2023年は…

2023年8月 清洲橋


2023年は両親のケアが本格化し、それに伴い6月から大きく生活を変えることになり、「自分の時間」が激減。精神的に苦しい年でした。
でも体調を崩すことなく、「深川福々」の仕事も何とかやれたので、ささやかな充足感はあります。「深川福々」はチームプレーでもあるので、一緒に頑張ってくれている方々には感謝ばかりです。応援してくださる方にも。

新たに深川福々の公式サイトを立ち上げ、公開にこぎ着けることができました。
(旧サイトは東海亮樹が管理していたため更新できなくなり、その後サーバーも運営終了となったため、6年間休止状態でした。)
新サイトは記事をテキスト形式でアップしています。現在は2022年12月発行の第71号以降を。最新号の掲載は少し遅れますが、ぜひご覧ください!

深川福々 – かわら版「深川福々」の情報をお届けします


自由が制限されると、「したい」ことへの渇望が募ります。今は旅が夢のまた夢。夜に出かけにくくなったのもつらい。夜遊びしてえーー!
いつかまた、好きに時間を使えるときが来るまで元気でいられるよう心身を鍛えなくては!です。頭も!

話は変わって、今年の8月末、noteにて、東海亮樹の文章を公開する「東海亮樹プロジェクト」を始めました。
facebookの投稿が中心ですが、以前のmixi時代の投稿や、それ以外の著作権に問題のない文章を発掘して掲載したいと思っています。「月に5本程度投稿する予定」と最初に宣言しましたが、なかなか難しい~。でも時間をつくってアップしますので、思い出したときに見に来ていただけたら嬉しいです。
最初の投稿、「東海亮樹、そして本プロジェクトについて」です。前半だけ以下に掲載します。
2017年に48歳で旅立った東海亮樹(Tokai, Ryoju)は通信社の記者を生業とし、2008年、東京深川(江東区)にブックカフェとイベントスペースの店「そら庵」をオープンしたのをきっかけに、地域フリーペーパー「かわら版 深川福々」の編集長を務め、自主映画『小名木川物語』のプロデューサーとして製作のすべてのプロセスに携わるなど、まさに八面六臂の働きをし、人生を駆け抜けていきました。
 
記者として長年、新聞のための記事を執筆してきましたが、SNS、主にfacebookにおいて、友人限定の膨大な投稿を残しました。それは時に論考だったり、エッセイだったり、小話だったり。
 
このプロジェクトを立ち上げたのは、故人の生きた証を残したいという思いが元にありますが、彼の書いたものがとにかく「面白い」からです。面白くて、友人知人の枠を超えた多くの人に届く言葉だと思ったので、オープンな場で文章を公開することにしました。どう面白いかは、ぜひご一読ください。

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ではまた絶対元気で会いましょう。来年もよろしくお願いします!

木母寺に

7月29日、東海亮樹の納骨を兼ねた七回忌の法要を行いました。
諸事情で、この6年間お骨はずっと我が家にあったのですが、七回忌を前にようやく良いところを見つけることができました。墨田区の木母寺(もくぼじ)で、そこの納骨堂です。

https://www.mokuboji.org/

能の「隅田川」ゆかりのお寺です。平安時代に京都で人買いにさらわれ、この地に連れてこられて亡くなったという少年、梅若丸を祀っています。

お寺の入口付近。5月に撮影

東海の祖父までの墓は青森県弘前市天台宗のお寺にあるのですが、東海は割とルーツに思い入れがあって、一緒に大阪に住んでいた頃、比叡山延暦寺に2回行きました。
といっても信心があったわけではなく、東海自身の葬儀は無宗教でしたが、
天台宗のお寺に供養してもらうのはいいと思ってくれるのではないかと考えるようになり、今年になってネット検索して、自宅からそれほど遠くはない今回のお寺と出会いました。

そういうわけで今まで木母寺のことは知りませんでした。
が、実は能の「隅田川」は観たことがあって、「あ、あの隅田川の!」と思うことが出来たのです。以下、ちょっと脱線。

そら庵に偶然来店してくださったことで知己を得た能楽師の安田登さんは、長年都内のお寺で能や芸能、古典など多岐にわたる内容のワークショップを企画、開催されていましたが、2013年頃に「隅田川」の公演を行われるにあたり、作品を楽しむための予習的なワークショップを実施されました。そこでお店が終わってから、頑張って広尾まで何度か通ったんですよ。あの頃はめちゃくちゃ忙しかったけれど、気分転換を兼ねて楽しみに参加していました。
どこでどうつながってくるか、わからないものですね。

