中村哲医師とティリチ・ミール登山

 最近よく、新聞の一面に驚かされる。

朝日新聞』19日朝刊一面

 今朝の『朝日新聞』はトップが「核搭載艦 日本寄港容認の文書 60年安保改定/米『事前協議なしに』/米公文書 専門家が精査」。これは後の沖縄密約事件につながる日米の密約体質を報じるスクープだ。 

 2年前の3月参院でこんなやりとりがあった。

 《岸田文雄首相は7日の参院予算委員会で、非核三原則の「持ち込ませず」を巡り、有事に際して例外的な対応を取る可能性があるという認識を示した核兵器を搭載した米艦の一時寄港を認めなければ日本の安全が守れない場合、「その時の政権が命運をかけて決断し、国民に説明する」とした2010年の民主党政権時代の政府見解を「岸田内閣も引き継いでいる」と述べた。立憲民主党小西洋之氏の質問に答えた。

 一方で、首相は、米軍の核兵器の共同使用を前提に平時から日本国内に配備する「核共有」について「『持ち込ませず』とは相いれない」と指摘。「持たず」「つくらず」を含めた非核三原則を「国是として堅持している」と語った。》(東京新聞https://www.tokyo-np.co.jp/article/164239

 「事前協議なしに」寄港できる密約があったなら、民主党政権時代をふくめ前提がひっくり返る。日本政府はこの資料を突きつけられても資料がないとして認めない。真相を明らかにすべし。

 一面の隣には日本人が「難民」に認定されたという記事。

 「日本人カップル、カナダで難民認定/『日本で差別逃れられない』指摘」。日本では、同性愛者や女性であることで受ける差別から逃れられないとして難民申請をした女性同士のカップルを、カナダ政府の移民難民委員会が「日本での迫害に対して(当事者が)十分根拠がある恐怖を抱いている」と認めたのだ。

 国連難民高等弁務官事務所によると、他国で難民認定される日本人は毎年数十人いるそうだ。

 日本から海外に売春出稼ぎに行くニュースを見たが、いよいよ日本は「遅れた国」に沈下していく。

 

 きょうの朝日歌壇に上田結香さんの歌が出ていた。私はこの人のファンで、いつも楽しみにしている。

夜はとても絶望的に長かった勤務後の酒席が義務だったころ 

 昔話にしているが、今はどうなんだろう。上田さん、1月21日の歌壇に以下の歌を詠んでいる。

理由なく辞めたわけじゃないあの時代パワハラという語がなかっただけだ 

 いいですね、上田結香ワールド。

・・・・・・・

 中村哲医師が、パキスタンアフガニスタンの奥地で医療支援をすることになったのは、登山隊のお付きの医師としてティリチ・ミールへの遠征隊に加わったことがきっかけだ。山が好きで珍しい蝶が見たいためだったが、遠征隊が登っていく道すがら、医者がいると分かった村人たちが押し寄せてきた。

 「我々が進むほど患者の群れは増え、とてもまともな診療ができるものではなかった。有効は薬品は隊員達のためにとっておかねばならぬ。処方箋をわたしたとてそれがバザールでまともに手に入るとは思われない。結局、子供だましのような仁丹やビタミン剤を与えて住民の協力を得る他はなかった。」

 「みちすがら、失明しかけたトラコーマの老婆や一目でらいと分かる村人に、『待ってください』と追いすがられながらも見捨てざるを得なかった。」

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  中村さんは、ペシャワールに赴任を決めたことを不条理への復讐だったという

 「当地への赴任は最初にヒンドゥクッシュ山脈を訪れたときの一つの衝撃の帰結であった。同時に、余りの不平等という不条理に対する復讐であった」(『ペシャワールにて』P10-11)

 この一連のエピソードは中村さんの生き方を知るうえで大事だと思い、私と佐高さんの共著『中村哲という希望』の冒頭に書いた。これに関して、最後の「怪物登山家」と称される和田城志さんが『地平線通信』に興味深い一文を寄せている。この78年のティリチ・ミール登山の前後に中村さんと会っていたというのだ。

 和田さんは、「グレートジャーニー」の関野吉晴、『コンティキ号探検記』のヘイエルダールを「越境者」として讃えた後、こう綴る。

もう一人、とてつもない越境者がいる。中村哲である。1978年、パキスタン、ラワルピンディのミセス・デイヴィス・プライベートホテルで出会った。彼は、福岡登高会のティリチ・ミール(7708m)登山隊に医師として参加していた。私は、東部カラコルムのゲントII(7343m)初登頂をねらっていた。

