パスト ライブス/再会


君にずっと会いたかったー
24年間すれ違った運命の相手とNYで再会の7日間、ふたりの恋のゆくえはー。
世界中が共感し絶賛!せつなさが溢れる大人のラブストーリーの最高傑作!

原題:PAST LIVES
監督・脚本:セリーヌ・ソン
撮影監督:シャビアー・カークナー
編集:キース・フラース
プロダクションデザイン:グレイス・ユン
衣装デザイン:カティナ・ダナバシス
音楽:クリストファー・ベア、ダニエル・ロッセン


「甘酢if系なのかな?絶対好きだろうなー」と思ってはいましたが、大好きでした!恋愛映画というよりは人生の映画だったし、監督の感覚がとても好き。人種で括るつもりはないけれど、やはり『ハーフ・オブ・イット』のアリス・ウー監督、『フェアウェル』のルル・ワン監督と通じるような、アジア系異邦人的な繊細さや切なさや軽やかさを感じました。

まず、冒頭から「あー!この監督好き!」となってしまった。同じ場所に居合わせた見知らぬ人たちの関係性当てゲーム!"and you? and you?"をくり返して笑う英会話。こういう細部の描写が光る映画、好き……。

映画全体に仏教的な思想観念が漂う。「何かを手に入れるために何かを失う」「袖振り合うも多生の縁」。タイトルの『PAST LIVES』は前世を表すと同時に、2人の男性を象徴してもいておもしろい。

まずは、主人公のノラ(ナヨン)が魅力的。演じるグレタ・リー曰く「三角関係の真ん中にいても大丈夫な人」。恋愛至上主義ではなく、きちんと野心や仕事や現実に折り合いをつけて、今の自分に納得しているように見えるけれど、夢は母国語で見たりするアイデンティティの複雑さもあって、新時代のヒロイン像だなぁと感じ入りました。

「PAST」担当ヘソン。「今は何の賞を目指してるの?」と言ってしまえるような、圧倒的な過去と若さと純粋さの象徴。それがとてつもなくまぶしいしなつかしいし郷愁を誘うけれど、今は取るべきものじゃない、という道筋が本当に納得できる。本人も鼻息荒く略奪しにくるわけでもなく、ただ「確かめたい」という思いが強いように見えて良かった。電車でいちゃつくカップルを横目にナヨンをググってみたり、強メンタルを自認したりしているのもかわいい。ワイングラスが置いてあるノラの部屋とソジュを飲みまくる居酒屋でのヘソンとの対比も良かったな。

ヘソンとの最大のif分岐は24才の時のNYに来る/来ないだと思うけど、もしヘソンが来ていたら、ノラの今の仕事はなかったんだろうな。ノラならそれでも退路を断って夢を追ったかもしれないけど。

そして、「LIVES」担当アーサー。いいやつすぎて気が遠くなりました。

この席の並び……!コラーッ!(しかもバーのくだりは監督の実体験)
わたしだったら絶対に無理です…。Uber待ってる間、他人事(しかもフィクション)なのに発狂しそうになったよ……。でも、アーサーがこういう人だからこそ、ヘソンが「僕と君も前世では縁があったんだろう」「来世では 今とは別の縁があるのなら…、その時会おう」に行き着くんだよね……。3人とも地に足ついていて自律できてえらい。おとな。
監督が(おそらくパートナーと重ね合わせて)「アーサーがあの場所に座っているのは強さの表れ。私にとって、これほどセクシーなことはありません。」と語っているけれど、「追う」「奪う」ではなく「待つ」「理解する」男性像もまた現代的だなぁと感じました。

www.nippon.com

監督があの地獄のUberタイムを「長すぎるようにも、また短すぎるようにも感じてほしかった」と語っているように、映画全体に矛盾するものをまるっと抱え込んでくれるような度量を感じた。子ども時代への一瞬のカットバックがもたらす、言葉では言い表せない気持ち。

あの時のあの子を愛した過去の自分も、振り返らずに今を生きていく自分も、来世に縁を託す自分も、それでも気持ちがあふれてしまう自分も、全部抱えていてもいいし抱えきれなくてもいい。ただ生きていけばいい、という空気感があった。監督曰く、「12才の時きちんとできなかった『さよなら』を24年後にする映画」「大人になるために最善を尽くす3人の物語」。その言葉だけで泣きそうになる。


