しらけどり映画大賞2011

いよいよ年末以外にここを更新しない状況に突入してしまったが、ツイッターの世界ではしっかり生息しているのでご安心を。今年は、もう数えたくないけれど、とにかく大量の映画を観た。間違いなく最多を更新している。1日に4本ハシゴするような乱暴な真似をしていると、平日まともに働いている人間でも、120本ぐらい何とかなることがわかった。ただし、それ以外にいかに何も用事がなかったかが証明されるため、そろそろ周囲から心配されはじめていることは否定しない。
さて、とにもかくにも日本映画だけでも100本は観ているはずなので、なんの責任も伴わないこんな選考でも、たいへん悩んだ。悩みぬいたベストテンはこんな感じ。
なお対象作品はこちらをご参照を。今年観た新作の日本映画すべてです。

2011年作品十選(数字は順位)

1. 東京公園
2. マイ・バック・ページ
3. 八日目の蝉
4. モテキ
5. 洋菓子店コアンドル
6. 岳 -ガク-
7. スマグラー おまえの未来を運べ
8. 一枚のハガキ
9. 吉祥寺の朝日奈くん
10. 白夜行
映画を1本観ると、前日に観た映画のことを忘れてしまうので、ちくちくと採点表をつけているのだが、評価基準の難しさをあらためて感じた。採点表をそのまま降順にソートすればベストテンになる、というのは遠い夢の話らしい。しかし今年の1位はすぐに決まった。観終わったとき、これしかないと思った。ウェルメイドなどという使い慣れない言葉を、こんなに気持ちよく使える作品も珍しい。2の質の高さは、何度も見返して気づくような気がする。そのぐらいストーリーの進め方がすばらしかった。3も文句なく名作。あの、拘束された希和子の最後の一言が忘れなれない。
4は愛すべき作品だと思う。圧倒的に支持したい。例年、4位はそんな作品が多い気がする。5は深川監督のうまさが存分に発揮されている。映画のすばらしさを再認識する。6もうまい映画だった。登山が面白そうに感じたが、気にせいだろう。7はえぐい。顔をゆがめながら、あの狂気を大いに楽しんだ。8はお見事。あの年齢にしてこの映画。とてつもない重厚感があった。9は今回のダークホース。とにかく好きな映画。10はふたたび深川作品。最近、昭和を遠く感じてしまうが、たった23年前なのだ。
昨年同様、どうにもベストテンだけで片付かなかったので、20位まで作ってしまった。
11. アントキノイノチ
12. 一命
13. 家族X
14. ショージとタカオ
15. 恋の罪
16. 奇跡
17. エンディングノート
18. UNDERWATER LOVE-おんなの河童-
19. 指輪をはめたい
20. トーキョードリフター
今年はドキュメンタリーが面白い年でもあった。偶然というより、ただの記録映像とは違う、見せることを意識したドキュメンタリーが、この国で成熟してきているのだろうと思う。18は、面白いものを見つけてしまった喜びをここに示さないわけにいかなかった。20は震災とともにありつづける。切なさでもあり、悲しさでもあり、怖さでもあり、あるいはおかしみでもあるようなものが、独特の速度でやってくる一年だった。
ほかにもいろいろ取り上げたかったが、『冷たい熱帯魚』を20位以内に入れられなかったとき、だいたい観念できた。

2011年主演十選(五十音順)

太字は最優秀賞的なものだと解釈願いたい。今年は、出てくるべき人がきちんと出てきた。原田芳雄の遺作は本当にすばらしい演技だった。氏のもつコミカルな側面がスクリーンで観られたのは幸福といっていい。助演だが『奇跡』もよかった。深津絵里のチャーミングな演技もすばらしい。三谷監督とできてんじゃないかと思うほど。ほか、竹内結子妻夫木聡森山未來といった僕と同年代が顔をそろえられたのはただただうれしい。3人の主演作を並べると、さながら日本の戦後近代史をたどっているような気さえしてくる。

2011年助演十五選(五十音順)

