Reactions

承前*1

イランのエブラーヒーム・ライースィー大統領の死に対する反応;


Armani Syedmay "Thousands Attend Iranian President Raisi’s Funeral Procession, as Others Celebrate" https://time.com/6980553/president-raisi-funeral-iran/
By Parisa Hafezi "In divided Iran, president's death met by muted mourning and furtive celebration" https://www.reuters.com/world/middle-east/divided-iran-presidents-death-met-by-muted-mourning-furtive-celebration-2024-05-20/
Anthony France "Iranians celebrate President Raisi’s death with fireworks and dancing in the streets" https://www.standard.co.uk/news/world/iran-president-ebrahim-raisi-helicopter-crash-death-fireworks-dancing-b1159017.html

300回忌

浅見茂晴「君津・久留里藩ゆかり儒学者 新井白石300回忌法要」『毎日新聞』(千葉版)2024年5月17日


君津市にあった久留里藩とゆかりがある江戸時代中期の儒学者新井白石(1657~1725)*1の300回忌法要が命日の19日、東京都中野区の高徳寺で営まれる」。


白石は久留里藩士だった父を持ち、江戸に生まれた。記録では16歳と18歳の時の2回、久留里を訪れているという。その後、儒学者、木下順庵に学び、甲府藩に仕えた後、徳川6代将軍・家宣と7代・家継に儒学を教える「侍講」として仕えた。儒教精神に基づく文治政治「正徳の治」を進めた。
中野区上高田1丁目にある高徳寺は浄土真宗大谷派の寺*2新井白石とその一族の墓だけでなく、「新井白石記念ホール」というのもあるという*3
ところで、この小さな記事を読んで思い出したのは、荻生徂徠*4が久留里と同じ上総の茂原で少年時代を過ごしたことである*5。また、今年はイマニュエル・カント生誕300周年である。

乱気流

Chayut Setboonsarng and Panu Wongcha-um “Singapore Airlines flight hits severe turbulence, one passenger dead” https://www.reuters.com/world/asia-pacific/singapore-airlines-flight-makes-emergency-landing-bangkok-30-injured-thai-media-2024-05-21/


倫敦から新嘉坡に向かっていた新嘉坡航空機が激しい乱気流に巻き込まれ、タイのバンコク緊急着陸した。乗客30名が負傷し、うち7名は重傷だった。また、73歳の英国人男性が死亡したが、推定される死因は「心臓発作」であり、乱気流との因果関係はわからない。
「乱気流」ということで思い出したのは、2014年12月に韓国の仁川発のアメリカン航空機が日本上空で乱気流に巻き込まれ、成田に緊急着陸した事故。当時、『朝日新聞』は次のように伝えていた*1


乱気流14人けが、成田に緊急着陸 仁川発米国行き

2014年12月17日01時27分


 成田国際空港会社に16日午後10時50分に入った情報によると、韓国・仁川発米ダラス行きのアメリカン航空280便(ボーイング777―200型)が、乱気流に巻き込まれて機内でけが人が出た。同機は成田空港に17日午前1時ごろに緊急着陸した。国土交通省成田空港事務所によると、けが人は乗客10人と乗員4人。全員軽傷だという。太平洋上で乱気流に巻き込まれたとみられる。
http://www.asahi.com/articles/ASGDJ7WNXGDJUDCB016.html


乱気流「死ぬかと思った」 成田緊急着陸の乗客
2014年12月17日14時53分


 17日未明、乱気流に遭ったアメリカン航空機が成田空港に緊急着陸した事故で、乗客の女性1人が頸椎(けいつい)を骨折、男性客室乗務員も肩の骨にひびが入るなど、最低でも12人が負傷したことが同航空などへの取材でわかった。日本人はいないという。国の運輸安全委員会は17日、当時の状況を調べるため、航空事故調査官3人を同空港に派遣した。

 国土交通省成田空港事務所によると、緊急着陸したのは韓国・仁川発米ダラス行きアメリカン航空280便のボーイング777―200型機(乗客・乗員255人)。16日午後6時15分に仁川を出発。石川県小松市茨城県大子町を結ぶ航空路を飛行中だった同7時半〜40分ごろ、高度約8230メートルで乱気流に巻き込まれた。同8時半ごろ、成田空港の東北東約1300キロの太平洋上で着陸を決定。17日午前0時55分ごろ、成田空港に緊急着陸した。

 着陸後、韓国籍の会社員男性(32)は「急降下し、死ぬかと思った。みんな大声を出し、乗務員が引くカートが当たってけがをした人もいた」と証言。家族と搭乗していた米国籍の少年(15)は「機体が上下動を繰り返し、食事を運ぶカートが宙に浮いていた」、韓国籍の男性(25)は「経験のない揺れで、機内はパニックになった」と話した。
http://www.asahi.com/articles/ASGDK34N7GDKUDCB006.html

