配慮してくださる・・

LGBTに配慮したトイレを 東京五輪見据え設計助言
http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/list/201608/CK2016081702000131.html
住宅設備最大手のLIXIL(リクシル)は、13人に1人程度いるとされる同性愛など性的少数者(LGBT)に配慮した公共トイレの設計助言に乗り出す。スポーツ界を中心にLGBTの権利を守る動きが広がっており東京五輪に向けて性の垣根を越えたトイレの普及を目指す。

リオ五輪でプロポーズが大流行 「ロマンチック」か「女性蔑視」か
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/08/post-5681.php
また、五輪プロポーズラッシュには男性同士、あるいは女性同士のカップルも含まれている現在、性差別という観点のみから公開プロポーズ問題を語ることの意味は、今後、薄まりそうだ。
(・・・)
多くの人には認識されなくても実は性差別である場合、これをどうやって取り除いて差別のない社会を作っていくのか?これが女性あるいは性的少数者の大きな課題だ。

最近は「LGBT」っていうんだー、なんてボケッと読んでたけど小言言いたくなった。
性的少数者に配慮したトイレって、、よくわかんないけど、、他人事ではあるけどいたわってくださるってこと?

もうひとつの記事も、仮にも関心がある人の記事であろうに、、、
たとえばね、いまの世の中で、特に日本にいて、異性愛カップルと同性愛のカップルを同じ意味合いで並列することはできないでしょう、
いくら男性同士、女性同士のカップルがいるからって、
異性愛婚姻制度に組み込まれている性差別(性差別を基盤とした婚姻制度)と、それを「普遍化」するために異常とされてきた同性愛なわけで
いまはもしかして、その同性愛すらを婚姻制度に組み込む過渡期なのかもしれないけど、
だからこそ、性差別の視点が「薄まる」って見方をしてるのかもしれないけど、

、、文章の書き方わかんなくなっちゃった、、

ともかく、異性愛の結婚式とかカップルばんざいみたいのは、もうこれ以上宣伝しなくていいでしょう?
やめてほしい、って思っています。
この世はもう十分に異性愛者の天下でしょうに。
問題を感じるとしたらそれは「女性あるいは性的少数者の大きな課題」であって
ガラスの天井や性差別への感度が(高すぎる)とか言われるわけで、
もうまじで異性愛者のお情けで配慮していただくしかないのかって、そんな気にさせられる記事でした。

反省

ヘイホー!
最後にブログをあげたのが、なんと3年前!
実際にはこの6年くらい全然あげてなかったっけよ。
そんなに経つんだってビックリしたところです。


そのあいだ何をしていたのかっていうと
えっとー、、、
 、、、、、飲んだくれてました!


20代からずっとお酒も飲み会も大好きではあったけど、
この6、7年は、焼酎沼、ワイン沼、日本酒沼、ウィスキー沼を訪れていたわけですよ。
沼にはまったほどではなく、「訪れた」程度なんですけどね、
でも飲む量はハンパなく、ほぼ毎日飲んでた。
ワインなら1本、日本酒なら四合瓶くらいは、通常運転。
これ以上だと飲みすぎかな、これ以下だとほどほどの日って感じで
とにかく毎日飲んでたわけだ。


結果、体重は6年前と比べて約8キロ増えた(15年前と比べると12キロ増えた)けど、
その他の健康診断の数値はまったく問題ない範囲をキープしてます!
すごくない?!!めちゃラッキーな体質!!
もちろん、健康診断の前日も9時までまじめに飲んでます。


それにしても、、ワインなんて特にそうだけど、高いものはやっぱ美味しいわけですよ。
でもやっぱ高いわけですよ。
だから自分では買えないわけで、ごちそうしてもらうのが一番。


となると、ご馳走してもらう機会がどんだけあるのかって話ですけど、、、


最近昔を振り返ることがあってしみじみ思ったんだけどさ、
20代のときって望んでなくても”モテ期”じゃん。
なんでちゃんと自覚しなかったんだろうって思うよね、
自覚して、自分の取り分をきっちりとっておけばよかったって。

30代前半もおなじく。
30代後半は機会減ったけど、、、それなりにあるかな、、
40代前半ももしやそうなのかな。


で、何が言いたいかっていうと、ストレートであれば私はどんなに高いお酒を謳歌できただろうか!
現状の制度や風潮に流されて、どんなにか安楽で、
効率よくて、
どんなにラクで、高いお酒とともに歩める暮らしをしてただろうかってこと。


ストレートであれば!!