ここまでくると、かなり趣味の世界が顕在してしまうが、そんなものだろう。こうやって見ていると、『大鹿村騒動記』がベストテンに入らなかったのが不思議だ。『冷たい熱帯魚』のでんでんは圧勝だ。蒼井優池脇千鶴も久しぶりにこうして名を挙げてみた。彼女たちのような芸達者は常に高く評価したいところではあるけれど、どうしても新しい発見がほしくなって、ついつい辛口になってしまいがちである。今年、宮崎あおいが入っていないのもその所以。それにしてもちいちゃんは、年相応のいい味わいがスクリーンに出ていて、観ていてほっとする。
永作博美松たか子も芸達者のひとり。お見事の一言に尽きよう。そして今年は長澤まさみイヤーだったことを深く心に刻みたい。『東京公園』のふたりもすごかったし、高嶋兄弟は何かが壊れている。星野真里のかわいさも特筆もの。

2011年新人十選(五十音順)

毎度のことだが、新人は選びにくい。むかしのキネ旬の基準に沿って選ぶのだが、子役が多くなる。しかし最近の子役はサイボーグなので、子供の割りにいい演技だなどと軽々しく評価してはいけない。あくまで、でんでんと同じ土俵で勝負させたい。今回、印象的な新人らしい新人として名前を挙げられたのは、相葉香凛有村架純菊里ひかりぐらいだろうか。
そんななか、まだいちども作品について触れていなかったのが『さや侍』。ここでこの作品の名前を出せてよかった。ラスト、竹原ピストル演じる僧侶が読む手紙によって、野見隆明の不器用さが奇跡的な味わい深さに昇華する。あれは新しい感覚だった。
さて、来年もまた、どういうわけか映画館に通いつめるのだろう。感想はツイッターで書くようにしたい。あの文字数がちょうど双葉十三郎の映画評と同じぐらいで理想的なのだ。あれぐらいで作品全体の評価を存分に書けるように、なんとか言葉の鍛錬をしたいところである。ではまた来年。

老人のための映画館講座(再掲)

年に何度か遭遇する、ものすごく平均年齢の高い劇場。これに遭遇するたびに、これでもこの国を作ってきた立派な人なんだろうかと思ってしまう。そこで、再掲。
高校生だらけの劇場もうるさいので気をつけなくてはならないが、彼らの場合、本編が面白くなるとだいたい静かになる。なので、とくに注意したこともないし、刺されたこともない。
しかし老人は厄介である。彼らは、本編中のほうがけたたましい。何度か注意したことがあるが、今日は老人だらけということもあり、目に余る動作が多かった。
きっと、映画館でどうすごしたらいいのか分からないのだろう。そう思うことにして、ここに、老人向けハウツーを記しておく。これだけ守れば、お行儀よく映画を観られて、誰も不快にならず、作品に集中できる。

劇場が暗転するまでに席に着きましょう

暗くなってから、近くの客に「あなたの席は何番ですか」などと尋ねないようにしましょう。座席表は劇場の入り口にあります。もしもの場合はそれを見てから入場しましょう。

帽子は取りましょう

帽子は日差しのあるところだけで十分です。後ろの席の視界をできるだけ広く保ちましょう。また、本編が終わっても、すぐに帽子をかぶる必要はありません。まるでどこかの布教活動みたいです。

携帯電話の電源を切りましょう

この常識を老人が守れない理由が分からないと思ったのですが、どうやら、電源の切り方を知らないようです。前日に練習してきましょう。マナーモードもやめましょう。老人は電話が着たら、出ますから。

食べたいものは事前に取り出しましょう

本編が始まってからカバンのお菓子を出し始めるのも老人の特徴ですが、うるさいです。とくにお菓子のパッケージに使われているビニールは、音が大きく、とても不快です。あらかじめひざの上に置く、袋を開けておく、というぐらいのことはしましょう。個包装してあるものは控えましょう。

