これからもよろしく

このはてなダイアリーも、とうとう1月28日で終了だとメールがきました。
前々から告知はされており、どうしようかなと悩みつつも結局ははてなブログなんだろうなと思っています。はてなブログだと、この長々つらつら書いてきたはてなダイアリーの過去ログを移行できるとのこと。わざわざ移して保存するようなものじゃないよね、私自身過去の日記とか恥ずかしくて叫びながら走り出したくなるし。それでも私はわりかしWEBに関する自身の過去をそのまま放置しているほうだと思う。特にはてなダイアリー以降は。
今だったらこんな考え持たないな、こんな言い方しない。なにこのWEB上でだけはっちゃけてる感!とか、ほんといろいろ思うことはあるけど、それもまた一つの記録。ログだよね。わざわざローカルに保存はしないけど。
でも、私がPCを触れなくなっても、日記のログだけがWEBの海にぼんやり浮かんで、漂う感じが私の知ってる(私の好きな)インターネットの世界って思うのです。
十中八九、はてなブログにすると思うので、URL乗っけておきます。
http://sweetmagic.hatenablog.com/
実は前に一度ブログにしようと思って、試しに挨拶だけしてみた記事が載っております。

これからもどうぞよろしくね!(トリセツ?)

10連休のはなし

今年のゴールデンウィークは新天皇即位の関係で、10連休と言われてますね。どこに行くわけでもないし、かと言って予定無しで10日間過ごすのも勿体無いなと、なんだかスッキリしないです。
会社でもこの話題はちょいちょい出て、特に時給で働く人たちから、10日も休みって月の三分の一ですよね!とか、その間無給になるからキツいわぁ、とかとか、別に私だけに言ってるわけじゃないんだろうけど。でも言葉の端々に月給制である私に言ってやりたい気持ちが含まれることは感じてる。わかるよ、私もパートや派遣、時給で働いてたことあるから。だから、そうねぇ、なんて言って微笑んでる。世の中大変よねぇ、なんて話を大きくして誤魔化してる。
でもさ、本当は「そういう時だけ文句言うよね」と思いながら聞いてるよ。そもそもゴールデンウィークの長期休みって今年に始まったわけじゃないよね。暦通りの職場なら、毎年8日くらいは休みじゃない?でさ、そういう暦通りの仕事がよくて、うちで働いてるんでしょ?しかもさ、ゴールデンウィーク中に休日対応のために臨時稼働しても、それは出れないんだよね。普段から休日出勤できないって言ってるもんね。だから、うちの土日祝日しっかり休みの職場じゃなきゃ続かないんでしょ?毎月同じ時間数働きたいというなら、紹介できる部署いくらでもあるよ。もちろんバリバリ受電や営業系になるけど。それは嫌なんだよね。でも10連休は困るんだよね。自分の働きたい日、働きたい時間だけ仕事があればいいのに、って思ってるんでしょ?…って思いながら聞いてるよ。
あまりに何度もこの話されるので、つい最近は、「せっかく10日も休みあるし、私、バイト行こっかな」「ひと稼ぎできるね!」と言ってみました。意地悪だったかな、と思わなくもないけど、立場は変えたくない、努力はしたくない、でもお金は欲しいってのは、なかなか無いですよ。

年末年始の食事のこと、皆さんWEB日記等で反応いただきまして、ありがとうございます。現実社会の知人にも聞いてみましたが、毎食作る派と、作らない派に分かれるみたいですね。作らない派の方は、結構カジュアルに外食してるんですね。軽い感じで。ファーストフードとか。私は作るのも面倒だし、サっと出かける軽さもないから、おそらく来年以降も「おせち的なもの」を作り置きしたり、買い置きすることになりそうです。
しかし、作る人は大変だよねぇ。家族の食事を三食作るとなると、もう一日中食べ物のこと考えるようになると思うわ。よく、自分ひとりだったら簡単にすますとか、何でもいいとかって聞くし、私も同感なんだけど、自分はこの気持ちに従っちゃうと、落ちるところまで落ちてしまいそう。毎食カップ面とか。将来そうならないように気を付けないとなぁとは、普段からよく思います。

最近、というか今後はずっとだけど、書く内容が年寄くさいことばかりになりそう。

ということで年々、変化に恐れるというか億劫になっている。今年の目標とか、こうだったいいなという理想とかぼんやり考えてても、すぐに「並大抵の努力じゃ実現しないな」とわかると途端に、やりたくない……という思いが全てを覆い尽くすような感じで、まあ今はまだいっか、なんて言って後回しにしてしまう。しかも後からもやらない。だめじゃん。

さて、好きなゲームのアイナナの2ndライブが決まりました。嬉しい反面、去年のチケットがご用意されず、ライブぎりぎりまで抽選があって、結局だめでライブビューイングやディレイビューイングのチケットも争奪戦で。まったく安心できない日々を思い出すと、少し気持ちが重くなるわけです。あと、去年のファーストライブのDVDが1月23日に発売されるんだけど、二枚組で2万弱するから、どうしよっかなぁって思っていて(こういうレベルのファンなので)来月にしようかなぁなんて思ってましたが、このDVDに2ndライブの最速先行抽選コードが入っているそうでして……、うーん、悩ましい。ま、昨年も同じ時期にアニメDVDが同じような特典で発売されて、私はそれを買って抽選申し込んだけど、それは落選したわけだから、今年だって期待薄って感じだけども。こういう時、何も考えずに飛びつけるくらいの熱があれば、何事ももっと楽しいんだろうなって思います。ほんと。

おめでとうございます

明けましておめでとうございます。
2019年もWEBのほうはボチボチな感じになりそうですが、どうぞ宜しくお願いします!