登山を終えて、また同じホテルで再会した。意気投合した。彼は、登山より現地住民の医療環境の劣悪さに心を痛めた。私は初登頂の自慢話を喋り、彼は世の中の理不尽を語った。年齢は3つしか違わないのに、ガキと大人の会話だった。高校時代は学生運動に励んだらしい。医療支援のために、またパキスタンに戻ると言った。生涯の目標を見つけたような口ぶりだった。隊で余った医薬品を寄付してほしいと言われた。その数年後に、国境の町ペシャワールに拠点を築き、アフガニスタンでの活動を始めた。それからの活躍は周知のとおりだ。

彼は、あらゆる境界に対して異議申し立てをしつづけた。国家間の経済格差と侵略、宗教の壁(カトリックの彼がイスラム教のモスクを建設した)、政府と反政府の権力闘争、医療教育と灌漑土木の重要性、常に境界の最前線に身をおいて活動した。思想に普遍性があり明瞭だ。眼光鋭い面立ちには、怒りと慈愛が混在していた。

戦争と飢餓の克服、和平への道筋を世界に示した。あらゆる戦争の当事者たちは中村に学ぶべきだ。自己主張と破壊だけでは何も解決しない。混迷を深くするだけだ。中村哲は、弱きを助け強きをくじく、義理と人情の任侠渡世の人だ。ノーベル平和賞の没後受賞のさきがけになればと願う。

境界を越える人にあこがれる。肉体で語る人にあこがれる。そのようにして磨かれた知性にあこがれる。優勝劣敗弱肉強食だけが、自然淘汰の駆動力ではない。分け隔てなく降り注ぐ宇宙線の御業、繰り返す生と死の突然変異、境界を越えてめぐる輪廻転生、あえぐ宇宙船地球号を導く越境者たちにあこがれる。(和田城志「波間から」その8)
https://www.chiheisen.net/_tsushin/_tsus2024/tsus2405.html

 中村哲さんは登山の直後すでに「医療支援のために、またパキスタンに戻る」と決意していたというのだ。中村さんのすごさにうなった。

 同時に、これを克明に覚えていて中村さんが只者でないことを見抜いた和田さんの眼力にも感嘆する。

 貴重な証言なので、ここに紹介した。なお、補足すると、中村さんはカトリックではなくバプテスト。また、学生運動をやっていたのは大学時代で、警官隊に逮捕された中村さんは最後までカンモク(完全黙秘)を貫き、仲間でもっとも長く留置場に入っていたという。

 ドクダミが白い花を可憐に咲かせている。

 

ミャンマーで攻勢に出る民主派勢力

 最近の海外ニュースから

 北朝鮮の制裁やブリなどを監視してきた国連安保理専門家パネルは、ロシアの拒否権行使により、今月末で活動を停止するが、10日、たぶん最後となる調査結果を制裁委員会に報告した

 これによれば、北朝鮮は97件約36億ドル(約5600億円)相当の暗号資産を奪ったサイバー攻撃に関与した疑いがある。また、パネルのメンバーは約230億円については3月に暗号資産の匿名性を高めるミキシングという方法を使って資金洗浄した疑いがあると語る。そしてサイバー攻撃で得た資金が核・ミサイル開発に充てられているとみられる。3月の報告より金額が増えている。

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 専門家パネルの活動停止で、今後、北朝鮮の不法かつ危険な活動に国連の監視が緩むのではないかと懸念されている。

・・・・・

 ロシア軍がウクライナ各地で攻撃を強めているハルキウへの空襲も激化。

 ゼレンスキー大統領は、パトリオット地対空ミサイルが2基あればと訴える。日本から米国にパトリオットが輸出されたことを先月のブログに書いたが、米国は他国から調達した武器弾薬を備蓄に回して、余裕のできた分をウクライナに渡すというカラクリだ。この2基もひょっとして日本からの2基の「玉突き」提供?・・・。

欧米からの武器支援の遅さにいら立つゼレンスキー大統領(NHKより)

 日本はすでにウクライナへの軍事支援に関わっていることを自覚しよう。

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 アメリカからの軍事支援物資が前線に届くまで、ウクライナ軍が敵を食い止められるかどうか。

