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神保町のドトールで隣に座った男がストローの音を立ててアイスコーヒーを飲み、鼻をほじり、女がそれを注意した。長机は中央で半透明のガラス板によって仕切られ、向かいの席に座った髪を引っ詰めた女性が熱心に問題集を解いている。解いているシルエットが見える。老婆が二人、「個室がある」と言いながら喫煙席の扉を開けた。勘違いしたのかと思ったが、中に入っても引き返してこない。きっと家で夫が煙草を吸うのだろうか。

大学の本屋でウェルベックの新刊を手に取る。一行目からダミアン・ハーストが出てくる。一冊も読んだことがないのにハードカーバーを買うのはどうかと思い、『素粒子』の文庫にした。

南画における模倣と創造

(2年生のときのレポート。割と真面目だ…)

  • はじめに

 ここでは、18世紀京都における南画大成に至る展開の中で、画譜を用いた模倣に始まり次第にそれぞれの画家の個性や技術を発露させ南画の独自性を獲得する過程を概観する。この時期の南画家たちの出自や技巧、思想、時代背景、中国絵画・版画との関わりといった要素が持った意義を検討しながら、南画における模倣と創造に関する特質を捉えてみたい。

  • 南画とは何か

 まず、しばしば議論になる南画という概念について整理しておかなければならない。参照点となっているのは、中国での文人画と南宗画である。
 中国における文人画とは、儒学をはじめとした教養を身に付けた支配階級に属する士大夫が学問や政治の合間に嗜んだ絵画のことを指す。文人は自らを優れた精神・人格を持つとして職業画家とは区別し、あくまで趣味として描いた。伝統を重視し、内面的豊かさを尊重した。明末の董其昌は「万巻ノ書ヲ読ミ、万里ノ道ヲ往ク」ことを説いたほどである。つまり、文人画は特定の様式を指すというより、制作者の出自と精神性を表すものとして定義されている。
 中国の山水画は華北と江南で様式が大きく分かれ、前者は技巧的で写実的な職業画家による北宗画として、後者は自発的な柔らかい筆使いを重視する文人・士大夫による南宋画として元末四大家によって大成された。もちろん南宋画・北宗画は画家の出自によって規定されているわけではなく様式を指すが、南宋画を大成した四大家がいずれも文人だったことは留意すべきである。
 さて、南画家とは中国の文人画家(あるいは南宗画家)を手本にした18、19世紀の日本の画家と定義されるが、いくつか注意しなければならない点がある。そもそも、文人(士大夫)という概念を日本にそのまま適用するのは難しい。というのも、文人は支配階級の教養人であることが前提だったが、江戸時代では学者は武士に仕える存在であり、こうした階層は想定されない。与謝蕪村は職業画家としてあくせく生計を立てていたし、武士階級出身の南画家も藩から離れた者が多い。彼らは「文人画をむしろ純粋な理念として捉え、身分の枠から放たれた自由な世界をそこに夢見ていた」(辻2005, p.311)のだ。さらに、南画という語は南宗画の略語であるが、様式としては南宗画ばかりではなく、統一した形式を持っていない。雪舟のように中国に渡って画法を学ぶことができた南画家はいないし、輸入された絵画は中国本土で優れた評価を受けていたものはほとんど無かったとされる。南画の独自性とは、簡単にまとめてしまえば、様々な立場の画家たちが数少ない情報源をもとに想像力を駆使してつくりあげていったところにあるのだと言える。以下で詳しく検討してみよう。

