ネガティブさも極めれば強みとなる(ブラック企業内限定)かも

就職できるかできないか、出世できるかできないかは、業種・職種や応募先・勤務先の社風、上層部の人々との相性にもよると思われる。
なので、

就職できる人の特徴
http://anond.hatelabo.jp/20111014165018


福利厚生充実・人間関係良好・業績安定という理想的な環境の企業ならば、こういう人が採用されるのかもしれない、と思った。


ていうか並列に11項目ではなく、実質1つじゃないかね。


●外見が整っている
  → 幼少の頃から周りから好感を持たれる・やさしくされ、素直に育つ
   → ●性格が良い
   → ●不平不満・文句を言わず、与えられた・与えられてきた環境で成果を出す
   → ●自分が努力した・しなかったから現在の環境にいると思う。だいたい自分と周囲の人のおかげ
   → ●努力は好きな割に、人を褒め、おだて、持ち上げるのはすごい。


   → 性格が良いから
     周囲から頼られる・遊びなどに誘われる → 良い対人関係の経験値を積んでコミュ力UP
      → ●精神年齢が高い
      → ●性格良いから会社でのトラブルを解決する


   → 意地悪された経験がすくないので
    → ●相手は加害者ではないと思うことができる
    → ●たとえ人のせい・社会のせいであっても、自分に原因が少しでもあると考える
    → ●自分より成功している人・ように見える人を憧れる・尊敬する・目指す


        → ●だから物事が長続きする=定着がよい



小さい頃は、生まれ持った容貌の美醜や体型で社会的地位が決まりがち。それがメンタル面で後々まで尾を引くって話かなーと思った。


なので、上記項目に何一つかすりもしない私の同類項様は、

  1. 世の中の評価なんてそんなもんだ、他人は他人、自分は自分と割り切って周囲の反応を受け止め or スルーし、自分を卑下しすぎたりひがんだりしないようにする。
  2. 容姿のイマイチさは髪型や服のセンス、清潔感とさわやかな笑顔でカバーする。


この2点を意識して日々を過ごしていけば、
「就職できる確率が100%ではないが高めではある人」
くらいにはなれるんじゃないかと思う。


一方で。
他人のことをまったく思いやらない非情さと、卓越した話術での自己正当化力、気に入らない奴を精神的に追い詰めて自主退社させるだけのハラスメント技術を持ち合わせている場合は、

就職できない人の特徴
http://anond.hatelabo.jp/20111014163856


この11項目は「就職できない人の特徴」ではなく「過剰なまでの成果主義を採っているブラック企業で他人を蹴散らし出世する人の特徴」になるかもしれないと思った。


この11項目全クリア、専学卒、中小企業勤務から始まって以前より大きな会社へのステップアップ転職を繰り返し、今は誰もが知ってる外資に正社員で勤務、自称年収1000万円、という女をリアルに知っている。
本当に「人を攻撃するときの執着心はすごい」。なぜそこまで他人を憎めるのか、追い詰めようとするのかと驚くくらいの執拗さだった。
気に入らない部下や自分に批判的な上司を粘り強くじわじわと攻撃し、精神的に追い詰めて自主退職に追い込んでいた。
常に不平不満をいい、隙あらば手を抜く=努力しない。
「すべて人のせい」と主張し、絶対に自分の非は認めず、異論反論があがっても力技で押さえ込んでいた。
心のそこから他人をうらみ、ひがみ、自分は被害者と思っているからこそできる徹底した主張っぷりなんだろう。
たぶんアスペルガー自己愛性人格障害じゃないかと思わずにはいられないご気性で、年収だけでなく嫌われ者度も着々とアップしているご様子。


以上のことから。
友達はいらねえ金さえあれば、という考えの人で、かつ「就職できない人の特徴」に数多く該当する人の場合、応募先・勤務先によってはその特徴を強みにして採用・出世を勝ち取ることも可能かも。
そして今時は、ブラックな企業のほうが多いだろうし。強みとして発揮できるフィールドは案外多いかもしれない。


これからの日本の生存適者は、外見が整ってなくて性格が悪い、口達者で何でも人のせいにする、妬み深い人格障害者なのかもしれませんな。

転職を繰り返す人を面接することが多い採用担当者は頭の片隅においといて欲しいこと。

転職を繰り返す人は肝に銘じておいた方が良いこと。
http://d.hatena.ne.jp/takamoto8/20110525/1306297107


このエントリに激しく賛同した人は、いい会社での勤務経験しかないんだろうねーというのが正直な感想。
私もまあ大筋で同意。
しかし例外もあるんじゃない?みたいな話など。


1. 会社側に問題がある場合

前にいた会社で学んだことは何か?


入社前の話とは違い、既存サイトのメンテなどのルーチンしか担当させてもらえず、実務で新たに得られる知識・技術は何一つない、という場合もあるだろうから、学ぶことが何もない=学ぶ力がない、と言い切れない気がする。世の中、学ばせてくれる会社ばかりではないです。
そして実務じゃないと学べないこととかもあるし、実績を伴わない独学知識では評価されないこともある。
そういう会社に長居するということは、実績も積めないのに無駄に歳を食うというデメリットになることも。転職に有利な年齢の上限が迫ってる人ならなおさら、さっさと見切りをつけたくなるかもしれない。

なにより、スキルアップを1年怠れば知識や技術が陳腐化した用済み人材になりかねないWEB屋ならばなおさら、1年も経たずに辞めて最新技術に関われる環境に移りたくなっても無理はないかなと感じました。こういうのはもしかしたら、日進月歩なWEB系ならではの発想ですかね。

むしろ、前にいた会社で学んだことがあるという人は、育ててくれる・学ばせてくれるいい会社でもみすみす捨ててしまう人、いい会社にいても不満の種を見つけるのが得意なネガティブ上手と見られてしまうかもしれません。

そういう人を雇っても、ひととおり仕事を覚えてさあこれからバリバリ働いてもらおうという矢先につまらん理由で辞めてしまうとか、もう学ぶことはないからという「その人限定では向上心あふれるすばらしくもポジティブな理由だが、会社にとっては育て損としかいいようのない理由」で離職するかも、と疑われる可能性もある。

離職理由をどう解釈するかはほんと、その会社次第、採用担当者次第でしょうな。

前の会社の良かったところはどこか?

