イデア叡知文明とプラトニック・シナジー文明について、その他

イデア叡知文明とプラトニック・シナジー文明について


テーマ:PLATONIC SYNERGY


私は、先に、かつて、プラトニック・シナジー文明があったと述べた。例えば、プラトンの『ティマイオス』で言及されている「アトランティス」の文明がそうではないかと示唆した。
 では、もしそうならば、どうして、それは、滅亡したのだろうか。イデア叡知の文明ならば、滅亡を避けられたのではないだろうか。それとも、避けられない偶然の天災(大洪水伝説:ノアの箱船:『ギルガメシュ叙事詩』のウトナピシュティム(賢者)の語る大洪水、等)によって、「大陸」が沈没したのだろうか。
 後で検討したいが、問題は、本当に、かつてプラトニック・シナジー文明があったのか、ということである。それは、違うように考えられるのである。不連続的差異論&プラトニック・シナジー理論の独創性の中心の一つは、連続・同一性超越構造を解体して、完全に脱却する視点にあると言えよう。平明に言えば、利己主義、自己中心主義から脱却する明晰な論理を提示したことである。仏教やフッサール現象学に存する、自我からの脱却の志向を、差異論として、簡潔に提示できたことである。そう、さらに、差異共振シナジー事象を提示することで、差異と差異との共振的創造(共創造)性を発見した。これらの意味は、もはや、自己中心主義、エゴイズムはあり得ないということである。
 推測であるが、もし、アトランティス文明やその他の高度古代文明があったとしても、おそらく、プラトニック・シナジー理論が達したポスト・利己主義、ポスト自己中心主義に達していなかったのではないかと思われるのである。この点は、実に、最高度に重要な点の一つであろう。これは、大澤真幸氏の「アイロニカルな没入」の観念にも通じるのであるが、また、ポストモダンの問題にも関係するが、現象界、自我ないし近代的自我から、メディア界へと移動するときに、超越構造(ほぼ、カントの超越論的形式)を介することになる。しかし、この構造は、差異と同一性の両面をもつ構造であるから、メディア界に達したと考えても、実は、構造からは脱却していないという事態が生起する、ないし、生起したのである。ポスト構造主義の問題は、ここにあったのである。脱構造化すべきであったのに、構造に囚われていたのである。ドゥルーズの差異=微分論や、デリダ脱構築理論における同一性(「ロゴス」)の保持に明らかなように。
 私見では、脱自我、ポスト自我の思想は、これまで、仏教、プラトン哲学、フッサール現象学、他において存したが、十分ではなく、初めて、DDPS理論が明確に解明したと考えられるのである。つまり、プラトニック・シナジー理論以前には、プラトニック・シナジー文明はなかったと考えられるのである。おそらく、イデア叡知文明はあったろうが、プラトニック・シナジー文明はなかったと考えられるのである。
 ここで、推察するに、イデア叡知文明として、アトランティス文明があったと作業仮説して言えば、それが、滅びたのは、構造、超越連続・同一性構造から脱却できず、利己主義、自己中心主義が蔓延したからではないだろうか、ちょうど、現代西洋文明のように。つまり、アトランティス文明は、イデア叡知を知覚していたが、構造の敷居から、知覚したのではないだろうか。連続・同一性の窓から、イデア叡知光を視覚していたのではないだろうか。
 ということで、プラトニック・シナジー文明とは、21世紀以降において、創造されると考えられるのである。


参考:
アトランティス
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
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この項目では伝説の大陸について説明しています。
スペースシャトル ・オービタ についてはアトランティス (オービタ) をご覧ください。
アトランティス
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アトランティス

アトランティス(Ατλαντις)とは、かつて大西洋 に存在し、神の怒りによって海中に沈められたと伝えられる島 もしくは大陸 のことである。アトランティスとは「アトラスの島」の意。

