「温暖化の悪影響は本当か?危機感煽るIPCCの環境影響評価 不十分な科学的根拠」記事のホントのところ

はてな記法を忘れた頃にネタを見つけるようです。
今回の元ネタはこちらWedgeという雑誌は立ち位置がよく分かりません。基本的には保守系懐疑論の記事を載せるんですが、Wedge選書では住明正の本を出していたりもするので。

結論の要約

4つの論点について、妥当1・言い分も理解はするが妥当とは言えない1・ミスリーディング1・大間違い1、というのが私の見立てです。なぜ専門外に手を出してこんなハイリスクな文章を公開してしまったのか、少し疑問です。

本文

著者の杉山大志氏は電力中央研究所の人で、IPCC第5次評価報告書の第3作業部会(以下AR5 WG3とそれぞれ表記)で統括執筆責任者(複数居る中の一人)もやっている人です。WG3は緩和策、つまり温室効果ガスの排出を減らす技術・方策を検討するグループです。エネルギーの研究者ですからここに関わるのは当然ですが、Lead authorとなると大物です。
しかし今回彼が俎上に載せたのはWG2、気候変動の影響や適応策の報告書でした。「最後に、筆者は、地球温暖化は起きており、それが人為的な温室効果ガス排出によること、およびそれによる一定のリスクを否定するものではない。」と文中に書いているとおり、惑星科学としての人為的気候変動や、またそれがリスクを有することに関しては異論が無いことを明記した上で、個別のリスクの評価が怪しいのではないかというのが構成になっています。ではその議論を順に見ていきましょう。

専門家判断

まず出てきたのはSPM囲み記事1の図1について。これはもともとWG2 図19-4から引かれたものです。この図が専門家判断に拠るところが大きいのは確かなのですが、この図は全球平均気温の上昇幅に対する地球全体でのリスクを示した、ものすごくおおざっぱな図なのです。なぜこのようなある意味乱暴な図が必要かというと、気候変動枠組条約が「気候系に対して危険な人為的干渉を及ぼすこととならない水準において大気中の温室効果ガスの濃度を安定化させることを究極的な目的とする」と謳っており、温室効果ガスの濃度という全球的な目標を設定するための分かりやすい指標を作る必要があるからです。これはちょっと、「科学的な証拠」を個別に見ていこうとすると専門家以外には判断のしようがないほど大づかみな指標ですから、トートロジーが入りますが、一言で専門家判断だと言うほか無い性質のものでしょう。この指標の妥当性を判断できるなら、それはあなたももう専門家だ、という領域です。
一つ混ぜっ返しをいうならば、たとえば後でも出てくる確信度については、筆者もWG3の執筆時に使っているはずですが、これも専門家判断でランキングする類のものです。曖昧な指標だと念頭に置きつつ、それでも活用せざるを得ないというのが本当のところでしょう。

生態系への影響

科学的にはここが一番のツッコミどころでした。説明の図を下に用意してみました。
気温が上昇すると、北半球では生物種の分布の南限と北限が北上します。生物もこれに対して適応的に北上しますが、その速度が遅くて南限が個体群を追い越してしまった場合、その生物種は生存や繁殖が極めて難しくなり、絶滅します。しかし下の図に描いたように個体群の分布には南北にある程度の広がりがあるので、気温上昇が生物を絶滅させるかどうかは気温上昇の速度と累積値の両方が関わってきます。気温上昇が急でも総量としてさほど変化がなければ生き残れますし、気温上昇幅が大きくてもゆっくりとした変化であれば、北極より行き場所がなくならない限りはその生物は絶滅しないでしょう。

翻って、全球平均気温の上昇幅は、産業革命前と比べて大体1℃程度であり、大方の生物種がまだ絶滅していないのは、上の図の最終段階には達していないからだと考えられます。たとえば日本ですと、ブナ林は2100年頃には本州からほぼ消滅すると考えられていますが、そういうスパンでの話ですから、1970-2010年の気温上昇だけを考えても正しい結論は得られません。

漁獲への影響

この図は、定量的には確信度が低いとは確かに本文に書かれているものの、その傾向については中程度の確信度(medium confidence)と書かれています。また乱獲はこの図の状況をより悪化させることはあっても、取り締まりが厳しくなったとしてもこれより状況が良くなるということは無いような図ですから、考慮すべきという意見にもあまり賛成は出来ません。

