おーいなるいさん
どもうも、ようやくフェイヒイ(ネコ)との静かなお正月です。
もう1月5日だけど全部の窓を拭きました(最近の自分の行いを反省しながら)。襖をテープしたり、ベッドの向きを変えたり、知らないネコがベッドの下にいたり、カーテンを洗ったり、、にしても去年は大掃除よりも大変だったね!
去年出ました、Music Exists Disc1、で、Grimの曲「heritage」をカバーしています。Grimの方に連絡を取ったところ、CDになったときに聴ければいいとのことで、最後のさいご、CDの完成品が出来てからお送りしたのです。
歌詞を隆司が日本語にしてつけたので、それってどうなんだろ、いやじゃないかな?とか、緊張して色々考えながら待っていたら、喜びにあふれたメールを下さいました。
ほーー、よかった!!こちらはただ好きで、一方的に聴いていて、再発をしたレーベルの方から少し教えてもらいましたが、ほとんど何も知らない、インタビューしたいぐらい!映像もないし、いまだ写真もみてない、考えたら純粋な、、情報は曲だけ。それもいいなー。
それでね、Disc2のときに、こんどは手紙が届いたのです。筆書で、しかもものすごい大きい文字で!間違いは黒く塗りつぶしてある、カッコいい。。これって、ローバートワイアットから手紙来たー、ってよろこんでたビルさんと変わらないよね!
しかも!CDが入ってた。自身のESKIMO RECORDSから、JUN KONAGAYAという名義で(GRIMもソロですが)、「Organ」(2012)、「Travel」の2枚です。かけて驚いた、私のGRIMが聴こえてくる、大好きな知らない曲だー。Grimの活動時期が、1985年〜3年間ほどのはずだから、不思議な気持ちになった。
先日お友達が「進化なんて期待してないよ、私はテニスの新しい曲が聴ければいいの」って言ってくれたのだけど、私はほんとうに驚いた。えっ、進化っていらないの?そうだったのか。
私がGRIMの新しい音楽を、昔聴いたものと同じように好きなのは、変わらずに芯に流れ続けているものが聴こえて、それは、音になり得ないような、そういうものだなきっと。それに気付いたら涙がどんどんでた。
2がきた、冬に鳴った
もう先日のことけど、たかしんぶん2が一瞬焼失して全部きえたの一件があった。神田さん『唯一読んでた新聞だったのに・・』など軽い動揺の声が聞かれて、自分はというと、最近はあまり読んでなかったけど、今読んでみたらすごい面白かった。わざわざ布袋の新譜でもないアルバムの、写真まで撮って載せてさらに感想を書くその熱量におどろく。
Disc2が発売になりました◯ちょうど発売日の日に、マヒトくんと視聴室でライヴがありました。マヒトくんからでてきた歌、声が独立して生きてるみたい、探してるみたい。一緒に歌うと蘇る感覚がある、下山とお寺のライヴのときだった。抽象的ないい方だけど、確かなことだよ。
Tapeと9月にグッゲンハイムでやったとき、一緒に会えてうれしい、でも泣きたい、なんで数回だけなんだろう、遠い国に帰っちゃうんだろう、って、こどもみたいだけど。ライヴのあと、家に帰って行くお客さんにも思うよ、みんなどこに帰るの?って、ずっと一緒にいたいのにな。
朝起きて、といってもまだ午前3時だった。まだ月は煌煌としている。
そのうちに森に歩きにいった。すごいすきなところ。
真っ暗で、月の光しかないところ、電燈が届かないところは、、
あーここだ!この切り株が椅子で、そこにピアノおいてね、とかひとりで。
はっ、ねむい、まだ朝の八時です
さっきまでレゲエきいてました
月に届いてはねかえってきたような音でしょう
なつ
夏になってる、きづいたら!
