なじみの店

sonnakonna2017-04-29

多忙の渦にのまれ会社を辞めようと思っていた頃、ランチをしながら、それでもこの店とは離れがたいと思った。疲れた顔をしていますね、とミカンやジャガイモを、さらには仏画バックをくれたこともあった。浪花の沖縄料理屋さんの話。

脳も体も疲弊しきるなかで、職場に家の鍵を忘れ、終電後の街をさまよっていたとき、ばったり会ったのは休日ランチ店の店員さん。空き部屋に泊まらせてもらい事なきを得た。京都のうどん屋さんの話。

なじみの店ってこんなもんかなぁとにやにやした秋から半年、二つの店がこの4月でしまることになった。
なぜに同時期に。もののあはれなどと、しみじみしていられない。ただ、ずどんとさみしい。
いただいた仏画バックを目にしたとき、いただいた雪花菜味噌が熟成したとき、またさみしさが降ってくるのだろう。12の職を旅した因果応報か。「残されたほうがさみしいこと、もうわかりましたよう!」

されど、浪花のしがらみがなくなった。それを暗示としていいのか、悪いのか、踏ん切りはつかないけれど。

約100人のブックカバー展


渋谷で開催される「約100人のブックカバー展」に応募した。架空の本屋のブックカバーを展示するという愉快な催しだ。
100人も参加するんだから、審査ありと言えど大丈夫でしょう、とタカをくくっていたら、事前連絡はこないし入選者一覧の中に名前はない。
ヒャーハー、おごりを埋めるため心の砂漠をさまよい、それが成仏した頃、娑婆より入選の連絡が。不思議なことに、再確認したら一覧に名前があったのですよ。さまよった分ヒャッハーと嬉しくありがたい。

そんなわけで、晴れて「約100人のブックカバー展」に「サハ書店」として参加しますよ。「サハ」は、電車のサ(運転席もモータもない)ハ(普通車両)で、なんでもない普通の本をおいています(つまり普通の本屋ということに)。
浪花のレトロ印刷屋JAMがプリントするブックカバー、どんな感じになるのやら。お江戸の方、よければ、ごろうじませ。


約100人のブックカバー展
日時:2014年3月12日(水)ー26日(水)午前10時〜午後9時(最終日午後5時まで)
場所:渋谷PARCO PART1 B1階 ロゴスギャラリー

蛇腹の子供たち

アコーディオンの発表会「Les Enfants Du Soufflet--蛇腹の子供たち--」に出る。
一年半ごとの開催だから、例えば職場だったらひと月で終えるであろう名前覚えに、5年もの歳月を費やしたりする。覚えては忘れる。でも演奏とか選曲とかとともにじわじわ覚えた人たちは、じっくり煮込んだボルシチのような味わいがあるもので、幼児から70代まで、ボタンアコーディオンが好きな人たちが集まって、毎度楽しい。

今回は、かとうかなこ先生の「忘却のキス」を弾く。これまでにないくらい緊張した。上手に弾けるかな、間違えるかな、客席で舞台を眺めながら、いらんことを考えて、失敗する自分の映像を何度も見る。
そうだ、本番で練習のように弾けないのは、練習どおり弾きたい体を自意識が邪魔しているのだ、体に委ねよう、となんとか思い至る。

事前のラジオ体操の演奏で体がほぐれたのもよかったのだろう、本番では気持ちよく弾けた。「おっ次は難しいフレーズですね」「聴衆の前にいますね〜ヒヒヒ」「舞台に住む魔物に打ち勝てるか」など、次々に浮かぶ思考(と五輪解説者)を制しつつ。まったく自意識ってなんなのか、とんだじゃじゃ馬である。

