壁]゚Д゚)

・……さすがに5年ぶりにログインすると色々勝手が違うな
・お久しぶりですこんばんは
・5年経ってもクサナギファンでスマ好きです
・burst!も観に行けました
・No.9〜不滅の愛〜も観に行けました
・同事務所の後輩だったり某48Gの栄が好きになってたり範囲が拡がっていますが私は私です
・アニメも漫画もそれなりです
・今年のドラマは『民王』『ど根性ガエル』『64』がベストです
・舞台の感想はまた後ほど

K2

  • テイラーを演じた草なぎ剛の冒頭からのテンションの高さにやや面食らった。遭難したという現状を如何に冷静に捉えているかということをマシンガンのように誰に言うでもなく立て板に水のように声高に早口に話し続ける。しかしそれはK2への登頂を達成したにも関わらず、相棒であるハロルドの骨折により降りることが困難である状況下でそれでも希望を失わずにあろうとする登山家としてのプライドと、人間としての本能的な危機感とが常にせめぎ合っているのだと判ると、ようやく少し舞台が見えてくる。
  • そうして、テイラーの必死さが焦りとそれを打ち消そうとする言葉や表情動きとともに揺らぎ続け、いっそ滑稽にさえ見えて思わず笑いすら起こしそうになったとき、ハロルドである堤真一の冷静な一言と、骨折の痛みをこらえるわずかな表情にテイラーと同じく我に返される。
  • しかし、それでもなお死ばかりを追う展開にはならないのは、常にそこにまばゆいまでに灯り続けるテイラーの生への執着と炎のような怒りが見えるからである。
  • テイラーは物語の中でずっと怒っている。
  • この状況に。この運命に。自分に。そうして、ハロルドに。
  • その怒りをテイラーはまったく隠さずにいるがハロルド自身に向かっては決して怒鳴ることはない。
  • それがプライドなのか、意地なのかは判らない。
  • ハロルドの思想や職業を背景とする言葉にテイラーは嫌悪にも似た怒りを言葉に代えてぶつけていく。それを受け止めつつ流し、それでいてその怒りこそが生きる力であることを示すようにハロルドは自らの生きかたや考えかたをテイラーへと語り続ける。卑猥で低俗な冗談や高尚で嫌味な言葉を交えてのふたりの膨大な会話はテイラーを奮い立たせ、あるいは慰め、場の状況を際立たせたりあるいは一瞬忘れさせたりする。
  • それはまるで変わりやすい山の天候そのものを感じさせた。
  • ハロルドの言葉によりその場からへの脱出を試みるテイラーの行動がちいさな幸運と不運をくり返し、少しずつ暗く重たい方向へとにじりよるのをどうしようもなく見守るしかない。
  • しかし、そのハロルドの言葉はテイラーだけでなく自身への励ましをしているのだと気がついた。そのとき、ハロルドがそれまでの人生をかけて学んで知ってきた全てでもって自らを説得しようとしているのだと。
  • 遭難という状況下で必死に下山を試みるそのリアルな描写と同時にふたりの性格の違いや職業の違いからくるかけ離れた会話の距離が迫る予感を近づけたり遠ざけたりする。
  • 翻訳劇特有の会話に於ける単語の印象に個人的に違和感があったのと、登山道具の用語を知っておいたほうがより物語が解りやすかっただろうと思う。
  • 草なぎ剛の演技はごく真っ当に正面からいつも初めての感覚でもってぶつかってくる。1回目でも100回目でもきっといつも初めて、の感覚が表せるひとなのだろう。一度しか観ていない観客にその違いが判るはずはないのかもしれない。しかし、少なくとも私には舞台上であるはずの生と死がほんの眼前にまで迫るのが感じられた。
  • 堤真一の演ずるハロルドが語る哲学は用語や理解の難解さを超えたところにある高みを想像させ、人生観は深みとごく個人的な温かみを教えてくれた。この舞台がこのふたりで上演されていることにこそ意味や理由があって、成立しているのだと思った。
  • 物語の最後は、ひとり残ったハロルドの静かな語りとそれに合わせて閉じていくまぶたの暗転で終わる。
  • この上なく静かで、厳かで、尊いものがそこには遺されていた。