また、グリズリー・ベアの2人による音楽がすごく良くて。鑑賞後余韻に浸りすぎて、サントラ聴きながらしばらく散歩してしまいました。


www.gqjapan.jp


★★★★★

東京バレエ団『上野水香オン・ステージ』


Kの『眠れる森の美女』で「バレエ鑑賞良い~~~!」となったあと、「さて、次は何が観たいかな~」という時、「ボレロ観たい絶対絶対!」と狙いを定めておりました。(ミーハーすぎてつらい。)『ボレロ』を踊れるのはモーリス・ベジャール・バレエ団に許可されたバレエ団とダンサーのみ。日本だと東京バレエ団で、メロディを踊ることを許されているのは上野水香と柄本弾だけ。この公演のチケッティングの少し前に、なんとその上野水香様が紫綬褒章を受章することが発表されたため、がぜんチケッティングに緊張感が…。案の定、母と妹も「できたら観たいな…」と言い出したのですが、なんとかがんばって3人分のチケットをゲットすることができました。

さて当日。紫綬褒章受章の影響もあるのか、老若男女が幅広く観に来ている印象。とくに男性の多さは今まで観たバレエ公演の中でまちがいなくトップでした。おそらくバレエを観たことない人や本来は興味のない人もいるんだろうなぁ。まだバレエ鑑賞に慣れていないわたしもオペラグラスを忘れてしまい痛恨。

開演。まず、「オン・ステージ」ってなによ?と思うでしょうが、まさに「オン・ステージ」でしたね!ミニマムかつスタイリッシュなセットで、上野水香さんの踊りをひたすら堪能できるつくり。

第一部は『カルメン』。アロンソ版はじめて観たのですが、美術もあいまってコンテっぽくて楽しかったです。上野さんのコケティッシュな魅力が全開。本当にスタイルが異次元すぎて「語彙消失とはこのことか…」と思い知りました。顔小さい!手足まっすぐ!細い!長い!もうずっとこのワードが脳内無限ループ。その手足を限界まで使い切って踊っているのだから、「うそでしょーーーながーーー」とまず感動してしまいました。また、この長いアームスの軌跡のうつくしさと言ったら……!踊りながら図形を描いているよう。動きの始末がはっきりしていて、振りがとても正確なので、「これはこういう振りだったんだなぁ…」と改めて振付をフレッシュに感じる瞬間があり、振付師への敬意を感じました。ホセ役の柄本弾さんのエモさは言わずもがな、運命(牛)役の伝田陽美さんのキレッキレの踊りもとてもすてきでした。

第二部は東京バレエ団の抜粋『ドンキ』。運営の推しはこの子でっせ~!がはっきりわかるところが伝統芸能~~~!を感じました。(きっと歌舞伎とかもそうだよね?)欲を言えば一日目の秋山瑛さんを観てみたかったのですが、涌田美紀さんのキトリは溌溂としていて似合っていました。バジル役の池本祥真さんはしなやかでのびやかで華があって、誰が観ても次のプリンシパル!という感じで眼福でした。
Kと比べると団員の層の厚さや群舞のレベルの高さが目立ち、個性や外連味が楽しいK、技術とアート性の東バというカラーなのかな?と感じました*1。次は新国立劇場バレエ団とも見比べてみたいです。

再び、水野&柄本コンビ登場でローラン・プティ の『タイス』。しっとりと染み入るような詩情豊かな作品。とくにスカートのひるがえりが最もうつくしく見えるように計算されたような、コントロールされた回転がすばらしかったです。

そして、第三部は待ってましたの『ボレロ』!15分休憩で『タイス』から切り替えるの神業!!本当にこの曲とこの振付かっこいいよーーー!!!メロディの踊り、リズムたちとのバランス、観ている側の状態で、受け取り方が無限になると思うし、祝祭感といい「好き」が詰まっている作品です。