当初は魅力的に感じた部分もあったのではないだろうか?

前の会社を辞めた時、そういう状況になったのは誰に原因があるのか?自分ではないのか?


これは確かに、転職を繰り返している人はぜひしたほうがいい内省だと私も思いました。

しかし残念なことに、魅力的に感じられる部分を打ち消して有り余るほどのブラックな要素があるとか、会社情報では事実をかなり粉飾してるとか、そういうことを求人や面接の際にオープンにする会社はない、という点も忘れてはいかんでしょう。転職を繰り返している人ご本人も、こういう点を無視してすべては自分のせいと思い込んでしまわないよう注意が必要かと。客観的かつ公正に検証しないとむしろ人生ミスリードしてしまう恐れあり。


また、WEB系、特にEC系の場合、訪問販売とか実演販売系で暴力系な団体とももしかして繋がりが?みたいなヤバめ業者が、ネット販売に事業を拡大しようとしてWEBデザイナーやディレクターを募集する、なんて例もあります。

社長の左手の小指がなかったとか、社内には準構成員的な先輩方がひしめいていてマジで身体的に危険な環境だったとか、同期入社の人が先輩に殴り倒されて脳挫傷で入院しちゃったけど警察に被害届を出さないよう社長がじきじきに脅したらしいとか、入社したとたんに事業が180°方向転換し、違法じゃないけど詐欺くさいよねみたいな事業になっちゃったりとか、下手すると警察のお世話になりかねない内容のベージを作らされそうになったりなどなど、怪我する前に、または前科がつく前に早々に逃げ出さねば!みたいな事情により数ヶ月で離職することもあり得るわけです。

しかし、面接の際に前職のグチ・悪口をいうのはご法度というのが転職活動の基本ですし、特に詐欺くさい云々といった話を正直にしたらしたで、自分自身も犯罪者的集団の一員だったかのように見られてしまう恐れがありますし。

こういう場合なら、たとえコミュニケーション能力を疑われてしまう恐れがあるとしても「上司とうまくいかなくて…」などの転職理由を述べるほうがなんぼかマシ。


というわけで、うまが合う合わないとか、ワンマン経営が納得できず転職、なんて愛らしいレベルではなく、法的(労働法だけでなく商法、刑法、その他もろもろの法)・倫理的にどうよ、人としてどうよなレベルで問題のある会社、まっとうな神経の持ち主なら居続けられない会社というものも世の中にはあるのですよ。信じられないかもしれませんが。

そしてそういう会社ほど数多くの転職者を世に送り出しているし、ヤバイ事態になると書類上は倒産させて親族名義で別会社をささっと起こして事業を継続、ベンチャーづらして爽やかに求人を出したりするし。

そこまでひどい会社だと、自分はそういう会社に居た人間ですと言いたくないがゆえに、スキルアップとか人間関係がちょっと…みたいな、よくありがちな転職理由を語ることがあるかもしれません。


2. 会社は特に問題ないが上司に著しく問題がある場合


人間関係が原因で離職した人の場合、たいていは「離職した人の性格に問題がある」と思われるようですが、上司側のコミュニケーション能力が著しく劣っていたために離職に追い込まれるケースもあります。

上司が自己愛性人格障害とか、神経症で被害妄想っぽくなってるとか、本人気づいてないけど発達障がいがあるなど、部下がどうがんばっても良好な関係が築けないこともあるでしょう。

こういう上司ほど、本当に心のそこから何の疑いもなく「自分には非がない、全面的に相手が悪い」と考え、周囲にもそう主張します。

余談ですが、何故かこういう上司ほど、仕事では直接関わることがない部署や役員、社外の人にはウケがよかったり、社内政治が天才的に上手かったりするんですよね。積極奇異型なアスペルガーさんにはそういう人が多いんだったかな。

そしてそういう上司との人間関係が修復不可能なほど悪化してしまった場合、たいていは人事的な権限においてより弱いほう、つまり部下側が責任をとらされる。

そして社会的にも、辞めたほうに非があるように見られてしまう(非があるから辞めさせられたのだろうと思われてしまう)。

もちろん、それでも上司に逆らうべきじゃないとか、そういう相手でも円満な関係を築くのがコミュニケーション能力だとか社会人基礎力だと思う方も多いでしょうが。
そもそもコミュニケーションというものはどちらか一方だけに強いられた努力義務ではなく、理解しあおう、信頼関係を築こうと互いに努力して成立させるものではないでしょうか。この点ですごく思い違いをしている上司・役員が多いのではないかと常々感じています。
立場に胡坐かいて「さあ俺様に気を遣え、気持ちを読め」と要求し、それに上手く応えられることが「高いコミュニケーション能力」であると思っちゃってる、みたいな?