農業への影響

この図に関しては筆者にかなり賛成で、確かに良くない図だと思います。

結び

国の気候変動政策にも影響のある立場の人がなぜこれを書いたのか、という事については多少の邪推を禁じ得ないところですが、ともあれ書かれている内容は素直に書かれたと言うよりは少し印象操作の感じを受けます(特に専門家判断と漁業の話題について)。

「ついに地球が本格的な「寒冷化時代」に突入した可能性」記事のホントのところ

ご無沙汰しております。

元ネタはこちら。またDaily mailの飛ばし記事ネタですか。そういえば最初にここで記事を書いたのもそれ関係でしたね。

結論の要約

北極の氷は、前年が異常すぎるほど融けていたから前年比で回復したように見えるだけで、今年も30年平均のトレンドで見れば順調(?)に減少傾向と言えます。
南極の氷はもう少し温暖化との関係が分かりにくいですが、温暖化で海表面は凍りやすい条件になることが示唆されています。

本文

南極

 説明の便利のため南極の話から行きます。
 まず気をつけなければならないのは、当該記事で取り扱っていたのは南極海に浮かんでいる海氷の話だということです。南極大陸に乗っかっている陸氷とは分けて考えなければなりません。そして海面上昇に直接寄与するのはあくまで陸氷の減少で、海氷はあまり関係ありません。
 さて、南極の陸氷の総量は、IPCCの2007年報告書を読む限り、総体としては近年減少しているようです。(下図参照。赤の領域が増加、青が減少)ただし単純に温暖化したから氷が融けた(南極半島はおよそこれ)というよりは、温暖化を通じた降水パターンの変化などいろいろな影響の結果といえます。


 南極で海氷面積がずっと増え続けているのは、一貫した傾向として昔から広く知られています。一見するといわゆる温暖化とは相反するように見えるこの現象について、最近ではいくつかの説明がなされています。
 海氷面積は北極でも南極でも、海水温と風と気温が大きく影響します。温度は自明として、風が強いと氷が壊されやすかったりします(それ以外の効果もあります)。南氷洋ではそれに加えて塩分も影響します。塩分が薄いほど凍りやすいのは高校化学で学ぶとおりで、海水の塩分を薄めるのは南極の陸氷が融けてできた真水です。北極の氷は海水が凍ったものですが、南極大陸の氷は雪ですね。南極から真水が流れ出すと周囲の海の水が凍りやすくなるわけです。
 もちろん北極圏にもグリーンランドなど陸氷はありますが、南極ほど大きな影響力はないようです。
 その他、その真水が海の温度層を保護すること(密度の低い真水が表面にあるので対流や湧昇流が抑えられ、その場で凍ってしまいやすくなる)や風の影響等について説明している記事(南極の海氷が増える原因@自然史ニュース)も併せて読まれると良いでしょう。
 つまり、南極の陸氷が減ったことが海氷の増加に寄与しているらしく、それはどうも南極地域の気候変動(特に温暖化など)によって引き起こされているらしいと考えられています。

北極

 北極の氷のグラフはNSIDC (National Snow & Ice Data Center)のを見るのが一番良いと思います。何より氷面積の下限がちゃんと0から表示されるのが良い。
 2013年現在、ページを開くと黒いグラフが最近30年の平均面積(とその上下2σ)、緑の点線で2012年の面積と薄紫の2013年の面積データが見えます。2012年の最小面積が30年平均の55%しかないという、ちょっとどん引きする惨状でした。確かに北半球全般に相当暑い夏ではあったようですが(NOAAの記録でも歴代最高の赤い領域がたくさんあります)、それだけで説明しきれることでもないのは前述の通りです。それに比べると今年はおとなしい…のも確かですが、充分良くない状況であることもおわかり頂けるでしょう。
 毎年8月(ちなみにだいたい例年9月が最小期)の月平均面積の経年グラフは、ブコメでkknsdさんも指摘していたNSIDCの別ページの図3を見てみましょう(下図)。回帰直線(と呼ぶのは学術用語的にまずい気がするのですがまあそういうもの)を見ても、別段これで回復傾向とは言えないでしょう。2008年頃にも懐疑論者は大騒ぎしてたんだろうなーと思う程度です。