古代ギリシア の哲学者 、プラトン の著書『クリティアス 』と『ティマイオス 』の中に登場することで広く知られている。 19世紀、アメリカ の作家イグネイシャス・ダンリーが著書『アトランティス』を発表したとき、謎の大陸伝説として一大ブームとなった。

近年の研究によって、地中海 にあるサントリーニ島 の火山噴火 によって、紀元前1400年 ごろに突然滅んだミノア王国 がアトランティス伝説のもとになったとする説が浮上してきた。また、ヘラクレスの柱をダーダネルス海峡とし、トロイア 文明と重ねる人もいる。しかし、大西洋のどこかにアトランティスがあると信じる人も未だ存在する。

なお、アトランティスの直接的モデルとなるような事件そのものが存在しないという説も有力である点に注意されたい。
目次
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* 1 伝説によるアトランティス
o 1.1 プラトンの『クリティアス』
* 2 代表的な諸説
o 2.1 地中海説
o 2.2 大西洋説
* 3 科学的研究
* 4 エジプト文明との関係の指摘
* 5 フィクションへの影響
* 6 参考文献
* 7 関連項目
* 8 外部リンク

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伝説によるアトランティス
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プラトンの『クリティアス』

紀元前6世紀 のギリシア の政治家 ソロン が、エジプト の神官 から伝え聞いた話(伝説 )を、友人のドロピデスに伝え、その息子のクリティアスが引継ぎ、同名の息子クリティアスが編纂したものとされているが、実際にはプラトンが編纂したものである。

アトランティスの消滅は、ソロンの時代を遡る事約9000年前、つまり紀元前9560年頃の出来事であると『クリティアス』には記述されている。また、その位置をヘラクレスの柱の向こう側としている。ヘラクレス の柱とは普通、地中海と大西洋をつなぐジブラルタル海峡 の2つの山のことを指すため、アトランティスは大西洋にあると考えられてきた。

プラトンの書き記した伝説(ミュートス)は次のとおりである。

豊かな資源を背後に強大な力を誇ったとされ、その支配は地中海全域に及んでいた。ポセイドン が自分の持ち前として受け取った土地で、ポセイドンを先祖とする十人の王によって収められていた。国土の中心には守護神としてポセイドンを祀り、環状の運河をめぐらした首都があった。首都中央のアクロポリス の中には金 ・銀 ・象牙 で飾り付けられた神殿 があったとされる。非常に富み栄えていたが、次第に堕落した。ギリシアを攻めたがアテナイを中心とするギリシア人に抵抗され潰えたとされる。堕落が頂点に達したため、ゼウス によって海中に沈められた。

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代表的な諸説

アトランティスの研究においては、「ヘラクレスの柱」解釈をめぐる位置問題とアトランティスを滅ぼしたとされる「洪水」の年代問題を考証することで議論がおこなわれている。
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地中海説

サントリーニ島 の火山噴火説が現在有力。サントリーニ島阿蘇山 のような巨大なカルデラ の島であり、サントリーニ島の爆発による津波 によって滅んだミノア王国(クレタ文明 )をアトランティスとする。年代、及び位置についてはプラトンの誇張としている。
誇張説とは、プラトンの記録が単位について全て1桁多く誤って記述しているとするもので、エジプトの司祭が100をあらわす象形文字と1000をあらわす象形文字を誤って記録したためという。年代は、プラトンの9000年前でなく900年前ならほぼ一致するし、アトランティスの大きさも記録の10 分の1であれば納得できるとされている。
ガラノプロスはアトランティス伝説に登場する「ヘラクレスの柱」が、この場合ジブラルタル海峡を指すのではなく、現在のギリシャ南部にあるマタパン岬--当時の言葉で言えばマレアスとテナロンだとされ、地形上の特性にかなっているという--であると見ている。ガラノプロスはプラトンアトランティスを青銅器文明だと述べているといい、クレタ文明が青銅器文明であることに合致するという。

