「戦後日本」とは何だったのか

宣伝ですが、『「戦後日本」とは何だったのか-時期・境界・物語の政治経済史』に「戦後日本政治における職業的な利益と地域の利益」という章を寄稿しました(配本はもう少し先みたいですが)。本書は、科研の基盤研究A「戦後体制(レジーム)とは何であったか――「戦後日本」政治経済史の検証」の成果の一つということになります。政治学に限らず多くの研究者が参加した大部な本になっていまして、ちょっと値段も高いのですが、それぞれ読みどころのある本ではないかと思います。冒頭で「戦後」とは何かについて考えるところから始まって(第I部)、戦争の延長としての戦後(第II部)、外交・貿易・安保における戦後(第III部)、統治制度の原理や運用から見た戦後(第IV部)、社会・家族・環境から見た戦後(第V部)と続きます。本当にいろんな読み方ができると思うのですが、個人的には、第II部の議論、中でも前田健太郎さんの占領軍から見た「発展途上国のための行政学」という文脈での日本の官僚制の議論と、第IV部での孫斉庸さんの戦後唯一「大選挙区制限連記制」で行われた第22回総選挙に関する議論がとても面白かったです。

私のほうは、科研の中で北海道大学の満薗勇さんとご一緒になることが多く、そのテーマに合わせる感じで商店街や中小企業を中心にした「中小企業の利益」に注目した論文を書いています。国会会議録のテキスト分析で、1970年代半ばころ(具体的には大店法が制定されたころ)までは、「中小企業の利益」が大規模商店からの保護の文脈で議論されていたのに対して、特に1980年代くらいからはベンチャーや企業育成の議論が活発になっていったことに注目し、職業的な利益として論じられてきた商店街や中小企業の利益が、地域の「地元利益」として国会で取り扱われるようになった*1ことが、自民党包括政党化(の完成)と結びついているのではないかというように議論しています。やや大風呂敷な感じで、提示できている証拠のほうがまだまだ不十分であろうとは思うのですが、いろんな利益を地元利益に読み替えることが自民党長期政権と結びつくという議論自体は面白いのではないか、と気に入っているところではあります。この議論自体は、三宅一郎先生の名著である「政党支持の分析」にとても啓発されたものでした。

自分自身のこの科研の成果としては、本書と以前の『社会のなかのコモンズ』に寄稿した論文がメインのものになります。いずれも1970年代前半に重要な転換点があるのではないか(転換したかどうかとは別に)、という議論になっています。もちろん1990年代後半にも大きな転換点があると考えられるので、本書自体の感じで言えば、2回くらいの時期区分を見ているのかな、という感じがしています。

*1:議論の場も商工委員会から建設委員会へと変わっていきます。

韓国型福祉レジームの形成過程分析

明治学院大学のベ・ジュンソブ先生から、『韓国型福祉レジームの形成過程分析』をいただきました。どうもありがとうございます。ベさんは、もともと神戸大学法学研究科の大学院生で、その後しばらく助手を務めていただいておりました。本書は、博士課程の学位論文として提出されたもので、それを大幅に修正して出版したものになっています。私自身も審査の末席に参加したものであり、今回無事に出版されたことを非常にうれしく感じています。

本書は、「後発福祉国家」である韓国の社会政策についての歴史的な分析を行うものです。後発福祉国家というのは、まあそのままですが、ヨーロッパなどから遅れて、戦後しばらくたってから発展を始めた福祉国家ですが、このような国では、制度が導入されて受益者が増える拡大傾向にあるうちに、高齢化などの制度の見直しを求める圧力が強まって福祉国家再編が生じる、という特徴を持ちます。ヨーロッパや日本などは、人口ボーナス期に福祉国家の諸制度を拡大することができたのに対して、後発福祉国家ではそのボーナスを活かすことができる期間が短く、十分に拡大しないうちに福祉国家の先発組が抱える問題に直面する、ということになります。