 もうちょっとさかのぼった記録が見たいという疑い深いもとい慎重な方には、IPCCの2007年報告書にある、1860-1900年頃からの海氷面積のグラフを紹介しておきます。
 結論として、温暖化が一段落したなんて言えるような兆候は今のところ特にありません。

割合まともな部分もある。

結論の要約

古気候学を含むいくつかの学問分野に関する限り、著者の認識はかなり正しいと言えます。ただし、天文学系の話題で「よく一致している」などと言っている部分については、時間スケールが実際の気候のタイムスケールより大づかみではないかと思われるケースが多いので、あまり信用しない方が良いように思われます。

本文

 序章だけで大変つっこみ甲斐のある本書ですが、実は第1章は意外にまともな部分が少なくありません。古気候研究についての説明は基本的に正しいと考えて構わないレベルです。たとえば70ページに書かれている、歴史的な気温の変化がCO2濃度の変化に先んじている傾向があり、その遅れがおよそ800年であるというような記述についての文献調査など、AR4のフルレポートよりも詳しく書かれています(もちろんAR4でも同じ論文を参照しており、このことはこの部分を読んだ人は概ね知っています)。どこかの素人懐疑論者が涙ぐましい努力で示そうとした事よりもずっと信頼性が高いです。
 気候変動について勉強している人が、もし何か懐疑論について1冊読みたいのであれば、本書をお薦めすればその辺りの基礎知識も身について便利そうだ、と思います。どこまでが正しくてどこがおかしいか区別が付きにくいかも知れませんけども。さすがに学部時代によく勉強された分野であるだけのことはありますし、逆張りしか能がないどこかの某有名教授に比べてキャリアに差が出た理由もよく分かります。

 しかし、個々の論文の理解に関しては良いのですが、それらの取捨選択となると、IPCCが間違っているという先入観のためか、かなり怪しくなってきます。
 この著者は、いくつかのグラフを並べて「良く対応している」というような評価の仕方を頻繁にしています。しかし、時間軸が数千年単位ならばともかく、それより長いものについてはあまり意味のある比較ではないはずなのです。
 これは3つの理由によります。

  1. 気候システムは一般に、条件の変化に対応するのにそこまで長い時間は掛からないだろうという事。つまりぱっと見では似たようなグラフであったとしても、実際には数千年以上のタイムラグがあったとしたら、その両者に直接の因果関係はない(単なる相関関係である)可能性があるという事
  2. 時間の解像度がそれだけ荒くなって、両者を比較できる程の精度があるか疑問であること
  3. なにより、そのようなおおざっぱな時間解像度では把握できないようなイベントが、人類や生態系にとっては十分に影響を与えうるということを失念しているためです。

 また、あまり大きな事ではないですが、明らかな事実誤認などもこの章にもあります。
 図1-5を見ると、最近の平均気温は黒点の数から予想されるよりずっと高くなっていることが示されています。これはむしろ、近年では太陽以外の影響が大きくなってきている可能性を示唆するようなもので、この図を出しちゃって良かったんですかねぇ…?
 次にキーリング曲線(図1-6)で、夏にCO2濃度が高く、冬に低くなっている理由として海水温と関連づけた説明をしていますが、これは主因ではありません(いくらかは効いているかも知れませんが)。このような物理化学的な濃度変化はこんなに早く起こりません。この季節変動は主に、陸上生物の活動と関連づけられています。生物の炭素プールは意外とバカにならないのです。もちろん、氷期間氷期サイクルぐらい長期間の変動については、海水温が主な駆動力になっているのは確かです。そこは区別する必要があります。
 それから、この曲線を見いだしたキーリングに関してはちょっと補足しておく必要があるでしょう。筆者は「(略)二酸化炭素の増加が温室効果によって温暖化を引き起こしているという主張に対しては慎重な態度を崩さなかった」などと紹介していますが、彼はもともと、二酸化炭素濃度の増加による温暖化を危惧したレベルという上司の下で、連続的なCO2濃度の測定技術を開発するという研究をしていたのですから。
(この辺りの経緯はこちらもご参照下さい)