 ウクライナ軍は兵員不足に動員強化で臨むが、これに否定的な反応が多いという。一方で、無期限に軍務についている兵士の家族らは不満を募らせている。自分たちの夫や息子はいつ死ぬか分からぬ危険な任務についているのに、動員逃れも多いとは不公平だというのだ。負担は平等にしてほしいと。

 また、動員強化で働き盛りの男性を軍に取られれば、産業界にとっては大きな痛手になる。経済を回せなければ長期戦は戦えない。政府は難しいかじ取りを迫られている。

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・・・・・・

 ミャンマーで民主派勢力と少数民族グループが軍事的に国軍に対して攻勢に出ている。どうやら形勢の逆転はほんもののようだ。

 去年10月末に少数民族武装勢力が民主派の国民統一政府(National Unity Government of Myanmar、NUG)の軍事部門PDF(国民防衛隊)とともに一斉に国軍を攻撃、国軍が総崩れになった。その後、民主派側の勢いは止まらず、全国55の行政区を解放したという。国軍からは1万3千人が離脱・脱走し、全体で2万人の兵力を失ったという。圧倒的な武力の差を士気の高さでひっくり返しているという。

徴兵を嫌って多くの若者が新たにPDFに加わってきたという(15日のクロ現より)

武装闘争を余儀なくされていると語る学生(クロ現より)

PDFの士気は高いという(報道特集18日より)

 国軍は兵員の不足を補おうと徴兵制を敷いたところが国軍に入るよりはPDFに加わって戦いたいと多くの新人が入隊、軍事的に強化されているという。

 先日『夜明けへの道』を新宿K‘sシネマで観てきた。ジャングルで潜伏しながら制作したセルフドキュメンタリー。人気絶頂の著名な映画監督、コ・パウ氏が小さな息子2人と妻をヤンゴンに残して武装闘争に飛び込んだ決死の思いと赤裸々に苦悩を告白する姿に心を揺さぶられた。

コ・パウ監督は軍に反対すると指名手配されジャングルに潜った。CDMは市民的不服従運動。(映画より)

解放区のコ・パウ監督(映画より)

 実はコ・パウ監督が解放区で作った映画が上映されるのはこれが2本目。1本目は『歩まなかった道』で、これは日本在住ミャンマー人コミュニティが支援して日本で上映。そこから世界に広がり、今では62都市で上映されている。映画上映の売り上げも日本が断トツで、ここ日本は民主派支援の重要な拠点だという。

映画上映後のトークでは上映を支援しているジャーナリストの北角祐樹さんが登場。北角さんはミャンマーで1ヵ月拘束された(筆者撮影)

上映後、映画館のロビーで解放区にいるコ・パウ監督にご挨拶した。こんなことができる時代になったのか。

 コ・パウ監督からのメッセージ「この映画の制作の動機は、私たちアーティストも独裁者の革命の中で、自らの人生、成功、家族全員の生活を代償に払ってきたことを知っていただきたいのです。この革命は大きな成果を上げています。最後まで進むべきだと感じています。もう後戻りはできないということを理解していただきたい」

 ミャンマー情勢はメディアで取り上げられることが少なくなったが、しっかり支援しなければと改めて思う。

来日した国民統一政府の教育・保健大臣ゾー・ウェー・ソー氏(クロ現より)

来日したカレン民族同盟議長、パドー・ソー・クウェ・トゥー・ウィン氏

 先日、民主派の幹部が来日したが、日本政府は何のアクションもとっていない。在日ミャンマー人たちは、日本政府がはっきりと国軍を批判することと民主派の国民統一政府を承認して協議することを望んでいる。

若者を政治から遠ざけた「内ゲバ」

 ロシアのプーチン大統領は5月9日、旧ソ連ナチス・ドイツに勝利したことを祝う「戦勝記念日」の式典で、核兵器使用をちらつかせてふたたび世界を恫喝した。

核使用で脅迫するプーチン(TBSサンデーモーニングより)

 ロシア軍はウクライナ第二の都市、ハルキウのあるハルキウ州の国境を越えて激しい攻撃を加えてきた。東部、南部でも攻勢を強めている。

 プーチンはこの侵略を「自衛戦争」と呼ぶ。戦争目的は領土を奪うことではなく、傀儡政権をつくってウクライナをロシアにとって「安全な国」にすることなのだ。だからプーチンは9日の演説でもウクライナを「ネオナチ」と呼び、その転覆をはかる。つまり、それまでは戦争をやめないということである。戦争が長期化するのは明白だ。

