古畑 VS イチロウ
「キビシイ!!」とかいってももう誰もわからないかもしれないが、イチロウが古畑に出演した回をみた。イチロウの演技は野球のプレイと同様自然体の堂に入ったものだったが、三谷幸喜の脚本はいまひとつだったなと思う。殺人の動機が弱いし、謎解きもほとんどない。その前の石坂浩二と藤原竜也の回がすばらしかったものだからなおさらそう感じる。三谷幸喜はシチュエーションコメディーのように多少の穴が許されるものをたくみな概算法でまとめあげることには長けているのだけど、ミステリーのように寸分の狂いもなくはめこむ計算力は資質として持っていないのだと思う。まだ松嶋菜々子の最終話はみてないが、はたしてどうだろうか。
それよりぼくが評価したいのは年末にNHKで放映されていた伊東四朗主演「名探偵 赤富士鷹」だ。アガサ・クリスティー作品の翻案なので、ミステリーの部分のすばらしさはクリスティーに帰せられるべきだけど、見事に舞台を昭和初期の日本に置き換えた手際と、魅力的な人物の造型がよかった。イチロウもいいけどシロウもいい。「つん、つくつくつくつん」。
いえるうちにいうこと
Wars teach us not to love our enemies, but to hate our allies.
W. L. George
「戦争は、敵を愛することでなく、味方を憎むことを教えてくれる」。
確かに戦闘での死者より餓死や病死が多かった60年前のあの戦争ではそうだよな、とうなずいたりしながらも、自分の信念そっちのけで何事も面倒なことから逃げてしまうぼくは、召集令状がくるような状況だったら、逃げる勇気もなく、いやいや出征してしまったような気がする。戦争から逃げ出すことの方がよほど勇気のいることなのだ。それで、躊躇しながらも「敵」を何人か殺したりして、運良く生還できたときには、「戦争には正しい戦争と間違った戦争がある」なんてほざくようになり、反戦運動をする人を意気地無しとののしるようになったのかも知れない。
ぼくにかぎらず実は多くの人がそうなのではないだろうか。60年前のあの戦争でもおそらくは戦争の大義に疑問をもちつつ出征した人が少なからずいただろう。勇気をもって戦場から逃げ出すことのできるのはごく一部の人間だ。そういう勇気に期待しても戦争をなくすことはできない。だから、勇気がなくてもいえるうちにいっておかなくてはいけないのだ。「戦争なんてまっぴらごめんだ」と。