 それから最後に。歴史的な気温の変化がCO2濃度の変化に数百年先んじている傾向は基本的に一貫しています。このことは、気温の変化がCO2濃度の変化を引き起こし得るということを示しています。しかしこれは、CO2濃度の変化が気温の変化を起こしたりはしないという論証には、当然ながらなっていません。
 始新世高温期(MECO)という時期が約4000万年前にありました。このイベントの場合、どうもCO2濃度の変化が気温の変化を起こしたと言えるようです。気温の変化が原因で大気中に放出されるCO2は、海水に含まれていたもののはずです。ところがMECOの時のCO2を調べてみると、どうもそういったものとは違って、地質由来のものが大気中に放出されたようなのです。つまり、このときの大気中のCO2の濃度変化は、気温の変化によって生じたものではなかっただろうと考えられます。そして、CO2濃度の変化は気温の変化を起こし得ないと考えるには、ちょっとこの両者の挙動が対応しすぎている。
 CO2濃度の変化が気温の変化を起こした事も、実際にあったのですね。
Science 5 November 2010: Vol. 330 no. 6005 pp. 819-821

IPCCとその科学に対する無理解

結論の要約

著者はIPCCの科学に関する重大な誤解をしています。「ホッケースティック曲線」は古気候学の成果であって最近の気温変化について述べたものではないですから。また筆者はIPCCそのものについても正確な知識を持っていません。

本文

 前回の続きです。そもそもホッケースティック曲線は「近年の気温上昇」の証拠としては扱われていません。Mannらの研究は古気候学、つまり過去に気温がいつどの程度変化したかを対象としています。彼らは何しろ、1960年代以降は再現性が低いので機器計測の気温を代わりにグラフに載せたぐらいですから(もっともこの行為は批判されるべきものだったと思いますが)、近年の気温上昇の証拠というのは明らかに機器計測の結果によるべきですし、実際にAR4ではそうされています。古気候学はAR4第一分冊の第6章、近年の気温等の観測結果は第3章で扱われている事にもご留意下さい。
 古気候学をIPCCが取り扱っている理由はここ100年ほどの気温上昇を証明するためというよりは、むしろ過去の気候変動とその影響を調べることで将来予測に役立てる為です。つまり、ホッケースティック曲線を論難することに重点を置いている懐疑論は、気候変動の科学の構造を理解できていないと言って良いです。理解できていないのに有意義な批判が出来るかというと、大変に疑問です。

 近年の気温について古気候の研究を持ち出して議論するのが妥当でないのだとすると、図0-2のグラフの見せ方はおかしいですね。2000年付近について機器による計測の結果を載せていない。IPCCのグラフの「機器による観測」には、近年の急速な温暖化がはっきりと現れています。とはいえこのデータセットはCRUによるものですから、クライメートゲートを大々的に取り上げる趣旨ならばそれは信頼できないと考えるのも、理屈としては理解できないでもありません。

 さてそこで。4ページ「実はCRUは(中略)IPCCの科学部門を統括する、公正な権威ある機関だとされて来たのだが(後略)」という記述について。まず「IPCCの科学部門」というのが一体何を指すのか分かりません。それ以外にどんな「部門」があるのでしょうか。組織図のどこに相当するのでしょうか。IPCCの議長さえも科学者であるというのに?統括というのがたとえば事務局の事であれば、国連の世界気象機関がこれに相当しますし、IPCCに3つある作業部会の技術支援ユニットのいずれもCRUにはありません。IPCCの現議長であるパチャウリもインドの研究者であってCRUに属しているわけでもありません。この文章は、「気候変動に関する政府間パネル」とは別のどこかのIPCCについて書かれたものなのでしょうか。いいえ、結局、「クライメートゲート」を事実以上に重要視させるために、こき下ろす前段階としてやたらとCRUを権威付けをしてみただけだと結論づけるほかありません。
 ついでにこの著者がIPCCの事をよく知らない事が分かる例をもう一つ。図0-5で3つの作業部会の下に「タスクフォース 各国における温室効果ガス排出量・吸収量に関する計画の運営」と書かれていますが、これが何をする組織か理解できた人はいないと思います。これは最小限の訂正を入れるとすれば「各国における温室効果ガス排出量・吸収量に関する報告の方法論の策定」とでもなりましょうか。マイナーなので確かにIPCCに関わっている人でも全員が正しく理解しているかはちょっと自信が無いですが、とはいえ批判したいならもうちょっと勉強しておくものではないかと思います。

