「駐韓大使一時帰国で思うこと」を読んだ人たちへ

先日書いた「駐韓大使一時帰国で思うこと - 諸悪莫作」ですが、はてブを中心にいくつかの反応をいただくことができました。
それらは興味深く拝見しています。ありがとうございます。


ところで。
あの文章はもともと考えの整理のために軽く書いたものであったため、ろくに推敲もせず言葉足らずな面が多々ありました。
そこで読んでくれた人たちへの応答も兼ねて、補足としての文章も書いておきたいと思います。


あの文章の主旨は大きく分けて 3つあります。

  1. 僕たちの社会は自身の振る舞いについて客観的に見ることができていないのではないか。
  2. アメリカなどの他地域に対する姿勢・関係性と比較して、韓国などの東アジア諸国への視点は著しくバランスを欠いていて、その背景には差別的な視点があるのではないか。
  3. 今後、僕たちの社会がこの出来事をどう評価するのかによって、ひとつのターニングポイントを迎えることになるのではないか。


第1点目。
今回いただいた反応の中で最も多かった内容は「たとえがナンセンス(日本とドイツは比較にならない、合意を破ったという状況に対してあのたとえは意味がない、あり得ない状況を持ち出しても意味がない)」といったものでした。しかし僕のたとえは的を外したものではないと思っています。
あのたとえの状況は確かに「あり得ない」ものです。しかしいったん「この社会の中」から離れて視点を変えた時、僕たち自身が気が付かないまま、その「あり得ない」状況の中にいるということが見えてくるのです。

再掲しますが、先の記事の冒頭で僕は BBC の邦訳記事へのリンクを掲載しました。このように国内メディアではなく、海外メディアの記事を選んだことには明確な意図があります。


読んでいただければわかると思いますが、この記事はメディア側の価値判断を明示しない中にも、明らかに「被害者の苦しみに向き合わない不誠実な日本」という言外の指摘が見え隠れしています。そして僕のたとえをナンセンスだと思った人たちには申し訳ないのですが、日本社会の現況が海外メディアではどのように把握されているのかについては、邦訳されている記事を少し探すだけでも理解することができます。


これらは軽く抽出してみただけなので、実際には邦訳されているものだけでももっと大量にあります。つまり僕が書いたたとえは的を外しているわけではなく、海外のメディアでは「日本社会が戦前への回帰を志向し始めている」という見方がそれなりに流通していると考えてもよいでしょう。ただこういったことを書くと、たとえば「でもル・モンドだし…」と言ったように、これらは媒体側の偏りに過ぎず、意に介する必要はないと考える人もいるでしょう。しかし記憶に新しいように、昨年、外国特派員協会での日本会議重鎮の会見が強い関心を集め、そしてその場でどのような質疑応答があったのかを思い出せば、海外のメディアが日本社会の情況に対してどのような関心を持ち、そしてそれをどのように捉えているのかは理解できるはずです。


そしてこの状況に対して「情報戦の結果だ」といったように即座に切断するような判断はあまり理性的とは言えません。一度、自身の感情を脇に置いた上で(僕自身はそういった見方は採用しませんが)少なくとも国際関係上の損得判断ぐらいはしてみたほうが良い、とお勧めしておきたいと思います。


第2点目。
今回、「韓国人は約束を守らない」といった極めて強い反感が生じています。いや「反感」というのはあまり正しい評価ではないかもしれません。「侮蔑」や「呆れ」といった、よりネガティブな反応が多く見受けられると言った方が適切でしょう。しかし一方で、アメリカのトランプがTPP破棄を明言した情況に対して「アメリカ人は約束を守らない」といった反発は起こりません。社会的・国際的な影響はどちらの方が上なのかは言うまでもないわけですが*1。また、年次改革要望書に代表される日本の政治情況への影響力や日米地位協定に代表される不平等、沖縄での基地問題*2など、アメリカと韓国、どちらが日本社会に対して抑圧的に作用しているのかは言うまでもないことです。


その非対称性を考えた時、韓国を始めとした東アジア諸国への価値判断の背景として、理性以外の要素が介在しているということが強く見て取れます。そこにはそれらの地域に暮らす人々への「差別」と言っても差支えのない偏見、侮蔑的な感情が先立っています。「そんなことはない」という人は、一度、自身の判断に先立つ「感情」に目を向けてみてください。それぞれのニュースに対して考えを巡らせた時、自身の中に理性以前の苛立ちや怒り、もしくは愉悦の感情が現れるようであれば、自分の価値判断に「バイアスが潜んでいる」という可能性自体を考慮してみて欲しいと思います。


第3点目。
「残念ながらこの社会は既にルビコンを渡ってる」というご指摘もありました。まったくその通りで、何年か前に書いたように、僕自身この社会はすでに最悪の状況の中にあると考えていました。


「最悪の事態」 - 諸悪莫作


ただその上で、この件が支持を集めた場合、国際的な情況とも相まって対外的な強硬策が政権を駆動する…という画期になり得ると思っています。その意味で、もし支持率が上がるようであればこの社会は完全に一線を越えてしまったことになるだろう、と考えたのでした。


長くなってしまいましたが、最後に。
僕はずっと、「領土」や「国家」「人種」といった概念と自身を同一視したり、そのことによって縛られて、不自由するようなことは嫌だな、と考えてきました。

事態は最も緊急なぎりぎりの意味で、生死にかかわるほど重大です。というのも、私とあなたとはだれであり何であるかということ、彼と彼女とは、「われわれ」と「彼ら」とはだれであり何であるかということ、そういった初歩的な社会的空想に、世界が結ばれたり切り離されたりするということが基づいているからです。--- つまり私たちが死に、殺し、食いつくし、引き裂き、そしてばらばらに引き裂かれ、地獄に降りて行き、あるいは天国に上るということが --- 一言にして言えば、私たちが自らの生を生きるということが --- それに基づいているからです。
(中略)
多数の他者の行動をコントロールしようと求める人々はすべて、そういった他者の経験に働きかけます。ひとたび人々が同じような仕方で状況を経験するようにしてやることができれば、彼らは同じような仕方で行動するよう期待されうるのです。すべての人々が同じものを欲し、同じものを憎み、同じ脅威を感じるようにしてやれば、それで彼らの行動はすでにその虜になったようなものです。 --- つまりあなたはあなたの消費者やあなたの兵隊を手に入れたのです。黒人を下位の人間と認知したり、白人を悪意のある無力なものと認知したりする共通の見方を持たせると、それに応じた行動がとられるようになるのです。


