クルーグマン「今とその後で」

どうもみなさんご無沙汰しております。なんとか生きてます。最近twitterはじめました。
訳せという声が聞こえた気がしたので訳してみました。久しぶりなので時間かかった(笑)。
変なところがあれば教えて下さい。
原文はこちら


今とその後で

By PAUL KRUGMAN
Published: June 20, 2010

経済が落ち込んだままの今はお金を使って、回復したらその後で倹約する。これってどのくらい理解するのが難しいことなんだろう?

現在の政治的な議論を見る限り、とっても難しいみたい。世界中で、政治家たちはその反対をすることに決めたみたいだ。彼らは、経済が助けを必要としているときにひどい扱いをしたくてしょうがない一方で、長期的な財政問題の処理には尻込みしているんだ。

でもこの問題の明快な説明を聞けば気が変わるかもしれない。と言うことで長期と短期の財政赤字の話をしよう。僕はアメリカの状況を取り上げるけど、同じ話が他の国についても言えると思う。

皆さん既にご存知の通り、今のところアメリカ政府は大きな財政赤字を抱えている。けれどもこの赤字のほとんどは、歳入を落ち込ませ、金融システムを救出するために巨額の支出を必要とした、現在進行中の経済危機の結果なんだ。だから危機が収まれば状況は良くなる。連邦議会予算事務局は、オバマ大統領の予算案の分析の中で、経済の回復によって財政赤字は現在のGDPの約10%から2014年にはGDPの約4%に減るだろうと予測している。

でも残念ながら、これだけじゃ十分じゃない。たとえ政府の年間借り入れがGDPの4%で安定したとしても、政府の総負債は歳入よりも速く増え続けてしまう。それに加えて、予算事務局は、財政赤字は2014年に底打ちした後、主に医療費の増加のおかげでまた増え出すと予測しているんだ。

ということでアメリカは長期的な財政問題を抱えているわけだ。この問題を処理するには、まず第一に、医療費を管理下に置こうという現実的な努力が必要となる。それなしでは何もうまくいかないだろう。加えて、追加の歳入を見つけるか、もしくはそれと同時に歳出カットも必要となるだろう。経済的には、これは難しい問題じゃない。特に、控えめな付加価値税を、例えば5%とすれば、アメリカの税制を世界中で最も低く保ったまま、(訳注:歳入と歳出の)ギャプを埋めるのに多いに役立つだろう。

で、もし我々が結局は増税して歳出をカットする必要があるとして、それは今始めるべきだろうか?いや、そうじゃないんだ。

たった今、我々はひどく落ち込んだ経済状況にある。そして、この落ち込んだ経済は長期的な損害を生み続けている。毎年、極めて高い失業率のまま推移するたび、長期失業者は職に復帰するチャンスを失い、社会の底辺に固定化されてしまう。毎年、職を求める人が求人の5倍にもなる状況では、何十万人もの学校を卒業したアメリカ人が、彼らの職業人生を始めるチャンスを拒絶されてしまう。そして一ヶ月が経過するたびに、我々は日本が陥ったデフレーションの罠に落ち込んでいく。

こんな状況のときにケチケチ倹約しようとするのは、ただ冷酷非情なだけじゃない。この国の将来を危うくするんだ。それに、倹約は我々の将来の負債を軽減するのにも役立たない。今支出を出し惜しみするのは、歳入の増加を期待出来る経済回復を危うくするからだ。

ということで、今は緊縮財政の時期じゃない。では、我々はどのようにその時期が来たと知ることができるのだろう?財政赤字問題が優先されて良いのは、唯一、Fedが再び経済を牽引しだした時期である、というのがその答えだ。増税と支出削減の負の効果が、金利の引き下げによって相殺されるからだ。

今のところ、Fedはそれをすることはできない。というのも、彼らが操作できる金利はゼロ近傍にあり、これ以上引き下げることができないからだ。しかしながら、いずれ失業率が低下するに従い(恐らくは7%かそれ以下に)、Fedはインフレの可能性を防ぐために金利を上げようとするだろう。そのときこそ、我々が動くときなのだ。政府は歳出の削減を開始して、Fed金利引き上げを遅らせる。そうすることで、歳出削減が経済を再びスランプ状態に押し倒すことがなくなるのだ。

でもそうなるのはずいぶん先のことだろう。たぶん2年かそこらは。だから重要なのは、今はお金を使って、と同時に、後で節約するのを計画することなんだ。

先に書いた通り、多くの政治家たちはその反対をやろうとしているみたいだ。連邦議会の多くのメンバーは特に、我々にはそんな余裕はないという理由で、長期失業者や、ましてや財政難で四苦八苦の州と地方自治体を救済することに反対している。そうすることによって、彼らは我々がまさに必要としている時期に支出することを台無しにし、経済の回復を危険にさらしている。その上、医療費のコストに関する努力なんかは延命中止の絶叫に直面している。

そして連邦議会で最も喧しい財政赤字のガミガミ屋は、数百万ドルの財産を相続した一握りの幸運なアメリカ人の税金を減らすことに精を出している。これは今の経済には何ももたらさないどころか、毎年何十億ドルもの歳入を恒久的に減らすことになる。

とはいえ、一部の政治家たちは財政責任に対して誠実になるべきだ。なので僕は彼らに言いたい。どうか正しいタイミングで。そう、我々は長期的な財政問題を解決する必要がある。でもそれは、我々の経済が助けを必要としているときに、それを拒むやり方ではダメなんだ。

無利子非課税国債と政府紙幣について書いてみるよ

皆さまご無沙汰しております。なんとか生きてます。ちょっとづつ日照時間が長くなってきているのでそろそろ冬眠が明けそうな気配であります。

しかしマジメに日本はこのままだと2・3年後あたりに失業率10%くらい逝きそうですね。南無南無。自分で「皆さん就職・転職はお早めに」なんて絶妙のタイミングで書いておきながら、間の悪いことに今になって転職しようかなーなんて思ってたりします。自分のことはわからんものですな。わはは。なんかいい仕事ないですかねー。南の島勤務希望なんですけど(南極除く)【あれは大陸svnseeds】。



ということで無利子非課税国債。これダメ杉。ダメ。ゼッタイ。

そもそも無利子ってことはそれだけじゃ持ってても意味ないわけですよ。だから相続税減免が付いている。ってことはこれ購入するのは相続税減免で得する人だけ。もし得する人がいなければ全く売れないからそもそも意味がない。それでも売るってんならただの詐欺です。