ましてや精神状態が不健全だったり人格に難があったりする上司が前述の俺様的なんちゃってコミュニケーションを要求している場合、ほんとに対応が難しいです。精神科医でもそういう人との関係構築には苦労するのではないでしょうかね。
相手が自身の問題に無自覚(=治療を受けているわけでもないので改善の見込みナシにして悪化の可能性はアリ)という状況だと、ほんと絶望的な気分になりますよ。
部下がそんな状況でがんばり続けても、心身どちらかもしくは両方を病んでしまうことでしょうよ。とことん頑張りぬいた挙句に鬱になって休職→失職、みたいな流れになってしまうよりも、病んで疲れきる前にさっさと転職し次の職場で活き活きと働くほうが賢明な選択でしょう。


もともとIT系、WEB系は、アスペルガーなどの発達障がいな人が好んで就きたがる分野らしいです。ITバブルとか言われた時代にWEBの世界に入ってきて平社員時代に実績を上げまくり出世した無自覚アスペルガーな人が、そろそろ独立したりマネージャクラスになってたりする頃合ではないかと。

つまり、「部下との人間関係にことごとくつまづいて辞めさせる&新たに求人を出す、ということを繰り返している上司 or 経営者」の生息率がそもそも高い分野かもしれないわけです。

そのため、ITやWEBの分野において「転職する先々で必ず人間関係につまずいてしまう人」は、自分のせいかもしれない可能性が確かに高いけれども、そもそも「新たに配属される部下と必ず上手くいかないコミュニケーション力難アリな上司」に運悪くめぐり合い続けちゃうケースが他業種に比べ高いかもしれない、という点も考慮すべきではと感じます。


以上、WEB系の経歴を持つ人の採用面接を担当する方は、以上のような事情もあるかもねーって程度にでもご認識いただけたらなあと思った次第です。


3. ぶっちゃけなそもそも論をしてしまうと


転職理由なんて聞いたところで正直に語るとは限らない、ていうか人間関係のトラブルが原因ならなおさら、普通は正直にそう言うはずがない。と思ってましたが、最近は正直な転職者が多いんだろうか。
転職回数の多さについては、WEB系IT系に限らずマスコミ系、紙媒体系も、回数が多くても特に不自然じゃないんじゃないかなーと思われます。多くて当たり前ってわけでもないけど。

メディア系に限らず、新卒で非正規雇用とかリストラとかが珍しくもないこんなご時世では、転職理由や回数は採用可否の判断材料にならない項目になりつつあるんじゃないか、とも感じています。

終身雇用は崩壊したとかずいぶん前から言われているのに、「よほどのことがない限り転職はするもんじゃない」とか「転職回数の多い人は性格的に問題がある」みたいな考え方だけは年功序列・終身雇用な時代から変わってないのかなあという気がしてなりません。

企業側に都合のいい金銭的な面については年功序列・終身雇用を崩壊させたけど、それ以外は旧態依然でおk、みたいな不自然さというか違和感というか。



転職回数○回以内の人とかいう応募条件を出している求人情報を時々見かけますが、私はこの情報を「頭の固い人、古い考えの人が君臨している企業 = 発展性・将来性に難がありそうな企業」と読み解いてます。

コミュニケーション能力が高い人、という条件付の求人(常に同じ職種の求人)を1〜2ヶ月おきに出している企業もありますが、これは「在職者側(おそらく採用予定者の上司)の人格等に問題があるので人が居つかないのだが、在職者側はそれを認めず、今まで辞めていった人たちのコミュニケーション力に難があったと硬く信じ込んでいる」というケースかなと見当をつけています。

そういう企業の役員や上司ほど、自社の離職率の高さをいまどきの若者論や大学教育の質、ゆとり教育がどうしたとかいう話にすり替えて、声高に教育批判してるんだろうなーとも思ってます。超買い手市場というぬるま湯につかりすぎたせいで、人事部などの採用担当者が気付かぬうちに傲慢になり、人を見る目を衰えさせてしまってるんじゃないかと。

離職率の高さは自社の体制や在職者に原因があるのではないか? 辞めさせた社員にも良かったところはないか? いいと思う点があったから雇ったのでは? と冷静に考えてみていただきたいものです。


ていうか最近、どんな職種でもコミュニケーション能力を強く求めすぎているような気がします。
技術力も高くコミュニケーション能力も高く企画力もある人希望、というようなマルチにハイレベルな能力を求めておきながら年収300万以下みたいな愉快すぎる求人を時々見かけますが、いくらなんでも高望みしすぎでは。「備わるを一人に求むること無かれ」と孔子もおっしゃってますし。

そこまでマルチな人ならそもそも人に雇われる必要がない、独立して食っていける。つまりそんな人はそもそも応募してこない、となぜ気付かないのかなーと不思議でなりません。妥協して項目をいくつか削除すべきではないかと。

WEBデザイナーの求人なら、コミュニケーション能力について多少大目に見れば、技術的に優秀な人材を確保できる可能性が高いんじゃないかと、経験的にはそう感じます。
WEBディレクターだとコミュニケーション能力重視でしょうか。
WEBディレクター兼WEBデザイナーの求人は、敷居が激高すぎの無茶ぶりしすぎ、ていうかその双方において能力高い人なら独立するだろうよ、と思ってしまうところです。


そして業種を問わず。
転職したいと考えている人は、転職先が現職よりマシとは限らないし、世の中下には下があるのだということをどうかお忘れなきよう
転職先はパラダイスとは限りません。隣の芝は青く着色されただけの枯れ草かも。
現状に不満しか見出せない人は、高い確率で次の職場でも不満のネタを見つけ出すことでしょう。
レベルアップでき、かつ現職を円満に辞められる形の転職以外はできるだけしないほうがいいですよ、と経験者は語ってみる。
しかし精神的もしくは肉体的に甚大な被害を受ける恐れがある職場なら、すぐ逃げるべし。