 その上で、特にここ100年の(=実測に基づく)全球平均気温について、AR4がどのデータセットに依拠しているかを見ると、主にCRU/Hadley以外にはNCDC、NASAそれからLuginaらの研究、となります(このリストはAR4第一分冊第3章のTable 3.2にあります)。これらはいずれも元データは各国気象庁の記録ですのでほとんど共通で、あとは地域の重み付けの手法が異なるということになります。ですからいずれのデータセットでも結果は大同小異。CRU以外のデータセットからも同等の結果が得られている以上、たとえCRUのデータセットが無効であると主張したとしても、著しい温暖化が起こっていることは否定しようがありません。最近の気温が少なくとも「中世温暖期」よりも0.5℃近く高いという事実を隠したいからという以外に、これを見せなかった理由はなさそうです。

本書31ページ「『先に結論ありき』という逆立ちした『科学』」とは、一体誰に対する批判なのでしょうか。

「ホッケースティック曲線」批判を主眼に据えた懐疑論

結論の要約

懐疑論者が何故か目の敵にする「ホッケースティック曲線」は第四次評価報告書(以下AR4)から削除されてなどいません。また筆者が自説の補強の為に紹介した再現気候の研究もAR4には載っているのですが、あたかもそれらをIPCCが認識していないかのように書いているし、また研究の選び方もかなり恣意的です。

本文

 このグラフはAR4の第一作業部会報告書の技術要約日本語版の図TS20から取りました。MBH1999というグラフがMannらによる、いわゆるホッケースティック曲線です(出典の確認にはFull Reportに当たる必要があります)。ちゃんとエラッタも調べましたが、「不適切なので削除する」というような記述もありませんでした。
 ちゃんと評価報告書を読んでいれば、そもそもこんな事実誤認などしないと思うのですが…。読まずに批判している事がよく分かります。この曲線のグラフは赤祖父本から取ったようですから、このデマの出所もそこでしょうか。

それから、Mannの結果が誤りと言えるほど他と比べておかしいかというと、それも正しくありません。6ページの図を見ていただければ、白いギザギザがかなり広い範囲に描かれているのが分かります。これは「一定の確率(元論文は読んでないのですがおそらく90-95%)の確率で、その時代の気温はこの内側のどこかに落ち込む」ということを示しています。特に1600年以前は相当に誤差範囲が広く、およそ±1℃にもなろうかという程です。翻ってAR4のグラフを見れば、ほぼすべてのグラフがその範囲に入るのが分かります。そもそも古気候学のデータは誤差の大きなものです。それはこれらの曲線が互いに大きくばらついていることを見ても明らかです。これらを平均化すれば、結局は誤差範囲を含めて「ホッケースティック曲線」と大差ないものになります(Full ReportのFig 6.10参照)。

付け加えると、本書図0-2は恣意的なデータの選び方をしていると指摘できます。ここに書かれているMann以外のグラフはいずれも上のグラフにも描かれています。MSH2005とPS2004です。Mannのグラフが1600-1800年頃について高めに描かれているのは見ての通りですが、逆にMSH2005とPS2004が当該期間について他より低めの見積もりを出しているのも明らかです。これは「近年の気温上昇も、単に三〇〇年前からの気温上昇(小氷期からの回復)の延長に過ぎないように見える」というストーリーに合致するものだけを選んだように思われます。他にもいろいろな再現気候の研究があるのにこの2つの研究だけしか知らなかった、というのはちょっと信じがたいですから。
この筆者は「中世温暖期」がMannらの曲線からは読み取れないことを非常に重要視しています。それは39ページで、第1次報告書の古気候グラフではそれが見られたことを誠実さの証と見ている事からも明らかです。しかし、そもそも「中世温暖期」というのはヨーロッパで顕著に見られたものの、全球的にはさして温暖な時期でもなかったという事が後になって分かってきます。初期の研究では文献や観測結果(そのほとんどはヨーロッパなどに偏在している)による気温の再現がほとんどで、年輪などを使うような物理化学的な手法があまり使われていなかった為にそれが分かっていなかったのです。「中世温暖期」にこだわることは、科学としてはあまりお勧めできません。

本書では、ホッケースティック曲線を根拠に人為的に温暖化が進んでいるとIPCCが言っていたが、その根拠が崩されたので人為的に温暖化は嘘だ、というロジックが繰り返し用いられます。ところが現実には、そもそもAR4から削除されたりした事実が無いわけで、事実誤認が本書の根幹となってしまっているのです。しかも自説の補強の為に、複数の研究の中から見せる物を恣意的に選んでいる。

