雨のマルセイユ

日曜日。

マルセイユは雨。
朝から昼頃までずっと雨。
しとしと降り続く雨は南仏では珍しく、
日本の梅雨を思い出した。

蚤の市に行こうと思って早起きをしてみたけど、
この雨ではきっと中止。
残念なような嬉しいような・・・、またベッドに潜り込んだ。

するとそこにゆめじもどすん。

最近ゆめじはどうもおかしい。
やけに甘えん坊になったのは嬉しいのだけど、

ストレスなのか皮膚病なのか、
耳を後ろ足でかりかり掻くので、
耳の毛が抜けてしまった。

この間ワクチン接種で獣医さんに行ったときにも聞いてみたけれど、
とりあえずは消毒してみて、様子を見ましょうとのこと。
でも、様子を見ている限り、良くなっている感じはしない。

いろいろ忙しくてあんまり遊んであげてないからかな・・・。
良くならないようだったら、また獣医さんに相談してみようと思う。

復活!!!!!

spoutnik2008-05-23

もうだめだ!
放置していてはダメだ!!!

こんなんダメだ!!!


思い立ったが吉日。
ようし。
復活するぞ!

闘いの記は、後日うめて行くとして。

だって・・・・

ヤフーの検索で「猫 ゆめじ」って入れたらさ・・・一番上に来ちゃうんだもの。
てことは、この星の数ほどあるブログ界の中で、ゆめじという猫について書いているのは私だけってことでしょ・・・?
じゃぁねぇ・・・続けないとねぇ!

久々にゆめじの「箱作り」スタイルで復帰です!
どうぞ宜しくお願いします☆☆☆

そして・・・試合開始

木曜日。

学校は午後からなので、ちょっと早めにうちを出て、郵便局へ向かう。
そう、昨日受け取った書留の不在通知。なんだか分からないけど、もしかしたら「100億円当たりました」とかかも知れないので(いぇ、何にも応募した覚えはないが)、ちょっとわくわく。

いつものように軽く30分ほど並んで、やっと郵便局窓口へ。そうそう、郵便局といえば、最近やたらとあちこちの郵便局で改装工事をしている。今まで郵便局というと、窓口がガラスで仕切られていて、まるで「パチンコの換金所」とか「宝くじ売り場」みたいな感じだったんだけど、改装後はどこも「お客さんと郵便局員が直に接する事が出来る」作りになっている。もともと仕切られていたのには理由があるんだろうけど(ex.暴力を振るう客がいる。勝手にペンとか持って行かれる。記入用紙の管理が出来ない。etc)、大丈夫なんだろうか。
まぁ何はともあれ、今までの郵便局は汚く暗くどんよりとしていたから、リニューアルは良いコトである。


さて、私の順番がやって来て、窓口に不在通知と身分証明を提出する。書留専用の保管場所をしばらくごそごそ探して、局員のおじさんが持って来たのは、薄っぺらい普通サイズの白い封筒。宛先と送り主を確認して、ガラスの向こうからこっちに渡しながらおじさんは言った。

「プレフェクチュールからだよ」


・・・プレフェクチュール・・・。


いつも、コンボカシオン(許可証の更新が出来たから取りに来いっていう手紙)は普通郵便で来る。ていうか、いままでプレフェクチュールから書留なんか貰ったコトない。これは・・・まさか・・・。


はやる気持ちを抑えつつ、学校へ向かう道すがら封筒を開けてみる。


中には、こんなものが入っていた。

続く。

バレンタインに届いたもの

友人K宅に「退去勧告」が届いた事で、一気に不安が増したわたし。
「でも普通に考えたら、後1年は大丈夫なはずだし、実際まわりをみても境目は5年。私はまだ3年目。勉強だってしてるわけだし・・・」
と頭では思うのだけど、実際「今そんなの来たらどうすりゃいいのさ、ゆめじだっているし、仕事だってあるし、だいたいゆめじを連れて帰ろうと思ったら半年前から血清の検査をしなくちゃならないのに、イキナリ1ヶ月後に出てけって言われても、ほんとに途方に暮れちゃうよね・・・。まぁそうなったら1回帰って観光ビザで来るとか・・・?でもせっかく今まで試験のために中学生に混じって勉強したのに・・・ていうか日本での準備期間も考えたら、やっぱ今帰れとか言われたらシャレにならんよねぇ・・・」と、どんどん悪い方に考えてしまう。
で、また「いや、でもまだ3年目だし・・・」と、そのくりかえしが、頭を回る。