4. ついでのおまけ話。

辞めた会社の文句をTwitterでつぶやいたりしているのを見かけると


この一文を読んで思い出した、私が過去に面接したWEBデザイナーさんたちのびっくり事例ベスト3。

  1. これまでに応募して落ちた会社の悪口を自分のポートフォリオサイトに掲載
  2. 辞めた会社のグチ・文句を自分のポートフォリオサイトに掲載(それも超長文にして粘着な内容)
  3. 中国某遊園地の巨大立像なんてかわいいもんだぞ♪ というくらい明白に著作権違反な画像データ(本人曰くイラレでの作画力を示すための制作見本)を収めたCDを履歴書・職歴書に添えて提出

こんなポートフォリオのURLを提示してくる・制作見本を提出するなんて、これは何が何でも採用されたくないという意思表示か?と思わずにはいられませんでした。ていうかホビロン
もし以上のことを現在やっちゃってる人がいらっしゃいましたら、即刻やめたほうがいいですよ。

「努力」すること自体より、その前後が重要じゃないかと

最近見た素晴らしい「努力」の定義 - インターネットください


これにつけたブコメの補足。
努力した以上は報われたい、という人は、まずはマネジメントの勉強をしてみるといいかも知れないと思ったので、ちょっと殴り書きしてみる。

PDCAサイクル

  1. Plan (計画):従来の実績や将来の予測などをもとにして業務計画を作成する。
  2. Do  (実施・実行):計画に沿って業務を行う。
  3. Check(点検・評価):業務の実施が計画に沿っているかどうかを確認する。
  4. Act (処置・改善):実施が計画に沿っていない部分を調べて処置をする。

http://ja.wikipedia.org/wiki/PDCA%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%AB


工場での生産管理や品質管理で用いる手法だが、個人の人生にも応用できる手法だと思う。
努力して報われようとするなら、「成功した自分」という製品を製造し世に送り出すための品質管理・生産管理をしたほうがよいんじゃないかな。


努力しても一向に報われない人は、「従来の実績や将来の予測」などを考慮せずに漠然とした計画を立てているのかもしれない。
Pがしっかりしてなければ、そのあとのD(実際の努力)をいくら頑張ったって、そりゃ成果には結びつかないだろう。
しかもCもAもしてなければ、報われないDの無限ループにはまったままで、いずれ疲れてドロップアウトしてしまうんじゃないかね。逆に言えば、PとCとAに注意すれば「努力をしただけ報われる」という上昇するスパイラルに乗っかれる可能性アリと思われる。


そして、成功する人はPあたりでの勘が鋭いと言うか、調査力とか企画力がもともとすごいんだろうと思われる。
特に意識してなくても的を得た選択ができちゃうんじゃないかね。
しかしそれは暗黙知のため成功の秘訣を人から聞かれても言葉にされることはなく、ただ「努力したから」という答えだけが出てきてしまうのかもしれない。
努力が報われた人々は、そもそも闇雲に努力するだけで報われているわけではないんじゃないかね。とも思った。


あと気になったのが。
努力したら『報われる』とか、しても『報われない』とか、受身で考えているあたりでもう『成功』とやらから遠ざかっているんじゃないかなと感じた。
誰にどう報ってもらおうというのか。その人に報ってもらうのでなければダメなのか。
そのへんで視野が狭くなってたり、評価してくれる人を限定しすぎてたりしてないだろうか。
たとえば、勤め先の上司が評価してくれないなら評価してくれそうな会社に転職するという手段もある。「現在の上司の評価」に固執しているせいで、他の人だったら成果と認める結果を出している(=報われる)のに報われないままになってしまってたり。
(とかいって、自己評価が不当に高いお方が「誰も俺の良さを理解しない、馬鹿者ばっかりだ」とか言って新天地を求めて転職を重ねたりする、みたいなのは感心しないが)


努力したら何が何でも『報わせる』とか(合法の範囲内でよろしく)、『どう転んでも報われる』努力の仕方を考えるとか、そういう発想のほうがいいんじゃないだろうか。
その報わせるための重要なプロセスがPDCAサイクルのP、C、Aではないかと思った。


ついでに。
何を基準にして「成功」と捉えるか次第で『報われ』たり『報われ』なかったりするとも思う。
いくら努力しても目に見えた成果を挙げない。これは「成果」を基準にすれば『報われない』と評価されるだろうが、「継続は力なり」基準で評価すれば「努力し続けられるエラい人」という実績を挙げている。
何かにつけ努力しなくていい理由を見つけては何もしない人より、はるかにレベルが上。
現在の方向性では成果を挙げられなかったとしても、別の道でなら成果を挙げちゃうかもしれない。
「成果」という概念に該当するものは世の中いくらでもあるだろうが、その内訳は


 「努力しなくても挙げられる成果」 < 「努力しないと挙げられない成果」


だろうと推測する。
努力しない人よりは努力できる人のほうが、なんかしら成功できる可能性が高いと思う。


注意すべきは、自分向きの「成功」は何か、その目的を自分が達成できる確率はどんなもんかの分析を間違ったら同じことを繰り返した挙句にバーンアウトしちゃいそうってことなんだが、しかしこのへんは千差万別人それぞれだろうから、一概に「こうすればいい」とは誰も言えないだろうなあ。