本ブログを検索したところ、観劇したのは2013年の3月でした。
恥ずかしながら感想を書いています。

能『隅田川』 - sora-anの日記


話を戻すと、そういうお寺の由来も魅力的でしたが、隅田川のそばであることや(「そら庵」とのつながりが感じられ)、お寺の入口付近の、東白髭公園のガーデニングも素晴らしくて、どんどん気に入って一大決心。

ただしちょっと「アナログ」な納骨堂です。
最近都内では、ICカードをかざすとお骨が墓石とともに運ばれてくる納骨堂など、
デジタルでお参りに伴う大変さがない施設が増えているようです。
お供えは一切できませんが、誰にとっても楽だと思います。

でも個人的に、そういう場所で東海のお参りをすることに違和感があったのでやめました。木母寺の納骨堂は40年以上前に建てられ、階段を上る必要がありますが、
自然の風が入り、小さめならお花のお供えや線香もOKです。

法要当日はきっと猛暑だろうと思っていましたが、やっぱり猛暑に。
親族、それから友人数名に見守っていただき、無事納骨まで終了しました。

納骨に際し、戒名を授けていただきました。
私自身にこだわりはありませんでしたが、必須だったことと、さらに追加料金はかからなかったのでお願いしました。
打ち合わせのときに、東海の人となりや仕事についてご住職にお伝えし、
そのときは、「それじゃ智とか才ですかねえ」とおっしゃっていたのですが、
当日見せていただいた戒名には、意外にもどちらも入っていなかった。
でもとても東海らしい字を考えてくださいました。
写真をご覧ください。

 

以下は一応のお知らせです。

木母寺
東京都墨田区堤通2-16-1
東武スカイツリー線「鐘ヶ淵」駅より徒歩約10分
https://www.mokuboji.org/

場所は納骨堂の3階で、入ってすぐに見える棚の左から2列目上段です。
東海家と書かれていますのでわかると思います。
仏壇式です。扉が閉まっていたら開いてお参りください。
小さな花瓶を置いています(はさみなど、必要なものはあります)。
本堂に声をかけずにお参りいただいて大丈夫ですが、
ご住職がいれば案内してもらえると思います。

 

シラサギ

4月も残り少なくなりました。3月は「深川福々」春号(第72号)の発行と父の入院・手術があって目まぐるしい毎日でしたが、どちらも無事終わってひと息入れることができました。
今年の初投稿だからって今更お正月の話か?!と言われそうですが、今年最初の「出会い」だったので一言だけ。
お正月の定点観測で小名木川に来てみたらシラサギがいたんです。こんな近くに。しばらく誰もいなかったので、一緒に日光浴。新年早々いい時間でした。

2022年の大晦日に

ああ、今年も全然書けなかった。来年こそ、駄文でもここに書き連ねたいと思っています。

表面的な報告に過ぎませんが、2022年は「深川福々」を4回発行し、8月2日に『小名木川物語』の大きな上映会を行いました。

上映会は、コロナ第7波がめちゃくちゃ酷いときで、こちら側も前日にプログラムを変更する事態となりましたが、多くの方にお出ましいただいてご好評をいただき、ありがたい限りでした。プログラム変更の危機を一緒に乗り越えてくれた仲間にも感謝でした。

手前味噌ですが、「深川福々」は概ねどれも充実した内容だったと思います。1900字のインタビューの執筆を3回(正確には2.5回)担当しました。面白さと難しさと取材した方への責任と。人さまのことを書く以上、よりよいものが書けるようになりたい。

「深川福々」は結構試行錯誤してやっています。インタビューの対象者は編集会議の直前まで決まっていないことの方が多いし。いろいろ改善すべき点もあるので、また一つ一つやっていきます。
 
健在である両親の心配が尽きないのは、もう仕方ないことでしょう。現状維持で、何とか穏やかに過ごしてほしいと願うばかりです。

晦日ですが、東海亮樹の誕生日、8月28日にfacebook本人ページに行った投稿を転載します。来年の夏、七回忌です。

彼の言葉が響くのは、私が近くで見ていたから、、、だけではないと思っています。
(一番最後のは本当に耳が痛い!)
書かれたものは、2018年、19年と偲ぶ会を開催した際に少しまとめましたが、来年夏を目指してネット公開を始める予定です。年が明けたら少しずつ準備します。
 