まぁとりあえず、チョコの材料も買ったことだし(紙のケースなんか1000個もあるし)、せっかくのバレンタイン、トリュフでも作るか、と気を紛らわせる。

酒飲みの作るチョコなので、もちろん酒入り。
ラム、グランマニエ、キルシュの3種でトリュフを作る。

作るといつもなにげに評判のいいこのチョコ、実は覚えたのは中学校くらいのとき。近所に「たまに洋菓子を作るちょっぴりハイカラなマダム」が住んでいて、例えばバレンタイン時期には「一緒にチョコ作る?いらっしゃいな」などと誘われるのだ。
で、そのときから、バレンタインと言えばこのトリュフ。


さて、話は変わるが、うちには小包とか、書留といった「ちょっと特別な郵便物」は配達されない。ちょっと前までは、ちゃんとブザーを鳴らして届けてくれていたのだけど、ある時から常に「不在通知」が入れられるようになった。恐らく、郵便局内での盗難、もしくは配達中強盗、などで、「小包や書留は郵便局から出さない方がいい」ことになったのであろう。

で、「不在通知」が来た場合、大抵受け取りは「翌日以降」となっている。なので、その不在通知を持って、その翌日、郵便局に取りに行かなくてはならない。そして、その度に30分とか1時間とか、並ばなくてはならない。面倒は面倒なんだけど、確かに「荷物が無くなる」ことを思うと、こっちの方がいいと思えてしまう・・・けどなんだかなぁ・・・。


で、本日、郵便受けに「書留の不在通知」が。いぇ、その時間、うちにばっちりいましたけどね。でもそういうものなんですよ。


・・・なんだろ。書留・・・。


心当たりもないので、「銀行からの手紙かなぁ」「日本の友達とかかなぁ」とひととおり想像してみて、「まぁ明日取りに行けば分かるか」と、まぁあまり深くも考えずにその通知をポケットに突っ込んだ。


そうそう。そんなことより、バレンタインのチョコ配りをしなくては!


・・・まぁお察しでしょうが・・・この書留こそが、アレだったのです・・・。

不幸の手紙って?

そうそう。
忘れてはいけない、今日はバレンタイン前日である。

もともと、バレンタインだからと言って燃えるタイプではないのだけど、今年は久々にチョコを作ることに。
なので、学校帰りに買い物へ行き、チョコやら生クリームやらお酒やら(個人的にお酒入りチョコ大好物、てか酒好き)を買い込む。
せっかく作るのだからと、誰にあげようか考えているうちにどんどん量が増えてきて、「そういやぁチョコを入れる箱を買わねばな」と思い当たった。

こういう時、フランスって国は結構不便。だって、日本だとこの季節にはあらゆるところに「手作りチョコ応援グッズ」が並んでいて、可愛らしい箱とか、トリュフ用の小さな紙ケースとか、手軽かつ格安に手に入る。しかしここフランス・・・・・・とりあえず、スーパーでは見当たらず。だいたい、バレンタインって、日本のような「好きな子にチョコをあげる大事な日」なんていう儀式的な意味合いがなく、ただ恋人同士で過ごしたり、どちらからとか関係なく花やちょっとしたプレゼントを贈る日なのだ。だから当然、「ちょっとしたプレゼント」は売っているけど、「チョコ応援グッズ」は、ない。


まぁ、この辺は想定内なので、以前住んでいたパニエ地区へ向かう途中にある製菓専門店へ向かう。ここは小さな店だけど、製菓に限らず、プロフェッショナルな道具をいろいろ置いていて、注文も承ってくれると言う、まぁ便利なところ。

わたし 「こんにちは〜。」

おじさん 「おぉ、こんちは!元気?今日は何を買いに来たの?」

・・・わたし、今日来たの2回目で、しかも2回目は友人を連れて来ただけだし、1回目は買おうと思ったらレジを締めちゃったとかでタダで道具を分けてもらったから・・・まだここで買ったコトないんだけど。なんでこんなフレンドリー?


