental arrest)であると捉え、こうした患者の母親は子供が分離していくのを望まず、過保護にすることにより発達を妨げたーすなわちこの障害を作り上げたのは母親であるーという理論を提唱した。
同じ患者群を対象としながら、それとは正反対の病因論を展開したのがAdlerである(Adler , 1985)。
こうした患者が訴える強い孤独感は、子供の頃に母親から受けた情動的無視に由来するものであると考えたのである。
もちろんBPD患者の母親に特徴的な養育の仕方がもしあるならば、それを明らかにすることは重要だろう。
母親はBPD患者に対して過保護であったかも知れないし、情動的に無視していたかも知れないし、その両方であったのかも知れない(もちろんそのいずれでもなかった可能性だってある)。
いずれにせよ、これらの仮説のいずれかを支持するようなデータが提出されることはなかった。
今日精神分析の領域で盛んに論じられている愛着理論(attachment theory)は、ある意味でこの情動的無視という仮説を引き継ぎ、洗練させたものであると言っても良い(CassidyとShaver, 1999)。
この理論は子供の頃に養育者に対して異常な愛着が形成されると、後に精神病理が形成される可能性があるという仮説に基づいている。
Fonagyはこの理論をBPDに当てはめ、不安定/両価性型あるいは無秩序/無方向型といった、小児期の異常な愛着パターンが、患者が対人関係で抱える問題の背後にあると主張した(Fonagy, 1991, FonagyとLuyten, 2009)。
小児期に異常な愛着パターンを発達させた子供は、安定した現実的な自己概念を発達させるーすなわち自分のあるいは他者の意図、欲求、あるいは感情をうまく「心化mentalize」するー能力が損なわれるというのである。
自分自身あるいは他者の感情や思考について、言語的に表現する能力の獲得が貧弱であった子供は、後にBPDを発症することになる可能性が高いとFonagyは考えた(Fonagy, 1991, 1995)。
Fonagyに限らず、初期の愛着に関する問題が、後にBPDを発症することに関連しているという理論は、さまざまな研究者によって主張されている(Levy, 2005; Westen, 2005; Choi-Kainほか, 2009)。
愛着に関する研究が貴重なものであることは確かだろう。
しかしながらBPDの病因を明らかにする上で、この理論がどれほど資するところがあるかどうかについては、今に至るまで判断が分かれていることもまた事実なのである。
なぜなら子供がどのような愛着行動を発達させるかは、親の子供に対する関わり方だけなく、遺伝的な影響に基づいて作り上げられる、子供のパーソナリティー特性によっても大きく左右されるためである。
また最近なされたメタ分析によれば、養育者の精神状態や行動が、子供の愛着の無秩序さに対して持つ説明力は中等度―たとえば養育者の行動と子供の愛着の無秩序さの間にみられる相関は0.34であり、養育者の行動によって説明できる愛着の変動の割合は10%未満である―にすぎない(Madiganほか, 2006)。
さらに言うなら、子供が示す愛着パターンは、大人にみられる愛着パターンへと連続的に移行していくとは限らないのである(Rutter, 1995; Lewis, 1999; Paris, 2000)。
BatemanとFonagyはその著作の中で、治療者が親の養育の仕方について非難することに対して、いちおう批判的なスタンスを取ってはいる(BatemanとFonagy, 2006)。
しかしこのような理論に基づいて臨床をおこなう限り、親を責めるようなニュアンスが入り込むのを避けることは、結局のところ極めて難しいだろう。
私はBPD患者の家庭に、いわゆる「家族病理」がみられないと主張したいわけではない。
ただ治療者が家族病理を糾弾することにかまけている限り、「患者自身が変化し、さまざまな能力を実際に高めていくこと」という、BPDの治療にとって最も重要なプロセスがなおざりにされがちになること、そしてそれは長期的にみれば患者にとって少なからざる不利益をもたらすことになるであろうことは強調しておきたいと思う。

BPDの危険因子 BPDとトラウマ その3

これまでに述べてきたように、虐待をBPDの原因であると考える研究者は今ではほとんどいない。
では少なくともBPD患者に対して虐待がなされたことの、指標となるような症状はあるのだろうか。
少なからざる論者が、そうした症状はまさしく存在するのだと主張してきた。