PSDAサイクルに先立って、自分の労力と時間という資源をどういう方面につぎ込むか、という「選択と集中」が重要かもしれない。


と、前述のブコメ先をさらっと読んだときになんとなく思ったことをとりいそぎ覚書してみました。


あと、努力ネタ関連で期待理論についてもちょっと調べてみたかったんだが、時間がないのでリンクだけ。

期待理論

これを知れば部下の「やる気」を高められる!?〜期待理論

ポーターとローラーの期待理論


成果を挙げた努力だけが努力と認められる

 ∴ 努力すれば報われる


のではなく、


努力する以上は成果が欲しい(という欲がある)

 ∴ 人は成果を挙げない努力を努力と認め(たく)ない


てことかもしれないな、とか、


成果を挙げさせたい経営者サイドがポーターとローラーの期待理論に基づいて社員たちのモチベーションを挙げようとしたら、社員たちはそう受け止めなかったていうか逆効果になっちゃったよ〜、みんな努力って言葉が嫌いになったよ〜みたいな?


とか思ったのだが、期待理論はよく知らんので以上は私の個人的な感想です。
なんかしら参考になりましたら幸いです。


激しく余談だが、最低賃金はいつ1000円になるんだろう。おしえて民主党

Q&A系サイト比較


あくまでも個人的な見解というか、体感的なものというか。
Q&A系サイト・投稿サイトなどをいくつか見てきた感想としては、


2ちゃん < はてな 人力検索yahoo!知恵袋発言小町 < OK Wave(含む「教えて!goo」) < goo ニュース畑


ってかんじ。
イタイ人・思想的にどうよ?な人が多い比率の序列ですが。
2ちゃんの場合は板にもよるんだろうが。


と書いたそばから、そういえば最近、はてなはブックマークしかみてないことに気付く。
そこで超久々に人力検索を見にいったら、「注目」の1位が

「息子を捨てたいです」
ttp://q.hatena.ne.jp/1212713909

だったのでびっくりした。

何がネタで何が本当かを見分ける力がない人には、ほんと危険だよな。ネットって。

著作者本人も正答できない試験問題って教育的にどうよ

問題集から長文が消える 著作権で引用できず

5月25日22時53分配信 産経新聞


 大学入試の過去問題集などで、国語の長文読解問題の一部が掲載されない異例の事態が起きている。評論などを執筆した作家から著作権の許諾が取れていないためだ。教育業界では「教育目的」という大義名分のもとで無許諾転載が慣例化していたが、著作権保護意識の高まりから、大手予備校や出版社などが相次いで提訴されており、引用を自粛する傾向も目立ち始めている。(小田博士)


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080525-00000960-san-soci
http://sankei.jp.msn.com/life/education/080525/edc0805252155001-n1.htm


結論から先に書くと、問題なのは無許諾転載じゃなくて「著作人格権の侵害の慣例化」じゃないかと思われる。
産経は取材不足じゃないか?肝心なことを書き漏らしてないか?という印象を受けたな。
この記事の書き方では、守銭奴な著作者たちが教育なんて関係ねえといわんばかりに権利権利とわめいていると思われかねない。
まあ、中には金目当てで文句を言っている著作者もいるかもしれませんが。


考慮すべきなのは、問題を作っているのが著作者じゃない上に、著作者に相談もなく問題・解答が作られる場合があるらしい、という点だろう。


今はどうか知らないが、私が十数年前に学習参考書や問題集などを手がけている編プロの人から聞いた話では。
教材や試験問題に誰かの著作物を使用しても、使用料云々以前に使用したこと自体もその作品の著作者に連絡しない(事前でも事後でも)という出版社や教育関係者が多いのだとか。


つまり、著作者に相談なく、著作者以外の人が勝手に問題を作って、著作者以外の人が勝手にどれかひとつの解釈を「正解」とし、それ以外の解釈を「間違い」と決め付け、さらに教師・講師が児童・生徒にそれが正しいと教えている恐れがあるわけだ。
そして、場合によっては、著作者の意図とはまったく違うものが「正解」とされかねない
これだと、著作人格権の侵害にあたる恐れがあるだろう。


ブログやっている人なら、自分の身に置き換えて考えてみるといいんじゃないかと思う。

ブログの掲載内容を無断使用されて印刷されたり出版されたりしてあちこちばら撒かれ、その上「この部分について、著者はどう考えているか要約せよ」みたいな設問を勝手に作られてて、自分の考えとはまったく違う考え方・解釈が正解、自分の考え方・解釈が不正解とされていて、それをもとに教育が行なわれている。
自分の著作物をもとにして自分の考え方・解釈が不正解だと世に広められてるのに、自分には了承を求めるどころか著作物を使用したという連絡すらない

みたいな状況に陥ったら、どうだろう。
カネの問題を抜きにしても文句をつけたくなるのでは。
文句をつけても一向に改善されないという状況が何年も続いたら、著作権侵害を根拠にしてそのようなやり方を止めたくなるのでは。


話はそれるが、この記事を見ていろいろ思い出したことがあったので、ちょっとだらだらと覚書。


中島みゆきの「時刻表」という歌の中に、

誰が悪いのかを言い当てて どうすればいいかを書きたてて
評論家やカウンセラーは米を買う
迷える子羊は彼らほど賢い者はいないと思う
あとをついてさえ行けばなんとかなると思う
見えることとそれができることは 別ものだよと米を買う

