ラン・ジャマール・ラン! / 「スラムドッグ$ミリオネア」

現時点では、今年見た映画のベスト。


子供たちとともに疾走するカメラ、
カオティックなインドの光景、
巧みな構成の脚本の芯にある、瑞々しさと強度を兼ね備えたシンプルな物語、

鮮烈な作品だ。


「運命」(Destiny/It is written)という言葉がキーワードとして何度も登場する。

降りかかってくる悪意や不運を従容として受け入れて生きていく(しかない)者達がいる。
主人公の少年ジャマールも「運命だから」と口にするが、彼の語るそれはおそらく「自分が信じた運命」であり、過酷な日々の中で、唯一揺らぐことなく信じるに値するその運命を全うするために走り続ける。


『グラントリノ』では叩き上げの“老兵”ウォルト(クリント・イーストウッド)が隣家の少年にそうしたように、この映画では兄サリームが弟ジャマールに生き残る術を教え、さらにある行為によって災厄を自らが引き受ける。

機転とタフな現実主義を頼りに、生きるために生きてきたサリーム(自分の足元だけを見、自分のルールやスタイルだけを信じて生きてきたウォルト)が、未来を信じることが出来る者、明日を思い描いて生きることが可能な存在に希望をリレーするのだ。


希望を託されたジャマールには、『ダーティーハリー4』の名台詞のような瞬間が訪れる。
「Go ahead,Make my day」
山田宏一の名訳=「さあ来い、この日が来るのを待ってたぜ」)


インドの“みのもんた”(アニル・カプールジャンカルロ・ジャンニーニに似ている)もなかなか面白い造型で、凄みと華があって適役。


※長男は全てを引き受け、次男はサバイバルする…のだな。長男はつらいね。

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The story must go on / 「The Fall 落下の王国」

ざくろの色』と『ミツバチのささやき』を適当に掛け合わせ、適当に希釈した、そんな映画なのではないかと不遜にも思っていた。


遅まきながら、『The Fall 落下の王国』を見た。


劇場公開時には、世界各地にロケした壮麗な映像美や石岡瑛子のファンタジックな衣裳ばかりが喧伝されていたけれど、これはむしろ、シンプルで美しい「お話」に支えられた正統派の映画であり、「物語による回復(語ること/物語に身を任せることで傷から癒えていく)」という古典的テーマと普遍的文体を映像で描ききった作品だった。


冒頭から映像とストーリーに惹きこまれながらも、途中まで(バリ島のケチャが登場するあたりまで)は、“エキゾチシズム好きの欧米人ウケを狙ったお洒落コマーシャルフィルム”みたいなものを見せられて終わるのではないかという危惧がつきまとっていた(監督のターセムは広告の世界で名を馳せた人だ)。

が、次第に物語と現実が侵食しあい、「語り部」である青年も、物語も、現実も、映画自体も、「聞く者」であった5歳の少女に引きずられ、変化し、ついにある結末を迎える。

ハッピーエンドであれ悲劇であれ、物語はそれがどんなに魅惑的でも、「おしまい」に辿り着かなければ物語たりえない。
次なる未知の「お話」を始めるためにも、それは必ず終わらせなければならないのだ。


では、語り終えた青年には何が待っていたか?
アメリカ映画の歴史をある程度知る者ならば思わず微笑んでしまうような“オチ”をもって映画はそれに答え、幕が下りる。

幸せな余韻。

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カーウァイとタランティーノが惚れた男 /「たそがれ清兵衛」

…と書いてみると凄くカッコイイなぁ、サナー。こと真田広之

上映中の『サンシャイン2057』では宇宙船の船長役だが、あれは『たそがれ清兵衛』を見たウォン・カーウァイダニー・ボイル監督に推薦したらしい。さすが見ている人は見ている。そうか、真田広之は日本のトニー・レオンか。(かな?)

タランティーノは昔からソニー千葉とサナーを崇拝しまくってるし。

そういえばカンナヴァーロ(ワールドカップ・イタリア代表のあのパーフェクトなキャプテン)も真田ファンで、『ラスト・サムライ』での役「氏尾」の鎧姿のタトゥーをドドンと入れている。通だ。意外なようだけど何となく納得。将は将を知る、ということかしら。


たそがれ清兵衛』はそんな真田広之の魅力を堪能するための映画だ。


山田洋次というのは映画監督なのに映像の力を信用していないのか鈍感なのか過剰に“説明してしまう”人で、この映画でもナレーターが語る語る。しかもそれがバタ臭くて舌足らずなマダム岸恵子だからどうにも違和感が。
しかしそうした映画としての欠点を補って余りあるのが大黒柱・真田広之だ(役者陣は皆いい感じなのだ)。品性、含羞、武士の矜持、貧しい生活者の逞しさと寄る辺無さ。そうしたものが「演じられる」というより、彼の体から静かに立ち昇ってくる。殺陣と体技の見事さ、所作の美しさも彼ならではだろう。