 18世紀の画壇は幕府の御用絵師を務めていた狩野派によって独占されており、当時画家を目指す者はこの流派のもとで学ぶのが当然だった。だが次第に保守的な傾向を強めており、狩野派に伝わる画法だけを習得する支配体制から離れて創造的な作品を創りだそうという機運も高まっていた。狩野派パトロンであった徳川将軍が長崎奉行に対して中国絵画を輸入せよと命じ、結果として1731年に沈南蘋が来日したというのはその好例であろう。
 狩野派のもとで学ばない画家たちは、絵本や画譜を使って独学した。輸入された絵画は無名画家による粗悪品がほとんどだった一方、18世紀には『八種画譜』や『芥子園画伝』といった中国の画譜の翻刻が出回っており、大坂画壇では林守篤による『画筌』(1721年刊)をはじめとして、大岡春卜、吉村周山らが中国画論の紹介と合わせて、狩野派だけが蓄積していた絵手本や国内外の絵画などをまとめて出版し広く知らしめた。本来狩野派の画法習得は師から弟子へと口伝されるものであり、それまで秘められていた資産が公開されたのは画期的である。狩野派ではないことが重要であったために、南画家たちが学んだのは様式的には南宗画ばかりではないことは注意すべきである。柳沢淇園には南宋画様式の山水画は一点も無く、与謝蕪村には北宗画や沈南蘋に倣った作品もある。
 一方、こうした和製の画譜によって忠実に技法が伝達されたとは言い難い側面も否定できない。例えば『画筌』で描かれる馬成子像は本来の鋭い目線ではなく何気なく左上を見上げるだけで、中国人物画の伝統である眼による心理描写が抜け落ちているし、春朴の『画史会要』(1751年刊)は明清画を独立した巻で扱っている点で新しいが、取り上げた画題が適当ではなく、画家の典型的な作風を伝えているとは言えない。吉村周山の画譜には描線の忠実な再現が見られるという評価もあるが、大陸から学び取ろうという意欲はあるものの、やはりこれらの画譜は狩野派の専門画家たちによるものであり文人画論や中国絵画の美術史的な理解には至っておらず、無作為な寄せ集めの域は出ていないとされる。ただ、南画家たちによって明清絵画から独自の作風を編み出す土壌を形成した点は見逃せない。
 南画家の多くは職業画家であったから、当然彼らは顧客の目を意識せざるを得ない。画譜の流通や経済的発展によって多くの素人画家が登場している中で、自らの画風の個性を発揮すべきか、多様な注文に応じてどんな画でも描ける器用さで売り出すべきかを選択しなければならなかった。色々な要望に応じるには見本を使うのが早いが、それでは独創性は担保しづらいというジレンマだ。服部南郭は職業画家ではないが、『八種画譜』『芥子園画伝』といった画譜を「俗」だとして退けている一方、これに基づく作品も残している。祇園南海も既存の画譜に満足していないが、やはり画譜を参考にしている。彼は中国に範を求めることを強調し、舶来の絵具さえ用いるなど、画譜の存在を問い直しつつあった初期南画家たちの貪欲な創作意欲が垣間見える。

  • 画譜からの発展

 初期南画家に分類される彭城百川は、自ら「売画自給」と称した画家だったが、初めて本格的な南宋画様式を獲得したとされる。画域の広さ、技術の高さ、大画面でも描いた点や、職業画家という身分の面でも次世代の池大雅や蕪村の先駆となる存在である。彼も画譜から学んでいるが、「李白瀑布図」は木版画をもとに作図したとは思えない構図の充実ぶりで、「柳陰水亭図」の頃には中国画を見る機会が増えたと推測され、画譜と併用する方法が取られている。内容は剽窃が目立つとされるが『元明画人考』を出版するなど、画譜の受動的な利用から発展する流れが読み取れる。
 南画大成期の池大雅は、指墨を人前パフォーマンスすることで評判になった。30代後半からはほとんど見られないが、指墨画はその一回性によって手本を模倣する従来の制作方法から自由になり、画家の個性を発揮する手段として積極的に利用されていた。酒に酔った状態で描く酔作も同様の意図から蕪村、曾我蕭白が使用した。
 だがこれらの指墨画や酔作も、結局のところ描く対象や基本的な理論には従来からの変化はなく、筆勢が変わっただけとも言える。つまり「狩野派の画家が家伝の画法という社会化された規則に従ったのに対し、彼らが身体の癖にまで還元される個人的なリズムをよりどころにした」(佐藤1994, p.151)のだ。だが、こうした動きを過小評価するよりも、画譜の模倣から抜け出そうという積極性に後世への影響を認めるべきだろう。