たとえばE.Sue Blumeが掲げた長いリストには、性的虐待がなされた指標となるような症状や病態として、以下のようなものが掲げられている(Blume, 1990)。
摂食障害、恐怖症、物質乱用、うつ病強迫性障害などの精神疾患
罪責感、恥辱感、そして慢性的な怒りなどの情動に関する問題。
さらに見捨てられることに対する不安、自傷行為などの自己破壊的行動、自殺念慮、解離症状、対人関係上の問題、乱交(あるいは性の回避)、危険を冒す(あるいはリスクを負うことが出来ない)傾向といったさまざまな症状である(Blume, 1990)。
なかでもBPD患者が示すことの多いさまざまな自己破壊的行動は、虐待の指標となる症状の代表として挙げられることが多かった(van der Kolk, Perry, そしてHerman, 1991;Cavanaugh, 2002;Nollほか, 2003;Yates, 2004)。
彼らの主張するところによれば、話はこうだ。
子供の頃に虐待を受けた患者は、ストレスに晒されると、それを小児期に受けたトラウマの再来として経験する。
そしてさまざまな自己破壊的行動を取ることにより、彼らはトラウマと関連した情動的苦痛を和らげようとしているのだという。
だが小児期の性的虐待と、自傷行為の間に因果関係がみられるかどうかはもとより、そもそも両者に有意な相関が認められるかどうかについて、近年疑問が投げかけられているのである(KlonskyとMoyer, 2008)。
この研究は性的虐待自傷行為の関連について調べることを目的として、2006年までになされた159の実証研究のうち、方法論的に厳密な43の研究から得られたデータを再解析したものである。
この研究で得られた、性的虐待自傷行為の間にみられるφ係数(連関係数)の値は、わずか0.23にすぎなかった(ちなみにφ係数が0.2以下というのは、2つの変数の間にほとんど相関がみられないことを意味する)。
また家庭環境、解離症状、無感情症、絶望感といった、さまざまな精神医学的リスク要因を考慮に入れて補正した場合、虐待と自傷行為の間の相関は最小限あるいは無視できる程度まで減少した(Zlotnickほか、1996;Cratzほか、2002;Martinほか、2004;Evren CとEvren B、2005; Parkerほか、2005)。
逆にBPD患者が自傷行為をおこなうかどうかは、虐待を受けた経験の有無とは関係がなかった(Zweig-Frankほか、1994a)。
すなわち両者の関係は因果的なものというよりも、それぞれが同一の精神医学的リスク要因に関連していることに由来する、見かけ上のものである可能性が明らかになったのである。
では同じく虐待と結びつけられて考えられることの多かった、解離症状―記憶、意識、自己同一性、そして知覚の機能停止などにより特徴付けられる病態―についてはどうだろうか。
たしかにBPD患者では、解離性体験評価尺度(Dissociative Experience Scale: DES)のスコアが、他のパーソナリティー障害に比べて高くなる傾向がみられる(Zweig-Frankほか、1994b, 1994c)。
しかし性的虐待を経験したBPD患者と、そうした経験のないBPD患者を比較した場合、DESのスコアと関連していたのはBPDという診断それ自体であって、虐待経験の有無ではなかった。
すなわちBPDで解離症状がみられるかどうかは、患者が虐待を受けたかどうかとは関係がなかったのである。
それでもひょっとすると、性的虐待の指標となるとされた、これらの病態すべてに通底するようなー性的虐待の経験者に固有のー防衛機制が存在しており、BPDの患者が示すさまざまな症状は、そのようなメカニズムに基づいて生じているという可能性はないのだろうか。
なされた研究の結果はここでも否定的なものであった。
虐待を経験していたBPD患者とそうでない患者との間で、用いる防衛機制に全く違いは認められなかったのである(Bondほか, 1994)。
すなわち投影性同一視、受動的攻撃性、分裂、行動化、打ち消しなどの防衛機制は全てBPDに特徴的なものであって、性的虐待などの特定の生活経験に根ざしたものではなかった。
以上をまとめてみよう。
最初のリストに挙げられていたような、さまざまな精神症状が成人後にみられたからといって、それを過去に性的虐待がなされていたことのマーカーとして用いることはできない。
(誤解の無いように言い添えておくなら、虐待がさまざまな精神疾患のリスク要因であることは事実だから、小児期に実際に性的虐待を受けていた子供が、後にこうした症状を発症する可能性なら当然あるだろう)。