経験の政治学 P100 - 101

経験の政治学

経験の政治学


不自由であるということは自身の選択肢を狭め、容易に他者から操作されてしまうということも意味します。
僕はそんな人生はまっぴらごめんだし、また他の人たちがそのような状況の中で摩耗していく姿も見たくないな…とそう思うのです。

*1:ちなみに僕自身はTPPという枠組には反対です。念のため。

*2:実際には「沖縄の問題」ではなく「本土の側の問題」なわけですが。

駐韓大使一時帰国で思うこと

日本の駐韓大使ら一時帰国へ 「慰安婦」像設置に対抗 - BBCニュース


絶望する気はさらさらないけれど、現状認識を整理するために軽く書いておく。


たとえば。
ドイツの首相が連邦議会で「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない。ナチスの行為についても国と国との関係でどちらから見るかで評価が異なる。」と答弁をし、また連邦政府もそれを追認する閣議決定をおこなう。一方、連邦国防大臣はナチスを賛美する施設を訪問。軍事予算は過去最高を記録。そんな背景がある中、オランダでアンネ・フランク像が民間団体の手によってドイツ領事館前に建立されるが、それを受けたドイツ政府はオランダに対して異例とも言えるほどの強硬な対抗措置をおこなうのだった…。


…という状況が発生したとしたら、いわゆる国際社会はこれをどう見るだろうか。
客観的に見て、ドイツ社会に何か良からぬ異常事態が起きていると見るだろうし、また、極めてきな臭いものを感じもするだろう。

僕はナショナリストではないのでこういう書き方はしたくないけれど、会談翌日にTPP破棄を明言されるなど、トランプにあれだけコケにされても怒らず。北方領土にまつわる外交でもあれだけプーチンにコケにされても怒らず*1。沖縄で米軍属に女性を殺されても怒らず。何度も何度も日米地位協定の不条理が展開されても怒らず。一方で、韓国に対しては「いいぞもっとやれ」と快哉を叫ぶ。

社会集団を擬人化する愚を犯して書けば、これは控えめに言っても「欧米コンプレックスをこじらせ過ぎ」だし、端的に言ってしまえば「小物の態度」そのものだ。それは、恥ずべきことではないのか。そして近隣の東アジア諸国のみをことさら侮蔑的に見るこの姿勢は「対支一撃論」の頃と何も変わりがない。その果てに何があったのか、今一度、僕たちは思い返すべきだろう。


そして、このことによって内閣の支持率が上がるようであれば、それはこの社会がルビコン川を渡ってしまったということを意味する。為政者の側も、自身が麻薬のようなツールを手にしたことに気が付くことになるだろう。


(2017年1月9日 15時47分 追記)
この件に関して、補足となる文章を書いてみました。
「駐韓大使一時帰国で思うこと」を読んだ人たちへ - 諸悪莫作

*1:念のため書くと、僕はTPPにしても北方領土にしても日本政府の方針には完全に不同意です。あくまでも韓国との関係性との対比としてこれを書いています。

「保育園落ちたの私だ」を忌避する人たちへ

保育園落ちた日本死ね!!!」をきっかけとした流れから、国会前での抗議活動がおこなわれた…ということがニュースになっている。

「保育園落ちたの私だ」。そんな紙を掲げた人たちが5日、国会前に集まった。子どもが保育園に入れなかった人、子育てを終えた人、これから子育てする人など、約30人。深刻な待機児童問題に危機感を抱いた人たちがツイッターを通じてつながり、雑談しながら立っているだけの、静かな抗議行動だ。
(中略)
ツイッターでは「#保育園落ちたの私だ」というハッシュタグ(検索ワード)ができ、「多くの人が同じ問題を抱えている」と批判が渦巻いた。その中から、「国会前へ」という呼びかけが生まれた。


http://www.asahi.com/articles/ASJ35540VJ35UTIL00N.html


以前書いたとおり、僕はこのような動きは素晴らしいものだと思うし、もっともっと日常的なものであるべきだとすら考えている。

多くの人たちが路上に出て政治的な主張をおこなう。多様な意見、多様な社会的立場を持つ人々が、多様なままで公共空間に集まり、声を上げる。それは生(ナマ)の政治であり、本質的な意味で民主的なものだと言える。


なぜ僕は国会前に立ったのか - 諸悪莫作


ところで、はてブTwitter などを眺めていると「ネットで話題になっている間は良かったけれど実際の抗議行動になると胡散臭く感じる、冷める」といった感想を持つ人がそれなりにいるようだ。


はてなブックマーク - 「保育園落ちたの私だ」 国会前で抗議行動:朝日新聞デジタル


でもそう感じた人は、冷静になって想像してみて欲しい。あえて卑近な譬えで書くけれど、たとえば


あなたの所属する学校や職場で、いじめがあったとする。そしてあなたを含めた何人かが、それに苦しんでいたとする。
あなたはネット上でそのことへの不満や怒りの発言を目撃し、共感する。自分でも賛同をする意見を書いてみたりもする。
でもあなたは学校や職場では何も言わない。それを日常だと思って受け入れてしまっている。
そんな中、そんな状況に声を上げ、実際に抗議をする人が現れた。


その時、あなたはその人に対して怒りや嫌悪感を抱くだろうか。そういった行動はやめるべきだ、迷惑だと感じるだろうか。もしそのような気持ちを抱くとしたら、客観的に見て、そんな自分に矛盾を感じたりはしないだろうか。

もしネットでの発言は許容できたのに、現実での抗議行動に嫌悪感を抱いてしまったのだとしたら。自分の心の中のその嫌悪感の正体を見つめてみて欲しい。この社会で生きていく中で、知らず知らずのうちに声を上げることを恥ずかしいと思う気持ち、自分の気持ちをさらけ出すことで自身の生活や立場が傷ついてしまうという恐怖感を内面化してしまってはいないだろうか。誰に向けていいのかわからない怒りを抱え、同時に、声を上げ怒りを表明している人に対して、思わずそういった自分の怒りを向けてしまう傾向はないだろうか。声を上げる人たちに対して「自分の日常を破壊するモンスター」のようなイメージを投影してしまってはいないだろうか。

