コンピューティング史見聞録(1)

京都テキストラボという会社の情報ページで、月刊の連載をすることになりました。コンピューター・サイエンスに関わるテーマでということだったので、個人的に興味を持っているコンピューティング歴史について書くことにしました。

私は幸運にも教科書に名前が出てくるような人々をはじめ、いろいろな人と知り合いになることができたので、そのような経験も踏まえて、技術的な内容に深入りするのではなく、人に焦点を当てて興味深いエピソードを交えたものを書いていこうと思っています。

月刊で一回1800字程度ということなので、私が書きたいことを全部書くには10年くらいかかるのでは、という気もしています。気長に付き合っていただければ幸いです。

 

コンピューティング史見聞録(1) – 京都テキストラボ情報&教育サイト

近況

ほとんど3年ぶりの近況報告です。

前回もCroquetというスタートアップについて書きましたが、いまだになんとかやっています。大きな違いとしては、ここ1年くらいは"Croquet"の原点に戻り、3次元の共有環境を作っている、ということです。

ウェブベースなので、いろいろなサイトに埋め込んでも使える仕組みを作りました。生のiframeでもできますし、WordPressプラグインも作ったので、WordPressのページに埋め込むこともできます。("Croquet Metaverse Web Showcase"という名前でプラグインを検索してみてください。)

というわけで、このページにも会社のShowcaseを埋め込んでみます。中央下にある丸いツールで3次元空間の中を歩き回ることができます。


このはてなブログへのリンクをお友達に送れば、あっというまに同じ共有空間の中に入って、本来であれば会話もできたりします(ただはてなブログのシステムが許可していないようですが)。壁にかかっている絵やPDFも仕組みとしては簡単に変えられるので、自分だけの部屋を作れるわけです。はてなでももしパーツとして使えるようになれば面白いかなと思ったりはします。

近況

久しぶりの近況です。

スタートアップとしてやっているCroquet Corporation (https://croquet.io)はまだなんとかやっています。SDKを提供する会社と思ってはいたものの、自社でそれを使ったアプリを出す羽目になる、というのが歴史が教える教訓のようでもあり、かなり力を使ってそれらしいものを作りつつあります。ところどころ社長が講演するときに使ったものが動画となってみられるようになったりするでしょう。

去年の4月から、ポラリス学院というロサンゼルスにある日本人の子弟向け土曜日学校で高校生に数学を教えていました。が、コロナ禍による休校で、そちらのお手伝いはパッタリと止んでしまっています。学校で出るような数学の問題もやりつつ、最後は「長い風船をひねって多面体を作る」というVi Hartから聞いた内容をやったりもしていたのですが。

それから、もう直ぐ出ます、と言いつつなかなか出なかった、"Inventive Minds"という本の訳本「創造する心 - これからの教育に必要なこと」https://www.oreilly.co.jp/books/9784873119007/

がようやく出版されました。内容は種々の著者によって書かれた10本以上の小編が集められたものであり、内輪向け的な内容のものもあるのですが、メインのメッセージである「年齢別に学年を分けて皆が同じことをすることには問題がある」とか、「リタイヤした専門家は世の中にたくさんいるのだから、小学生にでもそのような人による遠隔講義ができるはずだ」とかそういうアイディアを拾うために読んでいただければと思います。Alan Kayがこの本のために書いた章には、実は印刷された本では説明しきれない、コンピュータを使ってこその表現が含まれていたので、それを伝えるためのアクティブ・エッセイも作られています。こちらも読んでいただければと思います。

https://tinlizzie.org/tinkertoy/ja.html

出版社から本を送っていただいたはずなのですが、日本からアメリカへの郵便物はいろいろと遅れが出ているようで、実はまだ受け取っておらず、私自身は実は物理的な本はまだ手にしていないのです。実物を手にする日を私自身楽しみにしています。