今更そのやり口がどうだとか、言いませんけどね。

序論

震災による福島第一原発の災禍によって、にわかに反原発の動きが活発になりました。
 どのエネルギー源を選ぶかは国民の決めるところであって私がどうこう言うことではないのですが、日本において気候変動懐疑論がしばしば反原発と結びついてきた事を見ると、この流れは警戒せざるを得ません。
 日本における気候変動懐疑論の始祖の一人として槌田敦を挙げることに異論のある人は少ないでしょう。この人はもともと70年代から反核運動の人で、気候変動の話を始めた時も「原発は気候変動の防止に役立たない」という絡み方でした。これはもちろん、政府の原発PRへの反発であったわけです。このように「合目的的」な気候変動懐疑論を反原発に利用する人というのが比較的目立ちやすいというのは、日本の懐疑論の特徴的なところかもしれません。欧米では化石燃料産業に結びつく事が多い気がしています。

 ともあれそのようなわけで、原発騒動の落ち着いてきた頃に懐疑論がまた勢いを付けるのではないかと心配していたところ、7月末に表題の書籍が出ていたので、早速買って徹底的に間違いを正して公開しておこうと思いました。既にやや遅きに失した観はありますが、ともあれ書き始めてみます。

REDD+に関する些細な事

 名古屋で生物多様性条約の会合が行われている事に絡めて、金銭援助と引き替えに途上国において森林の開発を一定期間行わない事で、そこの木に含まれている炭素がごっそり二酸化炭素として放出されるのを予防するという、REDD+という取り組みについての閣僚級会合についての報道がいくつかあります。
 非常に微細な事で申し訳ないのですが、それらの報道の中に勘違いを生じかねない事がしばしば書かれていたので、自分用の勉強を含めてちょっとメモを残しておきます。


 REDDとは"Reducing Emissions from Deforestation and Forest Degradation"つまり「森林減少・劣化からの温室効果ガス排出削減」の略称です(参考:国連REDD計画(英語))。途上国からの二酸化炭素排出は今後ますます大きな問題となってくると考えられますが、それらの国ではしばしば、その排出の少なからぬ部分が森林破壊によって引き起こされていると推定されています。この数字は、たとえば2006年のスターンレビューでは、2000年における世界の温室効果ガス排出量の18%(厳密には微妙に違いますが、そのほとんど)がこれによるとされたそうです(出典:REDD @ EICネット)。そして同時に、森林の開発をあきらめさせる補償費用のコストは、先進国で排出量を削減する努力をするよりも費用対効果がかなり良いと言われています。もちろんその金額は、現地の政府が「これだけくれるならまあ開発をやめても良いかな」と満足できるものになっているはずであることを留意してください。
 そこで、たとえば植林CDMとは違った形で、この補償を支払うことで自国での排出枠を少し拡大しても良いことにする、という取り決めがREDDと呼ばれています。
 途上国の開発を妨げる形にもなりかねないなどの懸念もないではないですが(実際、現地のパーム椰子プランテーションや鉱山の開発を行いたい資本家の反対なども当然生じます)、こうして入ってきた資金で森林保全の雇用を行ったり、より環境破壊の小さな分野への投資などに振り分けられる事が出来れば成功と言えるでしょう。


 さて、ここまで森林と二酸化炭素の話しか出ていません。生物多様性とは何の関係もありません。ではなぜ名古屋と関係するのか。それが、しばしば見落とされるREDDの後の"+"記号なのです。
 どうせ森林保全するならついでに生物多様性保全の機能も兼ねてよ、というのが、このREDD+(レッドプラス)の意義なのです。この名称が定着したのはCOP 13(もちろん気候変動枠組み条約の方の、です)のバリ行動計画から。もちろん、上記の会合で話し合われているのもこちらです。

参考:「森林保全と気候変動に関する閣僚級会合(結果概要)」@外務省

というわけで、報道の中にあった勘違いを生じかねない事、もう想像は付きますね。この+記号を抜いて報道しているところが少なからずあったのです。日本の新聞はすぐにネット記事が読めなくなりますが、一応目に付いた範囲でリンクを張っておきます。


REDD+(よくできました)


REDD(もう少し頑張りましょう)


というわけで、皆様、REDD+をよろしくお願いいたします。