打ち上げの〆の挨拶で、先生が「自分で弾こうと思わず、楽器に弾いてもらうといい」と言っていた。そうか〜と腑に落ちる。委ねることだ。

今回はロビーで「蛇腹の赤子たち展」として、紙工作も展示させてもらい、いろいろと面白かった。

宍道湖うさぎ

妹の縁結びにつきあい出雲大社を参ってきた。
おりしも平成の大遷宮の年の「神あり月」直前、神さまご一行を迎えるのにてんてこ舞いなのだろう。出雲の宿泊所はのきなみ満杯だったので、松江市に宿泊した。

松江市と言えば島根県立美術館せんとくんの作者・籔内佐斗司が作った「宍道湖うさぎ」を見に行く。
美術館の庭にうさぎ像は全部で12匹、ぴょんぴょんとはねる像が続いて、最後に宍道湖(しんじこ)に思いを馳せる像で終わる。ワニ(サメ)の背中をとんだ日々でも思い出しているのだろうか。


ここにも民間ご縁療法が。2番目のうさぎをなでると、ご縁に効くそうで、そのうさぎだけ、なでられすぎてツルンツルンになっていた。さらに、うさぎの足下には大量のシジミが。いくら宍道湖名物といえど、これはヘンテコリンだ。シジミは生きたまま供えられるのだろうか、美術館の人も悪臭で参っていることだろう。お客様、館内にシジミの持ち込みは困ります、と毎日言ってもこのありさまなのだろう。
そんな天の邪鬼とあやかりたい小市民が交錯したので、全体のウサギをバランスよくなでてみた。何事も中庸である。
そうしたところ、うさぎの前足の配置がおかしいことに気づいた。うさぎの足跡は
  ↑(進行方向)

●  ● 後足

  ●   前足

  ●   前足

だから、前足は前後に並ぶはずなのだが、この像は横並びだった。神話時代のうさぎといえど、こういうの気になる。
梅棹忠夫のメモ、ほぼ日より

あとで確認したら、シジミの件、島根県立美術館HPでは公認していた。そして殻を無料で提供しているそうだ。いやはやなんとも懐が深い。うさぎはシジミを食べるし、足の配置なんてなんでも、ええじゃないか、という豪胆さを感じた。
「最近では前から2番目のうさぎを触ると幸せが訪れるといううわさで大人気!さらに宍道湖名物“しじみ”を供えると効果がアップすると言われています。」(島根県立美術館HP

妹は「出雲 縁結び空港」を使いたがったが、例の通り満杯で、泣く泣く「米子 鬼太郎空港」から東京に帰っていった。台風ですごく遅れたそうだ。

つみきのいえ

伊丹市立美術館の加藤久仁生展に行く。米国アカデミー賞受賞作「つみきのいえ」監督である。

0.或る旅人の日記
会場に入ると物悲しいアコーディオンの音色。「或る旅人の日記」というFlashアニメが流れていた。脚長ブタを連れた旅人が空想の国トルタリアを旅し、巨大なカエルの背に立つ街や、一杯のコーヒーを飲む間のファンタジーやなんやかやと、説明文では遠く難解だった言葉の数々が、動画を見ると一瞬にして解けて親和してゆくから、アニメってすごい。

1.つみきのいえ
メインの展示「つみきのいえ」で、作品を縁どるのは、跳び箱のような台形の木製 展示ケース。大きさもいろいろ、つみきのようで楽しい。脚本からアイディアスケッチ、絵コンテ、原画、背景画まで、ふんだんに展示されていて、作者の脳や制作風景をのぞき見できる。ちなみに加藤氏はマルマンのクロッキー帳とロールバンを愛用している様子。おばちゃんたちが「TVのプロフェッショナルでも宮崎駿のやっていたけど、アニメって作るの大変やねー」と異口同音にシンプルな感想を述べて通り過ぎていく。本当にねぇ。

2.あらすじ、情景
「0.或る旅人の日記」が「つみきのいえ夜明け前」ならば、展示の最後は、いわば「つみきのいえバブルその後」。世界的な賞をとってから青年はそれからどうアニメと向き合っているのか。今回の展示でここが一番よかった。アニメ「情景」は自身の記憶に嘘とユーモアをミックスしたもので、これまでの浮遊感はそのままに片足根ざした感じだ。なんかなつかしくて眠い。来場者の感想文にも「鉄棒できずに小学校を卒業したことを思い出した」とあった。わたしもピアノ教室で、黒鍵と白鍵にいざなわれて明後日の世界を旅したことを思い出した。ピアノは上達しなかった。