Internet 50イベント

現在のインターネットの直接の祖先であるネットワークシステム上で初めてデータが送られたのは、ちょうど50年前の1969年10月29日のことでした。今日は、そのことを記念してUCLAで行われたイベントThe Internet 50に参加してきました(コンピューター間でデータのやりとりをしたのはこれが最初ということではないですし、また実際に異なるネットワーク間をつなぐという"inter-networking"が実装されたのは何年か後のことなので、この日をもってインターネットが生まれたというのはやや恣意的なところはありますが、お祝い事はたくさんやったらよいのです)。

初期実験の主導者Len Kleinrockはまだまだ健在で、今日のイベントの主役でもありました。LAの市長Eric GarcettiがKleinrockの業績を紹介し、それを顕彰する賞状を進呈していました。Lenは間違いなく重要な仕事を成し遂げた人ですが、UCLAで時々通りかかる彼のオフィスの壁は色々な賞状が飾ってあり、そういうものを飾るのが好きな人のようででもあります。今日また新たに一つ付け加わったわけです。

Lenの最初の講演のトーンは「高い理想を持ってインターネットを作ったのに、50年経ってみてみるとダークサイドばかりが目立ってちょっとがっかりする」というものでした。(家に帰って新聞をみたら、同趣旨の意見が載っていました。https://www.latimes.com/opinion/story/2019-10-29/internet-50th-anniversary-ucla-kleinrock)

最初のパネルは当時実際に携わったBill Duvall, Charlie Klein, Steve Crocket, Vint Cerf、Len Kleinrockの話をJohn Markoffがモデレーターとして聞くというもので、これは参加して聞いた甲斐があると思えるものでした。成功の鍵は若者の情熱、そして国からの豊富な研究資金をプロジェクトにではなく何か大きなことをやりそうな研究者に提供するという当時の資金提供の手法ということで、それを可能としたARPA側のビジョンとビジョナリーにも大きな感謝が捧げられていました。個人的に興味のある「ARPNetは核戦争にも耐えられる対故障性を持たせるべく設計された」という「伝説」の話もあり、こういうニュアンスに富んだ話の例に漏れず、答えはyes/noで簡単に言えるようなものではないという話がでてきました。現場の若手はそのようなことは気にせずに使えるネットワークを作りたいと思ってやっていた人が多く、実際に核戦争レベルの対故障性を求めていたらデザインも変わっていたとは思う、という発言があった一方で、それでも上層部は軍に説明するためにそういう話をしていたり、また現場には直接言わなかったけれども、のちに行われた衛星や移動式の版を使った実験などの提案はそのようなことを念頭に置いていたという話もあったりして、The Dream Machineにもあったように単純な話ではないわけですが、やはり実際の人々から話を聞けたのはよかったです。

次のセッションはJP Morgan ChaseのJamie DimonとAlphabetのEric Schmidtが登壇し、未来について語っていました。が、特にDimonは「我々の世代がこんなに素晴らしいものを作って渡しているのだから、若い世代はそれを使ってもっと良いものを作っていけば良い」というむやみな楽観論だったりしてちょっとどうかなと思いました。Eric Schmidtも、ネットによる中央集権化は恐れることはない、エッジでいつも新しいことが起こっているのだから、ということではありましたが、「そりゃGoogleの人は気楽に言えるけどさ」と思わなくはないです。実はDimonが最初に話す時に、JP Morganが気候変動の対策をサボタージュしているという横断幕を掲げた活動家が舞台に駆け寄り、太鼓を鳴らしながら騒ぐという一幕がありました。

次は、Mark Cuban、Ashton Kutcher、Preethi Kasireddy、Bud Tribbleそしてプログラムには載っていませんでしたがMeg Whitmanがパネリストとなり、Ellen Levyがモデレーターという組み合わせでした。テーマは"disruption"ということでしたが、もはやインターネットというよりはテクノロジーについてのセッションでした。Mark Cubanの、「気候変動に対処しなかったら、ここで言っている未来技術の話は全部意味がなくなる」という当たり前の発言、そしてKutcherが情熱を持って取り組んでいる幼児ポルノの問題など良い話もあったのですが、他の参加者からの要旨の取れない発言があったりもしてちょっとしまらない感じではありました。Meg Whitmanはカリフォルニアの知事に以前立候補した時に、自宅のメイドはそれまで家族の仲間として長年住まわせていたのに、実は不法労働者だったということが報道されそうになった瞬間に追い出したりしたことがあったのですが、それでもこういう場で「人々のことをしっかり考えて」みたいなことを言っているのを聞くと微妙な気にはなります。