なぜこのようなことをわざわざ強調するかと言えば、患者が訴えるさまざまな精神症状は、たとえ患者自身に虐待を受けた記憶があろうが無かろうが、虐待がなされたことの指標となる可能性があると考えるようなタイプの治療が、ごく最近まで盛んに行なわれていたためである。
患者自身には虐待を受けた覚えがないとしても、そのような出来事の記憶を抑圧している可能性があるというのが、そのような治療がなされた主な根拠の一つであった(Herman, 1992)。
しかしながら2つの例外的な研究(MouldsとBryant, 2002; MouldsとBryant, 2005)を除けば、トラウマを受けた被験者を対象としてこれまでになされた実験研究は、こうした人々ではむしろ「心を動揺させるような情報を忘れる」という能力が障害されているートラウマと関連するような情報を忘れることができないーことを一貫して示している(GeraertsとMcNally、2008)。
トラウマと関連する記憶が抑圧されるという理論に基づく治療の多くは、「抑圧された記憶を回復させる」という名目のもとに、患者が虐待をめぐるストーリーを作り上げるようにセラピストから促されるという、問題の多い手順に沿って行なわれた(McNally、2003)。
さらにまずいことに、こうした治療がもたらす破壊的な効果は、もともとの病理が重篤な患者であればあるほど著しかった。
そしてその治療の犠牲になったのは、多くがBPD患者―そしてその家族―だったのである(Paris, 2008)。

BPDの危険因子 BPDとトラウマ その2

虐待が子供に対して有害な影響を与えることに異論を唱えるものは誰もいないだろう。
問題はこうした経験が、後にBPDを含む精神疾患を引き起こすかどうかという点にある。
実はごく最近まで、この疑問に充分な精度で答えることが出来るような研究は存在していなかった。
これから述べるようなさまざまな方法論上の問題を、克服することが難しかったためである。
両者の関係をきちんと解明したければ、虐待を受けた子供たちを、成人するに至るまでフォローしていくような形の研究―高リスク研究あるいはプロスペクティヴ研究―をおこなうことが、最も理想的な方法のはずである。
しかしこのテーマに関してそうした研究がなされることはこれまで稀であったし、おそらくこれから先も稀であろう。
そのような研究をおこなうことには、莫大なコストや時間を要するだけでなく、倫理上の問題まで絡んでくるからである(Fergusson と Mullen, 1999)。
(虐待がなされたことがわかっている子供たちに対して、続発症を避けるための介入を行うことなく、ただただ観察し続けることが許されるかどうかを考えてみれば、こうした研究を行うことの難しさがわかるだろう)。
したがってこれまでになされた研究が、数多くの方法論上の問題を抱えていたのも、ある意味ではやむを得ないことであったのかも知れない(Fergusson, Horwood, そしてWoodward, 2000)。
第1の問題として、サンプリングの偏りが挙げられる。
性的虐待(childhood sexual abuse: CSA)や身体的虐待(childhood physical abuse: CPA)が与える長期的影響を調べた研究は、そのほとんどが診療所を受診したり、自らカウンセリングを求めた人物、精神科に通院中の患者、あるいは囚人などを対象としていた。
そのような特殊なサンプルに基づいて得られた結果が、一般の地域住民に対して適用出来るかどうかはわからない。
第2に虐待が生じた背景にあるさまざまな要因を充分に考慮に入れ、それを補正することが出来ていないことが挙げられる。
だから虐待を受けた子供に、後に何らかの精神医学的問題が生じたとしても、それは虐待それ自体の影響ではなく、子供が置かれた環境の中にある、家族、社会、そして個人的な要因の影響かも知れない。
第3にデータの収集方法それ自体にまつわる問題が挙げられる。
このような研究では、調査の対象者に対して、虐待を含む子供の頃の記憶を、過去にさかのぼって思い出すよう促し、それに基づいてデータを収集していく場合がほとんどである。
しかしこうした方法を用いる限り、データをどれほど集めることが出来るかどうかは、参加者がそうした出来事を思い出したり、報告したりする意欲や能力に左右されることになる。
そしてたとえば調査時点で精神疾患に罹患している人たちは、そうでない人たちに比べて、過去に有害と思われる出来事に晒された経験を、より多く思い出す可能性があるーこれを「想起バイアス(recall bias)」と呼ぶーことが知られているのである(Schachter,1996)。