 毎週日曜の午後、新宿南口でStand with Ukraine Japanウクライナ支援を訴える活動をしている。募金する人は意外に多く、ウクライナを支援しようという雰囲気はそれなりに広がっているようだ。

子どもが募金していた。12日新宿南口にて(筆者撮影)

 それにしても日本では、ガザのジェノサイドへの批判や自民党の裏金問題をふくめ街頭での運動が非常に弱い。情報が浸透していないこともあるが、知ったとしても行動しない。労働運動の低迷もすでに長い。組合の組織率は低下し、争議もストもなく、政府が経済団体に要請して賃上げが実現するなどという異様な事態になっている。去年夏、西部池袋本店が1日ストライキしただけで「迷惑」の声が上がったのは記憶に新しい。

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 日本の政治・社会運動の不活発さは、欧米とだけでなくアジア諸国と比べても著しい。近年をみても香港、台湾、韓国などでは街頭行動が政権を揺るがす規模で行われてきた。街頭行動に限らなくとも、選挙の投票率の低さを見れば日本人のアパシーのひどさがわかる

 先日書いたように、60年安保から60年代を通して、一般の市民や若者がアクティブに行動する時期があった。それが、いまこれほど人々が「冷えて」しまったのはなぜか。
 いろんな角度から見ることができるだろうが、一つの要因として、60年代末からのいわゆる内ゲバ」が政治活動、社会運動に関わることへの激しい忌避感を社会に醸成したことがあるだろう。

 先日、『ゲバルトの森―彼は早稲田で死んだ』の先行上映会とシンポジウムが早稲田奉仕園で行われた。映画のほとんどは1972年に早大キャンパスで起きた革マル派による川口大三郎虐殺事件を扱っている。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%A4%A7%E4%B8%89%E9%83%8E%E4%BA%8B%E4%BB%B6

シンポ登壇者は左から代島監督、本の著者の樋田毅さん、脚本の鴻上尚史さん(筆者撮影)

映画は25日から全国順次上映

奉仕園スコットホールは満席で現役の早大生の参加も多かった

 この事件自体は、早稲田大学の当局と革マルの癒着による暴力支配の構造が問題であって、内ゲバ事件ではないから、映画のタイトルには疑問を持った。ただ、監督の代島治彦氏の問題意識は、なぜ左翼党派が内ゲバで殺しあったのかにあり、その問題は重要だと思った。

 革マルと中核、社青同解放派など各派のいわゆる内ゲバ」で100人の死者が出ている。また1972年に発覚した連合赤軍同志間の大量殺人は常軌を逸していた。この陰惨極まりない政治運動の顛末は、若者を政治から遠ざけるのに十分すぎる効果を持った。

(つづく)

私がここにいるわけ その2⑤

 アサツキを鉢植えにしていたら、きょう花をつけた

アサツキ

 淡い紫の花が意外にきれいで見とれた。

・・・・・・・・

 連載にしながら、途中で別のテーマを書き出して、すっかり忘れてしまうことがよくある。3月の「私がここにいるわけ」の続きはどうしたんだ、とお叱りを受けて気がついた。失礼しました。

 いくつか注釈。

 連載の③で、テレビのスタジオに招かれた高校生が、「なぜ人を殺してはいけないのか分からない」と発言したがそこにいた著名な識者たちが誰も答えられなかった「事件」について。

 これは1997年夏のTBS「筑紫哲也ニュース23終戦記念特集「ぼくたちの戦争」でのエピソードで、スタジオには、筑紫哲也灰谷健次郎柳美里などの錚々たる顔ぶれがいた。社会に衝撃を与えた「酒鬼薔薇聖斗」が小学生の生首を校門に晒した「神戸連続児童殺傷事件」が起きたのは同じ年の春だった。

 また同じく③で、2000年代には「人を殺してみたかった」、「人を解剖してみたかった」と実験でもするかのような感覚で殺人をする若者が出てきたことについて。次のような事件が続いた。

▪️高3の男子高生が主婦を殺した「豊川主婦刺殺事件」(2000年)