眉目秀麗であることやアクションスター(だった)という枕詞は、役者が年齢を重ねるにつれて枷となることの方が多いように思うのだが、彼はそうした枷に足を取られて自滅しなかったレアケースなんではないだろうか。


“国際俳優”というと今や渡辺謙みたいなことになっているが、それはつまり彼が、アメリカ人にもわかりやすい(さりげなく差別発言)「演じてる!」感が満載の大ぶりな舞台演技の人だからであって、『ラスト・サムライ』も『明日の記憶』も『硫黄島からの手紙』も見ていてどうにも気恥ずかしくなってしまうのよ私は。 世界よ、もっとナベケンよりサナーを知ろうよ。


七人の侍』をリメイクなんてことがあれば、宮口精二の演じた静かなる剣客・久蔵は是非サナーでお願いしたい。サントリー伊右衛門CMもモッくんでなく彼で見たかったなー。

たそがれ清兵衛 [DVD]

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メガネ男子VSメガネをとったら王子様 /「怪盗ルビイ」

最近の小泉今日子を見るたびに「昔のキョンキョンは革命児的アイドルでキラキラしてたのになー。もにょもにょ。」とか思っていたのだが、『ルビイ』を久々に見直してみたら、あら、こんなもんだっけキョンキョン!?

ヴィヴィアン・ウェストウッドビバユーに身を包んだ小生意気でキュートなスタイリストの卵の女の子…なんていうのは80年代末という時代の空気の中でのみ有効な記号だったんだろうか。今となってはあまり可愛く見えないのだ(売れっ子だったからお肌は荒れてるし)。 彼女もまた山口百恵同様「時代と寝た女」だった訳だが、サバイバルした代わりに“不滅”にはなりそこねてしまったしね。


いかにも和田誠らしい、映画愛に充ちた愛らしく楽しい小品ではある。 
が、“洒落た”“小粋な”と形容されるような作り込まれた映画は老化が早いのかもしれない。

敢えて古典的な映画文法とその「映画的記憶」=台詞やシーンの繰り返しが生むリズムとそれが次第に微変化していくおかしさ、ミュージカルシーンの挿入、ヒッチコックの『裏窓』『ロープ』的なカメラワークや『汚名』の360度キスシーンetc.をなぞってみせた“ウェルメイドな”ロマンティックコメディなのだが、しかしその「敢えて」をあまりにもきっちり丁寧にやってしまった結果、皮肉にも「敢えて、ではない古臭さ」が漂ってしまっている。 (さすがに三谷幸喜の『THE有頂天ホテル』のような痛々しさまでは感じさせないが)


好ましい古めかしさも描かれている。 「メガネ男子」以前の、「メガネをはずしたら王子様だった!」の時代。メガネっ子が実は美人/ハンサムという(はずさなくても既に明らかに美人/ハンサムなのだがそれがお約束の)懐かしの少女漫画ルール。いいなぁ。男の子のメガネをはずしてみたいものだわ、私も。


「だめだよ、僕そんなことできないよ」と気弱に繰り返しながら、次のシーンでは必ずルビイ=キョンキョンの言いなりになってしまっている20代半ばの細い真田広之はとてもチャーミングだし、この御伽噺的ワールドにふさわしい、実に絶妙な塩梅の(見ていて気恥ずかしくならない)デフォルメ演技を展開している。若い時から一貫していい役者であり続けている稀少な人。


名古屋章天本英世などなど故人となった名優たちが贅沢にゲスト出演している。
普通のお母さん役なのにあでやかで綺麗な水野久美キョンキョンより魅力的かも。


※メイキングでは真田広之の軽やかな“アクション”がちらりと見られます。メガネもいいけどやっぱり運動神経もキラーコンテンツね。

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キレそうな僕の弁護士ライフ /「ジャスティス」

アル・パチーノ若き日の、傑作になりそうな匂いを漂わせながらなり損ねてしまった作品。

ジャケットの印象から正統派法廷サスペンスを予想しているとかなり裏切られる。弁護士版『ER』というか、熱血弁護士青春記…なのです(フジテレビ月9枠でやったら当るかも)。