で、その人たちが得するってことは国が損するってことです。つまり国にとっては、将来の相続税の収入よりも現在の無利子非課税国債による収入の方が少ないということ。国は別に集めたお金で事業やるわけじゃないんだから、これじゃ単に借金増やすだけ。割引現在価値とか以前にもう全然意味がない。

結局これって金持ち相手のただの減税なわけですよ。そんなものをこのタイミングで持ち出す理由は選挙対策以外の何ものでもないでしょう。俳人の孫はcompletely brain damagedな廃人なだけでなく邪悪でもあることだよなあ。一刻も早く穴掘って埋めることを希望します。

だいたいね、これは要するに、国にお金がないならお金持ちから集めたらいいじゃない。ってことですよ。その集めたお金で国は何やるつもりなんでしょうね?民間よりも国の方が賢くお金を使えるゼ、って考えてるのが見え見えですよ。官から民へじゃなかったんですかね。

お金持ちにお金を使わせたいならもっと簡単な方法がある。デフレからインフレにすれば良い。そしたら損したくないお金持ちは必死になってお金を動かしますよ。その結果税収だって増える。無利子非課税国債なんてのはもう本当にスジ悪でダメダメです。馬鹿みたい。



はい。ということで気を取り直して政府紙幣ですけどね。前回のエントリでおすすめしといて言うのもアレですけど、僕これもダメだと思います。うん。

紙幣通の僕から言わせてもらえば今、紙幣通の間での最新流行はやっぱり、

民 間 紙 幣、これだね。

だって中央銀行も政府もお金刷ろうとしないじゃん。

でもお金足りないじゃん。

だったら自分たちで刷るしかないじゃん。

官から民への時代に相応しい、究極のソリューションですヨ。

そんなことしたら円の信認がなくなる?

違うよ。全然違うよ。

むしろ日本銀行券(本物)の信認は高まります。

ということで民間紙幣。

これ最強。これはパネェ。

自分で使うカネは自分で刷る!

まさに自己責任!(色んな意味で)

山猫銀行万歳!!【ただの円天svnseeds】



てことで早速この諭吉をスキャンして・・・おや、こんな時間に誰だろう?

ご無沙汰しております

とりあえず生きております。

なんか最近リフレ系ブログがやたら充実してるし、リフレ系書籍も新刊沢山でてるし、日銀批判がマスコミでちらほら出だしてるし、もうあんまりここで書くことないよなーと思ってたらこんなに間があいてしまいました。皆さまお元気ですか。

僕は相変わらず戦前昭和史関連の本ばかり読む日々を過ごしております。昭和天皇から西園寺公望公に浮気して、その後その流れで近衛文麿公とゾルゲ・尾崎関連と旧海軍提督関連の文献を読んでる感じです(ずっと読みたかった細川日記やっと読みました。無茶苦茶面白い!)。ちなみに今個人的にアツイテーマは「反共の昭和史」。段々陰謀論ちっくになってきて我ながらガクブルであります。わはは。いづれ時間ができたら簡単なコメントを付して読んだ本をご紹介したいなあ【いつになるやらsvnseeds】。

というわけで頭の中がほぼ半世紀以上昔を彷徨っておりまして、最近の経済動向にはトンと疎くなっております。海の向こうでは金融機関が国有化されたり、クルーグマン先生がいわゆるノーベル経済学賞を受賞したり、大変なことになってるようですね・・・。ポールソン案がいったん却下されたのを聞いたときには、ああやはり人間とは幸せを相対的に感じるものなのだな、よって民主主義国家においては貧困だけでなく行過ぎた格差についてもある程度は対策が必要なものであることだよなあ(詠嘆)とつくづく思いました。何が行過ぎかを判断するのが難しいんですけどね。って今更杉ですかそうですか。

僕は今般のいわゆるサブプライム問題から引き続く経済環境の変化については非常に楽観的な見通しを持っておったのですが、漸くこの見通しは改めざるべからずと思うに至りました。とは言っても別に世界の終わりとか資本主義の終焉とかドル支配の崩壊とか赤いカニ型怪獣の逆襲(必殺技:蟹光線)とかではなく、韓リフ先生と同様、(日本を除いては)ただの不況(悪くてもただの大不況)だと思っております。早ければ来年の今頃には昔の話になってるんじゃないかなあ【未だ楽観のsvnseeds】。なんともかわいそうに思うのは再来年の就職を控えた学生さんたち。また超氷河期でネオニートとか言われちゃうのかなあ。本当に気の毒です。

一方除かれた日本ですが、これはなんといっても畏くも我が日銀様が生暖かく見守っておいででいらっしゃるので、おかげさまで円は独歩高、株価はなんと26年ぶりの安値更新だそうであります。夏前まで騒がれていたコストプッシュインフレは(当時からその傾向は散々指摘されてましたが)既に沈静化、もうしばらくすればヘッドラインCPIも(物価連動国債やコアコアCPI、GDPデフレータと同様)マイナスになることで御座いましょう。ありがたやありがたや。南無南無。

で、畏き我が日銀様におかれては、我々常人では理解も及ばないくらい遠い(たぶん56億7000万年くらい先の)未来を見据えて生暖かくふぉわーどるっきんぐされておられることがもはや明白でありますので、死すべき定めの我々としては、日銀様の御慈悲に縋らずに何らか別の対策が必要かと愚考いたします。

ということで以下日銀様がいなくても出来る景気対策2つ。こんなのどうでしょう。半分ネタですが半分本気ですよええ。

1. 政府紙幣を財源とし適当な物価水準への回復を目標としたヘリコプターマネーの実施
bewaadさんも書いてますが、全国民に10万円くらいばーんと配っちゃうのはどうすか。効果なければ毎月配る(笑)と。現金でなくても、例えば今や有名人の高橋洋一さんが以前から主張されていた社会保険料の減額なんかも良いと思います。
ちなみにヘリマネじゃなくて減税だと今税金払ってる人だけが対象になるし(つまり税金払いたくても払えない低可処分所得層はスルー)、将来税率戻すこととセットになりやすいんでバツです。
財源については、(将来の増税とか馬鹿なこと言ってる人がいるけどスルーして)いわゆる埋蔵金も良いけど所詮限りがありますからねえ。その点政府紙幣はその気になればいくらでも刷って刷って刷りまくれます。コストはほとんど印刷と流通にかかる費用だけと大変お得です。
ってまあ真のコストはインフレなんですけどそれは畏き我が日銀様が生暖かく見守ってらっしゃるので心配無用であります。というのは冗談で、まあ適当な物価水準目標を置いてそれにコミットすれば良いんじゃないでしょうか。
蛇足ですが累進強化はデフレ脱却後であれば賛成です。