草加せんべいを食べないでください

ただでさえバリバリとうるさいのに、入れ歯だとなお響きます。

いびきや寝言はしないでください

寝るのは自由です。ただ、静かにしてください。いびきをかいたり、意味なく「うわぁ」とか言わないでください。健康ランドではありませんよ。

しゃべらないでください

次の展開を話し合うのがおばさん、年配の役者が出てくると「あの人も病気してねぇ」とささやくのが老人です。どちらもやめてください。

スタッフロールになった瞬間に席を立たないでください

家に帰るまでが遠足、映倫マークが出るまでが映画です。あなたを楽しませてくれたスタッフの名前が出るのです。感謝しましょう。

できれば平日にどうぞ

毎日が日曜日でしたら、できれば平日にお楽しみください。土日は、休みの取れない労働者に見せてあげてください。無理は申しませんが。
それでは、また映画館でお会いしましょう。

ほとんど更新は無理

大人になるって難しいんだな。
という思いをあと何回しなくてはならないのかわかりませんが、とまれ、なかなかこちらにまで手を回せません。すみません。代わりにと言ってはナンですが、慣れない手つきでツイッターに登録しました。
@ngsktでほとんどフォローされずにやってますが、よろしければ。これをもちまして、こちらは長期間休止と相成ります。

映画は薄利多売へ進むか

日本のドキュメンタリー映画が大手配給で商業ベースに乗るということは、これまでにはほとんど考えられないことだったのではないか。しかし、ここに大きな金塊があった。正確に言えば、単館系のドキュメンタリーに客が入るようになった。たとえば松江哲明監督『ライブテープ』が、平日の吉祥寺の映画館できちんと集客できるとは思いもよらなかった。そこにはマイケル・ムーアの功績もあるのだろうと踏んでいる。そもそもドキュメンタリーというジャンルを見せる機会が訪れたのには、彼によるところがあるだろう。彼への賛否の含めてだ。

この不況下、メリットもあった。社会性の強いものでなければ、どのみち撮影されていた映像にいくつかの再取材を加えるだけでいいので、おそらくコストも日数も少なくて済むのだろう。雇われ監督が半年で制作することもできない話ではない。

今月になって、松竹が『わが心の歌舞伎座』を、東宝が『DOCUMENTARY of AKB48』を公開した。どちらも観に行ったが、これが大変な盛況である。前者はさすが松竹にしか撮れない歌舞伎座の内部がつまびらかにされ、後者は岩井俊二率いるロックウェルアイズの制作。どちらの映像も見事である。

とはいえ前者は、映画がなくても演目を撮りためていただろうし、後者はNHKが以前からかなり張り付いていたのではないか。そこにインタビューを取り入れることで、ひとつの作品にしている。インタビューに決定的瞬間はいらない。一番大事なのはアポを取るということに他ならないが、それもひとり当たり1時間もあれば上等だ。

しかし比べてみると、後者のほうが筋書きがうまい。松竹は、映画を作る以前に、50年の歴史を持つ歌舞伎座を取り壊すにあたっての記録を取り、いま大御所とされる役者を当て込むことを重視している。いわば保存版の資料作りである。採算が取れなくてもそれなりのレベルの映像は制作するだろう。

ところがAKBは採算が命だ。いかにも人気のあるメンバーのインタビューと歌で構成すれば、きちんと資金は回収できる。が、ファンの期待を裏切り、歌も踊りもさほど詳細には映り込まない。むしろ、インタビューするメンバーのつながり、ドキュメンタリーならではのストーリー性を重視する。それがこの作品の、ドキュメンタリーたるゆえんであろう。

そしてやはり面白いのが、どちらも特定の幾人かにスポットをあてることを繰り返す手法で進行している点にあろう。短時間に、既存の映像を巧みに使って、低コストで進めるためには、この手法が最も有効という結論である。映画業界が、本格的に薄利多売の時代に突入しつつある。

それにしても、AKB48のファンなのか、コンサートに使うような光る棒を劇場に持ち込んでいるのを見かけた。コンサートを見に来たのだろう。上映中、ずっと友人と、この子はいいとかこの子はいらないとかしゃべっていた。しかし内容がずっぼりドキュメンタリーだったのが意外だったのか、光る棒は使用されることもなく、エンドロールの最中に早々と姿を消してしまった。ざまあみろ。