おまえ百まで

  • わしゃ九十九まで。
  • いきなりなんだって話なんですが。
  • オリコンスタイルことオリ☆スタの現在発売中11/15号に於けるぷっすま特集4頁分のことなんです。
  • そこに1頁クサナギさんとユースケさんの対談が載っているんですが、これがとてもいいのです。
  • ぷっすまの空気感をまるごと持ってきたゆるーい、それでいてふたりの間に絶対消えることのない照れ感といいましょうか、けっしてデレにはならない馴れ合えない、それでいてもちろん仲が悪いわけではない、ものすごーく微妙で解りづらい他人だけど相方であって、でもそれはぷっすまっていう番組の枠内のもので、っていうああ、もうどうまとめていいのやら(無理っぽい)
  • とにかく!他のどんなバラエティで12年もやってる人間同士の関係がこれだけおかしな力の入りぐあいでもって並び立ってんでしょうって話なんですよ。

あとで続きを。

99年の愛

JAPANESE AMERICANS#4#5

まとめて。

  • 一郎の入隊と戦時下におけるアメリカの暮らし。日本と違って、不自由は多々あるものの国力の圧倒的な差異で、アメリカでは最低限の生活は出来ているせいかそういった意味での悲壮感はない。
  • しづとさちの姉妹が広島と沖縄に、という設定はいくら何でも厳しいと思ったが、橋田さんが戦争というものを多角的に描く上で盛り込みたかった要素なのだろう。物語なので、中尾明慶演ずる弘という二世の米兵通訳という人物がいることにより、奇跡的な繋がりと消息が伝わり続けるという不自然さも仕方のないところなのだろうか。弘とさちの関係は丁寧に描かれており、当時の状況下においての沖縄からの移動やその後のしづとさちの再会などといったくだりは無理があるものの演じ手の力量により何とか観続けることが出来た。
  • 前後するが、442部隊が編成されるまでの一郎の長い軍事訓練や、兵役につくことにより、当時の二世が戦時下においても新婚旅行が出来たり、自由がある程度は確保されていたということに驚いた。この辺りの一郎としのぶ夫妻のアメリカ人夫人との交流なども如何にも橋田脚本らしい都合のいい情の表現ではあると感じたが、物語上で救いになっていたとは思う。しのぶの台詞でシアトルは以前から反日感情が強かったが、戦争になってますますそれが強くなっていた、と言っておきながらここまでとは思わなかったなどと真逆のことを言い出すのはとても違和感があった。
  • 5夜に亙る物語とキャラクター造形のずれというものが終盤2話でひっかかったところが多かったように思う。特に草なぎ剛から中井貴一へと代わった長吉は、FBIから拿捕され、捕虜として収容されていた場所での暮らしぶりがまったく描かれていなかったせいか、より頑なな国粋主義者になっていて、ことあるごとに"神の国"と日本を崇めるような発言をくり返し、家族だけでなく収容所の人々にアジテーションする場面が何度もあった。長吉という人がそれまで何があっても黙って耐えて生きてきた人間であるという描写がそれまでの3話では何度もあったことを観た上では帰って来た長吉の変貌振りにもう少し何らかのフォローがあってしかるべきだろうと思った。
  • 4話に於ける442部隊の具体的な戦闘シーンのリアリティは真に迫るものを感じた。彼らの訓練から状況、2世のみで組織された彼らが結束力と決意をもって隊となしていたのかが丁寧に描かれ、テキサス大隊を救うまでの流れは同志を庇って死ぬ一郎の最期で終わるこの物語でもとても重要なシーンだったと思う。一郎の死により、残された家族の戦争末期から終戦、そうしてそんな中からの常に上を見つめて生きていくという、これもまた橋田脚本の独特のカタルシスでもって彼らは生活を立て直し、成功者と称される地位につく。
  • 物語のリアリティと架空の登場人物の生きかたを役者が演じることにより生まれるリアリティは必ずしも合致しない。その差異が拡がるとそこに醒めた感情が出来てしまう。この物語は数世代にも亙るあるひとりの若者が別天地に赴くことにより人と出会い、地に立ち生きていくことで繋がりを持ち、そうしていつしか絶えたとしても繋がりをもった人たちは生きていくという今ここにいる私たちと同じ、ごく当たり前の、しかしとても語りつくせないものを描きたかったのだろう。
  • 5日に亙りまともに全てを観た私だが、この物語の言いたかったことは解るが、納得は出来ない。
  • しかし、重厚で永い、永い物語に携わった全ての人たちにはお疲れさまでしたと言いたい。