午後はAkamaiのCEO Tom LeightonとRadia Perlmanとの組み合わせだったのですが、運営は何をトチ狂ったのか、あのインターネットの母(はちょっとだけ大げさかもしれませんが)そして子供向けプログラミングでも成果を残したPerlmanを、脇役のインタビュアーとして使い、Leightonに今のインターネット企業のセキュリティの取り組みについて話させるという中身の薄いセッションにしてしまっていました。Perlmanならピンでもインターネット50年について深い話ができたはずななのに。

そのあとは、Molly Burke、Judy Estrin、Eugene Voloch、Rick WilsonそしてKatie Hafnerによる、言論の自由と責任についての議論でした。必要な議論ではありますが、インターネット50周年のイベントでやるべきものだったのかというのはちょっと微妙です。

その次はPeter ThielとBob Metcalfeのディベートで、題は「イノベーションのペースは落ちているのか」というものでした。ちゃんと真っ向から意見を戦わせつつ、聴衆も笑わせて中身もあり、これはパネルとしてはなかなかよかったと思います。Thielの立場は、80年代以降インターネットとビットに関わる技術は確かに進歩したが、そこ以外ではほとんど世の中にインパクトを与えるようなイノベーションは非常に少ないという主張で、Metcalfeはいや、特許の数や研究資金の額を見ればどんどん伸びているということではあったのですが、このパネルに限ってはThielの主張のほうに賛成してしまいます。(他のThielの行動や意見には同意しかねるものもありますが、少なくともそういう行動や意見を論理的に説明できるところは評価できると思います。)

その次はPatrisse Cullors、Bran Ferren、Jameela Jamil、Katelyn OhashiそしてRaffi Krikorianで、ビデオがバイラルになったりするというメガフォーン効果についての議論だったのですが、ちょっと中身がなさすぎて私にはコメントができない感じです。Bran Ferrenはディズニー時代の上司でもあり、考えはちゃんとある人なのですが、やはり時間が短すぎたようです。また、タレントでもあるJameela Jamilはなぜかすべてのコメントに対して自分が何か言わないといけないと思っていたのかいちいちありきたりのことを言うという感じではありました。

最後のパネルはEric Haseltine、Danny HIllis、Daniela Rus、Henry Samueli、Steven WalkerそしてRon Conwayというセッションで、未来の予想の話でした。EricとDannyはこれまた私のディズニー時代からの上司・同僚であり、評価の高い未来論者です。脳直結インターフェイス、完全に空気のようになったネットワークというような世界像が語られました。みな話し慣れしておりなかなか楽しかったです。

Werner Herzogがいくつかのドキュメンタリー制作の時の事実のあり方について話をしました。

Gary Kasparovが話をしました。50年前はアポロ計画もあり、アメリカも「難しいからこそチャレンジする」という大きな夢を持っていた時代で、Appllo 11の着陸を見るために皆が街に出たりしていたのに、今はiPhone 11という、既に持っている電話と大差ないものを手に入れるために人々が並んでいる。また50年後に振り返って今のことが話題になるような大きな夢を持とうではないかという話で、なかなかよかったと思います。

締めくくりはもう一度Kleinrockで、こちらもまた次の50年のためになにかをやりましょうという話でした。

イベントはややセレブリティーに頼りすぎで、50年間の努力の話がやや薄すぎたのと、セッション観に登壇者と話すような時間もなく、connectivityがどうのこうのという会としては、ちょっと寂しかったかなとは思います。が、最初に書いたようにお祝いはたくさんやったら良いですし、また我々の仕事は実際に何かをすることなので、その動機付けにはなってくれたと思います。