▪️高1の女子高生が同級生を殺した「佐世保高1女子同級生殺害事件」(2014年)

▪️19歳の女子大生が77歳の女性を殺した「名古屋大学女子学生殺人事件」(2014年)

▪️北海道で19歳の男性が同じアパートの住人を殺害した事件(2015年)

 いずれも「人を殺してみたかった」「人を殺す体験をしたかった」と供述している。「佐世保事件」の女子高生は「人を解剖してみたかった」とも語ったという。

 

 では、以下、連載のつづき。これで終わりです。

《新しいコスモロジーとは》

 実はね、伝統的・宗教的コスモロジーが崩れつつあるのは日本だけじゃなくて世界のどこもなんだ。今や近代化の波は地球のすみずみまで覆って宗教を掘り崩している。そして鎖国したとしても近代化の流れは遅かれ早かれ進んでいく。ただ、他の国の崩壊は日本よりゆっくりでなだらかに進行しているのに対して、日本の崩壊スピードが突出して激しいようだ。

 少子高齢化が世界的に進んでいて、そのいちばん先頭に日本がいるよね。伝統的コスモロジーの崩壊も日本が最先端で突っ走っているみたいだ。
 
 じゃあどうしようかってことになるね。

 一つは伝統的・宗教的コスモロジ―に戻ろうという考え方がある。昔に戻ろうの動きは世界の各地で起きている。イスラム社会ではとくに激しくて、イランやアフガニスタンはじめムハンマドの時代に帰ろうという復古主義が興っている。アメリカでは宗教右派が家族の価値を守り、同性愛や堕胎に反対するなどの主張で、トランプ大統領登場を後押しした。日本では自民党右派、日本会議など保守勢力が、かつての「美しい日本」を取り戻そうと、家父長制や絶対天皇制的な価値観を復活させようとしている。でも、近代化は否応なく進むから、昔に戻ることは無理なんだ。世界各地の、昔に戻ろう運動は、長い目で見れば最後のあがきだと思う。
 
 そこで必要になっているのが、新しいコスモロジーだと思うんだ。

 この新しいコスモロジーは、宗教じゃなくて、現代科学をベースにしている。つまり、科学的コスモロジー。だから検証可能だし、新しい発見があれば、それを取り入れればいい。違った宗教ではコスモロジーが異なるけど、新しいコスモロジーは世界中の人が合意できる。宗教戦争みたいないがみあいは起こらないさ。

 ぼくたちはみな、宇宙の一部で宇宙とつながっている。このことを心の底から納得することで、ぼくたちの人生には無条件で意味があること、苦しくとも生きていく使命があることを自覚できる。そして人と人、人と自然が和していくべきだという倫理も明らかになっていく。なにより、宙くん自身が元気になるはずだよ。
 
 とここまで話して時間が来ちゃった。新しいコスモロジーの“すごさ”は次回もお話しするね。

 じゃあ宙くん、今年も元気で過ごそうね。

ストライキがあたりまえの暮らし

 若者による、パレスチナでのジェノサイドへの抗議行動が、アメリカに始まって世界に広がっている。

ジェノサイドを止めるのと卒業とどっちが大事なんだ、と。これに続けて「何が重要かを考えないといけない」と結んだ。この決意表明を「青臭い」と否定したくない。(サンデーモーニングより)

アメリカの大学での運動に感謝のメッセージをSNSで発するパレスチナの子どもたち(サンデーモーニングより)

 これについて田中優子さんがこうコメントしていた。

「先ほど出てきた1960年代の状況、ベトナム戦争で始まったんですね。

 アメリカからドイツ、フランス、イタリアと広まって、日本にも入ってきた。日本では日大と東大で最初起こります。それぞれの大学が持っている問題とベトナム戦争と、つまり身近な問題と世界の問題が当時もつながっていたんです。当時は4年生大学に進学するのは15%くらいですよ。今は50%ですが。学生たちが運動をはじめて65年から69年の間で、全国の大学の80%が何らかの運動に入っていたということが分かっています。高校にも広がっていました。

 ものすごく広い運動が世界中で起こっていたんですね。こんどもそういうふうになるかもしれない。だけれども以前の運動があまり実を結ばなかったのかというと、そんなことはなくて、あれをきっかけにいろんな人がいろんなことに気づいたんですね。気づくということが大事。