というくだりがあるのだが。


これを私は

「米を買う=生計を立てる=その人の生き方を表現している」

と解釈していた。


しかし、誰だったか忘れたが評論家?の人がどっかの雑誌だか本だかで、この部分を

「評論家やカウンセラーはどの米がいいと言い、どの米を買えばいいかと書きたてる、しかし庶民はそうと分かっていたって安い米を買わざるを得ないんだ」

というかんじだったかな(かなりうろ覚えですみません)、そんな解釈を披露していたのでびっくりした。この部分は米談義だったのかい、と。


同じく中島みゆきの「あたいの夏休み」という歌の中に、

悲しいのはカレーばかり続くこと

というくだりがありまして。


この部分を私は、

「カレーというものは一人分だけ作るというのが難しいメニューなので、一人暮らしの人がカレーを作ると何日も食べ続けるはめになる → 独り身の悲しさを嘆いている」

と解釈していたんだが。


某TV局の高視聴率クイズ番組でこの歌詞が問題として取り上げられたんだが、その時の設問が、

「歌の主人公は、夏休みの旅行の旅費を捻出するため・生活費を切り詰めるために、ある料理を作りだめして食べている。その料理はなにか」

というようなものだったので、これまたびっくりした。
節約の苦労&悲哀を語っていたのか、この部分は、と。
まあ確かに、庶民の安上がりメニューの代表的なものかもしれないけどさ、カレーは。


この番組が放映されてから何日か後だったかに、中島みゆきさんのラジオ番組宛にこの件を報告したリスナーがいまして。みゆきさん本人はどうやら、自分の歌がクイズの問題に使われたことを知らなかったもよう。
そして上述の設問内容を知った時、みゆきさんは一瞬絶句したっぽかった。
その後、歌は発表された時点で聴く人のもの、どう解釈しようと人それぞれ、どれがあっていてどれが間違いということはない、ってなかんじのことを苦笑気味におっしゃっていました、たしか。


と、ここまで書いた上で念のため歌詞の確認をしてみようか、と思いググって見たら、某ページ(のキャッシュ)では

悲しいのはわかればかり続くこと

とある……。
「カレー」じゃなくて「別れ」だったのか!? いや、カレーのはずだ! 確かに「カレーばかり」と歌っている! はず! なんだが…、「別れ」のほうがみゆきさんっぽいかも…。
なんか記憶力に自信がなくなってきましたよ orz


カレー話はさておき。


歌詞の解釈ならともかく、教育現場で使われるものや試験の問題となると、「どう解釈しようと人それぞれ」とはいかなくなるわけで。
なんかひとつの解釈が正答・それ以外は間違い、となってしまう。そうせざるを得ない面がある。
で、誰が正答を決めるかという点が問題で。前述の通り、教育業界が、著作者に無断で「正しい解釈」「正しい答え」を決めてしまう、という横着なことをしている疑いがある。


もう十何年も前に読んだ雑誌なので、ソースは明確に覚えてないんだが。
知らないうちに自分の作品を試験問題に使われた作家さんが、知り合いから「こんなとこで先生の作品が使われてますよ」と教えてもらい、その問題を解いてみようとしたら正解がまるで分からなかった、解答を見てみたら「え!? なんだこれは!?」と驚くような予期せぬ解釈が正解とされていた。
という体験談を、教育関係雑誌だったか文学系の雑誌だったか?とにかくなんかマイナーな雑誌での対談で(だったかな?激しくうろ覚えですみません)その作家さんが披露していた。そのときの論旨は、「カネ払わずに勝手に使うな!」ではなく、「著作者に相談もせず勝手に正答を決めるな!」という点だった、たしか。


そりゃなあ。


著作者本人も正答できない設問って、教育的にもどうよ


そんな問題を突きつけたら、受験生も迷惑だろうよ。


こういう事情があるならば、そりゃ著作者側も、「教育のためといえども無断で作品を使用するな」とクレームをつけたくなるでしょうよ。


とまあ、こういうような記事を読んだ記憶・伝聞の記憶があったので、この件については著作者団体側を応援したい気分になった。
使用料のことはさておき、背後で著作人格権の問題が起きていそうな気がする。


教育に使用するものならなおさら、著作物を使用するにあたっては事前にきちんと許諾をとった上で、さらに設問と解答のチェックも著作者にさせるべきじゃないだろうか。これは大人のマナーじゃないかね。
しかし、そんなお問い合わせをいちいちやっていたら時間がかかってしょうがないからやらない(→無断で使用、許諾もとらず使用の連絡もせず)、というのが出版や教育関係者の本音じゃないかと思われる。
でもそれでは、職務怠慢を「教育のため」という大義名分で正当化しているだけにすぎないだろう。


上記記事中に、

これに対し、大手予備校の担当者からは「近年は厳密に対処して使用料も払っている。引用を認めてくれない作家が増えれば、授業は成立しなくなる。不利益を被るのは受験生だ」と憂慮する声もある。

というくだりがあるが、受験生に不利益を被らせているのは「引用を認めてくれない作家」ではなく、「横着な設問・解答の作り方をしている人々」ではないのか?という気がしてならなかった。


以上、なんか「教育のために使用されるものなのにお金を要求するなんて!」みたいな解釈をしている人が多いようだったので、ちょっと書いてみた。


それ以前に、国語の長文問題では、何を正解とするか定義すること自体が難しい気もするな。
激しく余談だが、やはり私は、「時刻表」は米の歌だとは思えないし、「あたいの夏休み」の女は節約のためにカレーを食っているのが悲しいのだとも思えない。