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みなさま、今年も誕生日の通知を失礼します。生誕54年となりました。
今年は命日からまもなく、映画『小名木川物語』を上映する機会をいただきました。初上映のときと同じ、深川江戸資料館の劇場での開催でしたので、感慨ひとしおでした。
 写真のように、初上映は、実はPCからの出力だったんですよね。少しでもデータを圧縮せずに観ていただこうという趣旨で。上映会社のサポートもありましたが、今見てもちょっと怖い!

2017年2月25日、深川江戸資料館小劇場での初上映時の東海亮樹


何から何まで試行錯誤でした。よくやったなと思います(その後、東海の生前からブルーレイ上映に切り替えました)。
また少し前、遅ればせながら映画のパンフレット(とDVD)を制作しました。パンフレットですので作品についての読み物ではありますが、自ずと東海を偲ぶ一冊ともなりました。ご興味がありましたらご連絡ください。
亡くなって今年で丸5年。来年は仏教でいうところの7回忌なので、そこを目指して東海の文章をネット上でお読みいただけるようにしたいと思っています。
もうちょい先ですみませんが、締切があるので必ずやります!
2015年頃のFB投稿を昨日ざっと見て選んだだけなのですが、長いのと短いのを3つ以下に掲載します。「サラリーマン悲哀もの」ばかりで何ですが(笑)。
一言付け加えると、東海は仕事が嫌だったのではなく、「人一倍仕事をしたい」人でしたが、かなり時々「会社に行きたくなくなる病」を発症していました。
で、自発的リモートワークに励んでいたという…
偉そうに言えることではないですが、先を行っていましたね(笑)。
お誕生日おめでとう&合掌
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2015年8月27日
※「学校つらい子は図書館へ 職員のツイート、共感呼ぶ」という記事について(URL省略)
いい話だと思いつつ、感動しているのは実はほとんどは「大人」だということに気づくと、思えば日本社会も切なくなったなあと思います。いつの時代も孤独と哀愁はありますけれども。
原文「もうすぐ二学期。学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい。マンガもライトノベルもあるよ。一日いても誰も何も言わないよ。9月から学校へ行くくらいなら死んじゃおうと思ったら、逃げ場所に図書館も思い出してね。」
脳内翻訳「会社にいくのが死ぬほどつらい会社員は、会社を休んで図書館へいらっしゃい。週刊文春サライもあるよ。一日いても誰も何も言わないよ。会社に行くくらいなら死んじゃおうと思ったら逃げ場所に図書館も思い出してね。(でもさぼっていて首になっても図書館は責任とりませんけど)」
()がないからファンタジーなんですね。
戦後というのは、大家族と村社会の共同体を壊して、みな会社員にしたかわりに、会社を「共同体」として代替しました。飲み会もあって、労組もあって、サークル活動もあって、社員旅行もあって、社宅もあって、という会社共同体が失われて、おそらく10数年ぐらい。会社はもはや「誰も信じられない」というホラーハウスに変わったのかもしれません。
図書館の心地よい孤独が共同体というわけではなくて、「いつ突き落とされれるかわからない」という不安から逃れられるかもしれない夢の世界を、大人たちは図書館に映しだしたのかもしれません。
感動話の裏には、社会の暗さがあるとすぐ思ってしまう、ねじくれた性格が治りません。とほほ。
で、「会社にいかなくてもいい」という制度をリクルートが導入したことで話題になりました(※URL省略)。
でも、「30代までに独立しない社員はダメビジネスマン」という社風のリクルートだからできるのかもしれません。ある意味、通勤時間や社会のつきあいの時間もむだだからずっと仕事してくれ、という究極の効率重視という見方もできます。あるいは、会社にいるだけでつらくなってしまう人のメンタル対策もあるかもしれません。
いい話の裏には、社会の暗さがあるとすぐ思ってしまう、ねじくれた性格が治りません。とほほ。
2015年3月12日
10年以上同じ部署にいる上司が、「おい、●●、おい●●」とあたしを呼ぶのですが、あたしは●●じゃないので無視していたら、それでも「おい、●●、おい●●」と言うものですから、「あたしは●●じゃないですけど~」と答えましたら、上司がフリーズしてました。
フロイトによると、よく知っている人の名前を言い間違えるというのは「錯誤行為」という現象だそうです。それは、相手に無意識に強い嫌悪感を持っているからだそうです。
そうとう嫌われていたんだということが分かりました。たのしいな~(笑) ありがとう、フロイトさんw
2015年4月8日
酔談。大事なのは主体性と具体性で、勉強していないと主体性を失って、人に会わないと具体性を失うとのことです。勉強しないと独善的になって、人に会わないと空論になります。人生、体力つかうな〜。
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ではまた新年に。良いお年を!