重いエピソードをスピーディーに飄々と繋げていく感じはP・T・アンダーソンを彷彿させたり、ほろ苦ユーモアの散りばめ方はウディ・アレンぽかったり。 だけど狙いがことごとく的のひと回りぐらい外に着地していて、上滑り、空回り、肩すかしの連続で笑いが途中でフェイドアウトしてしまう。敢えて外してる訳でもなさそうだ。

それでいて、そのモヤモヤがまた妙に後を引いていつまでも気になってしまう映画ではある。ちょっと駄目でちょっと癖のあるオトコに惹かれてしまう女心?のように。


「アクの強い役コレクター」みたいなパチーノが好青年役という点でも異色の作品。なんたって、おじいちゃん子で人権派弁護士なんだから。しかも意外とはまっている。野暮めのスーツを着た美形のパチーノが、依頼人に振り回されながら奮闘する姿はなかなか可愛くてキュンとくる。

いつもよりずっと抑え気味にナチュラルに好演しているのに、そこはパチーノ、終盤の弁論シーンでやっぱりやっちゃったね。芝居大きすぎ。 この十数年後の『セント・オブ・ウーマン』では逆に、困惑するほどクサイ芝居を展開しながらも最後の演説シーンでは見事にいい感じの演技で締めてくれるのだが。


ボケ気味で孫自慢の優しいおじいちゃん役リー・ストラスバーグ(パチーノの演技の師ですね)、気骨ある判事なのに自殺マニアのジャック・ウォーデン、この2人が散漫になりがちな話のスパイスとして効いている。


汚点は恋人役クリスティン・ラーティ。英国王室の女性たち(ダイアナやカミラやケイト。女王様除く)を思い出させる容姿。いかつくて大味で…どうにかしてください。


ELLE JAPONのサイトの「ゲイに人気のセレブ」でパチーノ健闘。

http://www.elle.co.jp/home/fashion/celeb/07_0417/

アメリカン・ドリーム30年史 /「ロッキー・ザ・ファイナル」

※先行上映で鑑賞

『ロッキー』って、実は地味に丁寧に描かれた良質な青春映画なのですよね。
その第一作のタッチとスピリットに立ち返った、愛すべき“ラスト・ソング”です。

当時を思わせるザラッと粒子の粗いカメラ、数々の名シーンやアイテムが再現されていますが、単なる「懐メロ」になる手前で何とか踏み留まっているのはスタローンの賢さでしょう(しかしフィラデルフィアミュージアムの階段のシーンは今でも高揚するなー)。


とはいえ1作目の引き締まったリズムに比べると弛緩した感じは否めません。息子との確執に加えて、マリー&彼女の息子との「擬似家族」ストーリーまで盛り込んじゃったものだから両方が中途半端で表面的になってしまったし、皆が最初からロッキー頑張れモードというのもつまらなくて、「過去の栄光を忘れられない哀れなオジサンとして嘲笑されていたのが次第に周囲を味方につけていく」という古典的ドラマツルギーに則った方がよかったのに…とかとか、ツッコミどころはそりゃあ幾らもある訳です。

訳ですが。
いやもう、この映画に関してはそんなことを言うのは不粋だ!と思わせる圧倒的な“ブランド”なんですね、『ロッキー』というのは。


で、『ロッキー』シリーズは作品の質という点では1作目と『ファイナル』さえ見ればいいんだけど、1作目の栄光を自ら食いつぶしていくようなダメダメな続編たちがあったからこそ、このファイナルが生きるしジーンとくるのもまた事実。あの30年間の駄作群もロッキー=スタローンの晴れやかな晩節のための長い道のり、「必然」だったというべきか。人生って難しくも面白いわ…。

ラストシーンの観客への“ご挨拶”ではホロリ。


なんかもう、スタローン自身の引退作品のような趣き。しかしこのままロッキーとともに本当に引退してしまえば“美しい伝説”になるところを、次は『ランボー4』をやるというのもスゴイ。業が深いというか几帳面というかこれぞ役者魂というかロッキー魂というか。こういうオジサン結構好きですよ、私。


※言うまでもないけれど、『1』を見て復習してからご覧下さいまし。

「Girly」と呼ばないで /「君とボクの虹色の世界」

ああ。とんちきなマスメディアのミスリードのせいで、こんな映画だとは思っていなかった。
「ポスト・ソフィア・コッポラ」とか「ガーリー・ムービー」というキャッチは商売上は有効なんだろうけど、監督&主演のミランダ・ジュライはソフィアよりずっと才能があるし、ガーリーうんざりな人にも見てほしい。