わたし 「いやぁ実は、ほら、バレンタインだしチョコを作ろうかなと思って、トリュフとか入れる小さい紙のケースと、小さい紙箱があったら欲しいんだけど・・・」

おじさん「紙箱かぁ〜紙箱は・・・うちにはないなぁ〜。紙のケースなら、ほれ、そこにあるよ、どのサイズ?」

わたし 「あ・・・ないんですか・・・(やっぱり何をやっても1回では済まない国だなフランスは!)、えと、ケースはその、一番小さいのでいいです・・・」

おじさん 「これね?幾つくらいいるの?」

わたし 「そうだなぁ・・・100個もあれば充分なんだけど。」

おじさん 「100個とか、無理だよ〜。最低ロットで1000個だからね〜。」


そうだった。この店はプロ仕様なため、ロットで買わなくてはならず、その最低ロットがハンパなく多い。ここでどう粘ったところでロットを崩して売ってくれないことを知っていたので、仕方なく値段を聞く。


おじさん 「値段?おぅ、今聞いてみてやるからな!大丈夫、全然安いはずだから! おぃ、ちょっと、これの値段見てくれる〜?」


と、レジにいたおばちゃんがコードを入力して金額を調べてくれる。
だいたい、来る度に思うのだけど、なんであらかじめ値札とか付けないんだろ、この店は。何を買うにも、
A「これいくらですか」B「おぅ、ちょっと待ってな、調べるから」C「えっと・・・(コード入力)**ユーロですね」A「う〜んと・・・じゃぁいいです、じゃぁこれは?」B「おぅ、これか?ちょっと待ってな(以下省略)」C「えっと・・・(以下省略)」
・・・って、時間無駄じゃない?ものすごく。
私のように、ひとりでお店をうろうろして、値段を見ながらあれこれ選ぶのが好きなタイプには、こういうお店は一概にどうも居心地が悪いのだ。


まぁともかく、そうして値段を調べてくれた。

おばさん 「6ユーロですね」
おじさん 「ほら!高くないだろ?1000枚で6ユーロだもん!」

・・・まぁそうなんだけどさ。でも、滅多に作ることもないチョコを今年たまたま作って、それでも100枚くらいしか使わないのに、ってことは普通に計算すると、これを使い終わるのは(たとえ毎年100個づつ作ったとしても)10年後じゃんか。・・・まぁもういいわ。面倒くさいから100個を6ユーロで買って、900個オマケに貰ったと考えよう・・・。


と、紙の箱がなかったことに気が付いた。


わたし 「で、このくらいの(手で大きさを示しながら)大きさの紙箱とか売ってるところ、知りませんかね?」
おじさん 「う〜ん、紙箱、ねぇ。あ、あそこならあるんじゃないかな、あのリピュブリック通り沿いの・・・」


おじさんが説明してくれた場所は、その店からも歩いて10分程度のところで、どうやらピザとかケーキとかの箱の卸をしているところらしい。このリピュブリック通りというところは、マルセイユの港からパニエ方面に伸びる広い道で、以前パニエに住んでいた時にはそれこそ毎日通学や通勤に使っていた道。「そんなお店あったっけなぁ・・・」と思いつつも、久しぶりにあの界隈を歩いてみようかなと懐かしい気分になって、足を伸ばしてみた。

すると、つい2年前までは道の両側にいろいろなお店が建ち並び、そこそこ活気があったのが、ほとんどの店は閉まり、建物も廃墟のように静まり返っている。おばあちゃんがいつもいたパン屋も、薬屋も、八百屋も、肉屋も、どこもかしこも閉まっていて、しかも「ちょっと今日はお休みで」なんて雰囲気ではなく、もう誰もいなくなってしまったのが伝わって来るような、不気味な閉まり方なのだ。

そういえば、この港から続く大通りは、この先マルセイユがもっと観光地化することを見越して、数年前にアメリカ人が大通りに面した建物を全て買収したという話を聞いたことがある。確かに、2年前にも既に、港にほど近いあたりでは幾つか昔からの店がなくなり、改築を始めていた。それにしても・・・大通り全部を、こんなまるまる全部、買い取ったなんて知らなくて。