 あのときは安保体制って何だろうと思ってた。こんどはね、日本の場合には今私たちが引きずり込まれようとしている軍拡って何だろうとか、アメリカとの関係をどうしたらいいんだろうだとか、そっちの方にも気付いてほしいと思いますね。いろんなことに気づくきっかけになると思います。」(5日の「サンデーモーニング」)

 日本の大学の8割で「運動」があったというのは、あらためてすごいと思うが、さらに前の60年安保のころはデモに参加することは特別なことではなかったようだ。元NHKアナウンサーだった下重暁子さんは、当時をこう回想している。

女優の野際陽子(左)はNHKの1年先輩で名古屋放送局では同僚だった。テレビで若い頃の下重さんを見て私は「NHKのアナウンサーはきれいだなあ」と見とれていた。

 「1年上のディレクターに小中陽太郎さん(作家)もいました。彼らが中心になって、名古屋放送局の労働組合でデモに行きました。デモに行くのがごく普通の時代でした。

 いまNHKのアナウンサーがデモに行ったなんて聞きませんね。今年(昨年)6月にパリに行きましたが、いつ行ってもパリはデモだらけです。舞台スタッフのストでオペラが見られないとか、不便なこともあります。でもそれが日常茶飯事というのは、自分を守るための社会が進んでいる証拠だと思います。日本もかつてはそうでしたが。」(赤旗日曜版23年7月23日号)

 このころと違って、今の日本人は、デモやストライキに対してきわめてネガティブになっている。なぜだろうか。

 これを考えるうえで、ストライキがあたりまえの暮らしについて、フィンランドに住む社会学者の文章を紹介したい。

 「去年の11月から今年の春にかけて、フィンランドではストライキが頻発している。2月初めにはストライキの影響で国内の主要な空港が貨物と人の輸送を停止したため、フィンエアーは約550便を欠航させた。また国営鉄道VRや地方の交通機関ストライキを行っただけでなく、主要都市の各地で公立・私立を問わず保育園も運営を停止した。」

 このストライキは、経営者でなく政治に向けた「政治ストライキ」で、新政権の労働政策への反対を訴えるものだという。すごいのは国民の58%がこのストライキを支持、不支持の35%を上回ったことだ。

 筆者はだんだんストライキに慣れていき、こう考えるようになる。ストライキをする労働者ではなく、彼らがそうせざるを得ない状況に追い込む企業や地方自治体に問題があるのではないかと。

 「私がもし自分の給与が上がることを願い、病欠しても有給が保証されることを願い、自分の権利が侵害されることを嫌だと思うなら、なぜ他人のストライキを迷惑だなどと言えるだろう。だからストライキがあると不便はするが、ストライキは迷惑ではない」さらに―

 「人権を守ることが大切だという『お題目』なら、日本でいくらでも聞いた。けれども、権利を認めさせる方法を家庭や学校や職場で、見たり聞いたり、誰かと一緒にやってみたりしたことは多くなかった」

 「他人が権利を行使したり獲得したりするためにみんなで力を合わせる姿を見ることが普通なら、おそらくストライキをすることは特殊なことではなく、少なくとも『困るけれども仕方のないこと』と思えるようになるかもしれない」朴沙羅(ぱく・さら)氏の「ストライキがある生活」朝日新聞https://www.asahi.com/articles/DA3S15909374.html

 問題は、「他人のためにみんなで力を合わせる」ことができるかどうか、ではないだろうか。
(つづく)

いつか見たいちご白書がもう一度

 94歳の母親が入退院を繰り返しているので、病院に行く機会が多い。そのたびに思うのはガザのこと。砲爆撃で殺される人のその何倍も、医療を受けられないで亡くなる人がいるだろうと思う。

 ガザにはがん患者だけで1万人いる。推定5万人の妊婦がいるとされ、1日平均180人が出産する。避難中に陣痛が来たが出産できる医療施設がみつからず、避難先近くのトイレで出産したが、赤ちゃんは亡くなってしまったという母親もいる。ガザでは砲爆撃で負傷した人すらまともに治療を受けられない事態になっている。

 「床で患者の処置をせざるを得ないほど追い込まれた病院で、多くの子どもが肺炎で命を落としました。何人もの赤ちゃんも予防可能な病気で亡くなりました。糖尿病を抱えた患者、病院が攻撃を受け人工透析が続けられない患者はいったいどうすればいいのでしょう。これは報道されないガザの“静かなる殺害”です」と、MSF(国境なき医師団)の緊急対応責任者、マリカルメン・ビニョレスは問いかける。https://www.asahi.com/and/pressrelease/424710438/