2. 日銀法の再改正
これ最強。もう此の際、政策委員の皆さまには全員金箔でも貼り付けてご隠居頂いてですね、もうちょっと常人に近い普通のタイムスケール(例えば半年〜1年半程度先)で普通にforward lookingできるよう、日銀のこーぞーかいかくをしてはどうかと。
以下私案概要。

  • 物価安定の目標、および政府と日銀の役割分担を明確にする。具体的には、政府が目標を設定し、金融政策の手段においては日銀の独立性が担保されるものとする
  • ただし目標は厳格に適用されるべきでなく、いわゆる「制約下の裁量」の余地を残すものとする。なお「制約下の裁量」については韓リフ先生の解説を参照のこと
  • 金融政策の結果に対する責任を明確にする。例えば、設定された物価安定の目標を外した場合は総裁が議会において説明を行うことを義務付ける、長期に亘り目標を外し続けた場合は政府もしくは議会が正副総裁の罷免を行うことを可能とする、等
  • 上記に関わらず、一定期間デフレーションに陥った場合は、金融政策の手段においても日銀の独立性は失われるものとする。具体的には、例えば2四半期を超えてインフレ率(GDPデフレータ and/or コアコアCPI)がマイナスとなった場合には、政策委員として政府が指定した者が新たに加わることとし、4(もしくは6)四半期を超えてインフレ率がマイナスとなった場合には、正副総裁を含む全政策委員は政府が指定した者と交代する(但し留任は認める)こととする、等
  • 日本銀行を、金融政策を決定する組織と日々の金融調節オペレーションを行う組織とに解体分離する。詳細は以前のエントリをご参照

とか書いてたらこんなニュースが。中銀だけじゃなくて政府も財務省も頭おかしいって一体どんな国ですか・・・orz

面子重視で大陸から撤退できなかった旧陸軍、予算が減ったり陸軍に吸収されることを恐れて米国とは戦えないと言えなかった旧海軍、足の引っ張り合いの挙句みっともない自殺をした政党、理念先行の「改革」に熱を上げて軍部を担いだ官僚、蛸壺の中で向こう見ずの威勢だけは良い主張を繰り返した言論人、発行部数競争の結果大衆迎合的な記事ばかりとなったマスコミ、そして長く続く不景気の中で悪者探し・他者叩きに熱中した世論。こういうゲンナリする光景はもういい加減歴史の中だけにしたいなあああ。

あああまた馬鹿馬鹿しくなってきた。もう知らない。

日銀の利下げ、国際協調に重要=与謝野経済財政担当相
2008年 10月 28日 10:54 JST

 [東京 28日 ロイター] 与謝野馨経済財政担当相は28日、閣議後の会見で、日銀の金融政策に関して、政策金利を0.25%に下げても経済効果は全くないとしながらも、諸外国が金利を下げたときに日本が金利を下げるのは国際協調の証を立てる意味で重要と語った。

 一方で、金利水準と為替水準の関係は遮断されており、金利を据え置いても引き下げても為替水準への影響は乏しいと語った。

 日銀の独立性を尊重する与謝野経済財政担当相が、日銀の金融政策に踏み込むことは極めて異例。10月3日の記者会見では金融政策の役割について「日銀の(政策金利の)誘導水準の引き下げは実際上の効果はない。潤沢な資金供給が日銀の金融政策としては正しく、効果がある」と述べ、利下げによる景気浮揚効果に疑問を呈していた。

 ところが、世界的な金融危機の影響で景気後退感が強まるなか、今日の会見で与謝野担当相は利下げの意味に踏み込み、日本の利下げも選択肢となりえるとの認識を示唆した。 

 日銀の利下げの是非について与謝野担当相は「日銀の金利政策については、政府が積極的に発言をすることは日銀法で予定されていない。仮に意見があれば、政策決定会合に出席し、議事を延期してもらうか、意見を申し上げる正規の手順を踏むべきであって、会見で私が金利水準について発言することは好ましくない」と切り出した。 

 一方、欧米では金融緩和観測が強まっており「協調利下げの環境になってきたか」との質問には「日銀の金利水準は0.5%で、0.5%に据え置いても、0.25%に引き下げても、経済に対する効果は全くない」とする一方で「象徴的な意味はもつ」と指摘。さらに「各中央銀行金利を下げたときに、日本もそれに伴って金利を下げるのは、国際協調の重要な証をたてるという意味で大事だ」と述べ、日銀の一段の金融緩和は経済効果は乏しいが、政策当局の姿勢を示す象徴的意味と国際協調の観点から重要との認識を示した。

 一方、金利政策に伴う為替への影響に関しては「為替レートと普通は関係するであろう日銀の金利と、いま関係が遮断されている」とし、欧米が利下げをし日本が金利水準を据え置いた場合に円高が加速し好ましくないのではないかとの質問には「日本が0.5%の水準においていてもさらに下げても、為替水準にはほとんど影響しないだろう」とした。

 <ここ1週間の円高はファンダメンタルズを反映していない> 

 また、最近の円高進行に懸念を示した7カ国財務相中央銀行総裁会議G7)の緊急共同声明に関しては「ここ1週間の動きは、目を見張るような円高の進行で、これは決して日本経済のファンダメンタルズをきれいに反映したものとは考えられない」と指摘。「為替の過度な変動、ボラティリティが必要以上に高くなることが好ましくないことは通貨の専門家の共通した常識で、それに基づいた声明だ」と評価した。 

 <追加経済対策は30日に発表へ> 

 策定中の追加経済対策については自民・公明党間で「相違点はそう多くない」と述べ、きょう午前の調整で大きく決着に向けて踏み出すことになるとの見通しを示し、30日の最終決着は「守られている」と語った。