ついでに書いておきますが、上記記事中の

曽我陽三理事長は「教育業界は著作権に無頓着過ぎる。きちんと権利処理せずに経費を抑えるのは言語道断」と主張する。

この部分。
知り合いの司書も、教育関係者(公立校の先生)が著作権について無頓着すぎて困る、とこぼしていた。
「教育のため」という錦の御旗のもと、公立図書館に対し著作権法違反としか言いようのないモンスターくさい要求をし、いくら法を説明しても納得してくれないのだとか。
法令を順守しようとしないその姿勢、教育者としてまずいだろうにな。


ネット規制・フィルタリングや児童ポルノの件もそうだが、「教育のため」「子供のため」という大義名分があれば何やってもヨシ!明確な因果関係や根拠がなくてもOK!みたいな風潮が、このところ強すぎる気がする。
そういう姿勢・手法を子供に見せることのほうが、よほど教育的によろしくないんじゃないですかねー。
と、個人的には思う。

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以上の長文エントリについて、著者の言わんとするところは何か、次の中から正しいものをひとつ選びなさい。

  1. やっぱり中島みゆきは偉大だね。
  2. 受験生のためなら何でも大目に見てもらえる/見てやるべきだって思ってるのかよ教育業界。「俗・絶望先生」のネタじゃあるまいし…。
  3. 教育のためだというならなおさら、著作権およびその隣接権は尊重されるべきだ。
  4. 産経ってどうよ。
  5. とかいいつつ、権利権利って小うるさいよね著作者たち。

人の死を報じたニュースを笑うのって

asahi.com:頭撃って死なぬ方法 調べたのに失敗 組員、借金逃れで  - 社会

まあ、B級臭漂うニュースだとは思うけどさ。それにしても、ブクマで

ネタ」とか「アホ」とかってタグがついたり、

アハ体験!」とか「掴みはオッケー」とか「気合と根性が足りない」とか「ダーウィン」とか「」付きのコメントがついたりするのは、

いくらなんでもどうよ。

と思った。
人が「死んだ」というニュースなんですが。


ブクマのコメントでも書いたが、多額の借金を抱えて返済に追われている人の精神状態や価値観、判断力はまっとうではない。ということを私は現実社会で体験してます。
借金に限らず、精神的に追い詰められた人間はトンデモな行動をとりやすいですよ。

詐欺をしようとした暴力団員とはいえ、精神的に追い詰められた挙句の死を笑うなんてなあ。


なんか、

人が悪魔になる時――アブグレイブ虐待とスタンフォード監獄実験(1) | WIRED VISION

状況の力はときとしてきわめて強大となり、感情移入、利他主義、道徳性が機能しなくなり、普通の人どころか善良な人までもが悪に手を染めてしまうということが起こります。

↑ここの動画に出てくる兵士と上記の一文を連想してしまった。
感情移入、利他主義、道徳性が機能してないっぽい印象だ。

「インターネットの匿名性」という“状況の力”のせいなんだろうか。

「準児童ポルノ」規制に名を借りた法による布教に見える

アニメ・漫画・ゲームも「準児童ポルノ」として違法化訴えるキャンペーン MSとヤフーが賛同

なんか反応がすごすぎで怖いんだが…。


以下、推測100%の話。参考になさるもなさらないも、ご自由に。


たぶん、規制をかけたいのは、読者層が女子中高生のマンガ雑誌内のエロくさいマンガじゃないかな。
少女コミックとかかな? 今はどうなのか知らないが、一時期はすごかったらしい。
という話を聞いて、本屋で立ち読みしてみたら、確かに「なんじゃこら」と思っちゃうような内容でしたわ。


結構前に、少コミ掲載のマンガがエロくさいという問題提起をしている意見をネット上で見かけた。
NANA」だったか「僕は妹に恋をする」とかいうタイトルのマンガだったか。僕妹は高校生同士かつ近親相姦という設定の内容でしたかね。読んでないから知らないんですが。実写映画化の話も出ていたはず。結局したのかな。


こういうマンガを主人公と同世代の女子が読むことが教育上よろしくない、ということで、純潔運動を推進している某宗教団体(一般的にはカルトと認識されていて、一時期は合同結婚式霊感商法、マインドコントロールというネタで世間を賑わせてくれた)の信者と思しき人が批判的なことを書いていた。2chのどっかのスレでだったかな。
その方いわく、少女マンガ雑誌の編集者がフェミニストで、「性の解放」とやらを目指すためにそんなマンガを掲載しまくっているのだとか。
で、それはないという冷静なツッコミを他の人に入れられていたと記憶している。
叩きたいのはロリなオタクではなくて、過激なフェミじゃないのかな。


この宗教団体は、結婚しないまま死ぬと地獄に堕ちる、宗教団体の定めに則った性交渉の仕方(三日儀式とか言うんでしたっけ?)をすることで肉体が救済されると教えているらしく。
ついでに教義で男尊女卑を正当化している(ようにしかみえないですな、主体者・相対者という設定は)。
少子化報道が盛んだった頃に、ネット上で「独身者増加と少子化の進行は、勘違いしたバカ女が結婚しようとしないため」みたいなノリでやたらと未婚女性をバッシングする集団が活躍していたが、これも大半はその宗教団体の方々だろう、たぶん。
ちなみに男は叩かない。男がだらしないのは、立ててあげよう・育ててあげようとしない女が悪いから、とお考えらしい。


そして、サタン側に奪われたすべてのモノ、特にカネを神の側に取り戻さなければならないという教えがあるそうで。詳しくは「万物復帰」で検索してください。
一部の信者さんは、非信者を騙してでもカネを巻き上げて献金しなくてはならない、それは巻き上げられる非信者にとってもいいことなのだ、みたいにお考えらしい。だから平気で霊感商法とかやれるんだろうな。


