『ロードマークス』 ロジャー・ゼラズニイ 遠山峻征訳 サンリオSF文庫

ロードマークス (1981年) (サンリオSF文庫)

ロードマークス (1981年) (サンリオSF文庫)

読み始めて50ページ目ぐらいまではほんとに何をしているのか読み取れなかった。章の頭に番号が振ってあったので時系列を入れ替えているのだろうなというのはわかったが、どこまでばらばらにしているのか予測がつかなかった。
 そこら辺まで読んだらまあ全てばらばらにしているんじゃないのがわかって少し落胆したんだけれど、内容がぺらっぺらなくせに形式だけとんがっているつまらない作品じゃなくて、とても面白いんだから良い良い。
 過去未来どこへでも行くことができる〈道〉を旅しているレッド・ドラキーンに対して、黒の十殺が宣言された。黒の十殺とは10回までなら標的に対して攻撃することができて、10回失敗するとやめることになっているというもの。荒くれものの習慣などではなくて、ゲーム局という公的な組織が行っている。
 それで10回攻撃するための人員が紹介されていき、正直こんな奴らに襲われたらどうするんだろうという奴らばっかりだけど、正攻法蒸発天井抜け仲間割れ故障やーめた等等で何とか切り抜けていく。肉弾戦なんかはほとんどないのでそういうものを求めていると肩透かしにあうと思うけど、そんなものを求めてこの本を読む人はいないので多分大丈夫か。あるのはあるが肉弾戦の最中も間に挟まる禅の公案のほうが気になる。
 全体としてはロードノベル+RPGだと思われる。ドラゴンなんかも出てくるし、ダンジョンズ&ドラゴンズでしょう。執筆時期とゲームの発売時期も大丈夫だし、途中にいろいろなネタが埋まっているのはアイテム集めだろうな。ということはディレイニーなら『ノヴァ』が一番しっくりくるのである。

 『イングランド・イングランド』 ジュリアン・バーンズ 古草秀子訳 東京創元社

イングランド・イングランド (海外文学セレクション)

イングランド・イングランド (海外文学セレクション)

 3部構成となっており、1部と3部は2部での中心人物である女性の子供時代と老年生活が描かれている。頁数は約8割が2部にあたるのでまずはここから感想を書いていく。
 単純に書いてしまうと2部はグレートブリテン島のすぐ南にあるワイト島にイングランド中のエンターテインメントコンテンツを集めるレジャー計画と、それに参加している男女の仲の進展が交互に語られていく。レジャー計画ではサー・ジャックという名前のとおり愛国者を中心に進められていくが、この話し合いがめためたおもしろい。サー・ジャックの豪腕にかかれば実現不可能な計画が次々に達成されていく。例えば王室でさえも島内にあるレプリカのバッキンガム宮殿に移ることになる。そうして大人物として描きながらも、ものすごく脱力的な方法で品性が貶められてしまうのが個人的にすばらしいと思うところ。プロジェクトの準備委員会に税金控除として呼ばれたフランス人のコンサルタントが、中身があるようでないようで、やっぱりあるようなないような演説をするが、この部分も最高。人を食ったような、煙にまくような文章というのは読んでいて顔がほころぶのである。
 男女の仲のほうは一読して何が言いたいのかさっぱりわからなかったけれど、解説を読んでまあ納得。こういうのはやっぱりつらいのです。1部や3部もあまり楽しめなかったけど、全体としてとても楽しむことができました。

 わたくしごときが申し上げる事もございません。

只今はジュリアン・バーンズの『イングランドイングランド』を読んでおります。今日中には読み終わり、明日には感想を書くことになると思います。
突然ですが4月から働く事になりまして、その研修として6月までの2ヶ月間は東京に隔離されることになりました。ないとは思いますが用事があるならお早めに連絡をお願いします。それではまた明日。

 戸惑い、足踏み。

油断しているとまったく感想を書かなくなってしまう。何日もかけて読んだ作品があんまりおもしろくなかった場合、自分がいかに楽しめなかったということを書けばよいのだろうが、その作業をするのは恐らくしんどいと推測されるのでうっちゃってしまう、すると書かなくなるのである。つまり悪いのは『英国紳士、エデンへ行く』ということになる、まいったまいった。もうすこしがんばろう。