しらけどり映画大賞2010

なんだかんだでいままでにない勢いで映画を観てしまった。劇場で観た作品107本。そこから旧作と洋画を除くと99本。学生の頃でもここまで多くなかった。暇だったと言えばそれまでだが、それはいまになって始まったことでもないので、やはり公開された本数が多かったのだろう。何年振りかで1日に3本も映画館で観てしまったことも。
99本もあれば、作品の質はまさにピンからキリまである。しかし、レベルは高かった。何年もコツコツと書き溜めた採点表によると、今年は5作が過去最高点を更新している。それゆえにベストテン選びも苦労した。自分で勝手にやっていて苦労も何もないのだが。とにかく、ベストテンに入るレベルの作品が、入らない。
そんなわけで、作品はベスト20まで作ってしまった。
対象作品はこちらをご参照を。今年観た新作の日本映画すべてです。

2010年作品十選(数字は順位)

  1. 告白
  2. 十三人の刺客
  3. 川の底からこんにちは
  4. パーマネント野ばら
  5. 書道ガールズ!!−わたしたちの甲子園−
  6. 半分の月がのぼる空
  7. カラフル
  8. 海炭市叙景
  9. 悪人
  10. 孤高のメス

ずば抜けていた作品がふたつあった。圧倒的に引き込まれた。ある作品は、世の中に完全に飼育されてしまった若者の悲劇と、そこから自分の力で抜け出すための前提を示した。他方、悪を征伐する正義の、実に痛快な時代劇だった。笑っちゃうぐらい徹底した殺戮であった。甲乙つけがたいレベルの高さながら、バッドエンドを志向した前者を1にした。
リアルがリアルになりきれない。結局のところ、自分の体験をもってしか他者を理解することはできない。だけど、世の中に飼いならされてしまったわたしたちは、リアルを別のもので代用することを、貨幣によって実現する。だから、リアルがリアルとして機能しなくなっていく。不可思議な行動の不可思議さを理解しきることは困難だろう。他者のいる社会の一員になることができるのは、自らの意識でしかない。重みのある作品だった。時代がバッドエンドを求めているのなら、なおさらよい。
2は、三池崇史のえげつなさが不可解を通り越して快感に変わった。悪役が素晴らしいと、成敗が気持ちいい。一瞬、悪の殿様が同情を誘うようなセリフを述べる。しかし同情に至らないのがいい。そしてその心情が、1に登場する若者たちとどこか重なって見えてくるあたりに、時代性を感じる。
3は、途中まで1位の有力候補だった。石井監督の作品は初めてだったが、今年一番笑った映画だった。それにしても結婚しちゃうんだもんな。才能は恐ろしい。4は脚本のすばらしさと、客を騙し切る菅野美穂の名演技。5は安易なガールズムービーだと油断したら、青春群像に目頭を熱くしてしまった。6も脚本。全貌がばれる瞬間、あっと声を出しそうになった。7もまた時代性を持ちながら、しっかりと大人のアニメ。宮崎あおい南明奈が圧巻。8は静かに北海道の暗部を見せていく。北海道には鈍い空がある。9は李監督らしい丁寧な作りに、いたたまれない人間模様が加わって、深みが増した。10も丁寧。地に足がついた重厚な作品。
さて、これだけでどうしても終われないのが2010年。どういうわけかベストテンに入れたくても入れられなかった作品が大量に残っている。2009年に公開していればいくらでも上位を狙えたであろう作品の数々を、ぜひ紹介したい。

2010年作品落選集(数字は順位)

