「動物農場」

原題 ANIMAL FARM(1954年製作)
監督:ジョン・ハラス


原作はイギリスの作家ジョージ・オーウェルの小説。1940年代から1970年代のヨーロッパで、最も影響力があるアニメスタジオ「ハラス&バチュラー」が製作した。イギリス初の長編アニメ。

飲んだくれで働かない農園主ジョーンズの暴力に耐えかねた動物たちは、長老の豚を中心に結託し革命をおこす。ジョーンズを追い出し、「すべての動物は平等である」をスローガンに理想的と思える農場運営を行う動物たちだが、次第に利権を得ようとする豚があらわれ、、、。


1950年代のイギリスでできた作品ということで、教育的、政治的要素が強い作品になっている。いつの時代も映画は政治に利用されているとうのが良く分かる。

「地球が静止する日」


1951年製作、ロバート・ワイズ監督の同題作品のリメイク。


監督:スコット・デリクソン
出演:ジェニファー・コネリー
  :キアヌ・リーブス


宇宙船とそれにのって地球にやってきた使者クラトゥ(キアヌ・リーブス)に恐れるアメリカ政府と、クラトゥの任務を理解し助ける科学者ヘレン。昔から繰り返されてきたテーマ、ドタバタ物語を最新のCG技術でやってみちゃいました。という感じ。


物語や役者の演技を楽しむのではなく、大迫力のCGを感じ取ればいいのかもしれない。ただ、オリジナルの1951年製作作品をみてみたいとは思った。

 

「ペルセポリス」


在仏イラストレータマルジャン・サトラピの自伝的漫画「ペルセポリス」の映画化。原作と同じタッチのアニメーションで、彼女自身が監督している。


主人公のマルジ(マルジャン・サトラピ)は、1978年イランの首都テヘランに住む少女。上流階級の家で育ち、経済的にも思想的にも自由な環境で暮していた。しかし、イラン・イスラム革命、イラン・イラク戦争を経験。その後ヨーロッパへ留学し、他国の友人達と過ごす中で、自我と他者との間で悩み苦しむ。



イスラム革命後のイランの市民がどのような思いで生活していたかがよく分かり、面白い。

「英国王給仕人に乾杯!」

監督はチェコスロヴァキアのイジー・メンツェル。

共産主義体制下のチェコスロバキアの山間部、初老のヤンは自分の人生を振り返る。ヤンは若い頃、給仕人の見習いとしてレストランやホテルを転々としていた。物語は初老のヤンと、彼の回想とが重なり合い、進行して行く。

ジー・メイツェル監督独特のコミカルな演出と映像の美しさが印象的な映画。また後半、ドイツ軍によって占領されてからの人々の様子も、風刺が効いていて見応えがある。

「ブラインドネス」


先日、フェルナンド・メイレレス監督の「ブラインドネス」を見た。


映画の紹介文を読むと、パニック・サスペンス映画のようだ。メイレレス監督がパニックムービーを作るというのは意外だったし、なによりガエル・ガルシア・ベルナルが重要人物として出演するらしい。それだけの動機で見に行ったのだが、良い意味で期待を裏切られた。素晴らしい作品だった。が、ネット上に酷い勘違いレビューがあふれていてムカついたので、以下を書いてみた。



以下、映画の感想(ちょとネタバレ)




映画の紹介でパニックやサスペンスと言った単語が並ぶため、誤解されるかもしれないが、この映画はパニック映画ではない。人間ドラマだ。


視力を失った人々が、不安と絶望の中で寄り添い、繋がり合い、視力が正常であった時には見えなかった(理解出来なかった)愛情や信頼に目を向けて行く。そういう繋がり合おうとする人々の希望の物語だ。



多くのレビューで見るように、第三病棟の王が引き起こした「パニック」は見所の一つではあるかもしれない。権威を批判していた第三病棟の王は、視力を失った世界で価値があるのかも疑問に思える金品を要求し、新たな世界での権力者になろうとする。その愚かさも見所だろう。だがそれはそれとして、この作品の中で第三病棟の王に注目していてはテーマを見失う。


この映画における第三病棟の王の役割は、人間が醜く変貌する姿を示す事ではなく、日常世界にあるにも関わらず人々が目を背けていた事柄(暴力による支配、レイプなど)を見える形で示すことだ。その上で制作者が見せたかったのは、視力を失って初めて問題に対峙せざるをえなくなった人々の姿なのではないだろうか。



その辺りは、日本人夫婦に象徴されている。冒頭では強い口調で話していた妻だが、次第に口数が減り、秘めていた本音を吐き出す。はじめに視力を失った男である夫は、視力が正常であったときに「見えている」と思っていた妻の心が、視力を失ってはじめて「見えていなかった」ことに気付くのだ。そして、物語の最後に発する彼の言葉が、監督のメッセージなのではないだろうか。どんな状況になろうとも、人々の心が繋がり合っている限り、世界は美しい。