  • 雅と俗

 南画において見逃すことができないのは、江戸時代の文化的な思想として言及される雅と俗の概念である。『芥子園画伝』などの画論書では、南北二宗論とあわせて去俗の論が語られている。市気(商売気)によって俗家が増すことを避け、書を読むことが肝要だと唱えられている。中山高陽に続いて蕪村も『芥子園画伝』の去俗論を得て、「俗を離れて俗を用いる」ことを説き、平易な表現の中に深い味わいを盛り込むことが重要だとしているし、江戸後期の田能村竹田も市気を去ることに南画の精神を見ている。
 蕪村の『夜色楼台図』は、雪降る夜の街並みというこれまでに無い主題や街の明かり、都市生活者の感情の機微という「俗」なテーマを、伝統的な構図と山水画という「雅」と言える手法を用いて描くことに成功している。この雅俗の見事な融合は、南北二宗論や文人画論の背景まで読み取ることが難しかった日本の南画家たちが、「去俗」という概念を出発点に独自の南画をつくりあげていった創造性の一つの到達点と言えるだろう。


参考文献

  • 佐藤康宏「十八世紀の前衛神話」『江戸文化の変容 十八世紀日本の経験』平凡社、1994
  • 小林宏光「明清絵画と近世日本画壇――南画の黎明期にいたる中国絵画の受容にそって」『日中文化交流史叢書7 芸術』大修館書店、1997
  • 武田光一『日本の南画』東信堂、2000
  • 大槻幹郎『文人画家の譜 王維から鉄斎まで』ぺりかん社、2000
  • 佐藤康宏「雅俗の都市像――与謝蕪村「夜色楼台図」」『講座日本美術史1 物から言葉へ』東京大学出版会、2005
  • 辻惟雄『日本美術の歴史』東京大学出版会、2005

絵画を眼差すこと

 
左=(1)Tim Davis, Permanent Collection:Daedalus and Icarus, 2005
右=(2)Orazio Riminaldi, Daedalus and Icarus, 17th century

 絵画はそれ自体一つのモノであることを、私達は忘れがちだ。作品によって支持体(キャンバス)の種類や大きさは全く異なり、それが印象を規定する。例えば、壮大なスケールの歴史画に圧倒され、ごく小さなキャンバスに目を細めたり、長大な絵巻を眺めながら人物に心情を仮託する、といったように。
 絵画のモノらしい性格としてもっと身近なのは、表面の凹凸やマチエールかもしれない。マチエールは、時として画家の個性が発露する場として機能する。ジャクソン・ポロックを思い浮かべてみれば、彼の作品における一つの本質はあの絵具の無骨な厚み(場合によってはそこに紛れ込んだ異物)にあると納得するだろう。こうした絵画の物質性は、もしかすると人が美術館などで生の作品を目にしようという理由の一つになっているかもしれない。なぜなら、この凹凸は、印刷物では体験できない三次元の要素だからである。
 一方で、伝統的な西洋の絵画では、このマチエールを徹底的に消し去ることが意図されてきたことも事実だ。ある一点から眺めることによって完璧なパースペクティヴを獲得する遠近法、一定の位置から照らす光源を絵画の内部に想定する陰影法など、自然主義の立場で用いられるこれらの手法は、絵画の物質性とは相容れない。作者の痕跡を限りなく消去し、あたかも描かれた対象物が実在するかのように見せかけるトロンプ・ルイユ(だまし絵)を目指す態度は、連綿と存在してきた。Zeuxisがぶどうを鳥が本物と勘違いするように描き、彼もParrhasiusの描いたカーテンを実物と見間違えたというプリニウスによる逸話は、こうしただまし絵の伝統が古代まで遡ることを示している。このエピソードは、ルネサンス期に繰り返し語られることになる(Land 1994, pp6)。
 だがもちろん、こうした物質性を隠蔽する努力がなされたとしても、作品を実際に眺めるとき、キャンバスそのものの物質性は時として現前する。とても艶のある表面をしているだとか、剥落が進んでいるだとかということが気になって仕方がなくなる。キャンバスそのものは二次元であり、描かれた内容は三次元として捉えるべきだ、という観者の視線が、表面の凹凸や剥落といった要素に邪魔を受ける。しかしそれでも我々は、絵画の内容に没頭することができる。我々は日頃から印刷物やディスプレイに映った画像を通じて、平坦なキャンバスから立体的な内容を読み取るという作業を反復しているからだ。