なんかもう御節はいらないよなぁ、と思いながら一段分くらいはまだ用意してるんだよね。作らずにすぐ食べられるものがあるという安心感のため(のような気がする)御節無しの家はどんな感じの食卓なんだろうか?好きな物を買い込んでおいたり、作り置きしておくのかな?毎食、普通に調理するの?外食もあるか。

さて、今年の目標についてあれこれ考えていたのだけど、この記事を書き出して早々に決意しました。今年は、というか1月のうちに必ず眼科に行って、眼鏡とコンタクトを作り直すぞ!もともと強い近視なのでこの年まで老眼の苦労はなかったけど、去年くらいから来たな、という感じがあり、今日はもう完全にいらっしゃったことを実感しました。マイナス6とかのコンタクト使ってる人間の老眼鏡って何度になるんだろ?

★昨年の出来ごと★
あまり日記に書かなかったので覚書として
・兄と友人が亡くなった
鍼灸始めた
乳がん検診で、実は昨年の結果に腫れ(炎症)があったと明かされる。当時の診察では何もない大丈夫!まったく大丈夫と言われていた。
・今は大丈夫。今年こそほんとに大丈夫!何もない!太鼓判押す!と言われる。
・信じられなくなり、乳がん検診先を変えることを決意
・アイナナの西武ドームライブ!!!
・声優の増田俊樹のファンとなる
・茶道に興味を持った
・初めての松島旅行は悪天候
・鼻の調子が悪く耳鼻科に行ったところ喉に腫瘍があることが見つかり、大学病院での詳しい検査をすすめられる。
・大学病院で生検。費用は1万円ほど。
・生検の結果、異常なし。なんでこんなに大袈裟なことになったの?と医師から言われる(それは私も聞きたい)
ツイッターで知ったとあるカフェの、常連客中心と思われるミニクリスマスパーティーに一人で参加してしまう。このクソ度胸を何かに活かしたい。
・社内の管理職登用試験に推薦される
・年末慌てて登用試験にエントリー。エントリーを受けてもらえたかは年明けに結果発表。

……こんな感じだったかな。兄の死と、友人の死のショックが大きすぎて、悲しくて悲しくて他の感情をあまり感じなかった一年でした。自分としても感じないように、自ら動かない、頑張らないとしていたし。年が変わってパッと切り替えられるわけでもないけど、少しずつ慣れていくしかないよね、とは思っています。
今年はもっと自由な心で暮らしていけたらいいなと思っております。これからもよろしくね。


書き忘れ。家族を失った悲しみに耐えるため、心が壊れないように、(仕事とか、私が頑張らないことで他人に迷惑をかけるような事は別として)無理はしない、頑張らないと決めました。とにかく心ち余計な負担をかけない、やりたいことだけをやるとした一年でしたが、その結果当たり前のように太りました。2019年は健康のためにも節制していきます。元日から筋トレも復活したし、御節も食べ過ぎてないよ!

好きな本のひとつ、沢村貞子著「わたしの献立日記」を繰り返し読むたびに、贅沢だなと思うし、自分も同じようにと憧れる
そもそも、沢村さんが四季の旬の食材に気を配り、一食を大事にするようになったきっかけが、自分たち夫婦の年齢を顧みて、これから先の人生の食事の回数は残り……何回?と思ったことだったそう
私も同じような気持ちになることがあるし、それじゃなくても、食べたものが体を作ると思っているので、できるだけ良いものを食べたいし、満足した食事をしたいと思う
かといって食べ過ぎず、食べな過ぎず。
その反面で、私はとても合理的な考えを持つ人間でもあるので、良質のものを(正しい栄養を)なるべく簡単に摂る方法はないだろうか?といったこともよく考えていて私はご飯が大好きで、多少嫌いな食材でも混ぜご飯や炊き込みご飯になっていれば、美味しく食べることができる
ならば、というわけで最近は、根菜類、豆類、タンパク質、海藻類などを炊き込んだご飯をよく作っています。
ここ最近で美味しかったのは、大豆とごぼう、ベーコンの炊き込みご飯。ベーコンの塩気が美味しいので、ほぼ味付けなしでもいけます。あと、ひじきときのこと大豆に薄揚げも美味しい。里いもと鶏肉と銀杏も美味しい。
美味しくて、適量ではなくなることだけ、困っております

この10年ばかし、昔のこと、ある一定の時期について、懐かしむ以上の気持ちを持ってしまう。
俗にいう「あの頃はよかった」とは少し違うつもりでいたけど、つい最近になって、同じかもなと開き直った。
そんな懐古趣味じゃなくて、ほんとにほんとに楽しかったとしか言えない時間があったんだよ、と心の中で叫んでいたけど、同じよね。
そして、何故こんな気持ちになるのだろう?と不思議でならなかったけれど、これって年を取った証拠なんだなとふと分かった。気が付かないうちに、ちゃんと心が年を取っている。外面は若ぶったり、誤魔化したりできるけど、自分の心こそどうにも操作できない。
しかし、楽しかったとしか言えない時期にだって、私は苦しい思いも、悲しい思いも、醜い心もちゃんとあったくせに、何故かそういったことはありませんでした、という思いでに変わっている。悲しい記憶は頑張らないと思いだせない。
今年の春、兄が死んだ時に、楽しかった思い出も、悲しかった思い出も全て記憶から消えてくれればいいのに。兄などいなかったくらいの気持ちでこれから生きていけたらいいのにと思ったけど、楽しかった思い出はこれからも消えずに、時々それが苦しみの元になるのだろうな。

ところで。ここまで考えてきて、こういう気持ちの変化は、いわゆる更年期なのでは?と思い当たったけれど、さてどうでしょう。