ちょっとヘンな人たちがフツーに淡々と展開するささやかな“事件”のおかしみ。ソフィアはマカロンのような甘くはかない色でマリー・アントワネットを描いたけれど、ミランダ・ジュライは同じような色を用いながら『ブルー・ベルベット』や『ゴースト・ワールド』的なサバーヴィアを創りだしてみせる。

白昼夢のように頼りないのにキラキラ眩しいその世界=カメラが心地よいのは私が遠視だからかも(遠視って光が屈折せずに入ってくるから眩しいのだ)。


5歳の男の子ロビーが出会い系チャットの相手と会うシーンは珠玉。全然関連性は無いけど、何故か『マグノリア』でエイミー・マンの曲を登場人物たちが“リレー”で歌う切なくも輝くような名シーン、あれを見た時と同様の、胸にぽっと小さな火が灯るような感動を覚えた。


「ガーリー」視点で言えば、ヒロインのファッションもさりながら、彼女の部屋の人間が線描されたピンクの壁が可愛い!
(2007 4/4)

君とボクの虹色の世界 [DVD]

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あなたはいつあなた自身になるのです /「マリー・アントワネット」

「少女」と書いて「マリー・アントワネット」とルビを振り「わたし(=ソフィア・コッポラ)」と読む、みたいな。

ソフィアって人は自分(=マリー)にしか興味が無いんだろうなぁ。だから脇にいい役者たちを配しながら、その全ての役を描き損ねている。
ロスト・イン・トランスレーション』のパークハイアットがベルサイユ宮殿になっただけの私小説


“パーティーガールの孤独”の描写、ふわふわのドレスで草の上を歩くシーンなどはスウィンギン・ロンドンな映画『ジョアンナ』の影響があるのかしら(ソフィア自身は『ダーリング』にインスパイアされたと言っているが)。


衣装や宮殿内の美術、甘いパステルカラーのお菓子は文句無しにロマンティックで美しいけれど。そしてオーストリアからフランスへの花嫁引渡しシーンとラストは悪くなかったけれど。
コスチュームプレイ×ロックという描き方は全然斬新じゃないし、「こういう取り合わせしかないのよ!」というソフィアの内なる必然性も感じられない。キルスティン・ダンストには底意地の悪い小間使い役あたりが適役だと思うし。


舌の上で甘く淡く消えて何も残らない、まさにマカロンのような映画。
(2007 2/28)

マリー・アントワネット (通常版) [DVD]

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色んな意味でプレゼン上手 /「不都合な真実」

もう政治の世界には戻らないと言っているアル・ゴアだが。これは(意図的なものか否かはさておいて)どう見ても彼のプロモーションビデオだ。

お供の者も連れず一人でキャリーケースを引きずりながら講演旅行を続ける姿が何度かインサートされ、“インディペンデントに草の根活動を展開する気骨ある男”を印象づけるあたり(意図的なものか否かはさておいて)なかなかウマイ。ゴアに1票!という気にさせる。


つまり、「ドキュメンタリー映画」というより「ゴアのプレゼンの録画」そのもの。わかりやすいパワポや画像映像を取り込んだプレゼンは説得力があるが、生々しい現地取材や様々な立場の人々へのインタヴューといった重層的構造が欠落しているのだ。


ゴアのプレゼンも映画の作りも「温暖化のもたらすダメージを知らなかった人」への啓蒙篇としてはよく出来ていると思うが、「わかっていながら利便性を捨てられない人」(私もだ)にアクションを起こさせるだけの喚起力があるかというと…。

この映画を見て、ショック療法のようなことがないと行動できない自分の弱さは再確認したが、今のところ私自身は“そこ止まり”だ。
(2007 1/23)

不都合な真実 スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]

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生真面目な東洋人の肖像 /「キス・オブ・ザ・ドラゴン」

小賢しい演出や恋愛物の要素やワイヤーアクションを極力排し、ストーリーもカメラもジェット・リーの神業的体技を見せることにシンプルに奉仕している。

寒々としたグレーのパリの街はアメリカを舞台にした作品よりもずっとジェット・リーに似合う。「追い詰められて孤軍奮闘する寡黙な東洋人」という彼の生真面目な持ち味がより引き立つ感じ。


リュック・ベッソン製作だが、監督も担当しているかの如く随所にベッソン節が。『ニキータ』のクールなエージェントが忘れがたいチェッキー・カリョが、『レオン』のゲイリー・オールドマンのようなキレキレの悪徳警官を演じていたり。


ジェット・リー出演作って、『キス〜』や『ロミオ・マスト・ダイ』など小粋なタイトルが多いですね。

※この作品でのリーのヘアスタイルが好き。いつものダサいショートと微妙に違うぞ。真似したい。
(2007 1/17)

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