 (ロイター日本語ニュース 吉川 裕子記者)

http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-34564720081028

あーなるほど。

mojimojiさんからお返事いただいた。ありがとうございます。以下返答を試みます。

まずはやっぱり誤読があったようで大変失礼いたしました。読解力なくてどうもすみません。

mojimojiさんの僕のエントリへのブックマークコメント、松尾先生からいただいたコメント(いつもありがとうございます。お手数おかけしてすみません)、稲葉さんの一連のエントリ(0123)、および稲葉さんのところでのOさんの一連のコメントを読んで、やっと僕が何を勘違いしていたのかがわかりました。

特に、mojimojiさんが参考として挙げられた、次のOさんのコメントは大変有益でした(勝手に引用させていただきますが、問題があればご指摘下さい)。

GDP概念が強力なツールである事は言うまでもないですが、それだけで事足りるのであれば、社会厚生関数についてのサミュエルソンたちのような議論が出てくる必要も無かったわけで、じゃあどういう社会厚生関数でいくべきか(つまり、どういう社会的な価値判断をするべきか)についての社会的選択がありますよ、というのがMojimojiさんの議論の要諦でしょう。

Mojimojiさん自身の支持するであろう「社会的な価値判断」はもちろん、「富裕層向けの財やサービスの分野中心での経済成長・資源配分」よりも、「基本的ニーズの充足という制約の下での経済成長・資源配分」で行くべきという事のようですが、そのような彼自身の支持する社会的価値判断を主張し、説得することが主要な目的ではなかった、と読めます。

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20080903/p3#c1220459010

僕の先日のエントリは、この2つの論点に、更に現在の日本の状況において経済政策の最優先課題を何と考えるか(いわゆるリフレ派の問題意識)が合わさって、議論がごちゃごちゃになっていたようです。

ということで、mojimojiさんのメインの主張である(と僕が理解した)ところの;

  • 「いかなる社会を作るのか」という価値判断をちゃんと議論して社会的合意を形成することは、経済成長を追求することとは独立した問題
  • だから豊かな社会を築くにあたっては、単に経済成長を目指すだけではダメ

という主張には全面的に同意します。これは、順調な経済成長が続いた米国における格差の存在、という問題を考えれば容易に納得できる、至極穏当な主張であると思いますし、僕自身の信念とも一致します。

それとあわせて、僕の先日のエントリにおける「まずは経済成長、次に福祉を含めた諸々の政策」という僕の主張は、「現在の日本の経済状況においては」という限定を付けるよう訂正します。

論点が整理しきれていなかったため、僕は意識せずにそのつもりで書いていました。また、稲葉さんを含む、僕のエントリに好意的なコメントを寄せた人たちも、恐らくはそのように読まれたのだと思います。過度に一般化したように読める記述をしたことは僕のミスでした。議論を混乱させてしまってどうもすみません。



ということで個人的にはこれで大変すっきりしたのでここでやめてもいいんですが、色々お騒がせしてしまったようなので、以下に僕がどう誤読・勘違いしていたのか明らかにして、その後にmojimojiさんのエントリへの直接のリプライを述べます。



まず、僕はmojimojiさんの先の2つのエントリでの主張を、以下のように理解していました。前回まとめたのは穏当版ですが、過激に表現すると次のようになります。

  • 経済政策においては福祉を最優先するという社会的合意が形成される必要がある。そうした合意が形成されていないのに、経済成長が必要だという主張がなされるのはゴマカシでしかない
  • また、現在の日本がおかれている経済環境においても、最優先課題は福祉社会の実現であり、そのためには高所得者への課税の強化が必要だ。それによって経済成長率が落ち込んでも問題はない
  • 更に、福祉社会が実現されるのであれば、これ以上の経済成長は必要ない。成長率はマイナスでも良い

まあ今となっては誤読なのは明らかなんですが、こういうアンチ経済成長みたいな意見は結構見かけるので(昔の「くたばれGDP」とか)、つい、またそれだと思って読んでしまったようです。先入観バイアスには気をつけてるつもりだったんですがダメですね・・・orz。

ちなみにこの「福祉(社会)」を「財政再建」、「高所得者への課税の強化」を「消費税増税」と読み替えれば更に良く見かける議論になりますなあ。南無南無。閑話休題



次にmojimojiさんの「マクロをミクロに見てみれば」への直接的なリプライを。結論から言うと、上記のような僕のmojimojiさんの主張に対する誤読に加えて、僕に読解力だけでなく文章力もないこと(泣)が相まって、いささか誤解を生んでしまっているようです。以下弁明を試みます。



「ふたつめのその1」で、mojimojiさんは、僕が生産性について言及したことは「貨幣ベースに置き換える」という「価値判断の問題を無自覚に持ち込んで」おり、これは「implicitな価値前提の導入のゴマカシ」だ、と書いています。

ですが、僕は生産性に言及することが「貨幣ベースに置き換える」ことになる点については、以下に書いたように自覚的でした。

もちろん、mojimojiさんが本来主張したいと思っていただろう(と僕が理解している)ことは、「福祉社会」が実現している社会とそうでない社会においては、GDP(つまり国内総生産)や生産性の高低は直接の比較の指標にならない、ということなんで、ここで生産性を云々するのはナンセンスなのかも知れない。

http://d.hatena.ne.jp/svnseeds/20080903#p1

※ここで「福祉社会」といっているのは既に書いたように僕の誤読で、mojimojiさんの言葉を借りるならば「基本的ニーズの分野が満たされた社会」ってことですね。

では、何故僕が前のエントリでわざわざ生産性について言及して「貨幣ベースに置き換える」ことを行ったかというと、ここではmojimojiさんの言う「基本的ニーズの分野が満たされた社会」を実現する手段の(非)現実性を検討しており、且つmojimojiさんはその手段として「富裕層」への課税の強化を挙げていたからです。

ここでの課税の強化は「貨幣ベース」で行われるものだと僕は理解しました(今の日本で物納が認められるのって確か相続税だけですから)。そして税収は国民総所得(GNI)に比例して、GNIの主要な構成要素であるGDPは生産性によって左右されます。

要するに僕が生産性を持ち出したのは、「資本集約型産業の生産物の方が大事です」なんてナゾな主張をしたいが為ではなく、

  • 相対的に生産性が高くまたその伸び率も高い産業から相対的に生産性が低くまたその伸び率も低い産業への大規模なシフトが起こった場合、当然税収が減少することが予想されます
  • この場合において、「基本的ニーズの分野が満たされた社会」という目的を実現するための手段として「富裕層」への課税の強化を挙げるのは、sustainableではないように思え、従って非現実的だと思います