また、周辺の海底に文明の痕跡が沈んでいるのが発見されているマルタ島 の巨石文明をアトランティスとする説も唱えられている。この説では、暦の違いを把握していなかったプラトンが年代を大きく見積もりすぎたとしており、その点を修正すると、島内の神殿遺跡などと同じ5000年前あたりになるとする。

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大西洋説

プラトンの叙述をそのまま適用すると大西洋にアトランティスがある。大西洋説では、アイルランド の地形が伝説と似ているため、アイルランド津波で沈んだように見えたのではと言う説が近年発表されている。アイルランドにはケルト人 の伝承として、イスの海没の伝説 がある。しかし関連性は指摘されていない。

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科学的研究

* 1939年 - ギリシア の考古学者 マリナトスが、クレタ島 の北岸に位置するアムニソス にある宮殿を調査。宮殿の崩壊が津波 によるものであることを発見。同時に火山灰 が厚く堆積していることも確認した。
* 1956年 - アテネ 大学の地震学者 ガラノプロスがサントリーニ島を調査。炭素14法 で、島の噴火が紀元前1400年ごろであることが分かった。
* 1967年 - マリナトスがサントリーニ島の南端に位置するアクロテリ で火山灰の中から宮殿を発見。クレタ島サントリーニ島が、あわせてミノア王国であったとするフレスコ画 を発見。

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エジプト文明との関係の指摘

『エメラルド・タブレット 』は「エジプト のギザ の大ピラミッド の中から発見されたとの伝説をもつが、これには歴史的に伝承されたものと近年モーリス・ドリール により発見された「世界最古の書籍 」である原本と称するものがあり、その原本には、その著者はアトランティスの祭司王トート であり、タブレットⅠの文頭にて『われアトランティス人トート は、諸神秘の精通者、諸記録の管理者、力ある王、正魔術師にして世々代々生き続ける者なるが…』と書かれているといわれている。

またグラハム・ハンコック の『神々の指紋』によれば、原本にはギザ のピラミッド はトート が造ったとも記載されていることからエジプト 文明の源流がアトランティスにあることも推測ができるとしている。

* ただし原本のエメラルド・タブレットは、原史料 の公開もなく他に写本 もないことから学者からはその正確性を疑問視されている。

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フィクションへの影響

* 『指輪物語 』- 作品中のヌーメノール はトールキン によるアトランティス伝説の変形である。
* 光瀬龍百億の昼と千億の夜アトランティス惑星開発委員会による人為的開発であり、高度な科学文明を有していた。海中に沈んだ後はエジプトに過去の文明を伝えながら遺民が生活している。プラトンが登場し、アトランティスの文明について調査旅行を行う。
* 『海底二万リーグ 』-ジュール・ヴェルヌ の古典的SF 小説。潜水艦 小説のはしりでもある。作中でアトランティス海底遺跡が登場。
* 『ふしぎの海のナディア 』(The Secret of Blue Water)はガイナックス によるSFアニメ。主人公ナディアはアトランティス人の生き残りであり、アトランティス復活を狙う秘密結社ネオアトランティスに追われている。『海底二万リーグ』『神秘の島』に影響を受けている。
* 『アトランティス 失われた帝国 』(Atlantis: The Lost Empire)− ディズニー によるアニメ映画。ヴェルヌ作品の影響下にあるが、同時に上記作品の盗作 疑惑がある。
* 『風の大陸 』 - 竹河聖ファンタジー小説。一万年以上前のまだアトランティスが沈んでいなかった時代を描いた仮想歴史小説。『巡検使カルナー 』など時代を違えたシリーズ作品も複数ある。
* 『ドラえもん のび太の海底鬼岩城 』-大西洋にある海底の国としてムー (太平洋)とともに登場する。
* 平成『ガメラ 』− アトランティス人が生み出した巨大生命体とされている。
* 『イリヤッド〜入矢堂見聞録〜』 -東周斎雅楽 原作、魚戸おさむ 画の本格考古学アドベンチャー・ロマン漫画。アトランティス伝説の謎へ挑む考古学者に、秘密結社“山の老人”の影が忍び寄る。2002年よりビッグコミックオリジナル に連載。