乱気流はけっこう経験している方だと思うけれど*2、幸いにして怪我人が出るようなことはま出くわしていない。

宇野弘蔵

小林敏明『柄谷行人論』*1から。
柄谷行人ではなくて、宇野弘蔵*2を巡る抜書き。
『経済学方法論』からの引用;


一方に体系的に完結される原理論と、他方に無限に複雑なる具体的な過程を解明しようとする、したがってまた決して完結することのない現状分析と、この両者の間に入って原理を現状分析にその一般的基準として使用する場合の媒介をなすものとしての段階論の規定を要するのである。それは歴史的過程を理論的に解明する特殊の方法をなすものである。かくて段階論的規定は、原理論と現状分析との中間にあって、原理論のように体系的完結性を有するものではないが、しかしまた現状分析のように無限に複雑なる個別的具体性を有するものでもないということになる。(後略)(Cited in p.155)
宇野による「原理論」「段階論」「現状分析」を小林氏は以下のように解説している;

宇野は、マルクスの『資本論』がイギリスの産業資本主義をモデルに書かれたものであり、そのかぎりで歴史的制約をおびたものでありながら、しかし同時にここにはどの時代のどのような資本主義にもあてはまるような本質的な原理が言及されていると考え、そうであれば、たとえマルクスの言葉であっても、間違っているところには修正を施しながら、その作業をとおしてあらゆる資本主義に普遍的に妥当する基礎理論を再構成する必要があるとした。この研究作業が原理論と呼ばれるものである。
ところがマルクスの死後、資本主義はマルクスも知らなかったような発展を見せることになる。いわゆる金融資本が主役となる資本主義、さらにはその帰結としての帝国主義の政策である。前者に関してはヒルファーディングの『金融資本論』が、後者に関してはレーニンの『帝国主義論』がよく知られていよう。宇野はこの金融資本を基礎にした帝国主義政策を資本主義のひとつの発展段階ととらえ、原理論とは区別して、それに固有なシステムの解明が必要だと考えた。この研究分野が段階論であり、ここにはマルクスが言及しながらもまだ本格的には論究できなかった株式会社などのテーマも入ってくる。
とはいえ、原理論も段階論もいまだ現実の資本主義そのものを説明したものではない。現実の資本主義は国や発展上の事情によってそれぞれ異なっており、そのことを踏まえて具体的にとらえなければいけない。それが現状分析と呼ばれ、アクチュアルな実践にも利用できるものなのだが、とはいえその錯綜した具体的現実の解釈は任意になされるべきではなく、あくまで原理論と段階論の知見に照らし合わせてなされなければならない。(後略)(pp.155-156)
マルクス経済学」と「唯物史観」の峻別を巡って。
宇野は「経済学は唯物史観の最も重要な点をそのままは明らかにしえない」という(『資本論の経済学』、cited in p.160)。また、

マルクスの経済学は、単に社会主義的観点から資本主義を批判したというものではない。それは何人にも、その人の階級的立場の如何にかかわらず、論理的に承認せざるを得ないものとしての科学なのである。(『経済原論』、cited in p.161)
何故「峻別」しなければならないのか。

「経済学は唯物史観の最も重要な点をそのままは明らかにしえない」というこの「科学」重視の態度は、むろん多くのマルクス主義者たちから批判を受けた。いうまでもなく彼らにとって両者は不可分のものだからである。しかし、宇野は「唯物史観」の名のもとにイデオロギーが介入して資本主義の理論的解明に曇りが生じてしまうことを恐れ、理論家としてのマルクスとイデオローグとしてのマルクスを厳密に区別しようとしたのである。それはまたマルクスマルクス主義者との峻別でもある。周知のように、同じマルクス主義者の間にもそれぞれの立場によって、それぞれに異なったマルクス解釈がある。ましてそこから実践の方法を導き出そうとする場合は、その解釈の相違がそのまま「政治闘争」にまで発展してしまうことは、歴史の教えるとおりである。戦前共産党と労農党をそれぞれ代表した講座派と労農派による日本資本主義論争を経験したことのある宇野が戦後になってリゴリスティックな姿勢を貫いたことは、『資本論』という貴重な知的遺産をそうした「党派闘争」から守ろうとするところに起因していると言っていい。(ibid.)