3年ぶりに東京を脱出~八木愛子さんのこと

今年もここまで目まぐるしく過ごしていました。
元気だったということですから、感謝しないといけないですね。


深川江戸資料館の再オープン記念として8月2日に『小名木川物語』の上映会を開催し、無事終えることができて、大きな責任からは解放されました。少し息抜きの時間ができたけど、コロナと暑さがひどかったのでどこにも行かないまま夏が終わり、9月は「深川福々」秋号(なんともう第70号です)の制作で過ぎていきました。配布も終わった10月半ばごろから、また息抜き中です。

で、3年ぶりに新幹線に乗り、静岡に行ってきました。
それもそら庵の縁で。
2009年と10年にそら庵で3回朗読を披露いただき、『小名木川物語』にもご出演いただいた朗読家・八木愛子さんが長年暮らした藤枝が目的地でした。

八木さんは2021年1月、突然旅立たれました。訃報の2日前に年賀状をいただき、お元気そうで良かったと思ったばかりでした。享年74。前の年の秋、藤枝に伺いたいと思ったのに、コロナが始まった年で断念してしまったことを悔やむばかりでした。
今回は娘さんにお会いして、お墓参りと供養をするのが目的でしたが、朗読を自分の道と定めて芸を極めた八木さんの素晴らしさに改めて触れ、八木さんに直にお会いしたかのような濃密な時間に。

それから藤枝の野菜と柑橘が美味しく、駿河の国の豊かさを実感。お天気も良くて、すべてが八木さんのおかげに思えました(本気で)。

朗読家として、人として、たぐいまれな人だったことを再確認してきました。
いずれ映画の公式サイトかどこかに八木さんのことをきちんとまとめます。今日はこのへんで。
こういう、さりげない風景がいいんですよね~。

藤枝で

映画『小名木川物語』より、八木愛子さん。撮影は2016年秋でした。

過去の投稿
2010年4月20日 「4月の語りの会、ゲスト 八木愛子さん」
https://sora-an.hatenablog.com/entry/20100420/1271775659

2010年4月25日 「大川端語りの会でした」
https://sora-an.hatenablog.com/entry/20100425/1272210764

2010年11月28日 「朗読の午後と大豆の味」
https://sora-an.hatenablog.com/entry/20101128/1290962518

2021年の大晦日に(2):ゼロ地点

晦日だから文章を書こうと思ったら、『小名木川物語』パンフレットの個人的な話をしっかりしたくなったので、こちらは簡単に。

いま人生何度目かのゼロ地点にいる気分です。長い間、正確には9年ほど携わってきた一つのことが終わったから。『小名木川物語』はこれからも機会があるごとにお披露目することになると思うし、作品としてまだまだ育ってくれることを願っているけれど、ようやく手が離れた。あの仕事が終わったら、また映画のことをやらなければ…と思うことは、もうないだろう。

今年2021年はこの作品と一体となって進む最後の年だったと今改めて思う。9月初めにオンライン上映会の実施、アフタートークの企画と事前収録、「小名木川物語」展の開催を決めてからはパンフレットの制作追い込みと同時並行となって怒涛の毎日だった。でも最初の上映から4年経ってもこんな機会があることがありがたい限りだったので何とかやれた。上映会も展示も企画してくれた黒崎亜弓さんのフレッシュなエネルギーのおかげでもあった。

自分事であるのは間違いないが、作品のことを考えたり、PRなどをやっていると、どんどん自分が二の次になり、自分がなくなっていくような、自分を守ることを忘れてしまうような気がした。映画なのでチームワークの産物なのだが、作者の一人として作品と自分が一体化して、ある意味では自分が消えた。