最近なされたFergussonらの研究は、こうした方法論上の問題を出来る限り回避することを目指した、画期的なものであるといってよい(Fergusson, Boden, そしてHorwood, 2008)。
これは1977年にクライストチャーチ(ニュージーランド)で生まれた中から任意抽出された、1265名の子供の長期経過を25歳に至るまで追跡した、「クライストチャーチ健康と発達研究(Christchurch Health and Development Study)」の一環としてなされた。
この研究では、以下のようなやり方で、従来みられた方法論上の問題を巧みに回避している。
第1に一般地域住民を対象として調査を行うことにより、サンプリングの偏りという問題が生じるのを避けること。
第2に出生から25歳に至るまでの背景要因をリアルタイムで収集することにより、そうした要因が与える影響と、性的虐待(CSA)や身体的虐待(CPA)が与える影響との間に、混同が生じるのを避けること。
第3に想起バイアス(recall bias)が生じるのを避けるために、小児期に虐待がなされたかどうかについての評価を1回ではなく、18歳と21歳という2つの異なる時点―すなわち2つの異なる精神状態―において再検査することである。
さて以上のような工夫を凝らすことで得られた結果は、少々意外なものだった。
何よりも意外だったのは、身体的虐待(CPA)それ自体は、後に精神疾患が発症するかどうかに関して、わずかな影響しか与えないという結果がもたらされたことだろう。
社会的、家族的、そして個人的要因が与える影響を補正した場合、身体的虐待(CPA)がメンタルヘルスに与える長期的影響は、統計的に有意とはいえないレベルまで減少した。
逆に言うなら身体的虐待(CPA)が与えるとされてきた影響の大部分は、親の教育程度、家庭の生活水準、離婚や死別、再婚などの形で親に生じた変化、親(あるいは交代した親)との間でしっかりした愛着が形成されているかどうか、そして子供の知能指数などの社会的、家族的、そして個人的要因に由来することが明らかになったのである。
それとは対照的に性的虐待(CSA)は、それ自体がメンタルヘルスに対して長期にわたりマイナスの影響を与えることが明らかになった。
たとえば性的虐待(CSA)がなされた場合、そうでない場合に比べて、後に精神疾患に罹患するリスクが約2.4倍高まる。
また精神疾患の発症に対して、性的虐待(CSA)がおよぼす人口寄与危険度(Population Attributable Risk:PAR)は13.1%であるとされた(これはCSAがなされていなければ、この調査集団に生じた精神疾患が、全体で13.1%減少したはずであることを意味する)。
これは単一のリスク要因としては、決して少ないとは言えない数値である。
ただし前回に述べたように、全ての性的虐待(CSA)が、メンタルヘルスに対して同じような影響を与えるわけではないことに注意しなければならない。
性的虐待(CSA)と、後にみられる精神病理との間には、比較的明確な「投与―反応曲線(dose-response curve)」がみられるーなされた行為が深刻なものであればあるほど精神病理が発生するリスクが高まるーためである(KendlerとPrescott, 2006)。
たとえば後に精神病理を示すリスクは、実際に性交がなされた場合の方が、そうでない場合に比べて著しく高い。
性的虐待(CSA)が与える影響について検討する上でのパラメーターとして、もう一つの重要な要因として、加害者の素性が挙げられる(BrowneとFinkelhor, 1986; FergussonとMullen, 1999)。
通説とは異なり、性的虐待(CSA)の大半は、家族メンバーによってではなく、被害者の顔見知りである他人によってなされる。
しかし家族メンバーが関わる性的虐待(CSA)は、他人が関与した場合よりも繰り返しなさる傾向があり、また性交を伴うような深刻なものが多い(当然ながら病原性が最も高いのはこのようなパターンである)。
ちなみにこのパターンの虐待は、ほとんどの場合に<父親―娘>の間で生じるが、ここでいうところの「父親」が、実の親とは限らないことに注意すべきであるー母親の再婚相手(継父)により性的虐待(CSA)がなされるリスクは、生物学的父親によってなされるリスクの実に10倍である(Andersonほか、1993)。
話を元に戻すなら、これらにとどまらず、性的虐待(CSA)がなされた頻度や期間など、被害者のメンタルヘルスに対して影響を与える可能性のあるパラメーターは、他にもいくつか存在している。