ということです。

※生産性の負のシフトが起こった後も経済成長が続けばsustainableではあると思います。ただ、次に述べるように、これを書いた時点では経済成長率がマイナスであることを許容する、という前提を(誤読により)置いていたので、sustainableではなく非現実的、という結論となっています。

ここでの結論の妥当性は置いたとしても、課税という手段を考える以上、その現実性を検討する際に「貨幣ベースに置き換え」た生産性、GNIやGDPといった指標を使うのは極めて当然だと僕は思います。

でも今読み返すと、僕の先日のエントリの「ふたつめのその1」では、明示的に課税の話であるとは書いてないですね・・・orz。ということで手段でなく目的について述べている、と誤解されてもしょうがないと思います。目的を決定するときに「貨幣ベースに置き換えた」指標を用いるのはゴマカシだ、という主張は(同意はしませんが)理解はできますし。



次に「ふたつめのその2」の件。

累進課税ポルポト」なんておかしな主張をしたつもりは全く無いのだけれど、これは明らかに僕がmojimojiさんの主張を誤読したことが直接の原因なんで、まあズッコケられてもしょうがないなあ。一応以下に僕の理路を明らかにしておきます。

まず第一に、僕はmojimojiさんの主張を、上に書いたとおり「福祉社会が実現されるのであれば、これ以上の経済成長は必要ない。成長率はマイナスでも良い」と理解していました。要するに、以前ちょっと議論になった立岩真也さんが主張されていたのと同じような主張をmojimojiさんはされているのだろうな、と思ったわけです。既に上に書いたように、これは明確に僕の誤読ですね。

しかしながら前回のエントリでは、この誤読を前提として、つまり経済成長率がマイナスであることを許容する社会において、「富裕層」への課税を強化することで「基本的ニーズの分野が満たされた社会」を実現しようとするとどうなるか、を考えたわけです。

この場合どうなると考えたか、まあ上のリンク先を読んでいただければわかると思うんですが、念のため、以下になるべくbreakdownして述べます。

  • 先に述べたとおり、経済成長率がマイナスであることを許容する社会では、税収の減少が予想されます(GDPの減少=GNIの減少)
  • また、そのような社会においては、重い課税の対象としての「富裕層」は、常にかつての「富裕層」よりも豊かではなくなっていくと予想されます
  • 同じく、「富裕層」があきらめなくてはいけない「あればうれしいがなくてもいいぜいたく品」の品目や数量も減少していくと予想されます
  • 一方で、「基本的ニーズの分野が満たされた社会」を政府が維持するためには、少なくとも前年と同程度の(一人あたりの支出が賄える)税収が必要となります
  • これらを考え合わせると、つまり経済成長率がマイナスであることを許容し、且つ「基本的ニーズの分野が満たされた社会」を目指し、且つその手段として「富裕層」への重い課税を採用する社会では何が起こるでしょうか
  • まずは、(※)税収が減少していく中、必要な政府支出を賄うために、「富裕層」への課税がどんどん強化されることになるでしょう
  • その結果、縮小する経済と重税のため、「あればうれしいがなくてもいいぜいたく品」を消費できる「富裕層」はほとんどいなくなるでしょう
  • 同時に「あればうれしいがなくてもいいぜいたく品」を生産する産業も(輸出向けを除き)その規模を減少させていくでしょう
  • 「富裕層」がほとんどいなくなりましたが、「基本的ニーズの分野が満たされた社会」の維持は必要なため、税収は必要です。そのため、いなくなった「富裕層」のすぐ下の階層の人々を新たに「富裕層」と定義し、重い税を課すことにします
  • (※)に戻り以下繰り返し
  • 誰も途中で止めてくれなければ、いずれはかつては豊かだとは到底考えられなかった生活レベルの人々が「富裕層」と呼ばることになり、重税の対象となるでしょう
  • また、同じく誰も途中で止めてくれなければ、どこかの時点で「基本的ニーズの分野が満たされた社会」は維持不可能となるでしょう。そしてそのレベルを下げる、あるいは中断することは大きな社会的混乱を伴うでしょう

ということでまあ要するに、これって典型的な「良かれと思ってはじめたことが思わぬ結果を招いてしまったけど今更やめられないんで続けてみたらひどいことになってしまいました」パターンでしょ、と思ったわけです。

このパターンの特徴は、俄かには信じがたい状況がいとも簡単に現出してしまうことで、「ポルポト」はまさにこの典型例なんで言及したわけです。

でもまあmojimojiさんは経済成長がマイナスでも「基本的ニーズの分野が満たされた社会」であればOK、コストは金持ちに負担させようぜ、なんて恐ろしい主張はしていないということなので、ここでこのパターンにはまる心配をする必要は全くなかったわけですね。お騒がせしてどうもすみませんでした。



ということで、最後にざっくり今回の議論を振り返ってみると、

  • 「現在の日本の経済状況においてはまず経済成長が最優先課題」という主張をしている連中は「いかなる社会を作るのか」を議論することの重要性を過小評価している

という誤解が福祉とかを真面目に考えている人たちの間に広く存在しそうだなあ、と改めて思った次第。

以前似たような議論があったけど(特にコメント欄参照を推奨)、特に言及が無いからといって軽視してたり必要ないと思ってたりしてるわけじゃないんだと思うんだけどどうなんでしょう。

それとも、福祉を真面目に考えている人たちにとっては、「現在の日本の経済状況においてはまず経済成長が最優先課題」という主張はそんなに目障りなんでしょうか。良くわかんないなあ。

良くわかんないといえば、僕にとっては、現にパイが縮んでいる現在の状況において、

「パイを大きくする」前に、そもそも大きくするのが「パイ」なのか「ピザ」なのか「ケーキ」なのかを決めましょう

http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20080904/p1

と言う主張がなされるのを聞くのは、実に悠長というか、これも良くわかんないなあと。

縮んだパイを大きくすればシェアは変わらなくても一人あたりの取り分は増える。そもそも大きくするのがパイなのか何なのかを決めるのは重要な問題だけど、今現在取り分が減って困っている人がいるのだから、とりあえずまずはパイを大きくしよう。と主張することがそんなに間違ったものだとはどうしても思えません。どうなんでしょうね。一緒に金持ちの取り分も増えちゃうのがダメなんでしょうか。わかんないな。