 こうした印刷物や画像、すなわちカメラによって撮影された絵画は、物質性が取り払われている。専門家による入念な準備と細心の注意によって、カメラと照明が完璧にセッティングされ、あらゆる夾雑物を取り除き、絵画そのものを写し取ろうとする。観者はこの写真が絵画そのものを表すものだという前提に立って、写真を眼差す。
 『ヴィジュアル・カルチャー入門』では、写真・映画に関係する視線(ルック)を、以下の四つに分類している(pp102)。

①記録されるべきモティーフや場面へと向けられる芸術家、写真家、映画監督の視線。またそのカメラの視線
②描写対象である登場人物が、画像なりフィルムなりの内部で互いに交わしあう視線
③鑑賞者がイメージへと向ける視線
④描写対象である登場人物と鑑賞者のあいだで交わされる視線

 カメラは絵画に対して①の視線を投げかけ、観者は印刷物に対して、そのカメラを通して③の視線を投じる。しかしここでは①の視線は忘れられ、同時に絵画の物質性が失われている。

◇ ◆ ◇

 冒頭に掲げた2枚の画像を見てみよう。(1)は現代アメリカのアーティスト、Tim Davisの写真作品であり、(2)はイタリアバロック期の画家Orazio Riminaldiの絵画である。一見して分かるように、(1)は(2)を写したものである。というか、(2)自体もカメラで作品を撮ったものであるはずだから、二つとも写真である点は違いない。(2)は、上で述べたような、一般的な印刷物・画像向けの、恐らくプロの手によるものである。
 Tim Davisの作品は、意図的に余計な照明を入り込ませ、絵画の表面の性質を浮かび上がらせている。これは我々が美術館で作品を鑑賞するとき、しばしば体験することであろう。照明が照り返してくるために、立ち位置を変え、問題なく見えるポイントを模索する。こうした経験が何度もあるにもかかわらず、Tim Davisの作品を前にしたとき、鑑賞者はひどく困惑する。というのも、美術館を訪れたときに体験する照り返しも、我々は無意識のうちに避けようとしているからだ。マチエールを意図的に際立たせていない絵画においては、表面の凹凸がどうなっているかということは、普段からどうでもよいことだと考えているのである。
 しかもこの照明は、恐らくOrazio Riminaldiの絵画における最も重要だと思われる部分、イカロスの美しい顔を完全に覆ってしまっている。普段は意識から追い払われているカメラが絵画に向ける①の視線が露わになり、観者が作品に向ける③の視線が成立しなくなる。キャンバスの表面性が露わになるということは、だまし絵的な効果が機能しなくなることを意味する。表面に気を取られ、絵画の内部に没頭することが妨げられてしまう。

 Tim Davisの作品を前にして分かるのは、我々は特に印刷物・画像に対しては、絵画の持つ物質性を軽視しがちであるということだ。マチエールを強調しない絵画に対しては、なおさらである。印刷物から絵画の情報だけ読み取ろうとする反復された思考が、ここで中断する。照明によってキャンバスの表面が強制的に露わになることで、だまし絵的な効果や、さらには神話の主題からもたらされる崇高な感情は剥ぎ取られ、絵画はただ一つのモノとして、異なった表情を浮かび上がらせることになる。