だから患者が虐待を受けたと報告した場合、臨床家は患者の症状がそれに由来するとみなす前に、これらのパラメーターについて充分に検討し、その経験がどの程度のインパクトをもたらす可能性があるかについて評価しておくべきなのである。
残念ながら臨床を行なう際に、こうしたパラメーターについて充分な関心が払われるとは限らない。
これまでBPD患者の2/3(あるいはそれ以上)が子供の頃に虐待を受けたなどという、誤解を招きやすい主張がなされて来たのはそのためである。

BPDの危険因子 BPDとトラウマ

他の深刻な疾患を罹った患者と同じように、多くのBPD患者もなぜ自分がこんな病気に罹ったのか思い悩む。
できればその原因を知りたいと思うのも当然だろう。
これまでにさまざまな心理学的理論が、その問いに答えることができると主張してきた。
たとえばBPDは主として心理学的原因に由来しており、問題の多い家庭内経験に根ざしているのだという、精神分析パラダイムに基づいた理論が、これまで久しく信じられてきた。
他方でBPDに関する外傷後ストレス理論を信奉する論者は、われわれはBPDの原因を知っており、それは児童期の虐待であると主張する。
しかし先に結論から述べておくなら、他の精神障害の場合と同じように、さまざまな種類の病因モデルに基づかない限り、BPDを理解することはできそうにない。
すなわちこの障害を正しく把握するためには、生物学的、心理学的、そして社会的リスク要因だけでなく、それらの相互作用もまた考慮に入れる必要があるということである。
今回はそれらのリスク要因の中でも、近年おおいに取り沙汰され、臨床に対して与えた影響も大きかった、「BPDとトラウマ」というテーマについて取り上げる。
BPDの臨床とトラウマとの間には、もうかれこれ20年以上に及ぶ、深くて長い因縁がある。
それはBPD患者の小児期に関して調査を行った結果、こうした患者のほとんどが子供の頃に何らかの形で虐待を受けたと報告することが明らかになったためである(Herman, Perry, そしてvan der Kolk, 1989; Ogata, Silk, Goodrich, Lohr, Westen, そしてHill, 1990; Paris, Zweig-Frank, そしてGuzder, 1994a, 1994b; Zanarini, 2000)。
BPD患者の中にトラウマとなるような出来事、とりわけ性的虐待や身体的虐待を報告する者が数多く含まれているという結果は、当然ながら臨床家に対して大きな影響を与えることになった。
BPDを小児期に受けたトラウマに対する反応として説明するような心理学的理論を、こうした知見が裏付けるものであるとみなされたためである(Hermanとvan der Kolk, 1987)。
こうした論者の多くは、BPDの症状は子供の頃にした経験の再現であるとみなし、さらにBPDとは「複雑性PTSD」であるという仮説すら提唱されるに至った(van der Kolk、Perry、そしてHerman、1991)。
この仮説に従い、患者に虐待歴がみられた場合、それがBPDという診断をくだす上での根拠になると考える臨床家は、今でも決して少なくない(学生向けの現役の教科書で、虐待がBPDの主な原因の一つであるかのごとく書かれているものがあるのだから、それも無理ならぬことではある)。
ましてBPDの患者自身や家族がそう信じたからといって、誰がそれを責められよう。
だがこうした仮説はいささか単純に過ぎたようだ。
子供の頃に性的あるいは身体的虐待を受けた、家族が機能不全に陥っていた、あるいは親からネグレクトを受けたなどと報告するBPD患者の数が極めて多いのは事実である(Zanarini, 2000)。
しかしその内容を注意深く再検討してみると、深刻な心的外傷がみられるのは、BPDの中でも比較的少数のケースに過ぎないことが明らかになってくる。
たとえば性的虐待について述べるなら、親から繰り返し近親相姦を受けるといった深刻なエピソードと、他人からただ1度だけ性的いたずらをされたといった、より程度の軽いエピソードが、同じだけの重みを持つと考えることは難しい。
それと同じように、親が時に子供をひっぱたくというエピソードと、たびたび子供に怪我をさせるような深刻なエピソードを混同すべきではない。
そして両者を区別した場合、虐待を受けたとされるBPD患者の数は約三分の一に減少した(Ogataほか, 1990;Parisほか, 1994a, 1994b)。
また患者が経験したリスクと、その後たどった転帰の間に、明確な相関関係は認められなかった。
逆にトラウマを受けたという経歴が無くても、BPDを発症する可能性はあることが明らかにされている(Paris, 1994)。