そんな特徴を持つ韓国の福祉政治がどのように展開し、どのような特徴を持っているかを明らかにしようとするのが本書です。「古い社会的リスク」である年金・医療と、「新しい社会的リスク」に対応しようとする介護・子育て支援という4つの分野について歴史をさかのぼって検討し、前者は権威主義時代の制度遺産の影響を大きく受け、後者は民主化後の政治過程によって左右されやすいことを論じていきます。年金・医療がいわゆる低負担・高福祉から始まってそれをいかに縮減するかという似たような政治過程をたどっていくのに対して、介護・子育て支援のほうは状況に合わせて全く違う展開を取っていくのは非常に興味深い議論です。

「後発福祉国家」ではあるわけですが、抱えている課題は基本的に同じで、対応は他の国より先駆的、場合によっては極端ということもあります。特に、「新しい社会的リスク」に関する子育て支援について、政治過程のなりゆきで専業主婦も含めて0-2歳児に無償の保育を提供することになるというのは非常に興味深いものです。日本より少子化が進んでいて、だからこそできる部分もあると思いますが、保育所の定員に満たない、というようなところも増えていて、韓国とおなじようにサービス対象を大きくする可能性もあります。また、介護サービスについても市場化の行き過ぎという感じの政策が導入されていたこともあるようです。日本では、関係者の反対を乗り越えるのが難しくて、ドラスティックな改革の実現はなかなか起きませんが、本書を読む限り韓国では上記の子育て支援や介護などについて割と思い切った決定をしていて、日本にとっても学びを得るべき先行事例になるように思います。

仕事納め

カナダに在外研究に行った2016年までは、毎年、年末の最後に「今年の〇冊」として主に博士論文をもとにした書籍の紹介をしてたけど、そのあとは「年の瀬」というタイトルで適当なことを書いていた、つもりだった。というわけで、今年も書こうかなあと思って去年のタイトルを見たら「仕事納め」で、実は2つのタイトルが行ったり来たりしていた、というとてもどうでもいいことに気が付いてしまった…。

まあそれは良いのですが、今年もだいたい仕事納めになりました。最後のほうは後述する翻訳仕事でいろいろなことを放り出してしまったので、まだやるべきこともちょっと残ってますが。今年は全体的にこれまでと違うことができたり、あまりなかったことが起きたりと、ちょっとした転換があったような気がします。

これまでと違うこと、というのは何よりも5月頃からテニスを再開したことで、途中肉離れしたりしたこともありましたが、少しずつ勘が戻ってきて、何よりの気分転換、というか、これがなかったらいろいろ続かなかったのではないか、という気がします。あとは、ようやく英語論文を書けるようになってきた、ということで、昔から読んできた雑誌のひとつであるAsian Surveyで出版してもらうことができました。さらに、12月にはAsian Association for Public Administrationという行政学の学会で論文を発表して、Best Paper Awardをいただくこともできました。こちらのほうはこれから投稿ですが、せっかくなのでうまくいって欲しいと祈るばかりです。他方で、これまであまりなかったこととしては、大学院の指導教員であった山本泰先生を含め、身近な、お世話になってきた方々が何人か亡くなることがあり、ショックを受けるとともに、年齢についても意識するようになった気がします。

仕事としては、朝日新聞の論壇委員や東洋経済の書評など、とにかくインプットしてそれを整理してアウトプットする、という何というか、「鵜飼いの鵜」(すみません)のような感じでの仕事が続き、常に追い立てられていたところがあるので、やや雑になった面があることを反省しています。書いたもの、発表したものとしては、前述の英語論文2つのほか、初めて「編者」という仕事をした、『世の中を知る、考える、変えていく』があり、その他は、『都市計画』『中央公論』などに短めのエッセイを載せてもらった、という感じでしょうか。