誤解しないで欲しいのは、僕は別に馬鹿にしようと思ってこれを書いているわけではないということだ。ただ、この日本の社会の中で生きていく中で、「自分は声を上げる力を持たない」という感覚、そしてそれを維持していこうとしてしまう感覚を習慣化し、そして内面に固定化してしまっているということに気が付いて欲しいと思うだけだ。矛盾した状況を受け入れてしまい、それでもその日常の中で過度に自分を律してしまうための「偽の理屈」を、自分の中に作り上げてしまっているということに気が付いて欲しいのだ。


そして何よりも。
国会の前に立った人たちは、彼らはあなたが本来持つ力をあなたの代わりに見せてくれている人たちなのだということに、あなたが本来持つ力を取り戻す、そのきっかけを与えてくれる仲間なのだということに気が付いて欲しい。僕たちは、もっと素直に、もっと自然に、もっと気軽に、街に出て声を上げてもいいのだから。


(追記)
コメントやはてブで「ネットでの抗議よりもデモを特別視するのはなぜか」という観点での意見があったので、そのことに簡単に触れておきたい。
「国会前」というものは言ってしまえば「天安門」みたいなもので、シンボルとして機能するもの、社会のひとつの焦点となり得るものではある。だから僕はそこに人が集まることに意味を見出してはいるけれど、でも当然、その場で完結する必然性はどこにもない。なにより僕自身、今はこうやってネット上に自分の意見を上げているわけで。声の上げ方、声を上げる場は人それぞれで良いし、まずは自分のできる範囲で肩肘張らずに、ひとつひとつやっていけばいいのだと思う。当然、その過程でコンフリクトもあるだろうけど、その葛藤を認めたうえで緩やかに繋がっていければいい。それが政治だし、それが社会と言うものだ。
でもその上で。やはり直接行動をするということは、この社会ではリスクを負うことになるということに疑う余地は無い。実際、ネットで示される嫌悪感、忌避の感情が端的にそのことを現している。そして「ネットでの抗議よりもデモを特別視するのはなぜか」という物言いが、そういった忌避の感情を正当化するために使われるのであれば、僕としては「それは違うよね」と言っておきたい。ネットでも声を上げる。路上でも声を上げる。できる人はできることをやる。単に、それでいいじゃないか。

なぜ僕は国会前に立ったのか

ここ2ヶ月近く、僕は国会前の抗議活動に参加し続けていた*1

抗議活動の現場に立ちながら、なぜ自分はこの場に立っているのだろうか、このことをきちんと言語化すべきではないだろうかと、ずっと思い続けていた。法案は可決したものの安保法制に端を発した様々な動きはこれで終わるわけではない。だから今はまだ「一区切りついた」と言うべきタイミングではないだろう。ただ、なぜ自分は国会前に立ったのか、それを整理するにはちょうど良い機会なのかもしれないと感じている。だからこうして、僕はこの文章を書いている。

まず始めに書いておくと、国会前を象徴として全国で繰り広げられている一連の運動を僕は素晴らしいものだと思っている。ただその理由を明確にする前に、一連の運動の中で感じた違和感について大事なことなので少し書いていきたい。

安保法制に反対する人たちが好んで使う表現の一つに「平和国家日本」という言葉がある。抗議活動の現場に立ちながら、僕はそういった言葉遣いに違和感を抱き続けていた。客観的に見てその「平和国家日本」の歩みは常に後退の連続だった。警察予備隊の創設に始まり、近年もPKO協力法、自社さ連立における左派の転向、周辺事態法、テロ特措法、イラク特措法…少しずつ少しずつ、僕たちは妥協をし、もしくは馴らされて、今に到る道が舗装され続けていった。

いや、後退の連続ということであればまだ良かったのかもしれない。もともと僕たちの社会は、戦後、あのような事態に到った歴史的状況を自分たちの手で総括するという機会を持つことがなかった。たとえばドイツのように、指導層や戦時犯罪者たちを自分たちの手で裁くということをしなかった。もちろんドイツのようなあり方が正しいのかは議論の余地があるだろう。しかし、自身の共同体が犯した過ちを社会の同意事項として確定させる、そういった体験を自らの手で産み出すことがなかったという事実は、今日の状況を考える上で、そして「戦争」に向き合う際のこの社会の姿勢を考える上で無視することのできない大きな要素だと言える*2。また日本国憲法に対して「押し付け憲法」という揶揄がおこなわれるのも、結局のところそれが自分たちの営みの中から産み出されたものではなかったという事実に起因する。戦争の惨禍を経て多くの人たちが今の日本国憲法を歓迎したという事実はあるにせよ、いずれにしてもそれはこの社会が主体的に選択をし、産み出した結果ではなかったのだ。

敗戦直後は多くの人が生きることに精一杯だった、そういった主体的な選択をおこなう余地はなかったのだと言うこともできるかもしれない。しかし、かつての植民地だった朝鮮半島で凄惨な戦争が起きた時、この社会は自分たちの植民地支配の帰結としてそれを捉えることができなかった。むしろ奇貨として経済発展を遂げていくことに利用していくばかりだった。自分達の暮らす社会がベトナム戦争の前線基地となった時も、この社会の大多数は無関心を決め込んだ。アフガンやイラクへの攻撃、その中で所謂「テロ」とは無関係の市民が何万、何十万と殺されていった。どうか想像して欲しい。その過程での犠牲は311の災厄ですら比ではないということを想像して欲しい。その行為を明確に支持しそして支援したのも、この社会が選んだ政府だった。そしてその状況に対して広範で持続的な抗議の声が起きることはなかったのだ。