11.春との旅
12.必死剣 鳥刺し
13.アブラクサスの祭
14.スープ・オペラ
15.パレード
16.ケンタとジュンとカヨちゃんの国
17.信さん・炭坑町のセレナーデ
18.ゴールデンスランバー
19.スイートリトルライズ
20.キャタピラー
11は予告編を見たときからベストテン確実と思っていたのだが。やや旅路の過程に見えにくさがあって、余計な頭を使ってしまう部分があった。しかしテーマ曲はいまでも鮮烈に思い出せる。12、17と平山秀幸監督の作品がある。この人は確実に面白いものを作ってくる。安定感は群を抜いている。16は時代性の強さがとても好印象だった。その観点を強調すれば確実に上位だったが、評価基準とは難しいものである。
12、19と池脇千鶴出演作が並んだのは嬉しいところ。『パーマネント野ばら』も入れれば3作。いい作品にはい演者がいるのだ。などと言ったところで矛盾するようだが、以下の出演者の選からは漏れてしまった。敢えて言えば、新しい発見が待たれる。14に瀧本監督、18に中村監督など実力者も。いつか行定映画を再びベストテンに入れたいと思っているのだが。

2010年主演十選(五十音順)

数えると11名いる。どうしてもこれ以上絞れなかった。99本も見ると、こんなこともあるのだろう。逆に、10人に満たない年だって、いつか訪れるだろう。男女半分ずつ選ぶことができた。太字は男女それぞれとくに優れた人物をさすが、役所広司がどちらも時代劇だ。『最後の忠臣蔵』は作品としては評価していないが、彼ひとりが気を吐いていた。
女性は満島ひかり。去年はキネ旬助演女優賞を受賞した彼女だが、実は僕は、悩んだ挙句『ディアドクター』の八千草薫にしてしまい、なんとなく悔やんでしまった。だってキネ旬があんな選び方をするとは思わなかったんだもの。今年は『川の底からこんにちは』があってくれてよかった。スカッとする怪演だった。ちなみに主演作だけで選んだが、『悪人』もよかった。
今年はちなみに海外で高く評価された演者がいる。素晴らしい出来事だと思うし、実際、素晴らしい演技だと思う。ただ、これも発見なのであって、海外での発見と、日本での発見は、視点が異なる。海外で評価されると無条件で日本でも評価が吊り上ることがあるが、評価される演者がいる地力の良さをこそ評価されるものではないか。それから、濡れ場があると評価されやすいのはどうしたものか。

2010年助演十五選(五十音順)

これはたいへんだ。ひとりでこんなにたくさんの作品に出るというのは、このクラスの役者ではちょっと多すぎではないか。しかし多くの作品に出ている演者にこそいい演技があったのも今年の特徴である。とはいえ寡占状態というか、キャスティングが安易になっているのではないかという印象はぬぐえない。
そんなご一行のなかでも、演技の幅広さで言えば岸部一徳ではないか。悪役が本当によく似合うし、怖い。善人と悪人を行ったり来たりする不気味さはピカイチだ。
ところで女性が少ない。やたらとおじさん寄りになっているのは時代の要請なのか。惜しむらくは谷村美月を選から漏らしたことだろう。無論、入れたければ入れればいいだけのことだが。平均点はものすごく高いのに、ずば抜けていて、新しい発見を得るには至らなかったと判断してしまった。なぜ勝手な判断に言い訳しているのか、自分でもわからない。
女性のベストは徳永えり。いま、あの役柄を演じられるのは彼女をおいていないかもしれない。変な言い方かもしれないが、どこもかしこもモデルみたいな人ばかりで、つまらない。きれいな人だけで成り立つ世の中はない。美しさが、必ずしもそこに存在するとは限らない。貴重な演者である。

2010年新人十選(五十音順)

新人の定義をキネ旬と同じにしてあるので、若い人ばかりではない。川島海荷がちょっと残念。こうしてみると、役者として、歌手として、モデルとしてキャリアのある人ばかりだ。基準を満たした新人は量産できるけれど、新人として評価できる人は、そんなにたくさんは現れない。あるいは子役だらけになるときもある。そんななかで女性は忽那汐里。気の強さと可憐さのバランスがいい。スクリーンでぐっと映える。
男性はちょっとさびしい。いつもそうなりがちなので仕方ないのだが。どうしても新星の輝きは女性にかなわない。男性はどうしてもぼやーんとしてしまう。強いて言えば今年は近藤洋一か。ミュージシャンとしてのキャリアはあるが、小細工しない縁起の不器用さが、作品とマッチしていた。
さて、さすがに今年は本数も減るだろう。そうでないと、休みの日が休みの日でなくなってしまう。ひとまず、新年はまだ何も観ていない。まあぼちぼちで。できるだけここも更新するようにします。