でもまあ、こういうことは信念の問題だろうから合意に至らなくてもしょうがないですね。がっかりはしません。それに、先日の結論で述べたように、合意に至らない議論であっても無意味とは思わないし、(建設的に行われれば)むしろ有意義であり必要なものであると思ってます。

とまた穏当な結論が出たところでこの辺で。僕はもう疲れたので後は誰かお願いします【何を任せるsvnseeds】。では皆さんごきげんよう

例のGDP云々の件

時系列で並べるとこんな感じ?TrackBack代わりにリストしてみる。


で、まあ稲葉さんも書いてる通り、mojimojiさんと山形さん、両者の間にはほとんど埋めがたい溝があるので、ここではただの感想を書くことにする。たぶん根本的に両者が理解し合えることはないだろうし、その必要もないだろうと僕は思う。

なお、ここを読んでくれている奇特な方のほとんどは既にご存知と思うけれども、僕は立ち位置としては山形さん寄りなんで、そういうバイアスがかかった感想であることを予め表明しておく。

【追記】なんだかいつの間にか終了したようなのでやる気が失せました(笑)。後半ぐだぐだですがお許し下さいませ。


結論から言うと3つある。ひとつ、mojimojiさんが言いたいポイントは、僕は理解できるような気がしている。

二つ、しかしながら、mojimojiさんがそれを実現させるために考えている(だろうと僕が読み取った)方針というかやり方は、僕には非現実的に思える。

三つ、でもだからと言って、じゃあどうしたら良いかというと、これと言う解が僕にあるわけではない。mojimojiさんや山形さんのような人が今後も長い時間をかけてお互い意見を(建設的に)交換し合って行くしかないんじゃないか、と思ってる。



ということで以下にこれら3つについて書いてみる。なお、mojimojiさんが言うところの「医療、介護、教育、生活保護等への政府支出が十分な社会」(「十分な」が何をもって十分とするかについては議論があってしかるべきだけどここでは触れない)を、面倒なので以降「福祉社会」と仮にしておく。



ひとつめ。僕の理解では、mojimojiさんが言いたいのは以下のようなことだろうと思っている。

  1. 「福祉社会」が実現している場合とそうでない場合の「生活の豊かさ」は、GDPでは計ることができない
  2. つまり、「生活の豊かさ」の指標としては、GDPは有効ではあることは認めるものの、完全無欠ではない
  3. 従って、経済成長を最優先する(つまりGDPを最大化する)経済政策が、常に望ましいものであるとは言えない
  4. むしろ、経済成長ではなく「福祉社会」の実現を最優先とするような経済政策の方が、「豊かな生活」を実現するために資すると考える
  5. 一方で、このような経済政策の優先順位を決めるには、「いかなる社会を作るのか」という価値判断において社会的な合意が形成される必要がある
  6. しかしながら、現在はそのような議論はなされておらず、代わりに、「まずは、全体のパイを増やすのが先決ですよ。それこそが、誰かに損をさせるのではなく、全員の状況がよくなるいいやり方なんです。(パレート改善!)」といった議論しか見られない。これはゴマカシだ
  7. 経済成長を重視するのであれば、「福祉社会」の実現を最優先した後、経済成長すればよい。順序の問題なのだ

もちろんこれは僕なりのまとめなので誤読があったらごめんなさい。mojimojiさんの主張は(ここでは一時的に歩み寄らないと話にならないので)幾分マイルドにしていることを了解いただけるとこれ幸い。

で、これらに対する僕の見解としては;

a. 1と2、5については完全に合意
b. 3と4については経済がおかれている状況によっては合意
c. 6についてはなんか誤解があるみたい
d. 7については全く同意できない

というところ。

で、aについてはたぶん誰も問題にしてないだろうからスルー、dについては本論の2つめなんで後ほど述べることにして、ここではbとcについて簡単に書く。

まずはbの、つまり3と4の、経済政策において最優先事項を成長におかずに「福祉社会」の実現におくべきである、という主張について。

僕が何故これに「経済がおかれている状況によっては合意」するかというと、ほっといても順調に成長を続けそうな経済状況においては、一時的に「福祉社会」の実現に最優先順位をおくことには全く異論がないから。

ただ残念ながら、経済というのは(昔と比べればその差は縮まったとはいえ)好不況を繰り返すものだ。不況期において(つまり全体のパイが縮んでいる状況において)「福祉社会」の実現を目指すことは、長期的には誰もが不幸になる選択だと僕は考えている。

要するに(mojimojiさんと同様に、ただし順番は逆だけど)順序の問題だと僕は思っているわけだ。これについてはdの(つまり7の)問題と密接に絡んでくるので、後に述べたい。

次にcの、つまり6の問題について。僕が何故ここに誤解があるようだと思ったかというと、ほとんどの人は「経済成長が最優先。他の問題はそれだけで解決する。以上」なんて主張はしてないと思うのだけど、もしかしたらmojimojiさんはそうした主張が主流であると考えているのではないかな、と思ったから。もしそうなら、これは誤解だと思う。

経済政策において最優先の課題は経済成長をなるべく持続させることである、と主張している人は、程度の差こそあれ、方向性として「福祉社会」を目指すことには誰も反対していないんじゃないかと僕は思う(もちろん、その「程度」が問題だという議論はあり得る。でもその「程度」が問題なんだったら、この問題は非常にありふれた、且つややこしい問題になるのでここではおいておく。理由は後述)。

方向性として「福祉社会」を目指すことに賛成しているのは、僕もそうだし、山形さんもたぶんそうだし(ちょっと自信ないけど(笑)。いや冗談です)、いわゆるリフレ派といわれてる人々でも同じだと僕は考えている。

じゃあなんで「経済成長が最優先」の後に「でもその後は福祉だよね」が素直に続かないかというと、「福祉社会」を実現するレベルやタイムスパンについて、つまり「程度」について、は人によって様々だし、今すぐには答えの出ない、ややこしい問題だからじゃないか、と思う。

例えば、いわゆるネットの「リフレ派」の中でも、id:BUNTENさんとid:Yasuyuki-Iidaさんとでは「福祉社会」という言葉の定義そのものがまず異なるだろう(お二人とも例にとってごめんなさい)。また、僕はかなり山形さんの言うことがしっくり来る方だと勝手に思ってるけど、でも「福祉社会」とか再分配の話については、細かく詰めていけば(いやもしかしたらそれ以前に)大喧嘩になるような気がする(いや喧嘩にもならないかも(泣))。