参考文献、ウェブサイト

『桐島、部活やめるってよ』のゾンビについて

 以前国文学の教授が「私小説を読む時、物語中のどの部分が現実と同じなのかということばかり気にしてしまうが、どこが現実から改変されていて、それは何故なのかを考える方が大事だ」というようなことを言っていたんですが、これは小説を原作とする映画についても当てはまることかもしれません。
 吉田大八監督『桐島、部活やめるってよ』の原作小説では、主人公と映画部が撮影していた映画は青春映画だったようですが、画中ではゾンビ映画を撮っていることになっています。これは昨今のゾンビブーム(というのがあるらしい。『ゾンビランド』のような〈メタゾンビ映画〉の存在がそれを示しているかもしれない)に対応してのことなのかもしれませんが、これがかなり重要な役割を果たしているように思われます。
 まず、ゾンビ映画というテーマが、主人公たちが「自分の好きなものを撮る」という動機付けになっています。映画『桐島』の主題は、多くの人に指摘されている通り、人間関係に汲々とする中心的な人物たちと、普段はうだつが上がらないながらも趣味や部活動に打ち込む者たちの関係性が、桐島の不在によって相対的に逆転するということにあります。顧問の教師の反対を押しのけて、どう考えても受けが悪そうなゾンビの映画を撮影することは、趣味への没頭という態度を効果的に示すことになっています(もちろん、映画部のメンバーが血糊を使ったりして撮影している風景がユーモラスに映るというのもポイント)。
 何より重要なのが、このゾンビの映画の存在は、終盤で屋上にやってきた生徒たちが8ミリカメラを通してゾンビに喰われてしまうという一見して滑稽な、しかしダイナミックなラストシーンを導きます。このゾンビの反乱は、人気者たちへの恨みの解放(神木くんの橋本愛への淡い思いも裏切られたばかり)と捉えることも可能かもしれません。ただ、映画部の面々も日頃から彼らにルサンチマンを抱いているようには描かれていません。両者の関係性が入れ替わるこのラストシーンを単なる暴力で表さず想像上のゾンビに担わせている上品さが、この映画を爽やかなものに仕上げているのではないでしょうか。
 補足すれば、このシーンでは吹奏楽部が演奏する「エルザの大聖堂への行列」がバックに流れ続けます。一般に、残酷で猟奇的なシーンでは、逆説的に「崇高」なBGMが使われることが多いと言われます。卑近な例しか知りませんが、例えばデビット・フィンチャー監督の『ドラゴン・タトゥーの女』では、主人公の男が地下室に捉えられ拷問されようとする場面でエンヤ(これはよく許可下りたと思った)が犯人によって流されていたり、『エヴァンゲリオン新劇場版・破』でも明らかに不釣合いな「翼をください」が使われていました。『桐島』におけるゾンビと「エルザの大聖堂への行列」という意図的な対比も、この曲の壮麗さも相まって、全てが集約していくラストシーンを引き立てる有効な手段として機能しているでしょう。