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参考文献

* 『地球物理学者 竹内均旧約聖書竹内均 著 ISBN 4810380017
* 『スタイビング教授の超古代文明謎解き講座』 ウィリアム・H・スタイビング著 福岡洋一訳 ISBN 4872334825
* 『プラトンアトランティス』 L・スプレイグ・ディ=キャンプ 著 小泉源太郎訳 ISBN 4894563657

大陸書房刊 『幻想大陸』 の改題再刊

* 『トンデモ超常現象99の真相』 と学会 著(山本弘 志水一夫 皆神龍太郎 ) ISBN 4896912519 ISBN 4796618007
* 『神々の指紋グラハム・ハンコック 著、大地瞬訳
* 『アトランティス物語 失われた帝国の全貌』エドガー・エバンス・ケイシー 著、林 陽訳

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関連項目

* 架空の国一覧
* 伝説上の大陸
* 超古代文明
* エメラルド・タブレット
* オリハルコン
* 西インド諸島
* ニューアトランティス
* エイジ・オブ・ミソロジー (実際ゼウス などギリシャ神話に登場する英雄などが登場する)

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外部リンク

* Perseus Digital Library (プラトンの作品を始めとするギリシア・ローマの古典が原文で読める。)
* Atlantis (スペイン語/英語)
* Gmter
* エメラルド・タブレット

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B9 " より作成
英語版:
http://en.wikipedia.org/wiki/Atlantis

カテゴリ : 伝説の歴史 | 超古代文明 | プラトン | 神話・伝説の土地


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プラトニック・シナジー理論はてな
テーマ:PLATONIC SYNERGY
プラトニック・シナジー理論 ぷらとにっくしなじーりろん
正式名:NEW PLATONIC SYNERGY THEORY

不連続的差異論 の進展として、本理論 が形成された。

不連続的差異論 が、不連続的差異 としてのイデア ないし差異の創造

によって、ポストモダン ないしポスト 構造主義 の欠点 を克服した、

構造主義 としての差異論 であると考えられる。

 それに対して、本理論 は、不連続的差異 ・イデア の零度共振 シナジー

様相に着目した点で、さらに進展したものと考えられるのである。

不連続的差異 の零度共振 シナジー様相は不連続的差異 の共立する

ダイナミックな様相であり、本質的に創造的ないし共創造的な領域である。

 鈴木 大拙 氏の即非の論理 がもっとも明快・明確に、差異共振 シナジー様相を

説明するものと考えられる。なお、ウスペンス キーの『ターシャム ・オルガヌム

の「第三の論理 学」も、これを説明するものと考えられる。

簡単に図式化すると、

    ★不連続的差異論 ★

1.イデア 界/2.メディア 界/3.現象界

        ↓

        ↓  

    ★プラトニック・シナジー理論

1.不連続的差異 の共立(根源)/2.不連続的差異 の零度共振 シナジー/3.同一性現象界

尚、詳細については、以下のブログ を参照されたい。

http://main.platonicsynergy.org/

http://theory.platonicsynergy.org/

http://blog.kaisetsu.org/

http://ameblo.jp/renshi/theme-10002391554.html

http://www.doblog.com/weblog/myblog/53913?TYPE=1&genreid=142990

参考

『新編 東洋 的な見方』 (岩波文庫 )

鈴木 大拙 (著), 上田 閑照 (編集 )

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4003332326/sr=8-1/qid=1158998392/ref=sr_1_1/249-9325302-2790723?ie=UTF8&s=gateway

『ターシャム ・オルガヌム (第三の思考 規範 )―世界の謎への鍵 』

P.D. ウスペンス キー (著), P.D. コスモス ライブラリー 、高橋 弘泰 (翻訳 ), 小森 健太朗

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4795223793/ref=sr_11_1/249-9325302-2790723?ie=UTF8