安保法制成立をこれらの戦後の歩みの延長線上として考えるなら、単にそれは「既定路線上の当然の結果だった」とも言える。だから僕は今回の運動で多用された「平和国家日本」「70年続いた平和」といった言葉遣いを好ましいものだとは思わない。その言葉を使っている人たちには申し訳ないけれど、もともと僕たちの社会はその本質において「平和を希求する社会」と言える代物ではなかった。自分たちで主体的に選択した平和というものを僕たちは獲得してはいなかったし、自分たちの加害性にも無自覚なままだった。右手のやっていることを左手は知らない。一方でアフガンやイラクでの殺戮に加担をしながら、一方で「平和国家日本」と言う。

よく「一国平和主義」といった揶揄が使われる。その言葉を多用する人たちの意図とは別に、その言葉は僕たちの社会の一側面を良く捉えている。311以降に始まった脱原発運動もそうだった。都市部在住者を中心に多くの人が自身の日常が破壊される事態を恐れ、あるいは怒り、声をあげた。そしてその流れの中で311以降の運動、特に今回の安保法制に対する運動では子連れの参加者が増えているという顕著な特徴が見られた。それは子どもたちが生きていくこれからの日常に不安を抱いている人たちが大勢いるという証しでもあるだろう。そしてその抗議の言葉として「平和な日常」が強調された。つまり、今の自分たちの日常を壊すなというわけだ。

僕は現場で見ていたから、そういった言葉を使っている人たちの動機は純粋なものだと感じるし、また真摯な気持ちに突き動かされている様も良く知っている。でも自分たちの社会がどのようにして今に到ったのか、そしてその日常によって維持されていた世界とはなんだったのか。そのことに向き合うことが無ければ、それはただの「生活保守主義」の運動で終わってしまう。そしてそれは今までそうであったように、三歩下がって一歩進むといった程度の妥協と後退、馴致の道に他ならない。そしてその姿勢は「(生活のためには)経済が重要だから」と言って安倍自民に投票するような政治姿勢と、本質的には何も変わらないことになってしまう。

そして今ある日常を守ることに留まってしまうなら、安保法制賛成派の人たちの「それでは安全保障をどう考えるのか」といった批難に対しても誤魔化しの回答しかできなくなってしまうだろう。結局のところ本土に暮らす僕たちの「平和な日常」は、沖縄の人たちの「基地のある日常」と裏表の関係になっている。沖縄に米軍基地を押し付けることで僕たちの日常から「安全保障」は排除され、だから安心して「平和な日常」を唱えることができる。また逆に自分たちが殺し殺されることへの想像を欠いたまま「安全保障」を口にすることすらできてしまう。しかし本土に暮らす僕たちも 、ひとたび沖縄の「日常」と向き合い誠実であろうとするならば、自分たちの手と頭で「安全保障」という概念と向き合い、そしてそれを超えていかなければならなくなる。

そして僕たちの「日常」の延長線上にある概念として「安全保障」を捉えるとき、「国民国家」という概念にも向き合う必要が出てくる。今回の運動では「国民」や「有権者」といった言葉が多用された。それらの言葉は、自分たちの権能に従ってその「責任を果たす」ということを強調するために使われていたことは良くわかる。でも僕はそれらの言葉を聞く度に「なぜ境界を維持し続けようとするのか」という思いを禁じ得なかった。その「国民」や「有権者」という言葉に含まれる人たちは誰なのか、含まれない人たちは誰なのか。そのことによって僕たちは何を維持しているのか。

アメリカでは銃を持つ権利が主張される。日本に暮らす僕たちから見たとき、その相互不信の徹底と過剰なまでの恐れは、何か異常でグロテスクなものに見える。しかし話が「国家」の安全保障に移ったとき、まるで催眠にでもかかってしまったかのように、同様のグロテスクさが集合的に適用されることに何の疑問も抱かなくなってしまう。リベラルを自認する人たちでさえ「それは個別的自衛権の範疇で説明がつく」「これは周辺事態のままで対処ができる」などとあっさり語る。しかしそこには、自明のように共同体に内と外とが存在すること、そして僕たち自身が手を下して「外の人々」を殺すという状況、それらへの戸惑いが微塵も感じられない。

僕たちが「国民」という言葉を使うとき、たとえば「在日」の人たちのようにこの社会の内においてもそこから除外される人たちがいることを、そしてその言葉遣いによって「安全保障」という概念が自明のものとして扱われるという事実を、一度、想起するべきだろう。 そしてそれが自明のこととして扱われることに一人の人間として、同じ人間として、戸惑いを感じていない自分を冷静に見つめてみる必要があるはずだ。

日常はかけがいのないものだ。僕たちを育んできた生活そのものであり、そこからはじめるしかない全ての基盤でもある。でもだからこそ、運動を開かれたものとするならば、その場で扱われる「日常」の概念は拡げていかなければならない。「日常」という言葉を自分たちの生活に居直るために使うのではなく、世界の多様な現実を包摂する概念へと拡げていく。僕たちの「日常」から除外された日常、そしてその「除外された日常」を生きる人たちに、そこにも届く言葉を、声を、僕たちはあげていかなければならない。人間としての共感と連帯の気持ちとを土台にして、今は無い「日常」を構想する。自明のものとされる共同体を超えて、底のところで通じる言葉を僕たちは紡いでいかなければならない。その過程で僕たちの「日常」も変容せざるを得ないだろう。そして今は存在しない「日常」へと到る過程を、ぬくもりある「日常」として僕たちは歩いていく。


僕が国会前に立った理由。
それは結局のところ、僕にはそれが良いものだと思えたからに他ならない。多くの人たちが路上に出て政治的な主張をおこなう。多様な意見、多様な社会的立場を持つ人々が、多様なままで公共空間に集まり、声を上げる。それは生(ナマ)の政治であり、本質的な意味で民主的なものだと言える。一般には代議制が民主主義のあるべき姿であり、投票こそが政治的主張の王道だとされる。しかし人間を一票に還元する代議制は、多様な人々の想いを受け止めるには極めて貧弱なものだ。そして今回のように議会で多数を占めた勢力が市民の意向を無視したとしても、少なくとも次の選挙がおこなわれるまでの間、その居直りを許してしまう粗い欠陥だらけの制度だとも言える。代議制が民主主義のあり方として採用される理由は、単に技術論に過ぎない。そしてそれはあくまでも民主的な社会の一過程に過ぎないのだ。