このようにリスクと転帰の間に隔たりが生じるのは、同じような出来事を経験したとしても、それが全ての人間に対して同じような影響を与えるとは限らないからである。
気質やパーソナリティー、そしてさまざまな脆弱性に関する個人差には、明らかに遺伝的要因が関わっており(Plominほか, 2008)、そしてそれらのさまざまな特性が、不幸な出来事に対する個人の反応を媒介している可能性がある。
主として遺伝に由来する障害と、主として環境に由来する障害という形で、精神障害を含むさまざまな障害を2分するというモデルは、概してもはや時代遅れのものとなりつつあるのである。
さまざまな遺伝子は互いに相互作用しており、環境によってスイッチが入ったり、切れたりする(Rutter, 2006)。
他方で過酷な環境に対する脆弱性は、遺伝子の影響のもとに作り上げられる。
そのような脆弱性を持つ人物が過酷な環境に置かれた時、その環境に対する反応はより病的なものになる可能性が高い。
子供の頃に経験した不幸な出来事がもたらす転帰を左右するのは、このような遺伝と環境の相互作用である(Kaufman, 2006; Rutter, 2006)。
BPDの「原因」について考えるとは、遺伝要因について考えることが環境要因について考えることにつながり、環境要因について考えることが遺伝要因について考えることへとつながるような、自己言及的とも見えるようなメカニズムについて考えていくことに他ならない。
子供の頃に性的虐待を経験した場合、大人になってから精神障害に罹患するリスクが、非特異的な形でーほぼ全ての障害に関してー高まるのは事実である(KendlerとPrescott, 2006)。
他方で地域社会のサンプルにおいて、児童虐待を経験した人々のほとんどはBPDを発症することはないし、診断することが出来る程度に重篤な、他の何らかの精神障害を発症することがないのもまた事実である(FergussonとMullen,1999)。
そのあたりの込み入った関係については次回に述べることにしよう。

BPDという問題 その7

今回は「青年期にBPDの症状がみられた場合に、それをどのように捉えるか」という前回のテーマの続き。
前回も述べたように、これまでパーソナリティー障害の症状は、青年期後期に至るまで安定しないとされ、青年期の患者に対してはDSMの1軸障害(パーソナリティー障害と精神遅滞を除くすべての精神疾患)についてのみ評価がおこなわれることが大半であった。
しかし青年期にパーソナリティー障害の症状がみられる場合、とりわけそれがDSMの1軸障害と共存している場合には、それが予後に対して与える影響は驚くほど大きい(Crawfordほか、2008)。
そのあたりの事情を、前回触れた「地域社会における小児研究(CIC : Children in the Community Study)」だけでなく、必要に応じて「健康と発達に関するダニーデン学際的縦断研究(DMHDS: The Dunedin Multidisciplinary Health and Development Study)」(Silvaほか、1996;Kim-Cohenほか、2003)も参照しながら、かいつまんで説明してみよう。
「地域社会における小児研究(CIC)」のサンプルを利用して、Crawfordら(2008)は青年期のパーソナリティー障害と、それと共存するDSMの1軸障害が、長期予後に対して与える影響を、以下の3つの群に分けて比較した。
第1群はDSMの1軸障害の症状がみられたが、2軸障害(パーソナリティー障害)の症状はみられなかったグループ(全サンプルの9.5%)、第2群は2軸障害の症状がみられたが、1軸障害の症状はみられなかったグループ(全サンプルの9.2%)、第3群は1軸障害と2軸障害が共存していたグループ(全サンプルの9.1%)である。
少々驚くべきことに第1群に属していた子供たち、とりわけ破壊的行動障害(ADHD、反抗挑戦性障害、そして素行障害)の症状がみられた子供たちは、経過を追っていくうちにーDSMの1軸障害ではなくーA群パーソナリティー障害(妄想性、シゾイド、そして失調型パーソナリティー障害)に罹患していく傾向がみられた。
これは一見したところ、26歳の時点で主要な1軸障害に罹患していた患者のうち、25%から60%が青年期に破壊的行動障害に罹患していたという、ニュージーランドダニーデンで行なわれた「健康と発達に関するダニーデン学際的縦断研究(DMHDS)」の結果(Kim-Cohenほか、2003)と矛盾するように思われるかも知れない。
