your body
はー。久々の更新。
ネットに繋がっていないって、不安やねー。もう完全にデジタルな自分にオドロキ。
引越ししてはや1ヶ月。
兄とのほどよい距離感のある生活にも慣れてきた。
多分最後に話たのは3日前の
兄:「この味噌汁飲んでいい?」
妹:「うん」
the end of this month
今月で約4年間住んだこの部屋を出ます。
悲しいような、せいせいしたような。
it takes two to make a thing go right
お腹ひっこめたい。
inspired by who?
コミュニケーションってムズカシイね。
alkaline water
インド人からのダメ出し。
とある人が書いたレポートに記されていた「導入への障壁」を "disadvantage of implementation "と訳した所、「どういう意味だ?これは」だとか「これは意味をなさない」だとか言われた・・。ネイティブに言われるならまだしも、何言っているかよくわからない非ネイティブスピーカーにダメ出しされると凹む・・・。
あげくのはてには同席していたネイティブに「大丈夫、君の訳はエクセレントだったよ」と慰めてもらった。よけい凹む。
chills on my back
シャンソン歌手、エディット・ピアフが前から気になっていた。知っている曲は「愛の賛歌」だけ。
飛行機事故で亡くなった恋人を想い、彼女が歌う「愛の賛歌」を聴く度に涙が出てしまう。
なにげにさっきエディット・ピアフを調べてみたら誕生日が私とまったく同じの日・・・。ゾーーー。
【エディット・ピアフ】
1915年12月19日午前5時、エディット・ピアフ (本名エディット・ジョヴァンナ・ガシオン) 生まれる。父ルイ・アルフォンス・ガシオン(1881年5月10日生、34歳)は、ノルマンディ地方出身のアクロバットの大道芸人。母アネッタ・メイヤール(20歳)はイタリア人、街頭で歌を歌っていた。芸名をリール・マルザといった。救急車が間に合わずパリ・ヴェルヴィル通り72番地 (労働者街) の路上で生まれたという。
1951年から1963年までに、エディット・ピアフは、自動車事故4回、自殺未遂1回、麻薬中毒療法4回、睡眠療法1回、肝臓病の昏睡3回、狂気の発作1回、アル中発作2回、手術7回、気管支肺炎2回、肺水腫1回を経験したことになる
(『愛の讃歌―エディット・ピアフの生涯』)