去年と比べると仕事量も生産性も落ちたように思いますが、それでも常に追い立てられている忙しい感じがしていたのは、論壇委員や書評の仕事のほかに、2つほどかなり時間がとられる仕事があったからのように思います。1つは、イギリスの研究者との共同研究で、昨年の夏から始めている毎月のオンライン・サーベイの仕事です。共同研究は本当に勉強になっていて、サーベイも興味深いデータを収集できているようには思いますが、準備や打ち合わせはなかなか大変で、特にこれからは集めたデータを分析して論文を書く内容が増えてきます。そのためのワークショップを1月に行う予定ですが、そういったものの調整にもどうしても時間や気力を使うことも大きかった気がします。そしてもうひとつは、柄にもなく、僕でいいのかという気はしますが、翻訳の仕事をしてました。一応「監訳」ということなんですが、それがどれだけ「監」なのかわからないままに秋以降のかなりの時間を使うことになりました。一応「仕事納め」の前に一通り作ることができました(なのでこれ書いてます)が、少なくとも内容については素晴らしい本なので、このまま無事に出版できればと思っています。

この数年は、年末に印象に残った本を一冊挙げてますが、今年はあんまり何も考えずに選ぶとその翻訳している本になりそうなんですが、それ以外だと、(2022年に出版された本ですが)『モチベーションの心理学』が勉強になりました。もともと、大学院生の論文指導のために勉強しようと思って買ったんですが、自分自身にもとても勉強になるもので、AAPAの論文を書く時にも改めて本書から勉強させてもらいました。日本では、経営学とかでモチベーションについて踏み込んだ研究は行われているようですが、行政学のほうではPublic Service Motivationへの関心が高まりつつあるくらいで、より踏み込んだモチベーションの研究はこれからのように思います。そんな、行政や政府で働く人のモチベーションを考えるときにも、とても有用な本だと思いました。

いただきもの

気がついたらもう12月も半ばを過ぎ…と、最近はすぐに時間が経って驚きます。単なる老化っていうことなのかもしれませんが。この間もいくつか書籍をいただいておりました。まず、東京大学の鄭黄燕先生から、『都市化の中国政治』をいただきました。どうもありがとうございます。博士論文をもとにした書籍で、都市と農村に分断されていた中国社会が、発展とともにその境界線があいまいになり、土地利用を軸に変化していく様子を描いた研究です。都市が拡大していくにつれて、事業や住宅のための用地として土地が必要になり、もともと農村とされていた地域の土地を利用することになるわけですが、周辺化されてきた農村から見ると、開発利益を得る機会でもあります。その開発利益をめぐって、都市-農村間、そして農村内での対立が生まれます。そこで描き出されるのは、農村の都市化が進む中で、都市・農村の様々なアクターが対立と協調を繰り広げることです。とりわけ注目されているのが、都市と農村との関係によって、廃止されることも維持されることもあるものの、維持された場合には農民の住民組織であるとともに、都市の代理人的な役割を果たすという複雑な村民委員会です。曖昧な村民委員会をはじめとして、必ずしも統一的なルールによらずにアドホックに問題を解決しようとすることが、都市と農村の間の中間地帯を作り出しているという議論は、本来あいまいで混沌としたものである「都市化」それ自体を思い出させる、興味深いものだと感じます。

亜細亜大学の川中豪先生からは、『第三の波』の新訳をいただきました。どうもありがとうございます。翻訳にあたっては、旧訳があるものの、引っ張られないように封印して進められていた、ということをお聞きしました。僕も最近ちょっとだけ翻訳関係の仕事をしているのですが、すぐに何か日本語に頼りたくなってしまうばかりなので、見習わなくては…。だいぶ前にちょっと読んだことがあるはずなのですが、細かいところはすっかり忘れているので、また読み返して勉強させていただきたいと思います。

関西大学の坂本治也先生から、『日本の寄付を科学する』をいただきました。ありがとうございます。寄付に関連するさまさまな研究をされている方々を集めて編集された論文集ですが、寄付をこのように包括的に検討したものは、これまでにほとんどなかったのではないかと思います(少なくとも日本では)。自分自身も、カナダの在外研究から帰ってから結構寄付を行うようになっていると思うのですが、「スポーツイベントで寄付は促進されるのか」を分析した本書の11章を拝読していて、よく考えるとそのきっかけは、バンクーバーのChildren’s hospitalのチャリティーランに出ていたことがあるかもしれない、と思ったりしました。他の章も面白く読みましたが、たまに行政学の授業で紹介したりもするので、ファンドレイジング活動の分析とか増えていくと良いなあと思うところです。