しかしDMHDSでは、DSMの2軸障害(パーソナリティー障害)に関する評価がなされておらず、そして「地域社会における小児研究(CIC)」によれば、破壊的行動障害に罹患している子供の大半には、パーソナリティー障害が共存していた。
すなわち小児期にみられた精神障害と、成人期の精神障害の間に認められた強いつながりは、少なくとも部分的にはDMHDSで評価されることのなかった2軸障害(パーソナリティー障害)が媒介している可能性があるということである。
いずれにせよDSMの2軸障害(パーソナリティー障害)と共存しているグループ(第3群)を除外した場合、青年期において1軸障害に罹患していたグループは、成人期に至っても1軸障害を発症する傾向はみられなかったという結果は注目に値する。
では第2群(パーソナリティー障害のみがみられたグループ)の子供たちは、どのような経過を辿っただろうか。
これもまた少々意外なことに、DSMの2軸障害(パーソナリティー障害)の症状だけがみられ、1軸障害の症状がみられなかった子供たちは、20年後に何らかの精神疾患に罹患する傾向は見られなかった。
ただしこのグループの子供たちが成人するに至ったとき、問題が見られなかったかといえば全くそうではない。
学業の達成度、職業的地位、愛情あるパートナーがいるかどうか、愛情あるパートナーとの関係の質、社会的サポート(長い友情関係が保てるかどうか、など)、健康状態、生活に満足している度合、GAF(機能の全体的評定尺度)、反社会的行動、精神病的経験という10項目からなる、成人の社会的達成と機能の尺度を用いて評価した場合、これらの子供たちはその大半(8項目)で有意にスコアが悪かった。
これはパーソナリティー障害の症状が数多くみられることが、それ自体で長期的な機能不全や苦痛を患者にもたらすようなリスク要因として捉えられるべきであることを示している。
さて問題は1軸障害と2軸障害が共存していたグループ(第3群)である。
この群に属する子供たちが辿ったメンタルヘルス上の転帰は驚くべきものであり、33歳の時点で主要な精神障害に罹患するリスクは、青年期に精神疾患を示すことのなかった子供に比べてほぼ9倍に跳ね上がった。
また成人期に評価をおこなった場合、青年期にこの群に属していた子供たちは、継続的な精神科治療をより多く受ける傾向があり、また向精神薬を服用する傾向もより強かった(Kasenほか、2007)。
また学業の達成度やGAF(機能の全体的評定尺度)は、1軸障害のみ(第1群)、あるいはパーソナリティー障害のみ(第2群)の子供たちにも成人期にマイナスの影響はみられたものの、第3群の子供たちが成人期に示した機能不全はさらに一層著しかった。
DSMの1軸障害と2軸障害(パーソナリティー障害)が共存することで予後が悪化するというこの研究の結果は、成人期の患者に関して最近得られている、さまざまな研究結果と合致するものである(Newton-Howesほか、2006;Skodolほか、2005;Hansenほか、2003;Lewinsohnほか、1997;Kasenほか、2007)。
たとえばパーソナリティー障害が共存している成人のうつ病患者は、そうでない患者に比べて予後が悪化するリスクが2倍高く(Newton-Howesほか、2006)、自殺の既遂率も高い(Kasenほか、2007)。
そして成人のパーソナリティー障害の場合と同じように、青年期のパーソナリティー障害もー測定されていない場合が多いというだけの話でー実際にはDSMの1軸障害と共存していることが多いのである(Kasenほか、1999;Beckerほか, 2006; Crawfordほか, 2001, 2008)。
まとめてみよう。
青年期にパーソナリティー障害の症状がみられた場合、とりわけ1軸障害と共存していた場合には、成人期(33歳)の社会的達成や社会的機能に対して大きなマイナスの影響が生じる傾向がある。
そのマイナスの影響は、学業の達成度、職業的地位、対人関係から精神的機能にまで及んでおり、無視して済ませることが出来る程度をはるかに超えたものだ。
すなわち臨床家が青年期の患者を診察する場合には、1軸障害を評価するだけで済ませるのではなく、パーソナリティー障害の症状がみられるかどうかを慎重に評価する必要があること。
そしてもし共存している場合には、パーソナリティー障害の症状それ自体は、年齢とともに減少していく傾向があることを念頭に置きながらも、予後に関する高リスク群としてフォローし、必要とあればパーソナリティー障害の症状をターゲットとするような形で治療的介入をおこなうこと。
以上のような指針は、青年期の患者を診る臨床家だけでなく、青年期の患者とともに暮らす全ての家族にとっても有益なものであるように思われる。