寒いか暑いかしかないのかな、このお家は、
この作業は・・
大阪にちょいといってきました
宇都宮泰さんが教鞭をとる大阪芸術大学、あこがれの。。
今ならいっぱい勉強できると思ったなー、
しむまでべんきょう
授業の終了後、宇都宮氏の作業するスタジオへご招待をいただき、
やったー!と思って行ったら、何故か私が卓に座り..ミックスしていました。
大丈夫かな、、普段と環境が違うし緊張するだなー
そこから近鉄電車の終電で名古屋へ。
途中、ゴツンという音がして急ブレーキの音。しばらくすると放送が入り、
シカと接触致しました、というので、ブルーになる。
隣の人がきょろきょろしながら、しか、、と声にならないこえでゆった。
名古屋駅前、急遽予定を変えたので、到着したのが夜中12時になってしまい、
わるいなーと思いながら連絡して迎えを待った。
携帯の充電が切れたので、派出所に行くともぬけの空っぽだったので、
かってに充電をさせてもらって連絡をした。
そこから、迎えがこない。。さっき、10分か15分で行くってゆったのになー、と階段に座っていると、「どもー!旅行?」って声をかけられた。
よく見るとあっちでもこっちでも、ナンパのようなことが起こっている派出所前。
もう40分も経っていたので、もう一度電話をかけると、あと、10分、15分くらいです、と言われた。これは、、もう来ないかもしれない、と思いながら、
派出所に一瞬戻って来た女性警官に、さっき電源を借りてしまったんですけど、
と言ったら、それはだめですねとおこられた。
モーすぐ
ごぶさしんぶりです
この打ち文字というのが、どうかなあと
しばらく書いてみませんでした
ただ、もーすぐです!
と打ちたかったのです
モーすぐ
だ!
majikickより
ものしろいや
キチムの展示がはじまりました。
隆司の絵があるから、骨がちゃんとあるから、どんだけはみだしても大丈夫、かなと毎日しろいものを探しています。
きちむにいくほど、時間が経つほど、しろいものやの中みも変わっていく。
それは、ものへのみかたの変化そのものです。
もともと、しろいものや、は、何年もまえに名前だけ思いついた架空のお店でした。そこにはしろいものとそのカゲだけが並んでいる。お店の中は無人のイメージでした。名前をつけたら、かたちになるんだね。
いま、つくっているのは、その空想に近づいていく過程です。
にこにこと見守ってくれているキチムはなんてよい場所なんだろう、そこにともだちが手伝いにきてくれる、しろいものももってきてくれる。わたしはあつめたものを、そこにいてずっと並べかえをしているのがしごとです。できるだけいっぱいみています。でも、みるって、なんだろう。
搬入の日、キチムをでてすぐのところでゴミにすてられたしろい椅子を拾った、それも置いてあります、とてもかわいい。さいきんは家の解体とかもみるし、でもいちばん拾うのは、お家のなか、ひとの家のなかです。タカシの家からも大家さんののこしものがたくさん、そのためずっとものの間で息をしていたぐらいだから、ものにこまりません。そう、タカシの家は、墓地のよこにあるので、カフェ墓地といって、随分あそばせていただいていますが、そこの大家さんは40歳になってから思い立って絵を描き始め、その家で50年間描いていたのです。その方の絵画や絵の道具、資料の本に囲まれ生活をするなかで、タカシが絵を描くようになったのは不思議な自然かなと。
うちからもっていくものも選んで、そのときに持っていかれないものが、自分も連れてけ、というので、やっぱり持っていって飾ってみると、なんだかはりきってるようにみえる。いままで、押し入れにあったもの、みえなかったものが、何かの拍子で表に出てくる、それは偶然じゃない。ものはいのちだと思う。
そうだ、どれもうっているようにみえない、といわれるのですが、うっているようにみえたくないけど、うっているものもあるので、きいてもらえるといいな。タカシの絵はうっていないけど、しろいものやのものに描いたりもしていてそれは買えるので、ずいぶんとくだなと思います。