伊丹市立美術館はいつも、ボリュームも見せ方もちょうどよい。9月1日まで。

還暦エキスポ

イラストレーターの安齋肇さん、よく知らないが、ちゃらんぽらんでちょっと破廉恥なイメージがある。「若いころ、よく安西水丸さんと間違えられて仕事もらってね、そのころ全てのものにオチンチンつける絵かいてたのにさァ」先日のワークショップでの発言で、そのイメージは濃厚となったところだ。タモリ倶楽部にも出ているというし。

そんな折、安齋氏の展覧会があるというので、梅田(大阪)のロフトに行く。安齋氏の制作物をメインとしながらも、同時に、趣味で集めたダルマなど非制作物も展示されていて、どうしたことか、ややこしい。おまけに太陽の塔のようなモニュメントまでそびえている。なんだ、これは。
よくよくパンフレットを読むと「安齋肇 還暦博覧会 ―大阪の陣― anzai expo 60」というタイトルだった。「60年のアレヤコレヤをズラリズラズラと展示」しているそうな。なるほど、なるほど。今年12月21日に還暦を迎えるそうで、こんなエキスポしてもらえるなんていいなぁ。すべての順路をまわった後は安齋肇の脳内巡りをしたような、そしてそれを自身の記憶と履き違えるような変な気持ちになった。そして、ちゃらんぽらんなイメージは変わらないけど、そこに「ちゃんとしている」が付加された。

そういえばワークショップでもちゃんとした発言もあった。「目をつむったり左手で絵を描いたりすると、味わいのあるいい絵が描けるけど、そんなの利き手がかわいそうじゃん。右手でも左手を超える味わいのいい絵が描こうぜ。プロの手はそんな手」。

ちゃんとしているちゃらんぽらん男子60歳の博覧会は9月10日まで。
  

初高座

繁昌亭での落語講座も残りひと月。次の中級コースにすすむ人もあれば、仕事やミュージカルなどで予定がつかず無理と言う人も多く、おじさんたちと共に進級前のようなおセンチ感を味わっている。

そして修了式の発表会のひのき舞台に立てることになった。やったね!と思ったのもつかの間、ヨガのデモクラスと重なり、あわわと忙しい。
講師の一人 桂蝶六さんいわく「僕の師匠の言葉やけど、初高座のときは何かひとつだけテーマをもっていけばいい」とのこと。はてさて、テーマ? すでにストーリーのある落語に演者のテーマとは何ぞや。蝶六さんの例は「元気」とか「かわいい」とか―――ますますぴんとこない。


そんななか、ヨガのデモクラスがあった。これはクラスメイトを生徒に見立て1時間クラスをするというもの。すでにヨガ慣れしている人々が新鮮にできるよう構成して、イメージは「祭」。輪になって踊るようにヨガをしよう、ドンドンピャララーとつきすすんで、下手なインストラクションながらゲラゲラ笑って楽しんでもらえたよう。わき道はすいてます。

はた。落語では、間とかイントネーションとか、どうにも難しくてかなわない。そういうことは場数を踏まないとどうにもならないのだから、初高座ではそれにとらわれずにつきすすむべし。演者のテーマというのはそういうオマジナイかなーと思った。じゃあわたしは「ドンドンピャララー」を護符にしよう。



平日ですがよかったらどうぞ。無料です。

                                                                              • -

繁昌亭落語家入門講座 修了式(発表会付)
■日時:3月13日 9:00開場 9:30開演
■場所:繁昌亭
■内容:生徒6人によるリレーで2席 + 桂蝶六さんの1席
    (はじめに襲名の儀あり)

                                                                              • -