つまり、性差別を基盤にした異性愛主義の世の中で
自分のおかれるジェンダー規範に抵抗がなければ、ね。

「誰だってそんなにラクじゃないし、みんな努力してる」とか
そんな話がしたいんじゃないです。


異性愛主義の世の中で、異性愛者でいるってことは、私からいわせると
超ラッキーですよ。
社会の仕組みのいろんな部分に無自覚でいられるし、そのうえにのさばることもできる。


私は全く努力家じゃないし、面白いほうに流される性格で、
でもいつも真剣だし、情に厚い法だったと思う。
そんな私が、もしもストレートであったなら、いまでは子どもが二人いて、
リコンは2回していたと思う。それなりの仕事にもついていたと思う。
で、高いお酒にもまったく不自由しなかったと思う。


でもストレートじゃなかったわけだ。


そのおかげで、世の中で起きてることに敏感になったし、ものの見方も学んだ。
日本語圏より、英語で仕入れる情報や知識のほうがガゼン面白かったから英語もできるようになった。
ものすごい知識や考え方を私は手に入れてきたと思う。
本当にそう思ってる
、、、いや、思って「た」。


だけどこの数年は、そのことを意識しないよう、考えないよう
何も見ず、何も考えないにしようと思ってきた。
それくらい、気力をなくしていました。


それで毎日暇さえあれば飲んでいました。
宵越しの銭は持たず、その日暮らしって感じで。


でもこれじゃいけないよね、って今日は真剣に思いました。
だからブログを再開しようと思いました。
自分のためにも。


って、、、これ書いてるいまも飲んでるんだけどね!!

誰か探しの本

 誰かを探すといえば探偵小説がすぐに思い浮かぶけど、探偵小説は誰かを探すのは本題のキッカケか過程の一部であって、焦点はその誰かを取り巻く事件の解明なのに対して、「誰か探し」が焦点の小説を偶然二冊読んだのです。

あらゆる名前     By Blood

 サラマーゴはいろんなとこに説明がいっぱいあるのでさらっとだけ触れます。名もなき小役人(実際はこの小説で名前のある登場人物は彼一人なんだけど)が、ふとしたきっかけで、とある女性の帳簿を手にしてしまい彼女が何者なのかを探っていくお話です。
 私はこの小説が初めてのサラマーゴ体験で、とっても面白かったので他の作品も読んでいるのだけど、いまのところ『あらゆる名前』がいちばん面白いです。『白い闇』がなぜ評価が高いのかイマイチわからない、こっちの方がよくない??タイトルもスバラシイ。

 もう一冊、Ellen UllmanのBY BLOODは、サンフランシスコを舞台にした小説で、なんらかの事情で大学教員の職を追放された男が、事務所の隣の部屋から聞こえる心理カウンセリングの患者、自分を育てた家族が「本物」ではないと疑っているレズビアンの女性、の話を盗み聞きし、この患者の過去を(彼女にあったこともなければ頼まれてもいないのに、執拗に探っていきます。この男が職を追われた理由(正確には処分保留)も不明なら、今後の身の立て方もわからないままというのもミステリアスです。
 出だしがノロいのですが、途中で男がSFのレズビアンのクラブに足を踏み入れて女たちにとっちめられたり、いきなり素晴らしいワンナイトスタンドの話になったりと飽きさせない展開なうえに、話はナチス支配下ポーランドへむかい、現在と過去の間で、彼女が本当に探しているのは「ほんとうの家族」ではなく、「ほんとうの家族」を必要としている「自分」の救済なのかもしれない、そんなふうに示唆されたりして読み応えあります。