まず、あの赤い舞台に立っているだけでオーラを放つ上野さんの佇まいとパーフェクトな肢体よ!選ばれし者しか上がれないということを観客に一発で納得させてくれます。やわらかくしなやかな出だしから、徐々にリズムに押し上げられるように激しくパワーに満ちていく踊り。『ボレロ』だととりわけ水野さんの手の大きさ/指の長さも光り、全身から繰り出される明晰な振りが、魔法使いのようにリズムたちを指揮していくように見えました。『昴』でも『ボレロ』は特別なナンバーとして描かれているけれど、やはりちょっと超常的で魔術的な、ドラッギーな力のある作品だなぁと体感しました。映画を好きでいると「作り手と作品を分けて考えるべきか」と悩む状況に立たされることがあるけれど、途中「上野水香さん本人の人間性がどうであろうと関係ない!」とはっきりと思ってしまった瞬間がありました。最後はみんなスタンディングオベーション

もうすでにまた観たくなっている自分がいるもんね。第二子誕生以来ひたすら利便性重視でワンレンボブにしているけれど、一瞬前髪パッツンロング目指したい気持ちが芽生えたもんね(影響されやすすぎる)。そんな波動を浴びたおかげか、噓みたいだけど、翌朝顔がツヤッツヤになっていました。1977年生まれだなんて信じられないし、末永く踊りつづけていただきたいです。

追記:やっぱり!祝!
thetokyoballet.com

*1:大昔、なぜか東京バレエ団の子たちとクラブで遊んでいた時期があったので、もっとそんな話聞いておけばよかったな

デューン 砂の惑星 PART2


原題:DUNE: PART TWO
監督・脚本:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
脚本:ジョン・スパイツ
撮影:グレイグ・フレイザー
編集:ジョー・ウォーカー
美術:パトリス・バーメット
衣装:ジャクリーン・ウェスト
音楽:ハンス・ジマー
視覚効果監修:ポール・ランバート
原作:フランク・ハーバート


歴史を目撃してる感ーーー!子どものころ観てたらめちゃくちゃ影響されただろうな~と思いながら観ました*1。サンドワーム・ライドやレベッカ・ファーガソンの万能VOICE、あこがれるしかないっしょ!SWでナウシカでMAD MAXでオールスター感謝祭なのに、上品かつシックにまとまってるのすごい!!!個人的にはドゥニ・ヴィルヌーヴのフィルモグラフィがこの作品に収斂されているような気もして、胸が熱くなりました。

壮大な大河ドラマを通して、政教が結びつくことのおそろしさ、戦争の原理、個人か世界かの選択など、現代に未だ通じる重いテーマが描かれていくが、あまり説明をせずにキャスティングや演技でのみこませてしまう手際がスマート。シャラメのスター性とかすかな傲慢さ(「僕なら許される」だと…!)、ゼンデイヤの良心性や思慮深さ、オースティン・バトラーの狂犬イキり、ピューが語る声、アニャの眼力、など神キャスティングが光る。

そして圧倒的なビジュアルと音響による映画ならではの昂揚感!(IMAX!!!)響き渡る重低音。広大な砂漠を渡るスパイスのきらめき。巨大浮遊物体*2が燃えて落ちるさま。ゴジラさながらに待ってました!な登場をキメるサンドワーム。モノクロV8!V8!V8!からの表義文字っぽい花火。
わたしはこういう大作観るとどのモブになりたいかなーと考えることがあるのですが、今回は断然闘技場の悪魔黒子ですね!長い十手みたいなの持ってるやつ!

あとエンドロールでめちゃくちゃ笑っちゃったんだけど、あの曲に「HARKONNEN SPA MUSIC」ってタイトルつけたのハンス・ジマー?www


★★★★★

*1:そもそもリンチ版にめちゃくちゃ影響受けてるのですが

*2:音速飛行とかじゃないのがヴィルヌーヴらしい

マエストロ その音楽と愛と


原題:MAESTRO
監督・脚本:ブラッドリー・クーパー
脚本:ジョシュ・シンガー
撮影:マシュー・リバティーク
編集:ミシェル・テゾーロ
美術:ケビン・トンプソン
衣装:マーク・ブリッジス
特殊メイク:カズ・ヒロ
音楽:レナード・バーンスタイン


始まった瞬間からブラッドリー・クーパーの肩ブン回しが感じられ、「リッチでクラシックな映画観させてもらってるわ~」という気持ちになりました。ただ、あらゆる面で「自分とはかけ離れた世界」というよそよそしさがぬぐえず、序盤はわりと引き気味な鑑賞に。