『おおかみこどもの雨と雪』雑感

 細田守監督『おおかみこどもの雨と雪』。まだ一度しか観ていないのですが、考えたことを列挙しておきます。

 細田監督のオリジナル長編としては2作目にあたる今作は、さまざまな意味で『サマーウォーズ』と対比することができると思います。例えば以下のような点です。

  • 持てる者/持たざる者
    • サマーウォーズ』は強引にまとめてしまえば名家の一族が知力・財力・人脈を総動員して地球を救う、というファンタジーです。一方、『おおかみこども』はシングルマザーの「花」と社会に簡単に受け入れられない子供たちの物語です。おおかみこどもは、さまざまな社会的弱者の記号として機能しています。地域社会・医療・学校など、色々な場面において彼/彼女が被る疎外(とその克服)が描かれ、映画を観る者はそれぞれの境遇に応じて自らのかつての記憶を呼び戻させられるでしょう。
  • 時間
    • サマーウォーズ』は確か2日間というコンパクトな時間にまとめられていましたが、『おおかみこども』は13年間という年月を圧縮して描いてる。そこにはこれまでなかった季節の移り変わりも描かれている。だから、細田作品の夏の風景を見慣れた観者にとっては、おおかみこどもたちが雪原を走り回るシーンは二重に鮮やかに映ることになります。
    • ところで、この物語は全て大人になった娘の「雪」自身によって思い出す形で語られています。しかもこの回想は、恐らく映画の最後で高校に入学して寮生活を始めたと示されるよりも、もっと後になされているに違いありません。なぜならこの雪の語り口は、花が雪に対して亡き「おおかみおとこ」の話をしたのと同じように、母親が子供に自らの出自を聞かせているものとしか思われないためです――もしそうでなければ、こんな壮大な秘密を一体誰に打ち明けているというのでしょうか? つまり、『おおかみこども』の時間軸は、花―雪―その子供という3世代に渡っていることが暗示されているわけです。
  • 時代とテクノロジー
    • サマーウォーズ』は科学技術、特にIT分野が発達した現在に近い未来が舞台です。コンピューターやWWWの世界(細田監督お得意の真っ白な電脳世界)がふんだんに描かれています。『おおかみこども』は一見して、まだ情報機器が家庭に行き渡っていない近過去のように思えます。ところが、制作者のインタビューを読むとどうやら現代の話として描いているらしい。コンピューターのディスプレイなどが(数カ所を除いて)ほとんど映らないのはもちろん意図したもので、花の調べ物も本が中心であることもあって、観者は過去に展開する話だと捉えてしまう。というか、映画がそう捉えさせようとしている。
    • もちろん厳密な年代設定は前提とならない映画なのですが、単純に、あまりに現代的な描写は『おおかみこども』にそぐわなかったというだけのことかもしれません(花がGoogleで「ジャガイモ 育て方」なんて検索していたら興ざめでしょう)。一方で、実はこれが現代であるという隠れた事実は、「おおかみこども(と母親)」が全くのフィクションではあり得ないということを示唆しているように思われます。上で述べたように、おおかみこどもはさまざまな社会的弱者の記号なのです。

 これらはほんの一部ですが、こうして眺めてみると、『サマーウォーズ』と『おおかみこども』は正反対の作品であるようにも思えます。このリアリズムへの移行には、多くの人が『崖の上のポニョ』を引き合いに出しているように、細田監督の明確な「国民的映画」への意図を感じます(『サマーウォーズ』が毎年夏に必ずテレビ放映しているのも、このような目的のための一つの手段だと考えるのは邪推でしょうか)。

 なお、表現上の細かな点であまり指摘する人が見られなかったのですが、花とおおかみおとこが夢のような世界で再会するシーンで、二人の輪郭線が朱色で描かれています。これは仏画によく見られる技法です。例えば以下の画像を拡大してみればよく分かると思います。劇中では、この世ではない場所であることを示す効果を担っています。
e国宝 - 十一面観音像(平安時代、奈良国立博物館蔵)

聞こえちゃったんだからしょうがない(第1回)

新たに始まりました〈聞こえちゃったんだからしょうがない〉のコーナーでは、「あ、この曲のサビ聞き覚えがあるぞ。何か昔の曲に似てる気がするんだけど…」という皆さんの疑問に精一杯お答えするというのが趣旨となっています。もちろん盗作だ剽窃だのと無神経で無粋な指摘をしたいわけではなく、偉大な音楽の歴史に連綿と受け継がれてきた引用の文化(あるいは単なる偶然)を少しでも楽しみたいという純粋な好奇心が動機です。明日お友達に会ったらニヤニヤしながらiPhoneを取り出しYoutubeにアクセス、即刻煙たがられましょう。


松任谷由実 - カンナ8号線 1:00〜

モーモールルギャバン - サイケな恋人 2:43〜


フリッパーズ・ギターなんかに取り組みだしたら泥沼にはまりそうですね。次回もお楽しみに!
(※第2回の開催は未定です)