また新しい一年が

今年もどうぞよろしく。ひとまず、いい案でも出てくるまで、このブログは続けることにします。
数時間前に故郷から戻ってきました。昨年に引き続き、往路も復路も飛行機が遅延する不運に会いました。往路は滑走路の除雪のため津軽海峡上空で1時間待機、復路は機材繰り。機材繰りという遅延が存在するのが新興企業らしさということか。
相変わらず故郷に戻って愕然とするのは、北海道新聞のつまらなさ。故郷を離れるまで、新聞が退屈なのではなくて、この新聞が詰まらないのだということに気づきませんでした。北海道をマイルドにして、本気でこの島をどうにかしようという気持ちを削いで、そのくせして判官びいきで、なのに記者クラブべったり。そして共同通信のコピペ。
やられたなと思ったのは、新年の特集「バブル崩壊20年」。共同通信が作成した記事をそのまま貼り付けたのだろうけど、90年代の出来事に北海道拓殖銀行のニュースがひとつもないというのは、北海道民向けのまともな記事とは思えない。あの事件で何人死んだと思っているのか。
そんなわけで、どうやったら北海道民が本気で絶望できるのか考えたいと思います。
ぼちぼち映画ベストテンを散見するようになりましたね。近日、ここでもやります。

安全はいただきものではない

年末、故郷で完全にのびていたら、なんだか不思議なニュースが飛び込んできた。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20101230/k10013141781000.html
リンク先はそのうち消滅するだろうけど、そこにはこう書いてある。

自動車のブレーキとアクセルを踏み間違える事故が後を絶ちませんが、各地にある車検場でも整備士による踏み間違い事故が相次いでいることが分かり、検査を行っている独立行政法人は「車の“プロ”であっても気持ちが焦ると事故を起こしてしまう」として注意を呼びかけています。

このニュースに言及したブログを上位からいくつか見ていると、企業の安全対策や、行政の注意喚起の不足を指摘する声が多いようだ。それはあるのかもしれない。一般道での事故の件数はずいぶん多いようだが、自動車メーカーがリコールしたという話は聞かない。このネオリベラルな世界では、消費者は資本に組み入れられて生きる宿命にあるようだ。
だからと言って、プロが事故を起こすことにいちいち企業が言及するものかどうかも、一方で疑わしい。マニュアル車ならエンストを起こすような操作の話である。自分は安全になるようにできているという根拠のない論理が、どこかにある。
運転免許は権利ではなくて許可なので、ある一定の技能を持つものが行政に運転を許されているに過ぎない。安全でないから許可制になる。オートマ車は便利だが安全とは限らない。しかし便利であるから安心してしまうことが安全であることと混同するようになる。
世の中が便利になりすぎて、安全であるかのような錯覚を起こしすぎる。道を歩いていて、目の前を僕が歩いていて、ぶつかることが相手にもよくわかっているのに、相手はよけない。別にチキンレースを楽しんでいるわけではない。相手がよけてくれるので安全であるという、完全に誤った思考回路が完成されている。物体が重力によって上から下に移動するのと同じレベルで、自分には何もぶつかってこないと思っている。保障されていると思っている人がやたらと多い。
資本に組み入れられることで、根拠もなく安全を手に入れたかのように見えるが、自分で自分の身をどうすることもできなくなった結果、ますます高付加価値の便利を買わないと、根拠のない安全を維持できなくなる。それを繰り返す。
まずこのニュースを、笑えない笑い話だってことから始めてはどうなんだろうか。企業の肩を持っているのではない。企業に何を期待しているのか問うているだけのことだ。