僕たちの社会は政治的主張を忌避する。政治的主張をおこなうことは、言ってしまえば生の自分をさらけ出す行為でもある。だから僕たちは社会生活の中で生の自分をさらけ出すことを、そして傷つくことを恐れる。それは同時に、この共同体において多様な見解を許容した上での連帯が、そして温かみが存在しないということでもある。デモや集会を忌避する様々な言説や批難も、結局のところ「自分たちにはそのような権能はない」という悲しく痛ましい絶望の表明に他ならない。ネット空間に氾濫するそれらの言葉は悲痛な叫びであるかのようだ。そしてそのような絶望が、その絶望の結果としての冷笑が、独裁的な統治権力の源泉なのだ。

だから僕は路上に出ることを、多くの人がその決断をおこなったことを、本当に素晴らしいことだと思う。2000年代初頭から始まった様々なデモの文化、そして311後の官邸前抗議の継続。それらの下地の中からようやく社会的に可視化され得る動きが生まれたのだ。この社会において掛け値なしに画期的なことなのに、その価値がまだ十分に理解されていないとすら思う。世界は漸進的に進まざるを得ない。この文章でもいろいろと書いたとおり、この路上を中心とした流れはまだまだその端緒についたばかりで、問題だらけでもある。でも一方でその取っ掛かりとしては十分過ぎるほどじゃないかとも思う。生活保守に流れかねない言説にしても、全ての人が同じスタートラインにいるわけではない以上、その認識が「今ある日常」から始まるのも仕方がないことだ。警察との距離感だったり他にもいろいろと問題があるけれど、いずれにしても、この流れはまだまだ学びを始めたばかりなのだ。

そして何よりも。少し気恥ずかしいことを書くけれど、僕は確かに、あの現場で肯定的な光のような何かを感じたのだった。そこに集った人たちの、一貫して前向きで希望を捨てない姿勢が好きだった。そしてその場にいた人たちに対して、全国で同じように路上に立つ人たちに対して、強い親近感すら抱くようになっていた。異なる点はあるけれど、けっこうむかつくところもあるけれど、それでも僕とあなたは仲間だとずっと感じ続けていた*3

社会は一足飛びに変わるものではない。だからひとつひとつ、積み上げていかなければならない。権力を甘く見てはいけないけれど、同時に慌てる必要はない。焦る必要もない。今ある現実をそのようなものだと受け入れた上で、自分が思うところに従って、できることをひとつひとつ積み上げていく。同時に自分たちが自明だと思っていることを、ひとつひとつ崩していく。そして何よりも自分たちの言葉が届くところに丁寧に言葉をつないでいく。自分たちの日常の営みとしてそれを繰り返していく。ただただ、それを続けていく。ただただ、それを続けていこう。

そして仲間の皆さん、これから仲間になるかもしれない皆さん。もしもこの先、道が交わることがあるのなら。そのときには路上で会いましょう。

*1:参加していたと言っても、後述する違和感からシュプレヒコールを唱和する事はなかったけれど。

*2:率直に言えば、それができなかった大きな要因は天皇制にあることに疑う余地は無い。つまりこの社会は「天皇を裁く」という状況を恐れたのではないのか。

*3:もちろん、この一連の流れの中で逮捕された人たちも仲間です。そのことにピンとこない人は少し考え直した方がいい。

「最悪の事態」

正直に言えば、最近良く耳にする「固有の領土」という言葉を、その概念を、僕は理解することができない。
ここで言う「固有」とは何だろう。
そしてその「固有」という言葉がどのようにして「領土」という言葉と結びつくのだろう。
そしてなぜ、この言葉はまるで疑問の余地が無いかのように、自明性を伴って語られるのだろうか。
僕には、まったく理解することができない。


尖閣諸島を巡る状況が現在のような事態になったことで、多くの人が「最悪の事態だけは避けなければ」と言う。
でも、「最悪の事態」って何だろう。
何が「最悪の事態」なのだろう。


僕は「固有の領土」という言葉は理解できなかったけれど、でも、この「最悪の事態」という言葉、それだけは理解することができる。


それは、石原慎太郎があのようなアクションを起こした時に、誰も声をあげなかったことだ。
石原に肯定的な人は言わずもがな、批判的な人たちであっても「石原がまたバカを言っている」程度に状況を軽く見た、
その弛緩が「最悪の事態」だったのではないか。
石原が「三国人」「犯罪者予備軍の支那朝鮮人」と言い放った時、僕たちの社会はそれを許してしまった。
そして彼とその追随者を増長させ、その言葉に力を与えてしまった。
そのような弛緩の連続の先に今の状況があるとするならば、「最悪の事態」は、すでに僕たちの目の前にあったのだ。


だから、「最悪の事態」を回避するために僕たちがやるべきことは自明だ。
それは、レイシストに社会的地位や影響力を与えることをやめることだ。
彼らから、社会的地位や影響力を奪うことだ。


「こんな状況で何を悠長なことを言っているんだ」と思う人もいるだろう。
でも、これ以外にいったい何があると言うのだろう。
遠回りに見えたとしても、そしてこれからどのような情勢になろうとも、これ以外に「最悪の事態」の回避なんて、本当の意味では存在し得ない。

地下猫さんとの議論について

ここしばらく忙しさにかまけてまとまった文章を書いていなかったのだけど、横着してはてブだけで済まそうとしたのは良くなかった。


山下俊一教授のインタビューをめぐるid:tikani_nemuru_Mとid:t_keiのやりとり


今もまとまった文章を書いている余裕はあまりないのだけれど、この件で僕が言いたかったことを少しは要約しておいた方がいいだろう。


まず、この件での id:tikani_nemuru_Mさん(以下、地下猫さん)の論旨を僕の理解でまとめるなら以下のようになる。

  1. 移住はハイリスク。(彼の過去のエントリでは「低線量被曝に比べてリスクが『ケタ違いに高い』」とも)
  2. 山下俊一氏のインタビュー発言はまっとう。
  3. 山下氏が進めているような調査を非難するようでは、補償も困難。
  4. 事実に基づかなければ、被害は確定できない。