 まさに Gaza's silent killings 静かなる殺害だ。

 映画マリウポリ20日間」では、鎮痛剤が切れるなか、負傷者が呻き声をあげていた。イスラエル軍と同様、ロシア軍も病院を攻撃している。医療機関を破壊することの非人道性に心から怒りが湧いてくる。 
・・・・・・

いつか見たいちご白書がもう一度 (千葉県 品川紀明)

腐っても「いちご白書」の起こる国 (神奈川県 伊藤 亘)

 いずれも「朝日川柳」より。

 「いちご白書」とは、原題The Strawberry Statement。アメリカの作家、ジェームズ・クネンによる1969年のノンフィクションおよび同書を原作にした1970年のアメリカ映画。本は、著者が19歳の時に書かれ、コロンビア大学での1966年から1968年までの体験、特に1968年の抗議行動(1968 Columbia University protests)および学生抗議者による学部長事務所の占拠についての年代記となっている。(wikipediaより)

 大学に警官隊が突入して映画は終るが、排除される直前の学生たちが声を合わせて歌ったのが「平和を我らに(Give peace a chance)だった。

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 即時停戦を求める安保理決議に4回も拒否権を使って葬ったアメリカ。文字通りのジェノサイドを連日進めるイスラエルを巨額軍事支援で支えるアメリカ。そのアメリカで若者たちが「虐殺への加担」への批判を噴出させている。デモ行進や座り込み、ハンガーストライキ、そしてキャンパス内での野営、占拠などの抗議が全米の大学に広がり、警官隊の突入が相次いでいる。大学がここまでの事態になるのは、ベトナム戦争反対のデモが全米に吹き荒れた1960年代末以来だ。

サンデーモーニングより


 アメリカの大学は独自の資金運用で運営されていて、多くの企業に投資している。学生たちは、イスラエルでビジネスをしている企業やイスラエルの組織と取引をしている企業はガザのジェノサイドに加担していて、それらの企業に投資している大学も同罪だと主張している。学生たちは大学当局にこうした企業への投資をやめろというのだ。
デモ隊の多くは4月末から、大学の要請を受けた警察の介入によって鎮圧・退去された。

 多くの大学がデモ隊一掃に乗り出したのは安全や秩序だけが理由ではなく、大学が「反ユダヤ主義を煽っている」と見られるのを恐れたためだという。
今年1月、ハーバード大学で有色人種の女性として初めて学長に就任したクローディーン・ゲイ教授は、在任わずか6ヶ月で辞職に追い込まれた。きっかけは「ユダヤ系学生の安全に熱心でない」とみなされ、ホワイトハウスや議会からも非難にさらされたことだった。 「反ユダヤ主義」のレッテルを貼られることはそれほど恐ろしいらしい。
 
 ということで、全米40以上の大学で2300人以上が逮捕・勾留されている

 アメリカの超大国としての犯罪性は突出している。しかし、同時に人々が声を上げ、ジャーナリズムが批判精神を失わないところは、やはりすごい。プラスマイナス含めておもしろい国だと思う。

 大学での抗議はオーストラリア、カナダ、フランス、イタリア、イギリスのキャンパスにも広がっている。日本でも先日、早稲田大学で抗議集会があったという。

 

 若者が声を上げるのを見るのはうれしいし私も勇気づけられる。しかし、日本の若者の動きは世界のなかではかなり「にぶい」。デモや集会は「悪いこと」だと思う若者が多いという。いや若者だけでなく、日本社会全体として「声を上げる」ことがタブー視されている。

 これをどう考えたらいいのだろうか。

戦争取材の意味―「マリウポリの20日間」を観る

 マリウポリ20日間』の全国上映が始まった。

 すばらしい映画で、多くの人に観てほしい。ロシア軍が攻め込んでに包囲されるなか、ウクライナ侵攻の実態を命がけで伝え続けたAP取材班の映像で構成され、ウクライナ映画史上はじめてのアカデミー賞受賞作品となった。

 最初から終わりまで、映像が描く戦争のリアルに圧倒された。また、戦争の現場になぜジャーナリストがいなければならないかを雄弁に物語っており、この作品の第二テーマと言えるだろう。