99年の愛

  • JAPANESE AMERICANS#2#3
  • まとめて。
  • 長吉がともと結婚し一郎を授かり、ようやく親子でもってアメリカの地で根を下ろして暮らしていけるのか、という一話。
  • 2話に入り、長吉は二男二女と妻の5人でひとかどの農場を経営するようになり、その長男である一郎へと視点が移る。
  • タイトルである日系の男性である一郎の暮らしや在りかたが描かれていく中で、一話の長吉が開拓精神と勤勉さにより居場所を得てきたのに対し、その息子である一郎はアメリカという地でどう生きていきたいのかということをより考え、農場だけでなく法律を学ぶために大学への進学を希望したりと父とはまた違う意識をもっている人物であることが描かれていく。
  • 橋田さんの脚本は演じる役者に沿うように書かれるからか、長吉が草なぎ剛から中井貴一に成長したところで1話よりかなり凝り固まったある意味頑固な性格が強調されている部分があり、地続きの話の登場人物としては少し違和感を感じてしまった。無論、守るべきものが多くなり、より自分の生活や暮らしをよりよくしていきたいという向上心や長吉の持って生まれた性分であるという描写はそれなりにはあったとは思う。
  • 日本人の子供でありながらアメリカで生まれ、アメリカの国籍を持つ人間がどのように戦争へと向かう中でそれでも自らを、そうして家族を守り生きていくのか。1話で築かれた土台を元に描かれていく物語は、より過酷で厳しいものへとなっていく。
  • 耐えるべきところと、訴えるべきところ、というのが随所に出てくる。しかし、結局のところは耐えるべきところがほとんどで、その中でのやるせなさや無力感といったどうしようもなさというものを受け止め、背負う一郎は、その時々の選択をいつも周りの家族と長男であるという軸をぶれることなく見据えた上で判断していく。母であるともや弟である次郎、恋人のしのぶの考えや生きかたもまた、それらに基づいたものではあるのだけれど、一郎はその中でも最も難しい判断を迫られることが多い。それを観ていると、現代の日本の家族はもっと個人主義であり、それが例え親子や兄弟であっても必要とあらばあっさりと離れることが出来る社会との差異をふと思い起こさせた。
  • 2話で最も印象的だったのは一郎の恋人であるしのぶの決意の船からの飛び込みだったが、3話もいちばん面白かったのはまた長吉の次女さちの逆境の中での強固な自己主張であり、これらは偶然か必然か戦争とあの時代を描く上であまり強調されることのない女の生きかただった。どちらも壮大な物語で、そもすれば流れだけを追う展開がどうしても多くなる中でとても印象深いシーンであり、登場人物のらしさというものが強く感じられたと思う。
  • そうして、3話に於ける一郎の合衆国への忠誠を誓うことにするというしのぶへの語りは一郎という人間が何を思い、何のために生きるのか、そうしてそのためならば選んだことを後悔することはないと語るくだり。何よりも自分という存在があるのは両親があってのことである、ということ。それに大げさに感謝するでもなく、だから当然であるという流れ。今の世の中の中でこのくだりを不自然に感じたり、大げさに感じることそのものがある意味で恥ずかしいことなのだと橋田さんは訴えたかったのではないか。
  • これこそが、この物語の大きな支柱となっていると私は思う。
  • 自己責任という言葉があるが、この一郎の決心はそれより重く、大きく深い。
  • 3話で登場した笹野高史演ずる庭師の日本人感、アイデンティティの表し方はよくあるものではあるのだけれど、そこに二世である一郎たちの思いがことあるごとに重ねられる辺りが興味深い。
  • どちらの主張も間違いではないのに、どちらかを選んでいかなくてはならないという状況自体のおかしさ、ままならなさに戦争の本質が見え隠れしているように思った。
  • 大泉洋演ずる二世側の交渉人役の建前だけではない内面を含めた人物像がもう少し見られればよりよかったのではないか。