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メディア平面における連続・同一性視点中心主義の原因について


テーマ:ソフィエンスsophience


「同一性面による差異面の否定力学解明へ向けて;同一性共同体権力と差異の否定・排除・隠蔽」
http://ameblo.jp/renshi/entry-10017402117.html#cbox

以上の論考は、かなり、差異/同一性の対極性の問題を明確にしたと考えられるが、なお、不十分な部分があるので、ここで検討したい。
 いちおう、これまでの議論を整理すると、不連続的差異の零度共振シナジーであるメディア平面(メディア空間)において、不連続的差異・イデアによる両極的志向性、即ち、連続・同一性志向性と不連続・差異志向性の両志向性が並存している。即ち、不連続的差異・イデアシナジーは、連続・同一性面視点と不連続・差異面視点の、両視点を並存させていると考えられるのである。
 しかし、ここで、作業仮説すると、視点のユラギが存在して、連続・同一性視点へ傾斜したり、不連続・差異視点へと傾斜すると考えられるのである。この視点のユラギであるが、これは、正に、永遠のユラギというべきものであろう。これは、時間的ではなくて、無時間的である。永遠におけるユラギである。
 そして、連続・同一性視点へ傾斜するとき、そこでは、父権制一神教、西洋文明が発生すると考えられるし、反対に、不連続・差異視点への傾斜すると、母権制多神教、東洋文明が発生すると考えられるだろう。この両面的視点のユラギにおいて、一神教多神教も一つ、一如である。(この点から、先に述べたが、イシス・オシリス神話の投影としてのヤハウェキリスト教が考えられよう。)
 問題は、どうして、近代的自我におけるように、連続・同一性が中心となり、差異が否定・排除・隠蔽されたままであるのか、というような点にある。両視点のユラギから見ると、不連続・差異視点も並存しているのであるから、連続・同一性視点中心のままであるのは、ありえないことであると考えられるのである。
 この点に関しては、父権的同一性共同体が発生して、その権力を帯びる為に、差異視点が否定・排除・隠蔽されたままであると述べた。そうならば、同一性共同体権力が、同一性視点を固着させているということになるだろう。つまり、暴力・恫喝・攻撃が、同一性視点中心主義を維持させていることになる。恐れ、恐怖、怯懦が、同一性視点中心主義を保持させているのである。しかし、これは、外的な力の問題である。
 しかしながら、不連続・差異視点は、内面に並存しているので、顕在化しているのである。つまり、同一性視点中心主義であっても、そこには、不連続・差異視点が並存しているのである。つまり、近代的自我においても、不連続・差異視点ないし不連続・差異面が並存しているのである。
 では、何処に、それが、並存しているのか。この点に関しては、カント哲学を考えるといいだろう。つまり、物自体が不連続・差異視点ないしその面なのである。物自体は、カント哲学では、理論化できなかったが、物自体が存在していることは確かなことなのである。超越論的形式が、連続・同一性と言えよう。また、純粋理性であるが、それは、思うに、メディア/現象境界におけるメディア面であろう。つまり、超越構造のメディア面である。だから、メディア界の現象面と言ってもいいだろう。【ここで、メディア平面の連続・同一性面と、純粋理性の関係の問題が生じていると言えよう。これは、微妙な問題である。連続・同一性面ないしその視点とは、的確に言えば、連続・同一性志向性である。それに対して、純粋理性とは、ほぼ、メディア平面自体に等しいと言えるのかもしれない。ここで、カントが、純粋理性のアンチノミー(矛盾命題の並存・共立性)を述べていることを想起したい。これを考えると、純粋理性とは、やはり、ほぼメディア平面自体を意味していると考えるのが妥当であろう。ただし、アンチノミーという発想は、基本的に同一性論理学、アリステレス論理学に基づいているのである。だから、純粋理性は完全には、メディア空間の知ではないと言えよう。