 10月後半なにを読んだか

前半はSFの傑作ばっかり読んでいたせいか後半はSFをほとんど読まなかったなあ。後半読んだSFは『夜の翼』と『時空の支配者』のニ作品のみ。『時空の支配者』はおもしろかったんだけど『夜の翼』はいけすかない話だった。なにが贖罪だぜまったく。それで後半なにをしていたかというと米澤穂信の再読とか、有栖川有栖とか法月綸太郎とか読んでいました。ミステリの感想なんていまいち何を書いたらいいかよくわからないけれどどれもこれもおもしろかったのでもっと昔の作品も読んでみよう。でもまあ11月はスタージョンが待っている、楽しみ楽しみ。『海を失った男』の解説で触れていた「帰り道」を早く読んでみたい。読みたい本があるというのはすてきなことだね。

 『遠まわりする雛』 米澤穂信 角川書店

遠まわりする雛

遠まわりする雛

古典部4人のメンバーの中では僕は福部里志が一番好きだ。もしかしたら全小説のキャラクターの中でも一番、かもしれない。
 「わたし、気になります」といった癖になる言葉が多くあるが、「データベースは結論を出せない」なんて心惹かれすぎて涙が溢れることよ。普段は飄々としているけれども、からこそ心情を吐露するシーンは映えるというものだろう。
期待されてかつ結果を残せる人間というのは少数しかいないと思うんだ。期待されてうまくいかず挫折してしまった時、ああ俺ってなんであんなことに対して情熱を注いでいたんだろうと一歩引いてみてしまい、なんだかすべてがどうしようもなくなってしまったあとというのは、いかにしてこんな気持ちを二度と味わないようにするか考えるものだと思う。そうして出された結論というのは、いとおしいものだと思いませんか。僕はシンパシーを感じます。これからの福部里志の成長が楽しみになる作品だった。
 さて、「遠まわりする雛」を読んで思うことだが、事の発端や318ページ19行目とか見ていると陣出の行く末は現時点では暗いんだろうね。でも現時点だよ、まだ2年ある!
 

 『わたしを離さないで』 カズオ・イシグロ 土屋政雄訳 早川書房

わたしを離さないで

わたしを離さないで

 生きていればいるぶんだけ後悔は増えていく。生きているということはつまりなにかを選択することであるしそれだけ可能性をつぶしていくことでもある。だから過去を振り返りつぶしてしまった可能性を思い描き、その先を夢想して甘美な思いをめぐらすのは良くある事だと思う。でもその当然のことができないと?そもそももとから可能性がないなら、いったい人生を振り返ってみてどういった感情を抱くのだろうか?
 語り手はキャシー・H。介護人の仕事をしており、へールシャムという閉鎖的な寮の出身であり、寮での生活やそれを出てからなどの三部からなっている。回想という体裁をとっているため、しばしば話が前後してしまうが読みにくさはまったく感じなかった。話は寮においての生活や人間関係が中心であり、ほのかに背後の世界が見えてくるのであるが、世界を提示する文は突然出てくるのでびっくりする。けれど語り手にとっては当然のことであるからそこで読み手と語り手の間に落差が生まれる。その落差を保持したまま読みつづけると、読み手の辿ってきた(辿っている)生活と変わらないと考えていたキャシー・Hたちへールシャムの人々の生活が突然違うものに見えてくる。友達と仲たがいしてしまって、仲直りのきっかけがなかなかつかめない、というエピソードもほんとに感動的にうつるなあ。イシグロの作品は他に『浮世の画家』と『日の名残』の二作品を読んだことがあるり、その二つの作品は父‐子や師匠‐弟子の憧憬や抑圧といった関係が書かれていたが、今作品は一切なし。隔絶、断絶。
 問題はこの作品がSFであるかどうかだが、僕はSFであると断言したい。技術的な面から申し上げるのではなく書かれたのがイギリスであるからだ。H・G・ウェルズが「タイムマシン」を書いてから百年以上たつが、僕たちと彼ら、もしくは彼らと僕たちを巡る話は百年後も書かれつづけているだろう。そのことが僕は少しかなしい。