2年前には毎日通っていた道が、すっかり廃墟になって、そのあときっときれいなブティックが観光客向けに立ち並ぶ予定なんだろうけど、もう、あの見慣れた風景は戻ってこないんだなぁ・・・とすっかり感傷的になりながら、大通りを端っこまで歩いた。それこそ、端から端までほとんど全ての店が閉まって看板すらなくなっている状態で、そんな「紙箱の卸の店」も全く見当たらない。

「紙箱が見付からなかった」より数倍の精神的ダメージを受けたわたしは、そのまま大通りを渡って、元来た方向へ戻る。なんにしろまたさっきのプロ専門店の前を通ることになるので、ちらっと中に目を向けると、おじさんが気づいて出て来た。

おじさん 「おぅ、紙箱見付かったか?」

わたし 「・・・それが、もうあの通りはほとんど全部の店が閉まっちゃっててさ・・・おじさんが言ってた店も、多分もうないみたいだよ」

おじさん 「あぁ〜・・・そっか・・・もうあそこの道はどんどん立ち退きになってるからなぁ・・・まったくひどい話だよな」

わたし 「だよね・・・なんだか道全体が廃墟みたいで怖かったよ」

おじさん 「他にどっかあるかなぁ・・・あっそこの目の前の店にもしかしたらあるかも!ほれ、あそこのかどっこの店」


と、おじさんが差したのは、食器とか雑貨とか、まぁいろんなものをごったに売ってる、アラブ雑貨屋のような店。あんなとこにあるんかいなと思いつつも、「すぐそこ」なために行かないわけにもいかないし、まぁ聞くだけ聞いてみるかという感じで店に入る。

わたし 「あのぉ、チョコレートとかを詰めるような小さい箱って・・・」

おじいさん 「あぁ・・・ドラジェ(結婚式で配る砂糖菓子)用のヤツならあるけど」

わたし 「どういうのですか?」

おじいさん「これか・・・これ」

わたし 「そっちはちょっと大きい・・・かなぁ・・・そっちだと・・・ちょっと小さ過ぎるかも・・・」

おじいさん 「・・・(かなり愛想悪い)」

わたし 「じゃぁ・・・その大きいの、それ、いくらですか?」

おじいさん 「1個1ユーロ」


・・・高けっ。

これは・・・ひとにあげる分をそれぞれ箱に入れるだけでもかなりの出費だよなぁ・・・。じゃぁ大まかにわけて3箱にするか・・・。


わたし 「じゃぁ、その大きいのを、3つ、ください」

おじいさん 「ダメだよ。これは、最低50個から」


・・・・・ええっ?!

こんな見た目まるっきしアラブの安物雑貨のくせに、そのプロ意識はなに?!

わたし 「50個って・・・そんなに使わないんですけど・・・」

おじいさん 「じゃぁ、諦めな」


・・・・・

・・・・・


今年のバレンタイン、箱入れ断念・・・。


もういい加減つかれていたので、そのまま、1000枚の紙ケースとチョコの材料を持って家路についた。

と、帰ってしばらくして、お友達Rから電話がかかって来た。

R  「お疲れ〜。なんかね、Kちゃんちに、退出勧告が来たらしいよ〜。」

わたし 「なにソレ?退出勧告?」

R 「ほら、(滞在)許可証の更新が拒否されて、もうフランスから出て行けとかってやつ」

わたし 「え、えぇ〜〜〜!!!まじで?」


そのお手紙の話、パリではあるらしい、と、噂には聞いていたのだけど、実際に身近な人で貰った人がいなかったので、「よほど悪いことをするとかでない限り、来ない物なんじゃないか」って思っていた。でも、そのKちゃんは、別に何を悪いことをしたわけでもない。断られた理由として考えられるのは、「語学学校5年目だから」。確かに、語学学校で5年目とかになると、更新を断られることがあるらしい。5年も語学をやっていたら、もうそれ以上習うコトないから、なのかなぁ?それに、5年目あたりっていうだけで、何も詳しい情報がない。5年目、が、ダメなのか、5年まで、いいのか・・・。