國學院大學の羅芝賢先生と東京大学前田健太郎先生から、『権力を読み解く政治学』をいただきました。ありがとうございます。これは教科書なのですが、読み物としても非常に面白くて、結構一気に読んでしまえます。構成・内容ともに、最近の政治学の教科書の中でも特徴的と言える非常に興味深いもので、特に前半で羅さんが書いている国家論的なところ読み応えがありました。本書にも書かれてますが、マルクスの話を最近の教科書でがっつり触れているのは珍しいと思いますし、マルクスの説明をしつつ、ウェーバーの議論が単純な発展段階論ではない、というのはちょうど直前に読んでいた佐藤俊樹先生の『社会学の新地平』を思い起こさせるものがありました。前田さんが書いている後半は、割とスタンダードなトピックが並んでいると思いますが、多元主義(というか政党政治?)に対する微妙な距離感が面白いと思いました。自分たちが書いている教科書(政治学の第一歩)では、多元的であることを非常に重視しているところがありますが、それが重要であるとしつつもすべてではないというニュアンスで丁寧に書かれていたように思います。

またありがたいことに、終章では、我々の教科書について特に取り上げていただいています。個人的に嬉しかったのは、自分たちではたぶん常に「自由主義者」であることを考えて教科書を書いていたつもりなのですが、しばしば「合理主義者」とか「利己主義者」というところが強調されがちなところ、評価として「自由主義的」であることが特徴としていただいた点ですね。内容的にも、私たちの教科書で十分に触れられていなかったところがむしろメインになっていて、もちろん理解の仕方に違うところはあるわけですが、相補的なものとして読んでもらえると嬉しいです。

福祉国家研究

授業が始まると、やっぱりその準備と実際の対面での講義でそれなりにバタバタとすることになります。そこで論文を書こうとすると苦しむわけですが、今回は久しぶりに新しいテーマで論文を書いてみたのでほんとに大変だった…初めから仮説がある程度あり、データもすでに取っていたにもかかわらず、先行研究を見始めると芋づる式で…。最近はこの手の作業について大学院生に向かって偉そうなことをいうのが仕事になりつつあるわけですが、自分がそんなうまくできてるわけではありませんすみません。

最近は東洋経済で書評を書いていることもあって、いよいよブログでの本の紹介まで手が回らなくなりつつありますが、いくつかいただいた本をご紹介したいと思います。まず、東京都立大学の谷口功一先生に『立法者・性・文明』をいただいておりました。僕自身、たぶん他の人からはあんまり脈絡がないことをつまみながら研究しているように見えるところがあると思うのですが、谷口先生は輪をかけて(!)めちゃ広い関心分野で論文を書かれています。前著ではショッピングモールのエッセイから始まって、公共性と共同体についての論文を書かれていましたが、今回は立法における討議の問題から、性同一性障害特例法の立法過程、そして移民をめぐる政治の話というテーマで、出てくるトピックは法哲学・政治思想の古典から、国会の会議録・社会運動の内幕・中国・インドネシア・ヨーロッパ、ゾンビ…とまあほんとに多岐にわたります。

前著について、中心的なテーマが「共同性に還元できない公共性をどう考えるか」ではないか、などと書いていたのですが、本書についてもそれが続くところがあるように思います。というか、本書の場合は公共性のほうが国家-福祉国家の意思決定-にひきつけられているところがあって、構成員の福祉を即時的に考えないといけない福祉国家が制約の下でどのように決断しているか、副題に即していえば「境界」の線引きをしているか、について論じられているように思います。まあもちろん、本だからといって全部をまとめて読まなくてもいいかもしれませんし、本書の場合は特例法立法過程の部分など、政治学者にとっても興味深い議論が展開されているように思いました。

紹介できてませんでしたが、もはや「スナック研究」の第一人者となられている谷口先生には『日本の水商売』もいただいておりました。以前にされていた『VOICE』の対談でもあったのですが、「非英雄的な企業家」の話はとても興味深いもので、これも福祉国家の境界線とからめて考えることができるテーマなのかもしれません。