ぐっと惹きこまれたのは中盤。『落下の解剖学』に引き続き「これは夫婦地獄モノだったのか!」という展開になり、キャリー・マリガンここにあり!という演技が堪能できる。どんなにビッグカップルであっても陳腐化してしまう夫婦の事情だが、はじめからフェリシアに覚悟があって彼女の方から説得したような形で結婚に至ったことで、とても複雑な感情が描かれぐっと地獄度が増す。最高です!(別に二人に不幸になってほしいわけじゃないんだけど。)

ただ、この地獄を突破するターニングポイントとなるのが、結局彼女が信じた彼の「音楽」と「才能」なので、感動はしつつもまたちょっと世界が離れていってしまった。
『TAR』を思い起こさせるような要素が多いのだけれど、バーンスタインにはTARほど入れ込めなかった、という感じ。レナード・バーンスタインの人生の喜怒哀楽、業と性を描き切ろうという熱意は感じたものの、個人的にはフェリシア周りの描写が一番おもしろかった。キャリー・マリガンには早くオスカー獲らせてほしい。

あと個人的には、天使マヤ・ホークを筆頭に子どもたちが奇跡的に良い子すぎて、「ふぅん…」となってしまった。たぶん本当に良い人たちなんだろう。
www.bbc.com


★★★★

アメリカン・フィクション


第96回アカデミー脚色賞

原題:AMERICAN FICTION
監督・脚本:コード・ジェファーソン
撮影:クリスティナ・ダンラップ
編集:ヒルダ・ラスラ
美術:ジョナサン・グッゲンハイム
衣装:ルディ・マンス
音楽:ローラ・カープマン
原作:パーシバル・エベレット


センス良~~~。皮肉とユーモア、風刺とエンタメ、キャッチーなプロットといぶし銀のドラマ、などバランスがとても良く、かなり色々な要素が詰まっているのにすっきりまとまっていて観やすかった!扱っている問題の現代性、取り上げ方の鋭さ、メタ構造(オスカー受賞まで含めて)のキレとは裏腹に、ほっこりした仕上がりになっている不思議な作品。主人公モンクの皮肉屋ぶりに姉が「そういうとこ!」と怒りつつも思わず笑ってしまうシーンがあるのだけれど、全編を通してこういった絶妙なバランスが保たれていたと思う。ストーリーを練っていると眼前でドラマが始まる演出も楽しかった。

展開の中心となるのは、「自分の好きを仕事にするか?求められる仕事をするか?」というみんなが共感できる悩みとレイシャル・バイアスとの掛け合わせなのだけれど、終盤の描写などを見ても今後ますますアジア人のターンになっていくだろうな…という気がした。

ラストも気が利いていて「オッシャレ~!洒脱~!」となりました。
ただ個人的には、「どうしても劇場で観たかった!」とか「オスカー受賞作!」とか「すごく心に残る!」というタイプの作品ではなく、「愛すべき拾い物」枠の作品、という感触でした。


★★★

落下の解剖学


雪山の山荘で、男が転落死した。
男の妻に殺人容疑がかかり、
唯一の証人は視覚障がいのある11歳の息子。
これは事故か、自殺か、殺人かー。
第76回カンヌ国際映画祭パルム・ドール
第96回アカデミー脚本賞

原題:ANATOMIE D'UNE CHUTE
監督・脚本:ジュスティーヌ・トリエ
脚本:アルチュール・アラリ
撮影:シモン・ボーフィス
編集:ロラン・セネシャル
美術:エマニュエル・デュプレ
衣装:イザベル・パネッティエ


羅生門型ミステリを入り口にして、『マリッジ・ストーリー』の如き夫婦間の地獄、事実と想像を混ぜることの危険性、それを(たとえ脳内であっても)映像化することの暴力性、さらに「結局人間は他人の一部しか知ることができないし、それを基に主観(あるいは覚悟)でもって判断を決めるしかない」という他者との関わりにおける根本的なおそろしさ*1にまで到達していく。観客は被害者、容疑者、法曹、障がいをもつ子ども、介助犬、果ては自分自身にまで疑いの目を向けなければならず、さらに使用する言語やピアノの旋律、人物の配置や家族の写真などのキーアイテムにも細かく気を配らなければならないため、どっと疲れる映画だった。