映画は見る人によって見解が違うのは当然だし、そうでなくてはならない。ただ、この映画に関しては、宣伝文句に流されて正当に評価されていないように感じている。もったいない。

ミャオ族の村 その1「石枡」

 
凱里には特別見るべきものはなく、半日いれば充分。旅行社に凱里周辺の村に行くプランをたててもらった。日本語を話すガイドがいるということだったが、カタコトのカタ程度だったので、別の英語を話せるスタッフにお願いした。2日間、車をチャーターして(ガイドなし)1200元(約2万円)。まあ、いいところだと思う。できれば英語ガイドがいると楽なんだけど、そうするとプラス1万円ほどかかるので、中国語しか話せない運転手とやっていくしかない。

1日目の朝、ホテルに迎えに来たのはプランを作ってくれたガイドだった。なんでも予定していたドライバーが来れなくなったらしく、彼が自ら運転するのだとか。かなり助かる。


凱里から南の方角へ、ひたすら走る。ハイウェイを走ったのは15分ほどで、すぐ山道。砂利道。うねうねガタガタとひたすら走る。

途中、稲刈りをしている家族にあった。この辺りの女性は長く伸ばした髪を綺麗に結い上げている。村によって結い方が違うそうだ。


 

  


ラクターなんぞ当然ない。鎌で刈る。大きな木製の箱の中に1本の木棒を渡してあり、その棒に稲穂の束を叩き付けてもみを落とす。私もやらせてもらったんだけど、案外簡単に落ちる。ただ、一日中と言われると、、、なかなか重労働だ。



2時間半ほどで、石枡についた。


 

 


どの家の軒下にもトウモロコシが大量にぶら下がっている。家畜、主に豚の餌にするのだそうだ。


 


この村では紙づくりが盛んで、ここで仕上がった紙は高級品として北京などの大都市に送られる。


木の皮を洗って一度カラカラに干す。丁寧にゴミを取り除いた後、



河原にある大きな石釜で繊維がバラバラになるまで煮る。


 


紙すきの要領は日本と一緒。ただ、紙すきの木枠が天井に設置された竹に吊り下げてあり、竹のしなる幅しか動かない。かなり力が必要。私も体験させてもらったんだけど、、、、写真の程度しか沈み込まず、まったく駄目だった。。。



この村はまったく観光化されていないのだけど、ヨーロッパからの観光客が多いそうだ。ドイツからの団体客とアメリカ人2人づれに会った。どちらも定年後の生活を楽しんじゃってる感じの人達。ドライバーに「若い人って来ないの?」と訊くと「来ないね。君は珍しい。」と言われてしまった。。。。まあ、、、趣味が年寄りなのは自覚しているんだけど。


この村では比較的大きな工房を持つ家の離れに、ゲストハウスが建設中だった。凱里からもっと南下していく人にとって、ここで泊まれるのは有り難いだろう。

で、その建設途中の建物で、お昼ご飯を頂くことになった。そこの家主が用意してくれると言う。ミャオ族の家庭料理が食べられるとは思っていなかったので、らっきーー。おまけに伝統的な客をもてなすためのワインを出してくれた。ワインと言っても、とってもアルコール度数が高い。40度くらいはあると思う。二杯飲むのが礼儀ということらしく、、、頂いた。ウイスキーみたいな風味がする、私たちが思うワインとはちょっと違うものだった。そして、ビールも登場。貴州の地ビール。私は酔って顔が真っ赤になってしまい、この家主の家族に大ウケだった。。。

左はドライバー。右は研修のためついて来た若手スタッフ。


 

 

凱里

凱里は、黔東南ミャオ族トン族自治州の州都。少数民族が約70%をしめ、そのうちミャオ族が約40%、トン族が約30%、他にプイ族やヤオ族などが住んでいる。

町中に住んでいる少数民族は、それぞれの民族衣装ではなく洋服を着ている人が多い。街には今どきの若者向けの服を扱う店も沢山あった。

とは言え、凱里の郊外にある村々から野菜などを売りに街にでてくる村人もおり、青い民族衣装を着て市場で働いていた。


 


歩道に横に並んで座って、裁縫をしている人達もいた。


 


街をフラフラしていると、ソフトクリーム発見。
味薄め。シャーベットみたい。1元(16円)ナリ。



街の中心にある十字路から、西の方角にまっすぐ歩いて行った。20分もすれば店が減り、道も悪くなる。さらに一本の通りを渡ると、風景は一変した。アスファルトの道は砂利道に。鉄筋コンクリートのビルからバラックへ。


 


工事トラックが砂埃を巻き上げながら走る道で、子供達はビー玉遊びに興じる。写真を撮っている間、何度もギリギリのところをトラックが勢いよく通り、子供達がひかれるのではないかとヒヤヒヤした。


 


そのまま歩き続けると、民家は少なくなり、工場が見えて来た。

牛と排気ガス。今の中国ってこんな感じですかね。