名古屋大学の近藤康史先生と、釧路公立大学の千田航先生から、『揺らぐ中間層と福祉国家』をいただきました。どうもありがとうございます。日本・アメリカ・イギリス・ドイツ・フランス・スウェーデンの6か国を対象に、政治学者と財政学者が福祉国家の再編についての共同研究を行ったユニークな成果です。それぞれの国で社会保障政策に特徴があるので、生活保護子育て支援・家族政策・年金・社会保障税などと論点は多岐に及んでいます。冒頭の1章・2章で財政学・政治学の観点からの比較や理論の紹介がなされていますが、ここで示されているように、福祉国家を持続可能なものにするために中間層の支持をどのように調達するのか、というのが考えていくポイントなのだと思います。ボリュームゾーンの中間層が、自らにとって十分に利益のあるものとして福祉国家をとらえることができれば、それが拡大していくという感じでしょうか。難しいのは、そのような「中間層にとって使える」福祉国家を作る/作り直すことと、中間層自体のボリュームが薄くなっていることに同時に対応しないといけない、ということのように思います。どの国もそれぞれに取り組みをしているわけですが、本書はそれらを比べながら学ぶことができる研究成果なのだと思います。

ちなみに、近藤さんの章ではBeramendiらの研究を紹介して政党間対立の議論をされていますが、私も最近発表したAsian surveyの論文で、この枠組みで日本の子育て支援について説明してみました。ご関心があればこちらもぜひ!(突然の自己宣伝)

もうひとつ、駒澤大学の田中聡一郎先生から、『生活困窮者自立支援から地域共生社会へ』をいただきました。どうもありがとうございます。冒頭に書かれているように、2013年に制定された生活困窮者自立支援法は、定型化されたニーズに対して給付する伝統的な社会保障制度の発想とは異なって、非定型の複合的ニーズに対して「相談支援」によって問題解決を目指すものとなっています。いわば「新しい社会的リスク」に対応するような制度が目指されているわけですが、これについての理解が十分に浸透しているわけではない状況であることが指摘されています。本書では、この制度が作られ、地域共生社会というコンセプトへと発展していく過程を担った行政官や研究者などの証言をオーラル・ヒストリーの手法で記録するものとなっています。

インタビューの対象になっているのは、制度の立ち上げに深くかかわった山崎史郎氏をはじめとする元官僚・現役官僚・研究者・実務家など10人であり、いずれも詳細で読み応えのある記録になっています。現役でオーラルに答えるというのはいろいろ抵抗もありそうな気はしますが、それを乗り越えて記録を残されるのは立派だと思います。そして、すごいのは田中さんがすべてのインタビューに関わったうえで、まとめにあたる部分の執筆や関連する資料の整理をされているところで、日本における(たぶん子育て支援以外の)新しい社会的リスクについて検討するときにはまず読まないといけないものになると思います。

いただいた教科書

新学期、なんとなく滑り出しは良い感じがするけど、何気に論文の締め切りがいくつか入っていて怖い…ちゃんとできるのだろうか。で、新学期だからってわけでもないのですが、最近いただいた教科書をご紹介します。

まず同僚の興津征雄先生から『行政法Ⅰ』をいただきました。単著の教科書というのは本当に大変そうで、政治学系では最近はほとんど共著のような気がします。そんな中で本書は800ページを超える大著を一人で書かれたもので、さらに行政法Ⅱも続くことを予定されている、というすごいもの。ツイッター見てる限りで評判も売れ行きも上々みたいで素晴らしいことです。

僕自身は行政法は素人ですので、何か関係することが出てきた場合に辞書みたいに利用させてもらうことになりそうですが、さしあたり関心があってみてみよう、と思った項目があります。それは「公定力」だったのですが、そうなんじゃないかなあ、と疑問だったことが非常に明確に書かれていて個人的にはそうだ!と思いました(こなみかん)。

筆者は、<行政処分はたとえ違法でも取り消されるまでは有効である>という法現象を説明するのに、公定力という概念を用いる必要はなく、この概念は行政法の教科書から消去されるべきだと考えている。その理由を説明する。(以下略)