「伝記」を巡って

スティーヴン・ミルハウザーエドウィン・マルハウス』(岸本佐知子訳)*1から。


伝記を攻撃する人々によれば、伝記の致命的な欠点は、しょせんはフィクションの枠を出ることができないという点である。どんな日付も、どんな出来事も、どんなに些細な一言も意図されたプロットの一部であり、それらが徐々に、そして巧妙に、あらかじめ予定されたクライマックス――すなわち、主人公の輝かしい偉業――へ向かっていくのである、と。主人公の人生の他のあらゆる部分は、必然的にその中心的イメージに結びつけられ、ちょうど暖炉の火の魔法が見慣れた部屋を魅力的に見せるように、中心的イメージが人生のディテールにありもしない意味を与え、輝かせる。さらに言うなら、その意味は、未来の伝記という名の檻の外でのびのびと遊ぶ生前の主人公自身にとって、おそらくまるで無関係なものなのだ。中心的イメージからニセの意味を与えられた伝記のディテールたちは、中心に向かって吸い寄せられ、一語一語が同じ方向を指差しているかのように見える。「伝記なんて簡単さ」今からそう遠くないある蒸し暑い晩、エドウィンはそう言った。「起こったことを全部書けばいいんだろ」芸術家の気質というものが、昔から公正な判断を欠くものであり、エドウィンの場合、それがほとんど愚鈍と思えるほどに甚だしいことについては、今さら言う必要もないだろう。しかし、彼はそれだけにとどまらず、(彼の舌足らずな意見を正しく翻訳するならば)こうも言った。そもそも伝記という観念がすでに救いがたくフィクションである。なぜなら、現実の人生はクエスチョンマークや、伏せ字、空白、延々と続く脚注の行列、抜け落ちたパラグラフ、どこにもつながらない”……”の繰り返し、そんなもので満ち満ちているというのに、伝記が差し出すのは見せかけの予定調和であり、神のごとき伝記作家によって整然と並びかえられたディテールの集積にすぎない。そして伝記作家がときおり装ってみせる無知や不確実も、たとえば手の込んだフルコースのディナーを出した女主人が、こんなものは別に大した手間ではありませんでしたわ、と謙遜してみせるのと同じくらい空々しい欺瞞に満ちているのだ、と。エドウィンは、自分にとって優れた小説はすべて真実として映るのだと主張した。そのため、気狂い帽子屋やウミガメモドキの存在は完璧に信じることができても*2、マルハウス氏が愛すべきエピソードを語って聞かせたルイス・キャロルその人は荒唐無稽な想像の産物としか思えないという、奇妙な事態が彼の中で起こっていたのだ。(pp.183-185)
エドウィン・マルハウス』は「 エドウィン・マルハウス」という架空の人物の、「ジェフリー・カートサイト」という架空の伝記作者による「伝記」という設定になっている。
ところで、「起こったことを全部書けばいいんだろ」ということで、歴史と年代記(クロニクル)の違い、また完全な年代記(クロニクル)の(不)可能性についての議論を思い出したりした(Cf. 野家啓一『物語の哲学』*3)。

『頼山陽』

本を買った。

揖斐高『頼山陽――詩魂と史眼』岩波新書、2024


さて、


黒田陸離「頼山陽の日記など5547点が国重文指定へ 広島藩儒学の功績伝える」https://www.asahi.com/articles/ASS3H71ZTS3GPITB014.html


曰く、


頼山陽史跡資料館(広島市中区)が所蔵する資料5547点が、国の重要文化財(美術工芸品)に指定される見通しとなった。15日*1、国の文化審議会文部科学相に答申した。幕末に広く読まれた歴史書日本外史」で知られる頼山陽(1780~1832)の実家で、江戸後期に広島藩儒学を振興した頼家の暮らしや考えを伝える学術的意義が評価された。

 重要文化財に指定されるのは、広島藩の学問所創設時に儒学者として登用された山陽の父・春水(1746~1816)以降、頼家で記されたり集められたりした書物、絵図、印鑑などの一部。山陽が18歳の時、江戸の昌平坂学問所へ遊学に向かう道中の日記などが含まれる。現在の資料館の場所に屋敷を構えた山陽の両親が、約60年にわたって記した日記からは、山陽の幼少期の様子や藩政を支えた当時の学者の日常をうかがうことができる。

*1:2024年3月15日。

Death confirmed

承前*1

Sam Jones “Iranian president Ebrahim Raisi dies in helicopter crash” https://www.theguardian.com/world/article/2024/may/20/iran-president-ebrahim-raisi-dead-helicopter-crash-mountains-azerbaijan-border-foreign-minister-hossein-amir-abdollahian


搭乗したヘリコプターが墜落したイランのエブラーヒーム・ライースィー大統領の死亡が確定されたようである。記事には遺体についての言及はないが、ヘリコプターの残骸は発見された。これに伴い、 Mohammad Mokhber副大統領が、50日以内に行われる大統領選挙までの間、暫定的に大統領の職務を遂行することになる。