よくできた映画だとは思うのだけれど、個人的にはあまり好きになれなかった。緻密に配置されたキャラクター造形が単なるプロット・デバイスになってしまっている気がして。ただのミステリならそれでもかまわないと思うのだけれど、ここまで人間を描くドラマだとさすがに気になった。

あとは、たとえ「真実」など無意味で観客の思考に委ねられる映画だとしても、一応監督の中で「真実」を固定しないと、観客が思考を巡らせる意味がなくなってしまう気がした。あの捜査・証拠・裁判の内容だと、最初から真相がどうでも良すぎて、「それはすべての材料が曖昧すぎて判断できないよ…」となってしまう。疑問点や矛盾点に思える部分を解消しようとする人が出てこないので、観客が「真実」をどうとでも取れるのは当たり前だと感じてしまう。同じような志向の『三度目の殺人』でも全く同じことを感じたので、完全に個人的な好みの問題なのだけれど…。

犬の判断材料もっとくれ

あとは、やはり「犬」描写ですね……。あの実験について、わたし法廷開廷⇒即有罪判決となってしまったため、その後は正直かなり気をそがれてしまいました。これも監督が観客の倫理観や地雷をあぶりだすための演出だと思うし、その上で登場人物の好き嫌いについて話したり「怪物だーれだ」を考えたりするのは楽しいとは思うのですが。

ちなみにわたしが一番好きなのは(人間なら)ザンドラです(たぶん監督の思惑通りだけど)。犬を従えし女。


★★★

*1:このへんはちょっと『怒り』を思い出したりもした

ボーはおそれている


ママ、きがへんになりそうです。

原題:BEAU IS AFRAID
監督・脚本:アリ・アスター
撮影:パヴェウ・ポゴジェルスキ
編集:ルシアン・ジョンストン
衣装:アリス・バビッジ
美術:フィオナ・クロンビー
音楽:ボビー・クルリック


もっと早く行きたかったんだけど、家庭内での胃腸炎~インフルエンザのリレーで2月はほとんどつぶれてしまいました…。夫とわたしは映画の好みが全くちがうのですが、気づくとアリ・アスターは2人で観に行っています。

eiga.com


さて、アリ・アスターの新作はいつもの如く、トラウマ映画でありセラピー映画という唯一無二の作家性・全開。今回はコメディで、母の支配とユダヤ教の戒律というモチーフが明確にあり、あまり緊張せずに楽しめた。めちゃくちゃ笑った。

miyearnzzlabo.com

ユダヤの戒律をある程度知っていた方がよりおもしろがれると思う。


母(=宗教)の教義に沿えず、ひどい目に遭い続けるボーを観ているとなぜだか不思議と、支配なんてクソくらえだし、戒律なんて従わなくて良し!という気持ちがわいてくる。これは無宗教な日本人ならではの味わいだと思うのだけれど、内にいる者にとっては逆らえない絶対の教えでも、外から見れば守る意味もない理不尽なものに見えるという点で同じようなものに思えてくる。

今回毒親側の心情も吐露され、親である自分はちょっとだけ気持ちがわかる部分もなくはない。そもそも親子という関係性はエグい。お互いを選べず、絶対的な力関係があり、親は子を支配し、子は親から(ある種)搾取する。そしてお互いを罪悪感で縛り合う。しかし、どんな親子にもそういう面があると思うと、絶望する反面諦めもつくし気が楽になるのもたしかだ。

179分かけて壮大なスケールで繰り広げられる親子プロレスを見届けると、その不毛さは骨身にしみる。ボーが母に叱られてるとき、ピィピィさえずってるようにしか認知してないさま、わたしもされてそうでこわいよ……。あと、ホアキン・フェニックスがめそめそするさまが、すごく子どもっぽくてよかった。


それにしても、マライアの超名曲(なんなら甘酢な思い出すらある)をあんな使い方(しかも天丼)してくれちゃってどうしてくれるの……!!!一生忘れられないんだが!!!マライア許諾すんなしwww

わたしはアリ・アスター作品の祝祭感が大好きなのですが、今作にはそれはあまりなかったのがちょっと残念だった。次作はまたホアキンと組んでウェスタン・ノワールらしいけど、いつかまた祝祭みをください……。



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★★★★