わたし 「で、Kちゃんどうするの?」

R 「とりあえず、弁護士に相談したりするみたいだよ」

わたし 「え〜ていうか弁護士とかすごいよねぇ?わたしなんかそんなん、弁護士に相談とか、どうすればいいのかも分からんわ・・・」


そう言いながら、なんだか何とも言えない不安がこみ上げて来るのを感じていた。そう、わたしもその時まさに、「滞在許可証の更新手続き」を終えて、更新されるのを待っている状態だったのだ。私の場合はそれでもまだ3年目なので、まさか退去勧告は来ないだろうけど・・・それでも、ただでさえ待っていて不安なところに、そんな物がきたら、さぞかしショックに違いない。しかも、何日以内に出て行けとか言われても、どうしていいか分からん。Kちゃんはどんな気持ちなんだろうか・・・と思うと、人ごととは思えず心配になって来た。


とりあえず、今はバタバタしてるだろうから、明日にでも電話してみよう・・・。


気が付くと、チョコを作る気持ちはすっかり萎えつつあった。

学校生活

背景の部分でも触れた、中学3年生に混じっての授業もはや4ヶ月。
クラスメイトとも友情らしきものも芽生えて来た。
ちょうど14歳、15歳といった面々なので、見ていてもなかなか面白い。
以前、日本にいた時にちょうどこのくらいの年頃の子供たちの家庭教師をしたこともあったけど、
今の私の歳で日本の中学校に入ると思ったらなかなか足がすくむけど、
フランスでは何故かとけ込めてしまうから嬉しい。
マルセイユという土地柄もあり、もともと問題児を抱える私立校なために、ちょっとくらい変わった東洋人がいても、あまり気にならないらしく。
さすがに、未だに歳を聞かれるけど・・・あまりにも衝撃を与えたらいけないので秘密にしている。だって、先生たちと同じ年代と知れたら・・・ビビるだろうなぁ。


ついこの間も、算数の授業でいつも隣になる女の子から歳を聞かれた。
レナ:「ねぇ、何歳なの???」
私:「え、レナよりもずっと年上だよ。」
レナ:「年上って?17歳?」

・・・どこをどうみたら17歳になるのかも分からないが、そんなとこからスタートされても困る。

私:「ううん。もっと上。」
レナ:「え〜、じゃぁ18?19?」

この調子で1つづつ上がり、25超えたくらいからは、声がなんかやけくそ気味。

レナ:「もぉ〜まぁいっか〜!」

別に教えたっていいんだけど、この難しいお年頃の子供たち、私が先生と同じ年代って分かったら、なんだか距離を置かれそうで・・・ってめっちゃ転校生の気分なので、私的にはこのままひっそり紛れていたいのだ。


フランス語の授業との兼ね合いもあり、実際に時間割的に受けられるのが、数学(週に4時間)と地理・歴史(週3時間)だけ。でも授業の内容もなかなか興味深くて、楽しみになりつつある。
特に歴史は、ちょうど第2次世界大戦あたりをやっていて、実際当時のフランスやドイツの動向について詳しく考えてみたこともなかったので、本当に目からうろこ満載である。
教え方も、日本のような「ポイントまる覚え」ではなく、全体の流れを、その当時の人々の立場や気持ちになって考えてみるような感じで、特にナチスドイツあたりでは、生徒たちの議論もわき上がる。
わたしも、ナチスドイツのことはちらっと知ってはいたけれど、「どういう方法で人々の心を掴んだか」「どうして人々はヒトラーの考えに賛同したのか」「ヒトラーの迫害の標的となったのはどういう層か」「何故他の国々はヒトラーの行動を阻止出来なかったのか」そして「第2次世界大戦のきっかけとなったヒトラーの行動」などについて、初めて知ることが沢山あった。実際に用いられていたプロパガンダな広告や当時の教科書など、目にする資料もとても新鮮。まぁ私が歴史全般嫌いで、ほとんどお勉強しないできたというのもあるんだけど、興味を持って勉強すると、こんなに深いものなのか!と。
CAP受験の必要性から始めた勉強だけど、こんなまた人生で持てたことに感謝の気持ちすら覚えたものである。


ただ。
たまに行われる定期試験。これが、曲者。
ちょっと理解したかな?程度では、出来ない仕組みになっている。
大概の場合、4つくらいの絵や文献がテスト用紙にあり、それについての設問があるのだけど、
例えば、ドイツの地図の中心に、横を向いたヒトラーの絵が描かれているもの。
Q「この絵の中で、ヒトラーはどっちの方向を向いていますか。何故ですか。」


・・・え?
どっちて・・・え?右?右翼?え?!