地下猫さんが述べているように「被害の認定は事実に基づく」、これは多くの人がそのように思っているのかもしれない。もちろんそれはある意味そうなのだけれど、でも冷静に考えてみれば物事はそんなに簡単じゃあないということに気がつくだろう。

たとえば、科学的に確定していない事柄はどう考えるべきなのか、無いものと見なすべきなのか。また、確率的にしか捉えれない事象をどう個別の因果関係と結びつけるのか。−−過去の公害訴訟では、常にそのような「事実認定」の問題がつきまとっていた。広島長崎においても、様々な症状に長年苛まされながらそれが原爆に起因するとは認められずに苦しんできた人々が大勢いた。

女性は3歳の時に広島で被爆。物心ついた頃から体が弱く、何度も病院に運ばれた。だるさで朝起き上がれないでいると「横着病」と周囲から非難された。04年に右目が見えなくなり、「右網膜動脈閉塞(へいそく)症」と診断された。原爆症認定を申請したが、却下された。

(……)

 被爆者援護法では、病気が放射線に起因し、現在も医療を要する状態であれば原爆症と認定され、医療特別手当などが支給される。だが、病気と被爆との因果関係などで国の基準は厳しく、認定数は被爆者健康手帳所持者の1%にも満たなかった。このため、国の審査は被爆の実態を見ていないとして、03年から全国17地裁で被爆者が集団提訴、原告側勝訴が相次いでいる。


http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20110803k0000m070152000c.html


公害訴訟の歴史の中では、「科学的な原因究明」といった言葉はむしろ被害者救済の妨げとなってきた側面がある。特に個別事例の科学的因果関係を証明することの困難さは常に被害者にとっての足枷となってきた。そのような状況の中で、直接的な因果関係を立証しなくとも統計学的見地から立証をおこなう疫学的アプローチは、被害者にとって大きな武器となった。

(1) イタイイタイ病訴訟
 この訴訟は、富山県神通川流域の住民が、三井金属鉱業株式会社に対して、43年3月に提起した損害賠償請求訴訟(第1次訴訟)である。
 この訴訟において主たる争点となったのは、三井金属鉱業株式会社神岡鉱業所から排出された廃水等に含まれていたカドミウムによりイタイイタイ病が発生したかどうかの因果関係の立証である。
 46年6月に行なわれた判決は、因果関係について疾病を統計学的見地から観察する疫学的立証法を導入し、その観点からの考察を中心に、臨床と病理的所見等を付加した上で、三井金属鉱業神岡鉱業所から排出される廃水等とイタイイタイ病との間に相当因果関係が存することを認定した。
 そして、大筋においてそのような説明が科学的に可能な以上、被告が主張するカドミウムの人体に対する作用を数量的な厳密さをもって確定することや経口的に摂取されたカドミウムが人間の骨中に蓄積されるものかどうかの問題はいずれもカドミウムと本病との間の因果関係の存否の判断に必要でないとされ、法律的な意味で因果関係を明らかにすることと、自然科学的な観点から病理的メカニズムを解明するために因果関係を調査研究することとの相違が明確にされた。このことは、公害裁判における原告側の因果関係の挙証責任を事実上緩和することを意味するものである。


http://www.env.go.jp/policy/hakusyo/honbun.php3?kid=148&serial=1122


だからid:T-3donさんが水俣に関して『「疫学的因果関係を行政・司法が認め」なかったんですよ。機序に拘って対応が遅れた例』と言っていることは、それ自体はまったく正しいし、異論はない*1。しかし同時に、疫学的アプローチの中でも不確定とされ、その陥穽の中で苦しんできた人々がいることも指摘しなければならない。先にあげた原爆症認定訴訟はまさにそうだった。以下に2011年7月5日に出た東京地裁による原爆症認定訴訟の判決要旨を抜粋する。

(5) 一般論として、放射性微粒子がごく微量でも細胞更には人体に相当の影響を及ぼす場合があり得ること自体はにわかに否定することができない。
 そして、DNAの損傷等による人体への傷害は、その後の体内での様々な生体反応を経て、長期間を経過して、組織的病変として発することがあるとされ、その間には、他の様々な外部的要因が人体へ作用し得るとともに、加齢といった時の変化自体による要因も作用してくると考えられる。


(6) 上記のような経過により発する放射線後障害に係る疾病は、放射線被ばくのない場合に発する疾病と比較して、非特異的なものであるとされる。
 また、放射線被ばくの態様等の差異が、直ちに結果として発する放射線後障害に係る疾病と特異的に結びつくとは認められない
 被爆者個々人については、放射線後障害に係る疾病が長期間を経過して顕在化することが多くみられるところであり、加えて、症状が非特異的なものであることから、当該症状と原爆放射線の被ばくとの関連性の存在を顕著に示唆するということができるような証拠が直ちには見当たらないとしても、それにはやむを得ないところがあるものと考えられる。


(7) 原爆放射線が人体に及ぼす影響については、これまで、主として疫学的方法により研究が継続されてきた。
 一般に、特定の事実の後に発生し当該事実との間に原因結果の関係に相当する発生の連続性ないしは規則性がみられる他の事実が複数存在する場合において、当該他の事実のうちの一つにつきその発生の客観的な頻度が小さいとの一事をもって、その事実と先行する事実との間の原因結果の関係が否定されるものではない。
 その上で、例えば、対象となる事象が様々な規模に及び複合的であることや、資料が限定されていることは、そもそも疫学調査におけるコホートの作成に当たって考慮されるべき基礎的な事情につき調査の結果の評価に当たり留意すべき要素があることを意味する。特に、ABCC及び放影研による疫学調査については、放射線による疾病の発症に係る超過リスクが現れにくいという問題点が指摘されている。


(8) 原爆放射線が人体に及ぼす影響については、徐々に解明されてきたが、急性症状の評価や残留放射線による被ばく及び内部被ばくによる影響等といった少なくない点において、専門家の見解が分かれている現状にあり、現段階においてもなお研究は継続されている。そして、将来それが更に進展して解明が進めば、従前疑問とされてきたものが裏付けられる可能性もあり、それが小さいと断ずべぎ根拠は直ちには見当たらないものと考えられる。