世の中に自分の作品と言えるものが存在していることは幸せだと思う。また映画製作にかかわっていただいた方とはすっかり長いお付き合いになっている。かけがえのない、とはこのこと。映画と直接関係のない、そら庵での数々の出来事、出会いも。

そうしたことを心の糧としてゼロ地点に立っています。

ゼロ地点、なんだか風通しがよくて心地いいです。

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小名木川の大富橋と虹。7月

詳細は書きませんが夏頃は一時体調が悪くなり、不安な毎日が続いた。あの頃のことを思うと、その後の4か月走り続けてこられて本当によかった。

お心遣いいただいたみなさまに感謝です。

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上の写真と同じ日時、場所の西側はこうでした。

 

 

 

2021年の大晦日に(1)『小名木川物語』パンフレット&DVD

とてもホッとしています。

ようやく映画『小名木川物語』のパンフレットが出来上がりました。
このほど作品DVDも発売となり、こちらもそこに至るまで長い時間がかかったので感慨深いのですが、パンフレットは写真以外ほぼゼロからの制作で、私自身が編集を務めたので感無量です。

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クラウドファンディングの返礼品でもあったので早く作りたかったのですが、その気持ちとは裏腹に構想と準備期間ばかり長引いていました。

東海亮樹が亡くなった翌年、活動を再開する際にリマスター版の制作と再上映を優先したことと、フリーペーパー「深川福々」を年に何回か編集発行していたため、時間のやり繰りが難しかったのが理由です。

そうして2018年、19年が過ぎてしまい、2020年こそと思っていたらコロナが始まって、会って打ち合わせするのが難しくなってしまう。でもここで進めるしかないと仕切り直しておおよその内容を決定。一年前から、デザイン担当で映画の重要スタッフでもあった胡舟ヒフミさん、そしてロケ地マップに一緒に取り組んでくれたイラストレーターの福田紀子さんと一つ一つ進めてきました。

とはいえ途中中断が何度かあってもたついてしまいましたが、一足先にお目見えしたDVDに続き、パンフレットも11月下旬、「小名木川物語」展を開催していた清澄白河のカフェ、Ginger.Tokyoさんの物販コーナーに並びました。

全44頁になり、パンフレットとしては十分な内容になったと思います(手元の映画パンフレットは25頁だったり、31頁だったり)。ただそれなら、もうひと頑張りして内容を増やしても良かったかも、という思いが出来上がってから湧いてきたのですが、初単独編集の仕事だったので、後でいろいろ気づくのは仕方ないのかもしれません。でも一年前に構想していたことは形にできました。内容にお褒めの言葉もいただけて、じんわりと喜びを感じています。

【内容】

●監督・大西みつぐインタビュー

●深川出身の詩人・小説家、小池昌代さんの寄稿

(映画本編で小池さんの作品を引用したシーンがあります)

●プロデューサーが語る本作

(東海亮樹と私が出演したラジオ番組の文字起こし)

●ロケ地マップ

●映画に登場した場所などのガイド

●出演者、スタッフの紹介とコメント

●シナリオ  

●『小名木川物語』製作物語:私が執筆した長いあとがきです。

 

小名木川物語』を良いと思っていただいた方にお読みいただけたら嬉しいです。

あくまで作品や舞台となった深川(とその周辺)についての一冊として、またプロデューサーとして内容を構成しましたが、自ずとそら庵や東海亮樹を懐かしく思い出していただける内容ともなっています。

ロケ地マップは範囲内の川と橋の名前をほぼすべて掲載し、さらに主な暗渠も掲載したという独自の地図となっています。道路よりも川と暗渠、がコンセプト(笑)。まちの歴史や記憶は『小名木川物語』のテーマの一つなので、あえて暗渠をクローズアップすることにしました。イラストレーター福田さんにかわいいイラストも描いていただき、すてきな仕上がりとなりました。

 

パンフレット、DVDともに以下のオンラインショップで販売を開始しました。

onagigawa.base.shop

 

DVDが2,970円、パンフレットが1,430円で、DVDとパンフレットのセットが3,960円とお得になっています。2018年に発売したサウンドトラックCDも販売しています。現在は送料無料です。
また「小名木川物語」展を開催していた清澄白河のcafe Ginger.Tokyo にて2022年1月末まで設置販売しています。


更新が追い付いていませんが映画公式サイトです。

onagigawa.com