そうか、これはこの後のポーランドなど東欧諸国の方角、と言えばいいのだな!と思い、書き始めて、

・・・あれ?チェコスロバキアってフランス語での綴りはどうだったかなぁ・・・Tか?Cか?????

やけくそでカタカナを書いてしまいたい気持ちを抑えて、絶対に間違ってると確信しつつも書いたチェコスロバキア・・・あぁ恥ずかしい。


まぁこんな感じで、三十路過ぎたおばちゃんなわたしも、なんとか学生生活にとけ込みつつあったのだ・・・無理矢理ながらも。



しかし、この日12日、あるものがわたしの家めがけて出発していた。
そんなこともつゆ知らず・・・ナチスの綴りすら間違って出した答案のことで頭がいっぱいの私なのであった。

背景

さて、この度わたしが抱えている問題は、実はパリなんかではここ数年でけっこうメジャーな問題のようだった。
「学生に対する規制が厳しくなったらしい」という声は、けっこう聞いてはいたものの、しかしここマルセイユでは具体的にどうこうと言う問題は起きていなかった。
私自身、まわりに同じ語学学生で4年目でも問題なく許可証がおりた例を前年に見ていたし、3年目の今年はもちろん、4年目の来年までは大丈夫とタカをくくっていた。



CAPという国家資格取得を、自由参加枠で受験しようと思い立ったのが昨年秋。
フランスでのバカロレア(高校卒業資格)がないため、日本で大学を出ていようと、全ての教科の試験を受けなくてはならないと知ったのも昨年秋。
それまでは、フォーマシオンと言う職業訓練校でCAP取得をしようと思っていたのだけど、実際マルセイユには外国人が行けるところもなく、フォーマシオンに行くには労働許可が必要、労働許可を得るためにはCAPが要る、というジレンマに陥った。
自由参加枠があることは聞いていたけれど、CAP自体、「フォーマシオンで勉強した人は特に有利」という話を聞いていたし、マルセイユに来て2年間はフランス語にもおぼつかなかったので、挑む気持ちになれなかった。
と、3年目、今通っている語学学校を知った。ここは、もともとが私立の中学校・高校が一緒になった学校で、その付属として、外国人にフランス語を教える部門がある。
通常はそこに登録し、学生の労働許可証を得るのだけど、この学校のいいところは、その部門に登録した人は、自由に中学・高校の授業にも参加出来るということ。ちょうど、算数や歴史、物理や体育まであるCAP受験にどう対処すべきか途方に暮れていた時期だったので、迷うことなく登録をした。CAPに必要な学力レベルは、14〜15歳なので、中学校3年生レベル。それでもわたしには難しいのだ・・・。


それから4ヶ月、もう10年以上使っていなかった脳みそを酷使して、算数やら歴史やら、時間が許せば物理など、中学3年の授業に参加。CAPの準備という理由で始めた勉強だけど、フランスで習う算数や歴史は、また違った味わいがあって面白く、間違いなく自分が中学生だったときよりも数段、意欲を持って勉強出来ている気がする。



ただ、自分的に、勉強を進めるに連れ、「今年の取得は無理かも」という気持ちが強くなった。もともと週末にはバイトをしているし、CAP取得にはただでさえ膨大な専門知識が要求される。この職業でいままで食いつないで来たとはいえ、仕事で覚えることと、教科書で覚えることは違っていたり、仕事ではそれこそ今まで知らずに来たことも、多くある。そういう専門的な勉強だけでも大変なのに、実際のところ、歴史や算数、そしてフランス語にかかる時間がかなりあり、なかなか自分でうまく進めることが出来ない。


とにかく、受けるだけ今年受けて、雰囲気だけでもつかみ、来年取得を目指そう。
そう思っていた矢先だった。