心から
自分の事を、あまり信用できたことはない。
でもこれはきっと、自分で目標を決めて、それに向かって、
自分なりに努力をしていたなら、きっと信用できるようになるだろう。
でも、他人は?
たまにね、心から誰かを信用して、信じられて頼って、
一途にずっといられたらって思うんだ。
もうこの年になれば、
人は弱い生き物で、完璧じゃないって分かってる。
今の彼が、結果的に私を傷つけることがあっても、
「傷つける」ことがしたかったわけじゃないってくらいは信用してる。
ずっと一緒にいるためには、
どこまでその人の事を許せるかってことくらい、
なんとなく分かってる。
それでもたまに、
誰かの全てを信じられて、安心していたいと思う。
「信じる」って定義が、
よく分からないけど、そう思ってしまう。
もしかしたら、全身全霊をかけて「信じる」ことができるのは、
親子間だけじゃないかと最近思う。
どういったことがあっても、結果がどうでも、
それが精一杯の結果なんだと思えるだろう。
もし誰かを信じることができないのなら、
信じられる側の親になるしかない気がする。
でもなんだか、
書いていて少し寂しい。
恋人と二人でいても、一人ずつ。
二人とも怖がりなだけだろうか。
自分を信用できないからなのだろうか。
何も心から相手に誓えないから、
ただ側にいるのだろうか。
確かにお互い大事に思っていて、
愛していて、
それは確かなことなのに。
連休
金、土、日と彼氏宅に泊まってたのに、あまり実感がないのはほとんど寝ていたせいかも。
金曜は大学終わって、雨の中一人コーヒーとお酒を飲み行った。
土曜は彼氏連れでオールで飲みいった。
可愛い顔した彼が寝てるのをたまに見つつ、好きな人がアコギを弾いてるのや話をしているのを眺めていた。
この人を見ていると、「私はいつまでもこの人を格好いいと思ってるんだろな」と思ってしまう。
この人と彼氏が話してるのをみると、やはりなんとも言えない気分になる。
多分私は贅沢者なんだろな。
大学生活で何をしていた?と聞かれれば、間違いなく私は「恋」しかしてないかもしれない。彼らに影響されて訪れた地、音楽、お酒、思い、それらは数えきれないほどある。私は誰かに影響されないと、行動しないのかもしれない。だからこの生活もいいのかもしれないけど、たまには自分のためだけに頑張りたいとは思うけど、寂しさと孤独感と飢餓感と熱情に負けて、会いたい人の傍に行ってしまう。