99年の愛

  • JAPANESE AMERICANS1話目。
  • 冒頭が何故か現在のMLBの球場の場面から始まり、年老いた夫婦と思しきふたりがイチローが活躍している試合を観戦しつつ誰かを待っている。
  • そのふたりは実は兄と義理の妹であり、そうしてそこへふたりを招待したのが70年音信不通だった兄の実の妹の嫁だったことから物語は彼らのさらに両親や兄の世代、おおよそ100年前の日本人がアメリカという国に如何にして渡り、暮らしていくようになったのかが語られていく。
  • 橋田さんの脚本が特に壮年以降の世代に支持されているのが何故かということが1話を観ていてよく判った。ラジオドラマにとても似ている。つまり、耳で台詞だけ追っていれば画面を観ずとも何が起きているのかがかなり解るのだ。画面での遊びや仕掛けをしないということは、ある意味ラクではあるし、安心感がある。これは特に最近の画面を見せてあるいは読ませて理解させようとする番組やドラマと真逆の手法であり、沈黙や登場人物の表情で読み取らせる、あるいはそれを観て解釈をさせるということを良しとしない物語造りなのである。
  • 橋田さんが観て、感じて思ったことを受け取り手である視聴者に語りかける登場人物は全て橋田さんの代弁者である。どんな物語もある程度はその要素があるが、それをここまであからさまに示している作品は現在、そうないように思う。
  • 主人公を演ずる草なぎ剛は、どちらかといえばその佇まいや台詞にない表情や動きに特徴や個性が感じられる役者であると私は思っていて、なのでこの作品の一話において自分の在りかたや生き方や感情を事細かに話し、語り、説明をする主人公の長吉という人物には今のところやや馴染みにくい。
  • ただ、ふとした瞬間、特に誰かの話を聞いているそのときの何も言わず語られる言葉を感じて、胸に浮かぶ思いを溜めていくその表情の豊かな変化や、アメリカという見知らぬ土地に立ち、ひとり見上げた空の広さを見つめる目や、生まれた子供を抱き暮れる夕陽の中に立つ後ろ姿にはハッとさせられるものがあった。
  • すべからく語り続ける登場人物の中では、市川右近演ずる主人公と同郷であり、後の洗濯屋の主人となる男がとてもよかった。長台詞に引きずられることなくその当時のあるべき姿をあるように演じているのだが、今の世にはあまり居ないと感じさせるいい意味での"昔の大人"だと思った。男であり、夫であり親である。その全てを過不足なく持っていた。
  • そうして、イモトアヤコ演ずる主人公の妻であるとものいつ、如何なるときもまっすぐに夫を見上げる迷いのない、嘘のない生命力に溢れる演技には鮮烈さとけなげさを強く感じた。
  • 実際、冒頭から小一時間の現在での登場人物のやりとりに閉口していたところにイモトアヤコのともが出てきた辺りから劇的に面白くなり、物語も動き出したように思う。
  • 一話の中で特に私が面白いと思ったのは、長吉とともの結婚式のシーンである。レンガ造りの教会風の建物の中が仏式の造りになっていて、紋付袴の長吉と和服姿のともが手を合わせて結婚を誓っている。そうして、参列者達は着物だったりドレスをまとっていて白いテーブルクロスをひいたその上にはワイングラスが並んで祝杯をあげる。和洋折衷というには本当に奇妙で、しかし、当時の日本人社会がどのようなコミュニティを築き、どのような結婚観、人生観を持っているのかということがとても端的にあのシーンで表されていたように感じた。
  • 物語は長吉とともが子供を授かり、二世となる子と土地を得ていよいよ根付いていこうとするところで続く。

山登るとかバー(真顔)とか

  • そういえば、先日の争奪戦になんとか滑り込んで堤さんとクサナギさんの山登りを観に行けることになりました。当日の朝飛行機で行って戻るという強行軍で、しかもスーパー旅割逃して旅割っていう、久しぶりに飛行機使うならすっかりその辺甘くなってたねっていう感じでひとつ。
  • その前に5日連続ドラマもあったり、この前の草生活とか、さらにその前にはコンサートなんかもありましたよね。
  • ドラマに関してはあのクサナギさんをして、芸能生活で最も過酷だったと言わしめる質量だったようで、それがいよいよオンエアとなると自然背筋も延び、当日はテレビの前で正座で鑑賞せねばならんような気持ちになりますが、さすがに5日連続正座はねーとか今からちゃかし気味では遺憾ですぞ@ムック
  • 草生活はディテールの細やかさが足りないのと肝心要の企画の幅の無さと妙な薄さと、いつもはあんまり表立って文句言ったり疑問を呈したりしないほうのクサナギさんが終始それはどうなのとか言っちゃってたりあと、あからさまな疲労感と諦観が見て取れて、それを3時間ともなると付き合う視聴者も相当疲れちゃうだろうなあと思っていたら案の定あんまり成績も芳しくなかったようで、色んな意味でお疲れさまでした。
  • 3時間の最中も長いなーとかつらいねーとか意味ねえだろその追いかけっことか耐える時間のほうが多かったのが敗因かなと。
  • トマト生活は何だかんだで明るかったのになあ。バカバカしい感じと可愛らしさと厳しいルールも軽やかに感じられたのになあ。
  • モモちゃんの愛らしさだけではなあ。
  • あともう万人が感じたであろう某鉄人は今も息災ですかとか。
  • あそこまでいくと心配ですよ。年内持つんですか。←とっても失礼
  • コンサはあのひとたち好きになって初めて一度しか観られなかったんですが、それでもとっても楽しめました。さすがッス。風船は3日後に割れましたが。
  • そんな訳でバー(真顔)ですが、まぁ、うん。想定内かなあ。あの妙な振り付けがクサナギさんのオリジナルだと知って面白かったです。