実は以前に博士論文を書いたときに、「現状維持」と「公益」という問題について考えていたことがありました。ざっくりいうと、「公益」の中身を確定することが難しい中で、以前に行われた決定が持続する「現状維持」が暫定的な「公益」を表す性格を持つことになり、長や議会がそれぞれに考える新たな「公益」に基づいた提案が新たに可決されることになると「現状維持」が更新されていく、みたいなことを考えていたわけです。で、論文書いた後に、こういうのをもう少し深めることができないかと思って、ちょいちょい「公定力」に関する論文や本を読もうと思ってたんですよね。でもまあここに書いているように、行政法の文脈から言えばまあピント外れな話なわけですから、正直混乱してすぐにやめた記憶があります。というか、まあ客観的に見れば自分がわからないことを棚に上げてなんでこんな概念使ってるんだろう、と酸っぱい葡萄風のことを思ってたわけですが(苦笑)。

もちろん全部読めてるわけではありませんが、他のところを見ても、抽象的な概念からだんだん具体的な話が出てくる構成の中で、「行政法学」を限定的にとらえるのではなくて、行論に合わせて関連する話題を含めて割と幅広に、体系的に説明しようとされているように見えました。いやまあ他のテキストそんな読んでないのでわかんないんですが、そういう作りのほうが、専門外の人間からはわかりやすそうな気もします。

著者のみなさんから『政治学入門 第3版』をいただいておりました。コロナ禍での様々な事象を踏まえてアップデートされた、ということです。本当に迅速なアップデートですし、それにしても第3版も出るのはすごいことです。自分がかかわっている教科書(『政治学の第一歩』)も5年ごとというならそろそろ第3版も…というところなのかもしれませんがどうなることやら…。

大東文化大学の小林大祐先生から、『都市政治論』をいただいておりました。ありがとうござます。伝統的な都市政治のトピックから、コロナ禍を経て現在の論点として都市と関連するグローバリゼーション・ダイバーシティ・貧困などにも目配りがあって良い教科書だと思います。以前も似たようなこと書いた記憶がありますが、地方自治とか都市政治の教科書って最近すごい多様化してますよね。私自身もぜひ勉強させていただきたいと思います。

 

感染症危機管理

まだまだ暑いのにもう10月…授業が始まる…という時期になってきました。やや現実を直視できない感じですが、この間に新型コロナ関係でいくつかのご著書をいただきました。

まず東京大学の牧原出先生から、『きしむ政治と科学』をいただきました。ありがとうございます。牧原先生は、初期から専門家と政府の関係についての論考を重ねてきて、専門家が「前のめり」になっているという表現をおそらく初めて使った研究者でもあります。本書は、これまでに雑誌『中央公論』で発表されてきた尾身茂先生へのインタビューをまとめられたもので、この間の感染症対策に尽力されてきた「専門家」の立場から、その困難さ、とりわけ政府、そして一般の人々とのコミュニケーションの難しさについて語っておられるのが印象に残ります。尾身先生は、おそらく自覚的に、必ずしも権限規定がされていない立場にありつつも、リーダーシップを執られていたところがあって、それは全体としてみると幸運であったことだと思いますが、反対に、そこで何ができていなかったのか、ということを考えるためにも重要な記録になると思います。(僕はまだ読んでませんが)ご本人の記録である、『1100日間の葛藤』と合わせて読まれるべきなのかな、と思います。

より直接的に状況の管理、というと法的資源による管理が重要になると思いますが、この間の法的な対応についてまとめられたものである『パンデミック行政法』を明治大学の木村俊介先生から頂きました。どうもありがとうございます。今回の重要な法的資源となった新型インフルエンザ特措法が個別法であるということに注目して、個別法によるその対応の特徴と、個別法としての特徴について重点的に議論されたものになっています。木村先生ご自身がもともと自治省総務省で勤務されていたこともあり、今回大きく問題になった国と地方と関係についても、特に実施のところを意識しながら書かれているように思いました。このあたりは地方制度調査会などでもまさに焦点になっているところであり、きちんと勉強したいというところです。