(9) 以上に述べたところからすると、原爆放射線が人体に及ぼす影響については、放射線の物理的な性質等に関する一般的な知見を推論に用いるに際して前提となる各般の事情に係る情報の収集や分析等に限界があるといえ、そのような中で正確さや確実さ等を考慮した条件設定の整理の作業をすること等を通じ、全体として、これを過小に評価する結果に傾きがちとなることを容易には否定することができないものと認めるのが相当である。


http://www4.ocn.ne.jp/~t-hibaku/hibakusya/110705_y.html ※ 強調部分は引用者による


ここでは原爆症認定で用いられてきた疫学的見地の妥当性が問題となっている。『対象となる事象が様々な規模に及び複合的であることや、資料が限定されていることは、そもそも疫学調査におけるコホートの作成に当たって考慮されるべき基礎的な事情につき調査の結果の評価に当たり留意すべき要素』があること、また『経過により発する放射線後障害に係る疾病は、放射線被ばくのない場合に発する疾病と比較して、非特異的なもの』であり、『当該症状と原爆放射線の被ばくとの関連性の存在を顕著に示唆するということができるような証拠が直ちには見当たらない』こと、しかし同時に『従前疑問とされてきたものが裏付けられる可能性もあり、それが小さいと断ずべぎ根拠は直ちには見当たらない』こと、さらには『原爆放射線が人体に及ぼす影響については、放射線の物理的な性質等に関する一般的な知見を推論に用いるに際して前提となる各般の事情に係る情報の収集や分析等に限界があるといえ、そのような中で正確さや確実さ等を考慮した条件設定の整理の作業をすること等を通じ、全体として、これを過小に評価する結果に傾きがちとなる』ことが指摘されている。


これは今、福島で起きつつある状況についても予感させられる指摘だと言える。低線量被曝をめぐる議論はこの判決要旨でも触れられている通り、いまだに決着がついていないとされる事柄であり、そのことが様々な混乱と不作為とを招いている。


ここで、この件の発端となった山下俊一氏の言動を見てみよう。

山下センセイは村議会議員と村職員を対象にセミナーを開き“放射能の安全性”を説いた―

 「(飯舘村で)今、20歳以上の人のガンのリスクはゼロです。この会場にいる人達がガンになった場合は、今回の原発事故に原因があるのではなく、日頃の不摂生だと思って下さい」、「妊婦は安全な所へ避難された方が精神的なケアを含めて考えると望ましいと思う。ここで頑張ろうという人がいてもそれはそれでいいと思う」

 ―山下センセイは身の毛もよだつ “放射能安全神話” を滔々と述べたのであった。

 セミナーに出席した議員の妻は「おとうちゃん、山下先生の話を聞いた時はすっかり安心して帰ってきたもんねえ」と当時を振り返る。

 村のオピニオンリーダーにあたる村議会議員や村職員が「放射能は安全」と頭に刷り込まれてしまったのである。村民への影響は少なくなかった。

 結果、多くの村民は自主的な避難もせず外出もした。線量が高かった初期の頃も積算すれば年間「100mSvを超す」地点が幾つかあるにもかかわらず、である。山下センセイは御自ら「ガンのリスクがあがるのは100mSvから」とこのセミナーで発言しており、自説と矛盾することになる。

 原発推進派の攻勢は続いた。9日後の4月10日には、御用学者の一人に目される杉浦紳之・近畿大学教授を派遣した。杉浦教授も前者と同じように「(放射能は)恐くない」と説いたのである。

 だが翌11日、飯舘村に衝撃が走る。政府が村の全域を「計画的避難地域」に指定したのである。

 つい前日まで福島県放射線リスクアドバイザーらが「安全です」と高らかに“宣言”していたのは何だったのだろうか。

 村の男性(農業・40代)は「あの時、御用学者の言うことを信じてしまったことが悔やまれてしょうがない」と肩を震わせた。


田中龍作ジャーナル | 飯舘村 御用学者に振り回されたあげくに

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訂正:質疑応答の「100マイクロシーベルト/hを超さなければ健康に影響を及ぼさない」旨の発言は、「10マイクロシーベルト/hを超さなければ」の誤りであり、訂正し、お詫びを申し上げます。ご迷惑をおかけし、誠に申し訳ありません。
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いつのまにか、山下発言が「10分の1の数字に」訂正されているのです。

しかし、動画の質疑応答では、山下教授は自信満々で「100マイクロシーベルト/hを超さなければ、まったく健康に影響を及ぼしません」と太鼓判を押しています。

Q、今の放射能測定値で外出しても問題はないのか?

「環境の汚染の濃度、マイクロシーベルトが、100マイクロシーベルト/hを超さなければ、まったく健康に影響を及ぼしません。ですから、5とか10とか20とかいうレベルで、外へ出ていいかどうかということは明確です。昨日も、いわき市で答えました。『今、いわき市で、外で遊んでいいですか?』と聞かれました。『どんどん遊んでいい』と答えました。福島も同じです。心配することはありません。
・・・・・

100ミリを10ミリと言い間違えたのなら、「5とか10とか20とかいうレベル」という言い方はしないはずです。

福島県民の中には、山下教授の話を聞いて、100マイクロシーベルト/hまで安全、一度に100ミリシーベルト浴びなければ大丈夫だと信じて、放射線量が高いときにマスクもさせずに子どもたちを外で遊ばせてきた親がたくさんいます。ふとんも洗濯物も外に干してかまわない、雨に多少ぬれても問題ない、といった山下発言を信じてきた人がたくさんいます。


中村隆市ブログ 「風の便り」 - 山下教授が発言を訂正「100マイクロSVは、10マイクロSVの誤り」

山下教授フジテレビ今朝のトクダネで「20ミリを引き下げたら、避難させなければならないでしょ。これだけ大勢の人を、あなた何処に避難させますか?」(大意)と宣いました。


Twitter. It's what's happening.