これは完全に余談だけれども、「リフレ派」が嫌いな人たちは、日本が名目で3〜4%の成長*1を順調に続けるように主張すれば良いんじゃないか。もしこれが実現すれば、「リフレ派」は「その後の政策」をめぐって勝手に分裂するに違いない。閑話休題

要するに経済政策において「経済成長が最優先」と主張している人たちは、一部例外はあるだろうけれども、そのほとんどは、文字通り「経済成長が最優先」と主張しているわけであって、「経済成長だけが唯一無二、究極の神聖にして犯すべからざる経済政策課題である」なんて主張はしていないと僕は考えている。

結局、ここでも問題になってくるのは、既に書いたbの、つまり3と4の問題と同様に、順序の問題なのだ。つまり、「福祉社会」の実現を目指すことには反対しない、でもその前に経済成長が必要なのだ、ということだ。

で、ここで述べた2つの論点は、dの、つまり7の、「経済成長を重視するのであれば、「福祉社会」の実現を最優先した後、経済成長すればよい。順序の問題なのだ」という主張の是非に絡んでくる問題となるわけだ。



ということで本論の二つ目。何故「福祉社会」の実現よりも経済成長を優先させるという順序が重要なのか、あるいはmojimojiさんが「福祉社会」を実現させるために考えている(だろうと僕が読み取った)方針というかやり方が、何故僕には非現実的に思えるか、について。

これには2つの理由がある。ひとつは、「福祉社会」の実現を最優先とすると現在よりも生産性が低下するだろう、その結果分配の基盤となるパイは縮小を余儀なくされるだろう、と僕は考えていること。

もうひとつは、「福祉社会」を実現するコストを賄う原資として、「たとえば」の話ではあっても、「富裕層」の「別になくても死にはしない何か」をあてにしているように読めること。

以下順にこれらについて述べる。

まず、「福祉社会」の実現を最優先とすると現在よりも生産性が低下するだろうと僕が考える理由は以下の3つだ。なお以下では「医療、介護、教育」を『「福祉社会」のコアとなる産業』とする。

  1. 『「福祉社会」のコアとなる産業』は労働集約的な産業であること。一般的に労働集約型産業よりも資本集約型産業の方が生産性が高い
  2. 『「福祉社会」のコアとなる産業』の顧客は主に政府であると想定されていること。政府が主要な顧客である産業は、一般的に競争が(他の産業と比較し)働かず大きな生産性の向上は望めない
  3. 『「福祉社会」のコアとなる産業』のサービスが消費されるのは日本国内のみであり、輸出可能でないこと。これも海外の同じ産業との競争が働かないため、輸出可能が財を生産する産業と比べ大きな生産性の向上は望めない

要するに、現在の日本のサービス業が非効率で生産性が低いと言われている、その主要な要素を、「医療、介護、教育」等の『「福祉社会」のコアとなる産業』は全てあわせ持っていることになる*2

そのような『「福祉社会」のコアとなる産業』領域への大規模なシフトが、現在の「さまざまな産業領域(たとえばゲーム機や携帯電話や自動車やその他諸々の財を生産する領域)」から起こった場合、仮にそれが漸進的な変化であったとしても、日本の産業全体で見た場合には、現在よりも生産性が低下するであろうことはほとんど議論の余地がないように僕には思える。

もちろん、mojimojiさんが本来主張したいと思っていただろう(と僕が理解している)ことは、「福祉社会」が実現している社会とそうでない社会においては、GDP(つまり国内総生産)や生産性の高低は直接の比較の指標にならない、ということなんで、ここで生産性を云々するのはナンセンスなのかも知れない。

しかしながら、全体のパイが縮小していく社会においても実現可能な「福祉社会」というものは、僕には全く想像がつかない。皆が平等に徐々に貧しくなることも幸福の一形態だとは僕は考えることができない。

そしてこのことは、次に述べる、「福祉社会」を実現するコストを誰が主に負担するか、という話とあわせて考えると、より一層深刻な問題となるように僕には思える。

ということでmojimojiさんの考えていることが非現実的だと思う理由の2つ目。mojimojiさんは、「福祉社会」を実現するコストを、主に「富裕層」に負担させることを考えているように僕には読める。具体的には、例えば次のような記述だ。

たとえば、こういう社会的な変化が引き起こされると、富裕層はあまりうれしくないでしょう。それはまぁ、そうです。自分たちの取り分を減らして、その他の人々の取り分を増やしましょう、というわけですから、丸損です。ですから、反対するでしょう。この反対を、より正確に言うとこうなります。「別になくても死にはしない何かではあっても、自分の取り分が減るのはイヤなんです。だから、あなたはそれがなければ大変困るかもしれませんけど、医療とか介護とか、そういうものは我慢してください」。

 このように主張することは自由です。しかし、私たちは、なくてもそんなに困りはしないだろう富裕層の贅沢と、それがなければクリティカルに生存に影響するような種々の基本的ニーズを比較した上で、どちらを優先するべきかということを選べばいいわけです。さあ、みんなで考えようっ!(で、「クリティカルな医療や介護が後回し」ってことになるなら、仕方ない、みんなで立ち上がろうっ!という話になるんでしょうね。)

http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20080901/p1

これは僕には本当に恐ろしい主張に思える。恐ろしい主張であることにmojimojiさんが無自覚であるように思えることがより一層恐怖を煽る。山形さんがポルポトを例に出したのも良くわかる。これには4つの理由がある。以下その理由をmojimojiさんに対する疑問の形で述べる。

まず第一に、この記述は、「富裕層」とは誰なのか、その特定について、(「富裕層」本人ですら異論がないような)明確な基準が存在することを前提としているように読める。しかしそのような基準は本当に存在するのだろうか。

第ニに、「別になくても死にはしない何か」、「なくてもそんなに困りはしないだろう富裕層の贅沢」を判断する基準はなんだろうか。mojimojiさんは、「別になくても死にはしない何か」は誰も保有する必要がないと主張するのだろうか。本人以外に「贅沢」を規定できるような社会とはどんな社会なのだろうか。

第三に、上記2点に係る問題として、これらの基準を判断する主体として、mojimojiさんは誰を想定しているのだろうか。政府、つまり政治家や官僚だろうか。mojimojiさんはそんなに政府を信頼しているのだろうか。それとも、日本は民主主義社会だから国民が判断するのだろうか。それは一体どういう社会なのか。