 というわけで、どちらも誰でもない/誰かによる誰か探しというアイデンティティ小説を偶然二冊読んでしまいとても面白かったのですが、わたし自身はそれを求めているかというと、そういうエネルギーに欠けるため安楽かつ楽しい生活の方をよっぽど求めてたりします。

みすゞさん

先日山口県に行きました。そこで金子みすゞ記念館にも行ったんですけど、わたくし寡聞にして殆ど知らなかったのです。
そんな無知なわたくしが記念館で思ったのは、なんかさー、なんつうの、「童謡詩人」というスポットの当て方のせいか、時代背景や彼女をとりまく社会問題がごっそり削がれていて(「夫のせいで苦労しました」的な背景は説明されてるけど)、批判性もないし、なんとも気の毒な扱いになってないかなーってこと。子どもの「無垢」っぽい朗読とかの無垢っぽい演出、どうにかならないのかね。

まあ、わたしがフェミニストだからそう感じるのかもしれないけど、彼女の詩に、女の子はこれやあれはしちゃいけない、わたしは知ってる、だって一度それをやって叱られたからというようなものがあったけど、そういうのにもスポット当てていいんでない?
小さいときにみんなの「噂」になるような大親友の女子がいたこととか、弟との関係とか、切りくちたくさんありそうに思えたけど。

あの映画、、『めぐりあう時間』だっけか。あれみたいにさー、彼女も違う種類の情報、違う言説に出会っていたらどうだったろうかと思った。あの映画は最後は男の話に吸収されちゃうけど。

いろいろ考えたいのだけれど

どうなんだろうか。
平日はたとえば月曜早々から飲みに行く日もあり、飲まないとしても基本残業があり、ダッシュで帰ったとしても9時や10時で、おなかが空いてるからご飯を丸呑みしてしまい、その後ダッシュでシャワーを浴び、そのままダッシュで寝たとて、すぐ朝になっていてダッシュで仕事へ、という毎日なのです。その間にいろいろあって、私はたいていは人と関わるのが嫌いではないので、まあまあ、やっていけるんだけど、でもさ、やっていけるけど、これでいいとも思ってないのだよね。だって充たされないのだもの。、、そんで何をすれば充たされるのかって考えてみようかと思うんだけど、もう眠いし、明日もあるから寝ないとならぬって思うの。
そんなわけで、もともと見る習慣ないけどテレビはもはや全く見ないし、新聞も見ないし、見たいと思うデモクラシーナウみたいなものも見れないし、世の中で何が起きてるのかはたいていツイッターで教えてもらってるので、私もツイッターには何かの役に立つことを呟きたいものよのう、と思うんだけど、呟く何の情報もなく、どうなんだろうねぇと思うけど、もう眠いし明日もあるから寝ようと思うの。おやすみなさい。

今年は世界を広げるぞ

年をとっていくのはいいとしても、毎年毎年自分の世界が狭くなっているとはなにごとか。友だちの多くが結婚したり出産して気軽につるめなくなり、したがって外出も減り、行く先も減り、気がつくとこんな有様である。しかし考えてみると、いま書いた流れの根本にはつるむ友だちがいないせいという思いが見える。なんたる友だち依存。これじゃ世界が小さくなる一方でしょ。
というわけで、今年は見聞を広め、フットワーク軽く、一人でも動けるようになるぞ!

大人の対応

大人の対応ってなんだろうね。私がいま仕事場で一番仲良くしてるのは、極右の中年男性だよ。チラとでもその手の話題になった瞬間に、おじさんから凍てつくほどの発言があり、わたしは凍てつき、大人の対応の範囲で反論や反対をし、とにかくその話をやめにしなかったことにして、それ以外の部分で仲良くしてる。
でも、「それ以外の部分」ってなんだよ!

って思いながらもこんな毎日を続けています。そんなニンゲンになり果てたのかよ、、、と自問しつつ、明日もあるから早く寝る支度しないと、と思うニンゲンになりました。いま、なってます。でもこうであり続ける必要はないと思っています。