 ウクライナ東部のドネツクマリウポリは、ロシアが侵攻した2022年2月24日から激戦となり、最後は兵糧攻めにされながら5月20日ウクライナ軍降伏まで抵抗し続けた。

人口40万人の町の90%が破壊されたという(写真はNHKBSの番組より)

 ロシア軍が攻め込んでくるとジャーナリストはほとんど町から避難したが、AP通信(米国の通信社)取材班(ウクライナ人スタッフ)はそのまま残って取材を続けた

 はじめ市民たちはロシア軍は民間人を標的にしないだろうと自宅に留まっていたが、住宅地が砲爆撃を受ける。住民はパニックになるが、町が包囲されはじめ、逃げ場を失っていく。

 病院には次々に民間人の犠牲者が運び込まれる。幼い子どもたちが次つぎに息を引き取る。サッカー中に爆撃を受けた少年も。泣き崩れる親たち。

ロシア軍は緒戦からクラスター弾を市街地に落としていたことが分かる

 瀕死の負傷者が次々に運び込まれ、医師がカメラに叫ぶ「これを撮影しろ!そしてプーチンに見せろ!」と。鎮痛剤も切れ、治療に呻き声をあげる患者・・目をそむけたくなるシーンがつづく。廊下には負傷した人とその家族や行き場所を失った市民があふれる。

遺体が病院の外にまで置かれている

 通信施設が破壊され、テレビやネット、電話も切れてロシアのラジオ放送しか聞けなくなり、まともな情報が入らなくなる。最後の消防署が攻撃され消火活動もストップ。撮影を拒絶しカメラに向かって罵る人。商店に押し入って略奪する市民たちとそれに憤慨して怒鳴る兵士。「戦争はX線だ、人間の内部を見せる」という医師の言葉が印象的だ。取材スタッフもウクライナ人だが、同胞を美化したり英雄視したりせずにリアルに記録していく。

多くの死。その中で新たな命が生まれる。仮死状態で生まれた赤ちゃんがついに産声を上げると、医療スタッフが泣いた。

 この映画には私たちが当時観た映像がたくさん登場する。爆撃された産科病院のシーンは日本を含む世界に大きな衝撃を与えた。病院を攻撃するという戦争犯罪にあたる残虐行為を暴いたからだ。

産科病院が爆撃され、赤ちゃんを抱いて泣く母親。

この妊婦は、致命傷を負って、胎児とともに亡くなった。先に胎児が死んだことを知り「殺して」と叫んで息絶えたという。

彼女は役者で、全部が映画のセットで撮影されたとロシアが主張。

 ロシアはこれをフェイクニュースだとして、外相から軍の報道官、ニュースまでもが「反論」した。歴史に残る醜態である。なお、映画ではあの妊婦たちのその後も追っている。

テレビニュースで「フェイクニュース」だと放送。

外相までが「当時この産科病院はウクライナの過激派に占拠され、妊婦や看護師らは皆現場から排除されていた」と主張。

おなじみのロシア軍報道官。「あの空爆とされるものは演出された徴発行為だ」

 記録する者がいなければ、戦火の中にあるマリウポリで何が起きたのかを私たちは知ることができなかった。AP取材班の存在がいかに重要だったか。

 ロシア軍がついに市内に突入、APが詰めていた病院にも戦車が迫る。ネットも電話も切れて映像を送れなくなった取材班は、映像素材を送る方法を模索する。そこで、市民と兵士が取材スタッフをロシア軍の包囲を突破して脱出させるという危険極まりない行動に出る。「マリウポリで起きたことを世界に知らせてくれてありがとう」と感謝しながら。

脱出行はまさに命がけだった。ハラハラさせられた。

 命懸けで脱出させた理由を、一人の警察官が取材スタッフにこう告げた。

「もしロシア側があなたたちを捕えれば、あなたたちは、カメラの前に立たされて、今まで撮影したものは全てウソだと言わされます。マリウポリでのあなたたちの尽力や取材の全てが無駄になってしまうのです」

 戦争取材の意味、報道とは何かをあらためて考えさせる。今年一番のおすすめ映画です。

 なお、とくに危険地に取材スタッフを派遣しない日本の企業メディアの関係者は、じっくり観て反省してもらいたい。

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