最後に、これらのこと、つまり「富裕層」や「贅沢」が政府や国民によって決定される社会において、全体のパイが縮小していくとき(経済成長を最優先としないのであればこうした状況は、一時的にせよ、不可避であろう)に何が起こると考えられるだろうか。皆で痛みに耐えるのだろうか。そのような社会が長期的に維持できたとして、それは本当に「福祉社会」なのだろうか。

ここで述べたようなことが詭弁、牽強付会、机上の空論、論点のすり替えにしか読めない人は、例の鳥味のホロコーストの議論を思い出して欲しい。といっても僕はこれに関しては全く興味がなかったので誰が何を主張していたのかさっぱりわからないのだけれど、次のようなことを誰か(たぶんid:kmiuraだと思う)が言っていたことは記憶に残っている。

つまり「自分の身にそれが降りかかることを想定しないでなされる主張は恐ろしいことであるよなあ(詠嘆)」ということだ。

現代の日本においては、余程極端な者を除き「労働者」イコール「資本家」であり(銀行にいくらかの預金があれば立派な「資本家」だ)、「富裕層」と「それ以外」の境界はほとんどの場合において相対的なものでしかない。「富裕層」や「贅沢」をしているものが常に自分以外の者であるとの想定に基づいているように読める議論はあまりにナイーブであると思う。

以上、要するに「富裕層」に重い税を課せば「福祉社会」が実現できるだろう、だから経済成長は最優先でなくても良い、という見解は、僕には全く非現実的、且ついつか来た道(且つかつて存在した、または現に世界に存在している不幸な社会への道)にしか見えない。

もしかしたら「福祉社会」の実現を最優先として経済成長は二の次としても、持続的な良い社会が築けるかもしれない。でも、かつて多くの社会が目指して失敗したのと同じ方法をとるのであれば、失敗は最初から約束されているように僕には思えてならない。



ということで本論の3点目、じゃあどうすんの、という話だけど、もういい加減長くなったし、ご本人たちは終了しちゃったみたいなんで僕も適当に。

結論だけ書くとこんな感じ。

  • 僕としてはまず経済成長、次に福祉社会を含めた諸々の政策、という順序以外考えられない
  • でも何を経済政策の最優先事項とするかは信念の問題なんでたぶんお互い説得は無理だろうなあ
  • とは言ってもこうした論争が起こることは無意味とは思えない。建設的に行われれば信念が変わる人が出てくるかもしれない
  • そもそもこうした論争がなければ、いかなる社会を作るのか」について、社会的な合意を形成することは不可能だろう
  • それになにより、経済成長を最優先事項とする僕にしても、mojimojiさんのような、福祉社会の実現を強く主張する人々に負っているものが多くあることを忘れてはいかんと思う
  • ということで、mojimojiさんにも、まずは経済成長、という順序について理解してもらったら嬉しいなあ(以下2番目に戻る)

ああぐだぐだ書いていたら最後もぐだぐだだ。もう眠いので寝ます。では皆さんごきげんよう

*1:これは別に特別でもなんでもなく、最近までのOECD諸国の平均と同じかやや下回るくらいだろう

*2:日本のサービス業が生産性が低いのは事実かもしれないが、それが日本経済の停滞の主要な原因であるとする説には僕は与しないことを蛇足かも知らんが記しておく

散髪雑感・祭りの後編

髪切ってきた。今回は短くと注文したのでかなり短い。

ということでどうやらリアルの祭りにうつつをぬかして風邪気味になっている間にネットでも何やら祭りがあった様子【いつも後からsvnseeds】。

まあ今更言うのもなんですけど【後の祭りのsvnseeds】、皆さん釣られ杉じゃないでしょうか。小島先生のあのエントリは、僕の乏しい読解力によれば、以下のことしか書いてないように思えます。

  • バーナンキ背理法」として知られるあるロジックに反論できる「ゲーム理論的に納得できる直感」が得られたが、その真に驚くべき証明を書くには余白が少な過ぎたらしいこと
  • そのこととは直接は関係ない*1背理法を用いる際に注意すべき一般的な誤謬について

ということで僕としては、(2点目の背理法一般の話は既に知っているので)「バーナンキ背理法」がどのように反論され得るのか、小島先生の次回作に期待しつつ生暖かく見守りたいところであります。はい。



ていうかジンバブエ中銀の中の人は今すぐ小島先生を特別顧問として招聘すべkうわなにをすくぁwせdrftgyふじこlp;@【結局釣られるsvnseeds】。

*1:「直接の批判ではないけど」と強調して書いてあるけど何に対する批判かも読み取れないので、ここでは内容に即して「直接は関係ない」と読みました。間違っていたらどうもすみません。

火事。

ということで3時間ほど避難してますた。自分が住んでるところが火事になるのって初めてだなあ。

ちょうど家に帰ってきた奥さんが「なんか煙くさいけどどっか火事?」とか言ってて、ふーんどこだろうねーと一緒にベランダに出たら、わらわらと消防車が集合しつつあるところ。

先頭の消防車がうちの目の前の十字路を「左曲がりまーす」とか言ってて、ああそれはうちの方へ曲がるということだな、そしたら火事なのは奥のどっかあっちの方なのか知らん、と周りを見渡すと、ちょうど道路に増えだした野次馬らしき人々が皆うちのマンションの屋上あたりを指差しているのを発見して驚愕。

は?もしかして火事なのはうちか?ということで玄関から出てみたら確かにどこよりも煙が多い気が。非常階段から屋上を眺めると確かに煙はそこから出ている。

そうこうしているうちに消防士さん達が到着し、住民は避難することに。いったん部屋へ戻って貴重品だけ持って出たのだけど、その頃には煙もすごいことになっててちょっと緊張。

非常階段を降りていく途中、その階段のすぐそばの外壁に設置してあるダクトがメリメリ燃えているのを見て、正直これはダメかもわからんねと思いましたよ。

結局1階店舗の排煙ダクトに引火したのが原因らしい。まったく迷惑千万なことです。おまいら店員みんなクビね。もう。

ということでまあ面白い経験しました。何事もなく皆無事で良かったです。消防士さんたちまだ働いてるみたい。皆さんどうもありがとう。僕は明日早いのでもう寝ます。ではごきげんよう