さらに、教義上で共産主義を悪と設定している。
政治的なことも定義する宗教って、珍しいような気もするんだが。そうでもないのかな。


ついでに禁酒・禁煙を信条としているご様子。
タバコがらみの話題で、妙にヒステリックな意見を述べている人の何割かは、この手の人々と推察される。
この人々の困ったところは、医学的・科学的に根拠があるから禁煙推奨というより、宗教上そう定められているから反対している&反対活動をしやすくするために医学的・科学的な根拠をせっせと作り出している、というスタンスに見えることですな。
おかげさまで、タバコの害に関する冷静な意見が、ヒステリック・ものによりトンデモ臭なご意見に埋もれてしまい、探し出すのが大変。宗教的バイアスがかかっているかも、と思うと、どんな疫学的推計も怪しく見えてきてしまうのも困る。
しかも、それらの情報の広め方がちょっとトリッキーだったりすることがあるし。霊感商法で培った技でしょうか。
こういう状況は、むしろ健康増進の妨げになりかねない、結果として非喫煙者にとってもよろしくないと思うんだが。まあそういう話はおいておいて。


こんなふうに、原理主義・性と結婚とカネについて特殊な考え方をする・共産主義者フェミニスト日教組を異常なくらい敵視する、という人々が、ここ数年ネット上でも大活躍しているもようだ。
どうも、インターネット上で積極的に活動しろという指示が上層部から出ているらしい。
元信者の告発ブログとかもかなり攻撃を受けて、閉鎖に追い込まれたりしたようだ。
そしてこの団体の主義主張は、おおむね日本の保守層、特に保守な政治家や高齢者にとって都合のいいものなので、政治家がこの宗教団体の活動をうまく利用しているって印象ですな。


以上、話が児童ポルノから激しくずれてしまって恐縮ですが。
たぶんこの件も、この宗教団体の人々が純潔教育とかいっても「カルトのいうことだから」と思われて相手にされないので、政治家や社会的に通りのいい名称の団体を煽っていろいろ活動させている、というところじゃないかと。
対象が二次元か三次元かとか、実際に被害を被る子どもがいるのかどうかとか、そういうことはどうでもいいんでしょう。
スケベなもんにうつつを抜かしていること自体が宗教的にNG、堕落しているので、そういう行動がとれないように「所持すること自体を違法」としたい、つきつめれば「思想統制をしたい」ってとこじゃないですかね。


参考までに。この手の人々が好んで口を出すネタは、

  • 教育再生(再生会議や産経新聞の主張とこの宗教団体の信者の主張は酷似していると感じます)
  • 純潔教育の推進(コンビニのエロ本狩りをしているPTAとかも、たぶん信者じゃないかな)
  • 身体性重視(オニババ化する女たちがトンデモ本には見えないらしい。出産を通じて宇宙との一体感がどうとかいう部分が特にお気に入りなんですかね)
  • ジェンダー(男女不平等、男は仕事・女は家事、みたいな生き方を推進したいらしい)
  • 喫煙(タバコを発売禁止にしろとは言わずにタバコ税を上げろ、と言うあたりに、自分たちが嫌いなヤツを課税で痛めつけたいという欲望・リンチくささ、という堕落性が感じられるのだが)
  • 韓流賞賛(韓国はアダム国家(主?)で、日本は韓国を経済的に支えるエバ国家(従?)、だったかな。そんなふうに思っているもよう。韓国を大変マンセーしている。「冬のソナタ」ロケ地のスキー場「龍平リゾート」はその宗教団体の所有地だそうだ)


ってとこですか。他にもあるかも。
児童ポルノに限らず、上記の項目がらみの話題で、なんかヒステリックなコメント、時代錯誤なかんじのコメントをネット上で見かけたら、そういう素性の人たちかもと念頭に置いた上で、慎重に読んだほうがよろしいかと思います。


それにしても、やることなすことことごとく、旧日本軍かナチスみたいだわ。という印象を最近受けているんですが。そんなやり方で実現される世界平和ってどうよ、と思われてなりませんですよ。
とつぶやいてみるがレス不要です。ファシストとはあんまり関わりたくないですわ。


ついでにオタがキモイと思っている方や、自分の子どもの身の安全が懸念される親御さん方へ。

個人的には、アニメやマンガよりもアイドルの低年齢化のほうが心配ですわ。
二次元萌えなアニメ・マンガオタより、実在の低年齢アイドルに萌えてハァハァしているアイドルオタクのほうが、より怖くないですかね。
そういう人がうちの会社にはうじゃうじゃいますよ。アニメやマンガには興味を示さないので、ぱっと見には一般的なサラリーマンってかんじ。オタクには見えないです。

それに以前、芸能関係者から「芸能界で生きていこう、売れようと思うなら、18歳以上でデビューしようとするのは遅すぎもいいところ。20代なら絶望的。ローティーンのうちにオーディションを受けないと将来はないね」という意見を聞きましたよ。
児童を商品にしている(性的な意味も含め?)って点では、芸能界のほうがより深刻ではないかと。
日本ユニセフとやらも政治家さんたちも、規制の方向性がちょっと間違ってないかね、という気がしてならないです。勝共活動や発展的な性教育とやらとか、存在が分かりやすいオタクやらに気をとられすぎじゃないだろうか。


以上、余談だらけになっちゃいましたが。
推測100%の私見です。参考になさるもなさらないも、ご自由に。