公害訴訟の過去の事例に学ぶとき、そこからは次のような教訓を汲み取ることができる。

  1. 往々にして専門家による過小評価が被害を拡大させる。
  2. そのような過小評価は既成事実化される。
  3. それに対抗して被害者側が司法の場での判断を得るためには、多くの時間と費用とを費やす必要がある。


公害訴訟の歴史はこのような専門家、有り体に言えば御用学者との戦いの歴史でもあったと言える。


山下氏の言動はまさしく「リスクを過小評価する専門家」そのものだ。このような言動を繰り返してきた人物が、現地での信頼を得ることは難しいだろう。そして彼に対して「住民をモルモット扱いしている」「嘘つきだ」と憤る人がいるのも当然だと言える。

ここで取り上げたいのは「一般市民はゼロリスクを要求しているが、これは不合理である」という神話8だ。これは日本でもしょっちゅう見聞きされるもので、人によっては「ゼロリスク症候群」などと「病気扱い」した侮蔑的表現までしていることもある。まぁ、確かにどんなものであれ多かれ少なかれリスクはあるのは当り前であり、もしも本当に人々がゼロリスクを望んでいるとすれば、この非難は的を得ているといえるだろう。しかしPABEの調査結果では、人々はゼロリスクなど要求していないのだという。いいかえれば政策立案者や専門家の方が、「一般市民はゼロリスクを求めている」という「ゼロリスク神話」に囚われているというわけだ。

まず第一に、フォーカスグループの参加者たちは、「自分たちの人生がリスクに満ちており、リスク同士、あるいはリスクと便益とのあいだで釣り合いをとらねばならないということを完全に分かっていた」し、さらにいえば何事にも「不確実性」があるということ――たとえば科学的なリスクの評価結果にも不確実性はあるということ――も彼らにとっては至極当り前のことだったのだという。そんな彼らが求めていたのは、ゼロリスクではなくて、行政や専門家が、「リスクは無い」と言い切ったり、その基盤にある科学的判断の不確実性をちゃんと認めようとしない傲慢な態度を改め、意思決定のなかでもっと真剣に不確実性を考慮することだったのである。


STSNJ Newsletter / リスクをめぐる専門家たちの"神話" ※強調部分は引用者による


別に誰も、調査をすること自体を否定しているわけではない。このような状況になった以上、調査はやるべきだろう。しかしそれは、適切な情報開示とそれに基づく住民の合意形成とを前提としてなされるべきことなのだ。

そして原爆症認定の歴史にも見られるように、低線量被曝による被害はいまだに多くの人々がその苦しみを訴えている状況があるにも関わらず、疫学的に観測されていないのだから存在しないとされてきた。しかし今、まさにより多くの人々が新たにそのような状況に直面しようとしている。そうである以上、今必要とされていることは「リスクは無い」と語ることではない。むしろどのような「不確実性」が存在し得るのか真正面から向き合うこと、そして「不確実性」を前提とした被害の拡大を防ぐための施策と補償、それがまず求められていることなのだ。もちろんそれがなされるためには、福島の人々を孤立させないための社会の後押しが必要であることは言うまでもない。政治の場も司法の場である裁判所も、世論の動向に敏感である事は良く知られた事実である。実際、過去の公害訴訟において、世論の後押しが救済への道を開いたという点は重要だ。


ところで、蛇足かもしれないが移住リスクについても次のように考えることができる。
低線量被曝に関しては様々な見解があり、そのリスクを見積ることを困難にさせている。それに対して移住については、阪神淡路、雲仙、三宅島などでの長期避難の経験があり、何が避難した人々のストレスを増加させるのか、どのような避難のあり方がそれを軽減させるのかがある程度判明している。その前提に立てば、居住を続けて低線量被曝を重ねる状況と線量が低下するまで長期間の避難をおこなう状況とどちらがよりリスクの計算が容易であるかは明らかではないだろうか。

後は社会の側でどこまでサポートをする覚悟があるのかだけが問われることになる。要するに「ここまでしかコストは負えないから放射線管理区域レベルでの居住リスクを背負ってね」と言い放つのか、それともそうではないのか、ということだ。


(いろいろ端折りすぎですが、とりあえずこんな感じで。)

本当にこれが望みですか?

こんな記事を読んだ。

しかし、一方で日本人は地震で起こったあらゆる物事を「仕方がない」の一言で片づけようとしてはいまいか---外国人記者の口からは、そんな鋭い意見も聞かれた。前出・パリー氏はこう言う。

「避難所では皆ギリギリの生活をしている。被災者は皆頑張っているというのに、(物資もロクに届けられないとは)政府はなにをしているのか、と思うときがあった。被災地の人はもっと声を上げて叫ぶべきではないか。これがイギリス人だったら、政府の注意を引くためにもっと暴れていると思います。ここにも日本人の『仕方がない』精神が表れている気がしますね」


外国人記者が見た「この国のメンタリティ」「優しすぎる日本人へ」(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)


「日本人」と一括りにしてしまう書きようはくだらないなぁ、という感想はさておき。
見辛くなったはてブ*1で何気なくブコメを眺めていると、「別に許しているわけではない」「本当は怒っている」といった意見がけっこうあるようだ。


はてなブックマーク - 外国人記者が見た「この国のメンタリティ」 「優しすぎる日本人へ」 | 経済の死角 |


でもさ。僕たちがそこで声を上げないから、今の、このような社会の在り様がいつまでも続いているんじゃないのかな。違いますか?


また、こんな記事も読んだ。


星アカリ(akariakarin123)氏の、東京電力に対する見解 - Togetter


要約するのも実にアホらしいけれど「法が東京電力を裁かないなら、東京電力社員の子供を社会がボイコットすることで、東京電力社員に怒りを届けよう」と言った人がいたらしい。
実にどうでもいい話で、こんなことで大騒ぎしている人の気が知れないんだけど、もし、法を超えて抗議の意思を示したいのであれば、この人は、こんな下衆なことは言わずにただ単にこう言えば良かったのだ。


「10万人ぐらいで集まって、東京電力を包囲しようよ!」


個人的には、東京電力を悪の象徴にしてしまうということは、この事態を引き起こした構造を隠蔽することにもなりかねないと感じている。
でも少なくともこれくらいのことができたなら、この社会の風景も、ちょっとは変わってくるんじゃないのかな。

*1:事前にベータ版を公開して、意見を集約してから切り替えておけばブーイングも少なかっただろうに。