錆び付いたマシンガンじゃ打ち抜けない劣化ウラン弾

プルトニウムだん は関係ありません。
つい先日、知り合いが後押しをしてくれるような形にて凍結していたものを弄り始めることに。
切欠って大事です。自分の場合、何をするでもしない時はしない、する時がめったに無いタイプの人間なので、何か押してくれるものが無いとダメな様なのです。無論、何もする事が無くて惰性でやってしまう事、自分が興味を持って一生懸命無駄に取り組める事はこの限りではありませんが。
そこでふと思ったんですよね、久しぶりにそれに取り組んだ訳ですが…
続ける事って大事です。最初の内は夢見ていたような領域。それこそ、一人でそれを扱える様になる領域、教科書片手に頑張る、でなくて頭の中で大半が処理出来る様な領域に達するのにはやはり何回も繰り返さないとダメなのです。STG然り、プログラム的な構文然り。

常に続けてみる事、これが当たり前になった時にそれは生活の一部になるのかも知れない。さも息を吸って吐くのと同じ様な、日常的に繰り返している動作だから見なくても、意識しなくても出来るようになる。けれども、これに対して疑問を持ってしまうとそれは迷走への道標。
だから物事にしろ何にしろ、疑問を持てている、意識せずに出来るようになる領域に達するまでが一番幸せなのかも知れません。慣れとは恐ろしい、とは良くぞ言ったものではありますが、恐ろしいのではなく、怖い、が正しいのです。

自分は今喋ると言う行動について疑問を持っています。疑問です。どうやって話すのか分かりません。書くのは大丈夫です。けど喋るのは何かダメです。会話が、出来ません。続きません。続かない。

eerst

統合失調症予備軍と統合失調症の人から言われました。
いや、俺が予備軍なんだって。

へー、へー、へー

別段気にしている訳でもないけど、気にしていないと言えば嘘になる。
明らかに正常、って言うところとはずれた位置に居るのは分かっちゃ居るのですよ。
しかしながら、その正常って位置を何処に置くかで見方ってのは相当変わって行くわけで…
何が言いたいって、みんな正常でみんな狂ってる。それで良いような気がしました。

経験と宝珠

最近自分の感性が良く分かりません。
その矢先にこんなことを言われてしまいました。

「物事のよしあしが分かる力はどれだけその方面を見てきたかに拠るものだ」

自分の場合、つまり人を見る眼があんまり育っていない、と。
平たく言ってしまえば上の限りになってしまう訳です。別に変な意味(特に今の交友関係を否定するものでは決して無い)ではないのです。例えばそれは、この男性俳優がかっこいい、と言うこの「かっこいい」の部分が分からないとか、このアイドルが可愛い、の「可愛い」の部分が分からないと。
経験の中で育っていく感性。この感性を伸ばさずに伸ばすことも造作ない人こそ天才への第一歩ではないのかと思うのです。つまりがセンス100%。ハイセンス。この戯けセンス。