だから、それは、超越論的形式という超越連続・同一性構造からメディア空間を思考・考察しているものと言える。この微妙な点に、注意深くしないといけない。カントには、即非の論理がなかったのである。即非の論理(鈴木大拙)ないし「ターシャム・オルガヌム」(ウスペンスキー)に、カントは達することができなかったと言えよう。でも、ほとんど、メディア空間の知の近くまでは達していたのである。思うに、デリダ差延論が、純粋理性のアンチノミーの考え方に近いと言えるのではないだろうか。前者はほぼ対極性の思想であるが、同一性・「ロゴス」を残しているのである。つまり、カントに似て、デリダは、同一性構造(連続・同一性構造)から、メディア空間を思考しようとしているのである。ほぼ、両者、同じような思想をもっている。しかしながら、結果が違う。カントは、批判によって、限界づけたのに対して、デリダは、差延等によって、一気に、同一性構造や理性を解体するのである。しかし、同時に、自身の理論も解体するのである。ここには、批判と解体があるが、これは、限界づけと破壊の違いがあるだろう。ここで、付加すると、デリダ脱構築理論は、仏教の定立否定、反定立否定、そして、それらの否定、等々いうような、否定的非定立性をもっていると言えるだろう。禅に近いと言えよう。】
 さて、本論に戻ると、結局、近代的自我においても、不連続・差異視点は、物自体において顕在していると言えるのである。ただし、連続・同一性視点は、カントが説くように、物自体を認識できないのである。しかし、物自体においては、不連続・差異視点があるので、そのエネルギーが主観に感じられるのである。物自体のエネルギー、即ち、不連続・差異視点エネルギーが顕在発動しているのである。だから、ここでは、この視点を意識化することが必要なだけである。しかし、男性の場合は、連続・同一性への傾斜が生得的にあると考えられるのである。困難なのである。つまり、男性の場合、一般に、連続・同一性主義なので、不連続・差異視点を回避し、排除してしまう傾向にあると言えるのである。つまり、男性の場合、先天的に、連続・同一性傾斜があるので、不連続・差異視点を否定・排除・隠蔽すると言えるのである。
 これに対して、女性は、一般に逆なので、連続・同一性中心思考が苦手なのである。つまり、生来、女性は、不連続・差異視点をもつのであり、そこから、同一性現象界を見ているのである。ただし、女性は、この点に無意識であるから、男性の存在・思考と衝突するのである。女男の「異文化」性は、ここに根差しているのと言えるのである。しかしながら、脳理論的には、女性は、両面的思考が男性よりもしやすいとは、考えられるのである。
 ということで、結局、本件の問題の解答が出たようである。つまり、先には、同一性共同体権力力学を問題にしたが、結局は、男性の生来の連続・同一性視点への傾斜によって、不連続・差異視点・面を否定・排除・隠蔽してしまうということである。ただし、先に述べたように、不連続・差異視点エネルギーは存しているのだから、男性は、これを意識的に取り入れる作業をしないと、「分裂症」や「自己愛性人格障害」になると言えるのである。
 ここで、ユング心理学について言うと、それは、本質的には、フロイト精神分析よりも優れていると言えよう。また、ラカンは、いわば、ユング心理学に近づいたと言えよう。ユングの普遍的無意識、集合的無意識とは、正に、メディア平面を指していると考えられるのである。ただし、問題点は、やはり、連続・同一性構造の残存にあると思うのである。ユング心理学の個性化とは、自我と自己との統合を意味するのであり、自己とは、メディア平面である。しかし、自我とは、連続・同一性の個体のことである。だから、両者の融合は不可能なのである。言い換えると、即非論理と同一性論理を結合せよ、ユング心理学を説いているのである。これは、無謀である。ポスト自我としての差異、不連続的差異へ回帰して、メディア平面をもつ「自己」が生起されうると考えられるのである。だから、ユング心理学の不連続化が必要なのである。ポスト・ユング心理学である。